hu-rin9045’s blog

心霊体験、日々のだらだら日記

心霊体験について思うこと②

前にも、私の勝手な解釈でお話したと思いますが。

人には、身体の周りに薄いベールが何層にも重なっていると思うのです。

それは、魂の成長とかなり深く関わっていて、人と関わり、愛されたり、思いやりを持ったり、自信をもっていったり・・・と、自我を持ち人として成長することにより形成されていくと思うのです。

その結果、この現世ではベールに守られ、奇妙な体験をせずに済むと。

逆に、なんらかの形でそのベールが形成されなかった、または薄い人達は、時折、心霊体験をしてしまうと。

私の場合は、形成されなかったタイプだと思われます。

前回のブログで少し生い立ちを話しましたが、私は両親の愛情を人より少なく育ったと思います。

まぁ、生まれて初めて与えられるのが、両親の愛情な訳で、その時点でベールの形成がうまくできなかったのだと。

はっきり言うと、幼い頃に
『あんたなんか生まなきゃ良かった』
『あんたが生まれたから、私は苦労している』
という、『生命』を否定する言葉を受けた為、普通の人が、普通に与えられる愛情を受けられなかった、という感じです。

『3つ子の魂百までも』ではないですが、幼心にも、生きている事がいけない事だと育ったわけです。

当然、魂には響きます。
生きていてはいけない、でもどうすればいいのかわからない。幼い子供に自殺は浮かびません。

ただ、ただ、母親の顔色を伺い、側にいてもいいのか、怒られないか、そんな感じです。

でも、小さな魂は、生きている意味がないと刻まれているのです。そこから、ベールの形成が出来なくなります。

存在を否定されたのだから、人と関わるのが怖くなり、コミュニケーションによって育つ自信も、愛の存在も、何もかも無意味になるのです。

生まれながらにして、霊感のある神童とはまた違います。

また、修行によって得た感性とも違います。

なんとも説明しにくいのですが、『無』です。
何をしても、何を手にしても、『嬉しい』『楽しい』とは感じなくなります。

愛情欲しさに、必死に生きているだけです。

それは、纏うべきベールの形成に障害が起きます。
培われるべき、達成感や自信を感じないからです。

そうして、ベールが薄いまま成長するので、魂のみで存在する霊との距離が近くなってしまう、と思うのです。

私の場合は、そういった形で、霊とのコンタクトが取りやすかったと思います。

まぁそれを一時的に回避してくれたのが、祖父でした。寡黙でしたが、愛情を注いでもらったと思います。

そして、霊魂と人間の違いを少し学ばせてもらいました。その当時は、全て同じに視えていましたから。

愛情を受け、コミュニケーションが取れるようになった私は、母に話しかけられるようになりました。
今思えば、何も感じない母からしたら、私は奇妙な事しか言わない変わった子としか、映ってなかったみたいですけど。

結果として、母からは愛されませんでした。
その当時の母は、嫁としてひどい扱いを受けていましたし、当たりどころは奇妙な私しかなかったのだと思います。

反対されて駆け落ちし、跡継ぎである長男を生んで戻ってきたのに、祖父が私を可愛いがって、弟をないがしろにしていたのも、原因の一つでした。

田舎ですし、男の子を生むのと生まないのとでは、かなり嫁の待遇も違いました。
祖父は元々寡黙ですし、母とは喋らず、祖母はハッキリとモノを言う人で、子供ながらに、母を可哀想だと思いましたから。

祖父と過ごし、幼稚園に通うようにり、私を纏うベールも増えていきました。たぶん。

ですが、母との確執は深まるばかりで、とうとう祖父が本家に私を住まわせることになりました。まだ9つの時です。

同じ敷地内とはいえ、本格的に父母とも、妹や弟とも離れ離れです。
確かに離れには、精神的にも、いられない状況でしたが。

祖父に与えられた部屋は、私の苦手な場所でした。
でも、母から逃げられた事の方が嬉しかったのを覚えています。

ひとつ、言い忘れていましたが、例えベールが厚い人でも、長期間にわたると奇怪な現象に合う場合があると思います。

いわゆる『霊道』と言われる霊魂の通り道や、『吹き溜まり』です。

残念な事に、私の与えられた部屋は、『霊道』の通過点でした。おかげさまで、数年忘れていた接触が始まったのです。

いつでも誰かに見られている気配。
そして、誰も居ないはずの押入れを叩かれる。
寝ようとすると、男女入り交じった話し声が聞こえる。その他諸々。

中学に入った頃に、友達に心霊写真やら、マンガなどを借りて、やっと、この生活が普通ではないと知りました。

語りかけてくる霊達と話すのが、当たり前だと思っていた事が、普通ではないと知った時のショックは大きかったです。

そこから、身近だった霊との交流が恐怖となりました。皆と同じく、普通になりたかった。

そして、たまに会う母親にも何も言わなくなりました。これが、嫌われている原因の一つだと認識したからです。

祖父は、騒がしい日には決まってお経を流してくれていました。何も言わずに。

でも、居てはいけない場所に長くいるということは、やはり身体にも負担がかかるらしく。毎日の頭痛と吐き気が始まり、何軒もの病院にかかりましたが、全部原因不明と言われました。

そこで、祖父が考えたのが、プレハブです。離れの隣に大きなプレハブを買い、妹と2人で使うよう言いました。

正直、ほとんど口の聞かなかった姉妹が、突然一緒に部屋を使うというのも、無理があると思いますけど、多分祖父なりに私を家族に戻し、霊障から守ろうとしたんだと思います。

ちょうど高校に入る時で、確かに欠席日数を考えたら、霊障の起こる部屋よりは、体調が戻る方が先決だと思い、妹との生活が始まりました。

もちろん、妹とはうまくいっていたとは言えませんが、体調は戻ってきました。ところが、最初の夏、また起こったのです。

その当時、チェーンメールが流行っていて『このメールを5人に拡散しないと悪霊に取り憑かれる』とかなんとか。夏らしい内容でしたね(笑)

必死に拡散してた妹も、夜も遅くて眠かったのか『これは風鈴ちゃんとこに来るから、あたしは大丈夫』と言って寝ちゃったんです。

私も寝ようとしてベッドに入り、当時はダブルベッドに2人で寝ていたので、隣の妹の寝顔を見ながら、幸せな奴だなぁなどと考えてたら、金縛りです。引っ越して初だったので、ちょっと驚きましたが、まだ電気も消してないし、恐怖には感じませんでした。

ところが、本当の恐怖はここからだったんです。
鏡台の鏡がグニャリと歪み、中から何かが出てこようとしていました。まるで今で言うなら貞子です。

そして布団の足元から何かが上に這い上がってきました。最初は飼っていた猫かな?ぐらいに思っていたのに、実際は手首のみ。

そのまま首を締められ、貞子(笑)は出てこようとしている、で、必死に妹の名前を呼びました。
苦しくて、もうダメかーと思った瞬間、妹が体を揺すってくれて金縛りが解け、全て消えました。

妹にも見えたのかと思って確認したら、『急に寒くなって目が覚めたら、風鈴ちゃんが苦しんでた。死んじゃうのかと思った』という訳です。

いや、死んでたよあのままだったら。

今まで体験してきたのは、危害を加えてくる方々ではなかったので、これが人生初の恐怖体験ですね。

で。その夏の自由研究は、本でかじった知識の『霊道』です。感覚的に、私が嫌だと思う場所を敷地内の地図を作ってチェックしてみたんです。

そしたら、ドンピシャに道ができちゃってですね。
全部、私が使ってた部屋、嫌がってた場所だったんです。そして、プレハブもそこに当てはまってて・・・。

もう諦めるしかないと思った高1の夏でした。

心霊体験について思うこと

はじめまして風鈴です。

今日から、ちょいちょい日々思うこと、体験した事を書こうと思います。

子供の頃から、いわゆる『心霊体験』はしてきた方だと思いますが、今だからそう言えるって感じです。

わたしは、幼少期、かなりのおとなしい子で、自分から発言するという事をしない子でした。

まぁ、育った家庭環境もあるし、ド田舎なので遊ぶ友達もいませんでしたし。

4歳くらいに、両親がいわゆる実家に戻ってきたんですが(父親が長男だったので)、その頃から体験し始めました。

思うに、この世とあの世って、実はそう遠くはない気がします。

ある意味、重なり合っている場所も存在しているとも感じてます。

よく、人にはオーラがあると聞きますが、私も、人は薄いベールが何層にも重なっていると思います。

このベールの層が厚い人は、心霊体験をせず、薄い人程体験をしてしまうと勝手に解釈してみます。

このベールは、生まれた時は薄く、成長すると共に層を厚くしていきます。

赤ちゃんが、誰もいない壁に向かってよく笑うとか、ある部屋に行くと突然泣き出すとか、そんな話を聞いたことはありませんか?

それは、そのベールがまだ薄く、霊界とのコンタクトが取りやすいからだと思うのです。

私は、霊能力者でもないし、心霊体験を研究もしていないし、あくまでも私の勝手な解釈です。

人は魂を持ち、それを身体(肉体)が包み込み、その上に何層にもベールが重なって、魂を守っている、とします。

生まれた時は薄いベールも、成長すると共に層を厚くしていきます。そして、霊界とのコンタクトが取れなくなる。

心霊体験をしてしまう人は、なんらかの形でそのベールが形成されなかったのではないかと。

きちんとベールをまとった人でも、たまに体験してしまう時があります。

それは、精神的に弱っている時や、体調を崩してしまった時など、守るべきベールが薄くなった時だと思うのです。

私の場合は、生まれた時から、キチンとベールが形成されなかったタイプだと思ってます。

最初に、話しましたが、私はかなりの消極的な性格で、近所に友達も居ないド田舎で育ちました。

本家に祖父と祖母が住んでいて、私達家族は敷地内の離れに住んでいました。

下には年の近い年子の兄妹がいて、私はどちらかというと、親にはあまりかまってもらえませんでした。

なので、遊びといえばひとり遊びです。何故か離れが苦手で、外に出てはひとりで過ごす、といった生活を送っていました。

でも、いつも誰かと遊べるのです。
かなりの田舎ですので、土地は広く所有している方でしたし、小さい子供にとっては、毎日が探検でした。

たいてい同じ年ぐらいの男の子と遊んでいました。
会話はありません。わたしも無口な方でしたし、その子も話しません。

遊ぶというよりは、その子について歩いていたという感じです。

その子は大抵本家の方にいたので、自然と本家の庭で遊んでいました。基本的にはかくれんぼですね。

たまに木の上に登っていたので、真似して登ろうとして、祖父に止められたのを覚えてます。

その頃から、祖父が私を構うようになりました。
祖父は寡黙であまり喋らない人でしたが、色々と昔の知恵を教えてくれました。

そして、その男の子は現れなくなりました。

寂しい気持ちもありましたが、『人と離すこと』の楽しさを知ったので、祖父と居るのが当たり前になりました。

両親は結婚を反対されて駆け落ちし、弟が生まれたことをきっかけに、実家に戻ってきました。

いわゆる、跡継ぎを連れてきたので、仕方なく祖父母も許した形だったと思います。

当初離れには台所もお風呂もなく、ただ寝るだけの家でしたので、食事やお風呂は本家に行っていました。

4歳の私でも、祖父母が母を嫌っている事は感じていました。

ですが、祖父は何故か私をかまい、いつもそばにいる様になったのです。

一番風呂は、いつも祖父でした。
本家でも苦手な部屋があり、私は本能的に避けていました。
いつものように居間にいると、祖父がお風呂から出てきて、隣の仏壇の部屋で涼んでいました。

すると、風呂場の方からゾロゾロと、奇妙な体をした人とはかなりかけ離れたモノたちが歩いてきました。

そのモノたちは、仏間にいる祖父の周りを囲んで、止まりました。

まだ、幼い私には『爺ちゃんのお友達かな』ぐらいにしか感じず、無口もたたって、ただ見ていました。

そんな毎日が続いて、そのモノたちが現れるのも当たり前だと思い始めた頃、いつものように涼んでいた祖父が、おもむろにお経を流したんです。

すると、その周りを囲んでいたモノたちが、明らかに喜んで踊りだし、祖父の周りをぐるぐると回り出しました。

さすがに驚いて、仏間にいる祖父に近付くと、祖父が私をあぐらをかいた膝に乗せ、『しーっ』と人差し指で内緒の合図をしました。

しばらく踊り続けたモノたちは、満足したのか、すうっと消えていきました。

そんな日が何日か続いても、素直で無口な私は(笑)、家族の誰にも言わずに過ごしていました。

というか、それが当たり前の事だと思っていたんですよね。祖父とも内緒の約束してましたし。

今思うと、あれはお盆月でした。