蛙の子は蛙?
気が付けば、もうすぐ4月。ご無沙汰しておりました。
さて先日、子供を遊ばせに児童館に行ったときのお話です。
児童館には様々な遊具や広いスペースがあるため、のびのび遊ぶことができるかなと思い連れていきました。
我が子はあまり慣れていないせいかきょとんとしたままで、私が「ワオ!こんなおもちゃもある!おもしろ~いね!」とテンション高めにいろいろおもちゃを見せても関心を示そうとはしませんでした。
そうしていると、我が子より少し年上の女児が近づいてきて、私が遊んで見せているおもちゃで遊び始めたのです。
女児は祖母らしき女性と一緒に来ていたようで、祖母が女児を追いかけてきて、「こら!他の子が遊んでるものを取るんじゃないの!」と叱り連れ戻そうとしました。しかしその女児はなかなか動こうとしません。すると祖母は「もう!疲れる~!」と叫び首をうなだれるのです。ちょっとわざとらしいオーバーな感じで、こちらにアピールしているような気がしました。この子に振り回されて大変なんですよー、とでも言いたげな。
私は女児に対し「面白そうだったんだよね。使ってないからどうぞ」と譲り、別のおもちゃを我が子の前に置き遊んで見せました。
すると、またその子が乱入し遊びはじめます。祖母はまた「また横取りするー!なんでそんなことすんの!嫌な子だわ~」と抱きかかえて元の場所に戻っていきました。
そんなことが2~3回あり・・
今度はようやく我が子が手にもって遊ぶおもちゃに興味を示し、手に取ったときまた女児がサッとやってきてぶんどる形で、おもちゃを奪っていったのでした。
再び祖母が血相を変えてやってきて、女児の太ももをバシンとはたき「ホントにあんたはいじわるな子だね。こんな小さい子のおもちゃを無理やり取るなんて!」と言って女児を叱りつけていました。
祖母はその後女児のおむつ替えをしている最中も「そんないじわるばっかりしていると、みんなに嫌われて誰も遊んでくれなくなるよ。みーんな『〇〇ちゃんのこと嫌い』って言うよ」と女児を脅かしていました。
当の女児はしょんぼりする様子もなく、終始無表情で他人事のようでした。
こういった光景は小さいお子さんのいる遊び場ではあるあるの光景です。誰かが遊んでいるおもちゃは面白そうに見えるもので、つい手が伸びてしまったり、自分が密かに気に入っているおもちゃを誰かが使っていると取り返したくなる、まだ順番や貸し借りのルールが身に付いていないこの時期はお互いさまだと思っています。
ルールを勉強中の子に「嫌な子」とか「いじわる」とか言ったり、叩いたりするおばあさんのやり方に少し引いていたのですが、我が子ももうしばらくしてあのくらいの歳になれば手を焼くことになるのかしら、などとぼんやり思ってみていました。
そうこうしているうちに昼食の時間になり、お弁当を広げられるスペースが開放されました。その日は来館者が非常に多く、すぐにテーブルが埋まってしまったので我々は次に空くまで遊んで待っていることにしました。
徐々に第1弾の親子等が食事を終え始めました。そろそろ空くかなと思い、私を含む何組かの親子は手を洗ったりお弁当をカバンから取ってきたりと準備を始めました。
一席空きそう、と思ったそのとき、背後から颯のように老女が現れ、空いた机めがけて大きなカバンをブン!と置いたのです。
ド厚かましい人もいるものだと顔を見るとあのクソバb・・いえ先ほどの祖母だったのでした。
またやられた!
あけましておめでとうございます。
昨年最後の投稿が10月になってしまいましたね。月日が経つのは早いですね。
その10月の投稿はアイスのpinoが小さくなっていたというショッキングな出来事を書いたものでしたね。
われながらみみちいことに怒りをぶつけていたな、と思っていました。
先日のことです。
夫がおトイレに入っていて私を呼びました。ハッと気付きました。その前に私がトイレに行ったときにトイレットペーパーを使い切って補充するのを忘れていたのです。
トイレに入ってトイレットペーパーがないとき少し絶望しますよね。そしてトイレから声を上げて頼むのもちょっとなんというか間抜・・・いや、とにかく夫には悪いことをしてしまいました。
急いでトイレットペーパーを渡そうとしました。ビニルに入っていてまだ開けていなかったトイレットペーパーのパックから1つ取り出したときに少し違和感を感じました。しかし、なんの違和感がわからないまま手渡し、その場は終わりました。
今度はまた私がトイレに行き用を足したあとトイレットペーパーを手にして気付きました。
トイレットペーパーの幅が狭くなってない??????
そのトイレットペーパーを使い終わったあと、前回まで使っていたトイレットペーパーの芯と比べてみました。
((((;゚Д゚)))))))
気のせいじゃなかった!
こんなとこにも物価高騰の影響が。こんなしみったれたことしてお値段据え置きでしれーっとドラッグストアにおいてるんですからタチが悪いですよね。
気づかないからといってちまちま狭くしていって挙げ句の果てにガムテープくらいの幅になったらいよいよお尻も拭きにくいでしょうね。
また新年早々みみちいことに怒りをぶちまけてしまいました。
本年もよろしくお願いします。
最近pino食べました?びっくりしませんでしたか?
私はお風呂上りにアイスを食べることが好きです。単品のアイスではなく、いくつか箱に入った「ファミリーパック」を買うことが多いです。食べ応えが欲しいときはヨーロピアンシュガーコーン、爽快感を求めるときはガリガリ君など気分に合わせてチョイスしています。
先日スーパーに買い物に行った際、アイスの在庫が切れかかっていたので買い足そうとアイス売り場に行くと、ふと単品アイスのコーナーにあるpinoに目が留まりました。
「ほう。ピノか」私はpinoが割と好きだったことを想いだしました。最近食べていないし買ってみることにしました。
風呂上り、夫と一緒に買ったpinoを食べることにしました。6個あるし、1つずつ食べて3日で消化してもいいな。いや、まてよ今日は2個行っちゃうか?などと思いを巡らせ箱を開けました。
ち…、ちっちゃい……
軽くめまいがしました。私がよく食べていたpinoではありませんでした。体感では半分くらいに小さくなってしまったようでした。
これまでと同じ佇まいなのに小さくなってしまったpino。なんだか騙されたようなみじめな気持ちになりました。
後日夫がこんなtogetterを教えてくれました。
切ないタグ #くいもんみんな小さくなってませんか日本 実例をあげるとより切なくなる「食べ物だけじゃないよね」 (2ページ目) - Togetterまとめ
毎朝飲むトマトジュースのペットボトルが900mlという中途半端な容量だったり、うすうす気付いていたのですが、こんなえげつないことになっていたとは…
物価上昇に伴う原料の高騰のあおりを受け、かといって価格を上げると売れないので中身を減らすしかない企業の苦肉の策が伺えます。
景気が回復されているなら豊かな暮らしができるはずなのにみじめな小さいpinoを食べなければならない矛盾。庶民レベルでは景気回復の実感が得られない、誰のミクスやねんと思ってしまいます。
そもそもこのようなお菓子の大きさって、消費者の食べやすさや満足度を考えて作ったものではないのでしょうか?開発した人もがっかりでしょうね。
ということでもちろん1個で満足できなかったので、全部食べてやりましたよ。ええ。
10ウン年ぶりにフリーマーケットに行って気付かされた衝撃の事実
気が付けば9月。まだまだ陽射しの強い日中も吹く風は夏のそれとは変わって秋の訪れを感じさせられます。
8月はお出かけらしいお出かけをしなかった我が家でしたが、近所に割と広めの公園があり子供を連れて散歩にはよく行ってました。
ある日いつものように散歩に行くと、広場が人でにぎわっていました。近づいてみると、フリーマーケットをしていたのでした。いつもはがらんとしている公園でしたので、お祭りのような活気のある様子にうれしくなったのと、まともにフリーマーケットを覗くのは学生以来10年以上ぶりくらいだったので懐かしく思ってワクワクしながら覗いていくことにしました。
高校時代は、フリーマーケットに行って古着のTシャツやジーンズを物色したり、大学生のお姉さんが出店しているCDなどをお勧めされたりと普通の店舗での買い物では感じられない文化交流の匂いがして楽しかった記憶があります。
大学に入り今度は自分たちが出店するようになりました。売り物にした服をどうやったらよく見えるか配置を工夫したり、値段をいくらに設定したら売れるか考えたり、値引き交渉に応じてみたりと、参加費を考えたらほんのわずかしか利益はでなかったけど充実していた記憶があります。
少し脱線してしまいましたが、公園のフリーマーケットを見て回るとすぐに違和感を感じました。
「高齢化!」
出店している人も見て回る人も、50歳以上のおぢさんやおばさまがほとんどだったのです。出品しているものも煮物のような色の服だったり、何に使ったらいいのかわからない壺だったり全体的に渋いのです。
私の思い出のフリーマーケットの光景はどこにもありません。
グルグルと広場を巡っていて、気づきました。フリーマーケットをする若者がいなくなったわけじゃない、リアルの世界から姿を消しただけなのだと。
若者たちは青空の下で行われるフリーマーケットからは姿を消し、スマホの中のフリマアプリに流れていったのだと実感しました。
それは目の前のフリーマーケットに集まる人たちがスマホを持たない(持っていても使いこなせていない)世代であることからも納得がいきました。
私が、学生時代出品したものを良く見せようとしたり、価格設定に頭を悩ませたり、値引き交渉に応じたり・・というのを現代の若い子たちはネットの世界で同じように楽しんでいるのですね。感慨深い。
欲しいものはなかったのですが、すごい発見をした気持ちになれたので大満足でした。
※フリマアプリ、私もやっています。欲しいものが安く手に入るとうれしいですよね。でもユーザーが広がったことでトラブルめいたこともちらほら聞きます。この話についても考えたことがあったのでまた後日改めてまとめたいと思います。
見知らぬおばあさんに野球のチケットを売りつけられそうになった(?)でござる、の巻
あっという間に8月です。みなさんこの夏をどのようにお過ごしでしょうか。私は特に予定も立てず家でゆっくり過ごす夏になりそうです。
昨年はどうだったかと日記を見返すと、やはりどこにも旅行に行かず近隣をうろうろして過ごしていたようでした。
そんな昨年の暑い日、子どもを連れてバスで買い物にでかけたときのことです。
一通り買い物を終えて、バスに乗って帰ろうとバス停の時刻表を見ると到着まで5分ほど時間がありました。
特別暑い日だったので、外で待つのはつらいと思い、近くの商業施設の中に入り涼しい中で待たせてもらうことにしました。
ベンチがあるちょっとしたスペースがあり、ベンチには70代後半くらいのおばあさんと60代後半と思しきおじさんが座っていました。
子供連れで汗だくだくの私を見かねたのか、おばあさんが「ここに座ったら?」と席を詰めてくれました。するとおじさんが気を遣って席を立ち「ここに座りなよ」と譲ってくれたのです。
バスが来るまでの少しの間ではありましたが、せっかくのご厚意なのでありがたく座らせてもらうことにしました。
子どもがいたので場が和んだのか、世間話をしばらくしていると(ちなみにあばあさんとおじさんは他人です)ふいにおばあさんが、「神宮球場の野球のチケットっていくらするものなのかしら」と尋ねてきました。
神宮球場には一昨年見に行ったものの、昨年は全く行くことはありませんでした。そこで「行ったことはあるのですが金額は忘れてしまいました」と答えました。おじさんも「ヤクルトは今年弱いからあんま見る気しないもんね」と苦笑いしていました。
しばしおじさんとヤクルトの悪口を言いあっていると、おばあさんがおもむろにかばんから封筒を取り出しました。
「ヤクルトのチケットもらっちゃったんだけど見に行けないから、よかったらどうかと思ったのよね」と残念そうにぽつりとつぶやいたのです。
反射的に「しまった!」と思い、思わずおじさんの顔を見るとおじさんも同じような表情をしていました。
私とおじさんの顔には『タダなら行きたい!』と書いていたに違いありません。しかしさんざんヤクルトの悪口を言った手前、気まずさ満点です。
おじさん「神宮でビール飲みながら野球見るのは気持ちいいんだよ」
私「そ、そうですよ。行くだけでも価値ありますよね」
いかにチケットが欲しいかを隠しながら、あわよくば・・という状況を醸し出そうと必死な私とおじさん。
そうこうしているうちに待っていたバスが来たのでおばあさんと別れ、私とおじさんは同じバスに乗り込んで帰ったのでした。
あの時、ヤクルトをコケ落とさなければ野球観戦に行けていたかもしれない・・とちょっと残念な気持ちを帰宅した夫に話すと、
「チケットの値段がいくらかという話を始めにしていたということは、行きたいと言ったらそのチケットを売るつもりだったのかもしれないよ」
と言いました。なるほどそうかもしれません。
チケットの値段を聞かれたあの時私が、テキトーに「1万円くらいじゃないですか、知らんけど」と答えていたら、1万円で売り付けられていたかもしれません。
この感覚何かと似ているなと考えていたら、昔よく見かけたUSENの店頭キャンペーンに近いものを感じました。
うろ覚えですが、 ドン・キホーテなどで、USENのスタッフから勧められるがままにくじを引いたら、「当選です~」と誘導されUSENのチューナーかなんかをもらえるのです。
もらったからUSENの利用が無料かといえばそうではなくて、ちゃっかり契約をさせようという腹なわけです。
なんか似ています。
何が目的か明かさず、後出してくるのはこちらにしてやられた感があり胸糞が悪いものです。
おばあさんが売りつけようとしたのかどうかは想像でしかないのですがね。なんかけちっぽいようなやりかねない雰囲気はあったのです。
想像でさんざんなことを言ってしまいましたが、一番けち臭いのはチケットをただでもらおうと心の中で躍起になっていた私なのはわかっています。もっと気高く生きたいです、ハイ。
炎天下、赤子を連れて歩いていたら老婆に突然怒られた話
毎日毎日毎日本当に暑いですね。7月でこんなに暑いと12月はどれだけ暑いのでしょうか。・・というお決まりのジョークはこのくらいにして、こんな暑い日にはふと思い出すエピソードがあります。
我が子がまだ自分で歩けない赤ちゃんのころ、抱っこ紐で外出をしていたことがあります。30度を超えた暑い日でした。育児教室からの帰りで、やむを得ず炎天下を歩いていたのです。
すると、散歩中なのでしょうか。シーズーらしき小型犬を連れたおばあさんが「暑いねぇ~」と言いながらにこやかに近づいてきました。
赤ん坊を連れていると、おじいさんおばあさんによく声をかけられます。「男の子?」「今何ヶ月?」などを聞いて「かわいいね~」なんて言って目を細めて去って行かれます。
今回もそのパターンかなと思って「ホント、暑いですね~」なんて言って返すと、突然態度が急変し、「こんなに暑いのに赤ちゃんを外に出したらダメよ!かわいそうじゃないの!」と怒り出したのです。
今までにないパターンでした。これがネットでよく言われているやつかと思いました。
見ず知らずの人(特に年配の女性)が、子育てについてあれこれコメントしてくるというアレです。
「一人っ子なのはかわいそう」「男の子だけなんてかわいそう」に始まり、「靴下履かせていないなんてかわいそう」「子供に紐付けて(歩き出して目が離せない子の迷子・事故防止につけるハーネス)犬みたいでかわいそう」などなど、「かわいそう」を連発し、子供を心配する風を装ってあれこれ口出しするというものです。
これが身内であればまだ耳を傾けることが出来ます。文字通り他人事ではないわけですし、身内なら「靴下は履かせていたけど途中で片方失くしてしまったからもう片方も脱がせたんだ」、など事情を説明することができるからです。子育てについてわからないことや知らないことだらけなので、事情が分かったうえでのアドバイスはすごく貴重でありがたいものなのです。
しかし、シチュエーションの断片を切り取り、自分の子育て論に照らし合わせて一方的な説教やコメントをするのは少々モヤります。
しかも優しい顔で近づいてきていきなり怒り出すのはナイと思います。
このまま言われっぱなしなのも釈然としないので、私はおばあさんに対して「そうですね、熱中症にならないように注意します」と受けたうえで、視線をシーズーに向け「ワンちゃんも毛むくじゃらだから暑そう。こんな昼間に外に出したらかわいそうですね」と言いました。
おばあさんはムッとした表情を浮かべて、「今日は朝散歩に行けなかったから昼になったのよ!」と吐き捨てるように言ってその場から去っていきました。
おばあさんに事情があるようにこっちにだって事情があるんだぞ、と思いながらバスに乗り帰宅したのでした。
いやー暑いと、人はいつもの5倍くらいイラつきますね。殺伐とします。みなさんも暑さでイラついたら冷たい飲み物でも飲んでクールダウンしてこの夏を乗り切りましょう!
人目気にしてしまうあなたへ
このブログを読んでいただいて薄々お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、私は人の目を気にするタイプです。反対に人のこともいろいろ気になってしまいいちゃもんをつけたくなってしまうタチです。
先日知人と話していて「ふむ」と思ったことがありました。その方は結婚して、実家のある広島を出てご主人の住んでいる今の街(数百キロ離れた街)に移り住んでいます。
初対面の人と話をするとき、「私は広島出身で・・」という話題になることがよくあるそうです。すると、一瞬相手の顔が曇ります。
「結婚してこちらにやってきました」というと合点がいったようで顔が和らぐのを感じます。
次に相手が「ご主人はこちらの方なんですか?」と聞くので「いえ、違います」と答えるとまた曇ります。
「夫の仕事でこちらに住むことになったのです」というと、和らぐ。
相手が「じゃあ転勤でまたどちらかに移るのですか?」と聞くので「いえ、転職したのでずっとこちらです」と答えると顔が曇る。
人はそれぞれ「この場合はだいたいこのパターン」というステレオタイプを持っています。
この聞いたやりとりだと、地元とは違う街に移住してきた場合、転勤で否応なくやってきたというパターンがしっくりきたのだと思われます。
結婚してないけど彼を追って移り住んだとか、日本地図にダーツを投げたらこの街が当たったから移り住んだなんて言うのはしっくりこない答えだから顔を曇らせてしまうのだと思います。
これに似たやり取りってどこにもあると思うのです。そしてそのステレオタイプの呪縛にとらわれてしまうことも珍しくありません。
学校を卒業したら、仕事に就き(正社員が望ましい)しかるべき年齢になれば結婚し(離婚しないことが望ましい)、しかるべき年齢になれば子供を持つこと(2~3人が望ましい)が一般的とされます。
さらに仕事のやり方、結婚相手の選び方、子供への教育、趣味、友人や親とのかかわり、公共の場での立ち振る舞いなどなど「こうあるべき」は探せばキリがありません。人の目が気になる人にとって例えば自分が退職したり、独身や子なしである場合には合点のいく説明が求められているようなプレッシャーを感じます。
今まさに人生の岐路に立っている人は、そんな人の目が気になって身動きが取れない人もいるのではないでしょうか。
でもそんなとき思い出す出来事があります。
大したことではありませんが、ずっと昔にフランスのパリを旅行していたときのこと、肩から下げていたショルダーバッグが重すぎて肩が壊れそうになったため頭にのせて歩くことにしました。
旅の恥は掻き捨てだい!と思って歩いていましたが、誰も白い目で見ることはありませんでした。別の日に普通にベンチに座っていると、おじさんがやってきて好奇心いっぱいの目で「お前は中国人か」と聞いてきました。
私がこうしたらヘンかなと思っていることなんて私の生まれ育った環境での尺度でのことで、その環境から離れてしまえば気にされなかったり、そんなことより他のことに引っかかれたりするわけです。
仕事に関してでいえば終身雇用なんて能力や時間を無駄にしていると考える環境もあるでしょうし、昼寝もせず朝から晩まではたらくなんてありえない!という環境もあるでしょう。狩りをするのが仕事の人にとって決まった時間に決まった場所に行ってキーボードをポチポチ叩くのが仕事なんて理解されないかもしれません。
つまり人の目を気にしていてもキリがないということです。それでも気になっちゃうというのであれば、世界中を旅してその考えを吹き飛ばすか、もしくは自分の生きやすい環境を見つけて精一杯、人目を気にして生きていけば今よりはマシでしょう。
私はと言えば、先日公園に娘を連れて行った時のこと、通りすがりのおばあさんにボーイッシュなファッションで眉毛の凛々しいわが娘を男の子と間違われたのにも関わらず、へらへらごまかしてその場を去りました。めっちゃ人目気にしてるやん!