筆もじスト 小林佳織 かおりんのブログ

あなたや写真から感じた事が私の手を躍らせます。ことばを書くのも子どもたちとあそぶのも私にとって大事なこと。筆を通して表れることばはただ一つのもの。

見えてるものがすべてじゃない

間もなく訪れる富士山の山開き

実はワタクシ、齢6歳の夏に富士登山をしております。←最近思い出した

 

それがきっかけに山ガールになったとか

そういう事は全くなく

逆に苦行のクライマックスを終えて

登ることに興味を持たなくなったとかならないとか。

 

まあそんなこんなの就学前の子どもが

富士登山をしている最中、こう漏らしたそうです

 

お母さん、富士山って登ったらきれいじゃないね

 

 

まあこれが正直なところ。

だって高山です。森林限界突破してます。

きっと頂が白く、青い稜線の山を登れるんだーって思っていたのでしょう。

実際に登ってみたら石ころや砂しかない時々岩

歩いても歩いても

8合目、新8合目…なんだか同じような場所と名前ばっかり

 

そんなこんなでぼやいたのでしょう。

真理です。

 

そして半世紀以上生きてきても

同じような事を繰り返してる。

注文したオムライスがメニューより小さかったり

遠目で見たモッコウバラがきれいで

近寄って撮ったらカスカスだったり。

 

結局見てることばかりが真実でもなく

やってみてわかることもあるんだって

わかってきたのが現在地点。


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思ったほどこんもりしてないの

 

ひとりじゃないんだ

歳を重ねれば重ねるほど

人はひとりじゃ生きられない事を思い知る今日このごろ。

 

新年度になってからの配置換えで

だいぶ想定外の仕事に関わってます。

 

 

小学校の特別支援教育支援員を皮切りに

昨年は20数年ぶりに幼児教育の現場に復帰。

今年はフルで幼児に関わる予定、

だったのが

色々と人の配置を考える業務になりました。

 

 

まあそうなると

畑違いこの上なし。

しかも今の園と関わりだして日も浅いので

 

わからないことがわからない

 

そして思い知るのです。

ひとりじゃ何にもできないって。

 

ただひたすら

色んな人に聞くのみ。

そのたびにいい知恵をいただいて

ブラッシュアップしていってる

 

…と信じたい。

 

 

でも確かに言えるのは

他の視点を入れる事は大事。

 

だってね

三角帽子みたいに前から見て三角でも

下から見たら丸いでしょ。

ひとたび見方を変えたら

見え方は違うから。

 

 

そんな事をこころに置きつつ

やっていくのです

 

 


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千と千尋の神隠しが舞台作品である意味

話題の舞台を遂に鑑賞。

もうとんでもなくプレミアチケットらしいのだけど

幸運に幸運を重ねて観る事ができました。

映像としての完成度の高い作品が

どう3次元になるのか楽しみでしたが

まあ、それはそれは

出し惜しみのないアイディアと技術。

 

そして繰り広げられる物語も

映像作品では気づきが浅かった

「誰かを想って動くことの優しさと強さ」

がより強く心に迫ってきました。

 

そしていろんな舞台でいつも大好きなのが

カーテンコール

 

舞台って沢山の人が関わってる、

ひとりじゃたどり着けない世界。

その一人ひとりが

ぜーんぶ集まる瞬間。

私は演者さんたちが

オケピの演奏の方々に向けて

拍手を寄せる姿を見るたまらなくなるんです。

そういう気持ちでいるからこそ

居合わせた観客も含めた

その日だけの作品になるんだなって。

 

やっぱりね

舞台は生で観るのがいいです。

時間が共有できる

空気を共有できる

気持ちを共有できる

沢山の人が

舞台に足を運ぶようになるといいな


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物語だからこそ描ける事

スウィーニー・トッドを観劇

幕が下りたその時

ただただ襲ってきたのは

無力感とやりきれなさ。

こんなに救いようがない事ってあるのか?

帰る道すがら

息子、娘は思い思いに語りだしていた。

幸せであったであろう要素

共感できる部分

理解できない部分。

この物語は沢山の理不尽と矛盾を

これでもかと突きつけてくる。

都合よくいい話にはならない。

そして最後に示す

「誰にだって起きうること」だと。

 

そして再び考える。

何がどうしたら良かったのか。

ぐるぐる考えても

答えは出ない。

ただ沢山の感情が湧いてくる。

正解もないし、答えもない。

そういう事を目の前で見せてくれるのが

作品の果たす役割でもあり

舞台という装置を使って知ったことは

人生の幅出しになる。

観劇っていうのはこれだからやめられない


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朝ドラが私を惹きつけるわけ

「朝ドラが好き」というと

よく言われるのが

15分を毎日見られないよー

とか

話の山場がどこにあるのかわかんなくて

というお言葉。

確かにその通り

ただ

この二つの理由こそが

私にとってはが朝ドラに必要な要件だったりする

 

15分だからこそ

ちょっと手を止めて見てられる時間だったし

大抵の朝ドラは

一週間で山を作るので

そんなに話が展開しなくても

脳内補完しながら見られる、というわけです。

 

もちろん

15分正座してみないと

見逃しちゃうシーン連続の作品もあるし

逆に全く見てなくても

予想がついちゃう作品

なんならどうにも合わずに

離脱しちゃってる作品もある。

いつもいつも

同じクオリティってわけでもないですし

自分にフィットするかしないかもある。

言ってみれば

蓋を開けるまでわからない

どんな作品になるのか

楽しみと不安のせめぎあいも

 

私が心惹かれる理由の一つかもしれません。

 


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先日NHK福岡局にいく機会を得たのですが

ちょうど歴代朝ドラのパネルがありました。

記憶にある朝ドラを照らし合わせたところ

↑パネル約4/6分の朝ドラを見てました。

 

 

50代を超えた頃にやってくるアレ

半世紀ほど前には

50を超えたらもう人生最終盤でしたが

今はまさにこっから!なお年頃。

 

ある程度自分の采配で動けるようになって

自分の好きにできるねえ…

と思った矢先に

そろりとやってくるのです、アレが。

 

更年期?老後?

いやいや背負わなきゃいけない風を

醸し出す「介護」ですわ。

 

私達の世代からそろそろ誰しもが

介護と向き合うことになるのが現実。

私は結婚当初から義母の看護生活が始まり、

子育てと同時進行しつつ

バトンタッチして義父の介護生活もスタート。

昨秋をもって

四半世紀に及ぶ掛け持ち状態は終了しました。

 

子育てって10ヶ月の準備期間があったり

子どもが育つスピードとともに

実装していけばいい面はあるけれど

介護に関しては

即スタート、即対応の連続

そして相手様は徐々に階段を降りていく状態。

しかも何が起きるのかも予測不能

なかなか試されます。

まあそれでも毎日を暮らしながら

なんとかやるのですけど

やっぱり実例集というか想定集があったら

少しは心に間ができる、と思う。

まさに知識は力なりなんです。

知っておいたら良かったことはたくさん。

 

そんな我ら世代にドンピシャなお話会がこちら

https://ameblo.jp/syd1990/entry-12843948675.html

私は実際に本格在宅介護が終わってからでも

聞いてよかったことばかり

 

何しろ

自分が自分らしく生きていくために

必要な事を伝えてくれます。

 


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こんな道だったとしても

先が見えてたら

あるきやすいね。

 

 

 

 

飛行機の中での筆ペンは禁物

先日飛行機に久しぶりに乗ったんですよ。

あ、時間あるし書いちゃおーと

ペンをだし

蓋を開けたその瞬間

 

 

ぼどぼどぼどどどどーーーー

 

大量のインクがーー

 

たまたまスケッチブックの上で蓋を開けたので

紙の上に垂れたのは

不幸中の幸い

 

 

教訓

「飛行機の中で筆ペンは開けちゃダメ、絶対」

 

 

流れる墨をすんでのところで吸い取った。

そのままにはしないよ

「我逢人」←どんだけ気に入ってるの


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