箒とちりとり

ご乱心の自主回収

旅人のラヴレター

 

The traveling show TOUR 2023 “モナリザ”完走、本当におめでとうございます。

 

本当はモナリザ(曲)がリリースされたあたりでもう一度文章をしたためたかったのですが、暮らしに追われているうちに気がつけばモナリザ(すべて)を噛み締めて抱きしめて日夜泣いている人になっています。

 

福岡・東京共通でセトリはこう。

The Birthday Song

ROSE

Seven Seas Journey

Luz

Door

モナリザ

RAINBOW

Borlder line

The Traveling Show(must go on.)

 

諸々はゴスブロにあるのでゴスブロを読んでください。

最初に物語に光が当たったときから大事にしすぎてて、物語を共有していることを前提にしかまだモナリザのことを書けないので…。

 

初演は1曲を経るごとに首を横に振ってむせび泣いて時間が経つことを拒みたくなるような、ずっとこの物語の中にいたいのか、物語が進んでいくことを惜しんでいるのか、未分化のものが形を得ないまま、その場で受け止めきれない感情の大きさでずっといっぱいいっぱいになっていました。

 

ただ、The tTaveling Show(must go on.)で安岡さんが会場全体に、客席のひとりひとりに手を振り始めたとき。しっかり目があって、手を振り返したとき。

 

「ああ、この人はまた旅に出ていくんだ」

 

と、”モナリザ物語”の中ではいつになくファンに、観客に近いところで物語を聞かせてくれていた人が吟遊詩人であることをひしひしと思い知らされました。

 

それから、とても寂しいとも。

 

今までにないくらい近いところに来てくれたのは、一緒にコロナ禍を乗り越えてきたことを、あの頃のさみしさやもどかしさを分かち合って、一緒に溶かし合うためで。肩を並べて同じ窓で、同じ光を見つめていた束の間の時を、窓のある部屋を出て、「行かなくちゃ」と歌いながら、この人はやっぱり旅立っていくんだと。

 

旅芸人である安岡さんが、ゴスペラーズが好きだし、G25ツアー前の、海外集いやゴスフェスや高崎で、全国の街へ旅に出ていくゴスペラーズをゴスマニが見送るような、背中を押して送り出すような、あのとき組まれていた物語もすごく好きなんですよ。そこにはさみしさは全くなくて、でも、モナリザの物語を語り終えて旅立っていく人を見送るのはとてもさみしかった。

 

大抵の場において”ユタカ”を魅せてくれてきたし、ゆたソロも長らくユタカと安Pとドリー兄さんを見てきたのに、モナリザの物語を歌っている人があまりに安岡優さんだったから、近いところで触れられた気がしたから、また鞄の中にすべてを仕舞って旅に出るんだと、離れていく人の影をさみしく思ったんでしょうね。

 

「行かなくちゃ 行かなくちゃ」と歌いながら、下手から上手へ歩みながら、その足取りに躊躇いを滲ませるような表現が感情をより加速させるし……。

 

モナリザって「終わったばかりの旅を振り返」る物語なんですよね。あの閉塞感と不自由の中で藻掻いてた日々も「旅」に含んでくれることに救いを感じながら、振り返るための物語の先には必ず新しい旅があって、そのための旅立ちがある。

同じ窓から木漏れ日を見つめる時間は必ず終わるのだと、さみしさを抱えて窓の外へ出ていかなければならない切なさは、とても綺麗に見えるんですよね。

 

だから、モナリザの物語はまるで吟遊詩人のラヴレターだと思っていました。

 

そんなさみしさもありながら、けれど、やっぱり、ストーリーテリングがとても緻密で、物語をなぞるほどに、美しい絵を見せてもらったなあと、まばゆい気持ちになります。

前回ブログ然り、筋書きが綿密で、伏線の光るタイミングも絶妙で、物語の構成としていつも大好きなんですよね。鑑賞中は不可逆の、流れていくものに身を任せるしかない中でたくさんの宝物を見つけていけるような、宝探しみたいな脚本。好きとしか言いようがない。大好きです。

 

そしてMCでも話されていましたが、ほとんどコロナ禍前の昨日にも関わらず、モナリザの物語に寄り添う曲たちは、今までと全く違う景色を見せてくれたんですよね。

 

以下、8月9日に長々としていたツイートのまとめです。

 

たとえばSeven Seas Journeyは“わたし”の道のりの先にいる“あなた”の未来を祈るための歌として生まれただろうに、“わたし”と“あなた”の過去を慰める歌になってて。

Luzは…Luzのままの景色で、対光反射の話ではあるんだけど、「もう一度抱きしめたいけど」に重心が置かれたのは初めてで。

Doorなんて本当に次の旅へ繋がるためのドア=終わるための歌として歌ってたのに、“あなた”にまた逢うための歌になってて。Luzを受けてのモナリザの「抱きしめるから」が、ドアを開けた先で触れ合える愛の手触りが鮮明で、RAINBOWなんてアカペラで歌う仲間のための歌だったのが、同じ苦境を乗り越えたわたしとあなたの詩になってるんですよね。RAINBOWの歌詩は絶対にファンに向くことはない感情の歌だと思ってたから、あの、……本当に……。

そしてBorder line。いつの間にか越えてしまう境界線の話だった曲が、あの………「この世界はひと続きの街」「自分とよく似た誰かが手を振る」「向こう側で僕が誰かに微笑む」で、正対するモナリザ(白)の裏側には反転したモナリザ(黒)がいて、違うようでよく似ている表裏一体/鏡写しの“わたし”と“あなた”に境界線などないと言いたいんですか?と白衣装1stで思ってたら2ndが黒衣装でグラスが世界観を表現しているという話、ホントすぎじゃん…透明なガラスに刻まれた絵の裏表はひとつの絵であるから、あなたが歌にしたわたしの肖像は同時にあなた自身の肖像でもあるということが、正対する絵と反転した絵で昼夜の衣装を替えてきたところで確信に変わってしまい…結局のところモナリザの物語はコロナ禍において同じ気持ちをずっと共有してきたことへの手厚すぎる労りなんだけど、だからこそ、直接触れて、声を重ねて、見つめあえる時間が喜びであると懇切丁寧に歌われてしまうとラブレターが重すぎて困っちゃうわけで…。

でも、旅芸人はアンコールの曲で旅路に戻る。

The Traveling Show(must  go on)、モナリザ歌唱前のナレーションが「あなたの微笑みも眼差しも、静寂も物語にしよう」だったけど静寂だけはモナリザの歌詩にはなくて、それはtraveling showの「静けさに背を向けて旅に出よう」にかけるための伏線ってワケ……。

静かな苦境の先で愛を告げた後は「喜びも哀しみも全部歌にしてしまう」吟遊詩人は、「拍手も歓声も鞄に詰めて」旅へ戻っていくんだろうな。

来年客席はいつもの客席を客席という総体の概念として愛を捧げる人に戻るのかなと…。

 

そして、“わたし”と“あなた”が表裏一体であった物語って、架空の主題歌のThe  Traveling Show(must go on.)の回の「鏡合わせの我が人生」にも通ずるんですよね。

向かいの誰かを見つめることは、その中に映る自分を、自分の物語を見つめることに繋がっていて。瞳の中に映った光を、与えられた光を、まっすぐ照らし返す時間がライヴの中にあったのではないでしょうか。

 

本当に、モナリザの物語に溢れた愛が好きすぎて。

舞台バラードが聴こえるを一生反芻して生きてる人生をさらに彩られ、照らされているなと思います。

 

好きです以外に返せる言葉がいまだになくて、描かれた絵を後生大事に抱えていくんだろうな。

 

改めて、The Traveling Show Tour2023“モナリザ”完走おめでとうございます。

ゴスペラーズの旅も、来年のひとり旅も、この先続いてくすべての坂道で、愛すべき拍手と歓声に出逢えますように。

少しでも多く、その輝く瞬間を見つめていきたいと願いながら。

 

旅芸人の歩みを、紡いでいく物語を、ずっと楽しみにしています。



月、15度くらい回転しないかな

安岡 優 The traveling show TOUR 2023 “モナリザ”が近づいて参りましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。

わたしはモナリザのことを考えるたびに動悸息切れ胃痛情緒の乱れが発生しています。近頃はソロアルバムを聴くと生活に差し支えるくらいには元気です。

 

月のような人のまわりを言葉でうろつくのは無粋極まりないことだと思って抑えていたのですが、いわゆる「ゆたソロ」の、モナリザに至るまでの流れの美しさを噛み締めすぎて堪えきれなくなったので一度くらいは好き勝手に書こうと思った次第です。

 

わたしがお兄さんシリーズからしか行けていないこと、2015年に聡元さんが座組に加わり物語の描きかたが定まってきたことを加味して主にそれ以降のことを羅列しながら、きたるモナリザについて考えたいと思います。



歴代ゆたソロ

2009 THE☆FUNKSデビュー

2010/3 ユタカさん、時間です

SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

2011/12 社会の窓

SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

2012/8 架空の主題歌ツアー

渋谷DUO/名古屋/京都/大阪

2013/8 自祝モード

六本木STB139

2014/8 8×5=40

SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

2015/8 41知らせ

SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

2015/11 ソロツアー"バラードが聴こえる"

SHIBUYA PLEASURE PLEASURE/Billboard OSAKA/BluenoteNAGOYA

2016/8 お兄さんと一緒

SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

2017/8 お兄さんは一緒

O-EAST

2018/1 舞台"バラードが聴こえる"

ニッショーホール

2018/8 お兄さんって、一緒?

O-EAST

2019/8 お兄さんでイイっしょ!

O-EAST

2020/8 お兄さんと一生!?

O-EAST/配信

2021/8 そろソロSOLOで

O-EAST/配信

2022/8 地球外☆エンジェルス

O-EAST

2023/8 The traveling show TOUR 2023 “モナリザ

福岡/SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

 

となっており、

主にSHIBUYA PLEASURE PLEASUREでやっていたものが、宇宙人色が強まるほどにO-EASTになって、モナリザで戻るんだなあと会場の遷移を眺めています。ハシャぎまわっていいライブハウスのO-EASTと、物語を観るための元映画館のSHIBUYA PLEASURE PLEASURE。もしかしたら会場選びにも意図があるのかな、と推測せずにはいられません。

 

 

また、お兄さんシリーズが「舞台”バラードが聴こえる”」及び「地球外☆エンジェルス」への伏線のために描き続けてきた縦軸という解釈をしており、実際そのような流れで読むとあまりの計画の綿密さが凄まじいなと感心しています。

ツアーバラードが聴こえるも恐らく伏線の一部なので、2015年秋以降のセットリストやシナリオを並べながら意味づけを考えていきたいと思います。



2015「バラードが聴こえる」

もっと君と話したい

Welcome to the brand new world

Your Song

Luz

坂道のうた

チャネリング☆ファンク

あなたのせいさ

Border line

En. Door

 

https://music.fanplus.co.jp/liveReport/publicEntrySP.php?article_id=20151106510a3fc98

レポにおおよそのことは出ていると思うんですけど、バラードの語源を示すことで自らの行為を吟遊詩人のものと定義したな、と。

よい知らせによるアルバム発売告知ティザーがWelcome to〜だったけど、ライブはもっと君と話したいから始まるのがユタカのロマンチックなところですよね。

少なくともこのライブにおいてLuzは「僕の物語」であろうとしていたし、坂道のうたはレクイエムだったと思います。バースデーライブじゃないからThe birthday songを歌わなくて、秋の夜の密やかな語らいはアンコールでドアを開けて終わるんですよね。ウーン、ユタカ節。

ここが今に至るまで「バラードが聴こえる」を8年近く考え続ける人生の始まりだとは気付かないまま、良きソロライブを楽しんだ気でいました。楽しかったです。



2016年「お兄さんと一緒」

The Birthday Song

Your Hero

ROSE

もっと君と話したい

「ただいま」が言いたくて

DOOR

XYZ

あなたのせいさ

肌色、桃色、夜の糸

Luz

 

タナカがマネージャーとして採用されるところから物語が始まります。

タナカとの縁が生まれたのと同時に、タナカの恋模様を描くことでどのような人であるかを紹介していく話。恋人のミカ(看護師)との交際から結婚が視野に見え始めたところでミカが海外青年協力隊で遠くへ行ってしまう悲しみを嘆く、というストーリーライン。

「『桃色、肌色、夜の糸』がセレナーデに聴こえるように」という脚本のリクエストがあったので、今となってお兄さんシリーズの始まりに「肌色、桃色、夜の糸」と「Luz」を持ってきてるんだ…という感慨を得られますね。

それはそうともっと君と話したい→「ただいま」が言いたくて を並べて聴きたい感情がしっかり回収してもらえて嬉しかったのを覚えています。旅芸人の概念が好きで…。

タナカの物語に合わせて歌うので、ゴスでよくやるシアトリカルの形式よりは語り部的な役回りに近いですよね。

 

2017年「お兄さんは一緒」

The Birthday Song

シエスタ

夢の中でもいいよ

MARIA!

月刊⭐︎星ガール.net

チャネリング☆ファンク

月の上まで⭐︎スキップ

Border Line

Welcome to the brand new world

アイス

Luz

 

テーマは「夢」。1部2部で同じ曲の流れを使って違う物語を描いているものの、シエスタで眠ってWelcome to~で目覚める。アイスとLuzで物語の本質を語る。という流れは共通していたと思います。

お兄さんシリーズに宇宙人色が入ってくるのと同時に、タナカとタナカの祖母の関わりを描き、ミカとの関係の進展(帰ってきたら結婚する)を提示する。タナカを主人公としながら、恋以外の部分も描き、宇宙人も出すという、伏線に満ちた年だな…と振り返って思います。



2018年「舞台”バラードが聴こえる”」

Border line

もっと君と話したい

あなたのせいさ

Door

坂道のうた

Luz

Welcome to the brand new world

En. ひとり Renaissance Tour

チャネリング☆ファンク

 

まずもってすごいんですよね。ライブツアー”バラードが聴こえる”と同じ曲を使って全く違う印象の物語を描いているのが。アルバム、ライブ、舞台の3つの曲順で、それぞれ違う物語を見せるから、何がララバイで何がレクエイムなのかが変わる。上手いんですよね、曲の意味付けが、本当に。

衣装のギミックもすごくて、白いロングコートの一部を捲ると色のついたトランプのマークが出てくる。セレナーデ、エレジー、レクイエム、ララバイのすべてを身にまとって、真っ白な身体の中に物語を写す。初演のあと、パンフレットをめくって改めて衣装の意味を考えたときあまりに良くて、……本当に良かったです。

 

舞台最後のセリフは「ユタカさん、時間です」。第一回公演のオマージュでありながら、ステージに上がる安岡優は「ユタカさん」の概念を纏うことの暗示だと思うと、「俺の歌、変わるかな」「変わりませんよ」の問答はどんな物語を受け取っても"ユタカさん"になって歌うのだと示している一方で、Welcome to the brandnew worldで新しい世界の訪れになるんですよね。

Border lineから始まりWelcome to the~で抜けていくような構造はゆたソロがよくやる手口で、ライブというフィクションの世界に入って出ていくとき、それは形に残らない夢だけど前後では何かが少し違っているのかも知れないという希望を持たせる構造で、まさに「変わるのは、歌を聴いた皆さんです」。

ちょうど大学の卒論口述試験からそのままの足で会場に行った誕生日当日だったので、まさに新しい世界への言祝ぎを与えられたと、私は思いましたが、それは私にしかない物語があるからこそ生まれた、私だけに訪れた歌による変化なんですよね。同じ会場にいた人たちはきっと、同じ歌を聴いて全く異なる物語に想いを馳せていたことと思います。

レポ等を掘る感じ、遠い場所と場所(異なる物語)を繋ぐという点で似たような発想があったであろう社会の窓は、窓というもう少し物質的なものに依拠してるんですよね。行ってない公演を掘り下げはしませんが、より概念的なものになったんだなあ、と薄らとした感慨はあります。

 

ちなみに初演の2018年1月27日午前3時頃にこのとき発売したシングル「ヒカリ」の初OAがあったんですよね。Luzを”バラード”の出口に置いた舞台の幕が上がる直前に、ヒカリという曲がこの世界に響いたという。ヒカリはセレナーデに近い曲だと思いますが、Luzが初めて歌われてからこのときまで、形のないものについて考えてきたんだろうなと。

受け継がれていく命や記憶の物語であり、物語たちを身体のうちに留めてたくさんの街へ行く旅芸人の姿でもある。受け取った人のそのときの年齢や環境で解釈も感想も変わるんだろうなと観劇当時から実感はあったのですが、あれから5年近く経って、やはり物語の味わいは多面性を得ていくばかりです。

 

 

2018「お兄さんって、一緒?」

The Birthday Song

Seven Seas Journey

THE☆FUNKSのテーマ

月刊☆星ガール.net

ハリセン☆煩悩MARS

月の上まで☆スキップ

MI・DA・RA

いつもゴールデンかラブラドール

En. ちょっとだけ☆ナラバイ

 

Seven Seas Journeyリリース後のソロライブ。初めてラジオでOAされたとき、舞台”バラードが聴こえる”のエピローグに近いというか、セレナーデとララバイを歌った理由をグループに還元したらこうなるんだろうな、という実感があったのを覚えています。

ユタカプロデュースのアイドル発掘オーディション。のはずが安Pが渋谷と四谷を間違えてオーディション審査に来られない、という流れ。ユタカ紹介のとき舞台ばらきこのあの白い写真使われて、会場には笑いが起きてたけど私は感情がメチャクチャでした。

清々しいほどにTHE☆FUNKSばかりの公演だったので、これまでのお兄さんシリーズで「お兄さん=タナカ」で安定しかけていた方程式に「お兄さんって、一緒?」と問いかけられたような感覚がありました。”お兄さん”って…タナカじゃ、ない…!?

 

 

2019「お兄さんでイイっしょ!?」

言わないでロンリー

パンドラ

月光 (優バンドver.)

アブラカダブ☆ラヴ

パンツ☆メリハリ

饒舌の話術

MI☆DA☆RA

Star☆ting Over 

En ちょっとだけ☆ナラバイ

 

お兄さんってタナカじゃないのかも…。

アイドルとして着実に仕事を増やし、多忙な日々を送るTHE☆FUNKS。

パンツ☆メリハリの後、「パンツを投げたくてアイドルになったんじゃない!アイドル辞めます!ちゃんと音楽をやりたいんです!」と感情を爆発させるテリーくん。饒舌の話術を挟んだあと、安Pの手紙が朗読される。

ゴスペラーズについて「アイドルと呼んでくれた方もいるでしょう。アーチストと呼んでくれた方もいるでしょう」

「けれど彼らはただ、ゴスペラーズというグループであり続けただけ」

「光の加減で呼び名が変わっても、それが月であるころに変わりはない」

ここでTHE☆FUNKSパートに入る前に月光が歌われた理由が回収されるわけです。

手紙の中身が今回の意味なのかな。いろんな音楽をいろんな仲間と楽しみたいだけなのかも。

余談ですが春に復学があったので年少それぞれの月光ソロの響きの違いや、セットリストへの組み込みかたの違いが大きすぎて大変興味深かったです。

 

 

2020「お兄さんは一生」

Your Hero

会いたくて

明けの明星

カクゴして!

だから(言葉にすればの原型)

MI☆DA☆RA

パンツ☆メリハリ

Romance Novel

En ちょっとだけ☆ナラバイ

 

緊急事態宣言が明けて、ようやく少しずつライブが戻りだした時期。公演配信が行われて、初めてゆたソロを観たという人がたくさんいましたね。

歌詩のスクリーン表示が始まった年でもあります。ゴシック体平打ち黒地にド黄色なのについては白字明朝体はあかんのか?といつも思っていますがそれはそうとして。小塚明朝あたり、どう?

作詩家としてのキャリアを紹介するようなセルフカバーを椅子に座って歌ったあと、「言葉にすれば~その時、時代が動いた~(だっけ?)」のドキュメンタリー風の何かを挟み、THE☆FUNKSのターン。コロナ禍なのでパンツは客席に舞いませんでした。

お兄さんってドリー兄さんなのかな、と認識が定まってきますが、「一生」と、まるで物語の終盤にきそうな言葉が公演タイトルに入ってるんですよね。実際、テリーくんがアイドルとしての葛藤を乗り越えてしっかりパンツ⭐︎メリハリをこなしていたので、THE⭐︎FUNKSの物語として描くべき成長はもう描いたのかなと。

 

 

2021 そろソロSoloで

3月の翼

Welcome to the brand new world

ROSE

MARIA!

XYZ

Difference 

チャネリング☆ファンク 

二度と言い切ったりしない

Luz

坂道のうた

Border line

肌色、桃色、夜の糸

Seven Seas Journey

 

帰ってきたソロライブ(完全にソロとは言っていない)。

3月の翼で幕開け、welcome to〜で物語の世界が始まり、border lineで出ていく構造。ちょうど舞台ばらきこと出入口の曲が逆なんですよね。3年半前にwelcome to〜で送り出されて、また戻ってきた感覚。

ROSE、MARIA!、XYZのフィジカルな曲を立て続けにお送りするのは皆さんお馴染みちょっとエッチでロマンチックでキザなのもサラッとやっちゃうユタカの姿。竹本さんやダンちゃんを呼んで一緒に歌うのは作詩家であり歌手である安岡優。二度と言い切ったりしないでは1人ゴスペラーズをやって。

「ある人から手紙を預かっています」で読み上げられるのは聡元さんの手紙。最初は安岡さんが読んで、途中から聡元さんの音声に切り替わる。「聴けば聴くほど、あなたの歌にも、わたしの歌にも聴こえます」と、リクエストという形でLuzが歌われ、知り合いの息子さんのリクエストとして坂道のうた。自分の物語として書いてアルバムリード曲にさえしたLuzと、メジャーシーンでカバーする意義を掲げ続けてる坂道のうたをリクエストという形でセトリの中に置いてるんですよね。自ら意図を持って歌い上げていたはずの曲に、あえて他者の意図/想い/物語を載せてセットリストに組み込んでる。自分以外の誰かの物語を映す楽器に自分を持っていっている側面もあるのかなと思いました。

そして、公演後のブログで回収されたあの曲。

肌色、桃色、夜の糸。自分がいちばん上手く歌いこなせる曲、ソロをやる意味の曲は境界線の外側に置くんですよね。

そしてSeven〜で舟を漕ぎ出す。「愛が受け継がれる歌、愛が捧げられる歌」で。

あまりに安岡優展覧会みたいなライブだと思います。

安岡優展覧会ことそろそろそろでを「不可能なんて有り得ない だって僕はここにいる」から始めてるんですよね。ロマンチックな歌を紡ぐ人、物語を歌詩にして書く人、誰かの物語を身体に映して歌にする人、自分の書いた曲をありのままに歌ってやれる人。なんにでもなれる。歌う身体として「僕はここにいる」と。自身を構成するキャラクターを再定義するようなライブの幕開けが3月の翼だったことを、改めて噛み締めてしまいます。



2022 地球外☆エンジェルス

THE☆FUNKSのテーマ

MI☆DA☆RA

ハリセン☆煩悩MARS

それは☆ナシなんじゃない

パンツ☆メリハリ

地球外☆エンジェルス

カクゴして

En. いつもゴールデンかラブラドール

 

ミラーボール式ミラクルハートライトことギャラクシーシグナルを活用させられた、楽しいライブでしたね。

12年かけて作り上げてきたおもちゃ箱を見せびらかすみたいな、無邪気なライブだったと現時点では思っています。何年後かに解釈を覆されるかもしれないけど。

スペースオペラ込みで考えても、結構王道のヒーローものというか、ボーイミーツガールの冒険譚を踏襲しているような物語かなと思います。

ギャラクシーシグナル光らせるのはほんと、プリキュア応援上映かな?ピューロのミラギフかな?て感じで。戦隊のショーでもお決まりですよね。つまるところ、地球外⭐︎エンジェルスってけっこう壮大なヒーローショーで、MCで「物語の中でならヒーローになれるから」って言ってたのもあるし、職業体験シリーズの「ヒーローになりたかったんだよね」もあるし、Your Heroもあって、長年のあたためてきた感情の集大成のひとつなんだろうなあと思います。無邪気な憧れから積み上げた物語だからこそ、ただ笑って欲しいと始めたTHE⭐︎FUNKSの集大成だからこそ、ひたすらに眩しいおもちゃ箱を見せてくれたんだろうなと。

そしてこれも「不可能なんて有り得ない」のうちのひとつなんだと思います。

物語の中でならなんにでもなれる。

そして、“安岡優”の生きる物語はいつも歌の形をしている。



2015年から重ねてきた物語は舞台バラードが聴こえると地球外⭐︎エンジェルスに繋げるためのものだと思っていて。

①タナカを馴染ませる

②タナカ(安岡優以外)の物語をバラードとして歌う

③THE⭐︎FUNKSを馴染ませる

④THE⭐︎FUNKSの物語を描く

⑤“安岡優”の持つキャラクターを再定義する

を伏線として入れてきてたよなと。

だからこそ舞台が終わったあとの18、19のソロはTHE⭐︎FUNKSの色が圧倒的に強くて、けどその中に安Pの手紙も入ってきたりする。作詩家の側面の話もしたと思えば、オールスター展覧会みたいなそろソロsoloでがあって、なのに翌年は地球外⭐︎エンジェルス。順番もキャラクターも入り組んでるからこそ絶え間なく多面性を感じさせられているし、こうして一列に並べたとき、語りの流れが美しいことに気づかされるんですよね。

 

https://togetter.com/li/1194813

舞台ばらきこ前のツイッターで「第一回の『ユタカさん、時間です。』のタイトルを思い付いたのは、2009年の『15周年漂流記 秋冬』で『冬のユタカ』をやってるとき。ステージ上で突然、物語が溢れ出てきた。あのときユタカは、もう生まれていたんだ。(2017/12/28)」

「2013年の誕生日ライヴから数週間後、忙しいバンドメンバーが集まってくれて打ち上げ。みんなに「僕が歌う用の曲を書いて!」とお願いする。ゴスペラーズの20周年は、2014年。その後には…。今からだったら、間に合う。(2018/1/12)」

「でも曲を書いてもらうからには、その出口が必要で。それは多分、僕の初ソロアルバムになるわけで。いや、動機は逆か。来年(2014年)はゴスペラーズの20周年、リリースは再来年になりそうだな。良し、時間は十分にある。(2018/1/13)」

「アルバムには、一つのテーマが必要で。そこから歌詩を書くんだけど、何でアルバム出したいんだっけ?そうだ!もう一度、単独公演をやりたいんだ!そう思ったら物語が降ってきたんだ。まだ名前も無い、行き先も無い物語。(2018/1/14)」

 

とあるので、まあそこまで外れてない見解かな?ということにしておきます。

 

2015〜2017は舞台ばらきこのストーリーテラーに据えるためのタナカ紹介、2018はタナカのエピローグとスペースオペラの始まり、2019からの3年間をモナリザへの伏線にしながら宇宙人と遊びつつ2022にTHE⭐︎FUNKSの活動の集大成をできるようにと要素が配置されていたのかも。綿密すぎんか?

なおかつ、2019安Pの手紙で「月は光の当たりかたで名前を変えるだけ」と本質の不変性を提示しながら、2020Your Heroをコロナ禍のエールソングにしながらもヒーローショーへの伏線に。作詩曲のセルフカバーで作詩家の側面を示し、2021そろソロsoloででキャラクター大博覧会。安岡優とはどのような存在かをずっと丁寧に説かれてきたと思うんですよね。

なんならお兄さんシリーズの最初で提示された肌色、

桃色、夜の糸の意味もそろソロSoloでで回収されてるし。そのあと23苗場のソロコーナーで迷わず選んでくるところまで含めて一貫してますよ。

あと、たくさんの意味を読み取れるような物語の構成にはもちろんなってるんですけど、突き詰めるとソロアルバムはバンドメンバーに曲を作って欲しくて始まったものだし、ダンちゃんと遊びたくてTHE☆FUNKSは生まれてて、仲間と遊びたいんだな、と眩しいものを見るような気持ちにもなります。どれだけ壮大でも、どれだけロマンチックでも、無邪気さがずっとあるんですよ。

 

前述もありましたが、これも改めて。

ゆたソロってシアトリカル形式が多く、物語を鑑賞する側面がやはり強いと思うのですが、O-EASTでやっていたことの多くはTHE☆FUNKSのライブなんですよね。だから劇場と兼用しない、ライブ用のハコで立ち上がって盛り上がってた。

会場選びにさえ意図があるのだとしたら、すごいっていうかもはや意味わかんないなって思う綿密さを感じるんですよね。だからこそ、キャパが約2倍違うので正直興行的にはO-EASTコスパ良いと思っちゃうのに、モナリザはわざわざ福岡公演も打つし、東京公演もプレプレに戻ることに意味を感じずにはいられなくて…。



そしてこの夏に幕開けするのが、the traveling showであること。

 

「舞台”バラードが聴こえる”」の物語が何だったかと言えば「変わるかな、俺の歌。こんなに沢山の物語を浴びてさ。変わるかな」「……いいえ、変わりませんよ。変わるのは、歌を聴いた皆さんです」に集約されていて、結婚報告コメントからずっと続いてる「月のように在りたい」や安Pの手紙の「光の当たり方で名前を変える月が、ずっとそこにあるように」の、物質としての月の不変性を歌手/作詩家/アーティストとしての自分自身に重ねている部分が表出した舞台だったと思ってて(衣装のギミックも込みで)。

それは「人はさ、喜びも悲しみも全部は持っていけないから。だから物語にするんだ」「聞かせてくれよ。お前もきっと、誰かのララバイ」で坂道のうたに出会うところに顕著で。喜びや悲しみを物語にして歌に載せたのがバラードの語源。降り注ぐ「バラード」に当たることによってどこかの誰かのバラードを歌う、楽器としての身体が舞台の上にあったのだと思います。

だからこそ、あの全裸ポスターおよびパンフ巻末の真っ白な中の全裸写真は「あらゆる解釈を写す身体」の表現じゃん😠ってなって初演見たあとあの全裸ポスター見ても微塵もウケなくて情緒グチャグチャで、お兄さんと一緒で見て一切笑えなかったんですけど…。

舞台ばらきこは「親から子へ」の部分をよく描いてるのに私が総括としては「不変性の提示」だと思ってるのは、鎮魂歌としてDoorを歌い、後世に受け継いでいくための子守唄に坂道のうたを位置付けた上で「たまには自分の物語を歌おうと思って」書いたLuzをラストに置いてるからで。けれどLuzは「でも結局、『あなたの歌』になりました」だから、舞台ばらきこも自省するような物語でありながら、人が生まれてから死ぬまでの物語と受け継ぎ受け継がれる記憶の物語でもあり、歌を表す媒体としての身体が持つ透明性も持ち合わせていて。

バラードを街に降らせてるのは誰かと言えば歌と旅をしている彼らなのに、街に降るバラードを受け取る側として自身を定義しながらも月の不変性は示す舞台ばらきこ、モナリザなんだよ…………モナリザというタイトルに納得しかなくて……………。

ダヴィンチがモナリザを描いたとき絶対に物語はあったはずだけどそれは絵の奥に隠れ、ひとりの女性にも複数名の誰かにもダヴィンチの自画像にも解釈される絵は、絵として不変のものとして存在してるんですよ。そして平面の絵画であるモナリザはどれだけレオナルド・ダ・ヴィンチを研究したとしてもそのキャンバスの上に描かれたものしか鑑賞することができない。

それは歌詩の背景を隠して聞き手がどんなに解釈しても歌詩は変わらず言葉としてそこにあるのと同じ構造で、二十数年自称し続けている「旅芸人」の概念をツアーに冠した上で、その旅に「モナリザ」と名前をつけるの、なんなんでしょうね。

受け継いでいく命の話をしていた人が49歳の誕生日当日に出身地で始めるThe traveling show tour2023“モナリザ”、なんですよ……。

 

一方で、やはり命の話の側面も舞台ばらきこには強くあって。

https://okmusic.jp/news/179246

スペイン語で“光”って意味なんです。この曲は1番最後に作詩をしたんですけど、たくさんの物語の全部の入口と出口になる曲であり、なぜ詩人が今から歌うのか、なぜ詩人が歌ったのかが含まれる曲にしたかったんです。光は音と一緒でかたちのないものだけど、聴く側の胸に留めておけるという部分で重なると思ったんですね。内容的には、人の死は悲しいものではあるけれども、それは生まれてきた喜びが前にあったからこそあるわけで、また次の喜びの入口でもある。レクイエムとララバイ、セレナーデとエレジーも、同じ心の動きから生まれてきてるってことを伝えたいって、自分の中で昇華してできた曲ですね。

最後の曲「The Birthday Song」はドゥワップですね。生を祝う曲で終わることで、1曲目にループする感覚があります。

そうなんですよ。光を持って今から歌うと詩人が宣言して、最後に生、スタートの話で終わってリングがつながるのが、このアルバムの物語としては一番いいかたちだなと思ったんです。

 

アルバムのこの曲順がやはり物語の根底を作っていると思います。

だからこそお兄さんシリーズではタナカとミカの話をしたし、タナカとタナカの祖母の話をした。恋や愛だけではない。命の繋がりの話が入口にも出口にもあるから。

だから「坂道を登ってドアを開けて、最初に見た光は。お母さん、あなただったんですね」でLuzが始まる。

その先で”ユタカさん”になった人に新しい世界へ背中を押してもらうことで舞台本編が終わるところまで、実に安岡優さんらしい物語のつむぎかただったと思います。

 

そんな、命の話を、グループでいえばエンドロールあたりから少しずつしてきた人が、恐らくこれから語る物語のマスターピースにReMEMBERを位置づけていそうなんですよね。

 

確か2023集い横浜公演だったと思うんですけど、北山さんが「あんなに俺にソロ出せって急かしてくるの、安岡がやりたいことあるからだろうし」といったようなことを話してて、確かに、他の人の活動に対していい意味でドライな人があれだけ出せ出せ出さないなら俺が先に歌うって言ってるの、滅多になさすぎることなんですよね。

そしてReMEMBERは北ソロ記念の曲であると同時に、作曲当時、お子様が生まれた柴田さんの心境を反映した曲でもあり、「何も言ってないのにドンピシャの歌詩がきてさすがヤスだなと思った」と北山さんが言っていた曲で(復学B)。23苗場でも改めて触れてたし。

舞台ばらきこが親から子へ与えられたものを自省する意味合いもあったので(「あのとき見た光は。――お母さん、あなただったんですね」)、ReMEMBERの「子どもが生まれた作曲者(=親)の祈りを描いた歌詩」「ソロ活動が終わったらグループに戻っておいで」のふたつの意味合いを回収するにはちょうどよすぎるタイミングだと思うんですよ。

 

これから何の物語が始まるんだろうと考えたとき、ソロライブで描きたい物語を描いて、THE⭐︎FUNKSも物語にし終えた今、可能性として高いのはやっぱり「安岡優ソロライブの集大成」だろうし。

だからこそ、誕生日の福岡から始めるんだろうなと考えずにはいられないし。

けど、モナリザのスケジュールは抑え終わっているであろう今年の冬に北山さんを公の場で急かしたくらいなので、ReMEMBERに至るのは来年以降かなとも思うし。

 

不変性と透明性を身体に映そうとする人が、解釈を聴衆に委ねるために寡黙になる人が、物語を携えて歌う旅芸人が始めるThe traveling show tour“モナリザ”。

どれくらいの答え合わせになるのか、どれくらいわたしの情緒が乱れるのか。

これから安岡優がどんな物語を歌うのか。

とてもたのしみです。