【アカビジ】マクロコミュニケーション通信

アカデミックとビジネスの両立を目指す、強くありたい人財を応援するマクロコミュニケーション通信

文脈効果を高める基礎力②【カードゲームの感覚で「出す」】


こんにちわ。


ヒューマンキュレーターの松下です。


最近は日がだいぶ明るく、

5月も半ば、初夏を感じさせる日も出てきました。


外に出て

アクティブなことをしたい

気持ちになりやすい時期ですね。

 


このブログでは著者が

人材エージェントとして、

日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

 


人や自分自身のこと、

また、世の中と向き合う機会が多いので

 


そのなかで

 


気付いたことをシェアできればと思い、

不定期に更新しています。

 


ここから本題↓↓

 

 

 

今回もコミュニケーションにおいて

 


「アカビジ」が重視している「文脈効果」

を高めていくための基礎的な技について、

 


続きを述べていく。

 


前回、

【文脈で使う基礎は「待つ」と「出す」というシンプルな技のみ】とお伝えした。

 


おさらいとして

 


「待つ」というのは、

 


「文脈の中で、自分の発話が最大限効果が出せるタイミングを読み、待てるスキル」

 


「出す」は

 


「上記のタイミングが訪れた時に

自分の発話が最大限相手に効果的に伝わるように表現を選択できるスキル」

 


としている。

 


前回は

「待つばかりで、なかなか出さない」というケースにフォーカスを当てた。

 


このケースに陥る人は

 


大抵が慣れ親しんだ関係の人には「出す」ことができるということが多く、

 


相手が目上の関係であったり、

或いははじめて出会った関係という

 


パブリックな文脈になると

「出せない」ということが多い。

 


だから、こちらに該当する人たちは

「パブリックな場」での「コミュニケーション」を意識し、

 


場数を踏み、「出す」勇気を出して磨いていってもらうことが必要だ。

 


一方で、「待つことができず、出すばかり」

というケースもあるので、

今回はそちらにフォーカスしていく。

 


日本の世間的には

 


こちらの方が「待つばかりで、なかなか出さない」人たちより、評価は低くなりやすい(嫌われやすい)ようだ。

 


このように「出す」に偏る人の場合、

 


プライベート、パブリックの

どちらかだけでそうなるというより、

 


いつでも「出す」に偏りがちな傾向がある。

 


「今、その話題じゃないんだけど…」

「その話聞いてねーよ…」

 


みたいに、

 


常に知らず知らずのうちに周囲の不満を生み出している。

 


世間の一般的な尺度でみると、

 


こういった「出す」に偏る人材は、

 


概して

「他人への思いやり、関心が低い」という側面から指摘されやすい。

 


実際的にも、そういった精神面で周囲に比べてバランス感覚が低く、未熟であると言える面はあると思う。

 


ただ、ここでは「相手を思いやる」的な精神論や、バランスやマナーという次元の話でなく、

 


あくまで「コミュニケーション」というゲームをいかに

有利に進めていくか =

「効果」に軸を置いた「コミュニケーション論」を述べたい。

 


だから、

 


営業の教科書のような本に書いてあるような

 


「相手8割、自分2割で話す」というようなマナー的な話が出てくるわけではない。

 


 そもそも、このような文脈をわきまえずに

 


「どんな状況でも、このバランスを押さえておけば大丈夫」的な固定的な技は

 


私の経験上、中長期的な付き合いを前提とするコミュニケーションには、だいたい使えないものなので、オススメしない。

 


 現に、ビジネスシーンを

はじめとする「パブリックな場」においては

 


一方的に自分が話さなければならないスピーチや、

 


会議での進行役など

 


少なくともこちらが相手より遥かに多く

 


発話することを求められたり、

自分が会話を主導しなければならない文脈が多々存在する。

 


そういった状況に立たされたときには、

 


「相手8割、自分2割で話せば良い」のような汎用性の低い技は役に立たない。

 


たとえ、スピーチのように一方的に話さなければならない状況であっても

 


「今回の聞き手の多くが、

今、この状況で聞きたいことは何か」を

 


まず、事前に考えながら話すネタを用意したり

 


スピーチを話している間にも

聞き手の表情を探り、

 


カードゲームのように 

刻々と変わっていく状況下で

ライブ感覚に投げていく[ネタ=カード]を変えていく、

 


ということができれば、

意外と聞き手は、一方的に話されている場合でさえ、話を聞けてしまうものだ。

 


 もちろん、スピーチでなく、

対話であれば最低限の会話の

キャッチボールが起こるが、

 


「単に話し過ぎがダメ」とかいう次元ではないという意味で、スピーチという極端な例を出してみた。

 

スピーチに限らず、

あらゆる文脈のコミュニケーションにおいて


まず、[ネタ=カード]を豊富にストックしている、

いわば下準備がある。

 


その次に

準備しているカードのストックの中から

 


「いま、この瞬間」だから出す価値が高いと考えながらカードを選び出せる。

 


この一連の動作が「出す」という技である。

 


そういった態度で、

 


「出す」ことができていれば

 


仮に「相手1割、自分9割」という

バランス悪い比率で

話していたとしても、

 


「待つことができず、出すばかり」という稚拙な印象にはならず

 


「タイミングを見ながら、待ちつつ、出している」

 


という高度な「コミュニケーション力」の印象が伝わる。

 


※もちろん、単に好感度を高めるという意味では、バランスも重要になるので、文脈に応じてバランスも意識が必要。

 


このように、

カードゲーム感覚でコミュニケーションを

捉えてみると、自分や他者のプレースタイルの偏りが

見えやすく、修正もしやすいのでオススメだ。

 


「待つばかりで、なかなか出さない」

ケースは、

 


大貧民』でいうと「8」や「2」のような

強いカードがあっても、

 


揃うのを待ちすぎて

 


相手が先に上がってしまい

ゲーム終了後に、

 


「こんな良いカードもってたら先に出せよ」と突っ込まれるプレイヤーに似ている。

 


「待つことができず、出すばかり」のケースは、

 


強いカードがきたら

とりあえずすぐ出してしまうような、

 


「カードをストックする」という概念がないプレイヤーと言える。

 


どちらのプレイヤーがマシかという話ではなく

 


どちらも同じぐらい勿体ないことなので

 


ぜひ、

このカード感覚で、

ネタをストックしたり、効果の高いタイミングで出したりするという技を

 


意識し、自在で豊かなコミュニケーションを楽しんで頂きたい。

 


次回は「待つ」と「出す」をともに鍛える近道について提案したい。

 


ブログ著者プロフィールはこちら↓

 

https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416

文脈効果を高める基礎①【「待つ」に偏ると】


こんにちわ。

 


ヒューマンキュレーターの松下です。

 


ゴールデンウィーク明けで、

仕事も再始動の時期ですねぇ。

 


休みボケになりやすい頃ですが

動けるところで

一気にエンジンかけていきましょう^_^

 


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人や自分自身のこと、

また、世の中と向き合う機会が多いので

 


そのなかで

 


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前回、コミュニケーションにおいては

 


[文脈=会話の流れ、タイミング]に合わせて

 


効果の高い発話ができることが

 


仕事やプライベートなど、

あらゆる場面で

 


極めて評価されやすい条件になる、

ということを伝えた。

 


特に刻々と変化を迫られ、

 


時間のもつ重要性が高まっている

現代のビジネスシーンにおいては

 


「文脈効果を高めた発話ができるかどうか」

が生き残りを決める重要なポイントになる。

 

 

 

ビジネスにおいては特に

 


「この人と話していてもためにならない」

 


という評価が、一度下されれば、

 


そこからひっくり返して

やりとりを続けるのは至難のわざだ。

 

 

 

今回は具体的に 

 


これほどにコミュニケーション

において重要な「文脈効果」を

高めていくための基礎的な技について紹介したい。

 


【文脈で使う基礎は「待つ」と「出す」というシンプルな技のみ】

 


文脈効果を高める

基礎の技は大きくわけて2つだと思う。

 


「待つ」ことと「出す」こと。

 


「待つ」というのは、

 


「文脈の中で、自分の発話が最大限効果が出せるタイミングを読み、待てるスキル」

 


「出す」は

 


「上記のタイミングが訪れた時に

自分の発話が最大限相手に効果的に伝わるように表現を選択できるスキル」

 


人間、成人していくと

「待つ」と「出す」のどちらもできないという話者はなかなかいないもので

 


大半の場合は、

 


「待つ」か「出す」のどちらかに偏ってしまうものだ。

 


まず、「待つばかりで、なかなか出さない」という人がいる。

 


例えば、

 


映画の作品なんかの話題が出ている時、

 


その作品を自分が見たことがあったり、

 


あるいは

その作者の別の作品なら見たことがある

ということがある。

(映画に限らずいろいろな話題で起こりうる)

 


このような際、

明らかに、その作品について自分なりの観点や感想を少しは言及できた方が

 


その場の会話を盛り上がることに一役買えることになる。

 


これがプライベートな付き合いの間柄だったりすると

大抵の方はできているはず。

 


だが、

 


会社の上司との会話、

取引先での会話や会議の発言、

はじめて知り合う者同士が繋がる交流会など

 


「パブリックな場」になると

途端に、かなり差が出てくる。

 


そして、

 


実際に多くの場合、人が悩んだり、

伸ばしたいと思っているのは、

 


プライベートな友人関係における文脈というよ

(むしろ友人関係でだけは、普通に話せるという人が多いものだ)、

 


「パブリックな場」で「コミュニケーション力」を発揮できるかどうか、であると思う。

 


自分が慣れ親しんだ同僚や

友人付き合い以外の場では、

 


途端に「待つ」ばかりを選択し、

「出す」タイミングを逃してしまう。

 


映画の話題が始まって

だいぶ時間がたってから

 


「この映画見たことあるの!?」

 


と、直接聞かれてはじめて

 


「はい、実はこの映画見たことあるんですよね。。」

 


などと今更に「出す」という具合だ。

 


会話の参加者からすれば、

 


「じゃあ先に話に出してくれよ!そのことが聞きたかったのに」

 


とツッコミたくなるだろう。

 


このように、

 


ある程度「パブリックな場」になると

 


「出す」を選択できなくなる人がいたりする。

 


ここで「出さない」人の立場にたってみると、

 


「出る杭は打たれる」という言葉に代表されるとおり

 


「あまり発言し過ぎると叩かれる」という日本の世間の風習に適応しようとしたがゆえ

 


という、側面があると思う。

 


よく言えば謙虚な姿勢なので

極端に嫌われるということは

少ないかもしれないが、何事にも度があるだろう。

 


会話の参加者からすれば、

 


「会話に積極的に参加する気がないのか…」というネガティブな印象は残るし、

 


事実、場を活性化することができていない。

 


この姿勢では、聴く側に徹することができても

場を活性化していくような

 


「攻めのコミュニケーション力」を磨く経験が乏しくなっていくだろう。

 


このような「待つ」に偏りやすい人材は

 


世間における敵はつくりづらいので

ラクに生きられるというメリットもあるが

 


「こいつがいなければはじまらない」

というような、

 


「替えの利かない人財」にはなりづらい。

 


こういったタイプの人材は、

 


「嫌われることは少なくとも会話における貢献度は低い」

 


のだという自覚をもつことで

 


「チャンスさえあれば出す」選択肢を増やす勇気をもって

日常から練習していってほしいと思う。

 


一方で、「待つことができず、出すばかり」

というケースもある。

(こちらの方が世間的には害と見なされやすい)

 


次回はそちらのケースにフォーカスを当てていきたい。

 


ブログ著者プロフィールはこちら↓

 

https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416

コミュニケーションの極意②【「文脈効果が高い発話」は評価されやすい】

こんにちわ。


ヒューマンキュレーターの松下です。


もうすぐ、ゴールデンウィークですね^^

やるべきことの区切りをつけて

有意義な連休を過ごしたいですね^ - ^


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前回、野球の知識のネタが豊富な

架空の人物Aさんを例に出して


いくら特定の知識があっても


文脈を無視してやたらめったらと

話に出してしまうと


相手に知性を感じさせることはできない、


それどころか、

周囲から軽んじられて扱われる末路をたどる

 


ということをお伝えした。

 


本日は、Aさんに比べて


圧倒的に野球の知識が少ないBさんを例に出す。


Bさんは、


野球に関しては人並み以下の知識しかもっていない。


セリーグパリーグの構成すら知らないレベル。


それにも関わらず、


その少ない野球の知識を状況に応じて引き出せることにより


Aさんより高い知性を相手に感じさせる会話ができる。


それは彼が「文脈力」というコンセプトをもち、日々磨きをかけているからだ。


Bさんは、


いろいろな世界の一流、スタンダードとされる人物に対して関心をもっている。


そして、


Bさんは野球自体には詳しくないが、


野球の世界のスタンダードを引き上げた

イチロー選手に対して敬意をもっていた。


そして、イチローのインタビュー記事や過去の発言をたまにチェックしていて


自分の日常にも通じる本質を取り出すことができる。


例えば、

Bさんは下記のような記事を記憶していた。


イチローが大切にするもの。それは打率ではなくヒットの数だ。

「終盤戦に首位打者を狙う駆け引きで、打率を下げないためにわざとベンチに下がる選手になりたくない」とも口にする。」


「打率ではなく、ヒットを積み重ねることだけを考えれば、目標は日々達成されて高いモチベーションが保たれる。その高いモチベーションが、さらなるヒットを生むという好循環が生まれるわけだ。」

(『逆転の発想』日本経済新聞)

 

こういった記事を引用して

 

「僕は野球はそこまで詳しくないのですが、

 

あのイチロー選手は、打率でなくヒット数を追いかけているそうですね。

 

長期的に士気を落とさず

パフォーマンスを出し続けるために

 

失敗を恐れずにチャレンジし続けていく

工夫なんだと思います。

 

それって野球に限らず、僕らの仕事にも通じることではないでしょうか。」

 

といった発言を

 

例えば

[営業や企画提案などの仕事をしている人間の間で会話している状況=文脈]で

さらりと出すことができると、

 

「こいつは仕事の本質が分かっている」

 

「野球のことはあまり知らないというわりに、気が利いたコメントができるやつだ」

 

といったポジティブな評価を受けやすい。

 

「ただ自分が好きな野球のネタを話したいんだな」という印象を与えてしまうAさんと比べると、その差は歴然としてくるだろう。

 

しかも、

Bさんは野球というのは苦手なジャンルであるのだから、

 

ほかのありとあらゆるジャンルでも、

 

同じように意味を取り出した話し方ができるのだろう、という幅の広さを感じさせることになる。

 

まとめると、

 

日々、「文脈力」というコンセプトを意識し、

磨き続けるBさんは

 

Aさんより遥かに低い「野球というジャンルの知識」を使って話す場合でも

相手に知性を与えてくれる存在として印象に残る。

 

それはBさんが「文脈」に合わせて、

 

自分の限られた知識の中から

会話の参加者(相手や自分など)にとってメリットを感じられるような「意味」を引き出して話すことができるからだ。

※この際、野球で言えばイチロー、音楽で言えばモーツァルトのような、

各世界の最低限押さえておくべき、スタンダードの存在を知っている必要はあるだろう。

 

「アカビジ」では、

 

  Bさんのような発話は、Aさんの発話に比べて

「文脈効果が高い」と表現している。

 

多様な価値観をもつ他者を味方にしながら

生きていく必要がある現代の社会において、

 

どんな仕事、立ち位置で闘うにしろ

 

「文脈効果の高い」発話ができる方が、

有利にゲームが進められるだろう。


  次回からは、この「文脈効果」を高めるための「技」 をいくつか紹介したいと思う。


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コミュニケーションの極意①【「文脈力」が9割】

こんばんわ。

 

ヒューマンキュレーターの松下です。

暖かい日々が続いていたと思ったら、
嵐が来たりで、
なかなか疲れやすい日々が続いています。

 

体調管理をしっかり心がけましょう。

 

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前回の記事で、「雑学と知性を分かつ」重要なファクターとして

「文脈を使いこなす力」=「文脈力」
を挙げた。

 

今回からはこの「文脈力」を磨くことで

いかにコミュニケーションを円滑に進めていくか示していけたらと思う。

 

【「文脈力」が「コミュニケーション力」の9割】

私がまだ学生の頃、

『人は見た目が9割』という本が話題になったが、

 

こと「コミュニケーション力」においては、

「見た目」より遥かに「文脈力」の占める重要度が高いと私はよく出会った方に伝えている。

 

もちろん、

「見た目」の力を否定するわけではない。

 

営業、講演、合コン、食事会…

特定のシチュエーションごとに

それに見合った「見せ方」が重要であるのは確かだ。

 

むしろ、

私としてはシチュエーションやTPOに合わせて
「見せ方」を選択していくことも

「文脈力」に含まれるのだと、言いたい。

 

言い方を変えれば「文脈力」は「見た目」を
決めることをも含めたはるかに抽象度の高い概念だと言うことだ。

 

もし、「見た目」だけに大きな力の比重をかけた場合でも

 

その場限りで決まるようなド短期でのセールスやPR活動では結果は出せることもあるだろう。
(人を騙す必要がある時などは特にそうだ)

 

だが、

 

恋愛とも同じように、ある程度中長期的な付き合いが前提になる場合、

 

「空気が読める」「よく気がつく」「時勢を理解している」「融通が利く」

などと、いったような

「状況や流れに合わせた判断力の高さ」を評価されるようにならないと

 

いくら「見た目」だけ気をつけていても

目上やある程度のレベルを超える相手には
底の浅さが見透かされてしまう。

 

一定以上の長期間での結果は得られないだろう。

 

この「見た目」以上に差をつける

「空気が読める」「よく気がつく」「時勢を理解している」「融通が利く」…etc
といった

「状況や流れに合わせた判断力の高さ」
を表す数々の表現を包括するのが「文脈力」というコンセプトだ。

 

さて、
「文脈力が高い」とはどういうことなのか
具体的にイメージしてもらうには、どうすれば良いのか。

 

まずは、「文脈力が低い」ケースに目を向けると分かりやすいと思う。

 

例として、

 

野球というジャンルの知識に非常に詳しいAさんがいるとする。

 

Aさんは、

過去から現在まで、

セリーグパリーグメジャーリーグのことも隅々までよくわかっていて

 

各選手の特徴はもちろん、コーチや監督の人間関係、過去どこに在籍していて、

誰とウマが合った、ソリが合わないとかいったことまで細かく把握している。

 

Aさんに野球のことを聞けば、
何でも返ってくるので

 

当然、周囲でも「野球の話題になる文脈」では
Aさんは頼りにされている。

 

だが、

日常のなかで「野球の話題になる文脈」
はそう都合よく頻繁にはやってこない。
(野球好き仲間の間でない限りは)

 

そうなると、

せっかくのAさんの「野球の知識」をお披露目できるタイミングは少なくなる。

 

ここでAさんが

「野球の知識」を使える場面が減っていくなかでも「野球の話題になる文脈」を待てればまだ良い。

 

だが

タイミングが待てず全く「文脈」を無視して

相手が野球に関心がない状況でも

やたらめったらと

「野球の知識」を連投してしまうようになるとどうなるか。

 

「なんでこのタイミングでまた、野球にもってくんだ…」

「野球のこと聞いてねーよ…」

 

といった影の声が積み重なり、

程なくして、

 

Aさんには

「知性的」ではなく「雑学、ウンチク系」の烙印が押されてしまう。

 

そして、自分の野球ネタが

何となく周囲にウケていない空気だけを察する
頃には、

 

もはや、Aさんは野球の話題を持ちださなくなるという極端な末路に向かう。

 

少し大げさに聞こえるケースかもしれないが

あらゆるジャンルに関してこれに近い知者は多いと感じる。

 

野球というジャンルに限らず「知識」に長けているということ自体は

 

それが無い他者と比べて明らかにコミュニケーション上で優位な条件にはなるはずなので

非常に勿体ないことだと思う。


一方、Bさんは、


野球に関しては全く不得手で

彼が知っているのは、誰もが知っている

松井秀喜イチローといったスーパースター級の選手だけであるとする。

 

だから
「野球の話題になる文脈」で真っ向勝負すると
Aさんには勝てない。

 

だが、Bさんは「文脈力」というコンセプトをもち、日々磨きをかけていたため

 

実はBさんのもっている

限られた「野球の知識」でも

 

Aさんより「知性」が輝いてみえる場面が多く作れる可能性がある。

 

次回は、

Bさんの「野球の知識の引き出し方」を例に

 

限られた「知識」であっても「知性」を感じさせることを可能にする「文脈力」を掘っていきたい。

 

 

ブログ著者プロフィールはこちら↓
https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416

 

「アカビジ」な解釈【「知性」と「雑学」を分かつもの②】

こんにちわ。

 

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本日は、引き続き、「知性」について考えてみる。

 

前回、人が「知性」を感じさせるにはどんな条件があるのか考えた。

 

そして、

話者に「知識がたくさんある」というのが前提条件にはなるが
 
それだけでは知性を感じさせるのには不十分で
 
「相手の価値観や背景を読み取って
いかに重要度の高い知識のストックを引き出
せるか」

 

が重要な条件であることを示唆した。

 

今回、この「知性」を感じさせる効果的な戦略として

 

このブログで度々紹介している齋藤孝氏が提唱する「文脈」というコンセプトを

取り入れてみることを提案したい。

 

重複するが

前提条件として、知識はないよりは豊富にあった方がいい。

(知識がなさすぎる場合は、本を読む、人の話を聴くなど、つけていく努力をしていくしかない)

 

だが、世の中には知識がたくさんあるにもかかわらず

 

あまりその優位な条件を十分に活かすことができず

 

雑学、ウンチクをひけらかしているように思われたり

 

結果的に他者に対して知性を感じさせることができないという人材が多い。

 

斎藤孝氏によれば

 

知識があるのにうまく知性に結びつけられない要因として

 

大抵の場合、

 

「文脈」をうまく使いこなせていないということが指摘できる。

 

「文脈」という言葉は日常的に使わない方も多いと思うがweblioで調べてみると下記のように出てくる。

 


文における個々の語または個々の文の間の論理的な関係・続き具合。文の脈絡。コンテクスト。 「前後の-から意味を判断する」

一般に,すじみち・脈絡。また,ある事柄の背景や周辺の状況。

 

だいたいどこのサイトや辞書で調べてみても

 

状況、行間、背景、コンテクストなどといった似たような用語の羅列が出てくる。

 

要は、

 

会話やものごとが起きる「いま、この瞬間」と「前後の流れ」の両方を同時に指すことができる便利な用語だと思う。

 

言い換えれば、

点と線の両方を指す言葉と言ってもよい。

 

結論的に言うと

 

世の中でこの「文脈」を使いこなせる人材は、

「空気が読める」と言われてどこの分野でも重宝されやすい。

 

逆にどんなに知識があっても
「文脈」を理解できない場合、

「空気が読めないやつ」と軽く扱われてしまう。

 

一般的にはこのような事象を

「空気を読める、読めない」だけで片付けてしまうので

 

「文脈」というコンセプトは使われていないと思う。

 

だが、私の経験を振り返ってみると

 

「空気が読めない」と言われる人間に

いくら「空気を読め」などと助言しても

 

具体的な指針は分かりづらいし、話が進みづらい。

 

それにも関わらず

 

これほどに世を生き抜くのに

重要なスキルを「空気を読む」
というあやふやで感覚的な表現で済ませてしまうのは

 

「空気を読める人」にだけ共有できる
結果論としては維持されるスキルになるが

 

万人に開けた再現性が乏しいスキルになってしまう。

 

まだ進化の途上にある

「空気が読めない人」の道を閉ざしてしまうことではないかと思う。

 

「空気を読む」→
「文脈を使いこなす力」=「文脈力」

というコンセプトに変換することで

 

「今回はちょっと話を飛躍しすぎて、ウケが悪かったように思うから語の流れの前後から確認しよう」

 

「質問する「間」が悪かったかな。今度はタイミングを変えて挑戦しよう」

 

など

 

起きた会話の流れを分析して

次の機会に発展的に活かそうという道が拡がるように思う。

 

次回からはこの「文脈力」にテーマを移して
「コミュニケーション力」の極意に触れられればと思う。

 

ちなみに「文脈力」に興味をもち、深く知りたくなった方は下記を読んでみてほしい。

 

『「頭がいい」とは文脈力である』斎藤孝

https://bookmeter.com/books/542366

 


ブログ著者プロフィールはこちら↓
https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416

 

「アカビジ」な解釈【「知性」と「雑学」を分かつもの①】

こんにちわ。

 

ヒューマンキュレーターの松下です。

 

東京の桜はだいぶ散ってしまいましたね。

新しいサイクルが本格的にスタートしていることでしょう。

 

人材エージェントとして、

日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

人や自分自身のこと、


また、世の中と向き合う機会が多いので

そのなかで、


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本日は、「アカビジ」で度々

使われる「知性」という基礎的な言葉について振り返りたい。

 

いつもと同じように

ここではあくまで辞書に載っているような厳密な定義は求めず

 

「アカデミックでありながらも、

ビジネスなどの実学にも応用しやすい」

 

という汎用性の高さを重んじて

実践で使いやすい「知性」の定義を捉え直したいと思う。

 

まず、一般的に人が

「この人は知性が高い」と感じる前提条件として、

 

「知識がたくさんある」という要素が真っ先に思い浮かぶと思う。

 

「アカビジ」の初期の記事でも
述べているが、

 

「情報は川のように

基本的に高いところから低いところへ流れていく」ものだ。

 

だから、

第1条件として、どんなジャンルの領域であれ

「知識」が少ないよりは多くもっているに越したことはないといえるだろう。

 

だが、

「知識」は知性の必要条件ではあるが

ただたくさんあれば「知性」を感じさせるのに十分だという性質のものでもないように思う。

 

世の中では
かなり「知識」が豊富にある人の発話でも

相手からあまり知性的とは捉えられずに

「いたずらに知識をひけらかしやがって…」

 

などと言われたり(思われたり)

 

「雑学」「ウンチク」と軽く片付けられて、

 

あまり重要に扱われないというケースが多いのも事実だ。
(もちろん雑学、ウンチクが重要に扱われる文脈もあるが…)

 

きっと、

自分自身が意気込んで知識を披露しても

思いのほか周りにウケなかったという
苦い経験をした方もいれば、

 

他人がそういった状況に陥るシーンに頻繁に出喰わすという方も多いだろう。


人はどうゆうわけか

 

同じように豊富な知識をもった人間の発話であったとしても

 

「この人は知性があるな」

いや、

「こいつは雑学ばかりだ」とか

 

瞬時に分けて、

しかもかなりシビアにジャッジしてしまうものだ。

 

なぜ「知識」は、

 

「知性」に感じることもあれば、

「雑学」と軽んじられることもあるのだろうか?


私自身の過去を振り返り、

 

日常の他愛ない会話から

職場での会話、営業経験、ビジネスミーティング、交流会…

 

自分や他者のさまざまな経験から照らしてみると、

 

つまるところ、

 

話者が「自分のもっている知識が

相手の利益(重要性)に繋がるかどうか

どれぐらい敏感に意識しているか」で

 

この「知性的」と捉えられるか

「雑学、ウンチク系」と捉えられるかが、

くっきり分かれると思う。


まとめると

 

「知識がたくさんある」というのは間違いなく、コミュニケーション上で有利な条件になるのだが、

 

それだけでは「知性」を感じさせるに不十分である。

 

豊富な知識という前提のうえに

 

「相手の価値観や背景を読み取って

いかに重要度の高い知識のストックを引き出
せるか」

という要素が加わることで

 

「知性」を感じさせる決定打になると思う。


次回は、

 

この「知性」を感じさせる効果的な戦略として

 

齋藤孝氏が重視している「文脈」というコンセプトを意識してみることを提案したい。

 

 

ブログ著者プロフィールはこちら↓
https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416

 

「アカビジ」な解釈【「コミュニケーション力とは」②】

こんにちわ。


ヒューマンキュレーターの松下です。

 

4月になり、さまざまな立場でスタートを切られている方も多いでしょう。

 

人材エージェントとして、

日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

人や自分自身のこと、


また、世の中と向き合う機会が多いので

そのなかで、


気付いたことをシェアできればと思い、
ブログ発信してます〜。

 

ここから本題↓↓

 

今回は、前回に引き続き、

分かっているようで

 

かなり多義的な意味を発揮する
「コミュニケーション力」という言葉について、改めて考え直す機会としたい。

 

 

「アカビジ」としては、

個々人が曖昧に感じながら使っている
言葉の定義を明確にしない限り

 

「コミュニケーション力」の向上も見込めないのではないかと考えている。

 

この記事の終わりでは

「コミュニケーション力が高いと言われる人全てに共通する定義」をひとつ示せたらと思う。

 

前回の終わりで、

現代の日本語における「コミュニケーション力」とは、

 

もともとの英語における

「communication(コミュニケーション)」がもっていた

「分かち合うこと」や「意思疎通能力」以上の意味を含むようになったはずだと投げかけたので、

 

その続きを述べていきたい。


例えば、現代ではツイッターやブログなどで不特定多数に発信して

 

一部の方たちに影響を与えたり、共感を生じさせる力というのも

 

広義の「コミュニケーション力」と言えると思う。

 

もちろん、この際に、受け手がコメントやリツイートを返すことによって

相互のやりとりが一時的に生じる場合もある。

 

だが、受け手が特に表面的なリアクションを返さないとしても

発信者に共感したり、影響を強く受けているということが多い。

 

こういった場合、

 

「分かち合う」や「意思が疎通している」

 

という双方向性が強い従来型の「コミュニケーション力」の語感とは違う意味を伴っていると思う。

 

また、双方向性が強くない
「コミュニケーション力」の一例として

 

ヒトラーのような多人数に影響を与える技術の高い人物が演説して

 

圧倒的多数を動かすような
扇動や洗脳と言われるような行為も、

 

「分かち合う」とはかけ離れているだろう。

 

それでも、

ここでは広義の意味で双方向性は低いが
他人に影響できるというのも

「コミュニケーション力」の一つだとしておきたい。

 

もちろん、ヒトラーの例は、

良くない方向に「コミュニケーション力」が発揮されている例だが、

 

「ダイナマイトの発明」がノーベル賞の起源になっていることでも示される通り

 

「力」は往々にして、

使う人間次第で良くも悪くも効果を発揮する。

 

だから、極端な例を出せば

 

オレオレ詐欺のように人を騙せるということも

(もちろん「力」の使い方は間違えているとしても)

広義の意味で「コミュニケーション力」を発揮できてしまっていると言えると思う。


こういった極端なケースをも「力」とするには抵抗がある方もいるかと思うが、

 

私としてはむしろ、

 

悪い使い方の「コミュニケーション力」をも
明確に「力」と認めることによってはじめて

 

対処する受け手側としての「コミュニケーション力」も向上し

 

問題を回避できる「力」が磨けると考えている。

 

大学時代に斎藤孝氏は

 

「あなたがあらゆる時間軸、空間軸に飛ばされても、

(例えば、近未来や江戸時代にいきなり飛ばされても)

そこで普遍的に通用するような力」を「コミュニケーション力」としており、

 

この「力」を学生のうちから養うことを推奨されていた。

 

「アカビジ」としても恩師の言葉にヒントを得て

上記に挙げてきた全てのケースに適用できる

「普遍性」のある定義を考えてみた。

 

非常にシンプルな言葉だが、

 

[コミュニケーション力=味方を創る力(技術)]

 

と捉えてみるのはどうだろうか?


この定義であれば、

 

表情やジェスチャーのような非言語を使う
ケースや

 

双方向性が高いやりとりから、

 

演説やブログ発信などの双方向性が低いケースにも適用できると考えている。

 

「アカビジ」としては


このようにありふれて使用されている言葉を

 

よりシンプルで汎用性のある解釈で捉え直すことで

 

詐欺や洗脳ではなく、

 

クリエイティブな方向に

 

「コミュニケーション力」を発揮していく人財が増えていくことを願っている。 

 

 

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