日記
週末にお友達がくるので、
部屋を冬仕様にしました。
真冬仕様は最高気温が一桁になってからかな。
あと、ミラベルと魔法だらけの家、を
最後まで見てポロポロと泣く。
途中まで「魔法の家」と思ってたら
「だらけ」だった。
最近、ピクサー作品は
泣く前提で見ているところがある。
今はアナ雪2をみている。
今のところ泣く気がしない。
洗えないと思っていた枕が
洗えるとわかったので、
からっからの晴天が待ち遠しい。
古くなったから捨てる直前だったけど、
試しに洗ってみることにした。
クッションがわりにしよかな。
あと、ディタさまが、
気になってた映画にカメオ出演してると知り、
俄然、映画館へ観に行く気になる。
大画面ディタさまたのしみすぎる。
にくにくしさのある
フローレンスのピューさんもたのしみである。
どうでもいいことを記していこう
彼氏と行った音楽イベントでファンキューに出くわし、つたない中国語で話しかけるも通じず(英語で話せよ)、彼氏よりもファンキュといたいが会場へは彼氏の車で来ているからここで別れるわけにはいかない...、みたいな夢をみて、せめて自己紹介くらい中国語でできるようになりたいと強く思いはじめる。
もし仮に本当にファンキュに出くわした場合私は何がしたいのか?を考えると、語学の壁は本当に分厚いのでわりと真面目に頑張る必要はあるんだよな。
お付き合いしてみたい気持ちはかなりある。(なれたとしてもせいぜい楽しいお友達レベルが頂点なのはわかっています)
しかし、厳密にはわたしは彼の音楽のファンでは無く、彼の好きな猫やアニメやマンガにもそこまで詳しくない...。となると、距離をつめるにはとにかく楽しくお話しできるかどうか、いろんな話題に対応できるか、が鍵になる。
(ちなみにファンキュはハイスペックなので、アメリカへ音楽留学してたくらいには英語ペラペラなのである。なんなら日本語もちょっと話せる)
ファンキュに出くわしたときに臆病にならなくて済むくらいには自己肯定感を高めたい...
という結論に達して、10年前から進歩してないことに気付きました。
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読んだ本をメモしなくなったのはいつからだろう。
イアン・マキューアンをはじめました。シアーシャ・ローナン主演の「追想」を観る前に読みたいと思っていた「初夜」を図書館で見つけたのをはじめに、ブッカー賞受賞の「アムステルダム」を先日読了、いまは「土曜日」に手を出しています。文芸書担当のころは「未成年」が気になっていたので、順調にゆけばそれも読むかな。
新潮クレスト・ブックスは、海外文学を読んでいる気持ち、にさせてくれるので現実逃避にちょうどいい。マキューアンのほかに、ミランダ・ジュライ、アリス・マンローを読んだことがあって、これからも読むつもり。今タイトルを忘れていたけれど「すべての見えない光」も好みだった。
映画「最初で最後のキス」を観た帰りに、あまりの内容に茫然として商店街をふらふらとし、包容力を求めて入った大型書店で「祖母の手帖」を買ったのだけれど、これはまだ1ページも読んでいない。あの時はイタリア旅行にゆく前で、イタリアに触れていたい気持ちと、映画の世界と、自分の住んでいる世界と、をつないでいたくて、イタリアの作家が書いた作品を探して、決めたのだと思う。
部署違いの上司に、友人にイタリア文学翻訳家を持つ人がいて、1年ほど前に友人が訳したのだと話題にしていたナポリを舞台にした本、も候補に考えたのだけれど、1冊で終わらないことと、すんなり受け入れられない映画の結末が気持ちに尾を引いていて、なんとなくシリアスそうな作品を選んだ、はず。
結局、イタリア旅行から帰ってきても手を付けていないし、図書館からナポリを舞台にした作品のほうを(予約までして)借りてしまった。
イタリアに行って考えたことがいろいろあるので、これからぼろぼろ書いていきたい。
台湾とイタリアに思いを馳せているとき、ときめく気がするのは、われながら単純ね。
情緒が不安定になるのこと
春だし。
とあるきっかけでさみしさフィルターが全開になってしまったところ、追い打ちをかけるようにおめでたい報告をいただいて、めちゃめちゃ情緒不安定です。
これをコントロールするには、オタクごころを全開にするしかない。たとえば、平日の仕事帰りにパシフィックリムアップライジングを観るとか!
しかし、ちょうどよい上映開始時間がないので、今のところは、無表情なまま物を買いあさる、みたいな対処法しかなくて、さらに切なくなるという悪循環…。
A3!をプレイしているのですが、推しのガチャが外れまくる腹いせにピクシブ巡回したら、ヒロインが愛されすぎててまたむなしくなったし…
何かしら新しいこと始めるのが面倒くさいのだわ。年齢だわ…。
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わたしが特に好きだと感じる人たちが、そろいもそろって発達障害あるいは躁鬱だと診断されていることについて
この話を人にすると、お前自覚ないの?みたいな反応をされるのが非常に腑に落ちないのですが、そろいもそろって同じことを言うから私もそうなのでしょう。
悩んでお医者さんに行くかどうかの違い。
個性個性と言いますが、人の話を聞かない具合も、何かに没頭する傾向も、それぞれグラデーションである以上、そうやって目を丸くするあなただって発達障害をいくらかはお持ちだと思いますけどね。
自分がそうかそうでないかとか、あいつらやっぱり変人だったとかを話したいのではなく、自分が積極的に友人関係を続けていこうと決めた人たちに共通の名前が付いていることがわかって嬉しい、というトピックなのですが、そこまでの終着点に辿り着いたことはない
オタクはえてしてコミュ障なところがありますが、しかしこれだけ市民権を得つつある「オタク」の多くが発達障害であるならば、もうそれは珍しくことなんかじゃなく犬好き猫好き他の動物が好き、くらいの話ではないの?は言い過ぎか?
つゆくさまる
いつまでもティーンエイジな自分を置いてけぼりにできないのは恥ずかしいことなのだろうなと知っています。
人より顔のつくりがきれいな女の子が、自分が人より見栄えのする顔を持っているって知ったうえで可愛らしく振る舞う、という現象を憎んでいて、殺意を覚えるのも、
煙草がポイ捨てされる現場をみて正義感に駆られて目の前で拾ってしまうことがあるのも、
イケメンか美女が出てくる映像作品を好んで観ていることも
いじめに気づいていながら、自分は関係ない、という顔をしていられる人に腹が立つのも
好きなタイプの男の人も、好きなタイプの女の人も
春の夜のにおいにいちいち心震えるのも
人の気持ちがわからないのも
あの頃からぜーんぜん変わってない
でも確実に年月は経ているのだ
明日、この春大学を卒業する若者と会い
明後日、中学校1番最初にできた友人と会うことで
また同じことを確認するんだと思う
私は全然変わってないのに
あれからもう十年以上たっているってことを
同じ速度で大人になるんだと信じてたこともあったけれど
うそです
とにかく健康を維持して、長生きしてしまったときに物理的につらくならないよう暮らしてゆきたい
あぁ、今すぐ人生を終わってもいいって思ってるのすら十年以上前と変わってない
(しかし死にたいわけではない)