なぞの転校生

 

読んだことあったな~と思い出し、あらすじをチェック。
ふと書かれた年代が気になった。

以下wikipediaから抜粋
ねらわれた学園 1976 (角川文庫)
なぞの転校生 鶴書房盛光社、1972 のち角川文庫、秋元文庫青い鳥文庫

この2冊はSF要素を含んだ社会小説に見えた。この2冊はテレビドラマになったから有名だ、ドラマ化したテレビ局が社会問題的作品として取り上げただけかもしれない。

あらすじを読んでいたらつい最近そういう現象を見た気がしてならなかった。

これだ、この世界の事実に目を向けず”自分の中の真実”に固執して周囲を攻撃してしまう。

眉村さんは当時リアルにこれを感じたんではなかろうか。
人は変わらないものだ。

北海道の強制不妊手術

 
 
北海道が作製した「優生手術〈強制〉千件突破を顧りみて」
 

 中国人観光客らで連日にぎわう、札幌市にある重要文化財「赤れんが庁舎」。かつての道庁舎だったこの施設の地下には、古い文書倉庫があり、旧優生保護法関連の6309枚のマイクロフィルムが保管されている。これらを含め、現在までに発見された関連記録は計1万714枚。全国最多の2593人が不妊手術を強制されたとされる北海道で起きた「人権侵害」の記録だ。毎日新聞は、記録や取材を通じ、突出して多い北海道の強制手術の実態に迫った。

 

手術で「管理」しやすく 「入所女性の半数に開腹した痕があった」

 「入浴時、裸になった女性たちの半数ほどに、腹部に開腹した手術痕があった」。旧法が母体保護法に改定された2年後の1998年、北海道の障害者施設で働き始めた女性にとって「忘れられない光景」だ。

 入所者の入浴介助をしていた時、多くの中年女性の体に残る傷痕に気づいた。当初は子宮筋腫など疾患が理由の手術痕だと考えたが、人数の多さに違和感を持った。先輩職員に尋ねると、驚くべき言葉が返ってきた。「自分で生理の始末ができないでしょ。だから子宮を取ったのよ」

 旧法が認めた女性への強制不妊は、主に卵管を糸で縛る術式だった。しかし、この施設では旧法が禁じた子宮の摘出が横行していた。子宮を摘出された入所者の一人は術後、月1回暴れるようになり、母親は「ヒステリーを起こすようになった。あんな手術はすべきでなかった」と後悔を打ち明けた。一方、手術されなかった入所者の母親は「あなたの娘は生理を気にして下着に手を入れないから手術しなくていい」と職員から説明された。危険な手術は、施設側の「管理のしやすさ」が理由だった。

 危険な手術は子宮摘出だけではない。54年に道が国とやりとりした記録。「やむを得ない場合は卵管焼灼(しょうしゃく)不妊法など他の術式で優生手術はできるか」との道部長の質問に旧厚生省課長は「貴見の通り」と容認していた。

 60年の「日本不妊学会雑誌」によると、当時、約100度に熱した金属棒を子宮内の卵管付近にあてて焼く不妊法が研究されていた。卵管以外の部分の「焼灼」や出血、下腹部痛のリスクがあり、「広く実用化されなかった」(55年週刊医学通信)が、道内の強制手術では認められた。

 「わずか10分で入院不要・無痛無害。若返り作用あり、健康増進す」。54年、根拠不明の不妊手術広告を出した内科病院を道が「注意」した記録もある。

道、各保健所にノルマ

 「明らかに知的障害も精神障害もない男性が審査の場に来た。なぜこの人がここにいるのか、と思った」

 奈良県大和高田市の弁護士、白井皓喜さん(83)は67~69年、道優生保護審査会の委員を務めた。当時は家庭裁判所判事補。審査は「(手術実施の)適」「保留」「否」の3通りの結論があったが、2年間の在任中「否」が出たと記憶するのはこの男性だけだったという。

 審査では保留になるケースもあったが、白井さんは「道が否決を嫌がったのが原因」と証言する。本人を呼ぶ審査は各保健所が探し出した対象者に疑問がある場合などに限られ、精神科病院の入院患者は医師の診断を理由に、手術実施が「スイスイ」決まった。

 本人の障害が重くない場合、手術の決め手となる補強材料が親族の「遺伝調査」だった。国が定めた旧法施行規則は「遺伝性精神疾患」を持つ親族の有無などの記載を求め、詳細な情報は不要だったが、道は52年に各保健所に隣人らへの聞き込みで4親等の詳細な調査を徹底するよう通知し、「きれい好きなど神経質」「勉強を嫌う」など精神疾患と無関係な項目を列挙して報告を求めた。調査は困難を伴ったが、道は58年、安易に「不明・不詳」と書かないよう注意した。

 道は各保健所にノルマも課した。年間282件の手術があった同年、各保健所に積極的に対象者を発見するよう求めた上で「保健所あたり年間2件程度の申請に努めること」と明記した。

 審査も形骸化が進んだ。64年5月20日、道衛生部長室で開かれた第125回審査会の記録には、審査時間の記録が残る。約50分間で男女28人を審査し、全員を「適」とした。1人あたり平均2分弱の計算だった。

戦後、食糧事情が悪化

 
 

 なぜ、北海道はこれほどまでに強制手術を推進したのか。60年代に道優生保護審査会委員を務めた一人は「人口増加への対策があった」と話す。

 総務省によると、道の人口は、開拓途上だった1884(明治17)年に都道府県別で全国最少の22万7900人。ところが都市部の空襲を逃れる疎開や戦地からの復員・引き揚げなどにより、終戦時の1945年は351万8389人に急増し、全国最多となった。

 道発行の「新北海道史」によると、人口急増を受けて食糧事情が悪化。45年は凶作に見舞われ、「万単位の餓死者が出る」との流言が飛び交った。住宅不足が深刻化し、治安悪化の懸念も強まった。

 こうした中で進んだ強制手術は56年、全国最多の累計1000件に達し、道は記念誌「優生手術<強制>千件突破を顧りみて」を作製。精神障害者の生活トラブルや犯罪行動を列挙し、「誤ったヒューマニズムがかえって家庭や社会に大きな負担になる」と正当化した。

 精神科病院の建設も進んだ。55~61年の道内の強制手術数は年212~315件と全国でも特に多かったが、同時期に道内の精神科病院数は15カ所から31カ所に倍増し、全国2位に。核家族率が高く、農業・漁業など第1次産業従事者が多い道内では家族による障害者らの介護が難しく、施設依存率が高いと指摘する専門家もいる。

 「障害がなくても手術を強いられるなど運用のずさんさには驚くばかり。旧法の違憲性だけでなく、運用のずさんさまで出てくるとは予測していなかった」。道内での強制不妊手術の救済を求める弁護団の一人、小野寺信勝弁護士は言う。

 道衛生部が毎年度作った「保健予防課事業方針」。前年度の「優生手術」数と手術にかかった予算額は、国に報告した強制手術数と金額よりはるかに多い数字が並ぶ。高橋はるみ知事は、全民間病院にまで資料の保全を求め、手術記録の開示対象を最大3親等にまで拡大した。だが、明らかになった人権侵害の実態は氷山の一角とみられる。

旧優生保護法を問う

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グレッグ・イーガン

d.hatena.ne.jp多くの方がアウトプットした文章が、ネットワークで共有されて探す手間はあるものの興味のままに思考を深められるのはとっても嬉しい環境の変化だ。
ついこないだまで物理的な距離や質量に遮られていたのに、いま他人を遮るものは狭量な自分の心以外にない。
daen0_0さんもずっと前から気している方の一人

セックスをタブー視したのが、少子化の原因だよね。

セックスは人間の一部。親が純潔を唱えて否定するのはナンセンスだよね。
性病拡散対策さえできていて、お互い魅力的に見えて気持ちが寄り添ったならもっと気軽に試してよいのだとおもう。

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男性差別国家ヤパンへの非難高まる

1 : 16 男性隔離政策

男性差別国家ヤパンへの非難高まる

2000年8月25日

太平洋に浮かぶ小島

ヤパンという国をご存じだろうか? 太平洋のいちばん隅のほうにある小さな島国。住民は野蛮で陰湿、竹やりをもって大国に卑劣な奇襲攻撃をしかけたこともあるが、もちろん近代兵器による反撃であっけなく敗退、全面降伏したのちは西側文化の奴隷となった。住民は島の土着語を話すが、語彙の三割は欧米語の借用と言われ、町の看板などいたるところに英語があふれる。敗戦国の悲哀だ。

アパルトヘイトの背後に蛮教:国民の大半が盲信

このヤパンという国では、いまだにひどい男性差別がなくならず、国際社会の猛反発をまねいている。

背景にあるのはジュ教と呼ばれる土着の原始宗教。ジュ教では「男女七歳にして席を同じうせず」という教義があり、この宗教原理にもとづき、アパルトヘイト(男性隔離政策)が実施されている。一般に、男性は、女性のからだに触れることもゆるされない。女性が男性の背中を叩いたりするのは容認されるが、男性がうかつに女性の肩などに手を触れようものなら、「触らないでよ、けがらわしい!」とののしられる。「けがれ」という宗教的観念に支配されているのだ。トイレも女性用と男性用に区別され、女性用は広々として大きな化粧台があったりするが、男性用は薄汚く狭苦しい。女性用のトイレが混んでいるとき、女性は、「汚いけどまあいいや」といって男性用のトイレを使うこともある。しかし逆は絶対に許されない。

男性と女性を意識的に区別するアパルトヘイトは極めて徹底している。赤ん坊は生まれた瞬間から男性か女性かに区別され、「コセキ」(出生証明書)にこの区別が明記される。男性と女性の区別は、ヤパンの土着語で「セーベツ」と呼ばれ、生まれたときに決められたセーベツは一生、変えることができない。子ども時代から、学校において、男性と女性で区別した制服の着用を義務づけられていることが多い。

戦時にも、女性は兵役を免除され、男性だけが前戦に出る。夫婦でも、一般に自動車の運転や力仕事といった肉体労働は夫がすべてこなし、収入を得るために働きに出るのも夫の役目と考えられている。他方、女性の地位は高い。家のなかで子どもの相手をしながらテレビを見て、おしゃれや美容、料理を楽しむ。のみならず、なにかにつけ、男性は女性に贈り物をしなければならない。女性は、まさに貴族階級だ。もちろん好みによっては、女性が男性階級の仕事についてもかまわない。

差別は服装の細部にまで及ぶ。男性はズボンの着用が義務づけられ、夏でもスカートをはくことが許されない。会社では、男性だけが真夏でもネクタイ着用を義務づけられていることも多い。女性が好みに応じてメンズを着たりボーイッシュな言動をとることは構わないが、その逆はゆるされない。

各国の人権保護団体は、このような徹底した男性差別について、ヤパン政府に何度も改善を求めているが、ヤパンでは「これは、この島の文化」として、とりあおうとしない。男性差別が社会制度として当然のことと考えられているため、とうのヤパン男性自身が、自分たちの地位の低さを認識していない。それほど男性の権利に関する意識が低い

ヤパンの宗教では、「男性は女性のためにつくし、戦わねばならない」とされる。ヤパンで作られたゲームを見ても、女性は美しい衣服をまとった「お姫様」、お姫様のために戦うのは男性の役目と決まっている。

細分化された複雑な奴隷制

ヤパンの若い女性は数人の男性奴隷を使いこなすのがふつうだ。女性に奉仕する男性奴隷は、いくつかの種類に分けられている。ヤパンの土着語でアッシー(自動車の運転専門)、ミツグ(贈り物を持ってこさせる専用)、ベンリ(雑役係)など呼ばれるのがそれだ。奴隷たちは主人の顔色をうかがい、主人の機嫌をとるのに必死だ。

ヤパンの女性は賢い。「男はいいよね。女って損」というまやかしを繰り返し、男性たちが「じつは男性のほうが地位が高いのだ」と信じるまでに、男性奴隷を洗脳する。この島国では、以前にも「士農工商」という身分制度があり、農民は、ほかの一般人より身分が高いとされていた。しかし、年貢のとりたてを受け搾取されていたのは、その「身分の高い」農民たちなのだ。

進まぬ近代化

歴史の教える通り、わたしたちも、かつては男性と女性を文化的、社会的に区別していた。しかし現在では、そのような区別がほとんど無意味であることは一般常識となり、自分の性染色体が XX か XY か調べたことがない人も多いだろう。男性解放運動、女性解放運動、部落解放運動などは、前世紀にその役目を終了し、運動団体も解散した。

性別や血液型や肌の色といった人間の本質と何ら関係ないことをいまだに重要視するヤパンの宗教的頑迷にどう対処するか、宗教の自由のたてまえもあって、なかなか難しい問題だ。人権保護団体のなかには、アパルトヘイトを続けるヤパンへの厳しい制裁措置を主張するものもある。しかしヤパンの住民は、そもそも男性差別が存在することそれ自体を自覚していないのであるから、制裁措置は、どうか。どんな悪いことをしたのか自覚していない子どもに罰だけ与えても効果があるのだろうか。

専門家のなかには「文化的自決」を説く者もある。ヤパン古来の文化的伝統として、男性女性による役割分担を、おおらかな気持ちで認めようというのだ。たしかに、性のような人間の外形を透明化した、わたしたちの価値観をみだりに押しつけるのは、傲慢かもしれない。ヤパンの男性たちは差別されていることに気づかず、あまつさえ男性のほうが地位が高いと信じて幸せに浸っているのだから、その幻想を無理に破壊することもないのでは、ないか。

とはいえ、ヤパンでも、うざったい男性解放運動や女性解放運動が早くなくなってほしいものだ。解放運動があるうちは解放は未完成であり、解放が完了すれば運動も不要になる。解放運動とは、その運動の存在意義の否定をめざす運動なのだ。今では「水平社運動」など知らない人が多いだろう。それでこそ水平社運動はみのり多いものだったと言える。ひるがえって、何百年も「解放、解放」と叫びつづけているような運動は、ちっとも成功していない運動であって、実効という観点からは無意味な運動と言える。

フェミニズム運動など、早くなくなってほしいものだ。過渡期の人間なら逆説的な意見だと思っただろうが、わたしたちは、これを当然のことと理解できる。「女性論・男性論」「バラモン論・シュードラ論」などは、わたしたちにとって、退屈な人間史の授業でしかないのだから(人間族の歴史に興味があるかたは、退屈と思わないだろうが)。

解説:過渡期の読者のかたへ

この記事は、妖精現実の感覚をアピールするものですが、それと同時に、チャドル問題に関して、つねづね感じていることをパロディーの形で表現しています。チャドルというのは、イスラム文化圏の民族衣装で、宗教的に、女性にチャドル着用を義務づけている地域が多いのです。キリスト教圏では、チャドルが「女性差別」の象徴のように言われ、アメリカなどのフェミニスト団体のイスラム批判でいつもうるさく言われます。

しかし、妖精の視点からみると、日本人男性のズボンやネクタイも、ほとんど同じことなのです。ズボン着用の「義務づけ」が男性差別だからズボンを禁止せよ、と言われても、日本のみなさんは、「はぁ?」と思うだけでしょう。イスラム側からみた「チャドル批判」には、そういう面があると思うのです。つまり、イスラムのなかに入りこんだつもりになって、イスラムのなかから見るとどう見えるのか、というイントリンシックな(内側からみる)視点が必要なのです。「女性がチャドルでからだを覆わなければいけないなんて、おかしい」と簡単に割りきれるかどうか。「男性がミニスカートをはくなんて、おかしい」か、「夏でも男性はスカートをはけないなんて、おかしい」か。いろいろ考えてみてください。

進歩的な哲学者プラトンも、奴隷制度を当たり前のものと考えているところなど、興味ぶかいものです。もちろん、だからといってプラトンの偉大さ全体が損なわれるわけでは、ありませんが。

なお、この記事は、あくまで妖精の透明な視点にもとづくものですから、「なに言ってるの、女だって、これこれこういう社会的差別を受けてるのよ。きい」といった筋違いの反論は、ご遠慮ください。男性女性という意識そのものが消滅した地平を提示しているのであって、過渡期における男性女性それぞれの得失を論じているのでは、ないからです。

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すかぶらの話

http://www2t.biglobe.ne.jp/~cjfc/hanasi.htm
から転載




すかぶらの話


岩波新書「地の底の笑い話」上野英信著よりすかぶらの話-黒い顔の寝太郎

1.白い手拭の心意気


 貧乏神にとりつかれて 日夜あくせくと 働かなければならぬ人間にとって、ごろりと寝ころんでみたいという欲望にまさる切実な要求はない。 寝ころんで足をのばすひまもない人間の 住んでいるところ、そこにはかならず、いつの時代にも、花田清輝のいうように「大衆のあこがれの    象徴」 として、愛すべき寝太郎が ごろりと寝そべっている。そして、寝るひまもなく追いまくられて働く人間の多いところほど、寝太郎の人口も増加する。寝太郎がたくさん生まれる時代は、けっして人間が幸福に生きている時代ではないのだ。
 奥州の大工の庄五郎、 出羽荘内のせやみ太郎兵衛、信濃のものぐさ太郎、 長州厚狭の寝太郎、 沖縄の睡虫、などなど、大小無数、色とりどりの怠け者を  私たちは先祖に持っているが、 これはかならずしも喜ぶべきことではあるまい。 先祖代々、 いかに不幸な生活を くり返してきたかという証拠だからである。  たとえそれが、 柳田国男のいうように 「実世界に不満の多い凡人たちを 楽しませるための空想」であったとしても、その空想の背後にある不幸な現実はどうしようもない。 私たちは夜もろくに眠れないような人間ばかりを先祖に持ってきたわけであり、私たちはいわば先祖代々の不眠のかたまりのようなものではないのだろうか。  過去と現在は致しかたないとしても、 ほんとうは寝太郎やものぐさ太郎が主人公でなく、夜も満足に寝ずに汗水たらして働きつづける  「寝ず太郎」 なり  「まじめ太郎」 なりが、新しい民話や笑い話の最大の主人公としての地位を 占める時代が、一日も早くこなければいけないのである。  ごろりと寝ころぼうと思っても 寝ころぶひまのない人間など、 お伽話の世界の空想人物としてしか存在しない時代こそ、人類の理想社会だからである。もっとも、そのためには私たちが、それこそ夜も寝ずにたたかわなければならないけれども。それはともかくとして、現実に寝そべるひまのない大衆にしてみれば、寝太郎の空想の後に寝ているわけにはいかない。いやがおうでも実際に寝てみせるという人間が 出てくるのはきわめて当然のことだろう。  もちろん、炭鉱もその例外ではない。
 地の底の寝太郎を筑豊の炭鉱労働者は  「スカブラ」  と呼んでいる。  あるいはまた、親愛の情をこめて 「スカちゃん」 とも呼びならわしている。  そしてこの名を口にする時、坑夫たちの顔はなにか奇妙にくすぐったそうな微笑にゆがむのがつねだ。  誰もその名を忘れることはできない。  しかし不思議なことに、誰一人としてそのなつかしい名の由来を知らない。 「仕事がスカんで、いつもブラブラしちょるけんたい」  そんな博多にわかのようなこじつけばかりである。  私はついに思案にあまって、筑豊鞍手の山奥の 廃鉱に住む伝八老人をたずねた。  彼は闘鶏の名人であり、炭鉱の生字引きのような知恵者である。  彼ならきっとスカブラの語原を 知っているにちがいないと、 私は期待に胸をおどらせて山を登っていた。
 「じいさん、スカブラのことだがね」 
  「ああ、わしのげなやつのことたいな」 と伝八じいさんは微笑んだ。
  「いったいどういう意味だろう」
 「へえ、 あんたはそげなことも知らんとかいな。 こりゃたまげた。大学までいったちゅうことじゃったが、 なんにも勉強はしとらんとみえるなあ。  まあよか。 墲オが教えてあげよう。 学校と違うて銭は取らん。心配せんとききなれ。スカブラというのは、まあ簡単にいうなら、仕事好かずの怠け者のことたい」
 「いや、それは知っておるが、どういうわけで怠け者のことをスカブラというのか、そこが知りたいんだよ」
  「ああ、それな。それならはっきりしちょる。スカッとしてブラブラしちょるところからきたとたい。つまりその、スカッブラ、これがいつとのう縮まって、スカブラになったとたい」
 伝八じいさんは、それこそスカッと、なんのためらいもなくこう断言した。 私は恐れいってひきさがるほかなかった。ところが驚いたことに、彼の独創的にして明快なる 「スカッブラ」理論は、これまでの俗流的な 「仕事スカズノブラブラ」理論に不満を感じていた 若きプチスカブラ党員を、完全に魅了してしまった。「うーん、博士ばい!」と、彼らは狂喜して伝八おじいさんの英知を称えた。 むろん、伝八じいさんの学説も例によって スカブラ一流のこじつけにすぎないことは明らかだ。 しかし語呂あわせという末節に拘泥しさえしなければ、 やはり見事にスカブラ本来の面目を 喝破していることは否定しがたい。 スカッとしていること、つまり生きのよさは、なんといってもスカブラのスカブラたる主要条件である。 彼はもともと あの不精者のもつインポテンシャルな怠惰や弛緩、救いがたき陰湿さや不潔さとはおよそ無縁の、いきいきと緊張し躍動する陽性そのものだ。 伝八じいさんが博士号の対象とされたのも、一にもってこの 「スカッブラ」理論の展開によって、従来のドグマの不毛を 打ち破り、スカブラの名誉回復のために貢献するところ 大であったからであろう。
 話は脇道にばかりそれるが、私がはじめてスカブラという言葉を教わったのは、生まれてはじめて坑夫として海老津炭鉱で働きだして間もなくのこと。頭につけたキャップランプの光に照らしだされるもののすべてが、ただむしょうに珍らしく怪しく思われてならないさかりであったが、そのなかでもとりわけ奇怪の印象を受けたものの一つは、それこそ全身に墨を塗ったように 真っ黒い色をした人間たちの姿であった。誰もみなおなじように 炭塵の渦まく採炭キリハで働いているのに、どうしてそんなふうに一点のむらもなく こってりと炭塵の厚化粧をした黒人種と、薄汚いまだらの人種とに分かれるのか、私にはさっぱり見当がつなかった。
 「あれか、あれはスカブラたい」 と私の先山は笑って答えた。スカブラは仕事をさぼって 遊んでばかりいるので、炭塵がふんわりと皮膚につもる。 汗もかかないから、洗い流されもせず、拭きとることもない。 それであんなふうにまんべんなく真っ黒になるのだ、と彼は私に説明してくれた。 私はなるほどと感心せずにはいられなかった。
 所変れば品変るというが、ここ炭鉱においては、真っ黒になって働くという言葉は かならずしもつねに真実を表現しているとはいえないのかもしれない。 スカブラに関するかぎりは、むしろ真っ黒になって怠けるというべきだろうか。私のように 汗水たらして働く以外に能のない新参坑夫は、しょせん、いたずらに醜くまだらに汚れるばかりで、とうていスカブラのごとく ほれぼれするような炭塵化粧はできないのである。 ただし、これはもっと後になって教わったことだが、その当時の私は 彼らの見事な肌の色にばかり眼を奪われて、もう一つの重要な特色を見落していたようだ。 愛すべきスカブラの名誉のために、ここで補足しておかなければならね。 それは彼らが首に掛けた手拭の色のことである。
 炭鉱の労働者は入坑するさい、かならず洗濯のきいた手拭を 折り畳んで首に掛けるのが習慣となっている。汗を拭いたり、鉢巻きにしたり、まさかのさいには貴重な救急用具の役を果たしたりなど、片時も肌身から離せない必需品だ。しかしそのような実用だけが手拭いの用途のすべてではない。ほとんど裸同然の姿で働く坑夫たちにとっては、それはまた一方できわめて貴重な装身具としての役割をつとめる。坑夫の身嗜みは、今も昔も、この手拭一本につきるといってよかろう。身につけているものが、およそ色彩のない粗末な作業着であるうえに、職場そのものが暗黒の地底であるだけに、一層手拭の果たす効果は強い。首にかけた、さっぱりと洗濯のきいた清潔な純白の手拭ほど、坑夫の心意気を鮮やかに示しているものはあるまい。殊にいなせの若い坑夫たちにとっては、かけがえのないネクタイであり、カラ-であり、マフラ-である。 彼らは地上の若者たちがネクタイやマフラ-に凝るがごとく、坑内に掛けてさがる一本の手拭に憂き身をやつす。少しでもしゃれた個性的な趣味をだそうとして、折りかたから掛けかたまで、細かく神経をくばる。
 しかし、大多数の坑夫たちにとって、それはほんの束の間のはかない伊達であるにすぎない。ふきだす汗がまたたく間に 真っ白な手拭を真っ黒に染めかえてしまう。 しぼっては拭き、拭いてはまたしぼる。ぴ-んと張った白い手拭は、こうして四分の一時間もたたないうちに、一年間も使い古した雑巾のようになってしまう。それはまったく、炭鉱労働者のみじめな姿そのままであり、運命そのままだ。ただ、最後の最後まで、雪のような白さをけがさない手拭きがある。 ほかでもない、スカブラの手拭きである。 ときどき両端をつまんで、軽くはたきさえすれば、たちまち炭塵は飛び散ってしまう。 真っ黒な体と、その首に掛けられた真っ白な手拭、この黒と白とのくっきりしたコントラストによって、はじめてスカブラの肖像画は完成する。
 もちろん、これは伝八じいさんの 「スカッブラ」理論とおなじく、スカブラ一流の デフォルメの美学であるから、果たしてどの程度の信用が置けるか、保証のかぎりではない。 ただ、彼らが地底におけるスカブラ党独特の抵抗と自由の精神を、真っ黒い顔にホワイトカラ-で示そうとする心意気だけは、やはりなんといってもそれなりに高く買ってやらなければなるまい。
 ホワイトカラ-といえば、すぐに小頭、つまり現場係員の白い手拭と白い手袋が思いだされる。彼らはそれをあたかも権力の象徴であるかのごとく誇示して のさばり歩く。「俺もなりたや小頭さんに、いつも笹部屋で寝てござる」という坑内歌のとおり、現場詰所で寝ているか、そうでなければ 「くるくる廻るのが現場員ならば、行燈車も現場員」のように、あちこち監督して廻るだけが仕事だ。 もとより手拭が汚れることもない。 しかし、ホワイトカラ-はけっして現場係員だけの特権でないことを、スカブラ党員は黒い顔と 白い手拭によって颯爽と宣言しているのだ。
 しかしもとより、この地獄の釜の底に寝ころんで、公然とサボタ-ジュを 楽しむためには、襲いかかってくる大鬼小鬼の鼻の頭や臍のあたりを撫でてくすぐる狡知が必要とされる。 蛮勇だけでは駄目だ。 相手の怒りを笑いに転じてしまう能力が要求される。それができてはじめて、彼は悠然と寝ころぶ自由を獲得する。 黒い顔の寝太郎がそのひまのない者たちの 「あこがれの象徴」であるのも、単に寝ころんでいるという状態によってではなくて、一つにはその自由を獲得するだけの頓知や滑稽な努力によってであるといわなければなるまい。そしてまた、彼が 「スカちゃん」 として仲間たちから愛されるのも、その道化じみた抵抗の巻きおこす笑いが、息のつまるそうな暗黒の世界に、たえず新鮮な風と光を吹きこむからである。 このことは黒い寝太郎自身が誰よりもよく心得ており、少しでも仲間たちの腹の皮をよじらせてやろうとして、わざと道化役者としてどたばた喜劇を演じたりなどする。
 そんな人間が、あたかも天の配剤であるかのように、どこの職場にもかならず一人はいるものだ。 もしいないとすれば、それは能力のある人間がいないからではなく、むしろその職場がばらばらの寄り合い世帯で、一つにかたまった仲間意識の広場がないからだ。
 2 咄の衆の抵抗 
  黒い顔の寝太郎たちは、例外なく地底のお伽衆であり、咄の衆である。さまざまの笑い話が 今日の私たちに伝えられているのも、じつはもっぱら彼らの存在と尽力のたまものであるが、それこそ話をするためにこの世に生まれてきたのではあるまいかと疑いたくなるほど、話好きの人間がいる。そして彼らは職場の仲間たちから暗黙のうちに選びだされた咄の衆として、皆の者を笑わせることに没頭する。 彼らは地下労働という極度の特殊条件の生み出した特殊技能者だ。地上の職場であれば、いかに苦しい労働であっても、時には眼を窓外に向けて青空を仰ぐことができ、草の上に腰をおろして煙草の一服もできる。昼休みにはキャッチボ-ルやソフトボ-ルを楽しむこともできる。しかし、地の底の暗い狭い職場では、たとえどれほど長い休憩時間があったところで、なに一つリクリエ-ションになる娯楽もスポ-ツもない。昔の炭鉱には火番所があって、そこで刻み煙草を吸うことができたが、今はよほどの小ヤマでもないかぎり、煙草どころではない。
 明治時代の鉄製のごつい安全燈をなつかしそうに愛撫しながら、ある老人がこう語ってくれたことがある。 「昔はよう炭車待ちの時なんかに、これを珍宝で何個ぶらさげらるるか、競争して遊びよったもんですたい。 若うして元気のよかとは、一遍に七個ぶらさげたとのありましたばい。 ばってん、これも、女の坑夫のいっぱい見物してにぎわいよったころの話ですたい。 野郎ばっかりになったら、そげな威勢はなか。 こっそり蓋を開けて裸火にし、それを誰が一番に屁で吹き消すかちゅう、そげな辛気くさか遊びだけになってしまいましたや・・・」と。 
 今も昔も坑内を蓋う辛気くささに変りはないのだ。 そして唯一最大の救いは、黒い顔の咄の衆がもたらしてくれる笑いであった。 彼らが地底で果たしてきた功績は、いかに評価しても過大評価に陥ることはないだろう。 
 しかし、これはあくまで彼らの仕事の半分であり、半面であったことを忘れてはなるまい。労働者を笑わせることにも劣らず重要な仕事があったからである。 それはほかでもない、地獄の底の鬼どもを笑わせる任務だ。たとえば採掘を禁止されている場所の石炭を こっそり掘って積みこんだり、労働量の計算の基準になる測量標識をひそかに塗りかえたりなど、現場係員たちに発見されては 都合の悪い仕事にとりかかろうとするとき、彼らは選ばれた笑いの狙撃手として途中に待ち伏せ、一休みしている風を装いながら、「髭をはやして鉄の杖ついて」やってくる敵を呼びとめる。 あるいは用件にかこつけてみずから現場詰所まで押しかける。そしておもむろに話の中へ引きこむ。いつのまにか鬼どもは時のたつのも忘れて笑いころげ、「それからどうした」「それからどうなった」と膝をのりだして聴き入る。古老たちの話によれば、まだ坑内で女が働いている当時は、このような特別重要な任務を巧みに果たすのは、むしろ女坑夫のほうに多かったという。これは女のほうが話がうまかったということより、生活が掛かっているだけに、一層真剣だったからであろう。もっとも、それゆえ話のほうも男以上に達者になったのかもしれないが。
 もちろん、この場合は、敵を欺き、その足を釘づけにするのが目的だから、話題はなるべく 身近な炭鉱生活の出来事、それもかなりきわどい男女関係の暴露に傾斜するのは当然であるが、いかにもこの眼で見たようにつくり話をする技術は、こうした陽動作戦によって鍛えられたのであろう。 しかし、いずれにせよ、黒い顔の寝太郎たちが咄の衆として地底の抵抗の一翼を担ってきたことは、きわめて興味深いことではあるまいか。 
3.時を刻む楽天主義
 ここで、文字どおり時を稼いだ寝太郎の話を一つ聞いてみることにしよう。-あるヤマに久ちゃんという大スカブラがおった。仕事にだけは休まずに出るが、要するに出るというだけのことで、全然働こうとしない。昇るが昇るまで、それこそツルバシの柄も握らなければ、ボタ一つ動かそうとしない。それでは、いったいなにをしておるのか。係員詰所へ時間を聞きにゆくこと、ただそれだけであった。朝、入坑して仕事現場に着き、皆が仕事に掛かろうとするとたん、彼はこう大きな声でいう。
 「もう何時になるやろうかな。いっちょ、時間をみにいってやろう」 
 そしてすたすたと詰所のあるほうへ昇ってゆく。いったら当分は帰ってこない。詰所で係員を相手にだぼらを吹きまくる。 そのうちやっと腰をあげて、のこのこ現場へ戻ってくると、今度はこういう。
 「おい、もう八時を過ぎちょるぞ。 なんばぐずぐずしよるな。 憩うて一服せんな」 
 皆がカキイタやガンヅメを投げだして腰をおろすと、久ちゃんは彼らを相手にだぼらを吹きまくる。やがて皆が腰をあげてふたたび仕事にとり掛かろうとすると、彼もふたたびこういう。「もう何時になりよるやろうかな。いっちょ、みにいってやろう」
一日中がそのくり返しだ。ほかにはなに一つしない。そして戻ってくるたびに大きな声でいう。
  「おい、もう十時になりよるぞ。もうすぐ飯にせえよ」
 「おい、もう十一時ぞう。 はよ、飯ばくらわんか。働くばっかりが能やなかぞ」
  「おい、もう一時を廻っちょるぞ。そろそろ終わる段取りにせんか」 
 「おいこら、もう何時になったと思うか。二時を過ぎちょるぞ。ばたばた片付けて、はよ昇らんか」
 とにかくこんな調子で、柱時計の振子のように 現場と詰所の間をいったりきたりして時計を知らせるだけで、さっぱり働かない。なにしろ十人たらずの掘進の組だから、こんな男が一人でもおったら、たちまち外の者が「ボタをかぶる」ことになる。彼の分まで働いてやって、彼の分だけ損をすることになる。嫌がられるのが当然だろう。 ところが不思議なことに、この男にかぎって、誰一人として嫌がる者はなかった。それどころか、久ちゃん久ちゃん、と心から可愛がられた。なに一つ働かないのに、彼がいる日はどんどん仕事がはかどり、彼が休んだ日にはさっぱり能率があがらなかった。そして彼のいない日の職場は、八時間が倍にも三倍にも感じられた。それにしても、彼も御苦労なことだ。 詰所が近くにあるときにはそれほど苦労はないが、いつもそうとばかりはかぎらない。 急な坂道やら、天井の低いところも、ふうふういいながら昇ったり下ったりしなければならんことも多い。それでもやっぱりこの男は、苦にもせず、毎日毎日、朝から晩まで、ひっきりなしに往復しておった。
 しかし、たった一度だけ、彼が時間をみにゆくのも忘れて、気違いのように働いたことがある。 それは断層掘進中のマオロシ坑道が大落磐して、彼を除いて全員がその奥に閉じこめられたときのことだ。 なぜ彼だけは閉じこめられなかったのか。例によって詰所へ時間をききに昇っていたからだ。さいわい、一名の負傷者もなく、無事に救出されたが、そのときの一番の働き手が、この大スカブラだったのである。坑道いっぱいにぎっしりつまったボタをはねのけて、皆を救い出すまでというもの、彼は一度も休まず、一度も交替せず、崩れ落ちた牛のような大岩を、ボンコシで叩き割ったり、押しのけたりした。 救援隊をまるで自分の手足のように動かしたのも彼だ。 鉱長も課長もなかった。 どんな偉いやつも彼にどなられて、きりきり舞いして働かされた。 おかげで、やっと皆が救出されたとき、この男のいうた言葉は、「このアホタン! きさまどんのおかげで、俺は時間をみにいくひまもなかったぞ!」 これだった。
 薩摩大口出身の鹿子木半兵衛という労働者から聞いた話であるが、いかにもスカブラの面目をいきいきと現わしたものといえるだろう。 日ごろは縦のものを横にするのさえ面倒がる寝太郎が、ある非常事態に直面するやいなや、まるで人間が変ったように獅子奮迅の大活躍をし、あっというような 手柄をたてるという筋書きであるが、これは一見なんとよく昔話の主人公たちの致富譚に類似していることか。 ただし、これは炭鉱のスカブラ話に共通した実在の人物の口承記録であるから、彼は富も積まなければ、長者の娘聟になるわけでもない。 炭鉱と事故が悪縁の夫婦のごとく結びついて離れないのと同様に、地底の寝太郎の活動もまた、炭鉱事故の犠牲者の救援作業と宿命的に結びついている。 彼はただせいぜい予想外の大奮闘をしたことを笑い話の種にされるだけのことで、社長にもならず、鉱長にもならず、後はふたたび元の木阿弥のスカブラに戻ってゆくばかりだ。 そもそも彼は最初からそんな者になりたくて奮闘したわけではない。 彼はむしろ寝る時間や、時刻を確かめにゆく時間を、そのために奪われたことを恨めしく思うだけである。 しかし、私がここにこのようなスカブラ話を紹介してみたのは、とりたてて彼らの奇蹟的にして超人的なる英雄的闘争を強調せんがためではない。 むろん、それはそれで見落すことのできない特長にちがいないが、その程度の英雄なら、アメリカ西部劇の 「リオ・ブラボ-」 のアルコ-ル中毒の保安官と大差あるまい。 要するに皆殺しのラッパの響きと同時に ぴたりと手の震えがとまって、後はもう百発百中、撃って撃って撃ちまくったという武勇談にすぎない。 しかし、私の興味の中心はそこにはない。 私にとってなにより意味深く思われるのは、彼がたえず時を知らせつづけたということである。
 彼はけっして単にラジオの時報をつとめたのではない。 彼はみずから地獄の柱時計の振子となって ゆれ動くことによって、みずからを時そのものと化したのではあるまいか。 そして既存の物理的な時刻とはまったく異質の秒を刻みつづけたのではないのか。 彼が休んだ日は、それこそ時間の流れが凍結してしまったように感じられるのも、けだし当然というほかない。 堪えがたい時をみずからの運動としての時と化してゆく者、それこそが寝太郎であり、スカブラであろう。 スカブラとは、もっとも絶望的な秒読みの音に 肉体を刻まれつつ生きてゆく楽天主義の名でなければならぬ。 
 「ばってん、いまの炭鉱にはスカブラもおらんごとなってしもうた。 坑内に下っても、全然面白うなか。 スカブラのおらん炭鉱なんち、まったく意味なかよ」
 こう、やけっぱちに現在の炭鉱労働者たちは悔やみ、かつ呪う。 なるほど、もはやスカブラの生きてゆける状態ではなかろう。 合理化は、そのような非合理の存在を許そうとしないからである。 しかし、かならずや新たなスカブラがふたたび地底に発生するにちがいない。 なぜなら、もっとも虚妄なるものによって現実の仮面の皮をはぎとることこそ、スカブラの生命であり、存在理由であるからだ。 しかし、もとよりこれは労働者が真に極限状況における楽天主義者であるかぎりにおいてである。

 付記、スカブラのことは一名 「ウサギ坑夫」 とも呼ばれる。兎は後脚が長く前脚が短いため、坂を昇るときは早いが、下りは遅い。それと同じく、スカブラも坑内に下るときは誰より一番のろいくせに、逆に坑内から昇るときは一番早いところからの比喩である。 いや、兎はあっちへ跳ね、こっちへ跳ねするところからきたケツワリ坑夫の異名だという説もあるが、やはりもとはスカブラの比喩だったであろう。もっとも、スカブラはすぐケツワリスカブラへと発展してゆく傾向が強いから、ケツワリ坑夫の異名だといっても、かならずしも間違いということはできないだろうが。 

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