希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

我慢を強いること、不幸せとなる元凶

今からとても当たり前のことを言います。

「オシッコやウンコを我慢するのは身体に悪い」

・・・すみません、いきなりシモの話をしてしまいました。

ても、これって子供でも分かることですよね。

 

私たちは、生活していくうえで色々と我慢しています。

時として、自分の意に反して我慢を強いられることもあります。

学校では教師に、勤め出してからは上司や経営者といった目上の人たちから我慢もロクにできないような奴は使えない、といったことを叩きこまれ続けます。

日本では特に「我慢は美徳」という風潮が色濃く残っています。

 

もういい加減、それこそ「我慢の限界!」

・・・と齢四十を超えたときに私は開き直り、生き方や働き方を変えようと決心しました。

もう15、6年前のことです。

そして、4年前に大病を経験してそれが加速されました。

 

私は何も我慢は全部やめよう、と言いたいわけではありません。

社会の秩序を乱すような行為や我慢しないと命にかかわるようなものは当然に我慢は必要です。

でも、それ以外のもの、特に他者からの「思い込みや偏見にまみれた常識」による我慢の押し付けは拒んでもいいと思います。
拒んだとしても、生きていくうえで全くもって問題はありません。

今までよりもかなり気持ちが軽く明るくなり生きやすくなります。

 

「石の上にも三年」

つまり、我慢を続けた後にこそ成功を得られる・・・と私たちはずっと刷り込まれてきました。

でも、この世の中を見渡してみてください。

多くの人たちが我慢我慢の連続で、幸せを感じずに生きている・・・

そうは思いませんか?

 

人は生きていたら、色々なことに遭遇します。

我慢をしなければ、克服できない出来事・・それって本当にそうですか?

我慢する以外にもいくらでも打つ手はありませんか。

そもそも今していることを「我慢」と感じている時点で何か間違っていませんか。

 

今までの思考様式を少しだけ変えてみてはどうでしょうか?

「本質的なものをつかむ」ようにちょっとだけ深堀して考えてみるのです。

きっと何かが見つかりますよ。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。

 

あえて「少数派」になってみると・・うまくいくかも

私たちはおそらく「多数派になると安心する」という感情をあらかじめ組み込まれているのかもしれません。

特にみんなと同じ」だとこの安心感はマックスになります。
もしかすると、義務教育は「みんなと同じ」になるように訓練することが主な目的なのでは、と私は勘ぐっています。

確かに多数派に属すると、かなりの部分で生きていくことが便利になります。

社会の仕組みは多数派の利便性を高めることをベースにして作られているからです。

だから、無理なく多数派に属してその価値観を共有できる人は、それなりの幸せを得る可能性が高くなります。

 

しかしながら・・・人間というのは十人十色、人それぞれです。

多数派に属せない人、属するのを潔しとしない人が「少数派」となります。

一般的に言えばこの少数派の人たちは生きにくくなります。

時代とか国によっては、多数派にあらがう不届き者として殺されたりします。

だからか、世の親の多くは我が子を「普通」になるように多数派に入りやすくするための躾や教育をします。

 

私は自分のことをバリバリの少数派だと自認しています。

特に仕事や働き方についての考え方、生き方についてはずっと世間の標準からズレていたと思います。

ただ、昨今、特にコロナ騒動以降は世の中の流れが若干変わってきているように感じます。

私を苦しめてきた昭和的価値観が薄らいできています。

 

しかしながら・・・

娑婆はやはり多数派にとって生きやすいことには変わりません。

 

私のあくまで個人的な考えですが・・・

今の世の中で生きづらさ(特に仕事や働き方で)を感じている人は、あえて自分が持っている少数派的な要素を消さずに、むしろ強調していった方がうまくいくのではないでしょうか。

俗にいう「逆張り」に近いやり方ですね。

多数派が鎬を削るレッド・オーシャンの中でいると、かなり消耗します。

ならば、少数派の側に身を置き、ブルー・オーシャンの中で自分にフィットした生き方や働き方を模索し実践してみるのです。

少数派と言っても、公序良俗に反するものはだめですよ。

また、あまりにも誰にも受け入れられないものも同様です。

まあ、世間のスタンダードから「少しズレている」程度のものにしておきましょう。

 

無理して多数派のためにあるような価値観に合わせず、「自分軸」でもって生きていく・・・

すんなりとこの生き方を貫ければ、自分に自信を持ち続けることができて、自己肯定感も高いままに保つことができます。

 

言うは易く行うは難し・・・

と言う人たちも多いと思います。

 

簡単に実行できますよ。

自分が本当に好きなこと・本当にやりたいと心の底から思っていることを本気でやればいいのです。

しかも、楽しんで、ワクワクしながら。

大丈夫です、なんとかなります。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。

 

「一旦決めたことは最後までやり遂げるべき」という呪縛

子どもの頃によく言われたものです。

「一度決めたことは最後までやり抜きなさい」と。

この精神(?)というか心がけは大人になっても私をずっと縛り付けていました。

 

私は新卒で神戸市役所の職員となり、働き始めてすぐに「これは俺に向いていない!仕事をするのが辛い!」と感じたのですが、辞めるのに5年ほどかかってしまいました。

当時は今よりずっと会社を辞めることの障壁が大きかったのですね。

ましてや、新卒で入ったばかりで、しかも幹部候補採用の公務員なんて辞めようと思うことがどうかしている・・という感じでした。

 

私はちょっとばかり自営業・フリーランスでやっていた仕事をしくじり、サラリーマンに戻ろうとして転職活動をしていたことがあります。

今から15、6年前の頃です。

その時の転職の「常識」として・・・

・転職経験は3社まで

・35歳が限界年齢

・自営やフリーランスの経歴はキャリアとしてカウントしない(むしろ不利になる)

・・・といった謎ルールが存在していました。

この謎ルールのせいかどうかは分かりませんが、私のサラリーマン出戻り計画は不首尾に終わりました。

今となっては正解だった、ラッキーだったと思います。

 

私の仕事を始めてから歩んできた道を振り返ってみると、見事に昭和的価値観に翻弄されっぱなしだったなぁ・・・と。

でも、わたしはこれはこれで良かったと思っています。

強がりでも何でもなく本心からそう思えます。

 

やはり、というか至極当たり前のことなんですが・・・

「好きなことや得意なことを仕事にした方がうまくいく」

「嫌なことや向いていないことを無理に続けても、うまくいかない」
ということを実感しているわけです。

 

一度決めたことは最後までやるべき、という価値観は職業や生き方などが生まれによって予め決められていた時代の遺物に過ぎない、と私はそう思っています。

その遺物が、政治体制や経済システムが変わっても、しぶとく生き残っていたのです。

そして多くの人たちがその遺物から生じた呪縛によって生きづらさを抱えつつ、生涯を終えてきたのです。

 

平成の終わりころから令和にかけての時代に、ようやっと世の中の空気が変わってきたように感じています。

次の時代を背負っている人たちに、私が味わったような息苦しさは感じてほしくない・・・とつくづくそう思います。

 

「自由に、のびのびと、軽やかに、とことんまで自分のことを信じよう」

・・・とエールを送ります。

そして・・・「大丈夫、なんとかなる」と付け加えて。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。

みんなと仲良くなんてなれるわけがない

少し前に「ぼっち飯」なる言葉が流行りましたね。

一人でご飯を食べているのを見られるのが恥ずかしいとか、トイレで食べるとか・・・

私が学生の頃を思い返しても、昼ご飯を仲間でワイワイ言いながら食べている人がいれば、ひとりで食べている人もいて、別にそんなことなんて気にも留めていませんでした。

 

「一年生になった~ら、友達100人できるかな」なんて歌がありましたが、私はこの歌が今は大嫌いです。

ほっといてくれよ!

・・・と言いたくなります。

 

私たちが、特に義務教育を受けている時ですが、刷り込まれている「思い込み」に「誰とでも仲良くしなければならない」というものがあります。

この刷り込みは、人生の後半部分までその人の行動様式や考えに影響を及ぼすことが多々あります。

悩みの多くは、人間関係に起因するものです。

 

その人間関係の悩みの原因は、色々とありますが、その多くは元をただせば「誰とでも仲良くしなければならない」という思い込みによって引き起こされているのではないかと私は考えています。

 

「友達は多ければ多いほど良い」

これも似たような思い込みですね。

昨今は、SNSの影響もあって、知り合いが多いほど社会的評価が高くなるという一面もあります(芸能関係に特に顕著ですね)。

 

このように、「誰とでも仲良くなれて、かつ友達が多い」人ほどスクールカーストの一軍にれるし、リア充(もう死語かな)であるとの考え方が広まれば広まるほど、当然のことながら当てはまらない人も多く出てきます。

この当てはまらない人たちは他者から勝手に不幸認定されたりします。

不当に評価を下げられたりもします。

一部の人はそれらのことによってさらに落ち込んだりして、ドツボに嵌ります。

 

このエントリーのタイトルにした「みんなと仲良くなんてできるわけがない」という至極真っ当なことをわざわざ言わなければならない、とは嘆かわしい・・・

とは言え、嘆いてばかりいてもどうにもなりません。

私たちは幸せになるためにこの世に送られてきたのです。

こんなしょーもないことで幸せになる邪魔なんかされたらたまったものではありません。

 

まずは、なかなか人と仲良くなれなくて、友達が少なくても、そんな自分を否定しないことです。

自分を信じて、自分を肯定すること。

まあ、徹底的な自分の肯定はこの問題に限らず、あらゆる問題を解消するためのベースとなりますが。

自分自身を徹底的に信じ、肯定するしか潜在意識まで浸食した思い込みを消し去る方法はありません。

 

しかし、言うは易く行うは難しです。

ならば、誰とでも仲良くなるのではなく仲良くする、あるいはふるまう、演技することで凌いでみてはいかがでしょうか。

これは昔からさんざん言い古されてきたことではありますが、かなり有効な対処法だと思います。

本心ではない言動を意図的に周りに合わせるように振る舞うことは、生きていくうえでの智慧ですし、これができるということは人間的に成熟している証である・・・と私は思っています。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

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承認欲求ってクセモノ、クワセモノ?

私は積極的にはSNSを使っていないので、この分野の諸々の問題については疎いのですが、よく言及されているキーワードとして「承認欲求」があります。

確かに私たちは人に認められれば嬉しいし、認められなければ凹みます。

私は承認欲求というのはこの程度のものだと高をくくっていました。

こんなもの誰でも持ってて、良いも悪いもない、単に程度の問題に過ぎない、と思っていました。

しかしながら、どうやらそうではなさそうなんですね。

 

ちょっと前からのSNSの興隆、それに伴うトラブルの数々・・・

多くの識者と称する人たちは、承認欲求の暴走である。

その結果として自己愛が肥大してしまっているからだと・・

そうおっしゃるわけです。

 

まぁ、確かにそういった面もあるでしょうが、本質的には違うのでは・・と思えて仕方がないのです。

違和感を抱いてしまうのです。

 

私は承認欲求が強すぎて、暴走しがちになるのは、その人が決定的に自分を愛せていないからだと考えています。

そして自分自身という人間を信じられない。

自分を愛せず、信用も信頼もできないかゆえに、他者に執拗に自分を認めてもらおうという行動を繰り返すのです。

昔からこの手の人たちは一定数存在していたのですが、SNSが行き渡ったことで可視化されてきただけなのだと思います。

 

それと、承認欲求は自己肯定感と強く関係しています。

自己肯定感が高く保たれていれば、承認欲求なんてそんなに生まれません。

承認欲求が強いのは自分の自信のなさの表れなのですから。

 

私の持論なのですが・・・

現代社会は多くの私たちの自己肯定感を削ぐための装置を用意し(義務教育・メディア・会社等)執拗なまでに私たちのそれを損なわせています。

そんな状況下に生まれ、生きていくうちに当然に人々は自己肯定感を損ないます。

それにプラスしてSNSの興隆といった事象が相まって色々な問題や事件が多発しているのです。

 

私はこれらのことに気付き、自衛策をとっています。

その方法とは、私の自己肯定感を損なおうとするものを排除すること。

・・・至ってシンプルな方法でして、取り立てて珍しくはありません。

具体的な方法としては・・・

テレビは原則として観ないこと、

この社会を闇雲に否定する内容の著作物・ネット記事の類はさっと目を通すだけにするといったところです。

それと、これは昔からやっていたことなのですが、人から私を否定するような言葉をなげかけられたら、私は「はっ、それが何か」と聞き流します。

徹底的に無視して、すぐに忘れるようにします。

口に出したら余計なトラブルが起きますから、あくまで心の中で呟くだけです。

これらの方法は私にとってはかなり効果がありました。

 

もし、皆さんがSNSで嫌な絡みをされたら、あるいは悪目立ちしている人を見かけましたら・・・

「ああ、この人は自分のことが大嫌いで、自分を信じられない可哀そうな人なんだ」と思ってスルーしましょう。

下手に相手に合わせることはありませんよ。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。

 

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