愛してるの響きだけでお金になる気がしたよ

文筆業リハビリ兼子育て日記兼劇団日記兼はきだめ

突発性発疹

f:id:hyojoy:20151118141950j:plain

 

本当に手がかからない子だったと思います。

夜泣きもしない、かんしゃくも起こさない、体も丈夫、聞きわけもいい。

数少ないママ友が抱える、夜寝てくれないだとか、離乳食を食べないだとか、そういった悩みとも全く無縁で、この一年二カ月、周りの支援もあって、比較的子育てと自分の時間の両立が出来ていたように思います。

 

それがこの三日間、全く出来ない。

昼寝と就寝意外に自分の時間がほとんどない。

なぜかって、突発性発疹になったからです我が子が!!!!

 

40度越えの熱を出したのが五日前、ぐったりしている我が子に気付き、いよいよやばいやつがきたかと病院に行くと「ただの風邪でしょう」と診断されました。

解熱剤だけ頂き、その日はそのまま就寝。

次の日の朝、おむつを換えようとズボンを脱がすとこんな感じに(軽く閲覧注意)

 

f:id:hyojoy:20151118142825j:plain

 

ヤバい!!!!!

はしかじゃないか!?!?これは!?!?!?

 

驚きすぎたのか、写真に写っている私の目が死んだ魚の目のようです。

と思ったけどいつもでした。

 

で、取り乱すのもそこそこに、また即病院へ。

実は風邪と診断を受けた病院はかかりつけの小児科ではなかったので(その日は休診日)今回は近所のかかりつけへ行きました。

病院へ行く道すがら、ふつふつと怒りがこみ上げてきます。風邪は誤診だったのではないかと。はしかじゃねえのかよと。

「そういえばなんだかセレブ気取りでむかつく感じのママさんどもがいっぱい来てたいけすかねえ病院だったぜ。気さくに開業しやがってよ。誤診だったらすげえ悪口とかネットに書いて店畳ませてやるからな。」

今思えば全くの言いがかりなんですけど、実際こんな気持ちで病院まで歩きました。

 

実は私、20代で水疱瘡にかかったことがあるのです。

誤診されること二回。三回目にかかった病院でやっと水疱瘡と診断されるという苦い過去があり、そしてこれがまた人生の「辛いことランキング」の上位に食い込む程きつかったこともあり(ちなみに第一位は陣痛です)水疱瘡やらはしかからおたふくやら、そういう病気を本当に恐怖と感じていたのもあり、まあ、あと基本的に医者にあまりいいイメージがないのもあって、誤診だ誤診だクッソこれは大変なことになるぞと心の中で怒りの炎を燃やしながら、かかりつけの病院へ行きました。(ていうか二十代にもなって水疱瘡なんかにかかる自分が悪いんですけど)

 

「ああ、はしかじゃないですよ。はしかはもっと大変。元気でしょ、この子」

 

いつも我が子を見てくれるおじいちゃん先生はそう言うと、耳慣れない言葉を口にしました。

 

突発性発疹ですね」

 

とっ……?ほ…っ?しん…??

 

あまりに聞き慣れない言葉すぎて(出産前に勉強してなかった)山から下りてきて初めて人間と出会ったモンスターのように聞き返してしまいました。調べてみると、一歳くらいのこどもにはよくある病気なんだとか。

高熱→熱おさまる→ブツブツ

の流れで、はしかやおたふくなんかに比べると「ああ、あれね、はいはい、ちょっとしんどいかもねー」くらいの、取り立てて大騒ぎするほどでもない病気で。また、初期症状だけでは「突発性発疹」と診断するのは難しく、診断されたとしてもとりあえず様子を見るだけ、なすすべなし、時が経つのを待つだけ、みたいな、そんな感じのやつで、「こんな大騒ぎしなくてもよかったなー」なんて、ほっとして帰宅したんですけれども。

 

 

この病気、中には「不機嫌病」なんて呼ばれていたりすることもあるようで。

もう、とにかく機嫌が悪いんです、ずっと。

だっこしてもぎゃあああああ、おっぱいあげてもぎゃあああ、寝かせようとするとぎゃあああ、おもちゃあげてもぎゃああああ。わあああああああああああ。

もうどないせえちゅうねん状態のまま、本日が三日目なのです。

 

先生の見立てではそろそろブツブツも引き機嫌もよくなってくる頃なのですが、依然として画像のような状態です。

私に出来ることと言えば、時が過ぎるのを待つのみ。

この記事は昼寝の最中に書いています。

来月10日には締切があります。

祈 る の み で す 。

 

 

 

 

 

交差点でペンタブ貰ったよ

f:id:hyojoy:20151117214508j:plain

ツイッターでペンタブが欲しいペンタブが欲しいと騒いでいたら元劇団スタッフのK松がペンタブくれました。

言ってみるもんです。すごいぞツイッター

誰か二十万下さい。十五万でも助かります。

 

そんなわけなのでこちらのブログやツイッターにちょいちょいらくがきが登場するかと思います。絵の勉強などをしたわけでもなんでもないので、ちゃんとした絵日記なんかやってるイラストレーターの方とかには怒られそうですが、私には私の「自分だけが見て嬉しいとてつもなくいやらしい絵を描きたい」という願望があって絵を描きはじめた経緯があるので、その辺はカンベンして欲しいところですね。

ですね、じゃないですよね。ごめんなさい。

 

あと今更ですけどツイッターは@hyp39でやっています。

自分の作った劇団名をアカウントにしちゃうとかどうです。なかなかイタイでしょう。

愚痴やくだらない事や人の悪口がお好きな方にはオススメのアカウントとなっておりますので、ご興味あれば是非よろしくお願い致します。

 

 

画像は絵日記を描くにあたって、私や我が子や旦那をキャラ化せねばなるまい、と思い、(リアルな絵の育児漫画とか実体験漫画とかWEB媒体であんまり見ませんよね。なんでですかね。生々しくてキモイからですかね)ジョジョを愛して二十年の旦那をジョジョ風に美化して描いてみたんですけどビックリするくらいクソめんどくさいのでやめました。右のでいきます、右ので。すごい似てると思う、右の。

 

 

さて、日付順で行くと前回の記事で妊娠が発覚しまして。

これでやっと妊娠発覚後の生活の様子をお届け出来ると思ったんですけど、今ちょっとそれどころじゃなくなっちゃったんですよ。

 

我が子が噂の突発性発疹というやつになってしまいまして。

これがもーね、本当に大変。

育児歴まだ一年と二カ月だけどもしかしたら今が一番大変かもしれません。

何が大変って、その話を今日しようと思ってたんですけど、絵描いて疲れたんで明日にしますね。

おやすみなさい。

 

えっ?読み応えがないって?

多分夜中ツイッターにいるのでそちらをどうぞ…(新手の宣伝)

 

 

妊娠発覚 その3 (ちゃんと発覚します)

 

やべえ、もう前の記事から一週間も経ってる。

二十代の頃先輩方にかけられた「三十過ぎたら早いわよ」の呪いの効果を日に日に噛みしめていますが、最近は「四十過ぎたらもっと早いわよ」という新たな呪いをかけられており震えあがっておるところです。そんな加速装置いらないよ。

わたくしも三十になってそろそろ半年が経とうかというところで、正々堂々とドモホルンリンクルとかSK-2のお世話になれる年頃なんですが、うーん、三十を過ぎたから、というよりも、子供が生まれてからが本当に早い気がしますね。多分、ちゃんとした専業主婦の方に比べたら、自分の時間もなんとか作れるし、外にも一人で出たりしているのですが、家に居て子供と過ごしていると本当に時間が経つのが早いです。あー子供可愛い、可愛いわー子供ー、って、はしゃいでたらもう夜、みたいな。この記事だって書き始めたのが夕方四時で、合間合間にあー子供可愛いわーってやってたらもう今夜中ですもんね。一時ですもん。眠いですもん。寝ようかな。もうちょっと頑張ろうかな。今回もリアルタイムでお届けしております。

 

さて、この一週間何をしていたかというと、今年で劇団を卒業?引退?する宮澤という劇団員のお見送り旅行に行っていました。伊豆の、劇団スタッフが経営する別荘で二泊三日。超楽しかった。旅行ってあんな楽しいもん?すっごいはしゃいじゃった。大人なのに。その辺のお話はまた次回ということで。

 

そんなわけで完全に更新するタイミングをなくしてしまいましたし、もうどこまで書いたのかも記憶が朧です。そしてあまりにも反響がないので段々「読んでるものはいないのか」状態になってきました。まあでもいいや。とりあえずリハビリなので。書いていきます。

  

f:id:hyojoy:20151103005757j:plain

 

前回の記事では二月の公演前から公演中の様子を書きましたが、まあ、その後、なんやかんやで発覚しました。引っ張った割に雑ですいません。箇条書きにしますと、

 

本番終了後、体調不良がなかなか戻らない

→そういえば生理もこない

→そういえば食欲もおかしいし体重の増加もやばい

→念の為妊娠検査薬を使ってみる

→例の赤いライン出る

→それでもまだ信じられないので病院へ

→三ヶ月です

→できとるやないかい

 

みたいな感じでした。

ちなみに発覚した当時の私の心境は「やっべー、あーそう、そうかー、まーなー、しょうがねえよなー、あーそう、へー、あそっかー、生むかー」みたいな感じで意外にうろたえもせず、旦那も「あーそう、へー、そっかー、まあそうなるよなー」みたいなで、あっさりしたもんだったんですが、劇団内、劇団員とスタッフの衝撃たるやとんでもなかったようで。

劇団内のグループラインで妊娠のことを皆に伝えたら誰も信じてくれなかったり(またまた~、みたいな感じで流す人と、悪い冗談言うなあ、って感じで全くスル―だった人もおりましたね)前回の記事に書いた相方役・丸光なんかは、旦那から居酒屋で私の妊娠を告げられ、「へえ、そうなんすか」と平静を装いながら震える手で枝豆をひたすら食べていたらしいとか、同じく劇団員、津枝新平は電話で直接私から妊娠したと聞き、全く身に覚えがないのに何故か自分の子供ができたような気になって、将来を見つめなおしたりしたようです。(電車内で聞いて、膝から崩れ落ちたそうです)

基本的に私も旦那も格好つけなので、自分が気持ちいいことをしておいてやべえやべえとオロオロすんのもダサいよなあと、発覚して結構すぐに腹は決まってしまったのですが、それでもやはり、自分の状況を色々と考えてみると出産と子育てへの「不安」はありますし、何なら「不安」しかありませんでした。しかし、夫婦そろってその「不安」が「堕胎」という判断には繋がることはなく、すぐに「生む」ということに決まりました。

ちなみにですが、私も旦那も全く子供が好きではありません。私に至っては一生子供は作らない気でおりましたし、親にも二十歳をすぎた頃からずっと孫は諦めてくれと言ってきました。そして私はずっと旦那を子種を持たない男性だと思っていましたし、(幼少期に大病を患い、出来にくいと言われていたので)結婚もする気はありませんでした。さらにちなみにですが、私はこれまでペットを飼ったことがありません。植物も育てたことがありません。もっと言うと、そういったものの世話をするということが嫌で仕方がなかったのです。動物や植物でさえも、私の人生には煩わしいだけでした。私はそれほどまでに自分が可愛く、一生自分の世話だけをして生きていたかったのです。

 

この辺は旦那に詳しく聞いたわけではないので私だけの心情なのですが、

端的に言うと、私は「堕胎」の十字架を背負いたくなかったのです。

「堕胎」する勇気がなかった、ともいえます。

 

勿論、堕胎という事象や、堕胎という判断を下した方にも様々な事情があり、それを一概に否定する気はさらさらありません。それでも私はしたくなかったというか、できなかったのです。「私は人間をつくってしまった。そしてその人間を、自分の意思で殺すのだ」という重圧と責任に、耐えられなかっただけなのです。今思えば、ものすごくマイナスな思いで出産を決めてしまいました。私にとっての妊娠発覚は、喜びに満ち溢れたことではなかったのです。

 

画像は母子手帳というものにサインをする私です。

思えばこれが母親としての第一歩だったような気がします。

今も母親になれているのかどうか定かではありませんが。

 

ああ!なんかすげえ真面目!だしなんか暗い!!

どうしよう!!やっと発覚したのに暗いよ!!!!

次回は明るい記事にしたいと思います!!!

妊娠発覚 その2

f:id:hyojoy:20151025001405j:plain

 

先日のブログでは2013年年末年始の、妊娠初期の私のゴミのような生活の様子を少しだけお届けしましたが、2014年の2月までは妊娠に気付かないので、まだまだゴミのような生活は続きます。運よく無事に生まれたけど、妊婦としてしてはいけないことのほとんどをしてしまっております。ああ、昔の自分をどつきたい。バールのようなものでどつきたい。それじゃ痛すぎるだろうから、バールのようなものを粘土で作ってどつきたい。そしてそんな自分をほめてあげたい。

さて。

画像は「万歳夫婦」という、当時のネタの稽古の様子。まあ、簡単に言うと、どつき漫才なんですこのネタ。隣に写っているのは相方役、劇団員の山崎丸光。この時既に妊娠ひと月以上経っているのですが、私も、勿論丸光も、全く気付いておりません。なので、

 

f:id:hyojoy:20151025001420j:plain

 

稽古の度にこうしてどつきあっていたわけなんですね。

いやもうどつきあってませんねこれ。とっくみあってますね。とっくみあってすらないかな?絞め技かけられてますね私。本気のやつですね。写真はこれしか残っていないのですが、このネタ、「どつき漫才の稽古中に浮気が発覚して喧嘩になり本気のどつきあいがはじまる」みたいな、そういうネタでして、あの、うちの劇団(HYP39Div.)をご存じない方には本当に「知らんがな」としか言いようのないことなんですけど、うち、マイムとか、そういったものをほとんどしないんですよね、芝居中に。なんで、ひっぱたくシーンならひっぱたくし、乳揉むシーンなら乳揉むし、こうやって、とっくみ合うシーンなら本気でとっくみ合うんです。時には床に叩きつけられたり、壁にぶつけられたりもするんです。

 

当然ですが、妊婦というものは、週三で、大の男ととっくみあいをしてはいけません。(勿論、女ともしてはいけません)

 

それに加えて、稽古の後は毎度酒盛り。さらに、年末年始の台本締切地獄にて弱った体での稽古ということで、がっつり風邪をひいてしまいました。風邪をひけば薬を飲みますよね。前述しました通り私は本当にズボラというかズボラを通り越してただのクズなので、熱が四十度を越えなければ病院にも行きません。この時病院に行っていれば、もう少しマシな対処が出来ていたと思うのですが、行かず、部屋に転がっている風邪薬を酒で流し込む、みたいな、もうそれはそれは、ダメなことオンパレードで、そのままひと月。

 

そして本番の様子がこちら。

 f:id:hyojoy:20151025005555j:plain

 

 浮かれ倒していますね。

本当にどつきまわしたい。

 

(腹が出ているのは妊娠のせいではなく、ただ単に太っているからです)

そしてまた本日も、リミットが迫って参りました。寝ます。ああ、今日の記事でも発覚できなかった。次こそ発覚します。

 

 

妊娠発覚

f:id:hyojoy:20151022193005j:plain

 

 

携帯のデータ整理をしていたら、なかなか頻繁に見る機会もないであろう生々しい写真を見つけましたので添付します。ちゃんと見れてるのかな。サイズのいじり方がよくわからないのですが。

いやこれ、こうして見るとホントにインパクトありますね。既に一人生んだ今の自分ですら、画像見てると膝から崩れ落ちそうになりますもんね。「これはいよいよシャレになんないぞ」って感じしますもん。まあ自分の腹の中にね、自分の知らない「何か得体の知れないもの」(この時点では多分きっと誰もがそうだと思うので、敢えてこういった表現にしておきます)がいるかどうかの判定ですからね、そらシャレになんないの当たり前なんですけども。そら一大事なんですけども。

そんなわけで、既に我が子も一歳のお誕生日を迎え、生まれる前のことなんかはかなり記憶に薄いのですが、携帯に残っている画像データなんかを頼りにしつつ、思い出し思い出し書いていこうと思います。でも今我が子の画像データ整理してたらそれだけで既に三時間経ってました。我が子超可愛いヤバいマジかわいい今寝てるけど本気可愛い。どうしよう。どうします?どうもしませんか。

 

一昨年、年末でした。

年明けすぐに劇団会議があり、二月にコントライブ的なものをするために締め切りに追われていた私は、一日三十本以上の煙草と、酒と、カフェインと、ジャンクフードにまみれた、想像と偏見だけで作ったダメなアメリカ映画みたいな生活をしていました。勿論私はドラッグはやりませんし、ロックンロールも聞きません。そもそも何がロックンロールなのかという定義もよく分かっていません。内田裕也のこともよく分かりません。でも人並みにセックスはしていました。していたので、この時点で私のお腹の中には生命が宿っていたのです。

しかし一昨年、年末。締切を控え体調は常に最悪、元々生理不順でもある私がその事実に気付くはずもなく。(いや、はずもなくって事もなく、ただ私が無知でズボラだっただけなのですが)今思えばつわりや高体温など、思い当たるふしは沢山あるのですが、当時は全く気付きませんでした。画像の妊娠判定の写真は2014年2月28日に撮ったもの。私自身が、私の妊娠に気付いたのは、妊娠三ヶ月目のときでした。

 

ここまでで既に少し長くなってしまったので、簡単に言いますね。

よく無事に生まれたな!!!!

というのが一番の感想です。

 

というのも、この、妊娠超初期状態である年末の最低な暮らしを終えた後も、二月末の妊娠発覚に至るまで、全く妊娠に気付かないまま相当無茶な暮らしをすることとなるのですが、ああ、今日もリミットが近づいて参りました。明日も朝八時には我が子と朝ごはんを食べなければいけません。タイトルを「妊娠発覚」と書いたのにまだ「発覚」の件まで書けていないのですが、それはまた次回ということで。

 

 

 

 

スタートダッシュで出遅れる

 

ずっと前からこれにしようと決めていたブログのタイトル、「暮らしの手錠」が既に何人かのブログタイトルに使われている上に、ラーメンズのネタの中にもキーワードとして出てくるという事を知って、すっかりやる気も失せ、しばらく開設したまま放置をしていたブログを、「書く」ことのリハビリの場として、ようやくはじめてみることにしました。

はじめまして、表情豊と申します。

わざわざ改行するまでもないくらい、改行が可哀想なくらい、エンターキーだって、そんな無駄に叩かれたくないよねって、同情したくなるくらい、まあ、無名の作家なのですが、せっかくなので少しもったいぶってみました。「笑っていいとものテレフォンショッキングに出演して変な名前をいじられる」という夢も叶わなくなった今、誰やねん、とか、何やねんそのふざけた名前、とかいうツッコミには自業自得ながらもウンザリしているので、さっそく日記を書いてみることにします。(酔った勢いで芸名をつけると一生後悔することになるということだけ言っておきます)

 

今日はですね、

朝から洗濯をして掃除をして一年ぶりに会う友人と吉祥寺へ買い物へ出かけ帰ってきて夕食を作り風呂に入って旦那と子供を寝かしつけ台本を書き今ここです。そうですね、端的に言うと、特になんにもない日でした。

せっかくブログを始める記念すべき日なのだから、なんかこう、オナラで空を飛んだよとか、尻子玉を抜かれたよとか、ビッグフットに遭遇したよとか、そういう、超常現象的な事でも起きればよかったんですけど、きっとそんなブログなら、一気に書籍化なんでしょうけど、本当にね、特になんにもない日でしたよ。

でもきっとこの「なんでもない日」を、そのまま「なんでもない日」にしてしまっているのは、他でもない私自身なんだな、と最近思うんです。

 

どうでもいい話なんですけど、私、今年三十歳になったんですよね。

二十代の時はやっぱり違ったと思うんですよ。「なんか面白いことないかなアンテナ」みたいなのが、いつもゴリゴリのビンビンに立ってて、西に面白そうなことあれば、ボストンバックひとつで心斎橋に突撃したり、東に面白そうなことあれば、高円寺のパチンコ屋で住み込みのバイトをしたり。二十代はそんなことが平気で出来ていましたが、気付けばもう子持ち。そしてさらに「劇団の主宰」なんていう、「責任」の二文字が両手両足に纏わりついたような立場にいるわけで。

二十代の時には多少あった文筆業へのコネもなくなり、劇団の脚本を書くのに精いっぱいで他団体への脚本提供なんかもしなくなり、客演も今はかなりの無理をしないと出来ない状態で、ただただ「なんでもない日」を繰り返す日々が続いて

 

 

 

 

 

 

ここまで三日前に書いて、今読み返して気付いたんですけど

これただの愚痴だ!!!!!

やべえ!!!!!!!

ほらごらん!!!!!!

ずっと書いてないとこういうことになるんだよ!!!!!!

 

そんなわけで、「書く」リハビリ開始です。