いばや通信

ibaya《いばや》共同代表・坂爪圭吾のブログです。

最高な人生を贈ろう。

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最終日。いばや通信最後の記事になる。6年前の2013年12月8日に「いま、ブログをはじめた方がいい気がする」と直感的に閃き、開設をした。その二ヶ月後、私は同棲していた彼女に振られる形で、ホームをレスした。自分をオープンにしている限り人間は死なない。そんな予感を覚えたので、自分のありったけを、弱さも醜さも狡さも全部、この場を借りて綴り続けた。結果、そのことによって私は生き延びることができた。自分の命綱でもあったこのブログも、これが最後の記事になる。

 

 

おおまかなスケジュール

1月5日(日)第一回茶会『家族』@神奈川県横浜市港北区「Rest Inn Peace」
1月8日(水)21時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS アコースティックLIVE@東京『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 
  

 

ibaya.hatenablog.com

 

俺たち、ずっとこのままだよ。

家のない生活は2年間続いた。様々な年代の人々にあった。一人暮らしの女性の家に泊まったことも、ビルの屋上で暮らしたことも、洞窟で暮らしたことも、クルーザーで暮らしたことも、海外で野宿をしたことも、強盗に拳銃を突きつけられたことも、全裸の高齢者に襲撃されたこともあった。様々な罵声と、様々な賞賛を浴びた。どれだけ褒められても、どれだけ貶されても、俺は俺のままなのだと思った。人間の価値は、不増不減。増えもしないし、減りもしない。ただ、笑い話が残るだけだ。最終的に、熱海に家を買っていただく形で、家のない生活は終焉を迎えた。

 

ibaya.hatenablog.com

 

様々な価値観の変化もあった。これまで、私は『他人は敵』だと思っていた。だが、出逢う人々の優しさを通じて『他人は味方』だと思った。誰もが、本当は誰かに何かを与えたがっている。理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを強く求めている。他人とは、小競り合う対象ではなく愛し合う対象である。そんな世界を生きたいと思っている。私の価値観を拡げてくれたもの、私の世界を拡げてくれたものは、全部『外側』からやってきた。素晴らしい出逢いは、人生を肯定する。私は、心の綺麗な人間が好きだ。そのことを確認する日々だった。誰かを好きになることを通じて、私は、自分自身に対する『好き』を取り戻した。

 

ibaya.hatenablog.com

 

一番最初の記事は「現状を打破する道は唯一つ、自分が恐れていることをやることだ」というタイトルだった。俺はなにも変わっていない。ずっと同じことを言い続けている。その『同じこと』とは、どういうことだろうか。 それは「やりたいことなんて、わからなくていいよ。不安や怖さを覚えることは、全然おかしいことじゃないよ。弱いから、未熟だからって、なにかをしてはいけないということではないよ。怖いなら、怖いまま、怖さを抱えたままで飛び出せばいいよ。きっと、素敵な『なにか』を覚えるはずだよ。勇気を出した人間を、神様は絶対に裏切らない。」

 

ibaya.hatenablog.com

 

最高な人生を贈ろう。

様々なものを終えて、2020年を迎える。喧嘩別れのような終わりもあれば、門出を涙で祝福し合う終わりもある。終わりははじまりで、はじまりは終わりだ。喧嘩には和解を。涙には微笑みを。人生は続く。私たちには、残されている時間がある。当たり前の話だが、このブログをはじめた6年前、私は「いまよりも6歳若かった」のだ。現在34歳。当時は28歳。28歳の自分は、今の自分から見たらひどく若く、青臭く、未熟で、不平不満に溢れているが、純粋な部分は何ひとつ変わっていない。

 

未だに世の中のことを何も知らず、何者でもなく、茫然と生きているだけの一匹のオス。それが自分の実態だ。小さな頃は、34歳とはもっとおとななものだと思っていた。だが、蓋を開けてみたら「何も変わっていない」と思う部分が、大半だ。悲しいような、嬉しいような、笑っているのか、泣いているのか、その全部なのか、ただただ「これが自分なのだ」という諦めにも似た前向きさが、内側に拡がっている。せめてもの救いは、自分が、この人生を気に入っている点だ。私は、世界を愛している。更に、愛したいと思う。愛せるだけ愛して、この星を離れたいと思う。

 

最高な人生を贈ろう。大切な人に、そして、他でもない自分自身に。やりたいことをやるために、好きな人に好きだと言うために、俺たちは生まれてきたんだ。完璧であることを求める以上に、不完全な自分を愛していこう。不完全な世界を愛していこう。不完全なら不完全なまま、そのままの姿で飛び出していこう。世界には、見つけられることを待っている宝物が、まだまだたくさん転がっている。自分の内側にも、自分の外側にも。最後に、ごちゃまぜの家の管理人をやってくれた稲村彰人の言葉を引用して、終わりにします。いばや通信はここで終わるが、私の人生も、あなたの人生も、まだまだ続く。生きていれば、また出逢える。その時、同じ時代を生きる戦友として、握手を交わせたら嬉しいと思う。最高な人生を贈ろう。

 

こんにちは、稲村彰人です。お久しぶりです。


突然ですが、年内をもってごちゃまぜの家は終了することになりました。二年前の春、坂爪圭吾さんが発起して多くの人の支援を受けて活動を開始して以来、私を含め、数多くの人がこの場所に訪れました。一つの家を「無料で誰でも自由に使える空間」として開放する、というのは、当時も今も他にあまり例を見ない意義あるプロジェクトだったと思います。


私は二年以上にわたって、主に管理人という立場でこの場所に関わらせていただきましたが、それも今日で終わります。支援していただいた皆さん、遊びに来てくれた皆さん、インターネットの向こうで応援してくれていた皆さん、住人の皆さん、坂爪さん、関わりのあった全ての方々、本当にありがとうございました。大変お世話になりました。


振り返れば、いろいろなことがありました。ただ、今はまだこの場所での日々のことが私の人生にとってあまりに多すぎて、うまく言葉にできません。初めて来たときのことをもう振り返っても思い出せないくらい、遠くに来たような気もしています。


ここに居るとよく「どうしてごちゃまぜの家に関わるようになったのですか?」と尋ねられました。この質問への答え方は難しく、いつも「家主の坂爪さんが同郷の先輩で」とか「成り行きで」などと言葉少なに答えていました。ちゃんと答えようとするほど話が長くなって、また内容もどんどん個人的になっていくので、どこまで話をすべきかを考えて、結局、あまり話しませんでした。


ただ今日は最後なので、この場をお借りして、管理人としてというよりは私自身として、少し長くなりますが、話をさせていただきたいと思います。


ごちゃまぜの家という場所は、私にとって特別な場所でした。このような場所はほとんどないので、きっと他の多くの方にとっても特別だったと思いますが、恩恵を受けたという意味では、おそらく私以上にごちゃまぜの家に恩のある人はいないだろうと思っています。私にとってこの場所は、家でもあり職場でもあり、遊び場でもあり道場でもあり、詰所でもあり戦場でもありました。もちろん「無料で自由に使える場所」でもありました。ただ、いつもそれ以上の意味を考えさせられる場所でした。


そもそも、私が発起人である坂爪圭吾さんと初めてお会いしたのは、五年前。私が二十一歳だったときに、きっと多くの人にとってもそうであるように、彼のブログをインターネットで読んで、強く揺さぶられるものを感じて、ちょうどそのときたまたま坂爪さんが主催していた「皆で一緒にカレーを作って食べよう」という会に参加したのが初めてでした。もちろんまだごちゃまぜの家はなかった頃ですが、自由に場を開くということを坂爪さんは当時からすでにやっていて、そこに参加をしたのでした。


ただ、当時の私は、とてもではないけれど皆で一緒にカレーを作って和気あいあいと食べられるような人間ではなく、というか、なんというか、人間であったかどうかすらよく分からないと言っても過言ではないような存在でした。もちろん今でも私は不出来な人間ですが、当時はそれどころではなく、純粋でしたが、それだけでした。和やかなカレー会でしたが、決死の思いで参加しました。


それから紆余曲折を経て、ごちゃまぜの家で「管理人」をするようになるのは数年後のことでしたが、そんな私が、今度は逆に、来る人を迎える側の立場になるというのは、私にとってかつてのない挑戦でした。

 

「管理人ってどんなことをするんですか?」という質問もよく受けました。これにも「掃除をしたり、遊びに来てくれた方にお茶を出したりする役です」などと答えてきましたが、もっと深いところでは、私自身でさえ何をすれば正解なのか分からず、自分がやっていることは何なのか、この場所にとって自分とは何なのか、いつも自問自答していたというのが正直なところです。そもそも「ごちゃまぜの家」というところがどんな場所なのかも、「無料で誰でも自由に過ごせる空間」ということ以外、はっきりと答えられたことは一度もありませんでした。


いま思うのは、この家は「どこに行ってもお金が掛かり、どこにいってもあまり自由には過ごせない」と感じることの多い社会の中に、ぽっかり空いた穴のような場所だったのかな、ということです。ここを訪れる人の多くは、家主の坂爪さんが運営するブログを通じて、この場所を知ります。彼の描く理想に自分自身の志を重ねながら、その人の思う「自由」に従ってこの場所を過ごす。人によって「自由」の意味が変わることも、それらがときに対立することがあることも織り込み済み。だから、空間を占める人によってこの場の雰囲気がガラッと変わりました。私自身、管理人という立場ではありましたが、訪れた人とあくまで対等という意識でいることを心掛けていました。管理人とはいいながら、居ないこともかなり多くありました。私ばかりがこの場所の雰囲気に影響を与えることが良いと思えなかったからです。


そのような場所だからか、ここで会う人とは、自然と生き方のようなことについての話をすることが多くありました。何をしてもいいからこそ、したことの根拠と理由がつねに自分に返ってくる。自分がそこにいる以上、場に対して責任を持たざるをえない。誰のせいにも出来ないからこそ下手なことはできない。そのような中で過ごすことには、つねに独特の緊張感がありました。私はここで、背筋を正されるということを生まれて初めて経験した気がします。


心に残っている出来事はいくつもありますが、とくに、かつての私と似たような思いを抱えた人と話すときに、心臓を内側からギュッと掴まれるような気持ちになったことは忘れられません。かつての自分が他人に求めていたものを、今は自分が他人から求められている。自分の話す一言一言が、目の前にいる人のこれからの人生にとって決定的なものになるかもしれない。そう思い、なにか責任のようなものを感じて怖くなると同時に、ずっと自分が考え続けてきたことを同じ深さで誰かと分かち合うことのできる嬉しさも感じました。何かを誤魔化して生きそうになっている自分の頬を、ひっぱたかれるような痛さもありました。


昔、ごちゃまぜの家が始まる数週間前、東京の喫茶店で「あきとはもっと多くの他人の前に立つべきだと思う」と坂爪さんに言われたことを覚えています。それがどんな意味だったのか今となっては分かりませんが、実際、この場所で多くの人と特別な時間を過ごして、また、会ったことのない人ともインターネットを通じて知ってもらって、本当に良かったと思っています。どれもここに関わらなければありえないことでした。本当に感謝しています。


ごちゃまぜの家の終わりとともに、これから私自身もまたこの場所を離れて、新しい道に進みます。


初めて会った人と話をしたり、何かをするでもなくお茶を飲んだり、掃除をしたり、花を生けたり、料理を作ったり作ってもらったり、歌を歌ったり、考えても1円にもならないことで悩んだり。この何年もの間、私がしてきたことといえばそんなことばかりでしたが、私にとっては不思議なくらい自然で、むしろ一人の人間として生きていく上で必要なことを一つずつ重ねてきたような感覚があります。また、こう書くと矛盾するようですが、ごちゃまぜの家で過ごす時間はときに社会で過ごすよりも厳しく、そのことが私自身にとっての糧になりました。

 

生きていればいろいろなことがありますが、自分から他人と関わろうという気持ちがあれば、そこには必ず誰かがいます。どうしようもない気持ちになったときに、近くに誰かがいるというただそれだけのことが救いのように感じられることが私にもありました。


この場所で多くの時間を過ごしてきた私にどれくらいのことが出来たのか分かりませんが、もし他の人たちにとってもこの場所がそのようなところであったら、とても嬉しく思います。


この場所で二度とない時間を過ごせたことを誇りに思います。それでは、大変長くなってしまいましたが、以上で話を終わります。さようなら!

 

https://www.instagram.com/p/B6tm_c6AKNt/

GOOD LUCK & I LOVE YOU

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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人を好きになることを、好きになろう。

https://www.instagram.com/p/B6pa2SFAhHc/

 

残り二日。昔は、人間が嫌いで人間が好きだった。だが、最近は「人間が好きだ」と真っ直ぐに思える。自分が自分をどう思うかが、世界に映し出される。おとなになるということは、自分からひとを愛していけるようになることなのだろう。人から好かれる人には、共通点がある。それは、きっと「人を好きになることが好きな人」だ。誰かを嫌いになることよりも、誰かを好きになることが、好きなひとだ。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS アコースティックLIVE@東京『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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あなたはもうひとりのわたしです。

今日、漫画を読んでボロ泣きした。新幹線の中だった。人目を憚らずボロ泣きした。こんな体験は久しぶりだ。琴線に触れた。そうとしか表現できない出来事だった。気持ちよかったし、嬉しかった。自分の腹が括られるような瞬間だった。ボロ泣きの理由を、自分なりに言語化したい。私は、今、音楽をやっている。なぜ、自分が音楽をやりたいと思ったのか。その思いが、具現化されたような瞬間に立ち会えた感動に溢れ、ボロ泣きをしたのだと思う。それは、こんな言葉で表現できる。

 

お前の辛い思い出なんて、俺が音楽で殺してやる。お前の苦しい思い出なんて、俺が音楽で燃やし尽くしてやる。悲しい出来事がささいなことに思えるくらい、お前を遠くまで連れて行く。そして、いい思い出として生き返らせてやる。

 

昨日、夢を見た。大きなステージで演奏する夢だった。私は、夢の中で「○○があるから、俺たちは大丈夫だ」と言った。強い確信があった。私はこれを知っている。夢の中で、そう思った。目覚めた瞬間、その『○○』の部分を忘れてしまった。忘れたことを悔やんだが、近い未来、すぐに思い出せる。そんな予感があった。おそらく、これから、全部変わりゆく。変わると言うより、本当の『本当』に戻る。自分が、ずっと知っていた未来に帰る。それは、辿り着くというものとは違う。この感覚は「ワープをする」という表現が、近い。努力を重ねて辿り着くものではなく、意識ひとつで、あっという間にワープをした先に拡がるものが、懐かしい未来だ。

 

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人を好きになることを、好きになろう。

昔は「夢を持て」という言葉が、苦手だった。おとなから褒められるための夢、誰かに強制されたような夢、メディアに煽られて抱くような夢を生きるくらいなら、無目的に死にたいと思っていた。だが、今は、違う。私は、私の夢を生きたいと思う。本当に欲しいものは、絶対に与えられる。だから、手を伸ばすことを諦めちゃいけないのだと思う。自分にはこの程度がちょうどいいとか、こんなことを望むこと自体が間違っているとか、自分で自分の欲求を押し殺してしまっては、ダメだ。

 

青臭い思いだが、私は、ひとりひとりがもっと生き生きと生きられる世の中を望む。だからこそ、人間が抱く「生きたいと思う力」に賭けたいと思う。どれだけ冷めているように見えるひとも、どれだけ拗ねているように見えるひとも、どれだけ自信がなくて臆病で、意気地がなくて理解者は少ないとしても、それでも「本当は、生きたくて生きたくて仕方がない」部分が、誰にでもあるのだと思う。だから悩み、だから求める。悩むことは、苦しむことは、生きたいと願う最大の証明だ。

 

なにかを好きになることは、傷つくかもしれない恐怖を伴う。だが、傷つくことがあったとしても、自分がそれを『好き』だと思う気持ちは、同じままだ。私は、好きなものを好きだと思う、自分のことが大好きだ。 みんなが自分をどう思うかは、実は、それほど重要じゃない。自分が『好き』だと思う気持ちが、自分を信用する糧になる。その気持ちがあれば、何度でも、何度でも、戻ってくることができる。だから、恐れることなどなにもない。諦める必要など、どこにもないのだと思う。

 

 

坂爪さん、はじめまして。

長年にわたり、いばや通信を読ませていただいております。
いつも、何かに赦され守られているような気分になりました。
ありがとうございます。年内に一言お礼をお伝えしたくて、メールしました。

まもなくブログは閉鎖されるとのこと。
全頁を印刷したいくらい寂しいですが、坂爪さんも急激に脱皮されている最中ですし、
自分の記憶に、刻んでおこうと思います。多分、大切なことは忘れないと思います。

純度のお話で三歳児の喩がありましたが、飛躍するなら
日本の神様の真性は赤ちゃんではないか、くらいに思っています。

特にイザナギは、嘘や裏表がなくて、ただ心の赴くままに
行動している。善悪や体裁は介在しない。嬰児そのもの。

アマテラスはスサノオの行状に衝撃を受けて引きこもったのではなく、
弟を庇って自分の純度を濁らせたから、心に傷を負った、
そんなふうにとらえています。

坂爪さんの言葉から、なぜこんなに自殺者やうつ病が多いのだろう、と
つらつら考え、嘘や欺瞞を強いられる環境が、人間の持つ真性を歪曲し
濁らせるからかな、と思ったりもします。

坂爪さんから発せられる、嬰児のような純粋さが多くの人たちに拡張し、
そこからじわじわと伝播・交換されていくのだろう、
そう考えたら2020年が楽しみになりました。

ところで、しいたけ占い。自分の星座(おひつじ座)を見たら
坂爪さんのことをイメージして書いているのかと思いました。
https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake2020-h1/contents/01aries/

いろいろ気持ちが走りすぎ、文章がまとまらず失礼しました。
坂爪さんと、坂爪さんの愛するものすべてが豊かでありますように。

感謝を込めて。

 

https://www.instagram.com/p/B6pa2SFAhHc/

Spring always comes

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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あらゆるものは、楽しむためにある。

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残り三日。人間関係は、無理をすると続かない。だから、最初が肝心だと思う。あとで爆発するより、最初から「自分にはこういうところがある」と伝えた方が、多分、うまくいく。変わる可能性を内包しながら、現状を伝える。ただ、夢は無理をしてでも叶えたい。一日一曲とか、練習とか。本当に凄い奴ほど、努力している。自分のふがいなさを、才能やセンスのせいにしたくない。凄い奴は、やっている。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS アコースティックLIVE@東京『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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ibaya.hatenablog.com

 

変われることは、楽しい。

広瀬香美ゲレンデがとけるほど恋したいに「私をネ 失ったらネ あなたの人生終わりだよ」という歌詞がある。私は、これを最高の名言だと思っている。こんな言葉、なかなか言えないと思う。昨今では「自分なんか」と自虐的になることがブームだが、広瀬香美さんは違う。明るさで突破する。前向きに除湿する。女性には、こうあって欲しいと勝手に思う。人間、これくらいの気概で生きていきたいものだ。こんな自分といてくれてありがとうと思うこともよいが、それ以上に「自分の魅力がわかるなんて、あなた、なかなかやるじゃない」とか、思ってもいいのだ。

 

人間が恐れを感じるものは多岐に渡るが、そのひとつに「勝つことの恐怖」があると思う。それは、愛される恐怖・幸せになる恐怖・自分に才能があると認める恐怖・自分には力があると認める恐怖とも言える。なぜ、そのことが怖いのか。それは、自分はできると認めた瞬間に、やる責任が発生するからだ。被害者ヅラをしていれば、弱者の振りを続けていれば、なにもしないに安住していられる。悩むことが苦しいなどと言いながら、住み慣れた苦しみの中で、居心地の良い時間を過ごせる。だが、ひとたび『やる』となると、具体的な行動が必要になる。具体的で、ちゃんと怖くて、それでいてドキドキしてくるような、具体的な行動が必要になる。

 

変わらなきゃ、変えていかなきゃと考えると緊張するが、大前提として「変われることは、楽しい」と思う。 食事と同じだ。毎日天津飯ばかりじゃ確実に飽きる。飽きると言うか、地獄だ。食事そのものを嫌いになる。変化があるから、楽しいのだ。いま、大事なことを書いた気がする。変化がないと、もともとは楽しみであったはずの食事そのものを、嫌いになってしまうのだ。これは危険だ。危険と言うか、勿体無い。食事も人生も同じだ。大前提として、あらゆるものは『楽しむため』にある。私は、そう思う。みんなと同じことができない自分を責めるためではなく、みんなと同じことができない自分を楽しむために、生きているのだと思う。

 

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あらゆるものは、楽しむためにある。

我々THE PRESENTSのドラム&ピアノのRYUは、音楽の才能に恵まれている。10カ国を扱う語学の天才のように、あらゆる楽器を自由に操る。そんなRYUを見て、周囲は「彼は天才だ」とか「音楽の才能に溢れている」とか、言う。実際、私も最初はそういう風に思っていた。だが、一緒にバンドをやるようになり、彼を間近で見るようになってから、考えが変わった。才能なんてない。あるのは、底知れない練習量だけだ。RYUは、生半可ではない練習量を重ねている。特別な人間はいない。ただ、やってきたことが特別な人間がいるだけだ。そう思ってから、誰かを羨むことをやめた。羨む暇があったら、自分の天才を発揮する方向に、力を使うべきだ。 

 

ある父親が、息子に言った。「恋愛でも結婚でも、誰かと生きることを決めたなら、そこに責任が生まれるんだ。責任という言葉には、自由がなくなる窮屈さを感じるかもしれないけれど、真逆だよ。責任が、男を自由にするんだよ。自分の体は、自分だけのものじゃない。お前が恥をかくことは構わないが、お前が恥をかくことで、お前の大事なひとにまで恥をかかせるような、そういう生き方だけはするなよ。周囲に媚びるとか、嫌なことでも我慢をしろとか、そういうことを言いたいんじゃない。お前が精進することで、お前も、お前の大事なひとも、お前を誇りにできる生き方をするんだよ。そのための力を、与えるものが『責任』なんだよ。」

 

自分が大事だと思うひとには、不完全でも構わないから、楽しそうに生きていて欲しいと思う。その姿を見て、自分も、楽しくなることができる。大事な人に対して思うことを、自分は、自分自身に思うことができているだろうか。好きなひとが楽しそうに生きている姿は、存在そのものが『プレゼント』になる。もし、本当にそう思うならば、自分が楽しそうに生きている姿を見せることも、大事なひとにとってのプレゼントになる。そう信じることができなければ、本当ではない気がした。あなたを幸せにできるかどうかはわからない。ただ、あなたといる時間は、私はとても幸せになることができる。だから、青臭い表現になるけれど「あなたに、幸せな俺をプレゼントするよ」と本気で思えたら、そのつながりは本当なのだと思う。

 

 

坂爪圭吾さま

 
愛知の○○です。いばや通信が今年いっぱいで終わるということ、大変残念で寂しいですが、終わりは始まりなんですね。

ずっと生き方を模索されて、苦しんで、もがいて、でも前を向いている坂爪さんの姿に、いつも勇気と、この世界で生きる希望をもらっております。

いばや通信がなくなっても、きっとまた繋がれると信じております。
死ぬ気でやれよ、死ぬから。

もう本当にズゴーーーン、これですね。

これなんですよね。

実は、私44歳という高齢ですが、先月、子供を授かったことが分かりました。

初めは、世界がぐるっと変わったような気がして、半信半疑で、未だになんかまだよく実感できていない日々です。

でも、初めて授かったことがわかった時から思ったのは、創作は絶対に続ける!ということでした。

写真作品の制作は絶対に続ける、もしかしたら、授かったからもっと勇気をもらったのかもしれません。

そして高齢だから、いつ、この子がどうなっちゃうかわからない、という心配や怖さもあります。(まだ安定期じゃないのです)

でもそれって、皆同じで、いつも生と死は隣合なんでしょうね。。
だから、「死ぬ気でやれよ、死ぬから」って言葉が今ものすごく響きました。

まだまだ本気でやっていないんだな、と自分で思いました。私は言い訳ばかり。それをやめる、言い訳をやめる。かっこいいなあ、本当に、坂爪さんは。
 
本、出たら絶対に買いますね。書籍というのは、世に販売されたら、国立図書館に所蔵されるらしいのです。つまり、坂爪さんの寿命より長く、坂爪さんの言葉が生き続けることになります。それはいい!とってもいい!!!!と思いました。
 
またお会いしましょう!
2月の名古屋公演、絶対行きます!!どうか実現しますように!
 
お体には十分お気をつけて、面白い新年をお迎えください。
2020年も、坂爪圭吾さんに幸あれ!です。

 

https://www.instagram.com/p/Bt6DAufgEUy/

Venice

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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涙が出そうになるくらい生きろ。

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残り四日。恥をかくということ。自分を出すこと、自分の「好き」を表現することは、恥をかく覚悟を伴う。自分が一番大事にしている部分は、自分の聖域でもある。だからこそ、その部分が傷つくことは、死ぬことよりも耐え難い苦痛を与える。だが、恥をかくことを恐れたままでは、どこにも行けない。だから、恥をかこう。良い格好をしたがる自分を蹴飛ばして、生身の、弱くて、惨めで、情けなくて、それでいて「どうしようもなく自分である」部分を、世界に解放していこう。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS アコースティックLIVE@東京『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
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三歳児を超える。

最近、興味深い発見をした。私は「自分研究」を人生のテーマにしているのだけれど、これまで、自分の純度を高めることは「おとなのまま、こどもになることができる」ことだと思っていた。こどもの純粋さや無邪気さを維持したまま、おとななりの渋みや風格を身に纏うことだと思っていた。だが、最近、少し変わった。これまでは「小さなこどもとも、一緒のテンションで遊ぶことができる」ことがゴールだと思っていたが、最近、小さなこども以上に小さなこどもである自分を感じる。 

 

自分の純度を高めたり、人生から言い訳を削ぎ落としたり、知行合一を徹底すると、うまく説明できないが「赤ちゃんよりももっと赤ちゃん」な自分に出会うのだ。説明しよう。小さなこどもは、既成概念がないから基本的に自由だ。だから、普通、周囲の大人たちが「これをしたらダメだよ」とか「これをしたら危ないよ」とか、言う。だが、最近の自分を見ていると、うまい表現が見つからないけれど三歳児の方から「おにいちゃん、それをしたらダメだよ!」とか「おにいちゃん、それをしたら危ないよ!」とか、三歳児に心配されちゃいそうな部分を感じるのだ。

 

自由の究極は『こども』だと思っていたが、こどもよりももっとこどもな部分が、人間にはある。そこを「自由のサイハテ」とでも呼びたい。こどものように自由になることがゴールなのではなく、こども以上に自由になることがゴールなのである。伝わっているだろうか。伝わっていない気がする。三歳児もびっくりするような、底抜けの自由。そんな境地がある。人間には、潜在能力があると言われている。大概、20%程度しか発揮されていないと言う。残り80%。この残り80%に「自由のサイハテ」は隠されている(と思う)。自分の興味は、そこに向かっている。

 

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涙が出そうになるくらい生きろ。

これまでの人生で、一番感動した瞬間はいつですか。そんなことを聞かれたら、あなたならなんと答えるだろう。私は、忘れもしない、高校一年の時の出来事を思い出す。軽音楽部に所属し、生まれて初めてバンドを結成した。全員へただったが、毎日毎日練習を頑張って、はじめて音を合わせる日が訪れた。スタジオを借りて、慣れないセッティングを済ませて、よし、やろうって合図をして、ドラムがカウントをとる。そして、最初の一音を出した瞬間。あの瞬間の中に、すべてがあった。 

 

これまでの人生で、あれほど感動をした瞬間はない。それほど、強い衝撃が走った。この世の中に、こんなに気持ちいいことがあったのか。そう思って、震えた。今、私は、長年のブランクを経て、再び音楽をはじめている。ただ、あの日、あの瞬間に、私はゴールをしていたのだと思う。音楽を通じて行きたい場所や目指す領域があるのではなく、ただ、ずっとゴールをしていたいのだ。あの時の感動を、いま、この瞬間もフレッシュなまま感じるために、音楽をやっている。時折、神様は粋なはからいをするものだなと感じることがある。あれだけ「この瞬間は最高だ」と思った瞬間を、更に上回る瞬間を、神様はしっかりと用意してくれているのだ。

 

自分の好きは、更新していけるのだ。音楽に対しても、誰かに対しても、恥ずかし気もなく「いまが一番好きだ」と言える。出会った時の衝撃も凄まじかったが、それを続ける日々の中で、その人を思い続ける日々の中で、自分の『好き』は更新されている。好きになった瞬間がピークなのではなく、静かに流れる日々の中で、さらなる好きを重ねていける。そのことは、紛れも無い希望だと思う。なにかを好きになることと、この世界を「生きたい」と思うことはイコールだ。愛は、目には見えない。だけど、あふれたら涙になる。涙を感じる方向に、舵を取りたいと思う。

 

 

坂爪様
 
深夜に失礼します。埼玉でピアノの仕事をしている○○です。

つい先日まで大きな重圧のかかる舞台の仕事を抱えていて「いばや通信」を読みにいくことができなかったのですが、その間に坂爪さんが大きな決断を下されていた事を知り驚いています。

全くの偶然なのですが、私もこの仕事(コンサートです)をなんとか成功させて、これをもって一部の古くからのお付き合いを除く依頼の仕事を引退することを決意しました。一番好きで憧れていながら力が及ばないことから、習っているだけでいいとずっと中途半端なとり組みを続けていたジャズに本気でぶつかっていこうと心を決めました。

1日1曲を作り続けるという坂爪さんに押されるように、3月から始まったセッションに欠かさず参加してきました。練習が足りなくしんどい時も坂爪さんを思い出し、弱気を堪えて歩みを続けることができました。

これまでやってきたことは夢を叶えた以上のもので、伴奏者という立場上理不尽だなぁと感じることもありましたが振り返ればそれらは全部自分の力になっていました。なのでやり切った感で一杯です。もちろんピアノはこれからも弾き続けていきます。まるで坂爪さんとシンクロしたように、私も新しいステージに踏み出すことに胸が高鳴ります。
 
「いばや通信」の坂爪さんの言葉に励まされたり、生き方を問われたり、時には煽られたり。

その中で「感動に責任を持て」という言葉は私の心に刻まれました。その感動を自分の生きる日々の中にどう体現させていくのか。その覚悟が今の私の決意に繋がったと思っています。

「いばや通信」が読めなくなるのは残念ですけれど、受け取った数々の言葉はこれからも折り折りに自分を省みさせ、ハッとした気付きを与えてくれることでしょう。そしてプロ宣言されたこと、きっと坂爪さんなら大丈夫!これまで決断し、選択してきたことは実は初めから用意されてきたのかもしれません。誰もがそうなのかもしれません。

不安も葛藤もあるけれど、どこかワクワクしながら自分を信じて進むしかないですよね。私も頑張ります。そしてこれからも応援しています。

 

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on the way to my hometown

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu  

 

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死ぬ気でやれよ。死ぬから。 

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残り五日。私に定期的な収入はないから「どうやって生きているのですか?」と、結構聞かれる。自分でもそう思う。なぜ、俺は生きているのだろう。普通、なにかと引き換えにお金を得る。時間を売ったり、商品を売ったり。だが、私はなにも売っていない。ただ、時折「お前みたいな人間は、もっと生きろ」という感じで、お金や兵糧的なサムシングをいただく。売るとか買うとかじゃない、あげる・もらうの関係性で生きている気がする。そのために、大事なものが純度だと思っている。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS アコースティックLIVE@東京『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 
  

 

ibaya.hatenablog.com

 

どれだけ技術を磨いても、心が自由な人には敵わないよ。

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Glastonbury

 

今年の頭、イギリスのグラストンベリーにいた。体調を崩し、頭痛に悶え、高熱に喘ぎ、血を吐いたりしながらホテルで延々と寝込んだ。本当に死ぬのかなと思った。だが、完治以降は生まれ変わったようなスッキリ感があった。昨日、Rest Inn Peaceに女性A様が遊びに来た。A様は、女性を相手にするカウンセリング(?)のような仕事をしている。私は「最近の女性事情で、なにか思うことはありますか?」という、抽象的な質問をした。すると、A様はこんなことを話してくれた。

 

MeTooなどの活動で、抑圧されてきた女性たちが「自分はこれが嫌だった」と告白する場面が、社会的にも増えている。それは良いことだと思うけど、何かを嫌だと言うことは、通過点に過ぎないと思う。大事なことは「自分は、これが欲しいのだ」という意思表示だと思う。なかったことにしていた出来事や、なかったことにしていた自分を認めること。これは、とても大事なこと。ああ、自分はあれが嫌だったんだなと認めて、それを「嫌だった」と言うことで自分の感情を受け止めることができる。自分の感情を肯定することが、過去の自分を肯定することになる。でも、一番大事なことは、そのあとに「自分は、なにが欲しいのか」という意思表示を、世界に対して示すことだと思うのよ。

 

これは猛烈に素晴らしい話だと思う。大事なことが20個くらい書かれている。その後、私たちは「ないを本気で苦しんだ人が、あるを本気で喜べる」という話をした。たとえば、私は愛情不足に苦しんだ。拭い切れないさみしさや孤独感が常にあり、生きていることが苦しいと感じた瞬間は何度もあった。だが、苦しみの中を生き切ると、ある日、突然「すべてがひっくり返る」瞬間に出会う。これまで、自分にもっとも足りていないと思っていたものが、ある日、全部あるにひっくり返るのだ。私は、この瞬間に、人間のドラマを見る。これは、絶対、あなたにもある。大事なことだから何回も言いたい。自分に一番足りないもの、自分が欲しくて欲しくてたまらなくてずっと追い求めていたことこそ、自分の中に「ある」ものになる。

 

note.com

 

死ぬ気でやれよ。死ぬから。 

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Live to the point of tears

 

誰にでも、なかったことにしている出来事や、なかったことにしている自分があると思う。見たくないものに蓋をして、まるで、そんな自分はいなかったかのように(そんな問題はとっくの昔に乗り越えているかのように)振る舞う自分がいる。だが、残酷なほどにそういう嘘は露呈するもので、一挙手一投足に歪みが生じる。全部、バレている。全部、滲み出ている。うまく説明できないが、多くの人々が「なかったことにしたい過去の記憶」があるのだと思う。弱い自分。無力な自分。捨てられそうになった自分。置き去りにされた自分。大切にされなかった自分。など。

 

だが、違う。生きるということは、過去の自分を肯定することだ。置き去りにされた自分を、一人ずつ、一人ずつ、存在を認めてあげることだ。なかったことになんて、できないのだ。なかったことになんて、する必要はないのだ。自分以外の何者かになることではなく、自分の中にいる『自分』を総動員して生きること。怖くて寒くて淋しくて苦しくて、ひとりでずっと泣いていた過去の自分に「ほら、大丈夫だったよ」と言ってあげるような、そういう生き方をすることだ。存在を認められないことが、この世の中で、一番苦しい。自分が、自分を、認めてあげることだ。

 

自分に一番足りていないもの、自分がずっと欲しくて欲しくてたまらないと思っていたものこそ、自分の中に『ある』。ないがあるにひっくり返る、そういう瞬間がある。絶対に、ある。ないを本気で苦しんだ人が、あるを本気で喜べる。あの苦しみも、あの出来事も、無駄ではなかったのだと思える瞬間が、絶対に、来る。いまは「自分なんか」と思う気持ちがあったとしても、そう思う自分を否定するのではなく、そう思う自分を全員引き連れて生きること。誰一人、置いていかないこと。悲しみを、悲しみで終わらせないこと。悲しみの奥にある、光に手を伸ばすこと。

 

 

圭吾さん

今日行くつもりではなかったのですが、運良く聴けて本当に良かったです!

なんだか、THE PRESENTSのはじまりのはじまり、ゼロの時間という感じでした。1/8がTHE PRESENTSのスタート、日の出だとしたら、今日のライブは夜明け前のマジックアワーみたいな特別な時間、そんな気がしました。

圭吾さんの唄い方が、ライブハウスではないからかもしれませんが、今日は『殺しに行く』というより言葉を空間にそのまんま放つ、みたいに心にすっと入ってきて、心地よい時間でした。

ドラムじゃなくピアノのりゅうちゃんは、落ちてくる音をつかまえてそっと掌に乗せて、それをまた空へ返すような音色が素敵で、きっとあの時あの場だからこそ、のTHE PRESENTSが見られた気がしました。

そして自然に音があふれ出てくる2人を、確実に支えようとしているホッシーがみんなをしっかりと受け止めていて、3人の波が同じような大きさで同じような方向に向けて流れている、これがTHE PRESENTSの新しい音なんだな!と感じました。

今日、この時点のTHE PRESENTSを見ることができて、本当に嬉しく思います! が、次はライブハウスで、客席に真剣を振りかざしながら斬りに来る3人を見たい!とも思いました!

今日も男性が多かったですが、これからのTHE PRESENTSは男性の方にどんどん聴いてもらいたいし、そうなる気がしました。男性に向けて『己とは?』みたいな問いを常に突きつける、そんな存在であってほしいなと思います。

圭吾さんのソロの時間は、今日は穏やかな表情をされていて、特にスミカを唄っている時の顔がとても素敵でした。

ソロの圭吾さんはいつも、自分に絶えず問うように、命を削るように唄っている印象なのですが、今日のスミカは心の中に描いた誰かに唄いかけているような気がして、そんな感じははじめてでした。

ソロは涙ポロポロ、3人の演奏ではflow-erが一番心に響きました。

特に、flow-erはこれまで聴いた中でも一番素敵な演奏でした!坂爪圭吾バージョンも、Agapeバージョンも、いろんな場所でたくさん聴いた曲ですが、心を決めた3人でやるとこんな音に変わるんだなと、驚きました。

あと、終わった後の皆さんのお話がとても良かったです。

なんとなく、後のトークも含めて『男性限定ライブ』とかされてみたら面白いんじゃないかなと思いました(^^)/ 2ヶ月後に向けて、これからのTHE PRESENTSを見届けつつ、これからも常に自分に問いながら、私は私の心踊ることに向き合っていきたいなと思います。

 

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Chalice Well Gardens

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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君はどこにでも行けるのに、どうしてそこにいるんだい。

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新横浜のドトールにいる。三年間くらいごちゃまぜの家(誰でも自由に使える家)を続け、家庭に問題を抱えていたり、諸事情で実家がなくなり年末年始の行き場がない方々など、結構たくさんいることを学んだ。この家は今月限りで活動を終えるが、来年以降も『Rest Inn Peace』という名前で、家を開放する。宿泊代などは不要なので、もしも「それならばお邪魔したい」という方がいたら、ご連絡ください。最悪の場合はRest Inn Peaceに行けばいい。そういう場所に、なったらいい。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS アコースティックLIVE@東京『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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「生きているだけでいい」けれど。

これまで、この家は「存在しているだけでいい」というスタンスでやってきた。誰でも自由に使える家がある。それが心の拠り所になり、最悪の場合はあそこに行けばいいと思えるだけでも、いまより少し大胆に生きることができる。そんな場所になればいいと思っていた。だが、これからはもう少し能動的になりたい。誤解を恐れずに言えば、生きているだけではダメだと言いたい。ダメだと言うか、物足りない。物足りないと言うか、退屈だ。疲れたら休むことはマストだが、小さなこどもは、遊ぶことを休みたいとは思わない。疲れているのは、遊びが足りないからだ。

 

生きづらさを抱えるひとは、少なくない。自分だって同じだ。愛想笑いもできない、周囲にうまく馴染めない。そのことを悩んだ時期もあったが、愛想笑いで好かれたところで、それは偽物のつながりだと思う。愛想を振り撒けないことではなく、ただ、自分を出せないことが問題なのだ。ということで、Rest Inn Peaceは『表現』に焦点をあてて、音楽や絵や踊りなど、自分を表現しようとする意思を大事にしたい。誰かに理解されること、誰かに愛されることを待つのではなく、乱暴な言葉になるけれど「自分からわからせにいく」くらいの気概を、大事にしたい。 

 

疲れたら休めばいい。合わない場所は離れてもいい。逃げることも許されている。だが、当たり前のことだが「いつまでも逃げ続ける」ことはできない。できないというか、自分が、自分を「自分は逃げてばかりだな」と感じ続ける日々はつらい。自分との関係も人間関係だからこそ、ダサい自分との関係性に終止符を打つ。すぐには打てないとしても、終止符を打つための意思をもつ。この意思を、大事にしたい。 人間は、多分、ひとりでいると深刻になりがちな生き物だ。だが、互いに励まし合うことで、遊び続けることができる。「そのままでいいよ」と現状維持を助長するより、最初は多少苦しくても、よくなっていこうとする意思を大事にしたい。

 

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君はどこにでも行けるのに、どうしてそこにいるんだい。

せっかく家という空間があるのだから、男塾というオフラインサロンをやりたい。男性性を教えるダン先生(仮)になりたい。「本当の男の話をしよう」とか言いたい。男の悩みは、男に聞けとか言いたい。男女関係に悩む人は多い。突然おかしな話をするが、ひとりの人間の中に男性性と女性性がある。自分にない部分を相手に求めるなどと言うが、実は、人間は自分ひとりで完結できる生き物だと思う(ことがある)。そうじゃないと、恋愛も家庭も依存の対象になる。中毒の対象になる。

 

家庭の問題は根深い。根深いからこそ、取り組みがいがある。誤解を恐れずに言うと、家庭の問題を解決できていないひとに、家庭の問題のアドバイスを求めても、まともな答えを得ることはできない。当たり前のことだ。自分が解決できていないことで、誰かの問題を解決することはできない。しかし、一緒に解決していこうとすることならば、できる。解決という言葉は微妙だ。氷解とか、寛解とか、そういう感覚で使っている。自分との戦争、家族との戦争に終止符が打たれると、平和になる。しかし、自分を『自分だけで』知ることは難しい。そのために他者が要る。

 

自分という『神秘』を知るための冒険。それが、生きることだと思う。自分というものは、あるようでないし、ないようである。全部が自分だとも言えるし、全部が自分ではないとも言える。全であり、無であり、一である。得体の知れない自分を、少しずつ、少しずつ、様々な角度から捉え直していく。すると、目の前に「多様なグラデーションを伴った、カラフルな世界観」が展開する。これが自分だと思っていた自分が、あっさりと打ち砕かれる瞬間。おそらく、感動とはそういうものだ。瞬間瞬間に、別人になって生まれ変わる。そのすべてが、自分なのだと思う。

 

 

坂爪さん、初めまして。


いつもブログ読んでます。
先日ヨガをしてる人が苦手って書いてあって。
私坂爪さんの苦手なタイプだったんです。


自分の正義感やただしさや頑張りを武器に周りを責めて、
その割には、ヨガで人を癒したいって。


離婚して、会社に勤めながら、ヨガインストラクターをしてたんですが、
子ども二人居てお金もないのに、


会社が合わなすぎて辞めてしまって、自分のやりたいことしよう!って、
足りないお金を周りに助けてもらうというクズな生活を始めます。


坂爪さん!そしたら、クズって最高なんです。

周りに感謝の気持ちしか湧かなくて、人に自分の嫌な正義感を振りかざすこともないし、

世の中の見方も、ガラッと変わって。

少しずつ生活、子育てできるように、ヨガやマッサージなどしていこうと思います。


自分が正しいと思ってしまう、思いたいのは、きっと我慢しているからですね。


自分を殺してるから、それを周りに認めてもらいたかったんだなって。

坂爪さんの言葉にいつも助けてもらってます。



2月9日名古屋のライブ必ず行きます✨✨


本も楽しみにしています。


そして、坂爪さんの幸せをいつも祈ってます。


なるべくなるべくいつも健康でいてください

 

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wanna be a brave explorer

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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この世の全ては贈り物。

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新横浜のドトールにいる。有名人なら誰に似ていると言われますか。昨日、そんな話題になった。私は、うまく答えられなかった。そう言えば「坂爪圭吾は、あの人に似ているよね」と過去に何度か言われたことがある。しかし、それが誰だが思い出せなかった。ただ、今日、朝の街を歩きながら思い出した。あ、そうだ。俺は、ジーザスに似ているのだった。一番似ている有名人は、イエス・キリストだった。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS アコースティックLIVE@東京『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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贈与の霊。

ひとりの人も、誰かといる人も、メリークリスマス。今日はクリスマスだ。大事な誰かにプレゼントを贈る人も、大事な自分にプレゼントを贈る人も、いるのだろう。私は、昨日、自分に『早弾き』と『筋肉痛』と『少女ファイト電子書籍・16冊)』をプレゼントした。自分には無理だと思っていた早弾きも「もしかしたらできるかも」とけしかけて、トライさせることによって習得した。できないと思っていたことができるようになることは、本当に嬉しい。最近、筋トレをはじめたから全身が筋肉痛で、筋肉痛は気持ちいい。少女ファイトとは、私の大好きな漫画だ。

 

インディアンの人々は、贈り物は動いていかなければならないと考えた。私たちは、今、THE PRESENTSという名前で活動している。「贈与の霊」という言葉がある。少し長くなるけれど、クリスマスらしい話題だと思ったので、引用をします。 

 

アメリカ大陸に渡ったピューリタンたちは、そこで原住のインディアンと出会った。ピューリタンたちの目には、インディアンがひどく交際好きで浪費を好む人間のように見えた。インディアンは、たくさんの贈り物を交換しあい、もらったら必ずお返しをしなければ気のすまない人たちだ。倹約家で、こつこつとためるのが好きなピューリタンには、そういう「インディアン・ギフト」の習俗が、ひどく異様に見えたのである。

 

ところが、インディアンのほうでは、ピューリタンのその倹約家ぶりが、信じられないほど以上なことに、思えたのだ。たとえばこんなことがあった。白人の行政官がインディアンの村を訪れた。彼を歓待するために、インディアンは彼にみごとなパイプを渡して、煙草を吸うようにとすすめた。そして帰り際、友情の贈り物として、このパイプを行政官は受け取ったのである。その数カ月後、インディアンはこの人好きのする白人のオフィスを訪問した。そして、その居間の暖炉の上に、あのパイプが飾ってあるのを見て、はげしい衝撃を受けたのである。「白人はもらったもののお返しをしない。それどころか、もらったものを自分のものにして、飾っている。なんという不吉な人々だ」

 

インディアンの思考法では、贈り物は動いていかなければならないのである。贈り物といっしょに「贈与の霊」が、ほかの人に手渡された。そうしたら、この「贈与の霊」を、別の形をした贈り物にそえて、お返ししたり、別の人たちに手渡ししたりして、霊を動かさなければならないのである。「贈与の霊」が動き、流れていくとき、世界は物質的にも豊かだし、人々の心は生き生きとしてくる。だから、贈り物は自分のものにしてはならず、蓄積してはならず、たえず動いていくものでなければならないのである。

 

ところが、ピューリタンはそれを暖炉の上に飾ったり、博物館に収めたり、貯めたりする。自分の身のまわりに集まってきた「贈与の霊」の力を、彼らは蓄積し、使わないままに所有してしまった。無駄遣いの嫌いなピューリタニズム(その経済学的な別名はキャピタリズムである)は、大地を循環する「贈与の霊」の動きをとめることによって、自分の富を増殖させようとしていたのである。インディアンにとって、それはまことに不吉の前兆だった。大地と人のあいだを動き、循環していたなにものかが、とどこおり、動きをとめていく。そのかわり、そこには個人的な蓄積が、将来の増殖を生むという、別種のデーモニックな力が、徘徊していくことになる。それは、人々の物質的な暮らしは豊かにするだろうが、魂を豊かにすることは、けっしてないだろう。なぜなら、人間の魂の幸福は、つねに大地を循環する「贈与の霊」とともにあるものなのだから。

中沢新一『純粋な自然の贈与』【講談社学術文庫】より引用

 

余計なお世話だとは思うが、もし、あなたに大切な人がいるならば、その人に「なぜ、あなたは大切なのか」を伝えることを、試してほしい。手紙を書いてもいいし、メールでも、LINEでもいいと思う。直接言うのが照れ臭いなら、贈り物をするだけでもいい。「なにを今更」なんて思わないで、これまでの感謝や、あなたと出会えて変われたこと、あなたから受け取ったギフトや、そのおかげでいまの自分があるのだということを、改めて伝えることを試してほしい。きっと、その時間に『幸せ』を感じると思う。人間は、受け取る時だけではなく与える時にも、幸せを得る生き物だと思う。金がなくても、時間がなくても、できることは絶対にある。

 

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この世の全ては贈り物。

言葉を書く。音楽を作る。これらは全部、自分なりの『贈り物』だ。自分にあるものは少ないから、自分が抱く希望や、自分が抱く光のようなものを、不器用な包装と共に差し出す。それを喜ぶひともいれば、素通りされることも、踏みにじられることもある。ただ、自分は、自分にできることをやるだけだ。命を燃やすこと。そのことが、結果的に「それに触れた人の命も、あたためることになる」ことを信じたい。なぜならば、自分もまた、過去に『命を燃やして生きる人』の姿に、励まされた記憶があるからだ。強く、深く、優しく、背中を押された記憶があるからだ。

 

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五十嵐千尋の記事がよかった。生きていると、稀に、人間の本気に触れる機会に出会う。本気で何かを変えようとしている人、本気で何かを変えていきたいと思っている人は、喜びと共にあるというよりも、実際は『恐怖』で震えている。ただ、その恐怖に屈するのではなく、恐怖があるなら恐怖があるまま、恐怖があるままの自分で生きていく。恐怖を克服してからやるのではなく、恐怖があるままやる。恐怖を抱えたままやる。その姿に、その葛藤に、見るものの胸は打たれるのだと思う。 

 

俺はずっと誰かに遊ぼうって誘われるのを待つだけの子供だった。でもこれからは遊ぼうって誘えるような大人になれたらいいなと思う。素直じゃなかったから、上手く返事は出来なかったけど、誘ってくれる人がいるということに救われた部分もあったから。何より俺がもっと遊びたいから。

 

弱い自分を否定する必要はない。弱いからと言って、なにかをやっちゃいけないことはない。弱さを克服してからとか、強さを築いてからとか、なにかをはじめることに「条件」を定めてはいけない。弱いなら、弱いまま、そのままの自分で飛び込んでいきたい。その過程で、傷つくこともある。諦めそうになることも、なんでこんなことをしてしまったのかと悔やむこともある。だが、それでもなお、諦めないで進んでいれば、全てがつながる瞬間に出会う。その瞬間、私たちは「苦しみさえも、ギフトだったのだ」ということを、実感する。だから、恐怖を前に躊躇すること以上に、恐怖の中に飛び込む自由を、自分に許していきたいと思う。恐怖の中で、苦しみの中でさえも、私たちには「そこからなにかを学び取る」強さがある。 

 

 

坂爪さん、おはようございます!お久しぶりの浜松の○○○です~!

2019年のせわしない年の瀬、坂爪さんの命がますます輝く素敵な知らせをブログで知り、ドキドキウキウキしました!以前しつこい人に絡まれて辛くて死にたくなるって話もあったけど、坂爪さんが生きてて本当に本当に良かった!!って嬉しくなりました。坂爪さんに愛された人は幸せもの。そしてそんな人に出逢えた坂爪さんは超絶幸せものだ~!

いばや通信が無くなってしまうのはとても寂しいけど、本も出るし、もしかしたらアナログ媒体だけど今まで以上にたくさんの人が坂爪さんの紡いできた言葉に触れる機会があるんじゃないかと思っています。そして、それによって触れた人たちの人生が変わっていく…それでどんな世の中になるのか、それを想像するだけでも楽しくなってきます!

二年前に浜松でお会いした時みたいに気軽には会えなくなっちゃうけれど、生きていればきっとまたいつか会えるので、お互いその日まで元気で…。こちらに寄る機会があれば、もし良かったらご連絡くださいね。鰻か浜松餃子をごちそうしますYO~!

最後に、貴方はわたしにとって五億の鈴の中のひとつです。生まれてくれて本当にありがとう!そして、本当に本当におめでとう!サカツメケイゴにますますの幸あれ~!!

それでは、今日もよい1日を☆

○○○

p,s- こども館で一緒に遊んでもらった「ごちゃまぜくん」は、四歳年少さんになりました(^-^)
坂爪さんが言ってた「見てますよ~」を栄養に、おかげさまですくすく育っています~。

 

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Everything is gift of the god

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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強くなりたい男女募集。

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新横浜のドトールにいる。昭和のプロポーズに「毎日、俺の味噌汁を作ってくれ」がある。だが、私は、別に味噌汁を毎日作って欲しいと思わない。なんなら「毎日、俺に味噌汁を作らせてくれ」と思う。男性が上は、古い。これからは完全に女性が上だ。だが、味噌汁よりももっと愛情表現できるものがあると思う。昭和のプロポーズが「毎日、俺の味噌汁を作ってくれ」ならば、令和のプロポーズは「(ちょっと言いづらいけど)毎日、俺にドライヤーで髪を乾かさせてくれ」だと思う。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】OPEN@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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毎日、俺にドライヤーで髪を乾かさせてくれ。 

毎日、俺にドライヤーで髪を乾かさせてくれ。これは、俺的にトゥルーラブだと感じている。ドライヤーで毎日髪を乾かすのは大変だと思う。それを、俺にやらせていただきたい。恋愛関係に切磋琢磨とか要らない。私は犬になりたい。完全服従したい。待てと言われたら待ちたい。なぜならば、男の幸せは犬になることだから…私の言うことは無視して欲しいが、俺についてこいとか思わない。それよりも「一生ついていきます」と服従したい。変態だと思われるかもしれないが、追いたい。

 

讃えたい。毎日「かわいいね」とか「綺麗だね」とか「途方もなく美しいね」とか言いたい。大好きだよとか言いまくりたいが、それは決して「私も、大好きだよ」と見返りを求めたい訳ではない。無論、好きだと言われて嬉しくない訳はないが、そんなことよりも『あなた』である。あなたの美しさを讃えている時、男(というか自分)はもっとも幸福になる。私は、ここに男女の真髄を見る。誤解を恐れずに言うと、女性の仕事は受け取ることだと思う。受け取ることで、循環が生まれる。

 

切磋琢磨は、男同士でやりゃあいい。昨日、Rest Inn Peaceに入居希望の男性が来た。タトゥーアーティストをやっている26歳の男性で、キックボクシングの経験もある。男性の佇まいから「強さをもちたい」という雰囲気がビシビシ伝わってきて、俺も一緒に強くなりたいと思った。青臭い言葉だが、男の絆を感じた。強くなりたい男女募集。Rest Inn Peaceは、強くなりたい男女を募集する。個室の空きが、あと一部屋ある。自分を変えたい。強くなりたい。切磋琢磨できる同士と同じ空間にいたい。そう思う人がいたらご連絡ください。残酷な話に聞こえるかもしれないが、男の一生は「30歳までに、これまでの自分を殺せるか」が勝負だと思う。

 

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強くなりたい男女募集。

叶恭子さんの好きなエピソードがある。大量のグッドルッキングガイを抱える恭子さん。時折、若い坊やが「あなたが他の人のところに行くのが、我慢ならない。このままでは、頭がおかしくなって死んでしまいそうだ!」みたいなことを、恭子さんに言う。僕だけを見てくれと、懇願する。そう言う時、恭子さんは「それならば、お死になさい」と言うらしい。お死になさい。すごい言葉だ。最強だ。普通、こんなことは言えない。だが、清々しさを感じるのは、自分だけではないと思う。

 

お死になさいと言われた時、燃える男でなければならない。そうじゃないといい男とは言えない。いい女といるための、一番の近道は「自分が、いい男になる」ことだと思う。相手に懇願して繋ぎ止めることは、違うと思う。「俺が居なければお前はダメになる」などと恐怖で支配することも、「あなたがいなければ自分は生きていけない」などと罪悪感を煽ることも、違う。ただ、お互いの純粋な魅力で繋がり合うことが、本当だと思う。なんで、俺は、こんなことを書いているのだろう。それは、確実に「自分に言い聞かせるため」である。自分に言い聞かせるために、私は言葉を綴っている。自分が、書きながら「本当にそうだな」と思うことを書く。

 

いい男は、強くて優しい。いい女は、優しくて強い。そんな風に思う。強さのない優しさは、ただの『保身』になりやすい。強さとは、必ずしも腕力のことではない。それは「思う力」だと思う。自分の夢や理想を、どれだけ思い続けられるかだと思う。それは、決して「いまの自分はまだまだだけど、いつかは必ず理想の自分になる」という類の、夢や理想とは違う。なにかを強く思うとき、その強さは、すでに自分の中で輝いている。自分の中にある愛と光を取り戻す意思、それが『強さ』だと思う。最後におはなを渡したひとから、連絡をいただいた。昨日で、おはなを配る営み(?)も終焉を迎えた。これからは、自分の花を咲かせたいと思う。

 

 

昨日は雨の中、本当にありがとうございました!


坂爪さんと直接会えたこと、とても嬉しかったです。お花とメッセージカード、ちんすこうも、ありがとうございました。

昨日の坂爪さんの問いと言葉は「愛のカウンターパンチ100%」でした。(またサムい表現してましたらいつでもご指摘ください。。。)

私は長らく世界に対して、斜に構えていたんだと思います。


男性に対しても心の奥底で「どうせだれも私のことを受け止められない」と拗ねて「一人で頑張らなければ」と、多分半分くらいはゴリラ化していたかと思います。。。


でも今回、坂爪さんのまっすぐな眼差し、受容、嘘がない本当の言葉に優しさにガッツーンと打たれて、拗ねていた心は完全に丸裸にされてしまいました。


「もう、嘘をつかなくていいんだ!」
「自分のままでいいんだ!」


自分の中に小さな少女がいるとしたら、鼻歌をうたいながらクルクルまわっているような感覚で、昨日の夜からずっと、幸せな気持ちでいっぱいです。

今日仕事のパートナーに、これからどうしていきたいかきちんと話をしました。

表現したい気持ち、今音楽をやってみたいと思っていること。


今の働き方はとても苦しいと感じていること、たとえ仕事でももう嘘をつきたくないと思っていること。


いつも、とても感謝していること。


相手にどう思われるかではなくて、下手でも自分が素直に感じていることを素直に伝えることができたと思います。


その人は私のやりたいことを応援するよ、もっと私がやりたいことに時間を使えるようにしていこう、と言ってくれました。


3月頃から働き方も大幅に変えていくことにしました。

今日、自分の思いをまっすぐ伝えてみて「世界は私に優しかったんだ」と思いました。


自分が本当に欲しいものは素直に「欲しい」と伝える。やりたいことは「これがやりたい」と伝える。


それでいいんだ、と。


なんだか自分が急に可愛らしい女性になった感じがして、自分のことが愛おしくなりました。


・・・つい長々と大変失礼いたしました。


ごちゃまぜの家、音楽で遊ぶ、ワクワクです☺️

またお会いできるのを楽しみにしています。

 

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Merry Christmas & I love you

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
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諦めちゃダメだよ。

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横浜駅ドトールにいる。昨日は冬至だった。今年の冬至は、星座的にも強烈らしく、太陽の力が強くなる。これから三ヶ月の間に「社会的にも、個人的にも、強制断捨離のような、大掃除が行われていく」流れが、来るらしい。ただ、どれだけ強い嵐が来たとしても、自分にとって大事なものをしっかりと把握していれば、大丈夫。そういう話を聞いた。大事なものを明確にするための、大掃除なのだろう。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】爆誕@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 
 

 

ibaya.hatenablog.com

 

五億年でも、待つからね。

あなたにとって、大事なものはなんですか。そう問われたら、なんと答えるだろう。私は、いま、三つの大事なものがある。端的に言えば「表現(言葉や音楽)」と「大事な人」と「大事な人の大事なもの」の、三つだ。不思議な感覚だ。これまで、自分は自分のことばかり考えていた。それが自由であり、それが自分を生きることだと思っていた。だが、違った。この三つが揃ったとき、生まれてはじめて、私は「整った」と感じた。愛するべきものを見つけたよろこび、自分の生きる道を見つけたよろこびを感じた。大袈裟だが、自分の命の使い道を見出した気がした。

 

大事なものと出会うと、自分自身を大事に感じる。この体を、好きな人と、好きなものに使いたいと思う。大工が道具を大事に扱うように、野球選手がグローブを大事に磨くように、私は、私を大事に扱いたいと思った。自分を大事に扱うほど、自分を磨くほど、いい仕事に繋がる。チームに貢献する。よろこびを感じ取る。自分という道具を、大事な商売道具のように感じる。商売道具というと味気ないが、人生道具とでも言えばいいのか。愛情道具と言えばいいのか。自分は、自分の『愛』と『光』を表現する、ひとつの道具だ。喜怒哀楽、そのすべての中に愛情はある。

 

ギター教室〜初心者の初心者によるあなたと私の為の〜


12月29日(日)に、ギター教室が開催される。私が参加するかは謎だが、新しく楽器をはじめたいと思うひとがいたら、是非、来てください。楽器を弾ける豊かさは、言葉を越える。それも「ひとりではなく、誰かとやれる」喜びは、想像を越える。音楽は『交歓』だ。好きなものと出会えたことで、私は『待つ』ことを学んだ。自分には、すぐに白黒をつけたがる傾向がある。だが、はっきりさせたがることは、弱さでもある。それは「曖昧なままにしておけない」弱さだ。だが、いま、私はよろこびと共に待つことができる。大事なものに対しては「五億年でも、待つからね」と、思う。喜びの中で、待つことができる。それは、きっと、自分の中で決断をしたからなのだと思う。「俺はこれで生きる」と、決断をしたのだと思う。

 

note.com

 

諦めちゃダメだよ。

決めることは、道を狭めることでもある。音楽を選ぶということは、音楽以外を捨てることだ。絵の道を捨てる。会社員の道を捨てる。安定を捨てる。学歴を捨てる。これまでの自分を捨てる。など。だが、本当は、道を選ぶことは、他を捨てることではなく「拡がる」ことだと思う。道をひとつに絞ることで、その先に、無限の可能性が展開していく。道を選ぶことは、狭くすることではない。逆に、道を拡げることだ。ひとつに決めることが、逆に、無限の可能性を呼び込むのだと思う。

 

私は、ずっとギターが嫌いだった。だが、いま、スリーピースで音楽をやると決めた。決めることの威力は凄まじく、やるしかないとなったことで、これまでにないほどギターを身近に感じている自分がいる。これまで「早弾きができない」だの「自分には才能がない」だの「ボーカルだけに集中したい」だの、様々な理由をつけてギターと向き合うことから逃げてきた。だが、やるしかないとなったいま、ギターと真剣に向き合う中で「ギターとは、こんなに奥深いものなのか」と、感動している自分がいる。ギターにしか出せない、官能的な音色がある。自分自身に、これまではないと思っていた「音楽的才能」を感じている。それを極めたいと思う。自分は、いま、本当の意味で『音楽』をはじめることができたように感じている。 

 

自分ができなかったことが、できるようになる。自分はこういう人間だと思っていた部分を、軽々と超えてくる自分と出逢う。生きるということは、なんと奥深く、なんと無限で、なんと味わい深いものなのだろう。諦めないでよかった。そう思う。挑戦することを諦めたら、私は、新しい自分と出逢うことのないまま、中途半端な自分を生きていたと思う。大事なものを見つけることもできないまま、自分自身を『大事だ』と思うこともないまま、ただ、なんとなく日々を過ごしていたと思う。だから、私は、何度でも自他に言い続けたいと思う。諦めちゃダメだよ、と。

 

 

坂爪さん、ご無沙汰しております。

今年いっぱいで、いばや通信や、ごちゃまぜの家を終えられるとのこと。

もの寂しい気持ちはありますが、新しい形でのご活躍も楽しみにしているので、期待感も同じくらいあります。お立場や活動が変化しても、坂爪圭吾さんは坂爪圭吾さんなので、不思議と悲しさはありません。

わたしは、息子との関係に悩んでいました。ひょんなことがきっかけで、数年前からいばや通信を読んでいました。その時々で不思議なように、坂爪圭吾さんの文章がまるで、その時わたしに必要な事を書いてあるように思えて、とても心慰められたのでした。

ごちゃまぜの家に行ったのは、お礼を伝えたかったからなのです。あなたが鬱病だった時、三年寝太郎の話が支えになったと言う話。好きなことが見つかれば、人は勝手に努力すると言う話。全てが本当でした。あなたの言葉から、信じる力と気持ちの余裕をもらい、わたし達親子は仲直りできました。

今、息子は自分の好きな事を見つけて、「コレを自分は、やるから!」と宣言し、自分の為に生き始めました。(そして、それを応援できる事、とてもうれしい。)

もっとうれしい事は、わたしはわたしの生きる道を見つけた事です。息子のために、再婚や引越しをしたり、収入の良さだけで転職したりしましたが、息子は、わたしが「息子のために」何かすることなんて、これっぽっちも望んでなかったのです。それより、わたしが、わたしのために、わたしでいることの方が、よっぽどうれしいようです。

わたしは、ようやく自分のやりたい事が定まりました。今、わたしはわたし個人として、とても幸せです。

ここまで来るのに、いろいろな物を失い、そしていろいろな事と出会いました。でも、それは全て必然でした。きっと、いばや通信も、わたしにとって必要な言葉だったのだと思います。

人生は、続くんですね。またいつか、お会い出来る日が来る事を願っています。

寒い日々、お身体ご自愛くださいね。

 

https://www.instagram.com/p/BuMt-3agkqI/

Love is always with you

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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LINE ID ibaya

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

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横浜駅ドトールにいる。昨日「ドトールにいくことをやめた」とか書いたが、別にやめなくていいじゃないかと思った。ただ、タバコをやめればいいだけだ。タバコがないことではなく口元がさみしいことが、禁煙(あるいはダイエット)失敗の元凶であると。さすれば、常に口元をなにかで満たしてあげたら、万事、解決。そこで出ましたおしゃぶりジーニアス。ドイツ製の高級おしゃぶりは、ギャン泣きの赤ちゃんも黙らせる抜群の効果で世界中のママたちを救済。おしゃぶりジーニアスを禁煙に活用する坂爪ジーニアス。写真を公開したら「変態やん」と言われた。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】爆誕@神奈川県横浜市港北区
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ibaya.hatenablog.com

 

男の日常。

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変態と言う名の紳士

 

本気な人といたい。完璧な人じゃない。完璧に手を伸ばす人といたい。挑戦する人が好きだ。必死に生きながら、同時に自分を「意気地なし」だと思える人が好きだ。自分はダメだと思えるからこそ、よくなっていける。そういうひとと、一緒にいたい。何度でもやり直せる。確かにそれは真実だ。だが、私は「これが最後だ」と思って生きている人が好きだ。チャンスなんて何度もあると思うより、これが自分にとってラストチャンスだと思って、目の前にあるものに取り組む人が好きだ。

 

Rest Inn Peaceを「新しい音楽が生まれる場所」にしたい。ここでひとつ、提案があります。もしも、ずっと表現活動をやりたいと思っていたけれど、なかなかはじめる機会がなかった貴方。この場所(Rest Inn Peace)を使って、あなたの発表会をやりませんか。音楽に限らず、演劇でも、踊りでも、ワークショップでも、料理でも、講演会でも、なんでもいい。ずっとやりたいと思っていたけれど、なかなかはじめられなかったことを、一緒にはじめていきませんか。技術の有無や、才能の有無は、関係ない。関係あるのは、ただ、やりたいと思う気持ちだけだ。この場所を「なにかをやりたいと思っている人たちが、動き出せる場所」にしたいと思う。

 

自分の周囲にいる五人の平均値が、自分になる。中途半端な人々といると、中途半端な人生になる。こうはなりたくないと思う人々の中に身を置くと、非常におろそしいことに、いつの間にか「自分自身も、こうはなりたくないと思う自分になる」ことがある。環境が、人生を決定づける。環境は、自分で探し出すこともできるし、自分で作り出すこともできる。私は「前向きな環境を作りたい」と思う。そのためには、青臭い言葉だが「これがラストチャンスだと思って、自分のすべてを捧げて生きようとする人間」が必要だ。誰かになにかをしてもらうことを待つのではなく、自ら動き出せる人間が必要だ。自分の夢を叶えるのは、いつだって自分だ。

 

note.com

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。

電車に乗っていたら、目の前の若いサラリーマンのスマホ画面が目に入った。私のブログを読んでいたので、悪戯心が芽生えて「それ、私のブログですよ」と声をかけた。男性は、ビクッ!と肩を震わせて「ま、まじですか…!」と言った。私は、にこにこしながら頭を上下に軽く振った。次の駅で降りる必要があったので、男性に「ありがとうございます」と御礼を告げて、別れ際にがっしり握手をした。なんだか、とても爽やかな時間だった。生きているって愉しいことだな、と、思った。

 

たかだか34年の人生だが、色々なことがあった。基本的に死にたいと思っていた10代の頃も、好きなものに触れている時間だけは「生きていたい」と思えた。東京の大学に進学するが、周囲に馴染めず退学をして「もう、自分の力で生きていくしかないのだ」と腹を括った。三十種類以上のバイトを経て、結果的に「家のない生活」を通じてプチブレイクをしたが、その間も文章を書き続けた。このブログ『いばや通信』も、開始以来6年目になる。そろそろ次のステージに進む必要を感じたので、年内限りで更新をとめる。次は、どこに行くのだろうか。わからない。だが、わからないことが面白いのだと思う。一寸先は闇だが、一寸先は光でもある。

 

崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。根拠のある自信なんてひとつもなかった自分は、ただ、根拠のない自信をひたすら信じ続けて生きてきた。自分にも、生まれてきた価値があるはずだ。誰も、何も、そのようなことを言ってくれるひとはいなかったが、最後の最後まで「自分だけは、自分を見捨ててしまってはいけない」と思い続けた。その思いが、功を奏したのかどうかは謎だが、まだ、残された時間がある。自分には好きなひとがいて、自分には好きなものがある。自分は、ただ、自分の『好き』に殉じればいいのだ。崇高な道を選べば、必要なものは与えられる。誰かになにかをしてもらうこと以上に、自分のこれからに、期待をしたい。

 

 

Facebook読みました。
いばや通信を年内で閉鎖されるとのこと。
お花をあげるプロジェクトをやめること。
知らない土地で初めての人に会うことをやめること。
音楽でプロになること。

もう何年も(5、6年は読んでいたと思います)読んでいた身としては寂しいですが、確実に坂爪さんは新しいステージに進むんだな、と感じました。


私も次のステージに進みたいな、と感じました。


これからは、自分が「これだ!」と決めたものになれる時代と言われています。


今の時期に何が必要でそうでないかを見極め、来年に向けて進もうと思います。


陰ながら坂爪さんのこれからのますますのご活躍をお祈りしています🙏


たくさんの気づきをいただけたこと、生きる勇気をもらえたことに感謝しています。

 

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人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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LINE ID ibaya

最後の断捨離。

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横浜駅ドトールに行くことをやめた。この一ヶ月で、色々やめた。Agapeをやめた。アマチュアでいることをやめた。プロを目指さないことをやめた。本気を出さないことをやめた。独身をやめた。一人で生きることをやめた。ごちゃまぜの家をやめた。「存在しているだけでいい」と思うことをやめた。存在の奥にある、輝きを眠らせておくことをやめた。やめたいことをやめないことをやめた。そして、今日、これから本当の地獄がはじまる。最後の断捨離が、はじまろうとしている。

 

 

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ibaya.hatenablog.com

 

タバコを吸うな。愛を吸え。

タバコをやめた。禁煙に挑戦しているのではなく「禁煙成功1日目」と言いたい。父にそそのかされて吸ってから、タバコはずっと近くにあった。我が父は愚者なので、小学生の私に「ほれ」とか言いながら吸わせた数ヶ月後、肺がんで入院した。タバコは絶対ダメだと医者から言われながら、隠れてこっそり病院でタバコを吸った。それを見た妻(私の母)から「ちょっとあんた、ダメでしょ!なにしてんの!」とタバコを没収されそうになるのをササッと交わし、驚いたことに、父親は妻(私の母)に向かってあっかんべーをした。いい年こいた男性が、あっかんべーをしたのだ。衝撃が走った。「俺は、こいつの息子なのか」と、えらく感動した。

 

しかし、私は「俺は、こいつの息子なのか」状態を離脱することを決めた。ここにアイデンティティを置くことをやめた。タバコも酒も嗜好品も、やめるときは「それをやめたら、生きる楽しみがなくなるじゃないか」的な抵抗が生まれる。私にとって、それがタバコだった。タバコのために生きているところがあった。酒好きな人は、うまい酒を飲むために生きるだろう。そのために「この仕事を頑張り抜いたら、絶対にうまい酒が飲めるぞ」という、モチベーションにもつながる。だがしかし、だがしかしである。勝手に独身離脱を決め込み、勝手に音楽活動を再開した小生にとって、自分の体は、もはや自分のものではない。自分の好きなひとのための体であり、だからこそ、メンテナンスがウルトラ大事なのだと思うようになった。

 

合言葉はラブパワーである。安心してくださいと自分に言いたい。タバコをやめても、いまのあなたにはあふれんばかりの喜びが残ります。それは『音楽』と『人間』です。あなたには、タバコを吸いながらどこかしらやさぐれているところがありましたね。でも、もう、やさぐれる必要はないのです。なぜならば、あなたには、尽きることのないラブパワーがあるのですから!!と。なぜか口調が女神チックになってしまったが、そう思う。やめるならいまだ。このタイミングでやめないと、また、俺は言い訳を続けてしまう。逆に言えば、やめたらかっこいいよね。かっこよくなりたいよね。よし、かっこよくなろう。タバコを吸いたくなったときは、天を仰ぎながら「ラブパワー!」と唱えよう。さすれば、全部、解決である。

 

note.com

 

最後の断捨離。

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Guitar.Vo / Keigo Sakatsume

 

最後の断捨離は『自分』である。結局、どれだけものを捨てても『自分』を捨てられないのなら、たいした変化はないのだと思う。音楽は平等だとは思うが、感動する演奏と、まったく感動しない演奏がある。それは、歌い手に「かっこつけようとしている」自意識を感じるかどうか、だ。こう見せたいと思う自分がいる限り、そこを越えることはできない。素晴らしい演奏、生々しい肉感をもって迫ってくるものは、常に『自分を越えているもの』であり、常に『自分を越えていくもの』だ。

 

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Bass.Vo / Ryota Hoshina


表現とは、何だろうか。それは「これが自分です」と、弱さも醜さも汚さも全部ひっくるめて、生身の自分を晒す行為だ。魂の咆哮だ。だが、一方では「自分を透明にしていく」行為でもあると思う。自分が、ただの管のようなものとなり、自分を通じて作品が生まれる。その時、この作品が自分だと言うよりも「自分なんてどこにもいない。ただ、自分を『使って』表現がされただけだ」という状態だ。自分の命を生きていると言うよりは、命「が」自分を生きている。そういう状態がある。

 

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Drums.Pf / Ryusuke Toita

 

いま、生きている。そのこと自体が『表現』だと思う。表現とは、音楽家や芸術家だけがやることではない。生きている限り、ひとりひとりが避けることのできないもの。それが『表現』だ。様々なスタイルで、様々な人々が表現をする。だが、心を打つものには、共通した感覚を触れたものに与える。それは「手を伸ばすことを諦めない」自由だ。何かをやりたいと思う。自分には無理だと思う気持ちもある。だが、同じくらい「できるかもしれない」と思う部分もある。その、できるかもしれない部分の可能性を、諦めない。届かないかもしれないけれど、届くかもしれない。それならば、届くかもしれない方向に賭ける、その思いだ。自分を、世界を信じたいと思う切実な願いだ。負けるな。諦めるな。投げ出さないで、顔をあげろ。俺も頑張るから、お前も頑張れ。真の表現には、必ず、生きようとする力が宿る。

 

 

初めまして!

突然のLINE失礼します。岐阜県在住の○○○○と申しますm(_ _)m 40歳です。

坂爪様のいばや通信を、約2年ほど前から、友達経由で知り、ずっと、目が離せず、また、ブログのお言葉に多大に叱咤激励されてきた、1人です。

このたび、いばや通信を閉鎖されると拝見しまして、どうしてもどうしても一言お伝えしたく、LINEさせて頂きました。


生きる”覚悟”を、思い出させて頂き、本当にありがとうございます🙋‍♀✨✨


今置かれている状況(1歳の子育て)で、気分最高の自分に毎日出会いたい(どんな気分でも、じぶんです^_^)‼️
坂爪さんだったら…ときどきふと思います。そう思える事に、感謝です。

坂爪様のお言葉は、ブログ読むたびとても心の近くで大音量で響き、沁みこみます。


とても、とても言葉で表し切れないくらい感動と、勇気をありがとうございます(おねがい)✨


THE PRESENTS‼️


ブログはなくなっても、これからも応援します。


もし、本が世に出たら、多くの人の意識が変わりますね。


まとまらなくてすみません。
本当にありがとうございます。


坂爪様、周りの方々が、幸せでありますように🙋‍♀💖


お元気で(星)(星)(星)(星)(星)

 

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THE PRESENTS photo by Kazunari Yokoyama

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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夢を生きる限り、ひとりにはならない。

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横浜駅ドトールにいる。関西弁で、性急で落ち着きのない人を『いらち』と言う。我輩はいらちである。いらち。響きが好きだ。多分、マヤ語の『インラケチ』に似ているからだと思う。インラケチとは、挨拶の言葉で「私は、もう一人のあなたです」という意味がある。人間も自然の一部で、あなたも、私も、自然の一部。そこに分離感はなく、全部、根源はつながっている。そういう感じの言葉になる。

 

 

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お前が「ありがとうございます」と言え。

昨日、凄いものを見た。数日前にRest Inn Peaceに遊びに来てくれた、Hさんの演奏会が行われた。これまで一曲も作詞作曲なんてしたことのなかった彼女が、二曲、自作の曲を演奏した。正直言って半端なかった。凄まじい表現力と、才能と、情け容赦ないエネルギー体をまるごとぶつけられた感じで、震えた。恐怖さえ覚えた。「これが表現だ」と思った。自分の喉元を掻っ切って、撒き散らす血しぶきを浴びたみたいだった。問われた。お前は本気で生き切っているのかと、問われた。

 

客商売をしているひとならわかると思うが、普通、店員がお客さんに「ありがとうございます」と言う。しかし、これ、実は逆なんじゃないのか。本当に良い買い物をしたとき、売り手ではなく買い手(客)の方が「ありがとうございます」と思うものだ。だから、表現者が、あまりにもありがとうございますと連呼することは違うと思う。聞いてくれてありがとうございますとか、来てくれてありがとうございますとか、言いたい気持ちはわかる。しかしながら、丹田に力を。演者は「お前が、ありがとうございますと言え」くらいの気概で、演奏した方が作品の質は高まる(と思う)。誰にでも頭をさげまくっていると、なんと言うか、いらちになる。

 

毎朝、篠原八幡宮を経由してドトールに行く。祈る言葉や願う言葉が自分にはないから、参拝をするときも「ありがとうございます」以外に、言葉が出ない。私は鳥が好きで、私は猫が好きだ。鳩を見ても「ありがとうございます」と思うし、猫を見ても「ありがとうございます」と思う。心の底からありがとうございますと言える瞬間は、端的に、気持ちいい。申し訳なさを隠すためのありがとうございますではない、ただ、ありのままでそこにある『命』に向けられたありがとうございますを、私は、連発したい。予防線を張るためではなくて、予防線を越えていきたい。

 

www.youtube.com

 

「すっとこどっ恋」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

恋は恋のまま 変わらない
すっとこどっ恋 ショータイム
僕たちの恋は 終わらない
すっとこどっ恋 しょ

まだ 僕の祈りは 叶えられていない
ただ 君の命を そばで見ていたいよ

恋は恋のまま 変わらない
すっとこどっ恋 ショータイム
僕たちの恋は 終わらない
すっとこどっ恋 しょ

まだ 君の祈りは 叶えられていない
ただ 僕の命を 握り締めていてよ

恋は恋のまま 変わらない
すっとこどっ恋 ショータイム
僕たちの恋は 終わらない
すっとこどっ恋 しょ

 

note.com

 

夢を生きる限り、ひとりにはならない。

過去記事で「名古屋でライブが決まった」と書いた。だが、大人の事情で一悶着あり、どうなるかわからない状態になった。なにが起こるかわからない。これは人生(我々)の常態である。一寸先は闇。だが、同時に「一寸先は光」でもある。ひとつひとつの出来事に、意味を与えるものは自分自身だ。理不尽な出来事に恨み節を唱え続けるのか、災い転じて福となすのか、問われているのは意思だと思う。意思と言うか、ベストを尽くすことだ。怒りさえも、前向きな力に変えていくことだ。

 

トラブルが起きたことで、最初はわたしも岡崎さんも激しく狼狽し、落ち込みました。そのあと、言い知れぬ怒りがふつふつと湧いてきて、それは何者かに宛てたものではなく、ベストを尽くさないままただ落ち込んでいるだけの自分に対する怒りだと気づくまで、時間は掛かりませんでした。

 

数日前、音楽を本気でやりたいと話すひとと、音を合わせる時間があった。そのひとは音楽初心者だから、技術的には拙い。だから、失敗をする。失敗をすることなんて、全然いい。ただ、失敗をするたびに、笑ってごまかすところがあった。それは、いただけない。だから、私は「失敗しても、笑わないでください。卑屈なエネルギーが音に乗るから、笑うことに力を使わないで、やり直すことに力を使ってください。笑う代わりに、もっと悔しがってください」と言った。そのひとは、その後、集中をしてくれた。音が、俄然、よくなった。聞き違えるほど、よくなった。

 

来週火曜の討ち入り、それがオーナーさんの心に何かしらのダメージ(?)を与えられることを祈って、全力で行きます‼️どうか、今しばらくお時間をください。坂爪さんも遠慮なく全力で来て下さい‼️どんな言葉でも、運命でも、真正面から受けます‼️よろしくお願いします‼️

 

私は「そうこなくっちゃ!」と思った。テンションがあがった。人間、生きている限り「お前を殺して、自分も死ぬ」くらいの気概で突撃するべき瞬間が、一度や二度はあるものだ。本能的な身震いを感じさせる、生きている実感。ああ、俺はこれが欲しかったのだと思えるような、命と命のぶつかり合い。昨日、Rest Inn Peaceで演奏してくれたHさんは「真面目な自分には、これくらいがちょうどいい」と言いながら、祭りの時に使うねじり鉢巻を額にまきつけて、演奏をした。あの感じだ。討ち入り。古い自分を一回殺して、新しい自分になって生まれ変わる。Hさんは「私は、もっとキモくなりたい」と言った。それ程に、自分を解放したいのだと言った。私は「めっちゃいいね」と思った。俺も、負けてはいられないと思った。

 

 

坂爪さん、おはようございます😊

昨日は、こちらのトラブルで坂爪さんに嫌な思いをさせてしまったかもしれません。ごめんなさい‼️どうしても、自分にも坂爪さんにも嘘をつきたくなかったので、ご連絡させていただきました。

そして、岡崎さんとわたしを信じて待っていただけることに、こころから感謝しています。ありがとうございます。


トラブルが起きたことで、最初はわたしも岡崎さんも激しく狼狽し、落ち込みました。

そのあと、言い知れぬ怒りがふつふつと湧いてきて、それは何者かに宛てたものではなく、ベストを尽くさないままただ落ち込んでいるだけの自分に対する怒りだと気づくまで、時間は掛かりませんでした。


開けてもいない箱の中身を見ずして諦めるという選択はわたしにも岡崎さんにもありませんでした‼️


結果的に、トラブルがあったことで、わたしは本気でこのトラブルさえも楽しもうと思えました😊

岡崎さんの本気ぶりがあまりにカッコいいので、坂爪さんにもお伝えしたく、岡崎さんからのメッセージを貼らせていただきます‼️


「今晩わ❗昨日は、瑞穂さん、秀眞くん、坂爪さんには、わたしの至らなさから不快な思いにさせ申し訳ありませんでした。でも私にとっては、秀眞くんとアートスタジオに所属しているメンバーにアートを通して、どんな活動を目指し、どう絆を構築するかを考える機会を与えてもらった思いでした。もう迷うことなく秀眞くんの初個展を成功させる勇気がでました。秀眞くんに感謝します。来週火曜日に私の展覧会の思いを企画書にまとめ話をしにいってきます。きっとわかって頂けると思っています。」


岡崎さんは今、眠ることも後回しにして企画書を作ってくださっています😊


お金や体裁はどうでもよい‼️秀眞さんと坂爪さんの絆を、ぼくはみなさんにどうしても伝えたい‼️その為なら身銭を切ってでも、命を削っても成功させる‼️と。

めちゃくちゃ熱いです😊
岡崎さんが人生をかけて、矢面に立って闘う姿に、わたしも覚悟を決め、共に倒れてもまた何度でも立ち上がることを決めました。
何度でもわたしを殺しに行ってきます‼️


坂爪さんや保科さん、RYUちゃんまで巻き込んでごめんなさい‼️
来週火曜の討ち入り、それがオーナーさんの心に何かしらのダメージ(?)を与えられることを祈って、全力で行きます‼️
どうか、今しばらくお時間をください。


坂爪さんも遠慮なく全力で来て下さい‼️どんな言葉でも、運命でも、真正面から受けます‼️よろしくお願いします‼️


連日、大切なお時間を割いてくださり、ありがとうございます♥️


坂爪さんの今日が最高の一日になりますように✨
お祈りしています🍀

 

https://www.instagram.com/p/BvkSnlSAy9I/

Stop living in the past

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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LINE ID ibaya

俺たちは、絶対に大丈夫だよ。

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横浜駅ドトールにいる。昨夜、渋谷にいた。人混みは苦手だけど、小さなこどもを眺めていると、元気になる。鳥や、月や、花から力を貰うこともある。自然が素晴らしいのは、ただ、ありのままでそこにあるからだ。賑やかな命に、励まされる。イルミネーションが綺麗だった。商業的だと以前は斜めに見ていたが、実は、どれもが「誰かが、誰かの幸せを願って作ったもの」だとしたら、輝きを帯びる。

 

 

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捨てられる前に、捨てないで。

先月末に、Agapeというバンドを解散した。解散直前、メンバーのひとりが「脱退したい」という話をした。それを聞いたとき、私は「行かないで」と思った。まるで、小さなこどもが母親に置き去りにされることを感じ取ったときのように、私は「私を、見捨てないでください」と思った。この時、過去の記憶まで一緒にこみあげてくるような、深い底なし沼のようなものの存在を、私は、私の内面に感じた。

 

メンバーが脱退したいと話したとき、私は「ああ、また見捨てられる」と思った。どうしてなのだろうか、その時、私は『また』という風に感じたのだ。そして、それを感じ取った自分は、直後に「いや、ちょっと待てよ。ここで『また』とかいちいち思わなくてもいいじゃないか。過去の記憶を引っ張り出してきて『ほら、また、うまくいかなかった』などと思う必要はない。相手にすがる必要も、自分を抑える必要もない」と思い直した。この気づきは、個人的にノーベル賞ものだった。

 

私は、どうやら『見捨てられる恐怖』のようなものを、抱えていた。だが、それは幼少期にそういう体験をしただけのことで、年齢を重ねたいま、幼少期と同じ思いを抱き続ける必要はない。相手が離れようが、自分は、自分の『好き』を抱き続けることはできる。お前が俺を見捨てても、俺はお前を見捨てない。そう決めることができる。そう思い直した途端、相手にすがる気持ちが消えた。私は「何が起きても、俺はあなたのことが好きです」という思いに、着地をした。結果、Agapeは解散をすることになった。そして『THE PRESENTS』という、新しい命が生まれた。

 

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俺たちは、絶対に大丈夫だよ。 

今年の頭に、私は「音楽をやる」と決めた。この時の感覚は、成功するなら続けるけれど、成功しないなら諦めるという思いではなかった。ああ、俺は死ぬまでこれをやるんだろうなあという、静かな予感と一緒に「音楽をやる」と思った。うまく説明できないが、音楽と人生という並列するものではなく、音楽『は』人生になった。音楽をやることが、生きることそのものになった感覚で、そういう風に思えるものを見つけた自分を、とても幸運に感じた。自分は「出逢ったのだ」と思った。

 

私には、いま、好きな女性がいる。彼女と出逢ったとき、私は「音楽と同じだ」と思った。この時の感覚は、報われるなら一緒にいるけれど、報われないならば離れることもあるという思いではなかった。ああ、俺は死ぬまでこれをやるんだろうなあという、静かな予感と一緒に「俺は、このひとが好きだ」と思った。それは、散歩を愛するひとが「生きている限り、体が動き続ける限り、自分は散歩をしたい」と思うことと同じように、自分にとって自然な感情だった。料理を愛するひとが死ぬまで料理をやりたいと思うように、空を愛するひとが死ぬまで空を見上げていたいと思うように、私は「自分は、この人を好きであり続けるだろうな」と思った。

 

決して自慢をしたい訳ではない。ただ、音楽と出逢えた自分に、彼女と出逢えた自分に「よかったね」と言ってあげたくなるような、そんな瞬間がある。そう思うとき、不思議な涙がこぼれ落ちる。まるで、神様が最高のプレゼントを用意してくれていたような、そんな気持ちになる。自分史上最高の『宝物』と呼べるものが、いま、自分にはある。大事なものを大事にしたいと思うとき、自分は、自分を大事にできていると思う。好きなものを好きになるほど、自分は、自分を好きになれていると思う。クリスマスが、近づいている。自然が素晴らしいのは、ただ、ありのままでそこにあるからだ。自然を愛するように、自分を、ひとを、愛したいと思う。 

 

 

圭吾さん今晩は。いばや通信を
年内に閉鎖される。とのこと。
もう読めなくなるのは寂しい
ことですが終わりは始まりでも
ありますね。
私が圭吾さんを知ったのは
乙武洋匡さんのFacebook
投稿から。
家の無い生活をしている青年に
お会いしたという内容。
乙武さんの隣でさわやかな笑顔で
Vサインしている圭吾さんを
今も鮮やかに覚えています。

いばや通信を読んで私が
大切にしていることが
心をこめる。
これでいいか。でなく
これがいい。をする。
この人でいいか。でなく
この人がいい。と思う人といる。
を大切にしています。
圭吾さんが熱海のお家や
ごちゃまぜの家のお掃除や
料理をする時に心をこめて
掃除する。
心をこめて料理する。ということを
読んで、とても大切だなぁ。と思い、
私は日頃掃除や料理するけど心をこめていたかな?と思いました。
毎日することだからこそ
心をこめて丁寧にやりたいと思いました。
家族に対しても心をこめて
行ってらっしゃいや、お帰りなさい。を毎日いうのもとても大切
なことだと思います。
いばや通信を通じて大切なことを
大切にしていこう。という
気持ちになりました。
圭吾さんに初めてお会いした時
真っ直ぐで綺麗な瞳をされて
いるなあ。と思いました。
そして私はそんな真っ直ぐで
綺麗な瞳の圭吾さんが
とっても好きです。
今の家庭や家族、家のことを
大切にしながら
今後の圭吾さんの活躍を
見守っていきたいと思います😊 

 

https://www.instagram.com/p/B6NZNYkgp-k/

I wish you love

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE http://urx2.nu/xkMu 

 

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もう、誰のせいにしないでもいい。

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横浜駅ドトールにいる。年内で『いばや通信』を終えることにした。一応、アクセス数があるから「広告を貼ればいいのに」と何度も言われた。だが、私は「広告なんて貼ってたまるか」と思い続けた。どうして、そう思ったのだろう。体を売って金を得る行為を『売春』と呼ぶ。21世紀の今も、売春は平気で行われている。会社で。家庭で。生きるために望まないことをやることは、売春と同じだ。売春をやめると「死ぬぞ」と言われる。望むところだ。そんな世界は、生きたくもない。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】爆誕@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


SCHEDULE on http://urx2.nu/xkMu 
 

 

ibaya.hatenablog.com

 

ロックンロールとキリスト教

昨日、26歳の女性がRest Inn Peaceに遊びに来てくれた。彼女は話す。生きづらさがずっとあって、自分は両親との仲があまりよくなく、なにかあると母親はすぐに怒る。だから、自分は「怒られないため」に行動を選び続けていた。それが、年齢を重ねた今でも消えなくて、友達や職場の人たちと繋がることができない。いつも「嫌われる恐怖」があるから、話を聞くことはできても自分の話をすることができない。人と繋がりたい。だけど、どうすればいいかわからない。だから、Rest Inn Peaceの『デスアニバーサリー』に興味があって、坂爪さんに連絡しました。と。

 

ちゃんとしてなくちゃいけない。しっかりしていないといけない。そうじゃないと、自分はここにいてはいけない。自分はここにいることが許されていない。そういう思いが、胸の奥にずっとある。だけど、それじゃあまりにも生き苦しいから、自分を変えたい。そういう話を、彼女はした。私は、ただ、話を聞くことしかできなかった。話を聞きながら「それは大変だね」と思った。そして、実際に「それは大変ですね」と伝えた。彼女は、涙を浮かべながら「大変なんです」と、笑った。

 

彼女は「私を殺してください」と言った。だが、私に彼女を殺すことはできない。自分を殺せるのは、自分だけだ。踊ることと歌うことが好きな彼女は、踊りを習うために東京に越してきたばかりだと話した。大好きな曲があり、それに振り付けをつけることが夢なのです、と。色々話し、結果的に「自分の歌を一曲作り、人前で歌う」ことになった。誰かの歌ではない、自分の歌を。その場面を想像するだけで、恐怖の余り涙が出る。そう話しながら、再び、彼女の頬を涙が流れた。作ります。いますぐ作りはじめたい気持ちです。そう話しながら、Rest Inn Peaceを離れた彼女から、昨日の晩に連絡が届いた。「曲ができました」と。その発表会を、明日12月19日(木)12時からRest Inn Peace(旧・ごちゃまぜの家)で開催する。 

 

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「ロックンロールとキリスト教(仮)」 

叫びたくて 叫びたくて 大声を出して 歌いたくて
マイク持ってギター持ってステージの上に立ち上がる

屈辱なんてバネにしないぜ ジョイだけで譲位

ぼくのこころを動かしたロックンロールというやつが
ここにあって それをやる自由がぼくにもあるのです

わかるだろう? もうまともじゃいられないぜ

愛想だって ロクにまけたことねえし ねえ
地球(ここ)に馴染めるか? 俺は異星人なのか?
笑えたら 勝ち組か? 楽しんだもん勝ちなのか?
ならば 泣きそうになりながら笑う 俺は 何だ?

暴れ乱れるダスト 止まらないクエスチョン この夜に!チェスト!

男らしくない君は 正真正銘 男だって 
女らしくない君も 正真正銘 女だって

らしさなんて蹴り飛ばして 人間(そのまま)で ゴー

なにもかもまったく 嘘くせえ夜だ
あんた幸せかい? いったいなにが楽しいんだい?
生きてきたことだけで 息をしているだけで
勝ち組じゃダメか? やっぱなんかなきゃ価値はねえのか?

まあ茶でも飲みレスト 飲み込めぬクエスチョン ゴミ箱に!チェスト!

消えちまいたくなる 夜もあるけどね
だけど それでもね この夜を 突き抜けて

もうどうしようもないくらい ぼくはぼくであることを 
止めることできない もう このままでいくしかない

いろんな気持ちになる ぼくはまだ生きている
嫌なことも全部 全部 全部 全部 歌にする

起死回生のラスト 俺からサジェスチョン また会おう!チェスト!

 

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もう、誰のせいにしないでもいい。

なにかをやめるときに「もったいない」と言われる。大学をやめたときも「せっかく入ったのだから、卒業しておきなよ」と言われた。同時に「やめたらなにをするの?」とも、言われた。私は、やりたいことがあるからやめるのではなく、やめたいからやめるのだと話した。しかし、その言葉が届くことはなかった。もったいないの一点張りで、ああ、これが世間だと思った。損得勘定と呼ばれるものがある。得ならやる。損ならやらない。一見合理的だが、心が、魂が、死滅する。損得勘定の損は、本当に損なのか。損得勘定の得は、本当に得なのか。逆じゃないのか。人間、損をする道に賭けた時、本当の意味で『生きている』と言えるのではないか。

 

うまい言葉が見つからないが「魂がよろこぶ生き方をしたい」と思う。言葉には二種類ある。頭から出てくる言葉と、肚(魂)から出てくる言葉だ。前者の言葉に、もう、私の体は反応しなくなってしまった。得をするだけでは動けない。金になるだけでは動けない。そこに『心』がなければ、そこに『命』がなければ、魂がよろこぶ生き方はできない。体を生かすだけじゃ足りない。命を、心を、魂を生かしてやらなければ、生活はいつまでも虚しいままだ。青臭い言葉だと笑われることもある。だが、そう言う人々に「お前らとは、覚悟が違うんだよ」と思う。自分を完璧だとは微塵も思わないが、自分の言葉に、自分の魂に、嘘のない生き方をしたい。

 

自分が幸せに生きることを、もう、誰のせいにしないでもいい。 家庭環境がどうだとか、置かれている環境がどうだとか、金がないとか、自信がないとか、勇気がないとか、才能がないとか、やらない言い訳は無限にある。だが、言い訳を重ねる度に、自分の力を誰かに明け渡す。自分の欠落ばかりに意識が向き、その欠落を『誰か』に埋めてもらいたがるような生き方になる。私は、それを「違う」と思う。欠落なんて、ない。あったとしても、気にするほどのことではない。完璧な人間はいないが、無価値な人間もいない。人間には『力』がある。人間には『力』がある。

 

 

こんばんは。
ツイッターを見ました!いばや通信を閉鎖されるんですね。

すごく寂しいけど、なぜか遠くないうちにこの日が来るような気がしていました。


最近の坂爪さんの言葉は今までに増してすごく力強くて、何度も何度もブログを読み返していました。

坂爪さんの厳しい言葉、強い言葉は読んでいる人や、特定の誰かに向けての言葉のようで、坂爪さんが自分自身に向けているようにみえるし、
坂爪さんが決断をくだすとき、迷いを断ち切りながら進んでいく姿を見ていると、「お前は中途半端の生き方してないか?」と問われているような気持ちになりました。


私も最近大切なことを決めなければいけない場面がありましたが、自分でも不思議なほどに、きっぱりと決断することができました。


ふつふつと湧いてくる、曖昧にしてやり過ごそうとする弱い心、相手と向き合うことから逃げて都合よく誤魔化したくなるずるい心、打算や損得勘定をしっかりと切り捨て、自分の気持ちに忠実に、1つの道を断つことができました。
これは今までの自分には絶対にできなかったことです。

坂爪さんの生き様、覚悟、いろんなものが言葉から滲み出ていて、読んでいる自分にじわじわと染み込み、私を強くしてくれました。

そして、何かを終わらせ、道を選ぶごとに決意が深まることを気付かせてくれました。


いばや通信が終わることは辛いですが、これは坂爪さんの覚悟の証なんだと思います。

いばや通信がなくなっても、坂爪さんにお会いする機会がなくなってしまったとしても、坂爪さんの言葉は私の中で生きていくし、自分の人生を歩むことこそがすべてなのだと感じています。


坂爪さんのいる、この時間を過ごせていることが幸せです。いつも勇気をありがとうございます。


長文になりましたが、最後まで読んでくれてありがとうございました🍀

 

https://www.instagram.com/p/BdbyicrjDG-/

この人でいいかなではなく、この人といたいと思えるひとといること。

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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これまでも、たくさんの奇跡を起こしてきたじゃないか。

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横浜駅ドトールにいる。昨日、めっちゃ演奏がうまいバンドを見た。だが、心が打たれることはなかった。その理由を考えたら「人間」と思った。どうしたって、生身の人間の部分が一番前に出る。誤爆を招きながら言うと、演者の姿を見ながら「絶対に感動してやらねー」とか、思った。技術も大事だが、人間も大事だ。我らがTHE PRESENTSの保科さんを見て「彼は、存在自体がベースだ」と思った。

 

 

おおまかなスケジュール

1月1日(水)Rest Inn Peace【無料の宿屋】爆誕@神奈川県横浜市港北区
1月8日(水)19時 THE PRESENTS DEBUT LIVE@東京都渋谷区『La.mama』

1月14日(火)19時 THE PRESENTS 弾き語りLIVE@東京都吉祥寺『曼荼羅
2月9日(日)12時 THE PRESENTS LIVE@名古屋『Salon jardine art gallery』
2月14日(金)19時 THE PRESENTS presents「PRESENTS is HERE」@大阪


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ibaya.hatenablog.com

 

公開しないと、後悔する。

毎日楽しいですかと聞かれても「苦しいに決まってんじゃん、バーカ」と言いたい。一通り悪態をついたあとに「楽しいです!」と言いたい。楽しいと苦しいは、対極ではなく同一だ。だからこそ、今、苦しんでいる同士に「共に頑張ろう」的な気持ちになる。君も苦しんでいるか、俺も苦しんでいるぞ、生きることは苦しいことだよな、だからこそ「共に生きよう」と、永遠の師匠・北方謙三のように思う。

 

 

昨日、海外在住の女性からこんなメールを貰った。「年下の男性から『貴女とセックスをしたい。でも僕はこういう失礼な事を言う自分が悪いと思っていません。だから絶対に謝りません』って言われて、まじまじと顔を見てしまった。多分、今まで色々な人に言われた中で一番直球の告白でした。男の純情は真っ直ぐだと打たれた」と。このような表現に嫌悪感を示す女性もいるのかもしれないが、私は、男性の気持ちがわかる。頭意識をすっ飛ばして、否応無く身体が反応することがある。

 

 

本当にいいものは、頭ではなく身体が反応する。音楽も同じだ。技術だけでは、頭だ。技術を軽視したいわけではない。ただ、心を重視したいだけだ。身体目当てという言葉がある。悪い意味で使われることが多いが、私は「身体目当ては純愛だ」と思う。だって、本当に好きならば、あなたを欲しいと思うだろう。触りたいと思うだろう。ひとつになりたいと思うだろう。独占したいとは思わないでも、一緒にいる時間だけは自分のものにしたいと思うのが、本当ではないだろうか。昨日、詩を贈っていただいた。それに曲をつけた。雪が溶ける「今」に、一生の愛を祈る。

 

www.youtube.com

 

「Snow in December」

Snow melted away on your hair
I have got a craziest idea
Hey you marry me?

We have got a key to open new life
I’ve already forgotten how I lived before I met you

I know how to play cool but when I think of you
I’m always losing myself...

Don’t laugh at me...
You make me feel I am not good enough for you

Snow melted away on your hair
I have got a craziest idea
Hey you marry me?

Just give me a time All I want is you
I will get mature to suit you...

I hate all the love songs in the world
None of the words is not enough for you

I will always adore you ....
I will always losing you ..

Snow melted away on your hair
I have got a craziest idea
Hey you marry me?

You do not know how perfect you are
Listen to me.. this is my song for you

Can you realize? In the Ray of light
Now I’m standing here naked, naked

Snow melted away on your hair
I have got a craziest idea
Hey you marry me?

We have got a key to open new life
I’ve already forgotten how I lived before I met you

I cherish you
I cherish your hair your eyes your hands
I cherish your heart

Snow melted away on your hair
I have got a craziest idea
Hey you marry me??

(訳)

君の髪で雪が溶ける
今 一番クレイジーなことを思いついたよ
結婚しないか?

僕たちは新しい人生を開く鍵を握ってる
もう君に会う前にどう生きてきたか僕は忘れてしまったよ

君の前ではテクニックとか出せない
クールに振る舞えない

僕のこと笑わないで
君といると自分の不完全さを思い知らされるのさ

君の髪で雪が溶ける
今 一番クレイジーなことを思いついたよ
結婚しないか?

僕に時間をくれるかい
君に追いつける男になるから

世界中のラブソングが大嫌いだ
だってどの言葉も君に相応しくないから

僕はずっと君に憧れて
僕はずっと君に負け続けるんだ

君の髪で雪が溶ける
今 一番クレイジーなことを思いついたよ
結婚しないか?

君は自分がどんなに凄いか知らない
僕を聞いて 君に贈る歌

ねえ 僕が今 君の目の前に
裸で立ってるって分からない?

君の髪で雪が溶ける
今 一番クレイジーなことを思いついたよ
結婚しないか?

僕たちは新しい扉を開く鍵を握ってる
もう君に会う前の僕を思い出せないよ

君を慈しむよ
君の髪を君の目を君の手を慈しむよ
君の心を慈しむよ

君の髪で雪が溶ける
今 一番クレイジーなことを思いついたよ
結婚しないか?

 

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これまでも、たくさんの奇跡を起こしてきたじゃないか。

2020年2月9日(日)に、名古屋でライブが決まった。過去記事で何度も紹介した、岡山の小学五年生・秀眞の個展@名古屋にゲスト参加(?)する形式で、開催される。数珠繋ぎの命。そんな言葉を、最近、保科さんがよく使う。思考は現実化する。点と点が繋がり、多彩な線を構成する。全部、無駄じゃない。そう思った。

 

坂爪さん、おはようございます♥️

笑いあり、涙あり、驚きあり、感動あり、癒しあり、なんでもあり、そんな色んな気持ちをくれた230曲の作品たちを、この世に生み出してくれて、ありがとうございます。

THE PRESENTSの《エンライトメント》
何度も何度も聴かせていただきました。
まだまだ、何度も何度でも聴きたい曲です。

難しい理屈は分かりませんが、エンライトメントは、とにかくわたしの魂が欲しているもの、そのものなのだと思います✨


何よりも驚いたのが、わたしがシェアをさせていただき、観てくださった岡崎さんの心を鷲掴みにし、結果的に保科さんとRYUちゃんまでも引き寄せたのが、このエンライトメントだったのです‼️


THE PRESENTSにしかなし得ない、本物の絆、本物の奇跡だと感じました😊
素晴らしい瞬間に立ち会わせていただいて、本当にありがとうございます‼️


2020年2月9日(日)名古屋
この日は間違いなく人生で最高の日になります✨


《Salon jardine art gallery》

ここで、THE PRESENTSの新たなる伝説が生まれる日になります😊


以下タイムスケジュールです

11:30 開場

12:00 軽食ランチビュッフェ

13:00 THE PRESENTS LIVE開演
(中10分休憩)

14:20 LIVE終了

チケットはビュッフェ込み一枚3000円、40人満席となります。
また、当日のステージではライブ告知や出版などの宣伝があれば遠慮なくバンバンやってください♥️


今、わたしは説明できないほどの温かい幸せの中にいます。


まるで、子どもの頃に秘密基地からシナリオのない冒険に出かけるときのような、クリスマスイブにサンタクロースを待ちわびて夢の世界へ溶けてゆくときのような、そんなワクワクドキドキを感じる心が、まだ自分の中にあり続けてくれていたことが、猛烈に嬉しいです♥️


坂爪さんの言葉の通り、夢を生きる限り、ひとりにはならないし、諦めないで歩き続けた先に、奇跡は舞い降りるのだと思います。


一生に一度きりの、とびっきりの奇跡を、ありがとうございます♥️


朝早くから長々と読んでいただき、ありがとうございました😊

どうぞ素敵な1日をお過ごしください♥️♥️♥

 

言葉を公開する時、音楽を公開する時、実際は怖い。自分にとって大事なものであればあるほど、それは『むき出し』になる。自分にとっての聖域であり、自分にとってのコアな部分であり、自分にとって一番繊細で傷つきやすく、脆い部分を相手に差し出す行為になる。だからこそ、外側には出さないで、自分の内側にひっこめて置けば、最悪のダメージを受けることはない。だが、もし、明日死ぬとしたら自分は同じように自分の思いを引っ込めるのかと問われたら、答えは『NO』だ。同じように、明日、自分にとって大事な人が生きていてくれるかどうかも、本当はわからない。わからないからこそ、明日にはすべて失ってしまうかもしれないからこそ、この瞬間にできる全身全霊を、ぶつけたいと思う。命を、燃やしたいと思う。 

 

エンライトメント歌詞もいいね。子供を見守る親のようやし、大切な人を送り出すよう。
○○○(愛犬の名前)を亡くしてから、ほんまに寂しい。でも精一杯愛したから悔いはない。愛も無くなってない。愛はいつもある。ってわかった!
今までずっと、終わりの来る前に終わらせてばかりで、見送るとか見届けることを避けてきた←怖いから。
握った手を離しても、掌から溢れても、なくなりはしない。むしろ大気に溶けて、ずーーーっと拡がるんやなぁ。ずっとあるんやなぁ。見送るって手放すって愛やなぁ。って思った!だからもう怖くない(^-^)
わたしは大丈夫。あなたも大丈夫。みんな大丈夫。
愛は透明やなぁって思いました✨

 

最悪のダメージとは、自分の聖域が汚されることではない。最悪のダメージとは「愛したいと思ったとき、もう、そのひとが目の前にいない」ことだ。天国に持っていけるものは、精一杯に愛した記憶と、精一杯に愛された記憶だけ。そのことを強く実感することができたとき、恐れることは何もない。自分は、ただ、自分が思う愛情のど真ん中を生きればいいのだ。傷つくことを恐れる気持ちもある。勇気を出して飛び込んだ先で、思いがけない傷を受けることも、再起不能だと思えるような傷を負うことも、一度や二度ではない。だが、私は、いつの日か「傷つくことさえもできなくなる」日が、必ず来る。その日まで、傷を恐れずに生きたいと思う。 

 

 

圭吾さん 私 泣いてます 

 
天職がない(天職を必要としない)人もいるのだと思う。それは、全然卑下することではなくて、逆に言えば「存在が仕事」なのだと思う。あなたがいるだけで、空間が華やぐ。天職のない人は、ただ「自分にとって、居心地の良い場所」にいればいいのだと思う。それが、結果的にいい仕事になるのだと思う。
 
これ、、、
今、私が離婚を経て、半年かけてたどり着いたところです。
すごいタイミングで書いてくれてありがとう。。。。。卑下しなくていいのね。
 
私の夢はズバリ世界平和。
20年前に自然農法やイベントを通して世界平和を、と農業を始め、、、。
農業から一線を引き
大きなイベントをするのも違ってきた、
どうしたいのか何がしたいのか
かんがえていました。
最近見えてきたのが
なにもせず生きてみよう。
自分の身をまず、ご機嫌に、平和の中においておこう。
そして何が見えるだろう。
 
9月のAgapeのライブの後、施術の勉強をしてきました。
友人たちに施術してお茶をだしてます。
あなたとのおしゃべりが楽しいといってくれる人続出です。←大袈裟
季節労働のバイトをしたり、ちょこちょこお菓子焼いて卸たり、自分の畑したり、、、
 
そんなささやかな日々を意を決して!!送ってみようと思います。
Rest Inn peace の礼拝でお話しさせてもらおうかな。←修行
 
圭吾さんの結婚ライフ、楽しみです。
バンドも、、、9月に来てくれた時リュウちゃんと武道館に絶対見に行くと約束してます。
 
〇お父さんとお母さんのお話 すごくよかった。素敵なご両親。前にリュウちゃんのお母さんの話書いてくれたのもよかった。嬉しかった。
〇保科さんも素敵な人ね、危なくて(^^)
 
読んでくれてありがとう。
良い一日を。

 

https://www.instagram.com/p/B6JpFpVgkJq/

Snow in December

 

人生は続く。

 

坂爪圭吾 KeigoSakatsume
keigosakatsume@gmail.com
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