無題

臨床心理士さんについて思ったことを書く。

10年くらい同じ心理士さんとたまに面談したりしなかったりしていた。

女性、年齢はちょっとよくわからないけど自分よりは明らかに年上、小柄で上品なしぐさと身のこなし、鈴の鳴るような声、後日音楽療法士でもあると知って妙に納得した。

 私はこの人を好きでも嫌いでもなかったけど、真正面からぶつかって来られることに対して自分との温度差みたいなものを感じていつも冷めてしまい、子供っぽい反抗心なのか毎回どうもあんまり真面目にやれなかった。

本当に勝手だとは思うが自分が最近思ったことや気づいたことを適当に喋ってはやや熱っぽく反応されたり励まされたり宥められたりすることに対して自嘲気味にヘラヘラ笑うことしかできなかった。

この人だって一生懸命やっているのだろう、だからそんな風にしか答えられないことを申し訳なく思ったりもした。

でもこんなくだらない話を出来るのは相手がそういう仕事だと割り切っていられるから。だからありがたい。私はきっとボランティアみたいな人には何も話せない。相手にそれなりの対価が支払われていなければ私の話に付き合わせることなんて出来ない。

 

特に慕っていたわけでもないけど何ヶ月も面談しない日々が続くと少しは顔を見せた方がいいのかなと思ってドアをノックすることもあった。ということは慕っていたのかもしれない。ご無沙汰してますなんてそんなん知ったこっちゃないぜって感じだったかも。今となってはそこまで気を使う必要もなかったのではと思うがいかんせんメンヘラの視界は狭い。

 

私自身がはっきりしないのだからこれといって何かが解決に向かうわけでもなく、だんだん面談の意味もわからなくなっていって自分の生活もいろいろ変化していくうちにほとんど顔を合わせることもなくなっていった。

 

 

ある日突然臨床心理士さんが変わっていた。

この病院には10年間ずっと1人の臨床心理士さんしかいなくて、この人は新しく来た人だと言われた。

あれ?じゃあ前の心理士さんはどこ行っちゃったの?なんでいなくなったの?

何も聞けるわけがない。そこまで深入りして良い世界ではない。だいたい私も不義理な人間だし。

なんかでも、突然いなくなった気がして、いや全然突然ではないはずだけど。定期的に面談していた人たちはそれなりに引き継ぎみたいなのをされたんだろう、私はたぶんもう1年かそれ以上は話をしていなかった。

よくわかんないけど少し寂しい。しんどかった時はたくさん喋ってお世話になったから最後にお礼言って頭くらい下げたかった。なんてのは安っぽいセンチメンタルである。

 

新しく来た心理士さんは前の人とはまた全然違う感じだった。

女性は女性、でも絶対自分よりは若い女の子、全体的に線が細くて車は丸っこい可愛いやつに乗ってそうな、ベージュとか無印良品とかムーミンとかが好きそうな雰囲気。

その時の私は仕事と家事のバランスがまったく取れなくて部屋は片付かないし洗濯物は溜まるし、だけど毎日ヘトヘトで帰ってきて寝て起きてまた出勤するだけで精一杯だしどうしたらいいのかわからなくてボロ雑巾みたいだったから、こんな情けない自分がこんなすべてのバランスが整ってそうな人に話せることなんかあるわけないと思った。

丁寧な生活をしてそうな新しい心理士さんはあんまり熱が入ってないベーシックなタイプの質問をしてきた。

私はただそれにシンプルな返答をすればいい。

意味も感じなかったけど暑苦しくもなかったからこういうのが普通なのかなと思ったりした。

終わってる生活の人が丁寧な生活の人と話すと緊張する。マスクの下は汗びっしょりとなる。

 

今一番何に困っていますかという質問に対して毎日の洗濯がしんどいということを話した。

しょーもない困り事だなぁ、洗濯ぐらいみんなちゃんとやってるよ、なんでそんなことがしんどいのだ、恥でしかないと思いつつも他に言うことがなかったので疲れて帰ってきて洗濯機を回して干す工程がきついみたいな話をした気がする。

ダメ人間すぎてたぶん話しながら汗だく。

丁寧な生活っぽい心理士さんはうんうんって感じで聞いている。

若くて可愛くて無駄な物を持たない暮らしの人は日々の洗濯ごときでこんなにしんどくなるわけない。

 

洗濯物めんどくさいですよね〜、私はよく溜めてしまって「たけぇな〜」と思いながらコインランドリー行ってました、と言われた。

無印良品の家具で生活してそうな人の口から「たけぇ」なんていう言葉が出てきたのが意外すぎてちょっとびっくりした。

えっ?なんだって?今たけぇって言った?

 

コインランドリー、使ってもいいのかなぁ…

生活を回すのって、大変で当たり前なのかなぁ…

 

もしかしたら日々の洗濯がしんどい人はたくさんいるのかもしれない。

だから乾燥機能付き洗濯機が売れるのだろう。新しい型が毎年出るのだろう。コインランドリーだってあんなにたくさんある。

世の中はあっち側の人間とかこっち側の人間とか、そんな簡単に線引き出来るものでもないのだろう。表向きはこざっぱりした身なりと笑顔の人間も散らかった部屋でもう疲れちゃったなと思う日もあるのかもしれない。

 

見た目だけで先入観を抱いて距離を置きがちなのはあるあるかもしれないが少しずつ話してみればそのイメージが結構偏っていたことに気づくかも。

そしてそれにほんの少し救われることも、フフッと笑えることもあるのかもしれないと思った2020年春のある日。

 

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遠雷だ。いや遠雷ではない。今は冬だ。遠雷は夏の季語だ。

でも確かにはっきりとそのような何かが。

眩暈は遠雷と似ている。違うか。

師走、ケーキとチキンを食べるイベントが終わり世の中の意識が一直線にお正月に向かい始める頃、私は眩暈に襲われた。

その結果3日も休むことになり、入るはずの給料が13550円飛んだ。体調が悪くても無理をして出勤するのが当たり前で、熱があっても計らなければ無いのと同じで、仮にどうしても休まざるを得ないとしても1日が限度だろうとずっと思っていた。というかそれくらいの覚悟でやってきた。ここに入る時、甘えを完全に捨てると。

しかしマネージャーは私をよく見ている。

私の性格も、それに伴う仕事の仕方も。(実際そのような事を電話で言われた)

それがわかっているから今日も明日も無理せずゆっくり休んでと言ってくれたのだろう。

OFCのAさんも私の働きを見ていてくれたらしく、先日本部の方からお褒めの言葉を頂戴した。

 

人それぞれ何に幸せを感じるか、何が人生において最も大切か、価値観や感じ方は様々だ。

誰が何を言おうと自分が自分に、自分の毎日に満足していれば、充実感や達成感を日々感じることが出来ていれば、それで問題ないのだと気づく。

まだ生活の他の面でもう少しここを頑張りたいとか意識を集中したいと思う部分もたくさんあるけれど、つまりそれはちゃんと前を向いて生きようとしているということで、それによって人類にとっての大きな敵 "虚無感" から解放されているのだと思う。

 

ね、大丈夫なんです。

どんな思い掛けない出来事が起こるか、それは生きてみないとわからないし、待ってるだけじゃダメ、行動に移さなければ何も変わっていかないことも多いわけで、だから私は挑戦し続ける。

 

曖昧に逸れる

最近紅茶ばかり飲んでいる。

幼い頃から父が紅茶を好んで毎日飲むのを見て育ったのもあり、元から好きだったのもあるけれど、コーヒーも大好きだった私が近頃やたらと紅茶ばかり飲んでいるのはコーヒーより少し胃に優しい気がするから。

それはこの1年にも言えることで、きっと去年よりは自分に対して優しくなれている、と思う。

自分に厳しく人に甘いけれどそれはあんまり悪いことだとは思っていなくてむしろ人に厳しく当たって傷つけてしまうよりはずっといいんじゃないかな。

とにかく平和主義。

今までずっとそうだったし、これからもずっとそう。

眠いね。もう眠ってしまいたい。

今日何度目かわからない紅茶を入れる。

きっとこの1杯も私にささやかな幸せを与えてくれる。

至福の時間。

人生でゆっくりお茶するひとときをこれからも大切にしていきたい。

誰にも邪魔されない、私だけの静かな喫茶店

Judgement

10代は 数えきれないくらい

落ち込んで そして同じように

メモにでも 書き残せる程

喜べる出来事もあったけど

(globe)

 

止まったままの14冊目の日記帳、あれから4年半以上が過ぎて、今日は友人と8時間以上も通話した。4年前、私達はまだ知り合ってさえいなかったかもしれない。逆にあの頃毎日のように顔を合わせてよく一緒にお茶したりしていた友人とは、ほぼ連絡が取れなくなっている。人の縁というのは不思議なようで案外単純なものなのかもしれない。

人と人との縁に限らず世の中はなんでも、なんとかなっていくものもあるし、どうやってもどうにもならないものもあるし。

 

こんな私も今月34歳になった。

まあ見た目にはその年齢には見えないとは言われるし、いろいろダメダメだけどとりあえずは生きている。

20代後半に悪あがきしていた頃よりは今の方がずっと楽だよ。自分は自分だなぁと思ってるから、前みたいに人と比べて激しく落ち込むというのはほとんどなくなった気がする。そりゃあ同級生や友人が3児のママとか言われると、やっぱり一瞬は、あぁ…私は何をやってるんだろう…とはなるけど、でもこればっかりはどうしようもないし。

この先もまたどうなっていくかわからない。いつまでも逃げ回っているわけにもいかないしゆるくでもいいから覚悟を決めよう。

私はいつでも死ねるし死ねないし。

考え過ぎないことが大事。

 

 

33才の夏休みもあと3日

今年の夏も去年と変わらず、否、去年の方が今よりもっと追い詰められていたかもしれないな。それでもなんとかしなきゃと必死だったし東京に行って出来るだけのことはしたつもり。凄くしんどかったけど。

あれから一年経って何か少しでも変わることができているのか、成長できているのかと問われたら私は上手く答えることができないように思う。

あれから冬にもまた東京へ行って派遣で働いたりもしたけれど、そんなに頑張れたというほどのものでもなかった。もちろん、新しい一歩を踏み出してチャレンジできたことは自分にとってそこそこの自信には繋がったけども。夏にできなかったことを冬に達成できたのだから、それはたとえほんの少しの経験であったとしてもワンステップ前に進めたということ。

それを考えるとそんなに情けない私ばかりでもなくて、でも現状はどう?って考えた時に、あー…今はこんなだな…と落ち込んでしまうことが多々ある。

そんなに焦る必要もないのか、いや焦るべきなのか、周りはいろいろなことを言う。様々な意見。アドバイス

何が正しい?私はどうすればいい?何が最適解?

ずっとずっと考えている。もちろん考えているだけでは何も進まないからそれなりに行動にも起こしているつもりだけども。

それでもうまく物事が進んでいかない時というのは確かにあるもので、今までにもたくさんそういう試され続ける日々はあった。

余計なプライドは捨てた方がいい。最近は自分の中からそんな声も聞こえてくる。難しいことではあるけれど、長い目で見ればそんなものに執着している方がずっとしんどいに決まっている。だからと言ってすぐに捨てることのできるものでもないが…。

昨日、伸ばし続けた髪を25cm以上バッサリ切ったのも私にとっては大きな変化のひとつとなった。

きっと簡単にはいかないだろうけれど、軽くなった髪のように、深く考え過ぎず悩み過ぎずこの先の日々の計画を立てていきたい。

黒く重たいこのリボン

やっと10月。9月は長かった、ような、気が。

東京から帰って来たのが9月の最初って考えるとやっぱりすごく長かった。かなり、疲れた。

しんどいよね。なんでだろう。考えて解決することばかりじゃないの、わかってるよ。しかも私はこんなことが言いたいんじゃないよ。

最近あんまり眠剤効かないなぁ。なんで。

月曜日はやっとやっとの病院だー。今回は2週間ずっとしんどくて早く行きたかった。シンドイデス……ただそれを伝えるために。ドウスレバイイデスカ……って意味あるん?

カウンセリング久しぶりに受けようかなアーと思いつつもなかなかその気になれないというか。疲れるし。

でもね全部まとめて明日なんかいらない。

だけど心臓が動くから脳が働くから細胞が死なないから、私達は次もその次もそのまた次もすべてを終わらせることができずに同じ地上に立ってるね。

 

心の救急箱を作る。中身は自由だよ。

でもそもそも心が素直になってないと救急箱開けたってハーンとしか思わないの。どうしますか。

でもでもってそういうのはもういいよ、ちょっとでも進めたら良いナって本当はそう思ってるでしょ、ね、だからやっていくの。

がんばります。

 

前髪を切った。ただ横と後ろだけはザーザーと川の流れのように伸びていく。

美容院いつ行こうかな。それは生命活動?

もうわからない わかんない 寝たい 早く 私は眠りたい。

ルービンシュタインショパン ピアノ協奏曲 第1番を延々と聴いてる。

サッサと鬱になって寝よっ。

iPhoneにも薬ケースにも救いはない。

早く、早くしてね。早くこの夜を終えてしまいたいので。

でもきっと10月はまーまぁ楽しいはずだよ。

Dead or Alive.

 

why I have to scream

また逃亡しようとしている。

何の意味があるのかな。何が解決されるわけでもないよねきっと。

以前ほど過去に固執しなくなったけどだからと言って前を向いて行きましょうともなっていないしいつ終わるのかなこんな私は。

私は。命は。すべては。

毎月逃げてるじゃん、甘えですか。甘ったれですか。もっと頑張れですか。

でも頑張ったって機嫌の悪さバラ蒔かれて理不尽なことばっか爆発する。

そんなのでも耐えて生きていくしかないのかなーぜーんぜんわからないね。

全部自己責任って言うんでしょ。

何一つ期待してはダメこの世の中では。

 

昔から肩書きを人一倍気にしていたクセにこんな醜態晒してまあ平気になった方が楽なんですかねぇ。

ああは成りたくないとかエラそうに何言ってんだどこ見てんだって思うよ。今となっては。

別に自分のことが嫌いなわけでもないけどどうしても許される許されないの視点で考えてしまう。それは誰が決めるのか。

 

本当は全部わかってるから泣くんだろうね。

マイナスな感情だけで泣いてるわけじゃないって知っていてくれるのは私自身ともうひとり。