なりそこねた小説 十
なにかを書こうと思った。すぐに嫌になった。死のうと思った。たちまち怖くなった。逃げ出そうとした。面倒臭くなった。ダメなものはダメなのだと思うようになった。それで満足した。満足したら嫌になった。今、誰かに絞め殺されるために、有り金全部持って繁華街の寒風を遡るように歩いている。暖かい人肌で死にたい。
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昔好きだった女が男と一緒に歩いているのを見ると気付かれやしないかとひやひやするのが私の習わしだ。先日、昔好きだった女がたったひとりで歩いていた。声をかけようと思った。私の持っている物質以外の持ち物を心中、言葉のペテンで飾り立てながら歩み寄った。私は私自身、私が私でない私であるかのように私に自身をもっていた。ヒトラーだろうとポルポトだろうとビンラディンだろうと説き伏せられると信じ始めていた。その勢いで彼女を口説こうと思った。しかし彼女の肩に手を置いて振り向かせる男のいるのに気がついた。待ち合わせ。だからあの日以上に眩しい彼女。恋の輝きで。私は首が凝ったふりをしてそっぽをむいて明後日の方向に歩き始めた。いつの間にか首の凝ったことで頭はいっぱいだった。重い重い頭で。
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攫った女が俺の胸の中で告白している。
「ああ、ああ、あなたはなんということを、なんという救いを私に与えようとしていることなのでありましょうか。私がまだ身分の低い更衣でありましたころ私が犯した醜い行いの報いは受けずにいることが、きっと、きっと、私の罰なのでありましょうに。彼の御方は今も苦しまれ生き地獄のなかで悶えて血を吐き、人の心を失われても、虫螻のように這いながら望まぬ食欲に呪われながら生きておりますというのに。あなたは私をきっと殺してしまうでしょう。ああ、私は救われるのがどんなに怖くてたまらないのか仏のような顔をしたあなたは決してお分かりになりますまい」
息が切れていた。俺も女も。君が悪いので女は大路に捨てた。野犬も野盗も餓鬼も外法も跋扈するあたり。後のことは何も知らない。
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短歌『久々の人の笑顔が緑色黄色赤色嘔吐嘔吐』
なりそこねた小説 九
寂しかった。誰でもよかった。仲良くなれるのであれば。女がよかった。接吻して、抱いて、可愛がってやりたくなるような愛おしい人がほしかった。今ぼくはクッションを抱きしめて眠れずにいます。クッションを引き裂きたい衝動に駆られますが、片付けが面倒なのでそれはしません。寂しさに任せて僕は「ニャア」と鳴きました。人でないなら寂しくなかろう。そう思ったのかもしれません。
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もしもあなたが私の想いを受け止め魂の一部にするのであれば甘美ではないのだが、だが苦難にはしないし、私の魂は羽根のように軽い靴のようなものだ。それは空を飛べるほど。あなたに膝まづいて一足だけを譲りたい。天高く雲の中の神々の領域であなたを独占したい。さあ、私は膝まづいたのだから後はあなたの足をだしてくれはしないのだろうか?
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夢のなかでも泣いていたに違いない。今日の心は萎びている。なんだか全てが水っぽく感じられる。例えば畳。畳の上で死ぬよりも機上機関銃で撃ち殺されたい泥の上で。例えば包丁。今ここに危うさが用意されている。例えば冷蔵庫。ぼくたちの人生は誰かの冷蔵庫であるかのように冷え冷えとしている。萎びた心で覗いた隣家の窓には後悔と倦怠が感じられる飾りが施されていた。萎びた心はくだらない薀蓄ばかりを染み出して臭いのだ。もういっそだれか燃やしてくれないか。燃える恋。恋で燃える。そんな夢物語を。
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短歌「恋人よ君は恋だけくれたのか僕は真面目になっているのに」
なりそこねた小説 八
滅裂な離陸と飛翔そして不時着。決して目的地には辿り着かない。そもそも目的地をもたない旅である。モード、コード、トーン、キャラクター、スタイル、マナー……僕らを縛りつけているカタカナの雑菌から逃れるために電子の森に僕は少しずつ思想を散布している。心理と論理と情理。肉世に浸るには無垢極まる。
2017年大晦日午前三時からそのプログラマーは饒舌に語るようになった。思想を移管した彼にとってもはや他人は恐るるに足らない。
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スモーキーな音楽をドープな空気で響かせたいとアーティストを自称するミュージシャンが言ったからピーキーなロビー・ショーケースを用意した。
スモーキーってダルいこと。ドープってムダなこと。
「私の言った意味わかってんのって言ってんの」
ステージをぶち上げたロビーエントランスは私の感じた以上に疲れ果てた人が忙しく往来していて、おまけにガラが悪い。広さは充分。
「あとはあんたが歌うだけだ。そうすりゃ全部変わっちまう。変えられるだろ?」
「そうだけど……」
自称アーティストの自信なさげな返答にまあ金になる程度の仕事はしてくれるだろうと思った。そうでないとバンドにギャラを払えなくってタニマチに酷い目にあわされる。
ステージに立った彼女は羽根飾りをまとった戦士のようだ。そして歌った。
スモーキーでドープなステージは私も見たいと思っていたから彼女最高だ。
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昨日、有名人と仲良くなったんだ。有名人だから店に入って来た瞬間にみんなおっという顔をしてちょっと黙ったけど有名人でもプライベートは大事だろってことで誰も話しかけなかったたんだ。そもそも知らない人に饒舌に話しかける奴に善人はいないからね。だから僕は話しかけたんだ。あんた有名人だろ?って。そしたらさ、その通りの有名人だってさ。でもさ、僕は名前がわかんないもんだから、有名人をユーメージンって呼んでたんだ。その日ずっとね。で、そろそろユーメージンが帰る頃に僕に言ったんだ。あんたも有名だぜ?って。なにいってんだこいつって思ったよ。でもさ、どうして今見られていないってわかるんだ?僕も誰かの噂のオモチャになっているかもしれないってのに。良い気になって今日もこっそり悪事を働いてるってわけさ。
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短歌『湾岸の暗渠の道のつぎはぎは冷え込む季節の苦難の証』
なりそこねた小説 七
真っ赤な花が咲きました。いっぱいいっぱい目の前にいっぱいの赤色が秋風に揺れています。鋏をもったお嬢さんが鼻歌交じりに花の咲き乱れる畦道を歩いていきます。
「どれにしようかな天の神様のいうとおり」
夕日でギラつく鋏を無邪気にお嬢さんは振り回しておりました。花は何も申しません。
「お猿のおしりはまっかっか」
お嬢さんは夕月に向かってジョキンと鋏を鳴らしました。その日は満月でした。お嬢さんは満足して帰っていきました。花はひとつも狩られませんでした。
「てんごく、じごく、おおじごく」
姿は見えなくなりましたがお嬢さんの歌はまだどこかで響いています。満月はもう既に輝いています。
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「面白いこと言ってよ」
「お前こそ言えよ」
「なんだよ」
「なんだよってなんだよ」
「やるってんのか」
「ぶっ殺すぞてめえ」
「まあまあ喧嘩はよしましょう」
「なんだよ」
「まあまあ、ほら、みんな見てますよ」
と仲裁に入った男と私は目が合いましたので厄介に巻き込まれないためにそそくさと立ち去りました。そして私は皆さんにひとつ隠し事をしています。
「私は今朝、死んでいるんですよ」
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気に入った服を手に取って買いもしないのに眺めることに日本語の名前をつけてあげましょう。そうですね、買い譲り、なんてどうですか。もっと熟語っぽいものがお好みですか、そうですか。では、無縁迷惑、とか。はは、まるでセンスないですね。でも虚しい営みに名前をつける戯れを楽しむためにはセンスが要りますよ。それはまるで生まれない子供を育むみたいな。
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短歌『パーティーで汚れちまった思い出はまた来年もポッケの中に』
なりそこねた小説 六
逃げ続けたらついに逃げ場所がなくなった。逃げる以外の生き方を知らないので屍のように生きている。他人は僕がまともになったと褒めてくれている。
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「決してその話を誰にもしてはいけないよ。きっと良くないことが起こるからね」
「でも今あなたに話しちゃった」
男は黒い翼を広げてあっという間に飛び去った。
「人でなしならいいのかしら。ひとでなしのいうことは本当かしら」
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電車に乗っておりましたら白い杖をもった女の人が車両をずっと歩いていましたので混雑している電車のなかで連れとはぐれてしまったのだろうかと心配して後をそっとついていって声をかけようとしましたが彼女は一番前の車両に辿り着くと何かをじっと聞いているようでした。私もそれが気になりましたのでじっと耳を澄ましました。そうしているうちに私の降りる駅が来てしまいました。正体のわからなさに心残りを感じながらそそくさと降車すると閉じたドアの向こうから彼女が微笑んでいるように見えました。あれは白い杖を持つ人たちのちょっとしたイタズラなのでしょうか。私は自分が劣っている気分にさせられたのでした。
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時間を食べられるというインド人に出逢った。試しに俺の時間を食べてくれと言ってみた。インド人に「もうおなかいっぱいだよ」と言われた。とっても損をした気分だった。
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短歌『今度こそ恋ではないと思ったら酒で薄めた憎しみだった』
なりそこねた小説 五
うっかりしたことに神様はその日予定よりもひとり多くの人を創ってしまわれました。ひとりくらいかまわないじゃないか、と思われるかもしれませんが、困ったことに魂の材料は不足がちなのです。特にその日は余裕がありませんでした。仕方がないので神様は魂のように機能する代わりのものを吹き込みました。
彼女は寒村の農民の8人目の赤子としてこの世に生まれました。美しく育ちました。そして14歳の春のことです。熊の墓場があると言われる森に住む仙人が珍しく人々の前に姿を現しました。そして彼女に言いました。
「お前はな、人であって人ではない。魂が人とは違う色をしている。それは返しに行かなければならないものだ」
娘は驚きましたが、同時に納得しました。確かに自分は他のみんなとはどこか異なっているという感覚が、実感が、体験が、ありありと思い出されました。たとえば近所の子どもと湖の氷のうえで遊んでいたときに突如として氷が張り裂けて子ども全員凍てつく水の中に落下したときなど彼女ひとり助かりました。
「冷たくなかったの。ねえ、ほんとよ。むしろ、ずっとずっと沈んでいきたいくらいだった。しんちゃんも、たーちゃんも、くみちゃんも、みんなそうだと私、思ったのよ」
このようなことを言う彼女を親はきつく叱って絶対によそでそんなことを喋ってはいけないと言い聞かせたものでした。
「西に行き、東に行き、それから北に行ったら南に行って本来の持ち主に魂を返さなければ、魂の代償をお前の親が支払うことになる」
「なぜ?なぜ?私ひとりの犠牲で十分じゃないの」
「十二分を求めるのが代償というものだ」
お父さん、お母さんのために死ぬのであれば出来なくもない気がします。死んでからも家族の傍に霊となっていればいいのだと思えます。
けれども魂を返す、となれば今ここにいる私はどうなってしまうのだろうか?娘は悲しみました。涙を流しました。涙も枯れるころになると仙人はどこかに消えてしまっていました。
そうだ、あれはあの気ぐるいの出まかせに違いない。娘は走って家に帰りました。しかしその頃からです。お父さんとお母さんの仲が悪くなったのは。
娘は、結局、お父さんもお母さんも嫌いになりました。どっちも死んじまえ。そう思っていたら、とうとう刃傷沙汰でお母さんは死に、お父さんは獄に繋がれました。
娘は美しく育って遠くの町に出て行きました。優しい人に恵まれましたし、良い仕事に恵まれましたし、恋人は全霊をもって彼女に愛を注いでくれました。そして身ごもりました、
彼女は夫に聞きました。
「男の子、女の子、どちらだと思う?」
夫は腹に耳を当てました。
「ありがとよ」
夫は何か低い声、ちょうど石臼を引く時のような低い声が聞こえた気がしました。
彼女は昔のことはみんな忘れてしまっているのです。
なりそこねた小説 四
血を抜いたら思った以上に黒かったことが印象的でした。なるほど血を失うと白くなるのもうなずける。そう思いました。血を浴びた人間は洗い流せないほど黒くなるのだと思いました。そう思いました。
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酒を飲んでいないのに意識が朦朧としたので救急外来に行きました。金がないので歩いて行きました。救急車を呼ぶのは恥だと思いました。寒くて寒くて凍えそうでそれだけで病気になってしまいそうでした。病院では若い医者がせっかちな口調であれやこれやの検査を行ってくれました。こんなのでなにがわかるのかとちょっと笑いそうになりました。わかるひとにはわかることがあるのだと思い直して努めて無表情でいました。心電図をとる段取りになってようやく病院らしいことをしてくれたと感謝しました。おかげで料金はえらく高くって尚更金がなくなってしまいました。これは救いようのないことです。
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私の病はなんでもないもの、というより夜間の病院は命を救う場所であって診る場所ではないのだと壁をすぐ隔てた向こう側から聞こえてくる切迫した心電図の音と呻き声と心配する家族の声とドラマで知っている限りの知識ですが蘇生のために用いる器具の作動音などから経過観察室の狭苦しいベッドに伏している私にもわかりました。
「調子はどうですか?」
それでも時々は私が死んでいないか誰かしらが見に来ます。
「大丈夫……大丈夫ですよ。」
死にそうな苦痛はなにひとつありませんでしたし意識ははっきりとしていました。壁ひとつ向こうの死にそうな誰かのためにひとりでも多くの人力を費やしてほしいので私は遠慮がちにでも元気に答えました。
「もしも、急に、苦しくなったりしたら、呼んでくださいね」
「あ、はい」
早く貴重な人命を救いに行ってほしいと思っていました。貴重な人命なんて、ちっとも思ったこともないものですから自分に驚きました。しかしそれでなぜか安心して棺桶のようなベッドでゆっくり眠ることができました。
一時間ほどたったころドクターがやってきて私に肝機能障害の可能性もあるからアルコールは控えるようにと年末が過ぎれば年始のやってくるシーズンに酷なことを告げました。
突然の自然死も突然の事故死も突然の事件死も突然のをつければアンラッキーというふうに見えますが詳細に事情を見たならば自業自得だとドクターはどこかで思っているのかもしれません。自業自得とはあまりに冷たい言い方ですので訂正します。人事を尽くして天命を待つ。でも人事は自業にとどめたいと思っております。
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短歌『しんどくてしんどくてしんどくて病だったら良かったのにな』