人生実験室

挑戦に満ちた、好奇心旺盛な人生を目指しています。

とれたて新鮮な枝豆を食べる。次は長岡大花火大会にあわせて収穫する予定

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枝豆を収穫した。

写真がヘタすぎておいしそうに見えないが、実際は凄まじくおいしい。

奥さんに、よく言われる。

「あなたがいつも送ってくるランチの写真、あまり美味しそうじゃない。」って。

単身赴任している夫の食事を奥さんが心配しているだろうと思って送っている、善意のランチ写真。

それなのに酷い言い方だ。

もう送らないと今決めたが、どんなに嫌なことでも一晩で忘れてしまうので、明日もきっと送ることだろう。

ヘタクソなランチ写真を。

 

話が脱線してしまった。

とてもおいしい枝豆を収穫した話だった。

 

ざるいっぱい食べるのが長岡流の枝豆 

以前書いたが、私の地元では枝豆をチマチマと食べない。

ざるいっぱい食べるのが長岡流の枝豆の食べ方だ。 

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今回収穫した枝豆も、とれたて新鮮な状態で茹でて、ざるに山盛りにして食べた。

 

予想通り、凄まじく美味しかった。

都会の居酒屋で出る枝豆とは、申し訳ないがモノが違う。

例えるなら、私が撮ったランチ写真と、フードカメラマンの今清水隆宏さんの写真くらい違う。

プロと比較すること自体が失礼で、相応しくないが、それくらい決定的に違うということだ。 

 

私の家庭菜園には、時期をずらして植えた枝豆が、まだ残っている。

来月の長岡大花火大会にあわせて収穫して、もう一度楽しもうと思う。

チャットの社内普及の功罪。給湯室トークやタバコ部屋雑談は、悪くない

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会社の幹部会議で、以前私が問題提起した資料シリーズ。

晒してみる。

 

チャット利用ルールの再確認の必要性(不適切利用者への警告)

チャットの社内普及の効果は高いが、一部良くない方向に行っているとの話を聞く。

仲の良いもの同志で、給湯室トークやタバコ部屋での雑談みたいな会話を、チャットでやっている人がいるようだ。

(いろいろな噂話が広まったりしている)

リアルな雑談なら自然に歯止めがかかるが、チャットだと拡散スピードも範囲も桁違いである。

数年前に同じ問題が起きて、その際にはチャットが禁止になった経緯がある。

 

しかし現時点でチャットが禁止になると仕事に支障が出てしまうので、禁止するような事態は避けたい。

そこで不適切利用者へ警告を行うことを目的として、チャット利用ルールの再確認を行うことを提案する。

(掲示板等で社員へ告知して注意を促すレベルで良い)

 

給湯室トークやタバコ部屋雑談は、悪くない

私は別に、会社でする雑談が悪いとは思っていない。

給湯室トークやタバコ部屋雑談、ぜんぜんオッケー(私はタバコは吸わないが)

みんな特別な目的や意味があって雑談している訳ではなく、「気晴らし」だろうから。

人間の集中力はわりと持続しないので、「気晴らし」は必要だ。

 

私が課題と感じたのは、単なる雑談に、目的や意味を持たせようとする人がいることだ。

会社の人事が、給湯室トークから広まってはいけない。

重要な製品戦略が、タバコ部屋での雑談で話されるなんて、ありえない。

お硬いヤツだと言われるかもしれないが、オフィシャルな話題はオフィシャルな場で議論されるべきで、アンオフィシャルな場で話されるべきではないと思う。

 

チャットも同じだ。

気晴らしに社員同士でダイレクトチャットで雑談するのは、まあセーフかと思う。

しかし会社の人事や戦略のうわさ話をチャットで拡散するのは、アウトだ。

もしそのような話をしたいのであれば、正々堂々とオフィシャルな場でやればよい。

なんで息子と話すと説教になってしまうのか、何となくわかった

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先日、息子と対話した。

対話というと穏やかに聞こえるが、実態はそうではない。

いわゆる説教だ。

 

親父からの説教など、思春期真っ只中の高校生男子にとって、最悪以外の何物でもないだろう。

私自身、自分が高校生だった頃を思い浮かべると、トップレベルの最悪シチュエーションだ。

それはわかっているのだが、やっぱり場面々々で説教することになってしまう。

 

なぜそうなるのか、自己分析してみた。

 

期待と現実のギャップ 

息子との対話の結論は、彼が理想と現実との差異に気付いていないよね、ということだった。

そのこと(理想と現実との差異)に感心がない、とも感じた。

ギャップ分析ができていない、ということだ。

 

こうなりたい、という理想はある。

しかし、いまの現実が明確にできていない。

だからその差異=ギャップ=課題が把握できない。

ギャップ分析は、課題抽出手法の基本中のキホンだ。

  

息子との長い対話の末に、どうにか彼に理解してもらい、見つかったギャップへの対応策にたどり着くことができた。

 

あれ?

ちょっと待てよ。

これって、父親の私がスッキリしただけで、息子はぜんぜんスッキリしてないんじゃないか。

親父に説教されて、なんかよくわからないギャップ分析とかやられて。

 

息子と父親のギャップ

なんで息子と話すと説教になってしまうのか、何となくわかった気がする。

私の理想とする息子像と、息子自身が理想とする自分像にギャップがあるからだ。

それだけじゃない。

息子の理想とする父親像と、私自身が理想とする自分像にもギャップがある。

 

怖いことに気付いてしまった。

ただ震えていても仕方がないのだが、このギャップを埋めるのは、生半可ではできなそうだ。

カフェでのノマドワークは、仕事が捗る。いま待ち合わせの5分前。きっちり間に合った。

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いま、私はカフェでこの記事を書いている。

ノマドワーカーのようで、とても新鮮な気持ちだ。

これでコーヒーが飲めれば最高なのだろうが、あいにく私はコーヒーが苦手である。

残念。 

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実は、ここ2~3回の記事も、同じようにカフェで書いた。

そこで気付いたことは、びっくりするくらいスピーディに書き終えることができる、ということだ。

たまたま選んだテーマが良くて筆が進んだとか、手抜きをした、ということもあるかもしれないが、それだけじゃない気もする。

 

カフェでのノマドワークは、仕事が捗る

これは、ブログ執筆のような趣味だけでなく、いわゆる仕事にもあてはまるようだ。

私はたまに外勤することがあるが、その際の空き時間にはカフェへ行くことが多い。

決してサボるためではなく、限りある時間を有効に使いたいからだ。

 

カフェではノートPCを取り出してノマドワークをするのだが、このノマドワークでの仕事が捗るのだ。

前述したブログ執筆といい、仕事といい、カフェでのワークが捗るのはなぜだろうか。

 

一つは、ジャマが入らないことだ。

会社で仕事していると、上司や部下から話しかけられるし、会議への参加を要請されることが多い。

もちろん、管理職である私の大切な仕事なので、それは問題ないし、むしろウェルカムだ。

ただ、ソレがなくなるノマドワークだと、単純に捗るのだ。

 

もう一つは、時間制限だ。

カフェでワークしているときは、次の予定が決まっていることが多い。

1時間後とか。

そうすると普段よりもずっと集中力が増すようで、なぜか、決めた時間どおりにワークが終わる。

普段からそうせよ、というご指摘がありそうだが、会社や自宅では、これがなかなか出来ないから不思議だ。

 

 

よし。

この記事を書き終えた。

いま、奥さんとの待ち合わせ時刻の5分前。

きっちり間に合った。

やはりカフェでのノマドワークは、捗るようだ。

ネギを植えた。苗はご近所からのいただきもの、感謝

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ネギを植えた。

きょうだい菜園が、さらに賑やかになり、嬉しい限りだ。

使い勝手の良い野菜なので、とても楽しみにしている。

 

あらためて写真を見て、畝が曲がっていることに気がついた。

奥へ行くほど、畝が左に寄ってきている。

私はまったく気にならないが、几帳面な方はとても気になるかと思う。

非常に申し訳ない。

畝を作る際にガイドラインを張るとか、写真を補正するとかするべきだったと反省している。

 

苗はご近所からのいただきもの、感謝

今回植えたネギだが、苗はご近所からのいただきものだ。

私達きょうだいが畑で遊んでいたら、わざわざ苗を持ってきてくれた。

無料。

0円。

大変ありがたく、感謝しかない。

 

普段からご近所と仲良くしていると、こういういいことがある。

田舎だから、というのもあるが、私のきょうだいは割と人当たりがいいので、年配のご近所様からかわいがってもらえているのだ。

同じ家庭菜園をやっている同士の、仲間意識みたいなのも、あるかもしれない。

 

私の長期目標のひとつに「地域コミュニティへ積極的に参加する」というのがある。

老人になったときに、孤立したくない、自分の居場所を複数確保しておきたい、という狙いだ。

いまやっている家庭菜園も、この入り口のひとつになりそうな感じ。

ヨシヨシ。

子どもたちとのお出かけ。ほんのいっときの子育て、前向きに楽しみたい

先日お出かけした際にGetした、うれしいお土産をご紹介します。

お土産を買ったのはこんなお店です。

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日本海シーサイドライン近くの”こめぐりの郷公園”の前にあります。

地名は「間瀬(まぜ)」になるのでしょうか? この辺りはあまり詳しくありません。

 

店先には、干したタコや茹タコ、干した魚、鮮魚が並んでいます。

ちょっと見ただけで寄りたくなります(笑)

ちなみに看板はこんな感じ。

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こちらも、いい味わいです。

 

干した蛸は、ちょっと味が濃い目のスルメって感じで、なかなかの珍味です。

渋滞中に食べるには最適。

今回お土産に選んだのは、はたはたの干物です。

お店のオジサンもお勧めとのこと。

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おいしそうでしょ?

軽く火であぶって、頭からガブリと食べたいです。

と思ったら頭ないし。 ちょっと残念。

うちの子供たちは魚が大好きなので、きっと喜ぶと思います。

私の分が残ると良いのですが(笑)

 

余談ですが、、、

このお土産を選ぶとき、じじ&ばばに子供たちを見て貰って、妻と二人で買い物しました。

結婚して子供ができると、夫婦だけで買い物って普段はできないですよねー

こちらも、うれしいお土産になりました。

 

親が出不精だと子供もそうなってしまう

この記事は、10年前に書いていたブログから復活させたものだ。

この頃は、子どもたちを連れて頻繁に出かけていた。

私自身が家にこもっているのが好きじゃないということもあるが、子どもたちに色々な経験をさせてあげたい、という気持ちが強かった。

親が出不精だと子供もそうなってしまい、それは申し訳ないなと。

そのおかげか、外遊びが好きな少年時代を過ごしてくれて、体も心も健康そのものの息子たちだ。

 

親が子育てする(子育てできる)時期は、長い人生のほんのいっとき。

私なんかは、あと数年で終わりだと思っている。

面倒くさいとか、親も自分の時間が欲しいとかあるかもしれないが、ほんのいっときの子育て、前向きに楽しみたい。

息子(長男)の受験で考える。「7つの習慣」のインサイド・アウトのアプローチ

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息子(長男)の受験の年となった。

受験するのは彼なので、父親の私にできることは限られている。

私が勉強する訳ではないし、私が大学を選ぶ訳でもない。

それでも、なにかしてあげたい気持ちは、もちろんある。

 

私が普段から学んでいる「7つの習慣」の前半は「私的成功」で、これは依存から自立へのアプローチである。

長男の受験は、長男が親への依存から自立するプロセスなのではないか?

この考え方をベースに、私ができることを考察してみた。


第一の習慣:主体的である

第一の習慣で私が一番大切だと感じているのは「インサイド・アウト」 のアプローチだ。

外部環境や相手を中心としたアプローチ(=アウトサイド・イン)ではなく、自分を中心としたアプローチ(=インサイド・アウト)」の考え方だ。

主語が「私が~」なのか、「(例えば)親が~」なのかの違いだと、シンプルに理解している。

 

息子の大学受験で言えば、 こんな感じだろうか。

アウトサイド・イン:親が■■大学へ行けと言うから、受験勉強をする。

インサイド・アウト:私が(長男が)●●大学で▲▲を学びたいので、受験勉強をする。

 

この違いは大きい。

私にできることは、彼が自分の将来を主体的に考える機会をつくること、そしてそれをインサイド・アウトのアプローチで言葉にする「やり方」を教えることだ。

進路や勉強方法など具体的なアドバイスをあれこれして、私の考えで彼を誘導することをしてはいけない。

余計なことを言って、彼の主体性を邪魔してはいけないのだ。

 

やはり「7つの習慣」は役に立つ。

機会を変えて、この件をもう少し考察してみたい。