池田とよひと公式ブログ

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香川 New 100 PLAN

香川県知事選に立候補している池田とよひとです。この投稿では私が知事になって進めたい「香川 New 100 PLAN」を紹介します。

1. 県民100万人計画

住みたくなる香川県を目指します。

1. 出産時のサポート及び病児保育や求職中保育の充実などを進め「子育てしやすい香川県」といわれる県を目指します。

 待機児童問題は改善に向かっています。しかし、子供の急な発熱で出社ができない状況の改善はこれからです。病児保育の充実などにより、子育てしながら働ける香川県を目指します。

2. 女性の再就労の支援など女性が活躍できる環境を作ります。

 出産育児で一旦仕事を離れ、しばらく時間が経過した女性が、再度仕事につくことは、人手不足の社会的要請に応えられるとともに、ご本人の生きがい創出にもつながることと思います。企業と連携し、女性の再就労を進めます。

3. 医療・福祉の充実や、障がい者が働きやすい地域を目指します。

 IT・AIの進展は障がい者のハンディを解消の方向に導いてくれます。これまで以上に障がい者が働きやすい環境を作って、社会・経済で障がい者がより活躍できるようにしていきます。

4. 経済的に困窮している児童・生徒が安心して学べるよう、学校給食費の負担軽減や子ども食堂の支援などにも取り組みます。

 子どもが安心して学べるためには、まず食べることの心配がなくなることが重要です。社会全体で、子どもの食の安心を応援できるようにしていきます。

5. 渇水対策などの県土の強靭化を着実に進めます。

 香川は災害が少ない恵まれた県です。しかし、決して油断することなく災害にも渇水にも強い県土づくりを着実に進めます。

2. デジタル田園都市100計画

大平元総理の提唱した「田園都市国家構想」の実現を香川県がけん引します。

「田園都市国家構想」とは、香川県出身の大平正芳氏が提唱したもので「地方の活力が日本の活力につながる。地方を元気にする政策が重要」と主張されたものです。今こそ、デジタル技術を活用した分散型国土形成が必要です。

1. 香川県の魅力ある技術や農林水産の資源を、全国及び世界へ売り込んでいきます。

 香川県は、瀬戸内海や温暖な気候に恵まれ、高品質な農林水産物がとれます。これまで少量であったり、PR不足で販路が限られてきましたが、Eコマースなどを活用して、全国や世界に販路を拡大していきます。

2. 起業当初の資金力や信用力を補強し、スタートアップを後押しします。

 香川にもアイディア溢れる起業家がたくさん出てきています。起業される人が、起業当初にぶつかる壁が資金力と信用力です。社会的に意義のある起業には公的なサポートを強化します。

3. 香川県内に立地している産業の活性化や新たな企業誘致を目指します。

 香川県は瀬戸内沿岸などに多くの企業が立地してきました。モノづくりが国内に戻ってくる流れの中、香川県への新たな企業誘致を官民一体となって進めます。

4. 香川県は「四国の玄関口」です。高速道路網や新幹線、港湾空港などの広域交通基盤を着実に整備し、玄関口としての役割を発展させます。

 香川県は、地理的な優位性から四国の玄関口としての役割を果たしてきました。物流・人流の要衝の地となることは、経済発展につながります。広域交通基盤整備を着実に進めます。

3. にぎわい100計画

多くの人が訪れる香川県を目指します。

​コロナ禍前の年間1000万人の観光客を、約2割アップし、年間1200万人、月間100万人を目標に政策を進めます。

にぎわい100計画

1. 瀬戸内海の魅力を全国、世界の方々に広めるため、隣県と連携して切れ目ない瀬戸内イベントを実施します。

 瀬戸内海は、世界的な調査機関が発表したランキングで、世界中の方が訪れたいエリアとしてトップクラスにランクインしています。世界中の方に来てもらうためには「訪れるきっかけづくり」が重要です。隣県と連携して切れ目ないイベントを企画・実施していきます。

2. サンポート地区を歩行者が安全で快適に歩ける整備を進めます。訪れる方が「香川県はまちがきれいで快適だ」と思っていただけるようトイレの洋式化やまちの美化を進めます。

 サンポート地区は、全国唯一、世界で有数の海に隣接した都市空間です。人であふれる空間にしていきます。

3. 県民の新たなシンボルとなる祭りやマラソンイベントを企画します。

 祭りは、人の気持ちを盛り上げ、活力を増進させます。県民みんなで楽しめる新たな祭りやイベントを企画します。

まとめ

 香川県は瀬戸内海の恵みを生かして発展してきました。人生100年時代を迎えた今、香川県の財産である瀬戸内海をはじめとした豊かな県土、恵まれた気候、そして人材、この財産を活かす政策を、県民の皆様と一緒に進めて参ります。皆さん力を貸してください!

出馬表明

みなさん、いつも大変お世話になっております。池田とよひとです。 私は、この度、この夏に予定している香川県知事選挙に挑戦をすることに致しました。何卒ご支援を宜しくお願いしたいと思います。

私は、1961年に、香川県高松市で生まれ、約18年間、高校卒業するまでの間、香川県で過ごしました。 その後、香川県を離れ、大学卒業後、建設省に入りました。現在の国土交通省でございます。国土交通省では、約35年間務めました。その間は、安全で便利な国づくり・地域づくり、こういった仕事に携わって参りました。

私は、妻と子供4人と転勤を重ねながら、全国の各地域で勤務をしました。その各地で、それぞれの地域の暮らしや経済の課題について肌で感じ、その解消に努める、そういった仕事に携わって参りました。そういった生活の中で、私の経験が、香川県の発展に、何か少しでもお役に立てないかという思いは、ずっと抱いておりました。国交省を退職した後も、その思いは、ずっと心の中にございました。

今般、香川県知事選挙の挑戦の光栄なお話をいただきまして、微力ではございますけれども、自分の経験が、香川県の発展に何か貢献できるのではないか、貢献したいと考えまして、挑戦を決意したところでございます。

私は、県政の役割は、香川県民の安全な暮らしを守ること香川県の経済を発展させること、この2つが中心であると考えております。そのために、大事なものは守る、新しいものはつくる、誰ひとり取り残さない、この3つの理念の下で、現在も頑張っておられる県民の方々の皆さんと一緒に政策を進めて、人生100年時代のフロンティアを目指していきたいというふうに考えております。何卒ご支援をお願いしたいと思います。

先日行った記者会見の様子

私の決意

池田とよひとです。

私は、1961年に高松市の栗林公園のそばで生まれ、香川県で暮らしました。その後、国土交通省に入り、全国の地域づくりに携わって参りました。毎年、帰省して見る瀬戸大橋完成後の目覚ましく発展した姿、瀬戸内海をはじめとする変わらぬ美しい自然、郷土の香川はいつも私の誇りでした。この香川の発展のために、今般、県政に挑戦することと致しました。 

活力のあふれる「香川」、未来の希望あふれる「香川」を皆さんとつくっていきましょう。 “ワン・ステップ・トゥギャザー(One Step Together)”

みなさんの力を貸してください。よろしくお願いします。

リンク

コロナ禍で気づいたこと

コロナ禍で改めて気づいたことがあります。

それは、”人の流れ” です。 言い換えれば ”にぎわい” ですけれども、この人の流れが少なくなることで、経済的なダメージが連鎖的に起こってしまうということに、気が付きました。コロナ禍では、やむなく外出抑制がされました。

古川理事長、平井卓也氏と丸亀町商店街を訪問した際

この外出抑制によって、人の流れが減りましたが、それによるダメージは、飲食店などの売上減少にとどまらず、なんと化粧品の売上の減少にも及んだことが、典型的な例だと思います。しかし、考えてみれば、アフターコロナの時には、この反対のことをやれば、経済が活性化するということではないでしょうか。

例えば、高松では、丸亀町商店街のにぎわいをサンポート地区まで拡げ、人通り・にぎわいを増やしていくことが考えられます。皆さんの知恵と行動力で人の流れをもっともっと増やしていきましょう。

高松市民が世代を越えて通うアーケード街の丸亀町商店街 。今日も賑わいは健在でした。

池田とよひと自己紹介 その2

こんにちは、池田とよひと後援会事務所スタッフです。三寒四温の日々が続いておりますが、皆さま、お元気にお過ごしでしょうか? 今回も皆さまに池田とよひとの人柄を皆さんに知ってもらうために行っている自己紹介インタビューを行いました。今回が第二弾です。

Q. 中高生時代のクラブ活動はいかがでしたか?

僕は、中学と高校の時に、バスケットボールをやっていました。

一番のいい思い出は、中学校の最後の大会です。今は、高松市内の中央公園になっていますが、そこに、かまぼこ型の体育館があって、そこで、中学最後の大会で、高松市で優勝を出来たので、その時の勝った瞬間は、今でも思い出に残っています。

それと、苦い思い出になりますが、高校に入っても、クラブ活動は、バスケットボール部に入って頑張っていたのですが、そのクラブは練習がすごく厳しくて、なかなかついていけなくて、途中で断念して、辞めてしまったんです。その時の「辞めた」という思い出は、本当にその後もずっと苦い思い出に残ってしまって、今でも夢に出てくるくらいです。

小学生時代に母と姉と

Q. お好み焼きが好きとのことですが、どんなお好み焼きが好きですか?

僕は、お好み焼きが大好きです。一番好きなお好み焼きは、瓦町駅のそばの、きも玉が美味しいお好み焼き屋さんです。そこには、怖いご主人がいて、お店に入ると、座席を指定されるのですが、指定された座席と違うところに座ってしまうとすごく怒られるのです。ただ、そのご主人が焼いてくれるきも玉は、絶品です。これを思い出すと、今でもよだれが出てきそうになります。

それと、僕自身も、よくお好み焼きを家でホットプレートで焼きます。僕のお好み焼きは、生地が薄くて、水が多くて薄いんです。そこにキャベツを山盛りにして大きなヘラでひっくり返すのですが、うまくひっくり返せた時は、家族が「おぉー」という歓声を上げてくれるので、その時の気持ちは、何とも言えない気持ちになります。

家族のために真剣にお好み焼きを作っています。

おわりに

第二弾のインタビューは以上です。少しでも池田とよひとの人柄が伝われば嬉しく思います。 皆さんからの質問もお待ちしております。Twitter、Facebookなどで是非教えてください。 LINEの友達登録も是非お願いします。

池田とよひと自己紹介 その1

こんにちは、池田とよひと後援会スタッフです。池田とよひとの人柄を皆さんに知ってもらうため、自己紹介インタビューを行いました。今回は第一弾です。

Q. 小さい頃の思い出を教えてください

僕の母親は地方公務員でフルタイム勤務だったんです。僕はいわゆるおばあちゃん子でした。このおばあちゃんが優しくて、その上に茶目っ気がある非常に、楽しい面白いおばあちゃんでした。

中央が祖母、右上が池田とよひと

料理もおばあちゃんが作ることが多いんですが、おばあちゃんがご飯を時々炊きすぎるんですよね。その時に茶碗に山盛りついで出してくれるんだけど、それが食べられないので、「そんなようけ食べられへん」って言うと「こんぐらい食べんかったら力が出ん!」と怒られるんですね。そうかと思うと、おばあちゃんがご飯が少なくなってきた時は半分ぐらいしかついでくれなくて、「もうちょっとついでくれない?」とか「おかわり!」って言うと「ようけついだのに、そんなようけ食べたら肥えるぞ」と怒られるんです。(笑)

左から祖母と父

そんな茶目っ気たっぷりのおばあちゃんでした。

Q. お子さんが四人いるそうですが子育てはいかがでしたか?

僕ら世代には珍しく、二人の息子と二人の娘、四人の子供を授かりました。この四人の年齢構成が非常に近くて末っ子の娘が生まれた時に。長男が6歳長女が3歳次男が1歳ということで、非常に近い年代に四人いたんです。妻は一番大変だったと思います。

妻と4人の子供

その中で妻も疲れが溜まったんだと思います。入院をすることがあったんですね。その時に。僕は妻が入院してるので、その四人の子供を連れて買い物に行ったり、家の中で家事をしたりというようなことが、少しの間ですけど、ありました。そういう時に、子育ての大変さが身に染みて分かりましたし、それをサポートすることの必要性、こういったことについて身にしみて感じました。

2003年:友人家族と女木島にて

おわりに

今回のインタビューは以上です。少しでも池田とよひとの人柄が伝われば嬉しく思います。 皆さんからの質問もお待ちしております。Twitter、Facebookなどで是非教えてください。 LINEの友達登録も是非お願いします。