イート•ザ•ワールド

ワセジョのカフェ店長は世界のご飯を食べてみたい

美しさとノスタルジア -英国式サンドイッチの断面について-

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美しいサンドイッチとは?
まず食パンは、フラゴナールの描く少女の肌のきめ細かさでなくてはならない。
それに挟まれる具材は、画家の本棚の色彩でなければならない。

パンをひとたび掴め痕がのこり、口に収めきるにはいささか分厚い肉が溢れ、指先にマスタードが付着する。

品行方正、純潔のルックスは、あっという間に人に馴染む。人を覚え、あるいは穢される。
そして私は指先のマスタードを舐めるのだ。

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少し前から耳にするようになった、「沼サン」なるサンドイッチがある。どうやら流行っているらしい。

6枚切りの食パンにたっぷりのキャベツ、その他お好みの食材をはさんで、こぼれないように紙でつつみ、半分に切る。

そうして現れるのは具材が8割の色鮮やかな断面で、まるでサラダを四角く成型したみたいなサンドイッチだ。

そんな「沼サン」は正直完璧な直角を表してるともいえず、パンの存在感も薄い。英国式サンドイッチとは全くの別物のように思われる。
しかし断面はやはり美しい。切られることで美しくなる、サンドイッチの本分をきちんと体現している。その点においては私は「沼サン」を評価している。

逆説的に、サンドイッチは切られなければ美しさの本領を発揮しない。断面こそがサンドイッチを美しくさせているのだ。

もし切られていなければ、サンドイッチはぶっきらぼうなパンに挟まれた乱雑な具材にすぎない。そこを矯正し盛りつけられ、私たちに提供されるアーティフィシャルな美しさ。

いわば宮廷庭園の植木のようなものだ。自然を加工し、人為的につくられたものに美しさを見出す。サンドイッチ自体そもそも西洋発祥なので当たり前とも言えるが、自然を美とした日本的な感覚と比べると、サンドイッチの美しさは西洋的な美しさに分類される。

となると、私は西洋的な美しさに魅せられているのか?

必ずしもそうではない。

 

私はほんとうのところ、英国式サンドイッチの絵画的なビジュアルではなく、英国式サンドイッチの断面から匂い立つノスタルジーに魅せられているのだ。

私にとって綺麗に切り取られたサンドイッチは、ジノリ、もしくはロイヤルコペンハーゲンのカップに入ったブレンドコーヒーよりも大人の代名詞なのだ。

忙しく詰め込まれるものではない。薄暗い空間で、煙草をくゆらせながら、一人の時間を楽しむ大人のものなのだ。

もしくはワンピースを着て行くようなホテルのラウンジで、指先の動作にまで自然と神経が行き届くようになった大人がすまし顔で食べるものなのだ。

 

小さい頃の大人への憧れ、それを思い起こさせるものが英国式サンドイッチであり、自分の生きてきた年数、過ぎ去った月日を感じさせるものが英国式サンドイッチなのだ。

時間が止まったような空間で、オレンジの光がハムを照り輝かせ、レタスを無機質なものに見せる。

もはやその場で英国式サンドイッチの絵画的美しさはよく見えないものになってしまうのだが、私の美しいサンドイッチのイメージは、泥だんごばかり作っていた幼い頃の憧れの存在であり、二十歳を超えた今、ノスタルジーの対象となった。


だから、サンドイッチは美しくなければいけないのだ。

泥だんごと戯れる幼い私には手の届かない「大人の食べ物」でなくてはならないのだ。


常に同じサイズでカットされたサンドイッチの変わらない形式、それは私たちの時間を止める。

幼い頃に憧れた、美しい英国式サンドイッチのイメージは、もう消えることはないだろう。

いや、消えないでほしい。

深夜のパフェ考:エロティックなパフェについて

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デニーズでパフェを食べた。
30センチはありそうなパフェだった。
鮮やかなクリームの地層がいくつにも重なりあい、飲み物を入れるには大きすぎるパフェグラスに収まっていた。


その上にうずたかく噴射されたホイップクリーム、ぬらめくミルクプリン、バニラアイスクリーム、マンゴーソルベ、飾りのベリーと大ぶりの果肉が狭い地面の上でおしくらまんじゅうしていた。

囲うものも何も無い、崖っぷちの状況であまりに多くの具材が器用にアレンジされた魅惑のビジュアルに、デニーズの店員さんたちはさぞハラハラすることだろう。そしてその商品を届けられた私たち客は、あるいは好奇の目で、あるいはときめきを孕んだ熱いまなざしで見つめ、歓喜する。

 

しかしそれも束の間、アイスクリームが溶けてグラスを垂れ落ちる前に私たちは長いスプーンでクリームをぐちゃぐちゃに崩しにかかる。

パフェグラスの奥まで届く銀のスプーンの先でクリームを小さく削り、唇へと運ぶ。

 

魅惑のビジュアルもなんのその、たちまち溶けたもの同士が混ざりあい、秩序は失われ、ある種のカオスが生まれる。鮮やかな個がくんずほぐれつ絡み合い、溶け合い、独立性は失われ、クリームやらムースにまみれて器の上、ないし中でよくわからない状態となって埋没する。

 

一言にパフェといってもムース、クリーム、プリン、コーンフレーク、果物など、その構成物は当初それぞれに名前を持って登場する。しかし彼らはその役割を果たす時、すなわち口に運ばれる時はすっかり「パフェ」になってしまう。

1つの器にあらゆる個性が詰め込まれ、境界線や秩序を排され、個性を没せられたものたちが混ざりあったカオス。それこそパフェという食べ物だ。

 

パフェ自体ではなく、パフェを食べる行為にしたってそうだ。

魅力的な外見のものにスプーンを差し込み、ぐちゃぐちゃにする。着飾った要素を混ぜて、1つのあられもない姿に還元する。それがパフェの様式であり作法だとすれば、なにやら性的な匂いを感じ取ることができないだろうか。

 

どろどろになったクリームやふやけたコーンフレークを口に運ぶことが、綺麗な図だとは言いがたい。

銀のスプーンの柄にまでこびりつく生クリーム、スプーンの背をしたたるソルベにムースに沈む謎の固形物、混じりあった複数の色。それらは唇を汚し、時に指先に付着する。

舌先で溶ける快楽に甘みという快楽。粘り気のあるクリームを嚥下し続けるという行為。グラスが纏う水滴を、口元や指先についたクリームを、拭きとり散乱する紙ナプキン。

 

独立した個がスプーンという棒によってかき混ぜられ、溶け合い、一体化するというパフェの構造だけではない。実際に人の口に運ばれる時に至っても、他の食べ物よりもエロティックな側面を多く持ってはいないだろうか。

 

 

 というわけで、今度のパフェのお供はバタイユとか読もうと思う。

米が脇役に徹しない国に行ってきた

長らく更新していなかったこのブログですが、9/14~21までカンボジアに行ってきたのでそのことくらい書こうと思いました。

 

「ライス!」

 

カンボジアで最初に訪れたのがプノンペン。とりあえずタクシーを空港で拾い、ホテルまで向かう途中。タクシーの運転手に「カンボジアで一番美味しいものは?」と聞いたときの回答が「ライス!」だった。威勢良く回答された。3人全員で拍子抜けした。

きっとカンボジアに行ったら日本じゃとても味わえないスパイシーなものとか、酸っぱいものとか、辛いものとか、そういう奇想天外摩訶不思議な美味が味わえるもんだと期待していたのに。それにスイスに住んでいた3年間、ジャスミンライスとかいわゆるインディカ米は日本米よりもポピュラーで何度も口にしていたから、その味は知っていたつもりだった。

別に米とか、日本米美味しいし!米かよ!と思ったし、なんだかちょっとがっかりした。

 

そんなこんなで「えええ、米か……米が一番か……」と地味なショックを受けつつホテルに到着したのは夜の9時頃。旅の仲間は後輩の女の子、私、日本から出たことがない27歳男性。

全員初のカンボジア、降り立ったのは夜のプノンペン

…………。


なんだか色々心配かつ怖くなってしまったので、ホテルの近くかつ安全そうなところを探すことに。

いつひったくりに遭うかわからないぞ!!という気概で私は財布を鞄に、1女は胸の谷間に隠しながら人気のない大通り沿いをてくてく歩いた。


そこら中の舗装がはげ、街路樹の植え込みはゴミ捨て場に、警察官はハンモックで仮眠中。これが最もスリのカモになりやすい行為と知りながらも一眼で写真を撮る手が止まらない。変なメンバーで変なテンションになりながら明かりのある方向へ。


カンボジアで最初に入ったのは、ヨーロッパ系のお客さんがバーカウンターで一杯やっているようなピザレストラン。(安全そうだから)

立てられた白い布ナプキンと銀食器のテーブルセットを見るにカンボジアでは高級な部類に入るのだろうけど、30センチほどのピザが一枚5$〜と店の雰囲気と比べたら破格だった。ビール一缶0.5$の国の恩恵を感じた。

 

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ちなみにとてもおいしかった。

翌朝はトゥクトゥクプノンペンの街へと繰り出した。個人的に絶大の信頼を置いている「地球の歩き方」掲載の地元民に愛されるスイーツショップやら、

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(寒天ゼリー、カボチャプリン、おしるこのココナッツミルクバージョンなど、氷と一緒に提供される。クイティウ(フォーのようなもの)などの軽食もあり。怖かったけどおいしい!)

 

ホテルの隣りの都会的なノマドカフェやら、

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カンボジアはフルーツスムージーが有名なのでパッションフルーツスムージーを頼みました。wifi完備。)

 

せっかくだから、と「地球の歩き方」掲載のちょっと高級なカンボジアレストランやら

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(圧倒的リゾート感)f:id:ikiruyotokyo:20151111162854j:plain

(圧倒的リゾート感)

写真中央に鎮座しているのが淡水魚の香草煮込み。カンボジアの味といえばレモングラスナンプラー、淡水魚特有の風味になるのかなあと思う。他にも甘酸っぱい雷魚のスープや、ナマズカレーなど日本だと口にしない魚が食せる。良いレストランだと臭みはほとんどない。
オイスターソースで牛肉を炒めた料理もポピュラーで、美味。

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ちょっとチャレンジしたくなったけど勇気が出ないので、美味しいことがわかっているカエルの揚げ物とボックロホン(青パパイヤのサラダ、タイのソムタムのようだがパクチーではなくカントロップという香菜が使われる)を注文。

 

と、写真でもわかるようにこの夜はめちゃめちゃ食べた上美味しいカクテル、ビールも飲んで一人3000円。
安い…………。

 

しかし一つ問題なのが、カンボジア料理は総じて塩辛いということ。

甘いし酸っぱいけど塩辛い。うまみのある魚醤の辛さ。いやでも塩辛い。味濃いよ〜〜と思う。

 

その総じて塩辛いカンボジア料理をどうやって何品も食べたかというと

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 ララララ

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ライス!!!!!!

 

 

これがまた、一生のうちに食べたお米の中で一番レベルにおいしいお米だった。本当にカンボジアの他の料理を凌駕してしまうほどに米がおいしい。あれだけ期待してなかったのに。

 

何が美味しいかというと、ぜんぶ、というか調和、というか……これは好きな人の好きなところをうまく箇条書きにして挙げられない感覚に似ているのでは……。

いわゆる香り米だった。でもジャスミンライスじゃない……でも最高級とされるジャスミンライスよりも美味しい……。

日本のエスニック料理屋さんでは体験したことのない芳香、

そしてその次にくるインディカ種特有の粘つきの少ないほろほろとした感触、甘み。

ああ、日本のどこで買えるんだろう、カンボジアの米……切実に……!!

 

米が好きじゃない同行者も美味しい美味しいと食べていたのでカンボジアの米は本当に美味しいらしい。

 

がっかりしたりしてごめんなさいタクシーの運転手さん……

 

この後シアヌークビルに足を伸ばしたりとカンボジアの旅はまだ続いたけれど、どこにいってもひたすら米がおいしかった。

 

というわけで、カンボジアで一番美味しいもの

それは

 

「ライス!!」

 

 

 

 

 ででん。

楽しかったなあ、カンボジア

 

 

 

 

 

 

 

(ちなみにシアヌークビルには美味しい尾道ラーメンが食べられる日本食レストランがあります。本当に日本のラーメンでしかない……。)

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休日、大学生の恋人に作ってあげたい朝食メニュー20選

バイトに講義にサークルに、何かと忙しい大学生。せめて休日くらいは、ゆっくり恋人と過ごしたい……なんて思う人もいるかもしれない。

じゃあ、恋人と一緒に朝を迎えた、そんなとき。朝ご飯はどうする?

恋人に作ってあげるとしたら、どんな朝食メニューにするだろう?

今回はそんなことを考えながら、20通りほど組んでみた。

和朝食なら、食後に温かいお茶を。洋風ブレックファストならコーヒーと共に。

食器までこだわれたら、勿論最高。

朝食で気分があがったら、二人のその後の一日への期待も膨らむはず。

 

『休日、大学生の恋人に作ってあげたい朝食メニュー20選』

 

1、鶏の炊き込みごはん、三つ葉のお吸い物、豆腐ステーキ、たらこにんじん

2、ニース風サラダ、バゲット、エシレバター

3、いりこ出汁のお粥、はちみつ梅干し、茹で鶏の胡麻だれ和え

4、スイスミューズリとヨーグルトにフレッシュブルーベリーを添えて、ハーブヴルスト、スクランブルエッグ

5、玄米ご飯、岩海苔のお味噌汁、焼き鮭、胡瓜と茄子の浅漬け

6、無花果とゴルゴンゾーラのタルティーヌ、ゆで卵、キャロットラペ

7、しいたけのお粥、松の実、もやしとぜんまいのナムル、ほうれん草とりんごのピーナッツ和え

8、チーズ•マッシュルーム•トマトと玉ねぎのオムレツ、ライ麦パン、フレッシュオレンジ

9、十六穀米ごはん、きのこと筍•餅巾着の醤油鍋、柑橘胡麻ドレッシングをかけたラディッシュとベビーリーフ•かいわれのサラダ

10、角切りトマトと胡瓜、カッテージチーズのサラダ、タイムの蜂蜜をかけたギリシャヨーグルト、黒パン

11、まるごと玉ねぎのスープ、目玉焼きのオープンサンド

12、土鍋ごはん、根菜のお味噌汁、桜えびの卵焼き、胡麻豆腐の柚味噌かけ

13、豆•野菜•マッシュルームのトルコ風煮込み、ライ麦パン

14、筍ごはん、鶏肉団子のスープ、菜の花の辛子和え

15、千切りキャベツとツナ、レモンピールのサラダ•マヨネーズドレッシング、オムレツ、バゲット

16、イタリアンパセリとニンニクでマリネしたアンチョビ•ペコリーノチーズ•ポモドーロセッキを挟んだフォカッチャサンド、黒オリーブペーストを乗せた玉葱のロースト

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(これはフィレンツェで行ったパニーニ屋さんのレシピ。前日の夜に仕込んでおけばすぐできる上に、びっくりするほどおいしい)

17、麦飯、豆腐と大根のお味噌汁、鯖の味噌煮、柚子白菜

18、ハモンセラーノルッコラ•カマンベール•レッドペッパーのバゲットサンド

19、あさり粥、中華風炒り卵、胡瓜のピリ辛和え

20、エッグスラット、薄切りのバゲット、カリカリに焼いたベーコン、グリルした野菜

 

 

以上のメニューを見て、気になる、けど作り方がわからない!という人は、書いてある材料で検索をかけてほしい。一応検索しても出てこなさそうなメニューは細かくかいたつもりだけれど、どうにか試行錯誤して自分好みの味にしてほしい。結果オーライ主義かもしれないけれど、そのほうがきっと恋人も喜ぶはず。

 

休日の朝、一手間かけて、誰かのためにごはんを作ろう。

大切な人と一緒なだけで、普段の食事もレジャーになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに行けば、野菜不足知らずの旅ができちゃうかも。

海外旅行に限らずとも、野菜不足には旅をする度悩まされる。

 

国内旅行でも「もう揚げ物•海鮮•白ご飯はいいからほうれん草の胡麻和えとかをボウル一杯食べさせてくれ〜家のご飯が食べたい〜」みたいなことになるけれど、特にパリなんかはそれが顕著だった。毎回、滞在三日目にはお腹がもたれて、もう何も食べたくないみたいな状態になる。本当にフランス人はバターが好き過ぎだと思う。なのにパリジェンヌ達はなんであんなに細いんだろう。外食しないんだろうか。私なんかパリ以外でもフランス旅行へ行くと2キロは増量するのに……(でもエシレバターを生んでくれてありがとう、フランス大好き)。

 

その点、今回の韓国旅行は衝撃的だった。

2015年の3月23日から26日まで。東京はトレンチコートをはためかせる陽気だったけれど、ソウルはまだ冬だった。

結構、諸外国の人々は韓国と日本をひとくくりにしがちだ。たしかに欧米の留学先だと、日本人と韓国人は何か同じような波長というか、立場を感じるのだろう、仲良くなることが多い。けれど多くの日本人、韓国人が思うように、日韓両国は似ているようで似ていない。それは言語でも、食文化でも、気候でも、色彩感覚でも、人の容姿でも性格でも違う。全然違う。

私にとって初の韓国旅行だった今回の旅で、それをひしひしと感じた。その中でも一番印象的だったのは料理の味付けだ。いや、正直今回もまた食べることばかり考えていたのだけれど、味付けの違いには本当に驚いた。

 

韓国料理って、とっても薄味。

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日本に「辛いものを食べ過ぎると味覚が馬鹿になる」という教えのような迷信のようなものがあるけれど、国民のほとんどが唐辛子たっぷりのチゲやキムチに慣れているはずの韓国の料理は薄味なのだ。

初日に食べた参鶏湯も三日目の朝ご飯に食べたソルロンタンも、二日目の夜のアワビ粥も、本当に塩味が無いor極薄で、ひたすらダシのうまみで攻めるかんじだった。なんと滋味深い、身体に染み渡る料理なのだと思った。

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キムチにしても、日本のキムチにありがちなクっとくる辛さや喉が渇く塩気がなく、酸味が爽やかで、日本の料理だと漬け物というよりもおひたしに近いものを感じた。薄味だから、いくらでも食べられる。野菜だけでぱくぱくいけてしまう。

旅行中、日本はどうしてなにもかも塩辛いのだ、と何度も思ってしまった。たしかにご飯には合うけれど、塩分も高いしご飯を食べれば糖質だって高くなる。せっかく野菜をふんだんに使う食文化なのだから、家だけでなく、外食ももっと薄味になってほしい……願わくば。

 

あと、韓国でとにかく驚きなのが、突き出しが食べ放題という文化。

多いところで六品くらい突き出しのおかずが出てくる。なんとタダ、というか、元々食事代に入っている。

ナムル、キムチ、和え物など、そのほとんどが野菜のおかずだ。しかも最初から結構盛られてでてくるので、お代わり自由といってもお代わりしたらおなかが苦しくなるのがデフォルト。それで、日本の単品メニューより少し高いかな?って価格。大食いかつ野菜好きの私にとって、韓国のレストランはめちゃめちゃリーズナブルに映った。日本の野菜料理って、単品で頼むとどうしても高い……。いや、日本だけじゃない。アメリカでもヨーロッパでも、サラダ系を頼むと大皿で出てくる代わりに高い。特にアメリカのサラダなんか、野菜の上にタンパク質や揚げ物が乗って、さらにクリーーーーミーーーなドレッシングをかけちゃうからヘルシーさが見当たらなくなる。

とにかく、韓国ほど外食で気軽に野菜を摂取できる国って中々ないと思う。

ただ、旅行者でも野菜がたくさん食べれる国!だったら中東もかなり良いセン行く気がするので、このへんはまだまだ経験不足を感じる。シリアのレバノン料理なんかはパリだとチェーン展開していたり、空港に出店してるくらいポピュラーだけど、すごく野菜たっぷりでヘルシーだった。シリア周辺の国々(トルコ、イラン、イスラエル辺り)も食文化的に共通する部分が多くて、豆と野菜、スパイスを中心としたおかずたちは身体にとっても良さそうだ。

ただ、この辺の国々はなかなか情勢が安定しないので、どうしても旅行しづらい。昔トルコに行こうとした時、同行者が危ないと嫌がってあきらめたことがある。でも、なんとしてでも行きたい、中東。できれば大学生活中に行きたいので、早く安定してくれればなあと切に願う。

 

あと、これは北アフリカ料理だけれど、ベルギーブリュッセルで行ったモロッコ料理屋さんでも、タジン鍋のセットを頼んだら野菜がわんさか出てきた。ポトフのサイズどころではないような大ぶりカットの野菜達が積まれ、大量の肉も積まれ、ポット一杯にスープが注がれ、追い打ちをかけるようにクスクス責めにされた。食べきれなかった。それまでどんなアメリカンサイズのご飯でも食べ切ってきた私が、ベルギーのモロッコ料理屋で圧倒的敗北を喫した。また行きたい。今度こそコンディションを万全にして、勝利の栄光を手にするのだ。正直めちゃめちゃおいしかった。

(実は昔モロッコに行くつもりだったのに、ちょうどアル○イダがモロッコのすぐ下まで進行してきたため中止になったという苦い思い出もある)

 

 

海外旅行に行くたびに体重増加が気になったり、肌荒れ、胃もたれを起こしてしまう、そんな人にぜひ、韓国に行ってみてほしい。

似ているようで似ていない、全く別の文化を感じながら、身体のコンディションを整えられること間違いなしだ。

 

 

 

 

(またまた付け足しだけれど、本当は今回、タイかベトナムか台湾に行く予定だった(飛行機のチケットがとれなかった)ので、またリベンジする予定……)

 

日本の接客って、本当に素晴らしい?

日本の接客は丁寧で素晴らしいという通説に対して違和感を感じるのは、決して私だけではないはずだ。

”没個性”の接客に囲まれて育ってきた現代のアルバイター達は、生まれたときからマニュアル化されているのではないだろうか。

 

私はカフェでアルバイトをしている。これは高校三年間をスイスで過ごした後初の飲食バイトになる。大学一年生のうちは某予備校でぬくぬくデスクワークをしていた。今のひたすら体を動かす飲食バイトでは、バイト後に脚が浮腫む。新感覚。私はまだ新人なので、ひたすらホールで接客をしている。

 

接客をしながら少し考えたのは、日本人が言いがちな「日本のサービスは他国より優れている」みたいな台詞が本当なのだろうかということだった。自分が他の国の給仕よりも優れた接客をしているかといえば、そんなことは絶対にない。敬語が全て棒読みになってしまう給仕が優れているかといえばノーである。前のバイトで指摘され続けた自分の敬語の棒読み感だが、ついに一年経っても治らなかった。ぜひどなたかにイントネーションのコツなど師事願いたい。

自分のことから話を戻すと、日本の接客が優れているのかどうか。

経験を思い起こして、比較してみることにする。

 

比較対象がバラバラだと不公平なので、日本でも海外でも、一皿1000円〜2000円程度で提供していて、常に3人は給仕のいる規模のレストランの接客で比べることにする。価格設定はある程度サービスも評価価値に入る価格帯だと思うからだ。

 

まずはアメリカの接客から。

ご存知の通りアメリカはチップ文化だ。つまり給仕は、接客に手を抜くともらえるお金が減ってしまう。そのせいなのかなんなのか、アメリカで感じの悪い給仕には出会ったことが無い。全体的に見ると、フレンドリー、きさくな印象が強い。お客との距離を縮めてくるかんじだ。フライデーズのようなファミレスでも、プロ意識のようなものを感じる。その場の雰囲気を盛り上げてくれる存在である。彼らはミスをしても、あまり気にしない。明るく謝られるのでなぜか許してあげたくなる。個人的にはとても好みな雰囲気の接客だ。貼り付いている訳ではない笑顔も素敵。

 

次にフランスの接客。

ヨーロッパ代表をイギリスにしようかフランスにしようか迷ったが、パリにした。パリの接客には人間味を感じる。自分に正直な接客をしている。忙しいときや疲れているとき、彼らが心の中で何を思っているのかが微妙に伝わってくるような接客が多い印象だ。自分の興味のあるものやことがあると、彼らのテンションは突然あがったりする。でも、無理に笑顔をつくろうとはしない。

以前パリにあるアンジェリーナというモンブランの有名なカフェで、ギャルソン(給仕)に話しかけられて少し話をしたことがある。そのとき彼は、「パリは退屈でつまらない街だよ。何も無い。ああ、僕も東京に行きたいなあ」と言っていた。人間味ありすぎた。

 

最後に日本の接客。

丁寧で気が利いていると思うし、なんといってもミスが少ない。ただし、存在感はない。客の需要を満たして終わり、という感じが否めない。給仕が客の想像の上を行く楽しさを与えるだとか、心地よい給仕を楽しむために客がお店へ脚を運ぶということは、この価格帯のレストランだと中々ない。アメリカ、ヨーロッパと違うのはその点が大きいと思う。客に人としての魅力を感じさせる余裕は、日本の給仕にはない印象。そもそも日本人がレストランに魅力的な給仕を求めていないからなのだろうか。精密でミスが無く、足りないものにはすばやく補充をするけれど、個性が埋没している。

 

現在私は20歳で、今年21歳になるが、小学生時代お世話になったものと言えばファミレスである。基本的には毎日家のご飯だったが、塾の後だけは頼むとファミレスに連れて行ってくれた。そのファミレスの思い出の中に、給仕の人はいない。あんなにお世話になったのに、一人の印象もないのだ。

1992年のガストの登場によってドリンクバーや呼び鈴というファミレス•スタンダードが確立され、ファミレスはそれまでの家族でお出かけするレストランから、大衆食堂化した。ファミレスの数は1992年から増殖し身近なものとなったため、私の世代(1994年生まれ)はおそらく多くの人がファミレス慣れしているんじゃないだろうか。中学生時代は友達とご飯と言えばファストフードかファミレス、みたいな。私の場合、試験勉強といえばジョナサンだった。

 

ファミレスに慣れているということ、それはつまりファミレスの給仕に慣れるということでもある。同じ制服を着て、呼び鈴で降臨し、客の言った注文通りに電子パッドを打って去る。そんな接客に慣れているのが、私たちの世代なんじゃないかと思う。

この接客に慣れれば、この接客が普通だと思い込む。マニュアル化された接客が普通なんじゃないか、これが接客なのだと思い込む。そして自分がアルバイトをする年齢となったとき、それまで接客された経験を思い出しながら、接客とはこういうものだろうと接客する。

国民性というのもあるだろうし、もしかしたら日本人にはこの距離感が合っているのかもしれない。ただ、私はそこに魅力を感じないし、このままでは没個性的な接客のループが起きるのでは、と少し心配している。

 

 

初めてのミャンマー料理は、DV男みたいだった

誤解を与えないように最初に記しておくと、とっても美味しかった。

どこがDVなのかというと、それはまた後ほど。

 

今日の夕方に「エスニック食べたい病」が発症した私は、高田馬場ミャンマー料理レストラン「マノー ミェ」を訪れた。線路沿いの、ゴミ箱が並んでいるような路地を進んだ所にある、蛍光ブルーの電飾が入り口を囲む小さなお店だ。時刻は午後六時半頃。約束をした先輩が遅れるとのことだったので、先に私がお店に入った。するとそれまでテーブル席で談笑していた哀愁漂うミャンマー人の女性店員二人がおしゃべりをハっとやめ、席を立った。テーブル席が4つくらいの簡素な店内。奥では白いカーテンが、奥のものを隠すのか隠さないのかはっきりしないくらいやる気無く垂れ下がっている。客も私一人だった。先輩が来るまでは注文する気もなかったので、ついそのミャンマー人の女性店員に「あの、おしゃべりしていてください」と言ってしまった。アットホームどころではない。日本に住むミャンマー人の生活がにじみ出ているような、人の家のような雰囲気なのだ。それなのになのになぜか、日本人の私まで落ち着く。

 

先輩が店に着いて、とりあえず二人でミャンマービールを頼んだ。瓶のみで提供されるそれは、ひっかかりも苦い後味もない、レモンを絞ったようなような爽やかさ。これならビールが苦手な人でも飲めるかも。場所によっては一年中平均気温が30度を超えるのミャンマーで、水の代わりに飲んだらきっと最高。

 

ここから、無加工の食堂感あふれる料理写真をのせていこうと思う。

前菜として頼んだラペットゥ(茶葉のサラダ)

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かりっかりの豆、フライドガーリック、トマト、葉野菜の千切り、ピーナッツ、茶葉に魚醤、ごま、レモン?ライム?を和えている(と思われる)

とってもチャンキーで、食感がまず楽しい。そして、食指がとどまることを知らなくなる。魚醤と柑橘、それにニンニクなんておいしくないわけがないじゃないかーーー!!!ていうか、渾然一体となりすぎて、でもちゃんと味がまとまっていて、感動しかない。この複雑さ、これだからエスニックはやめられない……と思わせられる一品。このポーションで700円?と思うかもしれない。でも、感動に700円って安くないだろうか。実は見た目に反して、ボリュームは結構ある。ビールのつまみに最適だ。これだけのためにまたこの路地裏レストランに行きたいと思うくらいの衝撃だった。これは、他の料理にも期待せざるを得ない!!

 

アメーダーヒン(ビーフカレー)セット

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まず、左の皿(ルー)が運ばれてきた。しばらくして、ご飯が運ばれてきた。それからまたしばらくして、野菜とその付けダレが運ばれてきた。ちなみにセットのスープはさらにその後、モヒンガーが運ばれてきた後に運ばれてきた。とってもまったりだ。こういうのも情緒があって好きだ。

器を変えれば、中村屋のビーフカリーみたいなルックス。牛肉以外はどろどろになるまで煮込まれている。インディカ米にルーをすこしかけて、口に運ぶ。ん?甘い…油の甘み?このナッツみたいな香ばしさの正体は?カレーなのに、クミンの主張が無い。でもスパイスの香りが後にくる………辛っ!!!!!!!!!!

なにこれ、後味辛い!すごい!見事に後味だけ辛い!!

野菜で中和しようと急いでドレッシングをかけて一口……かっっっら!!!!!容赦ない!!!!一口めから口が痺れる!!!!

ドレッシングをかけたキュウリはオイキムチを彷彿とさせた。つまり唐辛子の味。辛い訳だ〜〜と思いながらも辛いだけじゃないそのドレッシングかけ野菜がまたごはんを誘う。辛いのに、野菜にドレッシングをかけてしまう。インディカ米は日本米よりあらゆるソースに絡む。至福。辛い。インディカ米が太刀打ちできないほどに辛い。カレーも辛い。私の口腔内大戦争の火ぶたが切って落とされた。

 

モヒンガー(魚介のスープのにゅうめん)

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食べかけのお見苦しい写真で申し訳ないが、奥に写るラーメンのようなものこそモヒンガーである。みよ、このポタージュ系ラーメンのようなルックス!突然巨大化したポーション

説明書きには魚のスープとあるが、ブイヤベースを想像してはいけない。まるでおしるこのようなどろどろさである。透明感ゼロ。しかしポタージュ系ラーメンに目のない私のテンションは最高潮へと達した。

パクチーと共に上に乗っているのは、豆の揚げ物。それだけでもサクサクで大変美味しいしビールがほしくなるのだが、ポタージュと合う!もはや、メインのそうめんより合う!!!しかもこのポタージュ(スープと呼ぶにはあまりにポタージュなのでポタージュと呼ぶことにした)、甘いのだ。多分砂糖も入っているのだと思うが、この甘きポタージュが私の口腔内大戦争を終結へと導いたのは言うまでもない。このポタージュばかりは、なにが入っているか考えるのをやめてしまった。完全な調和。パクチーと豆の揚げ物がアクセントになっているぶん、ポタージュ内は世界平和を象徴するかのごとく安寧が維持されている。優しい。染み渡る。真冬の凍えるような寒い日に、このスープをすすったら……いや、夏バテで何も喉を通らないような時に、このスープをすすったら……。春のうららかな日差しにも、さらなる幸福を与えてくれよう。木々の枯れ行く秋の日も、人々の体を越冬の準備へと誘ってくれよう。四季折々のシーズンにまで調和する。平和のポタージュ。あーーーーラブ•アンド•ピース。

 

軽やかな食感と刺激的な味付けで食欲をこれでもかと誘い、旨辛さで打ちのめしたと思ったら、世界平和のような優しい味で包み込む……

自分に対して興味を抱かせて懐に抱き、愛という名目の暴力を振るい、最後は痛みを全て忘れさせるような優しさで包み込む……

嗚呼、なんというDV男。

これは中毒になってもしょうがない。

この順番で頼まなかったらDVにはならなかったわけだけど、でも、このギャップ!辛さと甘さの多様性東南アジア料理の魅力は他にもたくさんあるけれど、優しい甘さと刺激的な辛さの組み合わせって、中毒性が最強。

あ〜〜食べて良かった。今日のメニューセレクトは大成功。

また行かなければ、高田馬場の路地裏に。