自分を眺めた

久しぶりに覗いてみたら、最後の日記から6年以上経っていて、
プロフィールには20歳と書いてあった。
これを始めた時はまだ19歳だった模様。
信じられないけど、昔は私も未成年だったのか。


そしてばかみたいに恋愛のことばかり語っていて、おめでたい。
このネット上で、当時の自分と会話できるとしたら、こう言う。
相変わらず泣いてばかりだよ、おめでとう。


日記を読んでいるうちに、
十代で形成された内面世界が、
今の自分の表現の礎になっていることを認識して、
"19歳"という別の生き物の日常記録が、
確かに当時の自分自身のものだという実感が湧いて、
また日記を始めてみようかなと思った。

一月まで寂しいなぁと思って泣いてたんじゃない、もう直感的に、二度と会えないと思ったからだ。
見送ってから、人混みの中ずっと視界がぼやけて、仕方がなくて、そのあとトイレの個室にどれぐらいいたのかわからない。ずっといかないでって泣いてた。体内の水分が全部出たんじゃないかってぐらい、頭がいたくて、もう1ヶ月そんな状態だった。

半年後には大学卒業。
触れないぐらい熱くて、じゅくじゅくでどろどろだったものが、徐々に乾燥していくのがわかる。
社会から受けた刺激を自分の手で再構築して、新しいものを生み出す、ということに対する欲が、乾燥していく。
青臭さが抜けてから、なんて思っているうちに、その情熱は冷めてしまう。
冷え切って固くなってしまった自分が容易に想像できて悲しい。

土曜日の正午に、二人で乗った電車は、平日の通勤時間を思うと信じられないぐらいすいていて、ホッとしながら並んでシートに座ることができた。

‐は、沖縄に行ったことある?

その人は、私にそう尋ねながら、ポケットからイヤホンを取出して、私の左耳に片方をかけ、もう片方を自分の右耳に押し込んだ。

私は、高校の修学旅行で一度だけ行った、と答えた。イヤホンからは、沖縄民謡が流れていた。

これから見に行く試合のことを忘れそうになる。ゆったりといつまでも続く時間を共有できそうな気がして、耳を澄ませて、目を閉じた。

お墓みたいな都内の住宅街を走る電車は、瞬く間に、太陽の下でまぶしく光る海を一望できる海岸を走り始めた。窓の外は輝き、車内は暖かい光に包まれている。左右にくねくね続く車両は、デッキのガラス窓から、ずっと先まで見渡すことができた。

昨日と今日は講評会だった。絵に意味なんて無いけど、その場で考えたでたらめな解釈を、大真面目にプレゼンする。
「いいね」っていわれた。いいところをいくつか挙げてもらった。
「興味がないから肯定して、教授は楽をしている。授業料を払う意味が無いよ。」これは講評会後の私の口癖。
いつもそれを静かに聞いてきた友達は、だったらやめればいいのにって言って、さっさと退学していった。私はそんな度胸ない。人に見える部分でポーズをとっているだけ。

体は重くて頭はぼうっとする、なみだも出ない。アパートには3部屋ついているのに、妹の近くにくっついて同じ部屋に行く。うんざりしたのか妹は、廊下のわきにある洗面台に行ってしまった。そこに設置してあるウィッグ付きマネキンで、美容学校のパーマの練習を始めるようだ。私もついて行って廊下に横になった。今日みたいな日の冷たいフローリングが好き。みるみるロットが巻かれていくマネキンの後姿を、横になってぼうっと眺めていた。彼女は髪の毛を引っ張られても、きっと涼しい顔をしてる。私もすっかり魂が抜けてしまって、自分が生きてるのか死んでるのかわからないや。「しにたい。」ぼそっと言ってみた。妹は無視している。
ロット巻きの練習が終わった妹は、ロットと髪の毛の間に挿むペーパーを、ビニール袋に詰めて水を入れ、袋の口を握って振り始めた。「見て。」水がみるみる黒くにごる。「ウィッグの黒染が少しずつ落ちてるんだよ」妹が解説する。
「じゃあずっと使い続けたら、マネキンも白髪になるの?」
「そうかもね。白髪はすでに何本かあるもん。」
中身は空っぽなのに、生きてるみたいだ。