現金が使えない

【現金が使えない】

先日、2年ぶりに北京に行きました。キャッシュレス化が凄まじい勢いで進んでいて、大半の人がスマホで支払いを行い、店や公共交通機関もそれが前提になっています。現金お断りのところもありました。

これは、外国人にとって極めて不親切です。わずか数日の滞在のためだけにネットがどこでも使える状況を作り、中国のキャッシュレス用のアプリをダウンロードし、それにクレジットカードや銀行口座を紐付けろというのでしょうか?

スマホを使っていない人はお金がかかることをするなということなのでしょうか?

日本政府もキャッシュレス化を進めているようですが、外国人やIT弱者の存在を忘れないでほしい。

異国の地にて思うこと

 久し振りに長期間(といっても2週間だが)異国の地で生活をする機会を得た。前回の長期渡航は1980年代の終わりで、大学1年生の時だった。そのころはインターネットも存在せず、また料金が高額の国際電話も使えず、日本に関する情報から完全に遮断されたような感覚だった。しかもそれが海外での当然の感覚だった。

 しかし今は、インターネットへの接続ができれば、日本の情報は簡単に得られるし、SNSや無料の通話アプリを使って簡単に連絡をとることもできる。そして、ここで自分が何をしているのかを簡単に発信することもできる。

 これは確かに便利である。例えば、(取り立てて興味があるわけではないが)某TV局の24時間番組内の恒例企画では、今年はだれがその任に当たるのかをひた隠しにして番組を盛り上げようとしていたが、その答えが異国の地でもほぼリアルタイムで入ってくる。

 実は今回、現役の大学生と一緒に来ているのだが、時間さえあれば、スマホをいじって、日本にいるときと同じようなパターンで生活しているようである。彼らがどのような感覚で海外での生活を送っているのかが非常に気になる。

 ここでしかできないことをやってみる、普段のことは横に置いてちょっと違うことを考えてみる、といったことにかける時間が削られているように思える。ということを考えている私も「常に情報を得ておかなければ」という気持ちに無意識になっているのか、ついインターネットで日本の情報を見てしまう。そして、SNSに写真を投稿したり、こんなつまらない文章を書き込んだりしている。

 これが海外での新しい過ごし方なのだろう。

 

 

 

 

 

オープンキャンパス

  オープンキャンパスの季節です。大学にとって、受験生獲得の大きなチャンスです。実際、オープンキャンパスで学科・専攻の存在を知り、興味を持ち、受験することにし、入学を決めたという在学生がたくさんいます。

  毎年、多くの人がキャンパスに来てくださいます。数年前は「最近は親と一緒に来る高校生が多くなった」という印象でしたが、今年は「ほとんどの人が親と一緒」との印象です。親がどこの学科・専攻の話を聞くのかの主導権を持ち、教員、在学生への質問も大半が親からのもの。大学生になろうとしている本人は何を考え、どんな気持ちでいるのだろうかと考えてしまいます。

「言語弱者」と「生き抜く力」

 私が勤めている大学は、なにかの方針があるからなのか、学内の案内表示や掲示物が非常に少ない。そして、日本語以外の言語による表示がほとんどない。学内の食堂も同じで、入り口のディスプレーに商品見本は置かれているものの、商品名、定食の中身などは全て日本語で書かれている。

 最近は、公共の施設では、「言語弱者」への対応が(まだまだ不十分ではあるが)行われるようになっている。例えば電車の路線図などでも、英語表記、アルファベット表記、路線ごとに色を変える・アルファベットで記号をつける、駅の表示を路線を示すアルファベットと数字の組み合わせにするといったがそうである。

 10数年前、韓国・ソウルに出張に行って地下鉄に乗った際に、路線図を見ながら「韓国語ができなくてもソウルの地下鉄には簡単にのれますよ。ほら、これが路線の記号で、駅の数字と組み合わせになっていて…。そして、乗換駅では特別な音楽がなるんですよ。」と一緒にいった韓国人の先生に教えてもらい、いたく感動したことを思い出す。

 さて、今日、食堂で注文の列に並んでいると、店の人にスマホを見せている学生さんを見かけた。店の人は最初怪訝な顔をしていたが、「ああ~」といって、お皿に豚カツをのせ始めた。その学生さんがスマホをしまうときに見えた画面には、食堂の入り口にある商品見本の豚カツの写真が写っていた。

 「この方法は海外に行ったときに使える!!」「この学生さん(おそらく2週間程度の特別プログラムできている海外の学生さん)、毎回このストラテジーで注文しているのかなあ?」「もうちょっと、表記や表示方法を工夫したらいいのに…」といういろいろな思いが交錯した。

 

入試の成績と学業成績と就活

 私立大学にはさまざまな入試がある。入試ごとに難易度が異なることもあり、中にはいわゆる「お勉強」ではない基準で合否が決まることもある。

 入学後の学業成績は入試時の成績と必ずしも連動している訳ではなく、いわゆる「お勉強」が苦手だった学生が成績優秀者として表彰されることもある。「大学に入ってから勉強が楽しくなった」「今迄で一番真面目にやっているいる」とはっきりいう学生もいる。第一志望とは言わないまでも不本意入学との感覚がなく、自分の興味、関心に近いことをやっていると感じている学生さんは学業成績が安定しているようである。

 そして、就活。これがまた大学での学業成績と連動している訳ではなく、何が基準で決まるのかがよくわからない。さらに、同じ学部の中の入試の時の偏差値が高い学科の学生が就活で苦労しているケースも耳にする。

 高校生自身はもちろん、高校の先生、受験産業の人、そしてそこから情報を得ている保護者はこのような状況を知っているのだろうか?入試の偏差値の高低だけに左右されずにやりたいことができる進路選択、そして、いわゆる「お勉強」だけではない、「人としての魅力」がつくいろいろな経験を学生さんにはしてほしい。

 

より多く、より速く、より適確に?

 今の学生さんは私が学生だった頃と比べて「より多くのこと」を「より速いスピード」で「より適確に」処理することを求められているような気がする。そして、これを全て満たそうとすると、質を落とすことになる。

 コンピュータの能力は技術の進歩でどんどん向上するが、人間はそうはいかないので、質を保ちつつそれについていける人の割合はどんどん減っていくことになる。そして、いずれ人間は誰もついていけなくなる。学生さんが上記3つ以外のことができて、それが評価され、キャリアにつながるようにすることが長い目で見ると必要ではないかと思う。