independenceway

このブログは私の思考整理の場です。

息子への愛

今日で、彼の大学受験は終わる。浪人はない。

第一志望は九州大学工学部。前期試験で落とされ、後期試験にチャレンジ。

私立は、
千葉工業大学工学部に合格。日本大学理工学部に合格。中央大学理工学部に合格。東京理科大学基礎工学部に合格。

早稲田大学工学部基幹工学部は不合格。

九州大学不合格を聞いた時には、久しぶりに嗚咽あげた。彼の目標が達成できなかった気持ちを考えると我慢できなかった。

家族への想いが意外と強いんだなと、実は再認識をした次第。

今日の後期試験は、合格の可能性は見えない状況。しかし、判っていながらもチャレンジする姿は誇りに思う。

ビリの下支えをしないといけない

最近つくづく考えるのは、誰を大事すべきなのか。

 

稼ぐという意味では、トップ層を大事にするのがセオリーなんだけど。

 

組織を一丸とするのはそこじゃないな。

 

ビリに目をかけて上げることなのかなと言う気がしている。

 

色々な意味でビリというか最下層って恐怖感の塊になる。いつクビになるのかなんてね。

 

そこをサポート、下支えする仕組みが会社の中で全員によく見えると、ブービー以上の人間が安心するんだろうな。

 

そこをやらないから、自分が最下位になったのを想像して、誰しもが不安定になってくる。

 

言い方は品が無いけど、人間、犬と一緒だな。序列ってすごい気にするのね。

 

でもさ、何処かで冷徹にならないといけないのが会社。支えるにも限度があるよね。所々で警告的なことはしておかないといけない。

 

恐怖感を与えないように、最下位を叱るのってどうやってやれば良いんだろうなぁ。

コミュニケーション下手

外弁慶?

 

外とのコミュニケーションには自信がある。たいてい誰とでも仲良くなれるし、好印象で、それなりに出来る人を演じることも自然とできる。

 

だが、身内とできない。特に社員と。

 

傲慢なのか、甘えているのか、良くわからない。

 

銭を稼いでくれている訳なんだから、もっと感謝や賞賛を素直にぶつければ良いのは良くわかっている。

 

プロなんだからやって当たり前。プロなんだからできて当たり前。誉められないと動けないようじゃプロじゃないよ。

 

とまでは思わないが、こんなのがどこか根っこにありそうな気がする。

 

自分で全部やってきて、誉められることは求めることなく、楽しい仕事、ワクワクする仕事、新しい仕事をワサワサ泳いでくることで自己満足で生きてきたのかな。

 

人の上に立つ人間として、実に不器用だなぁと思う。お金をくれるお客様に頭が下げられるなら、それを換金化してくれる社員にも頭下げられなきゃと思うんだが。

 

給料払ってるんだから、そんなの不要って、傲慢な合理主義なのかなぁ。

今何がしたいのか

自分のやりたいことを何も気兼ねなくやりたい。

 

それだけ。

 

自分の感覚や感性や気持ちで動きたいだけ。説明しろって言われても正確になんか説明できないし、数学じゃないんだから誰にも共通の解釈なんかありえない。

 

人の理解を待っているより、ザクッとした方向性がきまったら、進みたいだけ。進みながら微修正すれば良いじゃない。

 

方向性を決めて、踏み出す一歩の方法まで決めないとできないならそこに座っていろって感じ。

 

枠組みに拘るならともかく、手続きなんかに拘って仕事が成功するわけない。失敗はしないだろうけどね。

 

するなら、成功する仕事をしたいわけさ。失敗しない仕事なんて何が楽しいんだ?

気遣い

発言が意外とストレートなんで、誤解というかなんというか嫌がられることが多い、昔から。

 

結論を一言で言っちゃうから、違和感を感じるんだろうなぁ。でも、その違和感を相手が自分を否定してると捉えらえること。こちらはそれに違和感を感じる。

 

異論と反論は違うし、まして価値観や表現が違うことを否定ととして捉えるのは勘弁してくれ思う次第。

 

まぁ、こちらの説明が足らないんだろうけど、説明から入るの大嫌いだし、結論がモヤッとしてるのも嫌い。ストレートな物言いって誤解をうけるよなぁ。

 

発言は自由の最たるモノだし、やめる気もないんだが、なんとかならんもんかな。

 

言葉遣いと気遣いは近いが、発言の本質と気遣いは次元が違うはずなんだがなぁ。

 

すこし、クッション言葉を増やしてみようかな。それだけでどう変わるコトやら。

愛と情

足りないのは愛。

 

他人への愛が無いのが弱点。

 

情は、ありすぎるほどにあるのが特徴。

 

たぶん、基本的に社員とかに上から目線なんだよね。だから情をかけ過ぎる。

 

愛の鞭って

 

「かけがいのない相手に対して、在るべきコトへ誘う」なのかなぁ

 

情けをかけちゃうから救済処置ばっかりなんだろうな。多分、拾ってる子猫と同じ扱いしてるんだと思う。

最近、よく言われるのが、なんで答えを見つけたがるの?なんで詰めるの?

 

問題があるんだったら解決すりゃいいじゃん? 現状をあーだこーだ並べたって先に進まないぞ?

 

現状から仮説をもって、解決策を考えるのが大事じゃないんか? 仮説が合ってるかどうかは次の話でいいわけだし。仮説が間違って解決策が外れていたら、また考えればいいわけで、それが正しい試行錯誤かと思っているわけだが。

 

どうも違うらしい。仕事においても、プライベートにおいても、どうも違うらしい。

 

せっかちなのかな?

 

下手な考え休むに似たり。結論が重要なんじゃね?

 

と言うのが、間違いではないとおもうのだが、全部言いたいことを言い切らせることが大事なようだ。

 

キリの無い話。始末におえない話。オチの無い話。

 

物事は先に進める前に

 

物事は、整理整頓する前に

 

相手の想いや気持ちを全部受け止めてからじゃないと始まらないらしい。

 

面倒くさいけど、まどろっこしいけど、結論を急ぐのは時と場合によるらしい。

 

周辺が、DiSKで言うところの「Dタイプ」だけだと楽だね、世の中。でも、そうは行かないのが世の常か。