それは花粉症の季節
今週のお題「バレンタインデー」
もう一週間も経たずにバレンタインデーが来てしまいますね。日本のバレンタインデーといえばチョコレートと切っては切り離せない日。数年前までは2/14が近づくと今年は何を作ろうかと頭を悩ませた記憶がある。同級生では所謂「友チョコ」なるものをばら撒くやつがいてその人たちにはちゃんと何かしら受け取ってしまった対価を払わねばなるまい、親しい友人や父には日頃の感謝も兼ねて渡しておきたいな、部活の連中にはどうしようか、など。人の口に入るものを作るのが苦手なので苦労した。
このようなイベントに世間も賑わう。スーパーではバレンタイン用のチョコレート売り場が設置され、テレビでは有名店のリッチなチョコレートの特集が組まれる。甘いものが好きな人間なら普段以上にチョコレートが目に入り、ついつい手を伸ばしてしまうだろう。
しかし、ある人間にはチョコレートはなかなか危険な食べ物である。それは花粉症の人。砂糖類は症状を悪化させる。私は医者からなるべく外出しないように言われ、薬もないよりはマシだが薬を飲んでいても症状が酷く、夜も息苦しくて眠れないような重篤な花粉症患者である。チョコレートなんて食べたら一発でアウトだ。それは頭ではわかっていてもあの甘さをどうしても欲する時があり、どこにいてもチョコレートの文字が目に入る。禁止されてる時ほどしたくなってしまう心理だろうか、気づいたら買ってしまっている。食べている時は本当に本当に美味しい。罪深ささえ感じる美味しさ。しかしその後で地獄は待っている。
タイミングが悪すぎると思う。バレンタインデーか花粉の飛ぶ時期、どちらかずらしてほしい。
そろそろ朝方ですね、寝ましょう。
シャガール展に行った話。
年も明けて半月が過ぎてしまいましたが、年末の話をします。
実家に帰省した際、名古屋市立美術館で開催されているシャガール展に行ってきた。端的に言うと、非常に良かった。気になる人はぜひ行ってほしい。
10年前に開催された『シャガール展 愛と夢、そして幻想』(2007年)のおかげで展覧会の楽しさを知った私はシャガールに対して思い入れが強い。シャガールは私の中では、幻想的で美しくて好きである一方で暗い画面で何を示しているのか読み取れず不安になる、というイメージだった。
「幻想的で美しい」の代表は『枝』だろう。10年前のシャガール展のポスターや図録の表紙にもなった。しかし、今回は展示されていなかった。さらに、今回の展覧会のタイトルは『シャガール展 三次元の世界』。日本ではあまり知られていないシャガールの陶器や彫刻といった立体作品を紹介する初めての試みらしい。出品作品のうち1/3が立体作品であった。
私が見ていて不安になる、いや、不安になった作品の一つに『町の上で、ヴィテブスク』がある。曇りのような色の空の下、寄り添い浮かんでいる男女。一体どういう状況なのだ、どういう気持ちになればいいのか、いやわからない、と問答をしていた。今までは。
作品に近づけない私の手を引いてくれたのは解説のパネルである。(私は解説を読んでそれを飲み込み納得してしまう人間なのだ。)そのおかげでシャガールに身近だったもの、シャガールの妻への愛、エピソードとその時の感情が作品に溢れているように思えて愛おしい気持ちになってしまった。感情豊かに見え、優しい気持ちになった。彫刻や陶器を見れば彼が心から制作を楽しみ、その作品に愛情を感じていたことがわかる。
シャガールの作品への不安な気持ちはほとんどなくなり、作品に対して今まで以上に愛を感じるようになった。図録も購入した。図録の表面は大理石のように真っ白で、『ふたつの頭部と手』をモチーフにした絵柄が型押しされている。とても素敵なのだ。もちろん中も見やすくて美しい。
ああ、この展覧会の素晴らしさ、楽しさを上手く表現できないのがもどかしい!
2/18日まで開催されている。まだ一ヶ月ほどあるので気になっている人は行くといい。シャガールが好きな人は絶対に行くべきだ。きっと自分にとって思い入れのある展覧会になるだろうから。
プレステ
これは即答できます。PS4です。
私は昔からゲーム機が欲しくて欲しくてたまらなかったが親の方針でゲーム機を手に入れることができなかった。集中するとそればかりになってしまう幼い私の様子を見て「この子にゲーム機なんて与えたら絶対ゲーム廃人になる...!」と思ったのだろう、ゲーム機は何があっても買わないと言われていた。一人暮らしを始めて、ゲーム機持ってたら一日中やれるし楽しいだろうなとは思っていたものの結局買ってはいなかった。
なぜ今年購入したのか。要因は色々ある。まず一つはゲームソフト『Nier:Automata(ニーア オートマタ)』の発売だ。某動画サイトで偶々見た前作『ニーア レプリカント』、そしてこれらの作品のディレクターであるヨコオタロウ氏が同じくディレクターを務めた『DRAG-ON DRAGOON(ドラッグオンドラグーン)』のプレイ動画やサントラから興味を持ち、情報を収集してゲームをプレイしたことがないにも関わらずこのシリーズのファンになった。続編が出るならどうにかしてプレイしたいと思っていた。
次に、今年知り合ったゲーム好きの先輩と意気投合し、君には是非プレステを手に入れてほしい、そしてもっとゲームの話をしよう、と言われたことだ。言われたから買ったというわけではないが、今まで自分一人心の中で「ほしいな、買おうかな、やっぱり買わないでおこう」と気持ちを揺らしていたのに比べると他人から言われるのでは気持ちの持ちようが全然違った。そして試験に合格したら自分へのご褒美として購入しようと思った。試験には合格した。
初めて買ったゲームソフトはNier:Automataになった。
夢日記171128
父方の祖母の家の縁側の廊下の隅にある背の高い本棚の一番下の段から1982年第8版として出版された厚さ4mmのボロボロの文庫本を出した。本の横に資料のコピーの紙の束もあり、それも出した。内容は確か、土地の儀式と昔の事件を基にしたホラー小説で、狂った男によって村の住人が虐殺されていくものだった。資料は沖縄や東南アジアの神事や儀式に関するものだった。父が来たので読んでみるか聞いて本と資料を渡したところ、中をパラパラと眺めてから表紙の著者名を確認して一言。「これは、やばいやつやで。」
たからのやま
この前実家に帰った時、以前にも増して家の中が散らかってて汚くって驚いた。私がいた時もなかなかだったはずだが、どうして当時の私は気にならなかったか不思議に思う。
うちの母は物を捨てられない。可愛くて綺麗で美しい物が好きで、そういうものを手元に置きたがり、物に対して思い入れが強くて手放せない。小さな宝石がついた指輪もプラスチックの宝石がついた偽物の指輪(確かに綺麗でかわいい)も彼女にとっては大切なのだ。
最近かなり限度を過ぎてきてるなと思ったのは数週間前に帰省した時のことなのだが、リビングの床に緑色の可愛らしい箱があった。おそらくお菓子の箱なのだが軽い。何が入っているのか不思議に思って開けてみると猫の絵の切り抜きが入っていた。私は呆れてそして愕然としてしまった。私も幼稚園児の時は可愛らしくてつくりがしっかりした箱に集めたシールや折り紙を入れて大切にしていたがそれと同レベルではないか。母の可愛いもの収集癖はここまできてるのか。
父は基本的にものに執着はしないが書籍系に関しては別だ。雑誌、小説、ビジネス本、漫画、新聞、エトセトラ。なんでも読むが読み終わったらそこらへんに山積みにしておく。読み返すつもりがあるらしいけれどもずっとそこに置かれたままなのは困る。
実家にいる時はどんなに散らかっていようが汚かろうが、面倒臭いことをしたくない気持ちの方が上回って、忙しいことを理由に片付けに協力的でなかった。そのツケが回ってきているように思う。早く風をあの家に通さねば。
並んで眠る
今週のお題「私の癒やし」
ここ1,2年のことなのだが、ある友人と一緒に眠ることが私の癒しになっている。シングルベッドに女二人並んで眠るのだ。
この友人・侑ちゃんには遠距離恋愛中の彼氏がいて彼女は彼を愛している。私は恋愛にお互いの性別は関係ないと思っている質だが、侑ちゃんに対して友人としての親愛は持っているものの別に彼女に恋をしているわけではない。昼間に会って遊びに行ったりもする、極々普通の友人だ。
1,2ヶ月に一回くらいのペースでどちらかが連絡を取る。「近々泊まりに来ない?」「明日泊まりに行ってもいい?」彼女の家に泊まるということが彼女のベッドにお邪魔するということなのはもう暗黙の了解だ。
どうしてこんなことになったのかというと、前々から学校と私の家の間に位置する彼女の家にはよく泊まらせてもらっていたのだが、布団を毎回出させるのが申し訳なく、私はどこでも寝れるので床(カーペットの上)でいいよと言って一時期はカーペットの上にバスタオルを敷いてクッションを枕にして寝ていた。ある晩、その時も床で寝ようとしていたところ「もう上で寝たら」と侑ちゃんが言った。その言葉に甘えてベッドにお邪魔したのが始まりだった。
お互いにお泊まりの連絡をするのは大抵精神的に疲れて消耗しているときだ。まだ元気なときは眠る前に暗い部屋で最近の出来事を話したり愚痴を言いあったりする。心が死んだようになるほど疲れているときは話す元気もなく、部屋を暗くしてベッドに入ってすぐに眠りにつく。消えてしまいたくなる夜でも一人よりは隣に一人いる方が、後々少しだけましな気持ちになれると思う。つらくて泣けてきて眠れない夜も、腕から感じる彼女の体温が温かくて、隣から聞こえてくる規則的な呼吸に安心して眠りにつける。私は飼ったことがないから実際のことは分からないけれど、犬とか猫と一緒に寝るのってこんな感じなのかななんて思っていると彼女に話したら「もっとモコモコの服を着て寝ようか」なんて言った。
彼女と一緒に眠れるのはおそらくあと1,2年だろう。20歳過ぎた女二人が一緒に寝るなんて異様かもしれない。でも確実に今の私の癒しになっている。
次一緒に眠るのはいつになるだろう。ずっと先のことだといいなと思う。
白紙の手帳
気づいたら10月もあと10日ほどで終わってしまう。この調子だと気づいたら年が明けていた、なんてことになるのだろう。
この時期になると次の年の手帳が沢山並べられるようになってうきうきする。と共にどれにしようか悩む人は私以外にも多くいるのではないだろうか。
レフト式よりは書きやすかった。しかし後々知りたい情報を探すのが大変だった。視線が動く動く。あと枠がしっかり決められてしまっているので「この一週間でこれをやるぞ」という予定を書き込むとしっくりこなかった。やっぱりフリーのメモスペースがほしい。
3年目は時間軸を組み込めば楽なのでは?と思い、メモスペースの大きいバーチカルを探したところ、ラコニックのバーチカルを発見。
メモスペースやっぱりいいよね。バーチカルも視線が横に動くだけだから楽だった。難点はバーチカルの横幅が狭すぎるのと、私の予定は時間にきっかり決まってない、もしくは時間を書くほどのものではないということが多かったところだ。枠の横幅が狭いのでわざわざその時間のところに書こうと思えなかった。これの一番良かった点は展覧会のチラシを表紙にできて楽しかったことかな。
メモも取れて軸がある、あるいは作れるもっと自由な手帳はないのか!と探しに探して見つけました4年目。ラ・アプスのウィークリーフリーフォーマット。
C6って変なサイズ、と思いつつ購入。つ、使いやすい...!シンプルかつフリースペースが大きい。さらに方眼紙なので表や図にしたり書き方も工夫できる。縦にも横にも書ける。一週間見開きなのでその週にやらねばならないことをまとめて書くこともできる。C6というサイズも十分なスペースはあるしコンパクトで邪魔にもならない大きさだった。
私はこれを待っていたのよ。
今年もこれを買おうと思っていたのだけどやめました。何故かって?
↓今年(2017年)の
↓来年(2018年)の
おわかりいただけただろうか?
なんで上にちっちゃいマンスリー付けちゃうかなーーーーーーーーー???!
これが気に入らなくて違うのを探そうと思ったのですはい。
そして今日届きました、ユナイテッドビーズバーチカルフリーフィールド。
これは青いけど、私は緑色を購入した。新しい紙の良い匂いがする。ラ・アプスのと比べると方眼の大きさと手帳そのもののサイズが大きくなったことくらいかな。
手帳はその時の自分に合ったものを使うのがベストだと思います。環境や時間の使い方が変われば使いやすい手帳も変わることがあるはず。私も来年は違うフォーマットのものに変えているかもしれない。それでいいのです。ただ、フリーフィールドフォーマットは知らない人もまだいる(私の敬愛する先輩もご存知でなかったのでおすすめしておきました。)と思うので選択肢の一つに是非入れてみてほしいと思います。
...では、寝ましょう。