自分にがっかりしている。
わたしは結局見返りを求めているに違いなく、その姿はとてもむなしくみっともない。
無償の愛など存在しないとして、せめて「厚意でやった」と自覚がある事柄については見返りは求めないでいたい。
具体的に書くことも憚れるような「小さいこと」は常に鋭利なガラス片のように突き刺さる。
幸いなことに、ガラスは透明で誰にも見えず、涙も透明で誰にも見えない。
「小さいこと」「よくあること」「気にしすぎ」は、救いの言葉になることは永遠にないことをわたしはよく知っている。
■
健康になりたい。
可愛くなって世界征服したいけれど、そのためにはまず健康だ。
健康、わたしから、かなり遠い。
■
これが噂の「誰にも相談できない悩み」か。
■
いろんなことにモヤモヤして自分の輪郭がぼやけている。
こういうときはを舌が筋肉痛を起こすくらいのセックスをするに限るが、Kさんはその相手にはなってくれない。
Oさんに会いたいなぁと思うが、それはもう叶わない。
自分以外の全員が、きっと正しいのだろうと思う。
■
ずいぶん前の話になるが、元恋人の結婚相手が第二子を授かったとニュースで取り上げられていた。
このニュースに少なからずショックを受けたのは「二人がうまくいっているらしい」ということに対してだろうか。
お金の心配がない生活がうらやましいのだろうか。
二人ともどんどん不幸になって欲しいという気持ちはずっと変わらずだし、今後無関心になることもないだろう。それは未練があるということとは全く違うのだが、なかなか分かってもらえない。
ネット記事のコメント欄(やけにリアルで笑った)を読んで、留飲を下げた。