犬の脚の万年筆

犬が前脚の爪でがりがりと地面に刻み込む日記です

飛ぶためには地を這ういきものであることを忘れる必要がある

自分を責め続けている間、線の一本すらまっとうにひけない。

対して責めることを忘れている間、努力することのいかに楽なことか。

どんなに無残な有様でも自分だけは

自分の作品を世界を感性を責めず褒めてやらなくては。

不遇を凝視しない無思考だけが不遇から逃れるただひとつの道なのだ。

砂浜夢

砂浜を行く夢をよく視る

波打ち際には点々と
貝殻やカニの穴が見えるが
私にはもはやそういった風情の姿形を
豊かな質感を
確かめる心はなし


ポケットが破れていたせいだ
どこに落としてきたのか
みすぼらしい姿形のものであったから
清掃員に吸殻と間違われ掃かれたか

心無き身体は呆然としかし
急き立てられ海岸線を行く
心ともなわぬ曖昧な視角で
目玉に押印された貝殻の波形は
数歩歩くだけで波音に磨耗し
どこまでも遠い思い出となる

急ぎ勇めと波が急く
視角はいよいよ曖昧モコ
いまや目先にあるびいどろ石も
遠い未来の思い出か

失われた栄誉について

小夜の河岸をとぼとぼ歩いていると

「聖」という語の語源はもしや「日知り」なのではないかという思い付きがふと頭をよぎる

古代の農耕文化において天候を知るものは聖者にも等しい存在だったのではないかと

いつもの拙い連想遊びだとは思いつつ調べると

どうも正解らしい

 

では今日僕がした発見に与えられるはずだった栄誉はどこへ行くのか

河岸の岩の隈にて月想う蟹の

15夜お月様のごときのあぶくに包装され

千年の後、月面に届くのか

 

非存在の祭囃子

夏の夜
住宅街から離れた闇の果てより
祭囃子が聞こえ
ええじゃないかの音頭に加わる農夫のごとく
ご禁制への嘆き一枚を痩身に纏っていた僕は
音のするほうへ歩く

もう少しで祭りの風景が目に入るかと思ったあたりで
ふっと音頭が止んだ
たぬきにでも化かされたか
いよいよこれは江戸の農夫風の夜だなと思ったが
どうも閉会したらしい

町の明かりも祭りの明かりも届かぬ路地の
闇に滴る夜露の水面に
僕は、永遠に知ることがかなわなくなった
その祭りの情景を思い描く