2024年5月

5月は、GWにちょっと遊んだあと会の運営業務やったり、研究でお世話になった研究所の元スタッフ・研究員さんとビールを飲みに行ったり、東大の五月祭りを見に行ったり、仕事の展示会で3日くらい熊本にいたり、会での発表をやったり、コミティアに行ったりしていた。

今月は土日も仕事に絡むようなことをしていて、ぼーっとしていることが少なかった。充実はしているし、今のところは前の会社の時よりも楽しく仕事ができていて楽しい(小学生)。

息をしている時間すべてを仕事や趣味につなげたい性分なので悪いことではないのと思っているのだけれど、仕事とのメリハリというか、ゆとりもうまく作っていかないとばててしまうので悩ましい。だいたいこういう状態になってくると、部屋と食生活が荒れがち。

5月の記録には、大学と研究所でやり残した論文を6月中に書き上げたいとか書いているけれど、もうちょっと頑張らないと無理そう。結果は出そろっているので、まったくどうにもならない状況ではないんだし。

常々、3人くらいに分身したいと思っている。できても3人全員だらけるんだろうなあ。

おわり

2024年4月

またサラリーマンになった。暇であるはずはないのはもちろん理解していたけれど、ロケットスタートの様相でさすがにへとへとになっている。

会社の業務のほうは、研究費の申請書づくりで一か月が終わってしまった。1回目のDC2を書いたときの手ごたえに似ているので、たぶん今回は厳しい。逆に、今年度中にしっかりプレリミナリーデータを出せれば申請は通せる気がしている。ただ科研費とは性質の違う研究費なので、来年度にまたチャレンジできるかはわからない。とりあえず会社でできそうなことをキャッチアップできたので、5月からはもう少し手を動かせていけるといいのかなと思っている。

へとへとになった要因は、仕事とは別で某会の運営業務をしているというのもある。講演者への依頼をしたり、毎月の講義の司会進行をしないといけないのだけれど、そういうことは自分には不向きなものとして四半世紀の間なるべく避けてきたものなので、突然ストレスなくやれるものではない。とはいえ、引き受けた以上はトレーニングだと思ってやっていくしかない。

仕事と運営業務のほうがある程度落ち着いてきたので、5月からはこれまでやっていた研究の結果を論文にまとめる作業をやっていきたい。朝2時間くらいを使って6月中にドラフトが書きあがればベストかなという感じ。どんなに遅くても、上半期中には仕上げたい。家で仕事できない人なので、朝早めに出勤して適当な喫茶店にでもこもるようにする。

会社のほうの研究も見通しが立っていないので、まだまだしんどい時間は続くかもしれない。

 

おわり

2024年3月

学会に行ったり、発表したり。

学会(聴講のみ)のために福岡へ。自分の分野とは少し離れたところの学会に行ってみたのだけれど、想像以上に収穫がなかった。データ解析とかで共通するものもあるんじゃないかなと期待したのだけれど、そんなことはなかった。結局、途中から発表を聞くのをやめて論文書きをしていた。

学会が終わった後は長崎まで足を延ばした。稲佐山グラバー園大浦天主堂平和記念公園原爆資料館日本二十六聖人記念館などなどを見て終了。2泊3日で旅行するのも悪くないなと思った。とはいえ、帰ってきてから旅行の疲れであまり研究のほうがはかばかしくなかったので年1回くらいで十分かなとも思ったり。

九州から帰ってきてからは農芸化学会にも参加。こちらはちゃんと発表した。ポスターのほうがしっかりディスカッションできる(と思っている)のでいつもはポスターにするのだけれど、今回はそもそも全発表オーラルだったの仕方なくオーラルで。8分と短い発表時間の上に、マイナーな対象をマイナーな解析方法で研究しているので、伝わるように工夫したつもりだったけれど、聴衆はぽかんとした顔をしていた。悲しい。何より、私の研究ががおかしいのか、おかしくないけどわかりにくいのか、そもそも聴衆が解析の知識を持っていないために理解できていないのかがわからないので対策の打ちようがない。

と、3月はこんな感じで学会と退所のための片づけとか挨拶をしていたら、ひと月が一瞬で過ぎ去ってしまった。修了してから半年間は羽休めの期間みたいにしてしまったなという反省もある。こちらの研究所に移ってきてからはきちんとした成果も出せなかったし、新しい技術も特に身に着けたということもなかった。自分の手でMiseqを動かしたりする経験はできたけれど、あまり技術や知識を増やせたという手ごたえはない。そもそもテクニカルスタッフがいないので、やろうと思ってもできなかったし、そういう環境だから半年だけの在籍になった部分もある。研究室への貢献も碌にできなかったし、歯がゆさがとてもある。

4月からはまたサラリーマン。すでに共同研究の打ち合わせをやったので、引き続き研究はできそうな感じであることはわかった。あとは、暇な時間を見つけて、書き上げられなかった論文の執筆を進めていかないといけない。それから、某会の塾頭を引き受けることになったので、会の講演者依頼の準備も。この塾頭業務が結構重荷かもしれない(なにかのリーダーになるのは、私の得意分野ではないので)。

 

おわり

2024年2月

粛々と論文の準備中。

解析結果を整えたのが2月の頭くらいで、文献のサーベイと作図で1カ月くらいが経ってしまった。どちらも完了しているわけではないので作業状況は捗々しくない。弊所で読めるジャーナルに偏りがあって、サーベイが捗らないが原因の一つになっている(言い訳)。特に、環境化学(科学)のジャーナルはほとんど読めない。そういう研究をしている研究室がほとんどないので仕方がないのだけれど、論文を読むということに関して言えば、大学は楽園だったんだなと思う。そんなわけで、3月に論文ダウンロードのために仙台に行く予定(他の仕事ももちろんするけど)。

おわり

2024年1月

代わり映えすることもないけれど新年。急遽仙台に行って測定をしてきたり、面接を受けたり。

―研究。年末はだらだらして過ごしたので、新年はゆるゆると研究をスタートするために二日からラボへ。箱根駅伝の走者が15号線を走り抜けていくのをぼんやりと眺めてからラボに着くと、ボスの居室にはすでに灯りがついていた。この場所で云十年チームリーダーをやるということはそういうことなんだろうな、と思ったりした。ある分野のトップランナーとして存在しようとするためには努力をするほかないんだろう。家に居場所のない哀れなおじさんでもあるのかもしれないけれど。

今の研究所に移ってボスの背中を見られたことは、私にとってよい経験になったと思う。ただ、ラボの実情を見てみると、ボスの専門のNMR以外の分析機器や解析のことはわりと杜撰な取り扱いをしていて、正直がっかりした部分もある。これはこれで、なんでもできるスーパーマンはいないんだということも大きな気づきだったりする。私は自分以外の人のことをスーパーマンだと思ってしまいがちなので、国内ではトップであろう研究所の人間でもこんなもんなんだと知れたことにも意味があるように思う。

1月の中旬は仙台でICP-MSでの測定をしてきた。作業スケジュールをぎちぎちに詰め込んで作業した弊害で、測定が失敗しているサンプルに気づいたときには帰りの新幹線の中だった。時すでに遅し。重要なサンプルはほぼ問題なかったので、解析に回してみて再測定したほうがよさそうであれば、2月にでももう一度測定しに行く予定。東京仙台は近いのがありがたい。仙台から帰ってきてからは、いつもこねくり回しているデータを触るのに飽きてしまったこともあって、修士の頃に取った土壌のデータを触っていた。修士の学生だった当時は土壌の知識もデータ解析のスキル(=観察の技術)もなかったがために無視していた部分に、極めて重要なことをあったということに6年越しに気が付いた。知識と観察、それを紐づける教養(?)の3つが研究では重要なんだなあと思った。これもまた、とてもいい気づきだった。

―体調。去年のこの時期くらいから活動量計をつけていて、体調の確認に活用してる。二日酔いでだるいなというときは数値も悪いし、早寝をして十分に睡眠をとった後だと数値もよいので、当たらずとも遠からずくらいの気持ちで参考にしている。

今月はコーヒーの飲みすぎなのか、普段の食事が良くなかったせいなのか、1週間くらいぐったりしていた。活動量計の数値も悪く、胃腸の不調っぽいと気づいてから白湯を飲んで過ごすようにしたら復活した。食事にも気を使わないといけない年齢になってしまったらしい。胃腸の不調を直してから仙台に行っている間は、活動量計の数値もいい感じだったのだけれど、帰ってきてからは数値上はまた疲労がたまってきているらしい。しかたがないので、部屋をちゃんと暖かくしてしっかり寝るようにした。体力的には下るだけの人生を、いかにゆっくり下るかというステージにいつの間にか来てしまった。

―就活。前の月記にも書いていたけれど、修了後から国研か企業でいいところがないかなーという感じで次の職場を探していた。今年度は就活の情報収集をするだけのつもりで動いていたのだけれど、菌叢解析関係のことをやっている小さい会社で1社だけ興味を持ったところがあって去年の11月くらいから面接を受けていた。

大きい会社でも菌叢解析の研究で募集があったので受けようかと思ったのだけれど、結局のところ応募はしなかった。前職はまあまあの規模の会社だったけれど、残業するなと言われたり、9時でフロアが強制消灯されたり、実験するにもいろんな根回しが必要だったりで、研究・開発環境としてはうんざりしていたのを思い出すと、またそうなるんだろうなという予感がよぎった。しょうがないことだけれど、組織の規模が大きくなればなるほどガバナンスが重視されて、組織のしなやかさが失われてしまう。

ということで、来年度からは会社で働く予定。3月中になんとか論文投稿できるようにがんばる。

 

おわり

2023年12月

Miseqは終わり。今までシークエンスは外注分析頼りにしていて、実はQiime2の使い方をきちんと理解していなかったので、来月はそのあたりを理解していく月になりそう。研究計画を立てたときはICP-OESもやる予定にしていたのだけど、ここまでのデータで何とか論文にまとめていく予定。なんというか、自分の今のテーマはもういいかなという気持ちになってしまった。

常々ぼやいていたと思うけれど、環境データでマルチオミクス解析をやるのは基本的に一人でやる研究テーマではないと思う。①膨大なデータを取って、②探索的なデータ解析をして仮説を立てて、そこから③再検証の介入実験をやるというプロセスは、さすがに一人では無理。③の部分は当初からやらない予定だったけれど、①と②だけでも相当にしんどい。ということで、今年度は今あるデータをまとめて1報をサブミットできれば上出来という気持ちでいる。とはいえ、仮説の提案で終わるのもそれなりに不誠実な感じがしていて、ちょっともやもやした気持ちは残る。

最近は、自分には人並の人生を送るのは無理だという気持ちに整理がついてきたので、どこかのタイミングで1年くらい研究留学してみたいなという気持ちになっている。今行って何とかなる英語力ではないので、準備が必要だけれど。これも人生の禊活動(みそかつ)の一つになると思われる*1

自分の不甲斐なさを感じることを減らしていきたい。かつて、高校3年生のときの担任には「完璧主義はよくない」と言われ、前職の上司には「生き急いでいる」と言われ、ことあるごとにそういう言葉が頭をよぎることがあった。たぶん、世間一般的にはいい生き方ではないんだろうと思う。考え方とか表面的には変えられるものとかは変えていくし、変えてきたつもりだけれど、そのあたりは変わらなかったし、変えられなかったような気がする。とはいえ、ちょっとずつ積み上げていくことで、そういう部分が変わっていく感じもしている。結局どっちなのかわからない。変わろうが変わらなかろうが、自分が今やるべきと思うことをやるしかない。学位取得後5年以内なら海外特別研究員もあるので、そのあたりを目途にやっていこうと思う。もちろん、どこかのタイミングで気が変わることもあるかとも思うので、ほどほどに頑張っていく。自分の気持ちを分かった気にならないのが大事。

年末には一社だけ面接を受けてきた。受かるかはさておき、受けた後にこれでいいのか?という不安もよぎったりした。これも完璧主義の悪いところなんだろう。ここにはないどこかの楽園を探すようなことはすべきではない。どうせ無いんだから。その時々の最善っぽい手を打っていく。今のままでも研究にフルコミットするのは既定路線なので、それが仕事に置き換わるだけのことだろう。お給料さえ下がらなければそれでいいと思うことにする。

来年は、研究を頑張る、英語を頑張る、統計検定とかバイオインフォ検定を受ける、あたりを目標に生きていく予定。いよいよもって草むらをかき分けていく人生になっていくんだろうなという感じ。全部うまくいくことはないことは理解している。来年のテーマは「ちょっと頑張る」。

 

おわり

*1:足の裏の米粒を取る活動

2023年11月

低進捗な日々。Miseqにも取り掛かれず、元素分析も終わっていない。というか、元素分析に関しては、装置の修理が必要という状況。前のラボと何も変わってないじゃん、と心の奥底で思う。一応、ボスが装置の修理はしていいよと言ってくれてるのが、唯一の救い。当たり前ではあるけど、前のラボはそれすらすんなり進まなかった。お金がなかったので。12月中にMiseqだけでもなんとかする予定。

月末は聴講だけではあったけど、微生物生態学会に行ったりしてきた。面白い研究もあった一方で、「類題を解いている」という感想を抱いた研究もちらほらあった。

面白いと思う研究は、新しい視点で世界を捉えようとする研究や実用を意識した研究で、改めて自分自身もこういう研究ができるようにしていきたいなあと思った。一番気に入ったのは、微生物生態系の挙動を理解するためにシミュレーションや流体デバイスを使って再現する研究で、これには本当に感動した。研究されていた方はもともと工学系だそうで、元工学部の人間としてはこの分野で工学の視点からできる研究があるんだ気づかされたし、別の領域の技術で殴りこんでくる研究はシンプルに面白い。

一方で、微生物学にありがちな「今まで未培養でした、単離しました、特徴づけしました」という研究は、やっぱり面白いとは思えなかった。もちろん、単離培養自体は簡単なものではないし、博物学的な研究に価値がないとも思わないのだけれど、「それで?」と思ってしまう自分がいる。生態学会では、もっとマクロな視点から現象を捉えていたと記憶しているので、微生物学特有の「病気」なのかもしれない。世界の理を知りたいだとか、何かの役に立つという視点が抜け落ちていて、ただやりましたという研究。次世代シーケンサーも、ロングリードシークエンスも、シングルセルゲノム解析も、結局のところ作った人が人がすごいのであって、ごく少数の優れた研究を除けば「類題を解いている」研究なんじゃないかなあと思わずにはいられない。時間の都合で、大きな目的の部分を話せないだけなのかもしれないけれど、実際のところどうなんだろうか。

それはそうと、絶賛キャリアパス迷走中。アカデミアに残るのか、海外での研究経験もないのにアカデミアに残ってやっていけるのか、じゃあ今から海外に行くのか、行けるのか、行ってダメだったらどうするのか、でも今のラボにいるとボスの思惑に振り回されるだけなのではないか、じゃあ別の研究機関で独立した研究をできるのか、そもそも任期付きの仕事を渡り歩いていくプレッシャーに耐えられるのか。こんな感じの不安が入り混じりすぎて、情報収集レベルの企業就活をぼちぼち始めている。

海外留学に関しては、ラボに客員で来ている准教授の先生がアメリカの大学で2年間ポスドクをやっていたということで、飲み会で対面になったときに話を聞いたりした。その先生の主張は、「言語の壁が大きすぎるから海外(欧米)は1年経験すれば十分」というもので、わりと斜に構えた主張だった。海外に1年もいれば欧米のスタイル(暦的な仕事の動き)がわかるからそれで十分ということらしい。そもそも、「行ったからといって国内で活躍できるわけではないし、行っていない人でも国内で活躍しているからあとは自分で判断したら」という感じだった。これは偏見かもしれないけれど、海外での研究経験のあるキラキラ研究者の人たちはすぐ海外に行こう!みたいなことを言う印象があるので、そういう考えの人もいるだなあとちょっと意外に思った。もちろん、この主張は私が頑張らなくてもいいという裏付けにはもちろんならないけれど。

一応、アカデミアでもう少し頑張ることも全く考えていないわけでもなくて、9月にはつくばの某研を見学していた。ただ、その時は学会の時期だったせいか活気もなくていまいちかもなあと思ってしまった。それに、行けたとしても今の延長線上の研究をし続けるビジョンしか見えなくて、苦しいことになりそうな予感もあった。人が少なくて大変だという研究統括の方が話しもあったりで、見学がいろいろとネガティブに作用した部分が結構あった気がする。

企業のほうは一社だけ小さい会社だけれど面白そうだなあと思っているところがあって、それも無理を言って見学させてもらう予定にしている。開発寄りの研究業務なんだろうなあと思いながらカジュアル面談を受けたのだけれど、予想に反して研究(論文執筆、学会発表)をしてほしいという話だったので、わりと心が傾いている。それに、自社のウェットラボも持っていて、基本はドライ解析をしてほしいけど必要あれば自由にそっちにも行き来していいということも魅力に感じた。ドライとウェットは表裏一体だと思っているので、必要があればウェットに立ち返れる環境は理想だと思っている。かっこつけたけれど、結局のところは研究がダメだったときにほかの仕事に移れる選択肢がある場所(企業)のほうが心理的に安心するのかもしれない。自分のことを自分が一番信用していないので。

こういうのは縁と運だと思うので、見学してみてネガティブな印象がなければそこに応募してしまおうかなと、少し思っている。とはいえ、明日の自分の気持ちがどうなっているかすら、自分にはわからない。

 

おわり