ミッツケールちゃんの「みつける よのなか」blog

世の中のいろんなことを考察して深めたいミッツケールちゃんのブログ。本やテレビ、ニュースについて、あちこち寄り道しつつ綴ります。

社会的な正しい愛に沿えぬ女たちは―書評★犬のかたちをしているもの(高瀬隼子)

犬のかたちをしているもの

犬のかたちをしているもの


社会的に正しい愛って、確かに存在する。
これは、そのような世の中に胸を張れる愛を掴めなかった彼女たちの話だ。

犬のかたちをしているもの」が何なのか、「子どものかたちをしているもの」が何なのか。
社会から求められるものと、自分たちの現実との対比。

現代の”当たり前”のはじに追いやられた人たちの葛藤が鋭敏に迫ってくる。


本当は、愛に決まりなんてないはずだ。
たとえ世界中の人から後ろ指をさされようと、当人たちが納得していてそれを愛と思うならば、それは正真正銘の愛。

でも、人間が寄り集まって文化や思想を作る以上、社会には「正しい愛」や「あるべき交際」のかたちがある。

のさきにがあって、のさきに子どもがあって……。
一本道の終着点にそびえたつものこそが、「子どものかたちをした圧力」なのだろう。
その圧力の前では、犬を慈しむような純愛は認められない。


さらに皮肉なことに、「子どものかたち」をしておきながらその中身には、子どもというまだ見ぬ命そのものは含まれない。

生まれてくる子どもをどう育てるか、どう幸せにするかはそっちのけ。
両親や親戚、そして当人たち今この世に存在している人間の身勝手な都合なのだ。

ここでも、飼い犬を愛する清純との差異は甚だしい。


予定外に妊娠した子どもを主人公に譲ろうと持ち掛ける女性・ミナシロさんの描かれ方も興味深い。
普通なら完全な悪役であるはずの彼女は身勝手だけれど嫌らしさが滲み出ることはなく、どこか無色透明に感じられるのだ。

そう、ミナシロさんだって、スマートに振る舞うことが良しとされる社会にやられ、ドライな振りをしているだけだ。
世の中に抗ってみたところで惨めなだけ。 それも主人公はとっくに気付いている。

立場は真逆ながら、割に合わない人生への諦めとか抵抗とか、彼女たちは本質的に同類に見える。

そこに待ち受ける結末。
それはきっと、世のかたちだ。


犬のかたちをしているもの

犬のかたちをしているもの


作品紹介

付き合い始めの郁也に、そのうちセックスしなくなると宣言した薫。もともと好きではなかったその行為は、卵巣の病気を患ってからますます嫌になっている。そんな薫に郁也は「好きだから大丈夫」といい、セックスをしない関係でいる。ある日、郁也に呼び出されてコーヒーショップに赴くと、彼の隣にはミナシロと名乗る見知らぬ女性が座っていた。郁也の大学の同級生で、彼がお金を払ってセックスした相手だという。ミナシロは妊娠していて、子どもをもらってくれないかと彼女から提案されるのだが…。

(「BOOK」データベースより)


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宇宙を翔ける一匹狼がABC予想を解く―書評★宇宙と宇宙をつなぐ数学(加藤文元)

鍵は、国際ならぬ宇宙際。
数学の未解決問題「ABC予想」を証明するのに役立つIUT理論(宇宙際タイヒミューラー理論)がついに数学界で認められることになった。
フェルマーの最終定理など他の難問にもつながる快挙だ。

20年かけて作り上げ8年かけて提唱してきた望月新一教授の考えたアイデアはどんなものなのか。
解説された本の書評とともに紹介したい。

宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃

宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃


名立たる数学者たちすら理解の及ばなかったというIUT理論。
しかし、本書をぱらぱらと開くと数式があまり出てこないことに驚く。

冒頭の望月教授による寄稿はやや難解だが、本文では専門用語をできる限り省きつつ、IUT理論のエッセンスと、IUT理論がやろうとしている世界観が、やわらかい言葉で紹介されている。

私自身、学生時代は線形代数学には苦戦したので、理解が及ぶか心配だったが、わからないことをわからないままにわからせてくれる良い解説だった。
高校程度の数学を知っているとより読みやすいが、読者のレベルに合わせて感覚的につかみやすい説明がなされているので、理解できない部分は飛ばしつつ読むことで幅広い人がIUT理論の世界の雰囲気をつかめるのではないかと思う。

国際ならぬ「宇宙際」


IUT理論を大雑把に紹介するなら、たし算やかけ算など数学の操作を行う土台を「宇宙」とする考えから始まる。

私たちが小中学校から習ってきた数学体系――それは今の数学界で扱われるものともレベルの差はあれ同じものなのだが――望月教授は、この半ば当たり前な数学の「宇宙」とは違った、別の「宇宙」を用意することを考えた。

最初の宇宙で数学の操作を行った途中過程を、そこで別の宇宙に移送して操作を続けるのである。

宇宙が複数あると言われても混乱してしまうが、感覚としては国と国の関係と似ている。

例えてみるなら、日本で作りかけた製品を、アメリカに移動させて続きを作り、また日本に持って帰ってくる。そんな状況のようだ。
時代が進んで国と国の行き来が当たり前になり「国際」という言葉が生まれた。

そのことを念頭に、宇宙と宇宙を行き来してつなぐ数学の考え方を、望月教授は「宇宙際」と名付けることにしたのだ。

たし算とかけ算の不自由さ


ABC予想についての説明はネット上にもあふれているのでここでは省くが、一言でまとめれば一見単純だが奥の深い整数問題である。

その中でIUT理論が特に目をつけたのは、たし算とかけ算の兼ね合いの不自由さ。

たし算とかけ算はどちらも、小学校低学年で知る操作ながら、数と数の関係で考えると、なんというか異質であるというか、互いに縛られていることに気付く。

私も個人的に、数学に向き合ったとき、特に素数について考えるとき、たし算とかけ算のこの異質性が枷になる実感はずっと持っていた。
そのため、身に覚えのある違和感から始まったIUT理論は、確かに独創的なようでもあるが、身近さも感じるのだ。

枠を抜け出すちから


国際ならぬ宇宙際という概念は面白い。

前近代、日本でほとんどすべてが完結していた頃には、アメリカやイギリスと言われても、人々はピンとこなかっただろう。
それが今や誰でも少しの労力で行き来することが容易くなり、「国際」はずいぶん身近なものとなった。

数学者の中でも半ば敬遠されていたという「宇宙際」が、このほど受理されたというのは大きな一歩である。
そのうち、私たちは当然のように数学の宇宙と宇宙について、自分の頭の中でつなぎ合わせる時代が来るのかもしれない。

数学的な操作を行う舞台一式のことを「宇宙」と表すところには、望月教授の数学者としての生き様が表れているように感じる。

一つのパラダイムの中で行き詰まったときに、その枠を超えられるかということ――それには専門性とは別の才が必要に違いない。
そしてそれは、きっとどの分野にも共通なのだろう。

宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃

宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃


作品紹介

フェルマーの最終定理ポアンカレ予想などに続く数学の超難問「ABC予想」。
ひとりの日本人数学者が、この予想を解決に導く「IUT理論」を公開し、世界に激震が走った―。
論文を発表した望月新一教授と、議論と親交を重ねてきた数学者が、理論の斬新さと独創性、その核心をわかりやすく伝える。

(「BOOK」データベースより)


関連作品

著者の加藤文元教授は、古くから望月教授と切磋琢磨し支え合い、数学の議論を戦わせてきた盟友のような存在らしい。
IUT理論をかみ砕いた本書は、加藤教授の努力があってこそ、ここまでわかりやすくなっていると思う。
理論の説明の合間に描かれる2人の友情も、本書は見どころのひとつだろう。

作中では数学の歴史やこれまでの数学者についてもたびたび触れられている。
中でも興味深いのが、IUT理論を考える上でも大切な「群」という概念を作ったガロアという人。
その波瀾万丈な生涯について述べた節で紹介されていたのが、同著者によるこちらの本である。

早熟な天才数学者ガロアの生涯を、読書によって体験してみるのもよいかもしれない。



    


何者にでもなれる種が、人間の中にはある―書評★某(川上弘美)

某


誰でもない者「某(ぼう)」が、様々な人間に変化して生きていく話。

……と書けばいかにもファンタジーだが本作の核心は、人間の外と内の繋がりの模索という普遍的なところにある。

他人から何者に見えるかといった体の表面に現れる自分の外側と、
一方で、実際は心の内どのような思惑や情動が渦巻いているのかという内面。

誰もが抱える、自分自身という人間の両面性を、ユニークな設定を介して読み手に問いかけてくる。


個性や性格、アイデンティティと一言で言うのは簡単だが、それらには形がなく、
確固たる”自分”をブレずに持ち続けて生き通すことは難しい。

そこで私たちは、
自分で「これが自分らしさだ」と思えるものや
他人から「君ってそういうところあるんだね」と指摘されたもの、
それらを根拠にして自分自身をなだめ、それらが自分のあるべき手本であるかのように、
”自分像”に沿って生きる。


でもそれは、本来は雑多で何でもない人生の一部のエッセンスだけを集めて物語に仕立てるように、いたって作為的な営み。

作中で、ある時期の「某」が、他人の人生の話を聞き取って物語を書く場面がある。

このとき某が考えたことは、本作において著者が伝えたかった主張の一つに思える。


某は出会った人置かれた場所に応じて思考を成熟させ、次々と姿を変えていく。

人間の中に何者にでもなれる種潜在的に収められていて、
環境との組み合わせで、その中からどの”個”を発現するかが決まるとするなら、
私たちの誰もが某であるに違いない。


あなたも、も、すべて器でしかない

たまたま表出した”個”が自分というものになり、愛した相手がたまたま異性だったり同性だったりする。
きっとそれだけのことなのだ。


某


作品紹介

ある日突然この世に現れた某(ぼう)。
人間そっくりの形をしており、男女どちらにでも擬態できる。
お金もなく身分証明もないため、生きていくすべがなく途方にくれるが、病院に入院し治療の一環として人間になりすまし生活することを決める。
絵を描くのが好きな高校一年生の女の子、性欲旺盛な男子高校生、生真面目な教職員と次々と姿を変えていき、「人間」として生きることに少し自信がついた某は、病院を脱走、自立して生きることにする。 大切な人を喪い、愛を知り、そして出会った仲間たち――。
ヘンテコな生き物「某」を通して見えてくるのは、滑稽な人間たちの哀しみと愛おしさ。
人生に幸せを運ぶ破格の長編小説。

幻冬舎 書籍詳細より一部抜粋)


関連作品

著者の川上弘美さんは、25年ほど前に「蛇を踏む」で芥川賞を受賞。
幻想的な世界観の中で繰り広げられる、淡くて鋭い人生論が魅力の作家だ。

蛇を踏む (文春文庫)

蛇を踏む (文春文庫)


独特の雰囲気を醸す川上弘美ワールドにどっぷり浸って人間の営みとは何なのかを考えたい人には、
「大きな鳥にさらわれないよう」をおすすめしたい↓

大きな鳥にさらわれないよう

大きな鳥にさらわれないよう



どれだけ分岐しても私は先輩のそばに―書評★不純文学(斜線堂有紀)


誰かと一緒に居るのに免許が必要な世界。

自分は3日おきに記憶を失い、大切な人は30分おきに記憶を失う世界。

今は亡き愛した人のクローンを育てる世界。

自分に向けられるを、無意識に操ってしまう世界。


そんな少し、いや、かなり不思議な世界の数々が、
パラレルワールドのように、1ページごとにリセットされては新しく繰り広げられていく。

どれだけ世界が移り変わっても、そこにたたずむのは「先輩」と「私」の二人。
彼らの結びつきのかけがえのなさに、心を乱され情動を誘われた。


二人の物語ではあるのだが、「先輩」の言葉や心情はほとんど入り込まず、
半ば独りよがりな「私」による述懐で話は進んでいく。

数多の分岐を辿る二人の日常に宿るのは、
偏愛純愛献身すれ違いのち別離再会巡り合わせ……。


ページをめくるたび突飛な設定に驚くけれど、いずれの先にも見えるのは、
ありふれた奇跡なんかよりもずっと得難い、運命に配された彼らの愛そのもの

人と人とが一緒にいることの意味が、
人生や愛の哲学が、
閃光のように頭によぎっては果てていく。



作品紹介

「先輩」と「私」の二人が織り成す、不思議で不気味で不条理で、それでいて切ない気持ちが押し寄せる掌編集。大学生である二人は、ページを捲る度に違った世界観の物語の中にいる。すべての話が1ページに収まる分量でありながら、ページを捲る度に独特の世界に引き込まれていく。次々に現れる先輩と私の言葉やおかしな世界観が頭から離れなくなる―不純文学。Webでの連載分から選りすぐった124話を掲載。

(「BOOK」データベースより)


関連作品

著者の斜線堂有紀さんは、長編でも注目の作家↓


ショートショートが好きな方には、どんでん返しを短時間で楽しめるこちらもおすすめ↓
5分後に意外な結末 既5巻セット

5分後に意外な結末 既5巻セット

  • 発売日: 2015/02/02
  • メディア: 単行本


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