枕草庫~まくらのそうこ~

つまらなければ枕にでもして下さい、な小説の保管庫です

朝焼けの彼方

「かれんちゃん、あの向こうには誰がいると思う?」
「誰?」
「ぼくはね、なんとなくあの向こうにはお父さんがいるかもって思うんだ」
朝焼けの通学路を歩く僕がそう呟いていた。
 
ぼくのお父さんはどこにいるの?
一度だけ勇気を出して母に聞いてみたことがあった。
あの人は、さっぱりとさあね、と言った。
そもそもどこにいるか以前に誰が父かもいまいち分からないそうだ。
相変わらず人を気遣うということを知らない女だ。
いや、あの人にとっては重要ではないからあっさり言えたのだろう。ごく最近、本当に大切な言葉ほど簡単に言えなくなるのだと僕は気づいてしまった。
今朝目がさめると、ふと小学生のかれんちゃんと話す夢を見たことを思い出した。
まだ僕たちが普通に仲が良かった頃だ。
 
「おはようかれんちゃん!」
僕は家が好きではない。ただ、玄関のドアを開く瞬間は好きだ。いくらでも可能性のある広い世界に出られるという希望を感じるから。
飛び出した世界にはほら、大好きな人がいる。
「おはよう」
かれんちゃんは僕に弁当を差し出して言った。
「いつもありがとね」
「別に。…単なる習慣だし」
いつも通りのかれんちゃんが見られたことに今日も喜びを感じる。
「今朝さ、不思議な夢を見たんだよね。小学生のかれんちゃんに僕のお父さんがあの道の向こうにいる気がする〜って言う話」
何の気なしに話題に出してみた。
つくづく僕はずるい男だ。
優しいお父さんのいる幸せな家庭に育ったかれんちゃんにあえてこんなことを言えば、いらない気を使わせると分かっているのに。
「あったね、そういうこと」
「え?」
「えっ?あったじゃん…小学生の頃でしょ?何年生の時かは忘れたけど、かれんちゃんはあの向こうに誰がいると思うって聞いてこなかったっけ」
まさか現実の記憶だとは思っていなかった。
「そっか、あれ、忘れてただけで現実だったんだ…」
小学生の頃のことを忘れるなんて、歳をとったものだ。
「子供心にどう返したらいいか分からなくて印象に残ったんだよね」
空を仰ぎ見て彼女は言った。
「だよね、ごめんねかれんちゃん」
「別にいいけど…さ」
そう言って、今度は地面に視線を落とした。
「今は隣にかれんちゃんがいてくれたらそれでいいよ」
朝の空を眺めながら、そういう彼女を縛り付けるような言葉を平気で口にした。
「いつも思うんだけど、マオは…」
私がいなくなったらどうするの、と訊きたいんだろう?
「なんでもない」
彼女は途中でその言葉を打ち消した。
 
愛してるよ。君のこと。そういう優しいところを。
 僕も、そんなシンプルな言葉を声には出さずに打ち消した。