受付ってそんなに偉いのか?

今回は少々愚痴紛いの話になってしまうが、ハイクに投稿するにしろ長めになりそうなので久しぶりに更新する。
ある日、前髪が気になり全体的にもボリュームが出てきたので美容室の予約を行った。
この際、電話での予約をしたのだが電話を担当した受付の対応が最悪だった。
まず、来店する時間を尋ねられたのだが、時間を提案されるまではまだ想定内であり何の他愛もない予約の電話の光景だ。
しかし、提案された時間に対し変更をお願いしたところ「じゃあ何時だったらいいんですか?」と露骨に苛立った声色で言われた。
日時を指定した後、名前を名乗る際にも対応の悪さが出ていた。私の名前は聞き取りにくいのでゆっくり話したはずだが聞き直すときに「お電話が遠いようなので…」とはよく聞くものの聞き取ってもらえず最終的には「は?」と言われた始末。
「(だから!)○○(苗字)!△△(名前)です!!」とこちらも僅かに熱が入ってしまった。
このとき「だから」と言わなかったところだけは自分を褒めたい。
このお店はスタイリストの方の腕はよく、そこでの美容師たちの接客は悪くない。だが、そこの受付だけはどうも態度が悪く、最初だけだから、といって長年我慢していた。
けれども、今回を機にこのお店に行くのは止めることを検討している。
確かに、わたしの声は通りにくくなおかつ閉店30分前だったことに気付かなかったため苛立ちがあったことも頷ける。
受付時間に制限があった場合、店側には拒否権があったのではないだろうか。
単刀直入に「受付時間は終了しました」と自動音声がなければ一言「終わりました」と言ってもらえたらこちらも後日改めることができた。しかしまるで嫌味たらしのようにも思えるあの対応をされるのであればまだ電話に出ないほうがまだ気分を害することはなかった。
相手にああしてほしい、こうしてほしいと話しているが自分の非を見つけて円滑に受け答えができるよう精進しようと思う。

挨拶はするか否か

ブログを休止して早1年半振りとなる。
今回の内容は挨拶についてだ。
つい先ほどの話だが、わたしがゲームセンターから帰ってきた際に同じアパートの住人に会った。
単純にタイミングが合わないのか、他の住人に会わないよう見計らっているのかわからないが、住人たちとはなかなか会うことが少ないのでわたしの中では珍しい光景である。
外見が少々いかつい格好で、友人も連れているようだが似たような格好をしている。
外見にひるんでいる中挨拶をするかどうかもたもたしていると向こうから挨拶してくれた。
勿論返したがこちらからはできなかった。
この件は一瞬で解決したものの、自分から挨拶をしないことに対しての悔いが残った。
わたしは過去に挨拶に関するトラウマを抱えており、それ以降目上の人以外には自分から挨拶をしなくなった。(あまり蒸し返したくない記憶なので書かない)
今でも挨拶をした場合、無視されると人一倍精神的に傷がつく。
「わたしからの挨拶は迷惑だったのだろうか」
そう考えてしまう。
理由は数々挙がる。聞こえなかった、返す余裕がなかった、された後に気付いた(気付かなかった)など
実際に無視をされたら理由を尋ねてみたいものの、無論そんなことはできない。
だが、挨拶をしたら必ず返してもらえるという保証もない。
では一体、なぜ挨拶をするのだろうか。
これ以上挨拶に関する内容は深追いしないが、わたしは物事を利益、または損得で考える癖がついてしまっている。
そして「わたしはあなたに挨拶したので絶対に返してくださいね」という損得で決める考えと、過去の記憶が自分からの挨拶を足止めしている原因なのかもしれない。

うちの犬について語ってみる。


うちの犬が家に来てから1年が経過した。
元は母親が「犬が飼いたい」この一言から始まった。
この一言は飼う3ヶ月ほど前から言われていたが、わたしと弟は乗り気ではなかった。
なぜなら、犬があまり好きではなくnintendogsで充分だったからだ。
しかし、犬を飼う計画は父親と母親で着々と進んでいた。
ある日、両親共に出かけてくるということでそのときわたしは外出していた。
家に帰るとキャンキャンと甲高い鳴き声が聞こえた。
玄関へ向かうと片手で抱えることができるくらいの大きさの犬がいた。
その夜その犬は親と離れて寂しいのかずっと鳴いていた。
正直、苛立ちがあった。
けれども月日が経過するにつれ顔つきが大人になってゆき現在の体重は10kg前後くらいになった。
さすがにその頃のように片手では持ち上げることはできなくなった。
しかし、昔のような愛嬌は残っている。

石橋を叩きすぎると渡れなくなる。

「石橋を叩いて渡る」ということわざがある。
調べてみると
ひどく用心深く物ごとをすることのたとえ
と書いてある。(小学館 新選国語辞典 第八版より)
わたしは休みにどこか遠くに行きたいと思い、その交通費を稼ぐために働きたいと思った。
しかし、面接をするといっても何か予定が入ってしまうのではないかと不安に思い何度も諦めた。
仮に働いたとして働いたあとで何かあるのではないかと思い全く前に進もうとしなかった。
この段階で石橋を叩いている状態だ。
そして今月の上旬。ついにわたしはその石橋を渡ろうとした。
だが、カレンダーを見て石橋を渡るのを止めた。
このことを父親に相談してみたところ
「石橋を叩きすぎて渡れなくなっているんじゃない?」
と言われた。
つまり、ずっと叩いていたせいで石橋がヒビだらけになっていたのだ。
これに気づいた瞬間唖然とした。
考え続けた結果がこれかと。
だが、もうじき6月も終わり。若干キリがよくなってきたのでそろそろ行動を起こしてみようと思う。

3日前になってみて。

ラッシュに乗っかってしまうが、とうとううごメモシアター及びうごメモはてながあと3日で終了する。
そして3DS版に代わろうと世代交代が進もうとしている。
思えば5年前の年末頃にうごメモを始めた。
いつからかは忘れてしまったがはてなIDも登録した。
思えば、うごメモがあったからこそはてなの存在を知った。

1年目・・・ネットの世界自体が初めてでよくわからなかった。チャットに夜、どっぷりハマっていた。

2年目・・・この頃からイラストメモを投稿するようになり、うごメモでの友達、通称「うご友」がそこそこだができるようになった。

3年目・・・軽く迷走する時期に入った。メモの投稿頻度もガックリ落ちてしまった。

4年目・・・4年目最初の頃、ケンカをしてしまう。今思えば大人げなく、縁を切るのであればもっとバッサリと切っておくべきだった。申し訳ない気持ちが残っている。
冬頃。ネタも尽き、またもやメモを投稿しなくなる。

今年3月中旬・・・あの事件が起こる。この頃から毎日メモを投稿するようになり、今の状態になっている。

今思えば未練も残っている。
もっといろんなイラストメモを投稿したかった。いろんな方と関わっておくべだった・・・と。
思い出も走馬灯のように思い出す。
うごメモを辞めたあの人は今元気だろうか、長期期間オフラインのあの人はいったい何をしているのだろうか・・・
そういえばこの頃にこんなメモを見てこれが好きになったなぁ。
などと、たかがうごメモ、されどうごメモでいろんな思い出がある。
そんなうごメモだが、明々後日を機にもう辞めようと思う。
なぜなら絵を描く時間はまったく無いわけではないが、絵を描く時間は山のようにあるわけではなくじっくり描く時間もそう何日もあるわけではない。
それ以外にも理由はあるが、これ以上は綴らないことにした。
今後は、はてなのサービスに専念しようと思う。

ゴメン、友人。

たまたま後輩に遭遇した。
その際、慌てたような声で言われた。
「先輩!○○先輩がメールをしても電話をかけても全然返ってこなくて音信不通になってるって言ってましたよ!」
と。確かに先々月に他の友人たちと遊んだとき以降まったく連絡もとっていない。
その友人には今年もバースデーメールを貰った。
しかもそのは親しみ始めてほぼ1年ほど経過した頃のわたしの誕生日以降毎年祝ってもらっているなんとも感謝しきれないほどいい友人だ。
そのときは前回の更新で綴ったが、ETAのライブで並んでおり、時間の理由で返事ができなかった。
「また違う日に返せばいいか。」
となんとも失礼な考え方で早3週間ちょっと経過してしまった。
恩を仇で返してしまったのだ。
電話の件はなぜだか履歴には掲載されていなかったので身に覚えはないが、音信不通であることは事実だ。
もし、連休で書かずにまた延長してしまったらなおさら酷く後悔してしまうかもしれない。
しかし、便箋はあるものの、封筒を切らしてしまっているのでまずはレターセットの買い直しから始めようと思う。

ライオンの鬣(たてがみ)

今週は風が強いこと強いこと。
もしかしたらこれが春一番・・・?しかし春一番というものがいつ頃に吹くものかがいまいちわかっていないので断言はできない。
金曜だが振り返ってみる。
7日・・・ETA(EXIT TUNES ACADEMY)で初めてさいたまスーパーアリーナへ行った。このときは少々風の強さにより引き戻されかけ、新幹線が5時間ほど遅れ到着したのが朝の4時。
8日・・・この疲れでまったく頭が働かなかった。
9日・・・寒い風が当たるなか、イオンにでかけている途中、ボールを捜している野球部にボールの場所を教える。
10日・・・自転車のかごの中身と強めの向かい風で腕と足を痛める。
11日・・・寒さにより梅昆布茶を飲む。
このような5日間だった。
途中、風には関係ない内容に入ってしまったがこれは目を瞑って欲しい。
風が吹けば当たり前のことだが髪型が崩れた。
それからライオンの鬣のように髪が広がった。
メデューサみたいになってる!」という例えもあったが、メデューサになるほどの髪の長さはないのでライオンの鬣に例えるとしよう。
しかし今日になってようやく風は次第に弱くなり帰り道によく見ると桜の木に蕾があった。
更に進むと梅の花が満開というほどではないが咲いていた。
東北に住んでいるのでこのあたりの時期にようやく桜のシーズンが訪れる。
早く風が治まり、鬣にならないような強さにならないような日が来て欲しい。