吐き溜め
時期の変わり目、環境の変わり目による普段より危うかった精神のバランスが崩れている真っ只中。
連日明け方就寝3、4時間のち起床。
さっき洗面所で顔洗ってたら、口の中を砂が転がるような感触があったので唇を開けば何か小さな欠片。
それが細かな「歯」の一部だと理解したとき最近読んだ漫画のワンシーンを思い出した。
吐くことが習慣になっていると胃酸で骨すら溶けると。
そんな溶けて削れるほど吐いてなかったと思うが歯が脆くなっているだろうことを悟って絶句。
どこか自分のコントロール、まあそんなもの前から出来てなかったがそれが更にチグハグになってから2年程。ゆるゆると自分の身体が内側からもボロボロになっていっているのが分かる。
他人の日常なんて知らないし 所詮 僕のイメージでしかない標準だけど、人並みの生活すら送れているか危うい現状で、すぐ漏水する自身の心を板で塞ぐだけで手一杯な者がどうやってその先何年と過ごしていけるだろうか。
自身の力での維持すら3年目にして破綻しそうなのに、補強もバージョンアップも到底無理ならば待っているのは終わりのみと分かりきっていることだろう。
続ける必要性も価値も見いだせないなら僕は立ち止まってしまう。
活力もなく進む力なぞとうに尽きた。
人の話を聞いている余裕はない。
のに聞くのは友人だからか。聞かなければ でなくなるからか。
所詮、悩み事を言う方も聞く方も自己優先の結果だろうな。
純粋に力になりたくて相手の話を真摯に聞いていたのはいつまでだったか。
いつからか冷めた目で「悩むならやめりゃいいのに」「と、そう言われると分かってて僕に言うのはもうただ愚痴りたいだけだろう」「壁打ちは他所でやれ」
自分なら人に話さずこうしてブログやTwitterにぽつぽつと独り言として話すのみのところをわざわざ特定の人間に話す精神が分からない。その相手に否定の方へ助長する僕を選んだことも不思議。
ああ あれか。言葉を選んで同調してくれるからか?
はは、日頃の努力で勝ち取った信頼だねぇ
それはつまりは僕からしたら最後一枚壁を払ってない状態なんだけども。
ひねくれて自虐も加虐も息をするのと変わらずやるような人間になって、その原因を一生引き摺っていくんだろうなと幾度も繰り返しその結論に達してきたけど、果たして僕はいつまでこの薄皮一枚で首の繋がっている状態を続けるんだろうか。
終わりにしたいと、その部分に触れすぎて本当にそうしたいのかもよく分からなくなっている。
早く早く勝手に終われ。
事故でも病気でも何でもいい。
何でもいいから終わりにしてくれ
定型的な毒親持ちの結果
1ヶ月と少しぶりに思い立って書くことにしました。ゆづるです。
書くのはいいけどそもそも午前五時という時間に僕は何をしているんでしょう。もう暫くすれば夜も明けるというのにポチポチと文を打ってます。
生活リズムが完全に狂ってるんです。もうどうしようもありません。
今回は今までと変わって少し真面目に重たく、更には暗い話をしようかと思います。
僕の幼少期の両親についてです。
僕のTwitter(名前検索すれば一発で出ます)を見てる人(がこのブログを読んでいるかは定かではないですが)はご存知かもしれませんが、入間ゆづるという人間はだいぶ歪んでいます。
ひねくれている上にすぐ鬱になる、字面だけみると関わらない方が良いと判断できるような思考をします。
対人において必要な場になれば猫被りくらい出来ますが、それを自然にこなせる訳では無いので社会へ出て人と接するのをストレスと感じる日々です。
自分自身それを良しとは思いませんが、それでもバイトへ行く前、学校へ行かなければならない日の朝なんかは腹痛や、酷いときではそのまま吐いてしまって動けなくなってしまいます。
大袈裟でもなくそれが僕の日常です。
見ず知らずの人の怒鳴り声を聞くだけで足がすくんで息がしずらくなり、それが自分に向けられているものとなれば手の震えが止まらなくなったりする。
軽くパニックに陥ることもあり、その沸点は低く危うい。
元からこうであった訳ではありません。
実際に腹を割って話せる関係の人達の前では調子よく煩いくらいに喋ります。
ただどうしても一人でいるのが楽であるし、ストレスが少ないと感じます。
自分がどこか人よりも対人関係を築くにあたって「歪」であると感じるようになったのは、小学校低学年くらいからであったと思います。
小学校へ入ったかどうかの当時、両親が離婚し僕は母に引き取られ母子家庭で生活していました。
いま思えば、よく言う女手一つの苦労からの八つ当たりだったのだろうと考えられますが、母は、僕の成すことに納得がいかないと怒鳴りつけながら殴る等 暴力を振るって「躾」をする事が多々ありました。
その頃は「この人に捨てられたら生きていけない」と、理不尽な叱責でもへらへら笑って母に媚びていました。
何も心の拠り所とするものがない毎日の中で心が麻痺していたのでしょうね。
また、父の方には会う機会があるにも関わらず打ち明け 頼ることも出来ませんでした。
何故 言えなかったのか今でも理由を上手く言えませんが、恐らく、母が従兄弟だと僕に紹介した男と繋がっていたり僕に対する暴力について あくまで母を愛していたであろう父にどうしても伝えたくなかったのだと思います。
それこそが苦痛の理由なのに、それを言わずに辛いと言えるだけの脳がなかったのもあるかと思いますが。
実際に母がその「従兄弟」を愛していたかは僕の知り得ないことですが、その頃の僕にとって 母とその男が一緒になっている姿は異物としか映らなかったです。
朧気な記憶にある父と母の仲良く笑いあっている図が、その男と母ではないただの知らない女として塗り潰されて上書きされるような感覚でした。
それから程なく、僕は勉学の為と称して母方の祖父の国へ半年ほど留学として追いやられました。
親族と言えど言語の違いから言葉の通じない人らに囲まれる生活は、新鮮さと心細さと、言葉の分からない僕には話しても無駄だと次第に構われなくなり取り残される現実でした。
祖父や叔父一家は優しくこそしてくれましたが、どこかぎこちなく接せられる中で自分の居場所はないように感じていました。
あくまで僕の扱いは「母の子供」としてであって、僕自身を気にかける人はいなかったように思います。
半年程してやっと日本へ呼び戻して貰えたと思ったら、母は嬉しそうな顔で僕に合わせたい人がいるからと、また従兄弟の男でもない見知らぬ男を紹介してきました。
その人が今の義父であり弟の父親ですが、最初の優しそうな印象と違い いざ生活を共にしてみれば大したことない裏表の差が激しい人でした。
あまりに外面が人当たりのいい爽やかな人と言った感じで、僕も対人に関しては 接し方話し方を参考にしましたがそれでも弟が産まれてからの僕との扱いの差に、とうとうこの歳まで好きにはなれていません。
風呂へ入る為に洗面所で着替えているだけでも、リビングから義父が「お姉ちゃんみたいになっちゃ駄目だよ」と弟に囁く声とそれに「うん」とさも当たり前かのように応える弟の返事が聞こえてくるような家。
成績表が返される度に前回より何点落ちたと怒鳴る母。実際は仕事場でのストレスなんかも含めて僕を殴っているんだろうなと分かっていても、少しでも痛い思いをしないようにと母の意にそうように言葉を選ぶ僕。
上京して一人暮らしを初めてからようやっとあの頃の自分はこういう精神状態だったんだなと振り返る余裕ができましたが、それでも実家にいた頃についてしまった癖はどうにもなりませんでした。
母が少し駆け足で階段を上がり僕の部屋へ向かってくる時は大抵ドアを開けざまに叩いてきましたし、だからというか、そのときの癖で隣人の玄関の開閉音にビクつくような生活を送っています。
俗にいう毒親持ちなんでしょうね。
幼少期から事ある毎に「産まなきゃ良かった」「私の子じゃないみたい」と言われ続け、容姿をなじられ、こんな環境で真っ直ぐ強かに生きられるような人間にはなれっこないです。
義父のように背の高い男性がふいに側にくると体が勝手に強ばったり人の視線に晒されるのが怖かったり。
生活に支障ありまくりで難儀な人格が形成されてしまいました。
人の顔色を伺って行動するのが根についてしまった分、会話の中でも言葉1つ1つに気を使ったり 人と話すだけで疲労感が半端ないような生き方をしています。
本当に親には殺意しかありません。あんたらのせいで僕は今日もこんなに生きにくいです。
何て事してくれたんだテメェ。
と、言えるような仲でもないですけどね。
一時は本気で殺してやろうと夜な夜な策を練ったこともありましたが、わざわざ自分で手にかけるよりは自分が死んだ方が楽だと考え直して自殺方法を片っ端から調べてました。
実際は、痛いのは嫌だし、やっぱりあいつらにも痛い目合わせてからでないと…ということで中学の頃からは殴られる度に本気で殴り返してました。
喧嘩するほどなんとやらとかいうものではなかったです。少なくとも僕の方が殺す気でやり返してたわけですから。
高校受験の頃にもなると僕に向けられる言葉は「勉強しろ」「恥をかかせるな」「出来損ない」くらいのもので、変わるものと言えば+αの「子は親に孝行するものであり(うんたらかんたら)」だのといった有難い説教。
誰のお陰で生きていられると思ってるのという台詞には流石に、勝手に産んどいて何言ってんだという気持ちを禁じ得ませんでしたが、まあ総じて母親というあの人は変わらず話の通じない人間のままです。
あの人の存在自体が僕にとってのトラウマであり、ようやっと最近は僕の話を聞けるようになったのかなと思う節々はありますが、まあ関わらずが吉なので早々に完全な独り立ちをするか それが出来ぬならさっさと消えようと思っています。
こういうことを言うとぎゃあぎゃあ煩く言う人達もいるかと思いますが、僕からすると、生まれるも自分の意思でないのに死ぬのも罪深いとされるなんておかしな話ですよね。
といった感じです。
なんだかんだ死体の処理が面倒ってだけの問題じゃないのかなぁと思うのは流石に不謹慎なのでしょうか。
僕には分かりませんが。
中途半端なところですが、今回はここらでお終いにしておこうとおもいます。
長々と書いてる上に昨日から寝ずの現在午前7時です。
馬鹿ですよねぇ。なんで起きてんですかね。
まあこういうことをグルグルと考えていたからなんですけどね。
とりあえず そういうことで。
次回はまたいつものようなどうでも良いようなことをのんべんだらりとぺらぺら書きたいなと思います。
連続で重たい話は胃もたれしちゃうものね。
ではでは。
新年もとい平成の最後
お久しぶり過ぎますね。
どうも入間です。
あまりに書かなさすぎてもはやブログとは存在していなかったように生活してました。
Twitterは狂ったように毎日してるのにね。
まとまった文章はなかなかに面倒なものだもんで…。それでも一年と半年という期間は放置しすぎですよね。
アカウントごと削除しろというレベル。
忘れてたからこそ削除すらせず放置だったんですがね。
まあその事は置いといて。
皆さんお元気ですか。
(話への入りとして下手くそなのは今に始まったことではないのでスルーして下さい。)
私は普通です。
いや、ガトーショコラの食べすぎで若干 気持ち悪いです。
何事も程々が一番です。
……年始ですね。(文脈なんぞはドブに捨てた)
僕は接客業(いうて映画館スタッフ)のバイトをしているので三が日はフル出勤でした。
今年は現天皇陛下が退位され平成が終わるということで、なんとなくぽややんと正月が特別なように思っていましたが(平成最後の的な意味で)、まあ働いてたんでいつもの土日のような感覚しか持てませんでした。
何度カレンダーを確認したことか。
休めない正月なんて正月じゃない!だのと幼稚な発言しか出来なくなるくらいには精神がすり減りました。
だってお客さん来ないんだもの。暇で暇でやる事もなし、掃除も片付けもやり終え持ち場で突っ立ってるだけの時間が僕の仕事始めでした。
休みとはいえ正月だもの。そりゃ人 来ないわ。僕だって客の立場なら家に引っ込んでますし。
なんでシフトOKにしたんやろ。でも働かんと生活費なくなるし。
と悶々と考え、休憩のたびに帰りてーと呟き。
何しにバイトへ行ったのか分かりませんでしたね。
いやはや最早ただの愚痴ですわ。
でも去年の感覚ではもっと混んでてずっと動いてて、忙しいけど楽しかった記憶があるんです。
まあそれは恐らく去年は早い時間帯での勤務だったからだと思われますが。
今は、御局様みたいな人と一緒になりたくなくて夕方からの時間しかシフト希望だしてないんですよね。
正月の夜とか誰が映画を観に行くのか。
それこそ映画は映画でも、家でまったりレンタルで観るのが常でしょう。
だから暇だったんだろうな〜。動かなすぎて足裏が痛くて痛くて…。
まあもう終わったことなんでどうでもいいんですが。
新年4日目にして完全オフだった今日(日付にして昨日)はそりゃ寝正月でした。
僕の正月はここからです。
といっても月曜からは始業です。
いつだって現実は酷なり
てか始業まもなく試験が大口開けて待ってるぜ。はーコワ。人生しんどみ。
皆さんの新年はどんなだったんでしょう。
僕と同じように無意味だったらいいなぁ(最低)
満喫でしたとか聞いたら羨ましくて溶けそう。
ともかく今は残り少ない休みを自分にとって有意義にするために頑張ろうと思います。出来るとは言ってない。
ではではまた今度(*^^*)
満員電車に思うこと
暑さと揺れと他人との過度な密着。
満員電車というものはじわじわとストレスを与えるには最適だと思います。
一週間ぶりです。
こちら入間。
暑い。
ひたすらに蒸し暑い。
今週に入ってから、晴れている日の暑さが夏のそれに近づいてきましたね。
日々、陽の光に当たると、少しずつだけど確実に水分を奪われていると実感しています。
台風の影響で雨が槍の如く降る日も多く、傘は手放せないし洗濯物は干せない。
気温の変化が激しくて体調を崩し、熱が引いたと思ったら頭痛に悩まされ。
疲れることが重なって恨み言と愚痴しか吐けません。
天気に振り回されることにも困りましたが、ここ数週間は人間関係でも目まぐるしく変化があり、体調不良の原因はそこにもあったかなと思います。
ここ数日は、帰宅すると もう身も心もデロデロに溶けて一切においてやる気を失っている状態。
自炊もせず食事を一日一食、それすら時々摂取せず。
「これじゃ駄目だ〜」と思うも動かず変わらず、帰宅したらまずソファで寝落ちてます。
挙げ句、毎朝 通勤ラッシュに揉まれて死にそう
人との距離が近いっつうかゼロ距離してる
暑さで薄着になる分、リアルに他人の肉の感触が感じられ えずいてる
毎日ホームに立つ度に思います。
…東京、恐ろしいところだ
だけど僕は声を大にして言いたい。
せめて混雑時にスマホはやめてくれと。
そしたら少しはスペースが出来るのではないかと。
スペースが出来れば密着することも減るのでは。
密着しなければ、足を踏まれることも、揺れによってドミノ状態が繰り広げられることも、それにより人々の額に怒りマークが見えることも減るのじゃないかと。
(汗や強い香水の匂いが嗅覚に6万のダメージを与えることもないのではないか)
次、押されまくって座席に座っているおじ様に壁ドンするような状態になったら泣きますよ。
あれ、結構 体勢もキツイんですからね。
腹筋死んだし。
壁ドンしてしまうだけでも辛いのに10分以上、おじ様の股の間に足を置いている状態が何クソ辛い。
あの時で既に半泣きだったな…。
例え相手がイケメンだとしても泣いていた。
なんで知らない人とドキドキシチュエーションを展開しなきゃならんの。
本当に心の底から電車マナーが改善されればと願っています。
身長が低いから、背の高い男性方に囲まれると恐怖値が振り切れて気絶寸前なのでそこも含め、切実に願ってます。
今回はほぼ愚痴でしたが、次回は僕の大切な友人について書きたいと思います。
それではまたお会いしましょう!
単位yabaiyo
相変わらずぼっちの入間です。
こんにちは。お久しぶり。
最近では、授業での「はい、では周りの人と意見交換してみて下さい」という教授の右ストレートにもめげず頑張っています。
精神的には限界が近いですが。
実のところ、ほぼ4月いっぱい、新しい環境に慣れずに体調を崩したり、対人やら人目やらへの恐怖値がMAXになったりで学校行ってなかったので、成績うんぬんの前に出席回数のほうで単位落としそうです。
学校という場がどうにも恐ろしくてなりません。
高校までは 学校にいても吐き気を催す程度で済んでいたのに、行こうとする気持ちすらボッキボキに折れてしまって部屋から出られない日々が続きました。
今思うと誰とも会話せず一人でいた時間が長すぎたのも原因だと思います。
五月上旬あたりから、共に上京している中学 高校時代からの付き合いのある友達らの家へ泊まりに行くのを増やしたりしていき、リラックスして笑えるようになってからは、多少 学校や外への恐怖心も薄れて 吐き気頭痛腹痛を起こす頻度も減ってきました。
人間、独りで生きていける人とそうでない人がいると言いますが、どちらかと言うと僕は「信頼を置ける人との適度な接触がないと心身共に死ぬ」タイプであるようです。
ここで大事なのは、会うのは誰でもいいわけではないということ。
面倒な奴だと自分でも思いますが、これを「意味わからんwww」と笑う人は多いように感じます。
入間は先日、食堂にて一人で昼食を取っていたところ、後ろの方からの「見てwあの人 独りでご飯食べてるww虚しくないのかなwww」という声を聞いてから、怖くて恥ずかしくて、悲しくて、食堂に足を踏み入れることすら出来ていません。
僕のことを言っていたのではないかもしれない。
悪気はなかったのかもしれない。
僕の事でなくても、一人で食事をしているだけで何故そこまで馬鹿にされるのか。笑われるのか。
こっちの言い分を理解しろ!と強要する訳では無いです。
理解されなくてもしょうがないと思ってます。
だけども「そういう人もいる」と知っていて欲しいです。
貴方の世界観と僕の世界観は同一にはなり得ないし、自分の尺度で人を朝笑うのはなんだか醜いです。
要は「人それぞれなんだから、人に迷惑をかけているわけではない人間に対して、嘲笑する必要があるのか」「例え悪意のある事を思ったとしても(人間なのだから好き嫌いあるだろうし)、それを言葉に出してしまうのは間違っているのではないか」と言いたいんですが……。
こう言ったところで、「それこそお前の世界観を押し付けてるんじゃないか?」と言われてしまいそうで、実際に口に出して言えません。
こうしてSNSに匿名性を持って発言することしか出来ないけれど、少しでも見ず知らずの人を馬鹿にする人が減ればいいなと。
そう思って今回 書きました。
人が怖くて外に出られず、やっと落ち着いて学校へ通えるようになったら、本当にノックダウンしそうな言葉に打ちのめされましたが、なんとかギリギリのところで通っています。
あと一度でも欠席したら留年がぐっと近づくなんていう洒落にならない状況ですが、首絞めないと動かない屑なのでこれからは馬車馬のように 学び、働きたいと思います。
進学せずに就職すれば良かったと思っていた時もありますが、こんな状態で会社勤めなんて出来ないので、あと3年ちょいで、社会と戦える精神力を培いたいなーなんて思ったり。
実家にいた頃より生きやすいので、この生活を手放す気はありませんけど。
だからこそしっかり働かないとならんのだけどね。
それではまた今度。
ぼっちを発揮する話
お久しぶりです。入間です。
只今 進学先での友達0人、気ままなぼっち学生ライフを送っております。
6月に入り、小学校でも中学校でも、高校も大学も、上辺だけだろうが心からだろうが、少なからず「話せる」程度の仲のいい子は出来ているであろう時期ですね。
出来ていない人はいかにぼっちを充実させるか、はたまた友達作りをまだ頑張るか……。僕は気持ち的には後者で現実としては前者まっしぐらです。
一人映画が楽しくて仕方ない日々を過ごしております。
僕は幼い頃、どちらかというと内気で引っ込み思案だったので、小1の時もぼっちだったわけですが、それが今、何年かぶりにあの頃の気持ちを味わっています。
あの頃と違うのは人と普通(?)に話せるようになったという点において少し成長している所でしょうか。
それでも同年代であるはずなのに周りの子らが話題にする話に全くついていけず、休憩時間やお昼なんかは誰とも話さず(話せず)ツイ廃してるか、free Wi-Fiにあやかって動画ばかり観ています。
そうですね、そこそこ日常は充実していると思います。
(強がりではないです)
本を買うにも、とやかく言われず自分で財布と相談し好きに手にすることができる。
食事の時間も課題もお風呂も就寝も自由。
自由である分 生まれる責任は大きいですが、実家で暮らしていた頃より伸び伸びと生きている実感を持てています。
それでも少しくらい人との会話がないと気持ちが安定しません。
些細なことでも面白いことがあったら親しい人に言って「馬鹿だねぇ」と笑い合いたいですし、愚痴を聞いて貰って「そっかぁ頑張ってるね」と慰めてもらいたい。
我ながら、人との会話がないだけでここまで弱るとは思いませんでした。
今一番友達に言いたいことは通勤ラッシュや帰宅ラッシュにおける電車内でかかるストレスの膨大さについてです。
この間は香水のキツイ人にヒールで足を貫かれました。
外に出る必要がなければ常に引きこもる質の僕にとって、人と関わる機会があるのは学校とバイトのみであり、やはり友達くらいはいないと気が滅入ってしまいます。
だけど友達を作りたい気持ちがあるからといって 出来るかはまた別ですし、基本 親しくない人との対面は苦手なので上手くいかず。
人と話すの怖いけど友達欲しい なんて我が儘もいいところですが、そろそろ心が折れそうなのでどうにかしてぼっち回避したいです。
Wi-Fiのない我が家では通話といえど気軽に出来ないので 地元の友とも話せずにいますが、「もしかしてネットWi-Fiさえ完備すれば新しく人と仲良くする必要なんてないのでは」なんて野暮なことは宛にせず頑張ります。
ジャンルの違う人と話すのも大事だよね。
\( *´•ω•`*)/(ツライ)
それではまたの機会に。
生きることの辛辣さについて
どうも、金欠であっぷあっぷしてます入間です。
初めに、今回 天下のGWにてTVをゲットしたはいいが家賃生活費を支払ったら所持金千円になった事を報告しておきます。
現在進行形で来月の給料日まで約一ヶ月これで生き残らなければなりません。
恐らく死にます。
冗談キツイぜ……。
僕はこの春、晴れて大学へ進学することが出来たわけですが、上京するにあたり母上に言い渡された条件は「学費以外は自力で」という厳しいものでした。
当初はなんとかなると軽く考えていたのですが、これがなかなかどうしてキツイ……。
家賃約6万、電気ガス水道代約2万、食費約2万で最低10万は月に稼がなければならず、もしもの時の為と趣味の為にプラス2万くらいは欲しいな……と改めて考えてみればだいぶギリギリ、バイトのシフトきつきつでなければ成り立たない方式が出来上がりました。
死んじゃう。
今のところバイトは飲食系を一つやっているだけなのですが、それではやはり無理があるので、もう少し今のバイトに慣れてからバイトの掛け持ちをしたいなと検討中です。
候補としては本屋かな。
対人が苦手な僕としては接客なんて地獄もいいところですが(この間も緊張しすぎて倒れました)、時給も良く、そこそこ暇も多いという現在のバイト以上のところを行動範囲内でみつけることが出来なそうなので妥協して頑張ってます。
事実、以前の居酒屋のバイトに比べれば胃の痛みも少なく、バイトの人達も大変よくしてくださってます。
まあ、前のところがブラックだったというのもあるのですが……。
それでも辛いものは辛い。
初対面の人へ敬語で適度に笑みを浮かべるというたったこれだけの事が難しくて上手く出来ない。
正しい日本語も咄嗟にでてこず、「お会計〜円になります」と口走り。
お金はなりません。
分かっているのに聞き慣れているのか言葉が先に口にでる。意識しないと「お会計〜です」と言えず、忙しいと尚更お金がなってしまう。
肉体的な苦痛は感じてはいますがそれよりも内面的なストレスが大きく、毎日精神をすり減らして生きています。
お客様の顔を見ると、その視線が理由もなく怖く感じ、その場から逃げだしたくなる。
繰り返し練習していたのに本番となると言葉がでてこない。焦ってレジ操作を間違う。
腹痛と時々頭痛を抱えながらも人並みにはなれるよう日々試行錯誤しながらもなんとかやっている状態。
正直 僕のこんな働きでお金が貰えるなんて申し訳なさすぎる。
……考えだすと首絞めたくなるのであまり思いつめないようにはしてますが、やはり周りのバイトさんと同じ料金を貰うことに引け目を感じてます。
まだ初給料入ってないんですけども。
でも不平等だろうが、仕事量が割に合わなかろうが、お金を貰わなければ生きていけませんのでそういう部分は見ないようにしてます。
いつか直視できるだけの勇気と見合う力をつけたい。
切実に。
とりあえず夏までには、Wi-Fiを接続できるレベルまでの富を持ちたいです。
それではまたの機会に。