恋愛の終着地点

生きている中で、重要な割合を占めているのは、恋愛なのでしょうか。
わたしは何をいつも考えて生きているのか、恋愛のことなのかもしれない。
恋愛をするたび、きれいになるっていうけれども、いつまできれいにしていないといけないのか。ーーーこれは一生です。だって女の子だもん。


いつも男の子を好きになって、死ぬほど苦しくなって、それを聞く友達もうんざりして自分もうんざりして疲れて、でも、またそれを繰り返す。一生なのかしら。


スペイン語の辞書を見ると気が遠くなるように、そのことを考えると気が遠くなる。

3回目の週末

学校も嫌いだが、週末で時間をもてあますのも、耐えられないものがある。
誰もが、休日の前の夜っていうのはそわそわするものだろう。私だって以前はそうだったし。友達と六本木のサルサクラブに行って5分で帰ってきた変な経験がある。その後に、二人でカラオケで熱唱したりして。退屈ながら、楽しかった。
今も、穏やかに、日本語で日記をかいているが、言葉で自分の気落ちを伝えるということはコミニュケーションをするためには本当に大事なことだ。
未だに私は、スペイン語が出来ない。出来なくはない。以下のような片言は話せる。
「これはおもしろいから、すき」
「この辺に近くに住んでるの」
「これはあれよりもやすい、だからいい」
「大丈夫、心配しないで」
「おいしい!」
でもこの先がさらに仲良くなるには重要になる。
「実際そうされているけど、でも意図はちがうよね」
「うわっつらのものなんて、好きじゃないわ」
「あの眉毛が彼の腹黒さを語っているわ」
こういったもうちょっと入り込んだ会話が友達作りに必要だ。
{ここでノルウェーの森がBGMで流れる}


*二人だけのデート
クラスのドイツ人とデートをした。隣の街のミュージアムに行った。
意図的ではない。偶然だ。単にほかのメンバーが来なくて、2人しか集まらなかった話だ。
名前はベルナルド。24歳。吉本ばななと、メルトバナナと、葛飾北斎を知っている。毎日サーフィンをするギター少年で、グラフィックデザインを学ぶためにスペイン語が必要らしい。なかなかかわいい男子だ。
でも、話す事がない。いや、たくさんある。なんだろう、なにかある。
でも、スペイン語で話す事がない。話せることは、すでに前に話してしまっている。
わたしは、こんなに男子といて苦痛に思った事はない。こんなにかわいい子を目の前にして、コミニュケーション出来ないなんて。ガラスの向こう側のかわいい動物に話し掛ける気持ちだ。私は見物している人間側。まるで動物の言葉がわからない。
結果、悲しい気持ちで夜を一人で過ごした。
フェルナンド トーレスのハッピーバースデイ試合で活躍を果たしている場面が、テレビで何回も繰り返し放送している。わたしは、それを何回も見た。

今、唯一の拠り所が日本語になっている。
一日でも早く日本語を忘れたい。

sabado

長い1週間だった。こんなに長く感じたのはあっただろうか。
今日は、la noche de vielunes つまりFridaynight 日本でいう花金。
あぁどこかに行きたい。お店はいっぱいあるがひとつも知らないし、適当にお店に入ってつまらない思いをするような無駄遣いはしたくない。が、しかし、アテがなさすぎる。
授業が終わり、パンを買って帰ろうとすると、街角に私のフットボールチームLa Realのポスターを見つけてしまった。チャンピオンリーグのリヨン戦だ。リヨンツアーと題されている。行きたい、私も、かなり。
企画している旅行会社に電話で問い合わせてみるが…やっぱり何を言っているか一つも分からない。エンティエンド、アディオス(分かった、さようなら)と言いつつ、何も理解できずに切った。うーーーん、かなり行きたい。しかもリヨンだ。同行するのは、かなり濃いサポーター達だし、楽しくなるに違いない。私はめげずに街中に出た。旅行代理店が必ずあるはずだ。そこで訪ねてみれば何か分かるかもしれないと思い、旅行代理店を探した。
そういった店は何件かあって全てあたってはみるもの、こっちは汗をかきながら精一杯の片言で伝えるが、相手はにこやかにすんなり、もう売り切れたと言う。かなりの精神力を消費する。もちろん体力も。
もういい、あきらめた。ここまでやったんだ。テレビで観戦しようではないか。と決めて、再びぶらぶら海岸方面に歩き出した。
特に行くアテもなく、特に買うものなんてないのに、行き慣れたスーペルメルカドに買い物に行き、その後バルでも探索していたら、先日同居人のマリアから紹介されたノリコがいる、料理学校を見つけた。運良くもうすぐ8時。授業が終わると、試食会が開かれる時間にぴったりだった。その学校は海のすぐ隣に面していて、この地方ではかなり有名な学校とのこと。彼女は、同じ30歳で(学年はひとつ上だけど)1年前からここに来ているらしい。スペインと料理が好きで、会社を退職し、思い切って留学を決めたと話していた。とてもまっすぐで余分なものがない、さっぱりとした印象の女性である。
一番に出てきた彼女は、すぐ私に気づいてくれた。残念なことに、今日は試食会はないんだって。別に残念ではない。友達でないけど、日本語が話せる相手に会えたのだから。
彼女にいろいろなバルを案内してもらい、いろんなピンチョスを紹介してもらった。うまい!!これはうますぎる!!そして最後には、念願のディスコテカに行った。
ここでは興味深いピンチョスのお話ではなくて、ディスコテカについてすこしお話しましょう。
東京にも、いろんなクラブ、ディスコというスポットがある。ここにも、同じようなものがある。そのネーミングが「ディスコテカ」だ。観光客をもてなすこの土地ではどうしても必要なものだが、なかなかイケているものがないらしい。ハウス、テクノといったものもなくはないようだが、お茶の間で人気の音楽が流れたりするところも少なくないとのこと。連れて行かれたのが、ピソの近所のロックが流れるところだ。クラッシュのポスターが貼ってあり、薄汚れ、マリファナの匂いがかすかに漂う。高円寺のUFOクラブに似た(もっともっと汚いが)感じのところだった。客はこの土地のせいか、Oiパンクのお兄ちゃんが少し目立つ。もちろんクラッシュも流れるが、地方のクラブで流れているようなものがとりあえずって感じでロックがながれている。ナンパはなし。バスク人は自分から話かけないようだ。アジア人が怖いのか、恥ずかしがりやさんなのかは知らない。でも、目が合うとにっこりする。それはどんなオッサンでもかわいらしい。帰り支度をすると、もう帰っちゃうのと少しだけ話しかける。それもまたかわいらしい。
いくつもの電灯を映している川にかかる大きな橋を渡り、さわやかに吹き抜ける春風が心地よい。ノリコのおかげで、やっとサンセバスティアンを少しだけ知った初めての夜だった。

ここに来てから、顔の湿疹がひどくなってきた。
もともとアトピー持ちで、環境に変化があると、湿疹が出てくる。ちゃんと朝飯、ランチを作り、しっかり摂るようになった。でも、まだ肉体的にも、精神的にも環境に慣れていないんだろうか。確かに言葉が通じない、コミニュケーションが出来ないという歯痒さ、友達が出来ないという苛立ち。それに、自分の近い将来についての問題を抱えているが、それがこんなにあっさりと顔に出てしまっているんだろうか。思っていることを伝えられない、表現出来ない苦しみはかなり悲しい現実問題である。
でもここに来る前、東京で新しい化粧品に変えた。ローズヒップという名前のもだが、お肌にとてもいいとのこと。とてもいい匂いがする。それが原因なんだろうか。
これをどれに変えていいのか。情報がなさすぎるし、東京から送ってもらうにしても、かなりコストがかかるし、支払い方法はどうなるのか……
こんな顔ではさらに消極的になってしまうではないか。自信を持ちなさいといわれても、簡単に持てるものではない。認められた時点で、自分自身が納得し、初めて自信を持つことが出来る。私と仲良くなりたいという人が出来て、自信が少しづつ湧き、ボーイフレンドが少しずつ出来るかもしれない。そして念願のノビオ(恋人)ができるのだと思う。
結局は勉強しなければいけないってこった。

miercoles  おひなさま

学校に行き始めて3日経った。まだまだこれから半年この学校に通うことになっているが、もうくじけそうになっている。
学校には外人しかいない。たくさんの生徒がいるが、日本人は私含め4人見つけた。
私のクラスには、カナダのトラビス。スイスのアドレアン。ドイツはベルリンのベルナルド。日本のケイコ。アメリカはシアトルのジョイアン。今日入学してきたアメリカの女の子2人。そして私の8人。
私は、いろんな人とコミュニケーションをすることが好きだし、それが今回の留学の目的でもある。みんな私のように片言のスペイン語を使うが、話が弾んでくると、イングリッシュに変わってくる。仲良くなるためには片言ではめんどくさくなるのだ。でも私は日本人だし、まるで英語が使えない。もちろん日本語だったら得意だが、日本語は日本人しか通じない。ここで日本語を使いたくないし、私はエスパニョールを使ってコミニュケーションしたい。だからだんだん居場所がなくなり、居心地が悪くなってくる。しかも、日本人はどうしても不利だ。だって、エスパニョールとイングリッシュは少しは似ているかもしれないが、日本語は全く違う。その場で分からない単語があってもある程度知っていないと理解できない。だから勉強が必要になる。勉強をしないと自分のやりたいことができないのだ。
学校に行くたびに気分が重くなる。だって勉強は楽しくないからキライだ。しかも友達がいないのはもっと辛い。
まだ3回しか学校に行っていない。まだまだこれからなんだと自分に言い聞かせてこれを書いている。おひなさまは何か願い事をかなえてくれるんだっけ。

martes

トラブルは次から次へとやってくる。
初めのトラブルは、スペインにたつ前日のこと。
親友の家で過ごしていた私にママからの電話。
私がママに渡してお願いした、みずほ銀行に振り込むお金(パパからのプレゼント)30万円がそっくりそのまま通帳とともに消えてしまったとのこと。親切な人がママの代わりに振り込んでくれる訳がない。そのまま自分の懐行きだろう。つまり盗難にあったということだ。この件に関しては、自分の甘い戸締まりが悪かったとママが認めた。
そしてわたしも、昨日大変なことをしてしまった。自分のピソがどこなのか分からなくなってしまった。
この辺りのアパルタメントはとにかく似ている。多少の違いはあったとしても、まったく違う文化を持つ外人にとっては同じに見えてしまう。中国人韓国人と日本人を見分けられない外人と同じ。
学校帰り、リンゴだとかオレンジジュース、ハムが入った重い荷物を両手にぶら下げて帰宅をする。アメテサガーニャという通りの『15』の5階のDの部屋の鍵をまわしても開かない。変だと思いピンポンを鳴らす。同居人のマリアが出てくるかと思えば、私よりも背の低い南米人のようなおっさんが顔を出した。
びっくりして訳も分からず、とにかく「ペルドン」と謝る。何回も謝った。おじさんも大丈夫、大丈夫と私を静めてくれようとしていたようだ。とにかくここを去ろう。さらに謝り外に出た。そのアパルトメントに重い荷物を置き去りにして、自分の変える所を思い出そうとするが思い出せない。公衆電話を探し、とにかく学校で住所を確認しようとするが、この辺りの公衆電話は使えない。私の使い方が悪いのか、たいていお金を飲みこんで終わりか、通じない。一つだけ使えるスーパーに戻り、電話で学校に電話をして住所を確認した。『25』の5階のDだった。
でも、自分の買い物をした『15』の前に置き去りとなっている荷物は親切な人により、ドアの中。つまり、よその人間は鍵がないと入れない。ここに住む人の帰りを待ち、なぜ自分の荷物があるのか説明し、荷物は自分の元に返ってきた。ここでようやく汗を拭うことが出来る。これで通常の生活に戻った。2時間ぐらい費やした。どっと疲れて寝た。
そして今日、3時半は回っているがまだまだ日が高いので、念願の『コンチャ海岸』に散歩に行ってみた。
きれいだ。ため息と涙が同時に出る。
白い砂浜に青い大西洋が静かに波打つ。波の音は目を閉じないと聞こえてこない。両側にある古い建物が景色を引き締めている。こじんまりしているところがこの街に似ている。ここは朝になる時間は遅く、夜が訪れるまでしばらく時間があるため、時が止まっているようにも感じる。まるでここに住む人のように穏やかで、しかも果てしなく静かに明るい。
この街が本当に好きになってしまいそうだ。

domingo

ここはサン セバスティアン
さっきまで雪、雨が降っていたようで、傘を持って歩く人が多い。今は雨あがりの青空がわたしを向かえてくれたようだ。
今こうしてPCを前にし、自分のお城でようやくくつろいでいる。ここに至まで、数々の難問を乗り越えてきた。
まずその1。
西荻の自宅にあるものを処分し、アパートを引き払い残りの荷物を豊橋にある実家に運ぶという作業。誰が運ぶのかというと、それば自分。高速を一人で走るしか方法はない。私がここ何年も車を運転していないことは関係なしに、隣の車線では大型のトラックが150キロでぐんぐん飛ばしている。富士山を横目で追いつつも、西日で前方がどうなってるのか分からない。風が強くてハンドルはとられ、しかも汗でクチョグチョになって気持ち悪い。こんな調子でひたすら80キロで5時間。
その2。
成田からモスクワ→マドリー。マドリー到着時間は10時半。ホテルの予約ができなかったため、親友の強い勧めで空港で野宿することに決めたが、機内で話をした日本人男子から身の毛がよだつ怖い情報を聞いた。
「首を閉め、気絶させる」
ここは初めて足を踏み入れるスペインのマドリー空港。日本人らしき人間も見当たらない。タクシーの運ちゃんが「ニホンジン?オテルは?」としきりに声をかけてくる。重ねる両手にまたまた汗を握る。ココニイル ニンゲンハ、スベテ ジブンノ テキ。「ノ、グラシアス!」と氷点下ほどのまなざし(たぶん)を送る。いろんな外人が目の前を横切っていくが、みんなわたしのへんな格好を眺めている。インド製のショッキングピンクのストールを頭から巻き、サングラスをかけているわたし。変なファッションをした方が、こういう時は変な人間はよってこないかもしれない、わたしと親友の作戦である。
そんな格好で8時間を寒い真夜中をうとうとしながら過ごした後、バスで6時間、ここサン セバスティアンにやってきた。