「インクレディブル・ファミリー」を観て

インクレディブル・ファミリー」は、ヒーロー物の映画として面白いだけではなく、非常に現代(特に日本)に示唆的な内容となっていて、とても良い作品だった。(※ネタバレ含みます)

 

1.苦悩する夫と活躍する妻

この作品では、妻であるヘレンと夫であるボブが対照的に描かれている。

ヘレンがスーパーヒーローとして活躍する一方、ボブは家事や育児など家のことを任されるが、ボブ自身はとても不満そうで、妻の活躍を聞いた際もどこか悔しそうである。さらに、息子に頼まれた算数の解き方が分からない、娘の恋愛相談に上手く乗ることができないといったことがあったにもかかわらず、ボブはヘレンから、家事や育児を上手くやれているかどうか聞かれた際に「上手くやれている、何も問題はない」と見栄を張ったのである。

ここからは、「妻が普段行なっている家事や育児は自分でも上手くやれる、簡単だ」とボブが思っていることが読み取れる。妻のスーパーヒーローとしての活躍を聞いた際も、あまりそれを認めたくない様子で、「自分の方が活躍できる」という風に考えているのが分かる。

 

2.夫の成長と妻の大変さ

1で述べたように、ボブは家事や育児を初めて行い、その大変さを知るわけだが、その様子が、インクレディブルファミリーと親交のあるデザイナーであるエドナの一言に現れている。

「育児を完璧にこなすのは、スーパーヒーローとして戦うより難しい」

これは、unpaid workとして非常に雑な扱いを受けている家事や育児の大変さ、paid workより大変なこともあるということを顕著に表した言葉であろう。

そして、この言葉の通り、ボブは息子の勉強の手伝いや娘の恋愛相談に大変苦労するが、何とかその中で成長し、新しい夫として一皮向けた存在となっていくのである。

 

3.unpaid workはなぜshadowなのか

インクレディブル・ファミリー」は、unpaid workというものの非常に重要な部分は描いている作品でもある。

それというのも、通常、unpaid workというものは、家事(掃除、洗濯、料理など)と育児(赤ちゃんの世話)で構成されていると世の男性からは認識されているが、実はこの作品で描かれているような子どもの勉強を見たり、恋愛相談に乗ったりという子どものケアの部分も含まれているのだ。

これは、夫が妻が専業主婦をしていることを仕事と見ていないことから起こる事態であり、unpaid workが非常に軽く見られている(日本の場合)要因の一つであると考えられる。

つまり、unpaid workは一つ一つの仕事の種類が細かく、夫がその全てを認識できず、その結果、unpaid workの大変さが理解できないのではないだろうか。もちろん、これは夫が理解の努力不足ということになるが、このような背景があるのだと私は考えた。

 

4.まとめ

インクレディブル・ファミリー」は、ヒーローものでありながら、家族というギミックを組み込むことによって、性別役割分業に対するアンチテーゼ、unpaid workに対する尊重を表現した非常に素晴らしい作品である。

このような作品が未だに性別役割分業が残っており、unpaid workに対する理解が乏しい日本で公開されるというのは、非常に良いことであり、unpaid workに対する尊重、妻に対する尊重を夫に気づかせてくれるのではないだろうか。