サブスクで中東(主にトルコ)のポピュラー音楽を聴くブログ

サブスクで聴けるようになった膨大な各国音源。そして機械翻訳で容易に知ることができるようになったアーティストの背景。個人的にはまっている中東系(トルコ中心)を中心に書き連ねます。ただしトルコ語、アラビア語、ヘブライ語など全くわからないので、誤解は多々あると思いますがご容赦を。

雑談190210

今日は上坂すみれさんのライブ「ノーフューチャーダイアリー」に行ってきた。


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 ライブの最後には定番のシュプレヒコール「生産!団結!反抑圧!ウラー!」を会場全体で唱和し、スティックライトの赤一色に染め上げられる素敵な空間でありました。

 歌も…ルイセンコ学説の歌とかあるよ(客が合いの手で「弁証法唯物論!獲得形質遺伝説!」とかコールする)

 

 まあ、1980年代のユーゴスラビアのライバッハあたりからつながる、「モードとしてのファシズムもしくは共産主義」の流れの中に彼女もいる訳です。

 あと、バックバンドの人たちの服装が8.6秒バ…もとい、クラフトワークの赤シャツ黒ネクタイでして、上坂さんがクラフトワーク好きなのですが、クラフトワーク構成主義オマージュですよね。

 そう言えば、トルコにも70年代、Mustafa Ozkentに代表される摩訶不思議なアナドル・テクノの人たちがいるので、またここでも取り上げられるといいかも。

1 Mayıs/血のメーデー

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銃で乱射され折り重なるメーデー参加者

 70年代ロックミュージックと左翼との紐帯は、大陸ヨーロッパのいくつかの国では極めて強かった。とりわけイタリア(Area、Banco del Mutuo Soccoroso、Osanna・・・)北欧(スウェーデンではいわゆるProggと言われるバンドプログレとは重なっているが同一ではない、のほぼすべてが左翼だった。他3国も近い傾向)が代表的であろう。

 ヨーロッパと中東の結節点トルコも、70年代に左翼・労働運動が非常に高揚したこと、学生がロックの主要な支持者であったこと等により、アナドル・ロックと左翼運動の結びつきが強くみられた(注:Barış Manço、Ersenなど、距離をおいているアーティストもいた)

 Cem Karacaのこのシングルはトルコにおける左翼ロックの象徴である。

この曲は1977年のトルコにおけるメーデーのテーマソングとして作曲されCemによって歌われ、そして5月1日、トルコの最大都市イスタンブールでは50万人もの労働組合員、学生、活動家などのデモで、メイン会場のタクスィム広場が埋め尽くされた。

TRT World - World in Focus: Taksim Square Massacre, 2015, May 1 - YouTube

その時、広場を見下ろす位置に存在したホテルや水道会社の屋上から何人もの男が埋め尽くされた広場に向けて銃を乱射したのだ。銃で打たれたデモ参加者、更にパニックで将棋倒しとなった結果、34人〜42人が死亡、120人〜220人が怪我したとされる。更にこれをきっかけとした混乱により、500人以上のデモ参加者が逮捕され、数ヶ月に渡って拘束された。そして現在に至るまで発砲した人間は特定されず逮捕もされず、真相は公表されていない。

 この頃、左翼のデモや社会運動を標的にした極右集団による攻撃は相次いでおり、1980年の軍事クーデターまでに左翼が1000人〜2000人程度殺害されたという(逆に極左による右翼攻撃もあった。またこれとは別に要人を狙ったテロが60年代末から極左によって再三起こっている。しかしこれらは一般的なデモの参加者に向けられたものではない)また当時の連立与党の中にはこれら極右集団と密接な関わりを持つ者がいたことが明らかになっている。

 

 ポピュラー音楽と政治的直接行動との結びつきは、日本でも山下洋輔が早稲田のバリストの中で演奏したり、三里塚の幻野祭とか存在していた訳だが、異国のトルコという地においては、音楽と政治をリンクさせようとするものは、より直接的に自らに向けられる血なまぐさい暴力や命の危険と隣合わせであったことを知る必要がある。実際、この後にトルコ南東部のウルファで行われたライブの際、ギタリストとドラマーが右翼に襲撃される事件が起き、そのためにDervişanは一旦解散することになる。

 

 

 

 

 

 

Nem Kaldi ?/ Parka

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ロックの人は長髪が多いのはトルコも同じ

 Cem Karacaとシングルをリリースした後、MoğollarはCemを置いて渡仏してしまい(もともとMoğollarはフランスで72年にアルバム”Danses Et Rythmes De La Turquie D'Hier À Aujourd'hui”=現在”Anadolu Pop"としてサブスクにも上がっているものをリリースし、賞をとるなど評価されていた。Moğollarの話はまたどこかでしましょう)、残された彼は新たにDervişanを結成する。

 DervişanのベースOğuz Durukan とキーボードUğur Dikmenは、ドラマーのDurul Genceと一緒にAsia Minor Missionというバンドをやっていて、YouTubeに北欧オスロでのライブ音源が残されている(レコードはたぶん出していない。それと、後にフランスでアルバムを残したプログレバンドのAsia Minorとはおそらく無関係です)。著名なトルコ人ジャズドラマーOkay Temizがこの頃から北欧で活動していたので、関係があったかもしれない。

 そんなことで、特にオルガン・シンセが加わったことにより、一気にプログレ要素が強くなった訳だが、この頃のトルコのポピュラー音楽シーンはまだ、シングルを出さずにアルバムを出すという風習がなかったようで、ここで紹介するアルバムNem Kaldi ?もまたシングルのコンピレーションである。

 

 そのため、例えばタイトル曲の"Nem Kaldi"においても、シングルに許された曲の時間(4分10秒)の中でイントロリフ→歌Aメロ→一瞬ドラムレスになってサズの調べ→歌Bメロ→一瞬オルガンソロ→以上を繰り返した後短いシンセソロとかなりてんこ盛りに詰め込まれており、しかもバックのドラムやベースがかなり自由に暴れていることが聴き取れる。わたしはこれこそがアナドル・ロックの醍醐味であると声を大にして言いたい。

 惜しむらくは元々がシングルでモノラル録音であり、またCemの朗々としたオペラティックな歌が全面に出ているので(もちろんそれも魅力なのだが)、バックの演奏は耳立たないことだろう。

 ちなみに"Nem Kaldi"はハルクの弾き語り歌手Aşık Mahzuni Şerifの曲であり、彼の歌うテイクはこちら。

 たぶんCem Karacaより先にポップシンガーのGülden Karaböcek(この人についてはまた触れることがあるだろう)がリリースした"Nem Kaldi"はこちら。

 他にもSelda Bağcan(元々アメリカ風のフォーク歌手だったが、アナドル・ロックに接近し、また政治的にもCemと近く何度か投獄された)がかつてのCemのパートナーであったKardaslarと録音したテイク(だいぶファンクになっている)や、同じくアナドル・ロックの重要アーティストであるEdip Akbayramのテイクなど、いろんな"Nem Kaldi"を聴き比べることが容易にできるのもサブスクの長所である。

  

 "Nem Kaldi"に収められなかったDervişanとのシングルは、続くコンピレーションアルバムのParkaに収録された(以前録音されたApaşlar、Kardaşlar、Moğollarとの曲も若干入っている)

 "Tamirci Çırağı"は、サブスクに存在するCemの膨大なコンピレーションにもたいてい入っている、全体的に激情的なこのアルバムの中でも屈指の熱い曲である。自動車整備工の男が、高級車を修理しにやってきた身なりのいい姉ちゃんに一目惚れするも、声もかけられない、そんなしている内に工場長に、薄汚い作業服のくせに夢を見るな仕事しろと怒鳴られる・・・というプロレタリア文学である。彼の政治性については次回取り上げたい。

 以前よりもCemのオリジナル曲が増えており、キャッチーなイントロと熱く歌い上げる叙情性、バックのプログレッシブなアレンジも相まって、名作の名に恥じないアルバムである。彼のオリジナル曲に見られる節回しがどういった音楽的背景なのか、母親のアルメニア音楽と関係あるのか、いつか検証したいと思いつつまだ果たせていない。

 

Cem Karaca'nın Apaşlar, Kardaşlar, Moğollar Ve Ferdy Klein'a Teşekkürleriyle

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脚を投げ出してる写真がかっこいい

 アナドル・ロックの雄、Cem Karaca(ジェム・カラジャ)の音楽は、特に彼の全盛期であった70年代にバンドメンバーと作り上げたそれらは、「Cem Karacaというジャンル」としか言いようがないオリジナリティを持っていると思う。もちろんハルクの影響、そしてブリティッシュ・ロックの影響はいろいろなところに感じられるが、その混ぜ方、まとめ方が孤絶していて、他に似たアーティストを思いつかない。

 

 

 彼は第2次世界大戦が終わろうとする1945年に生まれた。Wikipediaではイスタンブール生まれとなっているが、Daniel Spicer, The Turkish Psychedelic Explosion: Anadolu Psych 1965-1980(雑誌Wireの連載をまとめたもの。わたしはKindleで読んでるのだけど、2019年2月現在は残念ながらKindle版は販売されていない※楽天Koboに売ってました!)

books.rakuten.co.jp

ではトルコ最南のアンタキヤ生まれとなっていて、たぶんどちらも合っているのだと思うが、この出生地は彼の血統をよく示している。

 すなわち、彼の父親はアゼルバイジャン系のトルコ人ムスリム)で、母親はイラン系アルメニア人(クリスチャン)であり、CDライナーによると当時でもこの組み合わせはレアケースであったそうだ。父親は俳優であり、母親Toto Karacaはオペラ歌手として著名であったという。

 アンタキヤはシリア国境近くのハタイ県に位置し、元々古シリアであって(地図でも見てもハタイ県はアナトリアからシリアの方に飛び出した形状となっている)、第一次大戦後の敗戦処理の一環として一時(〜1938)フランス領シリアとされていた時期が存在した。このことは、トルコ東部における第一次大戦時のアルメニア人大虐殺にもかかわらず、アンタキヤにおいてアルメニア人コミュニティが存続し、ディアスポラがあまり起こらなかった理由であると考えられる。

 

 父親は彼をアメリカンスクールに行かせて外交官にしたかったらしいが(Spicerの本によると)、彼はロックンロール街道を突っ走り、60年代初期からステージに上がり、そして67年以降徐々に欧米のアート・ロックの影響を受け始める。

 そして彼のバンドであった(バックバンドと言うよりは対等な関係)Apaşlar、Kardaşlar、そしてインストグループとして、あるいはErsenやBarış Mançoと既にタイアップして名を馳せていたアナドル・ロックの嚆矢Moğollarとのシングルをまとめたのがこのアルバムである。この前にKardaşlarとの曲をまとめたアルバムがリリースされているのだが、こちらはサブスクにアップされていない(ただしスペインのGuerssenレーベルから近年CDが再発されていて、日本でも入手可能)。

 Discogsでクレジットを見ていただくとわかるように、エレクトリファイされたサズやIgligなどの民俗楽器でハルクのトラッドを演奏しているのだが、ところどころ大胆なアレンジが施され、Led Zeppelin(たぶんアティチュードの部分で大いなる影響を受けているはず)で言うとⅠやⅡにあたると言えるだろう。後の曲に比べるとキーボードがあまり入っていない分、音と音の間にゆとりがあって、その空気感がこのアルバムの魅力だと思う。

 

はじめに〜トルコポピュラー音楽の大きな流れ

 最近SpotifyApple Music等の、音楽定額聴き放題(サブスクリプション)サービス(以下サブスクと呼ぶ)が普及しつつあるのはご存知の通りかと思うが、その膨大な音源の中で、今までごく一部のレコード屋でしか取り扱っていなかった(レゲエとかアフロビートなどメジャーなものは除く)非西欧圏のポピュラー音楽がすごい勢いで割合を占めつつあることに最近気づいた。

 

 気づいたきっかけは、もともとわたしはプログレ、サイケが好きで、そのつながりでアナドル・ロック(トルコで70年代にプログレ・サイケ・ファンク等の影響を受け、ロックと民族音楽を融合させた音楽)を聴き始めたとき、なにげにサブスクでそれらアーティストを検索したことだったと思う(だいたい2年ほど前)

 そして聴き出しているうちに、それらアーティストの70年代のシングル(アルバム化されていない・・・もともとトルコではアルバムリリースが一般化するのが70年代後半と遅く、それまではシングルが一般的であった)が、かたっぱしからサブスクでリリースされるのを目のあたりにしてきた。

 寝る前に居間で寝っ転がってスマホをいじっていると、毎週のように新しい音源を発見して、聴いては素晴らしさに感動し、ダウンロードしてクルマで翌日改めて聴く・・・といった感じで、どんどんスマホにお気に入りが増えていく。またサジェストしてくれるアーティストを知る。いちいちレコード屋に行かずとも、また買ってみて再生してみて外れだったと悔しい思いをすることもなく、知らない国の音楽体験が深まっていく、なんていい時代なんだと思うわけであります。

 

 そうしてひとつのアーティストの音源を深く知る一方、それらアーティストの経歴や人生、音楽的背景や政治的背景(中東の場合多くのアーティストは政治的背景と音楽が密接に関わっている)について日本語で書かれたものが(少なくともWeb上に)あまりにも少ないこともわかってきた。まあ今までニーズがなかったんだろう。

 なので、英語版Wikipedia、英語で書かれた紹介本(また紹介する)、トルコ語アラビア語ヘブライ語イスラエルは中東にくくるのか?という疑問があると思うけどそれについてもまた別途改めて)などのWikipediaから英語への機械翻訳、その他アーティストに関する記事の機械翻訳などなどの手段でそれらのアーティストの背景や歌詞を学ぶようになった。

 でもどうしても一人で読んでるだけだとちゃんと咀嚼できていない気がするし、またもっと詳しい人が日本にいて、間違いを指摘してくれることもあるかもしれないし、同好の方と知り合って楽しい会話ができるかもしれない。そう思い、こんなブログで、自分の理解の範疇を日本語に落とすことにしたい。

 

 ということで、このブログはあまり教科書的にならずに(というか教科書的に記述する能力はないんだけど)逐次話題性を追って書ければと思うのだが、最初なので少し概括的な記述をしてみたい。

 トルコのポピュラー音楽を1960年代頃から90年代頃の流れで10年程度ごとにざっくりと潮流をきりわけると以下のようになると思う(そっから後はあまり詳しくない)

※ちゃんとした文献としては、例えば「トルコ音楽の700年 オスマン帝国からイスタンブールの21世紀へ」(関口義人著、DU BOOKS 2016年)を読んでほしい。

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○サナート・・・この時期の代表的な歌手はトルコの美輪明宏ことZeki Müren(ゼキ・ミューレン)。元来はリズムも電化されていない正調の伝統音楽。80年代頃から(ポピュラー音楽としては)アラベスクに接近していき境界線が明確でなくなる。

○ハルク・・・おっさんが一人でサズ(弦楽器)を弾き語りして歌う、まあ言うたらブルースですわ。Âşık Veysel(アシュク・ヴェイセル)とか、頭にÂşıkのつく人はハルクの人

○欧米風ビートポップス・・・これの代表的存在はBarış Manço(バルシュ・マンチョ)さんでしょうな。Mançoさんもそうだったけど英米と同じくらいフランスのイエイエの影響も強かった(つまりあんまり熱くならない)

○アナドル・ロック・・・レッド・ツェッペリンジェスロ・タルに触れたトルコ人が、「こんなやり方でロックと民族音楽合体できるんだ!よし俺たちも合体!」ってんで、主にハルクとアート・ロックを合体させてつくった音楽。アーティストによって結構方向性が違うのが面白い。個人的には大好き。

○トルコ風ディスコポップス・・・もともとアナドル・ロックの頃からファンクとの折衷は進んでいたのだけれど(特にEdip akbayramやErsenにおいて)、70年代中頃からの世界的ディスコブームに乗っかって一斉に女性シンガーが花開いた。誰が一番有名かなあ。Ajda Pekkan、Füsun ÖnalやKaraböcek姉妹あたりが代表的かな。

○初期アラベスク・・・いくらOrhan Gencebay本人がアラベスクという呼称を嫌っていたとしても、彼がこのジャンルのオリジンであるという事実は変わらない。彼の目指していた音楽とは、サナートもハルクもロックもロマやクルド人の音楽もすべてが混ざりあった、トルコ統合の象徴ともいうべき音楽だったと思う。実際に、小節ごとにリード楽器が変わったりする、万華鏡のような構成が初期アラベスクの魅力だと思う。

○量産型アラベスク・・・初期アラベスクはGencebayの探求的な性格もあってキャッチーなメロディーが少ない、少し気難しい音楽に聴こえるところがあったが、これにナイ(笛)の親しみやすいメロディーを加えて一気に大衆化したのは何と言ってもIbrahim Tatlisesの功績が大きいだろう。80年代にはカセットテープの普及によって完全にトラック運転手の音楽になった量産型アラベスクだが、その後ダンス音楽との融合を果たし、今日でも女性シンガーを中心に歌い継がれる生きた音楽としての輝きを保っている(日本の演歌との大きな違い)

○打ち込み系アラベスク・・・Sibel CanやKibariye、Yıldız Tilbeらに代表されるアラベスクを打ち込みダンスミュージックにしたもの。トルコだけでなく東欧のTurbo Folkとも相互に影響を与えたり拡散したりして広まった。Ajda Pekkanも90年代以降はこっち。

 

  これ以外にも、普通のヨーロッパ風ポップス(Sezen Aksuとか)欧米風ロック(MFÖ、Tarkanなど)、フォーク(Ahmet Kaya、Bülent Ortaçgil等)等などはこのブログではあまり触れることがないと思うけど大きな地位を占めているし、また、特定の地域のマイノリティの音楽(クルドの音楽、黒海沿岸のホロン、スーフィーの音楽、…)がポピュラー音楽化しているケースも多い。

 

とまあ、概論はこれくらいにして(また書き足すかもしれない)、次回からは1アーティスト、レコード1枚にできるだけ絞ってつらつらと書いていきたい。