写真いろいろ

 昨年写した梅

 私の活動範囲での梅の木は数本だけで

標本木としていた梅が伐採されていたことに気づかず

他の梅は4月には散ったそうで今年は写さずに終えた

 いつもの大きな池に行っても

一番奥に数羽のカモ類がいるだけ

それでどこででも写せる花を写して帰ること数回

 ショウジョウバカマ

     タネツケバナ?           スイセン

 エゾエンゴサク

 ニリンソウ

 福寿草枯れた後

 それで久しぶりに野鳥のいる山に入った

いろいろな鳥の鳴き声が聞こえ 動き回っていることが確認できるが 遠くの枝葉の陰

 ヤマガラ

      カワラヒワ            キジバト

 ヒヨドリ

 山で鳥を写すのは無理だとわかっていながら またやってしまった

 ゴジュウカラ

 

 若者はメールなどで 句読点を使わないそうなので 真似をしてみたが難しい

 

 

春の花たち 4

カタクリ

ニリンソウ

イカリソウ

(キンポウゲ)

キバナノアマナ?)

                    (ツクシの中で育ったアスパラ)

 

 小学生の時の話。

 氏名を漢字で書けるよう母に教わっていた。

名は書けるのだが、氏がいつも間違える。

自分では完璧と思っていても、毎回同じところを指摘される。

(オーブリエチア?)

 玄関のガラス戸に書かれた『○○旅館』を裏側から見て、真似て○○と書くのだから裏返しの字になってしまうのだった。

一部を除いて左右対称の字なので、裏返しに書いているとは母もすぐには気付かなかった。

(芝桜)

(チューリップ)

オキナグサ

モクレン


おまけは鯉のぼり

 鯉のぼりを設置する家が少し増えた。

男児が生まれた農家だと思う。

一般家庭では、男児がいても鯉のぼりは無い。

春の花たちはひと段落。 次回は???

春の花たち 3

(ヒヤシンス)

 次から次と咲く花を追いかけているつもりが、花に追われている感じ。

 

 人の名も花の名も覚えられないので、写した後に名前を調べるのに苦労している。

結局○○かな?で終わるのも多い。

なので、間違えていたらご指摘願います。

スイセン

(ヒマラヤユキノシタ

 またまた小学生の頃の話・・・これからも続くが、

数年前にもブログで書いたようなことが多々ある点ご了承願います。

ムスカリ

 ある金持ちのお抱え運転手をしていた近所のおじさんが、その車を退職金としてもらって我が町に帰ってきた。

一般家庭では、まだ車も電話も無い時代、

その車でハイヤー業を始めたが、客はほとんど無く困っていた。

(ところで、都会がタクシーで田舎がハイヤーではないですよ。タクシーは街中を流し客がいそうな場所で待機出来、ハイヤーは予約・連絡を待つという違い)

サクラソウ

 学校帰り頃に急に降り出した雨の日、

先生から迎えのハイヤーが来ると電話があったから待つように言われた。

そしてハイヤーに乗ると、エンストで車はストップ。

 迎えに来た親と傘をさして帰る友や、ずぶぬれになって帰る友たちを車の中から見て、

ハイヤーが動き出した時には誰もいなかった。

ヤマガラシ?)

 もうハイヤーは嫌だと母に言ったが、その後も何度かハイヤーの迎えがあった・・・エンストは無かったが。

 そのハイヤーは廃業になり、10年以上後に別のハイヤー会社が出来て現在まで続いている。

事業は、早ければ成功するものではないようだ。

レンギョウ

ツツジ

シデコブシ?)

(コブシ)



春の花たち 2

(クロッカス)

スノードロップ

クリスマスローズ

 

 小学生の頃の話

1年生の夏、学校に行かないと言って頑張った。

兄弟の中で、学校に行きたくないとごねたのは姉と私の二人だけだったとのこと。

 姉は小学校に入る前から、2歳上の長男の家での勉強を見まねていて、2年生までの勉強はおおよそ理解していたから、

学校では知っている事しか教えてくれないからつまらないと言うのが理由だった。

私は300m先の学校に行くことが面倒だっただけ。

 母が花を包み、学校に電話したから、学校に持っていきなさいと言う。

早くしないと枯れてしまうと言われ、

それは大変だと思い、花を持たされ学校に行った。

(シラー・シベリカ)

 ごねることはたびたびあったが、

その問題とは関係ないことで、そらされ・ごまかされていたようだ。

深刻な問題・悩みではなかったのだろう。

(タッタソウ)

オオイヌノフグリ

ハコベ

(ネコヤナギ)



春の花たち 1

福寿草

  いつもの通り名が間違えていたらご指導願います。

福寿草とクロッカス。クロッカスは次回の予定。

フキノトウ

(グロリーオブザスノー)

 以下5枚は雪割草? それとも??

 花の下には色々な葉がひしめいて、この花の葉を確証できないが、雪割草の葉の様な感じ。

雪割草は関東以南で咲く花だそうで・・・違うのか?

オオイヌノフグリ

ヒメオドリコソウ

ミズバショウ

 ほとんどの葉の先は黒く腐ったようになっていた。

                      (カワラタケ)

(雪の下から出てきたと思われる千成ひょうたん)

ヒシクイ 渡り鳥最終

 上の写真はマガンで、口周りの白と胸の黒い模様が無ければヒシクイでマガンよりも大きい。

(大きい1羽だけがヒシクイ

 こちらに渡ってくるヒシクイは少なく、

多数のマガンに混ざっているので見つけるのは難しい。

またヒシクイだけの写真は少ない。


 以下、オナガガモなど


 小学入学時、高校生の姉に連れられ写真館で記念の写真を写した。

両親は商売で忙しく、年の離れた兄たちが私の親代わりで面倒を見てくれていた。

兄弟の良さも述べて、

渡り鳥の最後の写真とともに、幼少期の話も終わり。

 渡り鳥たちはもういない。

福寿草もほぼ終わり、私のブログは遅れているが、

・・・これからも遅れ続けるだろう。

 

 

白鳥 最終 飛ぶ

 大きな鳥たちは、浮き上がるまでは走り続ける。

飛行機と同じで、大きいほど滑走距離は必要で、

向かい風を受けて飛び立つ。

 (青空だと、泥水の川も青く綺麗に見える)

 飛び上がれば優雅。

 羽の汚れは、餌を得るための苦労の証。

 またまた幼少期の話。

その頃はまだ終戦後の不安定な社会情勢が続いていて、

泊り客も何かと問題を抱えていた人もいた。

特に女性客は、追ってきた男にたたかれたり、自殺(自殺未遂)する人もいて、それを子供ながら見てきた。

 ある日、私と同じぐらいの幼女を連れて泊った女性も、男から逃げてきたそうで、母は可哀そうに思い、

飲み屋だった隣の家を無料で貸し、その母子を住まわせ飲み屋をさせた。

商売も軌道に乗り、生活も落ち着き母子仲良く暮らせるようになって、

私にも親切にしてくれた。

 一方、いつもの通り私は兄たちにからかわれ、命令され自由にならないことに不満があり、のがれる方法を子供なりに考えていた。

それで、おもちゃなどの宝物を袋に入れ、

自由にしてくれるだろう隣のその家に家出した。

 邪魔する者も無く、思うままに自由に楽しく過ごして、

気持ちよく寝たのだが・・・

 

 朝起きたら自分の部屋に戻されていた。

たった1日だけの家出だったが、

家出の決断と親切にされた1日は記憶に残っている。

 真下から見るとデブッチョ。

 長い間白鳥のお付合いありがとうございます。

次回はその頃に写したヒシクイ等で、渡り鳥完結。