向き,不向き

 

「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。人間好きなものに対しては一生懸命頑張るので,当然その上達も早いよねみたいな意味。

 

「下手の横好き」という言葉もある。別に上手くもないのにただ好きなだけってヤツ。

 

この世界はびっくりするぐらいの人間で溢れていて,それゆえ相反する2つの格言はどちらも正しく,また同時にどちらも誤りだとも言える。たった一つの普遍的な真理で表現できるほど人間は単純ではない。

 

自分がいま片足を突っ込んでいる,アカデミアの世界のお話。

しばしば見かけるのが次のようなご意見。

 

「研究は楽しいからやるものだ,しんどいことを無理してやっているのなら,向いてないからやめておけ」

 

なるほど的を得ているように思われる。そりゃ無理してイバラの道を進む必要はない。適材適所が一番。下手の横好きは許容されていない世界。

 

この考え方は割とアカデミアの世界で支持されているように感じる。大学教員に,なぜアカデミアに進んだのですかなんて聞こうもんなら,結構な確率で「面白くてずっとやってるうちに気づいたらここにいた」みたいな全く参考にならない答えが返ってくるんじゃなかろうか。好きこそものの~で一直線に驀進してたら論文ポンポン出て大学教授になってましたなんてエピソードがそこらじゅうに転がってる。

 

自分は研究に”向いている”のだろうかと問うてみる。面白いこともあるし,しんどいこともある。毎日楽しくて仕方がないって感じではないから,研究に向いてるとは言えないのかも。

 

じゃあ自分に”向いていること”なんてものは存在しているのかなあなどと考える。自分がガッツリ取り組んできたものというと化学かテニスぐらいしか思いつかないけれど。好きこそものの,というほど好きでもないし,上手でもない気がする。あれ,僕に向いてることなんてないんでは。

 

思うに,向き不向きなんてもんは主観的な尺度でしかない。悩んだところで、最後は自分で自分のやりたいことを(たとえ消極的な選択であったとしても!)決めなきゃいけないんだよなあという当たり前の結論に戻ってくる。

 

きっと大多数の人にはずば抜けて優れた能力なんかないし,まして己の強みを活かして輝いてますなんて人はほんの一握り,それでもみんな自分で選んだそこそこの人生を,そこそこ満足して生きてるんだろうなあ。そこそこの人生を選ぶこと,選べることが幸せに生きるうえでいちばん大切なことのように思えてくる。自分はいったいどんな未来を選ぶんだろうね。