“愛”と“癒やし”のために・・・

この世界の “やさしさ”や“愛” そして“癒やし”を伝えていきたい。

“やすらぎ”の根っこ

すべての人が、
“癒やされる”部屋を、心の中にもってほしいと思う。

 

ほとんどの人が
自分の外(そと)や物的なモノに、“癒やし”を探す。

 

“次元”というものを考えたことがあるだろうか。

“心の次元”と 「時間と空間の次元」だ。

 

“心の次元”には、時間と空間がない。

心に響く“楽しいこと”があれば、いつだってそのときに戻れる。
学生のころの仲間に会えば、たちまちその頃の気分に戻る。

 

“想像の力”で、自分の“やすらぎ”つくり、
生きることに苦しくなったら、少しだけじかんをとって
そこに戻ってほしい。

 

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私の学んだ「シルバ・マインドコントロール」では、『クスリだな』まで
用意する。

体の調子がわるいときも、そのイメージの 最高の“癒やし”の部屋にある
“クスリ” を飲む。

 

当然、この地上にあるどんなクスリよりもよく効くし、副作用もない。
(深いイメージができればだけれど)

 

“心の癒やし”とカラダの癒やしの両方が、そこで得られる。

 

 

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そんな心のパワーを持っていること自体が、
“あなた”(私)が “愛されている”証拠なのだ。

 

 (“癒やしの部屋”をつくるときの予備練習は近いうちにお知らせします)

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『“やすらぎ”の大元』は、自分自身の存在の意義に気づくこと。

そして、おおきな愛に包まれていることを感じることだと思っている。

 

多くの人が、愛されていない想いに、傷ついている。

自分のカラダに与えられたシステムや仕組み、そして“心のパワー”に
気づけば、“愛されている”ことがわかるはずなのに。

 

“イヤシ”は、自らの内に在る。

 

朝の儀式・・・

自律神経のためには、
その動きをよくしてあげるのがいい。

 

だいたい原因の想像がつくのだけれど、
『白夜』などがある北欧には「ウツ」の人が多く、自殺者
が多い、と聞く。

 

そう、この世界は変化に充ちている。
花々は咲き、木々は芽吹き、日々変化を続けている。
 

澱む川は腐り、流れぬ水には菌が住みやすくなったりする。
 

『動く』というのが、“生命”のはたらきになっている。

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だけど『動く』という“生命”のはたらきのなかにも、
“陰”と“陽”の部分があって、三分の二が“動き”だとしたら、
後の三分の一は修復や休養の“部分”になる。

 

また、赤ちゃんをみればわかるように、昼間しっかり動いた方が、
夜は質のいい睡眠が取れそうだ。

 

つまり、“朝の儀式”は、“陰”から“陽”への、切り替えの作業、といえる。
 

しっかりう~~んと “伸び” をして、
冷たい水で顔を洗い、ちゃんと歯を磨き、しっかり口をゆすいでみよう。

 

できれば、カラダのエネルギー代謝をよくするために、
「お水」に『岩塩』をひとつまみと、「ゆず果汁」(もしくはレモン)を
お好みで垂らして、飲もう。

 

ちなみにこれで『便秘』が改善した、という患者さんがいる。

 

どんなに栄養のありそうなものを食べたって、カラダの中でちゃんと“燃えて”
くれなければ、それは『毒』になる。

 

食べられない栄養失調より、食べ過ぎで毒素をためてしまう『病気』の方が、
治りにくいし、『難病』と呼ばれるものになりやすい。

 

『病気』にはストレスの関係も大きいので、今日一日、さわやかにいこう、
決意表明しよう。

 

それだけでも、少し、今日の一日が“ちがうもの”になるかも。

二足のわらじ・・・二つの仕事を持っているということ

 

私は “二足のわらじ” を履いている。

 

厳密に言うと三足か?
ある種の自分の信念から、といえる。

 

 

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私たち『癒やし』にかかわる者は、
病いに苦しむ人たちや、痛みや不調に苦しむ人たちの助けになることが、
“目的”になっている。

 

だから、
もう二度と私たちのところへ来なくてもいいように、
という努力を必死でする。
自分でなおす方法も教えるし、“私”にかからなくてもいいアドバイスもする。

 

『病気』には可逆性』『不可逆性があって、
血流が止まり、腐ってしまった体を治すことはできないし、手術でとってしまったものを“元に戻す”こともできない。

(そういう方の手助けはするし、毎月、メンテナンスのために施術を受けていただい
 ている方々のためには続けて施術をしている)

 

少し前の「西洋医学」では、切れた神経は元に戻らないし、血管も新生(新しく生まれる)もしないとされていた。

 

この少し前の「西洋医学の“常識”」も、「発生解剖学」や「生理学」から考えれば
ちょっとおかしな話しで、

子供が大人になる発達段階では、『神経』と『筋肉』は互いに相関していて、
互いにはたらいて情報を与え合わないと、『廃用の法則』で萎縮したり機能が落ちたり
する。

 

ガンになるとその周辺にまるで『藪』のように、新しい血管ができることも知られているし、目が見えなくなる『黄斑変性』も「眼底」の焦点部にある
「黄斑」のところに「新生血管」ができるせいだといわれている。

 

『血管』は必要とあれば、そのものを生かすために必要になれば、“生まれてくる”

 

つまりは“自然”が治してくれる。

 

私たち “癒やしびと” の役目は、
道に落ちた大きな石をどけてあげて、通行ができるようにするような、そんな

手助けを、ただ、しているだけだ。

 

その人の持っている“生命のエネルギー”の、代わりになることはできない。

 

そして“自己治癒”を助ける仕事なので、
その人の手が離れれば、食べていける仕事が必要になる。

 

ある意味では、
“病気にならない人”を増やすのが“癒やしびと”たちの『仕事』なのだ。
だから『二足のわらじ』をはく。

病気がなおる・・・方法?

 

『病気は治る』 ・・・『病気にならない方法』

 がある?

 

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ほんらい病気というものはない。
“病気”というのは、カラダのほんらいのはたらきを邪魔している結果であり、
その“お知らせ”ということになる。

 

人のカラダは、自然に即した生活と豊かな感情を持っていれば、
『病気』になることはない。

 

そのために、「恒常性機能(ホメオスタシス)」『自律神経』『内分泌』『免疫』
などの、カラダの恒常性を守り、スイッチのオン・オフ、ホルモン調整や、害になるものからカラダを守る機能が整っている。

 

ほんらいの医学は、それらを手助けするものであって、それにかわるものではない。

数年前から、医学辞書のなかから、『自己治癒力』『自然治癒力』という“言葉”が消えた。
今、医学辞書を開いても、その言葉は、どこにも見つからない。

 

しかし、『自然治癒』や『自然寛解』は現代でもある。

 

 

クスリも飲まず、医師にもかからず、病院にも行かないで、“病が治る”
それは“医業”にとって、まことに始末がわるい。

 

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もう、30年以上も前になるのか(50年?)
ある医師が、ドイツから画期的な治療法を持ち帰り、当時の医師会の会長、
武見何某氏に、報告をしたとき、

「君は15万以上いる医師から職を奪うのか」

といわれ、広めるのを断念した、という話がある。
(当時は医師の数、15万人ほど。
 現代は30万人以上になっている。・・・しかし病は増え、ガンは治らない)

 

 

その『治療法』とは、
たしか“血液をきれいにする”というモノではなかったかと記憶している。

 

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要するに、現代の“医業”が発信する情報からは、真の治癒の情報は出てこない、といっていい。

 

既得権益を手放すような、『業』は基本的にない。
国だってまかり間違えば人道に反したことをする。『アヘン戦争』がいい例だろう。

 

戦勝国が、その国の文化財を勝手に持ち帰る、というのは、ほぼ常識と言える。
 

“やさしさ”や、“人を生かすもの” であるはずの『医業』が、『組織』を守るために
人に害するまやかしの“治療”から目をつぶり、ごまかしをするようになってしまったのだ。

 

基礎医学』を学び、『医』とは何か、を学んだものの目から見れば、
ごく当たり前の、人を癒やし、痛みや苦しみから救う、という、本質を見なくなってしまっているように見える。

 

 

「西洋医学」の『ガンの三大治療』、「抗がん剤」「放射線」「手術」について
100名以上の医師に「その治療を受けますか」とアンケートしたところ、
そのうち“受ける”と答えたのは、2人だけだったという。

 

しかし私たちが『ガン』にかかったとき、医師はその治療法を奨める。

 

 

別に医師がわるいのではない。
「西洋医学」には、それしか手がないのだ。

 

希望はある。
世界的な権威を持っている医師でも、ガンは3週間もあれば治る、と
言いきっている方もある。

 

つまりは、「西洋医学」の知識を持ちつつ、そこに限界を感じ、
「西洋医学以外」の道を求めた医師の方たちだ。

 

人によってさまざまな情報があるけれど、「生理学」の原則である
“人は多細胞生物である”ということと、“その細胞自体が元気”でなければならない、
という視点はほぼ変わらない。

 

『私たちは他の“生きもの”によって支えられている』
ということだ。

 

 

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私たちは、自分自身の「心の姿勢」と「生活、“自然”への態度」をあらため、
また、生きものを生かし育てる“自然のはたらき”に沿った生活をし、

 

『恒常性維持機能』や、自律神経内分泌免疫のはたらきに感謝して、
ただありがたく生きればいい。

 

(『神経細胞』も『ホルモンを出してくれる細胞』も、そして『免疫細胞』も、

 “生きもの”であることを忘れないでほしい)

 

 

おそらくは、それで、『病いにならず』
『さわやかですがすがしい、健康で元気ないつも』でいられると思う。

 

“死にいくとき”も苦しまず、いつの間にか死んでた、というのも可能かも
しれない。

・・・頭痛

今日は私の本業に戻り、

頭痛の癒やしの話をしよう。

 

もっとも、私の心情はすべての人にあう一辺倒な

施術の方法などない、というもの。

 

100人いると、100通りの施術法がある。

 

まあ、最大公約数、的なものというと、

『緊張性頭痛』は筋肉(おもに後頭部から背中につながる筋肉など)

などを緩め、血流をよくすればいい。

 

『偏頭痛』はその真逆で、「血管」が狭くなるような方法をとればいい。

コーヒーや緑茶など、カフェインの入ったものや、もしかすると

冷たい水で、顔を洗ったり頭を洗ったりすると、軽くなるかもしれない。

 

『女性ホルモン』や『血小板』も関係する、というのが現代医学の知見

なので、『女性ホルモン』の安定も、大切なはず。

 

『緊張性頭痛』は、静かに首や肩の筋肉を緩めるだけで、十年以上も

続いた頭痛が改善したこともある。

 

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(リクエストがあれば、図解を載せようと思う)

“和”の成功作法

 

“やすらぎ”のある、経済的向上・・・。

 

20代の頃から、自己啓発や願望達成法の書籍をよく読んだ。
そして、セールスで世界6位という方のセミナーを受けたり、
インターネットビジネスのセミナーを多く受けたりしてきた。

 

それなりに感心もし、得るところも多く、学ぶことも多かった。

 

だけど、いまだに成功もせず、裕福にもならず、経済的にはかなり
ぎりぎりの生活を送ってきた。
・・・どうもしっくりこないのだ。

 

頭では素晴らしいと思うのだけれど、“何か” ちがう。
“やすらぎ”がない。 

 

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欧米系の願望達成法や成功法というのは、自他を分ける。

 

自己主張ができなければ、まるでアイデンティティがその人に
ないような思われ方をする。

 そして、欧米的な“成功”は、人や何かを“操作”しようとしている
ように思えてしまう。。 

相手を自分の思うように動かそうとするのだ。

(欧米でベストセラーになった「人を動かす」という名著もある)

 

 

 日本には人を操って自分の思うようにしようとするのを、善しとしない文化がある。

 

そう、“ゆずりあい”や、“仲がいいこと”『いい感じ』を持つ、
「和の国」なのだ。
 表面的にはもう意識もしないが『和をもって貴し』となす、という心情がある。

 

 

お金を粗末にするな。ものを粗末にするな。もったいない。
という、お金やものは大切にしよう、という考え方
はある。
 

だけど、それを第一義にはしない心、というか、そんな“想い”がある。

 

では、その“想い”にあった、日本人のための成功法というのは
あるのだろうか。

 

“成功法”という言葉自体がしっくりこないのかもしれない。

 

日本人にとって大切なのは その“道を歩く” “道を歩き続ける” という
”型”で、日本の経済を支えてきた「職人」たちの技は、その道のなかで
磨かれてきた。

 

 

多くの職人の方たちは、異口同音に「死ぬまで修行」という。
「完成」はないという。
 

技術者にとって、“完成した”という意識は、もうそれ以上進歩がない、
ということだ。
 
日本人にとって、何かをなすことは『道』であって、完成ではないのだ。

 

 

もしかすると、一生をかけるに値する情熱や技能にであうこと自体が一つの達成、
なのかもしれない。

 

生涯完成することのない、己の”シゴト”を見つけることが、“はじめ”

なのかもしれない。
 

そして永遠の“完成形”への追求がはじまるのだろう。

 

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(“癒やし”のためには、心の癒やし、カラダの癒やし、経済的な癒やされ、があって、
その三つがそろうことが、大切なのか、と思い、日々の想いを書いてみた)

癒やし、癒やされる

“癒やされたい”と思う。

だけど、その“癒やし”は、おそらく自分のなかに在る。

 

結局、そのことに気づくか気づかないか、が自らの“癒やし”
かかわるのではないだろうか。

 

 

やさしさがほしければ、
誰かにやさしくすればいい。

 

“愛”と求めるのであれば、
誰かに愛を渡せばいい。

 

わたし自身、25年ほどのあいだ、ボランティアとして
障がい者の方に教えることをしてきたけれど、

 

もしかすると、その何十人もの方たちよりも
“癒やされ” “気づかされ” “悦び” をいただいたのは、
私の方だと感じている。

 

このことがなかったら、
こんなにも誰かのことを想い、懸命になり、想いを行動に
できることはなかっただろう。

 

 

“愛”は自分のなかに在る。

そして、表現されることを待っている。

 

・・・そんな気がしている。

 

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