なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(615)

船越通信、№615  2024年5月5日(日)北村慈郎

  • 4月28日(日)礼拝後、京急田浦駅前で11:54~12:40、ガザのアハリー・アラブ病院支援の スタンディング行動を行いました。以下Nさんのメール報告を転載します。【ゴールデン・ウィーク2日目。初夏の陽気で気温も高く、立っているだけで汗ばむほどでした。参加された皆さんお疲れさまでした。昨年の10月にパレスチナ自治区ガザで始まったイスラム組織ハマスイスラエル軍の戦闘は、すでに半年を経過しましたが、休戦に向けた具体的な動きはいまだに見られません。イスラエル軍の攻撃で、ガザは至る所が破壊されて、すでに34000人以上の民間人が犠牲になっていますが、その大半は、幼い子供や女性たちです。連日の爆撃により、食料不足も深刻で、人道的観点からも1日も早い停戦が必要です。アメリカの大学で、パレスチナ自治区ガザ地区での戦争に抗議する行動が広がっています。このように世界中で戦争の終結を望む声が上がっていますが、日本国内では報道も少ないため、国民の関心は低いようです。/今回のスタンディングでも人々の反応は非常に悪く、募金に協力してくれたのはわずかに高齢の男性2名で、募金額は1125円、署名は1筆でした。多くの人にとっては、ガザでの戦闘は、どこか遠くの国で起きてる「他人事」なのでしょう。問題をしっかりと伝えない、マスコミの責任はとても重いと思います。/参加者は8名でした。なお、教会員の募金が3875円あり、合計で5000円になりました】。スタンディングを終わって、私は船越教会に戻りました。しばらくするとインターホーンが鳴りましたので、玄関を開けましたら、木村武志牧師の時に何回か船越教会の礼拝に来たことがあると言う方が、近くを車で通りかかったので船越教会に寄って見たと言って立っていました。その方としばらく立ち話をしました。木村武志君(木村牧師と私とは神学校の同級生で親しい関係にありましたので、君呼びさせてもらいます)の消息をその方から聞かれましたので、船越から鹿児島の鹿屋に行き、病気になって牧師を辞めてから宮崎の都城で生活し、そこで7年ほど前に亡くなったこと、連れ合いは都城に独りでいることもお話ししました。その方は懐かしがっていましたが、しばらく話して帰って行きました。その後しばらくして私も船越教会から、この日は京急田浦に出て鶴巻に帰りました。
  • 29日(月)はゴールデンウイークの前半のお休みの日でしたので、鶴巻に娘もいて、朝9時から10時までの平塚の花菜ガーデンレストランのモーニングに車で行き、この日の一食にしました。その後花菜ガーデンの向かいにある地場産の野菜などがあるあさつゆ広場で買い物をしてマンションに帰ってきました。その後娘は一人で出かけましたので、私はのんびり過ごしました。この日は鶴巻温泉駅前広場(そんなに広くはない)から市営の日帰り温泉弘法の里湯の駐車場も使って、町おこしと思われるお祭りが行なわれていました。夕方駅前に用事があって行った時、お神輿はありませんでしたが、急遽作ったと思われる山車を、法被姿の引手が結構いて引いていました。周りには沢山の人が出ていて、歩道も人が一杯で、私は自転車を引いて用を足し帰ってきました。夕食は午後5時過ぎに娘が作ってくれたれん根カレーをサラダと共にいただきました。その後6時過ぎに娘は横浜に帰って行きました。
  • 30日(火)は、関西の事務局の方から私の所に送られてきていた沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会(“もとすす”)の通信第28号を、神奈川教区の諸教会・伝道所に郵送する作業を行ない、夕方鶴巻の郵便局に持って行き発送しました。この日私が高校3年生の時に、紅葉坂教会に導いてくれた同級生の友人の連れ合いが、私の連れ合いと同じように場所は違いますが、癌になって1年3ヶ月ほどの抗がん剤治療の末に帰天したという連絡を彼の娘さんからもらいました。連絡をくれた彼女は、4月6日の紅葉坂教会の支援コンサートの時にフルートを吹いてくれた方です。その時にも彼女にお母さんの様子や友人の様子を伺い、その後友人には電話をしました。葬儀には伺うつもりですが、彼とご家族の方々の上に主の平安をお祈りします。
  • 1日(水)はメーデーでした。メーデーは晴れた日が多かったように思いますが、この日は朝から雨が降り、一日中雨の日でした。沖縄から帰省していた牧師のK・Rさんが、夫のK・Hさんとお昼頃鶴巻を訪ねてくれました。私の連れ合いの千賀が帰天してから毎年5月のこの頃と11月末から12月初めの頃にかけて、K・Rさんが帰省してきた時には必ず年2回、お二人で鶴巻の私の所を訪ねてくれています。お昼を共にし、懇談して帰って行かれます。有難いことです。
  • 2日(木)はいつものように国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。東京新聞には琉球新報の報告記事が「辺野古・高江リポート」として掲載されています。4月30日の記事には、「約9年前から海上抗議行動に参加している(75歳の方が)、「『毎日のように(工事を)見せつけられているのはつらい。工事がここまで進んでいることは悔しいが、嘆いている場合じゃない』と前を向いた」と記されていました。国会前の座り込みは、20年前から始まった辺野古浜での座り込みに呼応してはじまりました。辺野古新基地建設で沖縄の方々に辛い思いをさせてしまっているのはヤマトの私たちの責任です。この東京新聞の記事を読んで、私たちも「嘆いている場合じゃない。前を向いて」行かなければならないと思わされました。

ヨハネによる福音書による説教(58)「一粒の麦は、…」ヨハネ12:20-27

5月5(日)復活節第6主日礼拝   

 

注)讃美歌奏楽ユーチューブは今日はありません。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。

この神はわたしたちの神、救いの御業の神。主、死から

解き放つ神」。     (詩編68:20-21)

③ 讃 美 歌   351(聖なる聖なる)

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編8編1-10節(讃美歌交読文10頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書12章20-26節(新約192頁)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌   510(主よ、終わりまで)

⑨ 説  教  「一粒の麦は、…」         北村慈郎牧師 

  祈  祷

 

現在イスラエルハマスの軍事攻撃に対する報復という大義名分を掲げて、ガザのパレスチナ人の命を小さな子どもの命を含めて、虐殺ともいえる形で奪っています。そのようにイスラエルが戦争をしているので、コロナ感染の影響後にも拘わらず、イスラエルに来る外国人観光客が減っていて、今の状態が長引くと、イスラエル経済が厳しくなるのではと言われています。現在でもユダヤ教の過越祭には、世界の各地から沢山の人びとがエルサレムを訪れているに違いありません。

 

先程司会者に読んでいただいたヨハネ福音書12章20節に、<さて、祭のとき礼拝するためエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシャ人がいた>(新共同訳)とあります。ここで「祭の時」と言われているのは過越祭のことで、この一週間以上続く祭りの時期には、周辺諸国からも巡礼者が集まって、エルサレムの都は祭の群衆であふれかえったと言われます。

 

その過越祭に訪れた沢山の人びとの中に「何人かのギリシャ人がいた」というのです。新共同訳では、この「何人かのギリシャ人」も「祭のとき礼拝するためエルサレムに上って来た人々の中」の一員とされています。ですから、注解者の中にはこのギリシャ人は、単なるギリシャ人ではなく、ユダヤ教に改宗したギリシャ人であると言う人もいます。しかし、田川さんは、ここのギリシャ人は、常識的にはギリシャ語を第一言語とする非ユダヤ人を指すと言っています。ですから、ここのギリシャ人は、ユダヤ教に改宗したギリシャ人として過越祭の礼拝をするために神殿に来たというのではなく、ここは神殿見物の話だからと言って、20節を<神殿で参拝するために上って来る者の中に何人かのギリシャ人がいた>と訳しています。日本の場合でも、神社仏閣を外国人が参拝するという場合は、神仏を礼拝するというのではなく、神社仏閣の見物を参拝すると言っているのだと思います。ここでもそれと同じだと言うのです。

 

過越祭の群衆の中にユダヤ人だけでなく、「何人かのギリシャ人がいた」という記事はヨハネ独特で、このイエスギリシャ人との出会いは興味深いエピソードなっています。彼らは礼儀をつくしてまず弟子フィリポのところに行って、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」(21節、新共同訳)とフィリポに頼みます。

 

この「お願いです」と新共同訳で訳されている言葉は、原文ではキュリエ(主よ)です。ここを「主よ」と訳しているのは、後で帰ってから毎回説教配信の時に一緒に送っています6種類の日本訳を見ていただきますと分かりますように、シュラッター訳だけです。田川さんは「ご主人」と訳しています。他は「君よ」(口語訳)、「あの」(岩波訳)、「おそれいります」(本田訳)と訳されています。イエスの弟子にギリシャ人が「主よ」と呼びかけていることは、ヨハネ福音書では「主よ」という呼びかけの言葉が、宗教信仰の絶対的帰依の表現としてではなく、ごく普通の日常会話の呼びかけの言葉として用いられているということを示しています。

 

フィリポはアンデレのところに行ってそのことをはなし、アンデレとフィリポはイエスのもとに行って伝え、この二人の弟子の仲介で、イエスギリシャ人たちとの出会いが実現するという運びになっています。時は過越祭を前にしたエルサレム、場所は恐らく神殿の庭または廊下での出来事であったと思われます。

 

そして23節以下には、弟子のアンデレとフィリポの仲介を通してそれらのギリシャ人に対してのイエスの言葉が、記されることになります。

 

23節以下は、この数人のギリシャ人を含む祭りの群衆に対するイエスの最期の宣教の言葉として聞きとることができます。ここで語られていることは重要な内容を持っています。特にそれが、このヨハネ福音書ではギリシャ人たちとの出会いの場で語られたことになっているのです。この箇所について、シュラッターはこのように言っています。「新しい展開が開かれて来た。イエスの御名がギリシャ人にも行きわたり、その最初の者がイエスのもとに来たのである。エルサレムにおいてイエスを取り巻き、イエスに向かって傲慢と不信仰の壁を立てる重苦しい狭いグループから、今、希望にみちた突破口が示された。ギリシャ人までも弟子の仲間に入って来たなら、なんと弟子のサークルは広げられたことであろう」と。そしてこの記述には同時に、イエスの福音を狭いユダヤ民族だけの枠を破って、広くギリシャ世界に宣べ伝え証ししようとしたヨハネ福音書記者の熱い思いが込められていると思われます。

 

このギリシャ人たちがイエスに会って何を聞いたのかは分かりません。師として尊敬し、個人的に教えを受けようとしたのかも知れません。あるいは、ギリシャ人にも教えを伝えてほしいと頼んだのかも知れません。だがここでヨハネ福音書のイエスは、このギリシャ人の問いにも関連して、人びとに残す最後の言葉として、ご自身の死の意味について、その死に方について述べているのです。イエスの生涯の意味は、その最後に、その死に方に集中して示されていることが、いよいよ明らかになってくるのであります。

 

そこでイエスは先ず、「人の子が栄光を受ける時が来た」と言われます(23節)。私たちはこれまで、何度も、イエスが「わたしの時はまだきていない」と言われるのを聞いてきました(2:4,7:6等)。そして、イエスがそのように言われる場合、それは彼が十字架につくべき時を指していわれたのであることも、学んできました。しかしイエスは、この所で初めて、その時が来たことをはっきりと宣言しているのです。

 

そしてそれに続けてイエスは、「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(24節、新共同訳)と語り、「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(25節、同)と語り、「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」(26節、同)と語られます。

 

井上良雄さんは、「これらの言葉が語っている意味は、単純明瞭でありながら、そこに込められた内容がどれほど深淵であるかを、私たちはよく知っています。ここには私たち主に従って生きる者の生活の一切が語られていると、言うことができるでしょう」と言っています。

 

24節の一粒の麦の譬えは、種がまかれて、そこから芽が出て実を結ぶという、誰にでもよく知られている自然の現象にたとえて、ヨハネ福音書のイエスはご自分の死の意味を解き明かされているのであります。一粒の麦が地にまかれて、朽ちはて、その形を失うことによって、そこから新しい生命が発芽し、成長し、60倍、100倍の実を結ぶのであります。

 

私の小さい頃には、住んでいた近所にはまだ麦畑がありました。お百姓さんが畑に麦の種を蒔いて、一粒の麦が芽を出し成長し、何十倍にもなった麦粒の穂が茶色になると刈り入れます。お百姓さんが刈り入れる前に、その穂をつまんで盗み、手でもんでもみ殻を取ると茶色い麦粒が何粒も掌に残ります。それを口に含んで、かみ砕くとガムのようになります。小さな盗みをして、そんなことをして仲間と遊んだことがあります。ですから、このイエスの一粒の麦の譬えはよく分かります。

 

たった一粒の麦が地に蒔かれて、朽ちはて、その形を失うことによって、そこから新しい生命が発芽し、成長し、60倍、100倍の実を結ぶという植物の生命現象は、考えてみれば不思議で神秘的な出来事です。

 

一粒の麦を、もし地に蒔かないで一粒の麦のままで保存しておいたら、それはいつまでもひからびた、ただ一粒の麦のままにとどまるだけです。しかし、もしその一粒の麦の種を地に蒔いて、一粒の麦の種が朽ちて死ねば、その種から芽を出し麦が成長して、多くの実を結ぶのです。この一粒の麦の譬えをイエスに語らせることによって、ヨハネ福音書の記者は、イエスの十字架の死は文字通り地に落ちて死んだ一粒の麦だと語っているのです。ここに福音の生命力の根源、すなわち死を通して生命に至る福音、失うことによって得る逆説的真理の世界の秘密が語られているのであります(森田)。

 

(以下は森野善右衛門を参考にしています)

 

このイエスの最後の宣教の言葉の聞き手の中に、数人のギリシャ人がいたことは興味深いことです。ギリシャ人の人生観は(日本人のそれもそれと似ているところがありますが)、この世の生を単純に肯定して現生主義的な面が強く、生来の人間の可能性を無限に引きのばして行けば神に至ることができるという楽天主義人間主義があらわれています。しかし、ここでイエスギリシャ人たちに説かれたことは、それとはまったくちがう、十字架の死を通して、まことの生命に至る道、すなわち、一粒の麦が地に落ちて死ぬことによって、そこから多くの実を結ぶ道でした。それはギリシャ人の目には愚かな敗北の姿と見えたに違いありません。死を通して生命に至るという思想はギリシャにはなく、ギリシャ人の理想は永遠不死にありました。しかし一粒の麦のたとえは、真の生命はどのようにしてこの世に来たのかを教えています。人の目には愚かと見える姿と方法を通して、神による新しいいのちに至る道が示されたと言うのです。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(25節、新共同訳)。

 

「自分の命(プシュケー)」とは、生まれながらの人間の、自然的・肉体的生命のことで、「永遠の命(ゾーエー)」とは、上から与えられる新しい生命のことです。「この世で自分の命を憎む」とは強い表現ですが、自分だけのことを考えて、自己目的、自己実現を第一に考えて生きるような生き方に対する強い警告を表わす言葉として受けとけることができるのではないでしょうか。ただ自分の与えられた命をできるだけ引き延ばして生きることが、無条件によいことではないということです。人生の価値は、その長さではなくて、その内容、質によってきまるのです。何のため、誰のために何を第一義として生きるかということが問題なのです。イエスは他者に仕えるその生を徹底することによって、十字架の死を引き受けねばなりませんでした。イエスは、私たちにとっての真の命は、自分だけの自己実現ではなく、他者と共に生きる、互いに愛し合う中にこそあることを、ご自身の生きざま、死にざまで示されたのだと思います。

 

「一粒の麦」の言葉は、生きることの意味を教えるものです。ひとりの人イエスの死は、弟子たちに大きな衝撃と感動をよびおこし、その弟子たちの証しを通して、その後の歴史に大きな影響を与え続けることになりました。この一粒の麦に譬えで語っているヨハネ福音書のイエスの十字架理解は、パウロのような贖罪論ではありまません。一粒の麦としてのイエスの死は、私たちもまた、小さいながらも一粒の麦として、イエスに従って他者のために生きることへの呼びかけと招きなのではないでしょうか。「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」(26節、新共同訳)。

 

私たちはあえて一粒の麦となる決意と勇気を持ちたいと思います。そこにイエスに従う者の歩みがあり、真のいのちに至る道が開かれることを信じていきたいと思います。

 

主がそのように私たち一人ひとりを導いて下さいますように!

                          

祈ります。

  • 神さま、今日も礼拝に連なることができましたことを、心から感謝いたします。
  • 今日は一粒の麦の譬えを通して、ヨハネ福音書のイエスが私たちに何を語りかけているのかを聞きました。一粒の麦の譬えは、自分を守り、自分の命を得ようとするのではなく、むしろ自分の命を差し出し、与え、他者に仕えることによって真の命に至ることを指し示しています。生来の自分では、とてもそんなことは不可能です。しかし、私たちがイエスを自分の心に迎え入れた時に、その不可能が可能になる不思議が起こることを信じることができますように。神さま、私たちを導いてください。
  • 今も奪い合いの世界の中で、苦しむ方々を助けてください。また、災害や病気で苦しむ人々を支えて下さり、その一人一人に希望をお与えください。
  • 他者のために働く人々を力づけ励ましてください。
  • 今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 長澤三枝子さんが、この地上の生涯を終えて、正義さんのいるあなたのところに帰りました。三枝子さんの上に平安をお与えください。残されたご遺族の方々を慰めてください。
  • 新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩ 讃 美 歌    575(球根の中には)

⑭ 献  金 

⑮ 頌  栄  28                                                       

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑯ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑰ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

船越通信(614)

船越通信、№614  2024年4月28日(日)北村慈郎

  • 21日(日)の礼拝には耳の不自由なOさんが出席しました。前からこの日の礼拝に出席したいという連絡がOさんからありましたので、何時ものように説教原稿を準備し、サポートしてくれる人をお願いしておきました。礼拝後Oさんの質問を受けますので、何時ものように筆談のための紙とボールペンを持ってOさんの所に行ったのですが、この日はその必要が無く、Oさんのスマホに、Oさんの質問に対する答えを私が話し言葉で言いますと、それが文字になって出て来るのです。技術の進歩には驚かされます。その後Oさんも一緒にN・Kさんが用意して下った昼食を皆でいただいて、2024年度の船越教会教会総会を開催しました。船越教会の現在の現住陪餐会員は20名です。船越教会宗教法人法第23条により五分の一以上の出席者によって総会が成立しますので、この日は9名の方が出席でしたので、総会が成立しました。2023年度教会諸報告、2024年度基本方針並びに事業計画、2023年度決算および2024年度予算については全て承認可決し、役員選挙の結果、2024年度はH・Tさん、Nさん、W・Tさん、N・Kさんが役員に選ばれました。最後に議事録承認は新らしい役員会に一任し、総会を終了しました。その後新しい役員の方々には集まっていただき、書記、会計、教区総会議員、地区総会議員をお願いする方を確認しました。そこで一応散会しましたが、この日はその後、女性を中心に私とNさんが加わって、『世界祈祷日2024』のパンフレットにある「礼拝」を、その式文に従って、役割を分担してそれぞれが読み、讃美歌を歌い、守りました。この礼拝の目的がパンフレットに記されていますので、その部分を引用しておきます。「この礼拝では、どんな困難や抑圧にもかかわらず、愛をもって互いに忍耐しあうようにと呼びかけています。この式文は超教派のパレスチナ女性キリスト者たちによってエフェソの信徒への手紙4章1節―7節への応答として書かれました。パレスチナキリスト者女性が置かれている状況から、このテーマについて共に考えてみました。この礼拝が、世界中の女性たちが互に愛をもって困難な時代にも忍耐しあう力となるようにと、わたしたちは願っています」。また「世界祈祷日は、多様なキリスト教の伝統を共有するキリスト者女性により、1887年にアメリカの女性たちが移民者や抑圧されている人たちを覚えて始まりました。2度の世界大戦の経験から、地球規模の視野をもって和解と平和を求める祈りによる世界的な運動に発展しました。/毎年3月第1金曜日を中心に、テーマにそって祈りあい、世界的なネットワークをもつ女性たちと祈りと行動を続けています。世界祈祷日の献金は、世界祈祷日国際委員会(WDP)を通して式文作成国や国内外の女性たちの働きのためにささげられます」と記されています。コロナ感染以前には、他の教会の方にも呼び掛けて、船越教会で世界祈祷日の集会を開いたことが何回かありますので、来年からはパンフレット取り寄せも早めにして、世界祈祷日の集会を持てるようにしたいと話し合って、この日急遽行なわれた集いを終えて、散会しました。
  • 22日(月)は、総会が終わりましたので、教区・教団に出す年度報告を記載しました。年度報告書と共に教区に出す「2024年度 神奈川教区総会教職・信徒議員登録書」には教会印を捺印しなければなりませんので、24日(水)の午後2時ごろに船越教会に行き、教会印を捺印して、蒔田の教区事務所に行き、提出して来ました。この日は午後4時半から高座渋谷教会で基地小の委員会がありましたので、蒔田から地下鉄で湘南台に出て、高座渋谷教会に行き、基地小の委員会に出席しました。基地小では、主に6月に基地小で毎年行なっている、一年間で「神奈川の基地がどう動いたか」をスライドで説明してもらう委員会内学習会と、オリエンテーション委員会からの申し出を受けて、9月に厚木・座間を中心とした基地見学会について話し合い、実施することにしました。この日は新しい委員も一人加わって、5人で委員会を行ないました。午後6時少し前に委員会は終り、鶴巻には7時過ぎに帰りました。
  • 23日(火)は、国会前の座り込みを一緒にしている方からも薦められていた、三上智恵監督の「戦雲(いくさふむ)」が10時5分から厚木のkikiという映画館で上映されているのを知って、観に行きました。2016年ごろから南西諸島に自衛隊のミサイル基地が与那国、宮古、石垣と作られ、その島々に配備されたミサイル網を統括する本部拠点として、沖縄本島うるま市にある勝連分屯地の運用が2024年度から始まり、「うるま市だけでなく、沖縄本島の各地が急速な軍事化の波にさらされている」のです。この「戦雲(いくさふむ)」は、その島々に住む人びとの痛みがよく描かれていて、日本政府が米軍と一体化して琉球弧を軍事要塞化している現実を、鋭く問うています。私は特に、石垣島の山里節子さんが、祖先から受け継がれたという「戦雲がまた湧き出てくるよ」「ああ憎い権力者どもよ」という歌を歌っている姿が印象的でした。まだ観ていない方は、是非ご覧いただきたいと思います。そして自分の出来るところで、私たちはこの動きを何とか止めていかなければなりません。この映画を観て、改めてそのことを強く思わされました。
  • 25日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日は4人で座り込みました。この1か月間で、私たちが座り込んでいる参議院議員会館前の風景は一変しています。冬の間幹と枝だけで、殺風景だった街路樹の銀杏並木には緑一杯に若葉が茂って、自然の生命の横溢が感じられます。この日は、地下鉄の国会議事堂前駅から、何時ものように官邸の交差点の所に出ましたら、久しぶりにその交差点から官邸に向かって演説している右翼らしい高齢の男性が、マイクで訴えていました。その場所には、この日私が座り込みを終えて帰って来た時には、「大浦湾への土砂投入反対」「代執行反対」と大きな横断幕を2枚フェンスに張って、2人の方が立っていました。ここで座り込んでいる方々は、沖縄出身の方だと伺っています。ウクライナやガザで明らかなように、軍事力では人権を守り平和も造り出すことはできません。「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)。

ヨハネによる福音書による説教(57)「ろばの子に乗って」ヨハネ12:12-19

4月28(日)復活節第5主日礼拝   

 

注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。

この神はわたしたちの神、救いの御業の神。主、死から

解き放つ神」。     (詩編68:20-21)

③ 讃 美 歌   203(今日こそ主の日なり)

https://www.youtube.com/watch?v=25v_ZrWxbIM

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編106編1-5節(讃美歌交読文117頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書12章12-19節(新約192頁)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌    280(馬槽のなかに)

https://www.youtube.com/watch?v=SlooyKq21TE

⑨ 説  教  「ろばの子に乗って」        北村慈郎牧師 

  祈  祷

 

先程司会者に読んでいただいたヨハネ福音書の箇所は、イエスエルサレム入城の物語です。このイエスエルサレム入城の物語は、共観福音書にも記されていますが(マタイ21:1-11,マルコ11:1-11,ルカ19:28-44)、ヨハネ福音書では、特にラザロの復活の出来事との関りで描かれていて、そこに特徴があるように思われます。そのことを踏まえて、今日は、ヨハネ福音書のイエスエルサレム入城の物語から、語りかけを聞きたいと思います。

 

先ずヨハネが描くイエスエルサレム入城の出来事を、順を追って見ていきたいと思います。

 

12節に「その翌日」とありますが、イエスは、ベタニヤでマリアがイエスの足に高価で純粋な香油を塗り、自分の髪の毛で拭ったという油注ぎの出来事があった翌日(すなわち過越の祭の五日前)エルサレムに入ります。祭りのために来ていた群衆は、しゅろの枝を手にして彼を迎え、「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」と叫びます(13節、口語訳)。(「しゅろの枝」は、新共同訳では「なつめやしの枝」となっていますが、田川さんはこの訳は疑問としています。田川さん自身は「椰子の葉」と訳しています。口語訳は文語訳の「棕櫚の枝」を継承して「しゅろの枝」と訳しています。棕櫚は椰子科の植物で、椰子科の植物で普通日本で見られるのは棕櫚だけなので、こう訳したのであろうと、田川さんは言って、「しゅろの枝」という訳もあり得るだろうと述べています。ですから、受難週の始まる日曜日を「棕櫚の主日」と呼んでいるのも、このヨハネの箇所からとされていますので、ここでは「しゅろの枝」とさせてもらいます)。

 

この「ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に」という叫び声は、詩編118編25,26からの引用になっています。群衆が「しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った」と言われている「迎える」は王侯貴族の出迎えを表わす用語で、「ホサナ」とは、「どうぞお助け下さい」という意味です。このホサナ(どうぞお助け下さい)は、群衆がイエスのために叫んだもので、そうすることによって群衆は、イエスのために神の特別な守護を願ったのです。ですから、群衆は、エルサレムに入城して来るイエスを、旧約聖書が預言する救い主(メシヤ)として迎えたのです。ヨハネは、このイエスを歓呼して迎えた群衆を、ラザロが死人の中からよみがえらされた奇跡の現場に居合わせた群衆と重ね合わせて描いています(17-18節)。

 

群衆がイエスに何を期待していたのかがここに示されています。群衆は、ローマに対抗してユダヤダビデ王の時代の繁栄を回復するメシヤをイエスに期待していたのです。いわば力のメシヤ、政治的な「王」(メシヤ)への期待でありました。しかし、この群衆によって「王」と呼ばれているイエスは、どのような王なのでしょうか。14節によれば、彼は「ろばの子という優しい動物に乗って入城するのがふさわしい王――平和の君であることを示されます。そして福音書記者は、15節で、イエスがそのような姿で入場されたのは、ゼカリヤ9章9節の「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる」という言葉の成就であったと、説明を加えています。そして、16節では、<弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した>ということを記しています。すなわち弟子たちは、イエスの十字架の後に初めて、聖霊の助けによって、この出来事の意味を知ったというのです。

 

17,18,19節も、福音書記者の説明ですが、彼はそこでもう一度、あのラザロの復活の出来事以来のことを振り返ります。そして、エルサレムの人びとがしゅろの枝を手にしてイエスを迎えたのは、ラザロの復活を経験した群衆のあかしに起因することであったと、言います。すなわち、イエスは、死の力に対する勝利者として、エルサレムに入城してこられたのです。そこでパリサイ人たちは、絶望的な気持になって、「何をしてもむだだった。世をあげて彼のあとを追って行ったではないか」などと呟きます。

 

これが、ヨハネ福音書におけるイエスエルサレム入城の記述であります。ここにおいては、イエスイスラエルの王であることが強調されています。ヨハネはイエスイスラエルの王であるとの主張のゆえに処刑されたことを知っていたのだと思います。しかしこの処刑はローマの総督の判断の誤りによるものでありました。この点は受難物語においてこれから明らかにされていきますが(18:33-40,19:1-6,12-16,19)、すでにここにおいても、イエスがいかなる意味における王であるかが示されています。

 

ヨハネ福音書では、6章の五千人の供食の出来事において、群衆がイエスをこの世の王にしようとしたとき、彼は「ただひとり、山に退かれた」(6:15)と記されています。しかしこの12章では、イエスは群衆の歓呼をあびても退くことなく、彼はメシヤ的王としてエルサレムに入城します。「人の子が栄光を受ける時が来た」(12:23)からです。ただ彼は、群衆の熱狂的期待に水をさすかのように、ろばの子を見つけそれに乗って、エルサレムに入城していきます。敵を撃退する軍馬ではなく、貧しい人々の柔和な家畜であるろばの子に乗ってです。他者を犠牲にするためにではなく、自分自身を十字架の死をとおして犠牲にするために、イエスエルサレムに入城していくのです。まさしくその自己犠牲において、彼は栄光を受けるのです。

 

(以下はほぼ川島貞雄さんによっています)。

 

川島貞雄さんは、「他者に徹底的に仕えて十字架にいたるイエスの生は、彼が今乗っているろばの姿と重なり合う」と言って、以下のフランスの宗教詩人ジャム(1868-1938年)の詩を紹介しています。

 

柊(ひいらぎ)の生垣沿いに歩いて行く

やさしい驢馬がわたしは好きだ

 

驢馬は貧しい人を乗せたり、

燕麦(えんばく)のいっぱいつまった袋を運んだりする。

 

やさしい心の乙女よ、

お前にも驢馬ほどのやさしさはない。

 

理由は、心のきれいな驢馬は

何時も神さまの前にゐるからだ。

 

それなのに驢馬は哀れにくたびれて

家畜小屋の中にいる。

 

哀れな四本の足を

すっかり使い果たしたので。

 

     (『世界詩人全集』第五巻、河出書房)

 

エスも低く貧しい者として、十字架の死にいたるまで低く貧しい人々に仕えとおしました。このような者として彼は王であると、ヨハネは言っているのです。イエスは弟子たちの足を洗う僕として王でありまあす(13:1-20)。イエスはゼロータイ(熱心党)のような政治的革命家と見做そうとするすべての試みはここで挫折しています。確かにイエスは、ゼロータイと同様に、体制順応主義者ではありませんでした。イエスユダヤ社会の根幹としてある律法に対して自由な態度を取り(例えばマルコ2:27)、カイザルを頂点とするローマ帝国支配の絶対化を批判しています(マルコ12:17)。しかし、暴力による秩序の破壊や革命的戦闘への呼びかけは、イエスに無縁です。イエスは権力への志向そのものを放棄します(マルコ10:42-45)。イエスは憎悪と暴力、合法性と報復の悪循環を愛と自己放棄の実践によって断ち切ることを要求します。しかしイエスの要求は政治的権力者をもゼロータイをも憤慨させたにちがいありません。保守主義者も革命家も権力志向の放棄に同意することはないからです。上を目指す世界はイエスを受け入れることができず、彼を抹殺しようとするのです。イエスの道は下に向かう愛と奉仕の道、自己放棄の道であり、そのきわみである十字架の死において、彼は栄光を受けるのです。群衆の歓呼の中でろばの子を見つけ、その上に乗ってエルサレムに入城するイエスの振る舞いは、十字架に向かう愛と奉仕の道を象徴するものなのです。

 

愛と奉仕のイエスの道はキリスト者だけでなく、非キリスト者もつねに惹きつけて来ました。マハトマ・ガンジーキリスト者ではありませんが、敵への愛を教えるイエスの言葉は、彼の生涯に大きな影響を与えました。キリスト者であると否とにかかわらず、理性と人間性を持つ者は、イエスの歩んだ愛と奉仕の道のみが抑圧と憎悪、暴力と報復という暴力の悪循環を断ち切る賢明な道であることを認めるでしょう。その道は決して愚かでも夢想的でもないことを認めるだろに違いありません。力の論理はこの世界の問題に真の解決をもたらしません。残念ながら今は、日本の政治家はもちろん、他の国の政治家の中にも、ガンジーのような人は見当たりません。力の論理が世界を覆っていて、戦争がウクライナやガザで起きていて、その他の地域でも起こり兼ねないほどに、世界は大変危機的な状況です。

 

キリスト者はイエス道のたんなる賛同者、同意者ではなく、徹頭徹尾イエスにのみ従う者であります。だがわれわれは受難を十字架によって特色づけられる「卑賎の道」をイエスに従って歩もうとしているでしょうか。「あなたがたも去ろうとするのか」(6:67)という十二弟子に対するイエスの問いに、われわれは無関係と言えるでしょうか。教会の道と課題を考えるとき、神がイエスの十字架の深淵においてその創造物を新しくされ、ご自身の栄光をあたわされたことを忘れてはならないと思います。権力志向者ではなく、自らを下にむけて方向づけることこそ、イエス・キリストの教会の基本線ではないでしょうか。絵画的に表現するならば、われわれはろばではなく、軍馬に乗ろうとしてはいないでしょうか。イエスの道はこの世界ではしばしば批判、嘲笑、妨害、死の危険に直面します。しかし、そのときにも、キリスト者はイエスから離れないで、単にイエスの後を追うのではなく、彼に従う者なのではないでしょうか。

 

エスの道は愚かでも夢想的でもありません。勇気を要求するだけです。この勇気の源泉は死の克服者としてのイエスへの信仰にほかなりません。イエスはいまや死の克服者としてエルサレムに入城するのです。彼の道は十字架の死にいたる「卑賎の道」ですが、同時に、死からの復活、天への高挙、栄光の道であります。ラザロの復活によって予め指し示された死に対する究極的勝利は、イエスの十字架、復活、高挙をとおして表現されているのです。弟子たちはそのとき、ろばに乗るイエスの道がゼカリヤの預言した神の道、新しい生命の道であることを――聖霊の助けによって――知ることができるのです。いまやイエスの弟子は苦難と死にいたるイエスの道を、新しい生命への道として歩む勇気を与えられます。ボンフェッファーが処刑に直面して言い残した言葉には、この信仰の勇気が簡潔に、しかも明確に言い表されています。「これは最後です。しかし、私にとっては、生命のはじまりです」。

 

ろばの子に乗ってエルサレムに入城したイエスに倣って、戦うための軍馬ではなく、平和をもたらすろばの子に乗って、イエスと共に生きていきたいと願います。

 

主がそのように私たち一人ひとりを導いてくださいますように!

 

  •   

祈ります。

 

  • 神さま、今日も礼拝に連なることができましたことを、心から感謝いたします。
  • 神さま、ろばの子に乗ってエルサレムに入城したイエスの十字架への道行きにこそ、現在のような力による他者の支配に代わる、私たちが互いに仕え合って生きる神による新しい世界創造が示されていることを覚え、心から感謝いたします。どうか私たちが上に向かってではなく、下に向かって生きていくことができますように、私たち一人ひとりを導びいてください。
  • 今日本政府は、戦争を前提にした軍事力の強化に邁進しています。どうか軍事力によっては平和は生まれないことを為政者に気づかせてください。
  • 戦争や貧困という私たち人間が造り出す悪を取り除いてください。そのために苦しむ人々を支え、助けてください。また、災害や病気で苦しむ人々を支えて下さり、その一人一人に希望をお与えください。
  • 今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩ 讃 美 歌    309(あがないの主に)

https://www.youtube.com/watch?v=iGgXPT2w1kU

⑭ 献  金 

⑮ 頌  栄  28                                                       

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑯ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑰ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

船越通信(613)

この「船越通信(613)」には、前回の「船越通信(612)」掲載で、付言として載せた文章の一部が重複して出て来ますので、ご容赦ください。

 

船越通信、№613  2024年4月21日(日)北村慈郎

  • 13日(土)13:30から横浜線橋本駅下車3分のソレイユさがみセミナールーム1で、「神奈川の基地はどう動いたか 2023-24年春、4/13スライド上映会」が相模補給廠監視団主催でありました。私も参加を予定していましたが、説教準備とこの日は総会資料と教会だより「船越の丘から」第29号の印刷もあり、残念ながら欠席しました。参加された方の話では、神奈川全体の米軍基地の最近の動きがそれぞれの地域に関わる5人の発題者によってよく分かったということです。5人の発題者が関わっている地域の米軍基地は、横須賀基地郡、横浜ノースドック、厚木基地、キャンプ座間、相模補給廠です。神奈川県内には南は横須賀基地から北は相模補給廠まで、米軍基地は全部で12カ所ありますが、主な所は上記5カ所です。それぞれの場所で日常的に米軍基地の監視活動をされている方がいるのです。その方々の地道な作業によって基地の現状を知ることができます。その認識を基地撤去の運動に繋げていくことができればと思っています。この日は午後5時過ぎに船越教会に行き、上記印刷作業をして、14日の日曜日に備えました。
  • 14日(日)は礼拝後何もありませんでしたので、比較的早めに散会しました。私は後片付けをしてしばらく休み、午後1時すぎのバスで追浜に出て、鶴巻に午後3時半ごろ帰りました。この日は娘が近隣の農家の野菜でサラダを3種類作っていてくれて、デリバリーでピザを取って夕食にしました。その後娘が横浜へ帰ってから、日帰り温泉弘法の里湯に行き、疲れを癒して、この日は早めに床に着き、ゆっくり休みました。
  • 15日(月)には、21日(日)に礼拝後行う2024年度教会総会の資料と教会だより「船越の丘から」第29号を、14日(日)礼拝に来られなかった教会員の方々(12名)に郵送しました。16日には午後7時から支援会のZoomによる世話人・事務局会を予定していましたが、この日はどういうわけかホストの事務局長のKからメールでおくられてきたURLを開いたら、今まではすぐにZoomの画面に入れたのですが、今回はサインを求められ、私の技術ではなかなか入れませんでした。何回かKさんと電話でやりとりをして、やっと参加できました。このZoom会議は午後7時開始の予定でしたが、私が入れたのが午後7時半近くになってしまいました。7名は入れましたが、後の3名の方はどうしても入れず、この日の会議は通信33号原稿確認と締め切り日及び発行予定時期の確認を中心に話し合い、早めに終えました。インターネットは便利ですが、対応できませんと、何の役にも立ちません。私のようなものでもパソコンが使えなくなると、大変困ります。パソコンについてはトラブルが起こると、自分では対応できませんので、娘に頼って何とかやれているのが現状です。はなはだ心もとない状態ですが、已もう得ません。
  • 18日(木)は、午後遅くに雨という天気予報でしたが、国会前の座り込みに行きました。この日は常連の三人ともう一人の四人が午後1時から午後4時少し前までの最初から最後まで座り込みましたが、途中他の集会に行かれた二人の方と午後3時以降参加された3人の方とで、合計9人の方が座り込みました。また、この日は私たちの座り込みの取材をされる方があり、この座り込みに最初(20年前)から参加しているY子さんが対応してくださいました。話し合いを終えて、取材をされた方が写真を撮らせて下さいと言うので、その時いた6人で横断幕の前に座り、写真を撮ってもらいました。この日はまた、宗教者平和ネットの集会に参加する私の友人が、2月と3月は宗教者平和ネットの集会が水曜日開催だったので、久しぶりと言って往きと帰りに声をかけてくれました。彼は「岸田首相は何を考えているのか。どんどん日本はおかしくなっていくね!」と言っていました。本当にそうです。辺野古では代執行によって大浦湾の埋立てが進められています。東京新聞の記事によれば、遺骨が埋まっている沖縄の南部の戦績跡の土砂は反対が強いので、奄美の土砂を大浦湾の埋立てに使おうとしていると書いてありました。何が何でも国は辺野古新基地建設を進めようとしていますが、例え辺野古新基地が完成したとしても、米軍は普天間の返還には、辺野古新基地につくられる滑走路では十分訓練ができないので応じないだろうと言われています。結果的に普天間辺野古新基地も米軍が使うようになるかも知れません。それでも国は辺野古新基地建設によって経済が潤ったのだから、それでよしとすると言うのでしょうか。もしそうだとするならば、経済成長のためには戦争も已もう得ないということになってしまいます。沢山儲けようとする人には、自分が戦争の犠牲にならない限り、戦争は好都合です。陰でそういう人々が戦争を目論んでいるのかも知れません。既に帰天されている沖縄のバプテスト教会牧師の饒平名長秀さんは、教会についてこのように言っています。「教会というのは。私はある意味では神の国のひな型だと思うんですね、ある意味でですね。教会は神の国ではない、しかしやはり神の国を目指していて、これは多分いつ果てるともない働きかも知れませんけれど、目標としてはですねそういう共同体ですね。それが目指されていくとですね、神の国の形になっていくという、そういう小さな共同体が沢山出来る。沢山できて、その共同体のまさに共同体同士の連盟というんでしょうか、全体の組織ですね。そこには支配関係もないし搾取関係もないです。草の根的ですね、ドンドン広がっていくと。ですから勿論そこに経済も入っているわけで、相互扶助的に経済も入っているわけで、そこからやがて現在ある国家というものを無化していく、弱くしていく、国家体制というものは、ある意味で支配の組織ですから、こういうものは暴力組織ですからこれを無化していくと。それから経済の資本主義を無化していくというね、資本主義を無化していくという、そういうふうに組織がドンドンその小さな群れが皆一つになっていく、小から中、中から大というふうなのが、あるいはあるかも知れませんけれど少なくともそこには権力は存在しない、支配、被支配、搾取、被搾取の関係はないと、差別、被差別もない、そういう世界です。だから最終的には国家もなくなるし資本主義もなくなる。それが私の教会だと思っています」(『旧沖縄キリスト教団第二世代牧師懇談会会議録』173-174頁)。そういう饒平名さんの言う教会のような下からの小さな共同体の連合によって搾取と戦争ではなく分ち合いと平和が実現するのでしょう。この日は座り込みの後、なか伝での寿地区活動委員会に出席しました。

ヨハネによる福音書による説教(56)「イエス香油を注がれる」ヨハネ12:1-11

4月21(日)復活節第4主日礼拝   

 

注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。

この神はわたしたちの神、救いの御業の神。主、死から

解き放つ神」。     (詩編68:20-21)

③ 讃 美 歌   224(われらの神 くすしき主よ)

https://www.youtube.com/watch?v=2DRg5OEE410

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編118編1-12節(讃美歌交読文129頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書12章1-11節(新約191頁)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌    403(聞けよ、愛と真理の)

https://www.youtube.com/watch?v=q8NcSOBT7VU

⑨ 説  教  「イエス香油を注がれる」        北村慈郎牧師 

  祈  祷

 

今年は既に受難週もイースターも終わっていますが、今日のヨハネ福音書の箇所は、イエスが受難と十字架に至る転換点になる、ラザロ復活後にベタニアであった出来事が記されています。

 

ラザロの復活の出来事の後、ユダヤの政治的権力と宗教的権威を兼ね備えた大祭司らは、議会を招集して、イエス殺害を決議しました。<それで、イエスはもはや公然とユダヤ人の間を歩くことなく、そこ(ベタニア)を去り、荒れ野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された」(11:54)のです。しかし、過越祭が近づいたので、<過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれ」ました(12:1)。<そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがい>ました(同)。そこで、イエスのために夕食の用意がなされます(12:2)。このヨハネの記事には、誰の家でイエスのために夕食が用意されたのかについては記されていません。同じ記事がマルコ福音書(14:3-9)、マタイ福音書(26:6-13)にもありますが、両福音書では場所は「重い皮膚病の人シモンの家」ということになっています。この同じ記事は大分形を変えてはいますが、ルカ福音書にもあり(7:36-50)、ルカ福音書では「あるファリサイ派の人」の家ということになっています。ヨハネ福音書にはイエスが食事をされた家については、はっきりと記されていません。マルタ、マリア、ラザロの家ではなかったようで、彼らはその食事の席に連なっていたと思われます。

 

12章2節以下を読んでみます。<イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ(327.45グラム)持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった>(ヨハネ12:2-3)と記されているだけです。ここには、マルタ、マリア、ラザロという3人の姉妹と弟のそれぞれのイエスとの関りの在り様が現われているように思われます。

 

ヨハネ福音書では「マルタは給仕をしていた」(ヨハネ12:2)とだけ記されています。しかし、ルカ福音書では、マルタは、イエスの足もとに座って、イエスの話に聞き入っているマリアに対して、イエスに「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」(ルカ10:40)と言っています。それに対してイエスは、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んで。それを取り上げてはならない」(ルカ10:41,42)と言って、マルタの振る舞いより、マリアの振る舞いの方を評価しているのです。けれども、ヨハネ福音書では、そのようなことは一切記されてはおらず、ただマルタとマリアとラザロがイエスとの食事の席でどう振る舞ったかが記されているだけです。

 

森野善右衛門さんは、このマルタ、マリア、ラザロの三者三様のイエスとの関わり方から、私たちイエスを信じる者の応答としてのイエスとの関りの在り様の違いを見ています。そしてイエスは誰の応答が優れていて、誰の応答が劣っているというような評価をすることなく、それぞれなりの応答(証言)をそのまま受け入れていると言うのです。そのことを森野さんの記述に即して考えてみたいと思います。

 

「マルタは給仕をしていた」と記されていますが、マルタは、活動的・行動的な女性として描かれています。マルタはこのヨハネ福音書では、ルカ福音書とは違ってつぶやかず、その行動によってイエスに仕えています。私たちの中にも、イエスへの信仰をその行動で表している人は多くいるのではないかと思います。信仰者の中には、とかく理論と観念が先に立って、実践が伴わないことがよくあります。私もどちらかというとそういう面が勝っていると思っています。けれども論じたり話し合ったりすること自体は、大切であり意味があるのですが、ただそのことに終始していてはならないと思うのです。マルタはここで、「給仕する」という具体的な行動・実践をなすことによって、イエスに対する感謝をあらわしていると思われます。私たちは、このようなマルタの行動的信仰から、多くのことを学ぶことができます。阪神・淡路大震災以来、私たち日本でもボランティア活動が広く受け入れられるようになりました。このボランティアの精神的伝統は、マルタの行動に由来しているのかも知れません。

 

ラザロはどうでしょうか。彼もいっしょの食卓に加わっていたのですが(ヨハネ12:2)ここでは一言も話していません。おそらくその食卓に連なっている人の中には、彼自身の口から、死んでよみがえらされたその喜びの経験を直接に聞いてみたいと思う人がいたと思われますが、しかし彼は黙して語りません。森野さんは、ラザロは沈黙していますが、しかしイエスと共なる食卓の席にいるというだけで、彼はすべてをかたっているのではないか、と言っています。ラザロもまたここで、彼なりの仕方で、イエスを囲む夕食の席に共に連なることによって、イエスによって救われ、生かされていることの喜び、感謝を語っているのでないかと、言うのです。そういうイエスへの応答の仕方もあるということです。何も語らす、何もしないけれども、そこにいる。共につらなることによって、ラザロは独特の仕方でイエスに応答しているのです。ラザロはきわだった才能の持主ではなく、平凡で目立たない人であったようですが、しかしそのラザロを、ヨハネ福音書では、イエスは特別に愛されたと言われています。このイエスの愛に対して、ラザロは、共にいることで十分に応えているのです。イエスと共にいること、共に生きることが最大のイエスへの応答なのだ、ということをラザロはここで証ししているのではないでしょうか。

 

ではマリアはどうだったでしょうか。ここでマリアがした応答は独特のものでした。彼女は高価で純粋なナルドの香油一リトラを持って来て、それをイエスの足に塗り、自分の髪の毛でそれをふいたのです。その香油は、300デナリ(労働者のほぼ一年分の賃金)にも相当する高価なものでした。このマリアのした行為の意味は何だったのでしょうか。またその場に居合わせた人たちはどういう反応を呼び起こしたのでしょうか。前にも述べましたマタイ、マルコの箇所では、イエスに香油を注いだのは、「ひとりの女が」となっており、ルカの話では「罪の女」(7:37)となっていて、ヨハネの記事とは符号しません。同じ話が初代教会ではちがった風に伝えられていたと思われます。とにかく、このマリアは、当時の労働者一年分の収入に匹敵するほどの高価な香油を、ヨハネ福音書では惜しげなく、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐったと言うのです。この奇想天外な行為は、人びとの非難と憤りを呼び起こしました。マルコでは「ある人々が」、マタイでは「弟子たちが」、そしてヨハネでは特に「ユダが」と名前入りの記述になっているのが注目されます。「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに施さなかったのか」(5節)、それは無駄な浪費ではないか、とユダはその非難をマリアに向けます。

 

このユダの非難は、それとして一応もっとものようにも思われます。しかし問題は、ヨハネ福音書の記者が注記しているように、ユダが本当に貧しい人たちのことを思いやっているので、マリアがイエスの足に塗った高価な香油を売って、貧しい人々に施すべきだと言っているのではないというところにあります。ユダの言葉とその心とは、かけ離れていたのです。そこにユダの自己矛盾があり、ユダの打算がありました。金銭に換算することがいけないというのではありません。問題は、その計算高い言葉の奥にある心です。ユダは「自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった」(6節)と言われています。彼は、自分の不正をごまかすために、その責任をマリアに転嫁しようとして言っているのです。一見巧みな、筋道の立ったユダの言い分の奥には、打算と責任の転嫁があることが見透かされます。

 

さらに考えさせられることは、この世には金銭に換算することのできない価値があるということです。人間の流す涙の価値、生命の価値、死から生へとよみがえらされたラザロの生命は、金銭に換算することのできないものです。マリアはここで、自分の心の中にあるイエスに対する感謝と愛を表現するために、あえて高価なナルドの香油を、惜しみなくイエスの足にぬったのです。浪費とは何か、節約とは何か。貯えること自体は、決して私たちの人生の目的ではありません。それは真に意味あることのために用いられてこそ、貯えもまた生きてくるのです。今、ここで、真に必要なことのためには、惜しみなく高価なものを捧げて悔いないところに、マリアのイエスを愛する応答の大切さがあります。愛という名の打算がこの世にはいかに多いことでしょうか。森野さんは、私たちの生きている現実の世界は、ギブ・アンド・テイク(与えて、取る)の世界だからという割り切り方に、私たちは慣らされているので、金銭を超えた価値に対して、いつのまにか鈍感になってしまっていることが多いのではないでしょうか、と言っています。

 

<イエスは言われた。「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」>(7-8節)。このイエスの言葉は、マリヤに対する最大級の賛辞です。彼女は、イエスに対する感謝と愛を表現したたけではなく、やがて来るべきイエスの死と葬りのための備えをしたのだ、というのです。それは、イエスの死体の塗油の先取り――受難の前兆という深い意味と計画の中において見られるとき、彼女のした行為はまさに、十字架への道に赴こうとするイエスに対するタイムリーな備えの行為であったといえるのです。

 

香油のかおりが家いっぱいになりました。イエスが受けとめたマリアの真心からなる、彼女の大切にしていた香油注ぎによる、イエスに対して彼女の応答が、しかしユダの目から見ると、愚かしい浪費と狂気に見えたということです。ここでは同じマリアの行為が、イエスとユダとでは、全く正反対に評価されていて、この裂け目の大きさは、もはやふさぐことができないほどのものです。このイエスの世界とユダの世界との決定的なへだたりが、ユダの裏切りを生み出すことになるのです。ユダの方が、いかにも合理的であり、さらに人間的であるかのように思われます。しかしそこに私たちは、神の意志に反する悪魔的な誘惑がしのびこんでいるのを見分けるだけの、賢く鋭い目を持たなければならないのであります。

 

シュラッターはこのように言っています。「ユダには、イエスの貧しさと僕の姿は、愚かなものとして捨て去られます。ユダはイエスに仕えず、逆にキリスト(イエス)を自分に仕えさせようとします。したがって、イエスの十字架の道は完全にユダには通じませんでした。かくしてユダはイエスに背きます。イエスの十字架への歩みに際して、ユダは目標を失ったからであります」と。

 

今もイエスの世界とユダの世界のどちらを、あなたは歩むのかという問いかけが、私たちに向けられています。マルタとマリアとラザロの三人の姉妹と弟は、イエスによるラザロの死からの甦りという過分な恵みを受けて、イエスの世界にそれぞれなりの仕方で共に在ろうとしているのではないでしょうか。マルタは給仕をすることによって、またラザロはイエスを囲む食卓に黙って共に与ることによって、そして、マリアは自分の持てる大切な香油をイエスの足に塗り、自分の髪でぬぐうという行為によって。私たちもこの3人の姉妹と弟のように、自分なりの応答をもって、一人一人の命の尊厳を大切にし、それに仕えて、十字架に極まり、復活して今も私たちと共にいたもうイエスの世界に留まり続けたいと願います。

 

主がそのように私たち一人一人を導いて下さいますように!

 

祈ります。

 

  • 神さま、今日も礼拝に連なることができましたことを、心から感謝いたします。
  • 神さま、イエスの生涯と十字架と復活の出来事によって既にもたらされている、私たち人間が本来生きるべき、何よりも命を大切にするイエスの世界に、私たちも共に与ることができますように、私たち一人一人を導いてください。
  • けれども現実のこの世界は、私たち人間の高慢によって、小さくされた人の命が傷つけられ、場合によっては奪われています。そのことによって、イエスの世界は見えないものにさせられています。神さまどうか、私たちが見える人間の高慢と罪による世界ではなく、見えないイエスの世界に生きていくことが出来るように導いてください。
  • 戦争や貧困という私たち人間が造り出す悪を取り除いてください。けれども今その私たち人間によって引き起こされている戦争や貧困で苦しむ人々を支え、助けてください。また、災害や病気で苦しむ人々を支えて下さり、その一人一人に希望をお与えください。
  • 今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩ 讃 美 歌    567(ナルドの香油)

https://www.youtube.com/watch?v=R4y-seGpNeE

⑭ 献  金 

⑮ 頌  栄  28                                                        

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑯ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑰ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

船越通信(612)

船越通信、№612  2024年4月14日(日)北村慈郎

  • 4月6日(土)は私の支援会のコンサートと総会が紅葉坂教会でありました。このコンサートに私が神学校を出てから最初に赴任した東京足立区にある教会で出会った当時青年であった方が来るというので、その人の友人である紅葉坂教会の方と3人で、11時半に桜木町駅で待ち合わせをして、昼食を共にすることになっていました。そこで、11時15分に紅葉坂教会で支援会事務局長のKさんと待ち合わせをして、この日参加者に配るいろいろな書類を渡して、荷物を紅葉坂教会に置かせてもらい、私は桜木町駅の待ち合わせ場所に行きました。3人で落ち合い、紅葉坂教会の下にある洋食屋でお昼を共にし、午後1時過ぎまで話し合いました。足立区の教会で出会った方とは、私がその教会を辞したのが1974年3月末ですから、50年ぶりの再会になりますが、会って話していると昔と変わりません。この方は姉妹で教会に来ていて、彼女は姉になりますが、妹さんの消息もお聞きして、今も仲良くしている様子が伝わってきました。実は9月に私はこの足立区の教会の70周年記念礼拝の説教に呼ばれていますので、そのことを彼女に伝えました。彼女姉妹は私がその教会の牧師をしていた5年の間に転会して別の教会に属するようになっていたと思いますが、今は二人一緒の教会に属しているようです。彼女は私が9月にその教会に行く時には、礼拝に来るかもしれません。午後1時過ぎに、私は先に失礼して、支援会のコンサートと総会の準備に紅葉坂教会に戻りました。午後1時15分ごろでしたが、既に準備はほとんど終わっていて、礼拝堂にはもう10名近くの方々がいらしていました。私は2階に行って、この日の演奏者4名に挨拶をして、私の支援のために演奏して下さることに感謝の思いを伝えました。その後、礼拝堂の最後列の椅子に座って、コンサートの開始を待ちました。コンサート開始の午後2時が近づくに従って、来た人を案内者が空いている席に導かないと、見た目にはどこにも空席がないように思える程に礼拝堂は沢山の人で埋まりました。最後は隣りの小集会室から椅子を持って来て、礼拝堂の空いている所に椅子を入れて座ってもらうほどでした。後で受付をして下さった方から受付票をいただき、この日は119名の出席があったことを知りました。北海道からも兵庫からも来て下さいました。紅葉坂教会の信徒4人の方による演奏を楽しんだ後、第11回支援会総会が行なわれました。支援会総会には60名ほどの出席者でしたが、2023年度の報告と2024年度の計画が会計報告共々全て承認されました。その後散会しましたが、この準備に当たって下さった支援会の世話人・事務局の方々、そして4人の演奏者には心から感謝しています。
  • 教団による私の戒規免職処分を不当と思って下さる方が、私が免職処分を受けてから14年経った今もこれだけ多くおられることに、私自身は大変勇気づけられました。このことは、ただ私個人の免職撤回ということだけでなく、日本基督教団という教会が聖餐という神学的な問題で一人の教師を免職処分にすることに疑問を持ち、日本基督教団が中世のような時代錯誤に陥ることなく、開かれた合同教会になって欲しいという方が多くいらっしゃるということの証左ではないかと思われます。どんな組織でも一度決定したことを誤りと認めることが難しいものですが、日本基督教団はそろそろこの誤りを認めると共に、教団総会における常議員選挙の全数連記を止めて少数意見の人も常議員になれる半数連記のような少数連記にして、いろいろな立場・意見の人が常議員になって、機構改定をはじめ教団の宣教について真剣に議論し、これからの教団の在り方を模索しなければなりません。神奈川教区でもここ数年で三つの教会・伝道所が解散しました。おそらく今後牧師の経済的補償を担保にした教会形成は難しくなると思われます。現在から将来にわたる日本社会の経済状況からすると、富裕層の信徒を集めた教会以外に牧師を雇うことの出来る教会は少なくなると思われます。また富裕層の信徒の多い教会はどうしても保守的になります。イエス・キリストの福音が持つ変革という要素を保守的な教会に求めるのは至難です。保守的な教会はどうしても社会との緊張関係を避ける傾向にあるからです。こういう問題を踏まえて、日本基督教団は今後の宣教の戦略を抜本的に考え直さなければ、未来は見えません。私は教会の未来は沢山の小集団の連合体にならざるを得ないと思っています。牧師も教会からの謝儀をもらえるとしても一部で、自分で生活の糧を得るようにならざるを得ないでしょう。しかし、そのことは教会にとってマイナスではなく、プラスに働く可能性があると思っています。教会が小集団として国家や社会にきちっと対峙する。日本基督教団のような全体教会はそのような小集団の連合という考え方は、もう帰天されていると思いますが、沖縄のバプテスト教会の饒平名長秀牧師が、沖縄の教団の第二世代の牧師の方々が話し合ってまとめた冊子の中で述べておられたと思います。私の戒規免職処分を撤回せず、一部の立場の人たちが他の立場の人や考え方を排除して、自分たちの立場を絶対化しようとしている現在の日本基督教団には、残念ながら未来はありません。ですから、私の免職処分撤回と開かれた合同教会の形成は繋がっているわけです。今秋の教団総会でその道が開かれることを願っています。
  • 7日(日)は礼拝後役員会を開き、21日(日)に予定しています教会総会の準備を中心に行ないました。2023年度の教会活動総括、2024年度の基本方針と事業計画案、2023年度会計決算報告及び2024年度会計予算案などを審議承認しました。何時もの役員会は比較的早めに終えるのですが、この日は午後1時半過ぎに役員会を終えました。私も午後2時過ぎのバスで追浜に出て鶴巻に帰りました。
  • この週は、10日(水)午後6時から大和のシルウス会議室でありました「原子力空母の母港化に反対し基地のない神奈川をめざす県央共闘会議(略称「基地撤去をめざす県央共闘会議」)幹事会」に基地小を代表して出席しました。5月25日(土)に開催する総会と秋に大和駅前広場で開催する大和ピースフェスティバルについて話し合いました。11(木)は何時ものように国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。この日は私を含めて3人でした。参議院議員会館前の道路はイチョウも若葉が出始め、議員会館側に植えられた枝垂桜も花が咲いていました。

 

  • 付記

 上記の饒平名長秀牧師が沖縄の教団の第二世代牧師懇談会に招かれてお話しされた内容は以下の通りです。

「前回ですかね、皆さんの前回の記録だけを頂いたので、ずっとそれを繰り返し読んで、信仰告白共同体としての公同教会です。ということも言っているのに、読んでいて、その中でね、大城実さんが、ちょっと興味深いことを言っているんですね。これからどういうふうにしていけばいいのか?と、どういうふうに我々は進んでいけばいいのか?というふうなことを発言しているところがあったと思うんです。小さな共同体ですね、小さな交わり、小さなグループというふうなものをドンドン作っていく、そこから始めるのがこれから歩んでいく道じゃあないかなーというふうなことを、どこかでおっしゃっているんですね。大城さんはどういうふうな意味でおっしゃっていたのか、それ以上の深いことはおっしゃっていないんですけれども、その言葉にちょっと私は惹かれたんですね。教会というのは。私はある意味では神の国のひな型だと思うんですね、ある意味でですね。教会は神の国ではない、しかしやはり神の国を目指していて、これは多分いつ果てるともない働きかも知れませんけれど、目標としてはですねそういう共同体ですね。それが目指されていくとですね、神の国の形になっていくという、そういう小さな共同体が沢山出来る。沢山できて、その共同体のまさに共同体同士の連盟というんでしょうか、全体の組織ですね。そこには支配関係もないし搾取関係もないです。草の根的ですね、ドンドン広がっていくと。ですから勿論そこに経済も入っているわけで、相互扶助的に経済も入っているわけで、そこからやがて現在ある国家というものを無化していく、弱くしていく、国家体制というものは、ある意味で支配の組織ですから、こういうものは暴力組織ですからこれを無化していくと。それから経済の資本主義を無化していくというね、資本主義を無化していくという、そういうふうに組織がドンドンその小さな群れが皆一つになっていく、小から中、中から大というふうなのが、あるいはあるかも知れませんけれど少なくともそこには権力は存在しない、支配、被支配、搾取、被搾取の関係はないと、差別、被差別もない、そういう世界です。だから最終的には国家もなくなるし資本主義もなくなる。それが私の教会だと思っています」(『旧沖縄キリスト教団第二世代牧師懇談会会議録』173-174頁)。

 

 

 

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