「僕」の存在意義

この世には選択肢や情報が無数にありその中から目標を自分で設定し選択するのは本当に難しいです。

その目標選択の過程で続かないリスクの事を考えてしまうと葛藤や焦りが生じ、本当に正しい選択なのかと自問自答してしまうことが多々ありますよね?

こうした心のケアの問題など精神的な不安を打開するために、近代テクノロジーの賜物であるインターネットに助けを求める若者が多いのではないのでしょうか?

そこは富に満ちた様々な人間の知性や理性の宝庫です。

キーワード検索により、自分の取得したい情報がすぐに入手できるような夢のような空間です。

どんどん調べて答えを探してください。

 

ところであなたに質問しますが気付かぬうちに原因と結果をすり替える癖が付いていませんか?

例えば、目標に向かって勉強することのできない自分がいたとしましょう。

目標を達成するための必要不可欠な人間に備わってる先天的な能力っつうか、それを力を尽くすっつうか、それなかったら夢のまま終わってしまうだろうが!!.....。っていう

そう、皆さまお気づきの通りこれが「努力」の広義です。

誰もが人生に一回以上は努力という概念に悩まされたと思います。

努力の源泉は何なのか、努力は遺伝的な要素なのか。

そこで、「努力 2ちゃんねる 」でネットで検索をかけてみましょう。

もう諦めない!最高に動き出したくなるスレまとめ

努力は必ず報われるのは日本だけ?え?まじで

バカ「努力は必ず報われる」ねーよ wwwwww

      その他etcなど

 

こういうのって結局は努力のモチベーションの上げ方とか、経験論が自己啓発的だったりとか、結局は遺伝とか才能とから派生してるとか考え方が短絡的で、いざ自分が思っていることとは予想外の結末になるっていうのが多いんですよね。モチベーションの上げ方なんて見りゃわかるわゴミって言いたくなりますよね。

結局、努力の本質が何が何だか分からないまま、努力することを諦めてしまう負のスパイラルに陥ります。

まぁ、結論から言わせてもらうとこれは過去の俺そのものです。

ここで本題に入りましょう。

物事は常に生々流転の繰り返しです。

7年おきに体内のすべての細胞は一掃され生まれ変わります。

分子レベルで考えると1年おきに変化していってるわけです。

ってことは、ぼくたちって一人ひとり違う体質を持っていて色々な細胞の数や質や量の組み合わせにより僕という存在が成り立っていることが分かります。

つまり、人間は一人ひとり個別的な体質を持っており、この世界の主体だということです。

んん??話が飛んだね?ってなってきますよね。

んん?自分はこの世界の主体??おかしくね??

1+1=2 うんこはお尻から出る。 これらを否定できんのか?

僕たちは絶対的権威のある法律(法律には根拠がない)に常に拘束されていて、だいたいの善悪の基準は分類されいて、うんこはお尻からでるっていうのは、誰が見ても明白な事だから否定できませんよね?(普遍的真理)

 あなたの考えなんて無に等しいですよね?っていう疑問点が生じてくるわけですよ。

だから、一般的に広く認知されている解釈つまり一般論を信用するんですよ。

人間って物事の表面上しか見えていなくて、常に善悪の判断基準の大枠は誰かと共有していて自明のことが多いんですよね。

その真理を予備校や塾はつけ込んだわけです。

つまり、こういうことです。

東大受かりたい!(目標)

いざ、自分で計画立てて勉強しようとなるとすぐさぼる(実行)

努力できない理由を探ってみよう!(原因)

調べても有益な情報が出てこなかったので、努力することを諦め、周りの人間共が群れになって通う予備校に皆足を運んでいくわけですよ(結果)

そしていざ入ってみると、宣伝のチラシには東大合格率8割強なんて書いてあるのに、それ信じして志望校に堕ちたっていうケースが高いんです。

つまり、伝統や啓示みたいなのを用いて都合のよい結果をでっち上げておき、原因を後回しにてみんな洗脳されているんですよね。

都合のよい結果とは普遍的真理です。

考えることをやめたとき人は群れがある方向に向かうと批判も疑いもせず小魚の大群が海の中で一瞬のうちに群れとして身を翻すように、同じ方向に殺到します。

これが、原因と結果をすりかえるということです。

つまり、何がいいたいかとうと、例えば、容易に自分の実力を偏差値とかIQとかで測定して鵜呑みにするなと言うことです。

例えば僕の志望校が京大だったとしますね?

これを周りに公言したら皆笑います。

「お前の実力で行けるわけねーだろwwwwwネタでしトァァァァァwwww」

これの判断基準って偏差値ですよね?だいたいみんなは総合偏差値っていうのを当てにして個々に分類しないんですよ。

例えば、数学偏差値30でも英語の偏差値60じゃ、総合偏差値は30でつくでしょう?

ですが、京大の何学部か忘れたけど英語だけできたら受かるみたいな学部があるんですよ。

そこはみんな知らないんです。

なぜか、結果だけを先に置きそれを鵜呑みにして原因(なぜできないのか)は何なのか探ろうとしないんですね。

ここが盲点だったわけですよ。

つまり、予備校は神とか塾は神とか独学はゴミで、勉強できなかったら即予備高行けとか言っちゃってる社会の奴隷は、普遍的真理を利用し個別の世界を攻撃し個性を潰していってるんですわ。<みんな違う色を持った別々の人間なのにね?

結論

努力できない理由は結論に先走ってしまい普遍的真理に気付かぬうちに洗脳されてるからかもしれませんね。

努力の持続性は確かに運です。サスケもイタチを殺す復讐のさいに、何度も途中で命を落としかねましたよね?

 

けど、努力しようとする行為自体は案外才能じゃなくて、疑う能力に懸かっていて、それが努力を実行する行為に直結し、良くも悪くも次のステップに繋がり、成長していくんだと思います。

 

 

 

 

 

 

言葉足らずな所は質問シテください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰還

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 僕がブログを再開した理由はまぁ色々ありますが、

一番大きな理由はテストが終わり、これからくっそ長い冬休み突入して、時間が余る機会が増えるということですかね。

ようは、単なる暇つぶしです。

毎回楽しみにしてくれていた読者の皆様には、いきなり失踪して多大なご迷惑と心配をかけてしまいました。

ほんとごめんなさいの一言です。

また過去の記事を読み返したのですが、良くこんな痛い文面を平気で書いたなと今過去の自分をみて痛感しているところです。

見てくださった方、スタンプ?をくれた方ありがとうございます!

※アクセス数1000超えてました

これからも、目を当ててられないほどの稚拙な文章を披露すると思いますが、僕の格言が、皆さまの心の片隅にそっと置いといてくれたらなとその限りです!