フェラーリのブログ

フェラーリに関わった顛末

「ありがとうございました」

商用車を運転するのはたのしい。これまでも仕事にかこつけて小型トラックや4ナンバー1BOXを運転する機会を作ってきました。身を乗り出し前後を確認し、大げさに身体をねじり左右を振り向く。ステアリングはグイグイ回して、段差が大きいとみれば身構える、そんな運転が実に楽しい。

シートを倒して踏ん反り返り片手運転しているよりもよほど面白い。以前からそうした思いがあり今度、選んだクルマは車体が大きくて背の高い、サスペンションのストロークのあるクルマを選びました。

このクルマを加えてまたしばらくクルマを楽しみたいと思います。

かつてはクルマに乗らなければ仕事にならなくて、何十万キロという距離走ってきました。いまは通勤ばかりで年に2万キロくらいしか走らなくなりました。これからもかつてほどではないものの走っていくことになるでしょう。で、十年後か十五年後か、自動運転のクルマを利用すると思います。

クルマへの興味や執着がすこし落ちてきたように思えます。

いつまでもクルマにこだわり、あれがイイ、これはオカシイとクルマ談義に花を咲かせられたら良い、それが希望であったのに、こういう考えに変わってきた自分が残念です。

クルマへの興味や執着の衰えがブログを終わらせる理由の一つでもあります。4年前、ブログを書き始めた頃には思いも寄らなかったことで時の経過と共に変化する人間の心持ちに驚いています。

 

数ヶ月前、肉親が死にました。死期が迫った数時間付き添いながら、その80年にわたる最後の時この人の脳裏にどんな記憶がよぎっているのだろうと、考えていました。

このブログでは私の子供の頃のクルマの記憶をずいぶん書いてきました。運転の経験を除くクルマの記憶ならばもう50年分あることになります。

子供のころから今にいたるまでわたしの人生の多くの部分にクルマが映し出されていました。わたしがいつ死ぬのかわかりませんが最後の時、自分の記憶のどれほどの分量にクルマが現れるのか少し興味があります。

 

最後になりますが、わたしのクルマ経験の多くがありふれた営業車でした。でもその営業車が「クルマを運転することの楽しさ、身体がクルマで動く面白さ」を教えてくれました。その後、好きなクルマを乗れるようになり色々なクルマに乗ったあげくフェラーリを選ぶことにしました。

フェラーリをきっかけとしてブログを書こうとしたとき、

「クルマの面白さはフェラーリだって営業車だってほとんど変わらない。『クルマが動く、身体がクルマによって動く感覚の面白さ』、それを定形化された自動車メディアの記述ではなく、また個人のクルマ趣味に偏重した記述にもならないように書く」、

をひそかな目標にして書き始めたました。4年間、まったく力不足でそれが上手く書けなかったことが情けないと思います。

 

これまでこのブログをお読みいただいた皆さま、ありがとうございました。

心よりお礼申し上げ終わりにいたします。

フェラーリのブログ主 拝