自分らしさ、全開で生きる。

自分らしく生きるって何だろう?

未来は「今」が主導権を握っている。

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人間は過去に引っ張られて生きてる。
例えばトラウマとか。
過去にこういうことがあったとか。昔あんなことがあって嫌な思いをしたとか。

影響の差は人それぞれやけど、過去を基準に生きている。
ってことは、未来の自分から見たら、まさしく「今という過去」に引っ張られて目の前の現実が創られていることになる。

 

例えば
2018年の自分は、過去の自分(2017年までの自分)によって今を創っている。

今の積み重ねがやがて過去になり、未来になっていく。

厳密には今の積み重ねしかないのだけど。


つまり、未来を変えたいと思ったなら、今を変える必要がある。

よく、未来を変えるために未来にアプローチをしてしまうけど、それでは何も変わらない。
未来は結果やけんね。
結果にアプローチしても、結果は変わらない。

未来を創っているのは、「今」だ。
裏を返せば、今が変われば未来は変わる。
未来は今が握っている。

未来は今から創れる。

 

そういった意味では、未来を創るこの瞬間において、過去は関係ない♪

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自分らしく生きる。

 

平野裕二 Yuji Hirano
hirano.yuji9@gmail.com

 

ダメ人間なら、ダメ人間のまま進め。

この世界は対称性が隠れている。

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うわあ俺ダメだなあ。そんな自分を否定して、ちゃんとした自分になろうとする。寝てばかりはダメ。遊んでばかりはダメ。空気が読めないのはダメ。協調性がないのはダメ。何かしてない自分ダメ。こんな感じで無意識に自分をダメだと決めつけ、傷つけてしまう。こんな人は周りの人間たちにも同じようにジャッジを下し、「正しいことばかりする正しい人間」として認識されるが、まるでロボットのようだ。ダメの領域を広げれば広げるほど、自分も他人も苦しめていく。自由が不自由に変わっていく。自由を取り戻すためには、ダメな自分を受け入れ、認め、許すことだ。ダメな自分で一日を過ごしてみる。最初はかなり抵抗があったり、そわそわしたりして違和感があるかもしれないが、実はダメな自分になることが、本当に手に入れたいものが手に入るきっかけになったりする。この世界は、光があれば影があるように、右があれば左があるように、対称性から成り立っている。対がある世界=相対世界とも言えるだろう。ダメな自分を受け入れることは、最高の自分を受け入れることにつながる。コインには表と裏があるが、表だけ手に取る事ができないように、何かを得ようと思ったらその裏を受け入れる必要がある。ダメを受け入れたら、何かがやってくる。

私を縛っているのは私だ。

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世間体、社会通念、人の目、評価、常識、私たちはあらゆるものに縛られている。これらはすべて自分の外の価値観である。自分の中に目を向けてみると、実は一番縛られているのは「自分自身によるもの」が多い。そう、自分の考えだ。世間体や常識とは言ったものの、それらは幻想でしかない。自分自身を縛っているものは、自分以外の何者でもないのだ。自分の考えから脱却すること。自分の考えから解放されること。これがいかに難しいことなのかは人それぞれだが、とてもシンプルなことである。

ダメ人間なら、ダメ人間のまま進め。

ダメ人間からわざわざ理想の自分になる必要なんてない。いずれボロが出る。そんなことより、ダメ人間ならダメ人間らしく、潔く散れ!ということだ。ダメ人間の「最高」を表現する。精一杯を出す。それを見た人たちが感動して、勇気を与えられ、たくさんの人たちが救われると思う。だから、ダメな自分を許そう。どんどん変わっていくから。寝坊ばかりする自分を許そう。どんどん時間守れるようになるから。お金がない自分を許そう。なぜかお金が入ってくるから。不安な自分を許そう。安心した自分になれるから。ダメでダメでどうしようもない、そんな自分のまま進もう。その先がダメでも、また許そう。ダメな自分も笑い飛ばせるようになるから。

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自分らしく生きる。

 

平野裕二 Yuji Hirano
hirano.yuji9@gmail.com

最高の自分で生きるのではなく、自分の最高を出して生きる。

自分ではない何者か。

「仮面」の画像検索結果

人は自分以外の何者かになろうと、必死に努力する。仕事が出来る自分、あの人に好かれる自分、成功している自分、理想の自分という具合に、どんどん仮面を被り、足りない部分を補おうとする。その結果、「理想の自分」は完成するかもしれないが、それは果たして本当の自分なのだろうか。何層もの仮面を被った「自分以外の何者か」ではないだろうか。人間はいろんな仮面を被りすぎた。自分が何者かわからなくなるまでに。もう自分以外の何者かになることは辞めてもいい。むしろこれからは今まで被ってきた仮面を取って、素顔の自分に戻ることが本来望んでいることのように思う。

理想という名の偽りの自分。

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成功哲学などでは、理想の自分を紙に書きだして、そんな自分のように振る舞うようにアドバイスされていることがよくある。確かにそれで人生上手くいく人もいるだろうし、それはそれでいいと思う。だけど、「今の自分」を否定して「理想の自分」で生きることは、「今の自分」からするととても苦しくて辛いことなのだと思う。何をそんな甘いことをなんて言われるかもしれないが、事実として成功哲学を学んでも変化しきれない人たちは星の数ほどいる。成功哲学の本や教材があれほど売れ続けているのも、皮肉なことだ。そんな今の自分を否定して、理想の自分になろうとしなくても、あなたはすでに素晴らしいのだから、そんなあなたのまま進めばいいのだと思っている。

最高の自分で生きるのではなく、自分の最高を出して生きる。

背伸びをした最高の自分ではなく、等身大の自分を最大限表現する。そんな生き方が魂が震え、見ている人たちに勇気を与えるのではないだろうか。そのままの、ありのままの飾らない姿から出される「最高」は美しいのだと思う。人はたぶん最高の自分になる為に生まれてきたわけではないのだと思う。人は自分を最高に表現するために生まれてきたのだと思う。今の自分に無いものではなく、今の自分に有るもので自分を表現していきたい。完璧になる必要なんてない。不完全の中に、美しさが隠れているのだから。

「生きる」の画像検索結果

自分らしく生きる。

 

平野裕二 Yuji Hirano
hirano.yuji9@gmail.com 

 

 

周りを気にして生きていくのか、自分を生きるのか。

映画の主人公はだれだ?

「映画」の画像検索結果

映画を観ながら、ふと思う。映画を創るのには、映画監督や脚本家、役者、ディレクター、他にもいろんな役割がある。人生を映画で例えた時に、主人公はだれか?そんなことを思う。映画の中では、役者が主人公なのだが、もっと広い視点に立って考えてみると(映画の外も取り入れると)、主人公は映画監督なのではないだろうか。人生=映画であるならば、映画そのものを創る存在。それこそが本当の主人公なのかもしれない。人間は、自分のことを、映画の中の男だ、女だ、学生だ、サラリーマンだ、社長だ、主婦だ、25歳だ、48歳だ、60歳だと無意識に決めつけ、それらが大前提として生きている。映画の外があることも、自分が何者かも知らないまま生きている。本当は自分で台本をつくって、言いたいことを言ってもいいし、役も自分で決めてもいいし、どんなストーリーを創りたいかも自分で決めていい。そんな大自由な存在が本来の人間のあるべき姿なのではないだろうか。

自分が決める自分の人生。

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赤ちゃんは、泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑う。大人はどうだろうか?常識、社会通念で考えると、そうはいかない。年齢を重ねるごとに、ルール、マナー、配慮、気遣い、空気を読むことが増え、いつしか自分の心が思っていることがわからなくなる。心が叫びたがっていることが何なのか、それがわからずにいつの間にか「他人の人生」を生きていることが多々ある。自分の映画に他人が主人公として出演し、すり替えられる。それを否定するつもりはないが、そんな映画は楽しいのだろうかと疑問に思うことがある。自分の映画は自分で創る。タイトルも、ストーリーも、配役も。自分の映画なんだから。自分で決める。

周りを気にして生きるのか、自分を生きるのか。

ジョンレノンはこんな言葉を残しています。

人の言うことは気にするな。
「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」
こんなくだらない感情のせいで、
どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。  

周りの目、世間の目を気にして「正しいこと」をするのか。

周りの目、世間の目を気にせず「楽しいこと」をするのか。

どちらが良い悪いはないけど、選択権は自分にある。自分だけが決められるのだ。

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自分らしく生きる。

 

平野裕二 Yuji Hirano

hirano.yuji9@gmail.com