こちらを読んで…著者にサインまでしていただいて(へへ💜)
感想書かねば書かねば書かねば…で約2ヶ月経過…
上川さんと知り合ったのは、かれこれ10年ぐらい前、大阪で「部落を子どもにどう伝えるか」というBRAKU HERITAGEの企画があったときに、おもしろそうだなと思って参加したことがきっかけだった(そのとき、上川さん以外にもお会いしたかった方にまとめてお会いできてほくほくだったな 笑)BRAKU HERITAGEの企画は、その後もクリーンヒット連発なので、お勧めです。
そのとき、たまたま同じグループでお話していて、話が戸籍/婚姻制度の話にそれかけてしまい(私もそれに乗ってしまい)、「いや、ここで話したいのはそっちじゃなくて…」とやんわりバシッとたしなめて引き戻してくれたのが上川さんだった。本書にも登場するお子さんたちも一緒に来られてて、まさにその子たちに親としてどう伝える?を考えようとしている人が目の前にいるのに、話がそれるって…。当時はマジョリティ特権なんていう概念はまだ知らなかった(はず)けれど、まさにマジョリティ特権発動させてたよなぁと思います(いやホントにすいませんでした…思い出しても恥ずかしい)。
「政治性の脱色」と「安易な〈自分事〉化」
本書を読んでいて、つくづく感心してしまうのは、上川さんが常に「わたし」から出発してあれやこれやのモヤモヤを放置せずに考えてきた、その姿勢のブレなさ。私はショーペンハウエルがいうところの「読書は他人にものを考えてもらっているだけ」タイプの「わたし」がどこかへ消えがちな若造だったな…と、やはり比べて考えてしまう。思うに「わたし」がどこかへ消えてしまうというのも、マジョリティの無標性ってやつなんだな、たぶん。
そんなこんなをつらつら考えつつ筆は進まずにいるうちに、いろんな書評があちこちから出てきて、「なるほど!」と膝打ちなものから「なんでそうなるかな???」なものまで玉石混交。「なんでそうなるかな?」はまさに本書内で指摘されている。
「こんなに政治性を帯びた内容なのに親子の問題として語られるのは、『政治性の脱色』という問題があるからですね」
主催者の一人であり、この時、性暴力についてのドキュメンタリー作品を出品していた根来祐さんは眉間に皺を寄せながらそう教えてくれた。その問題提起に関心がない人はその政治性の部分をまるっと脱色して、その問題が存在しないかのような視点で観る。そうするとどんな社会問題を内包している作品でも「ただの人間ドラマ」として消費されてしまうというのだ。
「マイノリティが登場する映画は本来、マジョリティを告発する作用を持っているんです。マイノリティが苦しむ社会をつくっているのはマジョリティ側の人間だから。でも、そのマジョリティ性を観客が自覚するのは居心地が悪いから、そこは自分と関係のない問題だと脱色して気持ちよく映画を観ようとすると、『政治性の脱色』という現象が起きるんです。(本書120-121pp)
ここにこんなに明確に指摘されているのに、やらかしてしまう評者ってなんなんだろうか…とゾッとした。指摘されているのが自分のことだと気づけないんだろうな。
この「気づけない」要因に、人権教育の在り方も絡んでいるのではないかと、考えさせられている。
人権教育に熱心に取り組んでいる先生方と話していると、よく「他人事ではなく自分事として(子どもたちに)考えさせたい」ということばを聞く。前後に語られる内容にもよるけど、先生自身はどうなの?が一向にみえてこない流れでこれを言われる/しかも「させる」があると、かなりモヤる(笑)なぜモヤッてしまうか、理由は割とはっきりしていて、要は
「自分事」≒差別被害の話を聞いて同情し、自分がもしそんな目に遭ったら/自分自身の被害の経験に重ね合わせて、差別は許せないなと思うこと
に安易にゴール設定されていると、モヤるのだ。sympathy重視の人権教育、とでもいえばいいかな。
そりゃ、他人事(自分には関係ない)よりはマシ。そしてsympathy(共感)に依拠するステップも必要。でもそれはゴールではない。
被害を被害として実感していない場合もあるし、自身のマイノリティ性に気づいて、自分が不当な目に遭っていると体験を整理し直して怒れるようになることも大切だから、「差別に悲しむ、怒る」…ことへのsympathyの力はあるにこしたことはない。でも、ゴールじゃない。
差別をなくしていくためには、その差別の被害を被る当事者の声だけではなく、その差別に構造的に加担させられてしまう側にいるマジョリティが「こんな構造はクソだ!」と怒りをこめてぶっ壊す側に回ることが必要だ。そしてそういう行動へと昇華するためには、sympathyではなくempathyが必要だ。学習によって獲得される、相手の立場を考える想像力。なぜ「わたし」とその人は同じ社会に生きているのに、こうも体験が、みえているものが異なるのか。そこにある壁は何なのか。同じ壁のあちらとこちらにいる、それぞれの当事者としての「自分事」になることが大切で、それは「被害者の痛みに共感する」こととは直接的には繋がらないんじゃないか…。あえていえば、被害者の痛みが実感としてはどうにもわからない、わかると言い切れない自信のなさを残したままであっても、その痛みを与える構造の問題に辿り着くことは可能だし、それでも全然いいはずだ。そもそも他者の感情は他者のものであって自分のものではないのだから、安易に重ね合わせて「わかったつもり」になるのも危うい。
上川さんは「当事者」という表現を安易に使わない。それも読んでいればわかるはずなのだけど、やはりそこを読み取れない人たちというのはいる(人間はどうしても「読みたいように読んでしまう」面があり、それは私も同様だから、自戒しつつ)。
誰だって、不当な目に遭いたくないし、理不尽な思いをさせられたくない。そこに依拠してsympathyを誘うのは入り口だけでいい。また、世界にはsympathyの力が弱い人というのも一定数いて、そういうタイプの人たちにとっては人権学習が「お話を聞いても、素直に同情して許せない!とか思えない私は冷たいやつなのかな」と妙な劣等感を持たせるだけの時間になってしまっている場合がある(理詰めにゴリゴリ「差別は社会構造の問題で人間性の問題じゃない」と説明されることで「そうなのか!」と顔を上げて元気になるタイプの学生、少なくないんですよ、ホントに…)。
この「共感に依拠して自分事にする」止まりな活動の繰り返しが、「なぜこんな理不尽なことが起きるのだ?」とその奥にある政治性に気づくところへ、人を連れて行かない元凶かもしれない…。「こんな酷い差別は許せないと思いました」と子どもが言ってくれたらそれでゴール。満足。大人が満足するから子どもも思考停止。じゃあ、差別が許せないからどうするんだ? という次の問いは曖昧に宿題として積み残される。
しかしこの「政治性の脱色」というのは、私的にもキラーワードだった。同じ作品をみて、同じ話を聞いても、受け取ることが異なる…のは、そりゃ人間が違うから異なっててもいいんだけど、それにしたってな…とモヤッてきたことが説明できる。
それでなくても、日本での人権教育…もとい社会問題に関する教育活動は、すぐに「差別に打ち勝った・問題を乗り越えた素晴らしい人柄」に感動したい!人ばかり量産しがち/そういう期待に応える(?)活動ばかり推奨されがちなので「政治性の脱色」だらけだ。「こんな酷い差別があるなんて!」が「人間は自分より下を見て安心したい本能があるからさー」なんていう冷笑主義にすぐ飲み込まれる。「いや、下を見て安心できると思い込んでるのはなぜよ? あなたが投げ込まれている競争社会と、そこにある格差や差別の問題まで考えようよ!」と言い続けないと、差別はなくならない。
…自分で書いてて思うけど、そもそも「差別に打ち勝つ」とか「差別を乗り越える」とか、いったいどういう状態のどういう人を主語にして、何に「勝った」「越えた」っていうんだろうな。「勝った」から、だからなに?(苦笑)
〈寝た子〉なんていない
部落差別について学んだことのある人なら、このタイトルが「寝た子を起こすな論」からきていることにピンとくるはずで。
大学で部落問題概論という授業を受けるまで、私も「寝た子を起こすな論」者だった。そして思うに、「寝た子を起こすな論」に絡めとられる人は、実は「寝た子」ではない。正しくは「中途半端に寝ぼけている/起きている人」だと思う。
私自身に即していうと、大阪市で育ったので『にんげん』という部落問題・人権問題の読み物教材が詰まった副読本を毎年もらっていたから、それを読んで「知っていた」。けれど、それを使う授業は一度も受けたことがなかったから「わからなかった」。そういう中途半端な状態にいるから、「同和地区」「部落」と聞くと「どういうところなんだろうか」「いまもそんな酷いことがあるんだろうか」とボンヤリした好奇心と、でも差別をのぞき見したいなんてという後ろめたさが相俟って、居心地悪いことこの上ない。質問しても答えてくれる大人がいない。その居心地悪さを解消してくれるのが「そっとしておけばなくなるのに騒ぐ方が悪い」「教えるから差別がなくならない」というロジックなのだ。要はマジョリティの逃げ道だ。なまじ知らされて「中途半端に起こされた」自分の状態が嫌だから、そういう状態にさせた「奴ら」に責任転嫁するロジック(そして本来はそういう状態にさせている「奴ら」は社会なのに、解放同盟や部落の人たちを「奴ら」にしてしまうのが、まさに差別構造…)
「寝た子はネットで起こされる」と言った人がいたけれど、ではネットさえ見なければいいかってそんなはずもない。インターネットだって現実社会を反映しているだけのことで、ネットを遮断してもこの社会に部落差別がある限り、「まったく知らずに生きていける」なんてことはあり得ない。よしんば本人は「知らずに生きていけた」と思い込めたとしても、この社会の一員である以上、問題から無関係な人は一人もいないのだ。
本書の254p~「『寝た子を起こすな』とマイクロアグレッション」の項で端的に説明されているので、必読!
私が「寝た子を起こすな論」が正しいと思っていた理由に、母の友人のことがある。
大阪南部の、解放運動で有名な同和地区のごく近くなのだが、その人の出身地域は同和地区指定を受けず「部落であることをできれば隠して差別を避けたい」という地域だったらしい。その方は母の単なる友人ではなく大親友で、私たちにもいつもとても良くしてくれたから、親戚のように「おばちゃ~ん!」と呼んでいた。ご実家もその方自身のおうちも事業に成功していて、我が家よりよほど裕福だったこともあって、おばちゃんたちが差別を受ける側の人だということがまったくピンとこなかった(前述した『にんげん』に出てくるエピソードにまったく重ならなかったから)。でも「身元を知られたら差別される」経験をしていて、差別される恐れを抱えて「学校で教えたりせずに、そっとしておいてほしい」と言う人だった。母も学生時代「なんであんな子と付きあうの? 〇〇やで」と他の同級生に何度も言われたことがあり、それでも意に介さず親友として付き合ってきたわけだから、母も自分が差別しているとは思っていなかった。そして親友がそういうのだから、母もまた強硬な「寝た子を起こすな論」者だった。
大学に進学するまで、その母たちの言うことをうのみにして、微塵も疑わなかった。実際、部落差別といっても『にんげん』のなかで読んだことしかない…と思い込んでいた。大学で部落問題概論を受講し、同和地区/被差別部落のFWに連れて行ってもらい、夏休みには地域にずっと入り込んで子ども会の活動に参加して…とやっているうちに、私は私のまわりに部落差別がいくつも転がっていたことに気づいて愕然とすることになった…まったく他人事ではなく、まさに差別を知らないから気づけず止められなかった当事者の位置に、私はずっといた。
小中学校は校区に被差別部落がなかったので同和教育がまったくと言っていいほどなかった。けれど進学した高校は最寄りの鉄道沿線にいくつも同和地区があったから、同和教育推進校から進学してきている子も当然いた(数は多くなかったが)。つまり、部落の子がいたかもしれない。そして私は極めて差別的なシチュエーションで、そのことをちゃんと知らされていた。
あるとき、クラブの同期の友人が賤称語でからかわれていて、その友人が「いや、うちは違うからな!」と笑いながら返しているところに出くわしたのだ。私にすれば、歴史でしか教わらない、しかもそれは差別用語で人に向かって使うものじゃないし、もう死語になっているつもりのことばだったから、「え?」と仰天して固まった。たぶん、眉間に皺が寄って厳しい顔をしたのだと思う。友人は「ちゃうねん(笑)」と「うちの中学にはさぁ…」と校区内に被差別部落があり、だから中学校のなかには部落の子もいたんだけどさと説明し「でもうちは違うねんやんかぁ。あいつもわかってて、あんなふうにふざけて言うてくんねん」あほやろ~ははは、という友人につられて笑いながら、私には全然腑に落ちなかった。「いや、人に向かって使うべきでないことばを使うことが間違っているのであって、あなたが対象者じゃないから間違っているわけじゃないでしょ?」と思ったのだ。でもそれを言えなかった。「うちは違うから!」は事実なのだろう、だとしたら友人は別に間違ったことを言っているわけではない…ないのか? 「うちは違うねん」を何度も繰り返す友人に強烈な違和感を覚えたけれど、その違和感が何なのかを自分でも説明できなかった。その子の出身中学から進学してきた子は10名近くいたから、全員が「違う」のかどうかもわからない。でも友人の口ぶりからすると、地区の子は来ていないのか? 来ていたら、このやりとりをどう思うんだろう…と一瞬考えたが、それは一瞬で流れて、すぐ忘れてしまった(いま、こうして説明はしているけれど、当時はここに書いたやりとりが数分間で一気に流れていったので、本当に一瞬チラッと引っかかって、棘のように刺さってくれていたから、後になって思い返せたというだけだ。知識がないというのは本当に罪だとつくづく思う)
あのときの、友人たちのやりとり、そしてその後の私とのやりとりを、部落出身の子が聞いていたら…と思うといたたまれない。おばちゃんと同じように「そっとしておいてほしい」と身を縮めて、高校生活を送っていたかもしれない。「そっとしておいてほしい」は部落の人が言うんじゃない、部落差別を他人事にしか考えていない周りの人間が言わせてしまっているのだ。そこに気づけない中途半端な人間が「寝た子を起こすな論」に飛びつくのだと思う。
大学に入ってから、そんなことを思い出すと、次から次へと思い出すことが出てきて、「部落差別なんてもうないんじゃないの?」と思い込めていたことじたいが恥ずかしかった。上記のような差別発言や、いまならマイクロアグレッションという概念で気づける発言もあったし、差別落書きもあった(ただ、それを「差別落書き」と先生たちは呼ばなかった。本書の76-79ppあたりで登場する高校の先生と相似形過ぎて、あのエピソードを聞くたびに高校時代の先生の顔が入れ代わり立ち代わり浮かんでくる。まさに部落差別が校内に「ある」のに「ない」ことにしていた先生たち。そして何も知らずにそれに乗っかって、何も知らずに「寝た子を起こすな論」に傾いた私)。
同和地区を校区に含み、人権教育に力を入れた小学校・中学校で育った部落の子たち、その子たちととともに育った子たちがいたはずの高校で「部落差別なんて過去のこと、いまはない」というスタンスに何もかもが貫かれていたことの残酷さを、本書を読んでいて改めて考えた。もう謝れないけれど、もしタイムスリップできたら「それは差別だろ」ときちんと怒れる生徒になって紛れ込みたい…(そして知識で先生たちをぶん殴りたい!)。
社会に潜む罠と、それを見破る力
本書は部落問題が軸なのだけれど、もう一つ、私に刺さったのは子育て期のさまざまなエピソードだった。自分の子ども時代をふりかえりながら、徹底して「子どもの声を聴く」を実践している上川さんが眩しくて、私の子育ては何と中途半端だったことだろうか…と、これまた子どもに(もうアラサーになっちゃった)謝りたくなってしまう。
私も、自分自身と親の関係性に納得しておらず、あんな親にはなりたくないという思いが強かったので、子育て中に「これは!」と思うところは学びに行ったり本を読んだりして、結果、アドラー心理学に辿りついたことでずいぶん気持ち的には救われたし、いろいろと不十分さはあったにせよ、子どもが「オレ、自慢じゃないけど自己肯定感の高さには自信ある」とか言い出す程度には、マシな親だったかなとは思っている、けれど。なんというか、自分の親が嫌い…と言いつつ、やはり社会が求める親子像、母親像のようなものからの刷り込みと毒され方が酷かったな、と改めて自覚させられた。たとえば、このくだり…
ママ友たちとのやりとりを通して、この社会には、お金を稼ぐことが社会に参加することだという価値観が強く根付いているのだと私は痛感した。(中略)子育てという大仕事をしている私の大切なママ友たちを、この社会はなんてつらい目に遭わせるんだと、私は憤った。
でも一方で、どうしてママ友たちは実際の子育てのなかで価値観がひっくり返らなかったのだろうとも思った。(本書135p)
上川さんは子育てをする中で、子育てはなんてクリエイティブで素晴らしい「労働」なのだろう!と価値観をひっくり返していくのだけれど、私の方はここで書かれているママとも同様、まさに「価値観がひっくり返らなかった」1人だった。私の場合、専業主婦ではなかったけれど、育休が開けて現場復帰する際、「ずっと子育てだけしていたい」気持ちはあってもそれを公言するのはなぜか気が引けていて、逆に「早く職場に戻りたい」は言いやすかった。子育てを社会的に価値のある「労働」というふうには思えていなかったんだなと、いまになって思う…。子どもは社会のもの、社会的にあちこちに頼りながら子育てすべき…と頭では思っていて、実際、休日出勤せざるを得ないときは職場に子どもを連れて行ったりもしていたから、傍目には「旧来の考え方に囚われていない(?)」風に思われていたけれど、それでも子育ては「大人なら誰でもができてあたりまえの行為」であって、あくまで「労働」じゃない…みたいな感覚があった。よくよく考えれば、「そこで言う『労働』ってなんのこと?」と問わなければいけないんだろうに、まったくそこには問いが下りていかなかった。要は「賃労働」が「労働」だという刷り込みに支配されているからだろうと、本書を読んで気づかされた。上記引用部分は、こんなふうに続く
…それはやっぱり、私がマイノリティとして生きてきたことが関係しているのかもしれない。社会には権力者側に都合のいいことを常識だとして思い込ませてくる罠みたいなものがたくさん仕掛けられている。私はいつの間にかその中のひとつである部落差別に抗うことを通じて、その罠を見つけやすいという能力を手に入れることができたのかもしれない。
だとすれば、やはり人権教育の目標は、この「罠」を見破る力を子どもたちに育てていくことなのだろう、と思う。私もまだまだ罠にかかっている。いくつになっても、そんな発見があり、「なんてこったい!」と叫んで嘆いて、笑いとばしていく、そういう仲間が得られるんだから、人権教育は楽しい。
それから、うちは男子一人っ子だったうえに、きょうだいの子どもたちも全員男子なので、親の孫に対する扱いにしても近所の人やママ友たちからの扱いにしても「男女差」を実感する機会は本当に少なかった。子どもが中学生ぐらいになったとき、誰だったかに「いい子育てしてるやん」と褒められて、ふと「でもこれは息子だったからで、娘だったらたぶん私は(女性差別を考えて)余計なことをあれこれ干渉してしまって、冷静に『子どもは私と別の人格』だと抑えた行動なんて取れなかったかもな…」と思ったことがありはしたけれど。親がきょうだいを公正に、対等に扱おうと努力していても、それを世間が許さないし、子どもたちは幼いときから本当にさまざまな偏見のフィルターと思い込みにさらされて育つんだな…と改めて痛感させられた。政治性を脱色して子育て本として読まれてしまうと困るから、こんな感想を書くのはマズいかも?と少し心配しつつ、でも子育てしている人たちに、ぜひ読んでほしいなと思う。私たちは、社会からさまざまな罠と呪いを準備されて、それに絡めとられながら生きているから。
朝日新聞の「ひと」欄で紹介されたとき、上川さんは「Super Lady」ポーズを取っていたのだけれど(笑)まさにまさに! ということで、最後にこの動画を置いておきます!