世銀への挑戦―落ちこぼれが人生をかけてー

自然災害の脆弱性と発展途上国の貧困に関して研究する国立大学院生(24)が主としてどのような日々を過ごしているかをまとめたブログ

ちょっとしたご報告

 ご無沙汰しております。

 本日は少しご報告を。(というかすぐ終わる話なのですが)

 

 昨日(12/13)無事に博士後期課程出願してきました。

 (受かるかどうかは保証できていませんが)

 

 研究を表すキーワードは、「災害、脆弱性、農村世帯、生計資産」とかですかね。

 修士課程(現在)では脆弱性の決定要因をLigon and Schechter(2003)を用いて、測定し、脆弱性を導き出したうえで、その脆弱性削減に対して生計資産がどのように貢献したかを明らかにしています。(意見などがありましたら気軽にご連絡orコメントお願いします)

 

 博士課程では生計資産が脆弱性に対するリスクマネジメントについてどう対応していくかをしていこうと思っています。(あくまでも予定)。

 

 おわり。

途上国農村のサーベイの難しさ

 ご無沙汰しております。おはこんばんにちは。

 ということで10月のほとんどをフィリピンでフィールド調査をしてきました。

 日本を発つ前は暑かったのに帰国したら、そこ(日本)はもう秋でした。(まぁフィリピンは暑かったので実質夏休み3か月という感じでしたがw)

 ということで、皆さん体調等壊されていないでしょうか。

 

 自分はここ数日気温差のせいか、鼻かぜにやられておりましたが無事に復活しました。

 さて、今回ですが自身の経験をもとにフィールド調査をしたきた感想(というか考察)に近いものを書いていこうと思います。

 

 フィールド調査をしたことのあるかた(ちなみに、ここでのフィールド調査は定性ではなく、定量分析を主とするサーベイ)なら、お分かりいただけるでしょうが、なかなかデータってとれないんですよね。

 

 例として、経済モデルに組み入れるうえで、この変数はダミー変数にするつもりだから、質問紙の聞き方をたとえば、「Do you have saving?」ときいて、yes or noにするかとか、もしくは、「if yes, how much?」みたいにするとか…

 

 といった風にいろいろ工夫しなければなりません。ただ、もっとも質問紙の難しいところは、「第三者(自分でもなく、指導教官でもない実施する側)が客観的に理解できるか」ということが重要になってきます。

 

 また、量(サンプル数)をどのように取ってくるかもカギになってきます。これは言い換えると、だれ、もしくはどこの機関を味方につけるかによって結果が異なってきます。

 

 自分は今回トータルで205のサンプル数を獲得することができました。これは、ひとえに現地の地方政府の協力があって達成されたものです。自分自身はその実施主体の人々に対して、自分の質問紙のやりかたを含む打ち合わせや、その人たちのマネジメントを行うことに徹底的に頭を使いました。(どのようにすれば時間を短縮し、かつ質の高いデータがとれるかどうか等)

 

 もちろん暑い中での健康管理は大事なので、「時折休憩してください、ジュース購入したらその金額を教えてください」(自分の必要経費から捻出するため)といったように健康面や財税面の援助や、も求められます。

 

 まぁ、もちろんその他にも英語力といったところも必要不可欠なんですけどね。

 ただ、これらの難しさは自分の力にかなりなりました。

 

 そして、こういった調査を通じて途上国の人々の厚生に貢献できる仕事につきたいとますます思うようになりました。

 もちろん、上記であげたことはほんの一部でしかありません。その他には、「現地との人間関係の築き方や、どのように人を動かすか」などは機会があれば書いていこうと思います。

 

 おそらく次回は「災害ボランティア」について自分の思うところを書いていこうと思っています。これからもよろしくお願いします。

研究室からの投稿

 と、タイトルの通り「研究室」から投稿しております。まぁ、とはいえほぼ毎回研究室から投稿している気がしております。(家にwifiを設置することもできない貧乏大学院生なのでw)

 さて、今回は自分の夢ないし、目標について書いていきたいと思います。このブログでも、おそらく数回は自分の夢について書いている気がするのですが…

 

 改めて自分の夢は何かと聞かれたら、世界銀行」(World Bank)で働くことですね。今後は博士課程進学を考えていますが、エコノミストでもコンサルタントでも世界銀行という土俵で「自分の実力を試していきたい、また発展途上国の貢献に専門性で尽力」したいというのが自分の理想」でもあります。

 そのため、まず博士号を取り一人前のプロフェッショナルになることが求められます。そして、昨今記事に書いた通り博士在学中に留学し、自分の英語に磨きをかけたいということもあります。

 もし米国に留学するなら、同時に世銀でインターンしますがね。とりあえず、今は早急に修士論文を書き終え、STATA,Rなどの勉強、あとは英語と計量経済(ウールドリッジのcross section and panel dataの理解)は博士に入る前に何とかしておきたいですね。

 

 インターンに関しては、可能な限り博士課程にいる間は長期休暇を利用してこなしていくつもりです。そのため、世銀のフィリピンでもいいですよね(自分の現在の研究対象がフィリピンなので:博士課程では調査地が変わる可能性あり)。

 思い切ってアフリカとかでも面白そうですよね、コネクション等は何かとある方なので大丈夫ですが、問題は治安とか衛生面ですね。(特に衛生面)

 

 まぁ現在の目標は現在の大学院修了までにIELTS7.0をとることです。そして、統計検定2級の取得ですね。なかなか、険しい目標ではありますが、これを突破できなれば世界銀行なんて夢のまた夢。

 本気で追いかけて頂点掴む、そしてまぶしいくらいの夕日を目に焼き付けるその日まで俺の挑戦は続く

 

 …to be continued 

ども、ご無沙汰しております。(久々の更新)

 おはこんばんちは。

 前の投稿もそうですが、久々の更新というか、どうも自分の近況で起こっていることと、書くタイミングがずれがあると思っています。

 というか、この投稿も事実、前の投稿から今の投稿に至るまでのいわば、「振り返り」のような存在なのですが……

 

 と、くだらない前書きはここまでにして。さぁ、前回から今回に至るまでにいろいろありましたね。年金、選挙等々…。(本ブログでは炎上を避けるため、またあまり個人的に政治のことは書きたくないので省略します。)

 

 さて、近況報告(主に進路面)についてですが、おそらくなのですが、「博士号」を取りに行きます。(ただ、自分の準備不足等もあったので日本の博士課程)。とかいいつつ、おそらく米英の大学院に進学すると思います。

 そのため、最近TOEFL(IBT)や、IELTSの勉強をしつつ、自分の研究(途上国農村世帯の脆弱性の決定要因)をしています。具体的には、米国大学院であればミシガン大学ウィスコンシンマディソン、UCバークレーとかに出願すると思います。(そのためと就職ということを考えると、TOEFL110)くらいは取らないといけないなぁと感じています。

 英国であれば、イーストアングリアサセックスLSEマンチェスターのどれかですかね(本当にいきたいのは、もちろんLSE)。そのためには、IELTS7.5ないし8.0はとりたいですね。

 

 実に悩ましい。こんなことなら、学部時代からやり直して東京大学の経済学研究科に行くべきだった。(まぁ、後悔してもしょうがいのですがねw)

 とりあえずは、神戸大学への出願を考えています。んでもって、あわよくばD2くらいの頃に留学できればなぁと計画しています。 

 そのためには今は修士論文をしっかり終えることや、英語(特にライティング:スピーキングは意外といいので)、仏語、数学をしっかり勉強していきたいと思っております。

 以上でーす。(今度からはしっかり更新します:反省)

久々の更新(日本男児としておもうこと)

 皆さんご無沙汰してます。今日は昨日のことについて書こうと思う。

 というか、詩を書き連ねるだけなのだが…

 

 昨日は何の日だっただろうか?タイトルにある日本男児というのがヒントなのだが、とここまで言うと勘のいいひとは頭の中に何かが浮かんだと思う。

 そう、昨日は日本が誇る戦艦大和の沈没した日である。自分の祖先をさかのぼると軍隊らしく、軍人の子孫として生まれたことに常日頃誇りを感じていることもまた、事実だが私自体は軍の在り方について思うことはいろいろあるが、本ブログの趣旨とは異なるのでかかないが。

 

 昨日、私は以下の詩を創作した。今日はただ、その詩を載せるだけの記事である。

 このブログを読んでいるわずかであろう、読者にタイトルは考えていただきたいと思っている。では、はじめよう。

 

 「タイトル:無題」

 誰かを純粋に愛することをあきらめた

 なぜかといえば自分が傷つきたくないから

 けれど、それは自分の心に嘘をつくことになるのではないか

 自分の、そして一度きりの人生逃げてばかりでいいのだろうか。

 逃げてばかりじゃ、掴めるものもつかめない。

 結局、今できることを最大限おこない、努力を積み重ねていくことでしか

 できないのではないか

 自分の人生に誇りをもてるように

 嘘をつかず、ひたすら前向きに

 自分に正直に生きるたび、人を傷つけてしまうことはなぜ

 傷つき、傷つけあった、そんな過去

 もはや誰も傷つけたくない

 ならば、いっそ一人でいきてみようか

 こんな俺を亡き母、亡き祖母はどう思うだろうか

 彼女らの誇りになっているだろうか

 過去を抱きしめて生きていこう、そして

 今を踏みしめて

 時に震えながら、臆病な心を温めてくれる

 一杯のコーヒー、けれど変わらない日常

 そんな日々に終わりを告げたい

 さよなら

 一杯のコーヒーはこんなさびれた、そして凍えた俺の心を

 温めてくれる

 いとも簡単にボタンを押すか、はたまたコンビニで買うか。

 世の中意外と簡単なことの積み重ねなのではないか

 複雑化しているだけで、構造は簡単なのではないか。

 さぁ。今日もできることから一歩ずつ。

 

 ちなみに、上記の詩は武士道と重なるところが多々ある。では、今後は極力一週間に一度更新できるように頑張ります。

ごぶさたですね(近況報告):研究経過報告

 固定の読者の方がどれほどいらっしゃるか、存じ上げませんが近況報告をしたいとお思う。

 まずはじめに。4月からの進路のことですが、4月以降も大学院生です(博士課程の学生と言えればかっこいけど、実のところ研究に専念したい理由で希望的留年:まぁM3ですね苦笑)

 まぁ、とかいっていますが実のところは2年で修了したかったのは事実です。なぜ、修了が伸びてしまったかというと研究に必要なデータが不足してしまっていたことに由来します。

 あまり詳しくは述べませんが、フィールドワークに必要なお金を父と母に送ってもらうことができず、また自分の貯金が不足していた等のいくつかの理由があります。そのため、夏休み前にフィールドワーク支援金のようなものに応募したのですが学内専攻の段階で落ちました。

 ちなみに落ちた理由は自分の英語力です。まぁ、しょうがない。周りは平均TOEIC950くらいとってきているのだから、自分がこのスコアに到達するのには、もう少し時間が必要ですね。

 とはいえ、研究テーマ的にフィールドワークを行い、データを取ってくる作業が一つの重要なミッションですね。ここで軽く自分の研究テーマを紹介すると、

「フィリピンの農村世帯における脆弱性の決定要因」です。まぁ、堅苦しい言葉が並びますが、簡単に言うと自然災害の脆弱性(リスク)が絶えずあるフィリピンの農村で、彼ら彼女らがどのようにそういった自然災害に対処しているのかということ、また加えて彼ら彼女らの資産は脆弱性の決定要因に対してどう影響しているのかということを統計学並びにエコノメトリックスいわゆる、計量経済学の手法を用いて分析しております。

 

 まぁ、資産という観点では、いうまでもなく直感で資産はあったほうがいいですよね。でも、資産というと一般の方々は金融資産を頭の中で、浮かばれると思います。けれど、金融資産は数ある資産の1つでしなくて、ほかには教育歴や、市場への距離、友人の数といったものなど多数の種類が含まれ、これらの資産をDFIDという英国の Department for International Developmentというところが、Sustainable Livelihood Framework(訳:持続可能な生計アプローチとも)をフレームワークとしてある種定式化し、そのフレームワークを用いて、実証分析を行う研究も今までに多々報告されています。

 また、その資産という点を考慮するうえで、自分の研究で重要な論文がいくつかあるのですが、そのうちの1つを簡単に紹介したいと思います。それは、Moser(1998)の研究です。この研究が明らかにしたことは、ある種当然のことなのですが、「資産を持っていない人は脆弱であり、資産を持っている人はそれに対し、脆弱ではない」とあります。まぁ、当然といえば当然なのですが、資産は使い道によってもその価値が左右されますよね。

 たとえば、アフリカの事例の論文(Moserではないです)を読んでみると、そこで取り上げられる論文で資産は主に家畜について言及されています。これは大変興味深いです。なぜなら、本来家畜は家計の生計を補うものとされているのにもかかわらず、アフリカ(といっても一部の国)では、こうした家畜を売り飛ばし、現金収入を得るという研究、報告されています。

 もちろんこうした、資産の使い方や、資産そのものの質を考慮することは資産を分析する際の1つになってくると、私は思います。

 

 ということで、今月26日から3/16日まで、私は修士論文のためのデータがとれるかどうか確認するために、フィリピンに行ってきます。今回は、データをとることが目的ではなく、データがとれるかどうかという現実的にその研究できるかどうかを検討するサーベイです。

 

 では、またsee you next time 

 

 今日の名言:人生は自分が費やした努力だけの価値しか得られない

最近の近況報告

 おはこんばんちは、名ばかり院生です。

 気づかないうちに24歳になっていました。一応ここまではいろいろな人の協力を得ながら、なんやかんやストレートで人生を歩んできています。

 しかしながら、自分は今期修論を提出しません。え、なぜかって自分の研究の現状に満足していないからです。それに、自分の大学(おそらくほかの大学院もそうなのですが)修論の質が博士後期課程には重要になっています。

 そのため、半年間の自主留年を決めました。親には承諾をもらいました(この投稿については以下を参照
jin19941122foreconomistinwb.hatenablog.com

  ほんでもって今は自分の研究に本腰を…と思っていたのですが、思わぬトラブル(⁉)が。まぁ、トラブルというか自分が悪いのですが元カノとの別れについてずいぶんと最近引きずっています。(本当に好きで、大切な人だったんだなぁと実感、そして後悔)。

 そして酒を飲む。といっても、お酒に逃げているわけではないのであしからず。まぁ、ここ三日連続熱燗、チューハイの生活が続いてますが苦笑。

 話を戻すと、「よく24年間生きてきたものだなぁ」としみじみ痛感。結構過去に色々あったので…w

 けど、以下の雑談でもふれたように男の二類型、すなわち「夢に生きるか、女に生きるか」という議論は自分の頭の中で繰り返し行われています。 

jin19941122foreconomistinwb.hatenablog.com

  そして、今日の朝のことなのですがたとえ、「女を失っても、自分が追う限り夢は近づくんじゃないかなぁ」と。うん、深い。その夢の実現のためには、自分はさらなる努力をしなければなりません。何としても、世界銀行エコノミストになるために。

 そして、何より世界に貢献するために。今日も僕はまた一歩歩いていきます

 それでは、また。see you next time 

 

 今日の名言: Without the wind in my face, I could not have flown so much.

 訳:逆風なしでは私は高く飛べなかっただろう。