ラスベガスでスカイダイビングしてみて人生観変わった話(少し)

大学卒業旅行で、カリフォルニアに行った。

レンタカーでカリフォルニア+グランドキャニオン(アリゾナ州)+ラスベガス(ネバダ州)を回ろうという計画であった。

実際の旅程としては、以下のような感じ。

ロス⇨グランドキャニオン⇨ラスベガス⇨ロス⇨サンディエゴ⇨ティファナ(メキシコ)⇨ロス

メキシコへの入国はまた、別の記事で書こうと思う。

 

グランドキャニオンに着いた頃、「ラスベガスはスカイダイビング安いらしいぞ」という情報が入った。

確か料金は200$くらい。日本でやると、この2倍はかかる。

また、ラスベガスでは高度4500mから飛び降りることができる。日本でやるより高い高度らしい。

ラスベガスのスカイダイビングの他の売りとして、死亡事故が少ないということがあった気がする。アクロバティックなスカイダイビングは別として、客とインストラクターで飛ぶ普通のタンデム飛行だと、ほぼ死亡事故はなかったように記憶している。(ちょっと記憶が曖昧なので心配な人は調べてください。すぐ情報出てくると思います)

正直、私はバンジージャンプなども怖くてやったことがなかったが、皆やるそうなので渋々やることにした。

確か使った業者は、これだったと思う。

www.lvtaizen.com

申し込みは普通にメールかなんかで、数日前でも申込みできた。

 

前日からかなり緊張していた。正直4500mの高度から飛び降りるなんてことは想像できなかった。

アイドルが罰ゲームでスカイダイビングする動画など見てたらさらに緊張してきた。

なにやらしてくれとんねん「スカイダイビング」山田菜々 - YouTube

 

当日、どこか集合場所から、バンでスカイダイビングの飛行場に向かった。

もうこの頃になると半分諦めの境地というか、悟りの境地に達していた。

我々日本人と、アメリカ人の親子(父+娘)、何人か分からないがヨーロッパ系の白人のカップルなどいろいろな人が乗っていた。

そのバスの中で、注意事項を説明するビデオを見せられ、死ぬ可能性がありますが良いですね?という同意書にサインした。

 

飛行場に着くと、スカイダイビング用の服に着替え、自分たちの番を待つ。

自分たちの前に飛ぶ予定のアメリカ人女子集団(多分自分たちと同じくらいの年齢)がテンション高めでみんなで写真を撮っている。経験者なのだろうか、やたら余裕があった。

セスナ機は1台か2台しかなかったため、少し待つことになる。

いよいよ、セスナ機が帰ってきて、自分たちの番だ。

ここでインストラクターと初対面になる。

なんか陽気でワイルドなおっさんだった。

 

まず、アメリカ人親子が乗り込み、私の友人、そして最後に私。

ここで思った。「あれ、俺が一番入り口の近く?」

つまり、最後に乗った私が一番最初に飛ぶ人ということだ。

 

みんな乗り込み、セスナ機が離陸する。

ここで、入り口はなぜか閉めない。ずっとあきっぱだ。

私は一番入り口に近かったため、飛行機が旋回すると、落ちるんじゃないかという恐怖に襲われていた。

飛ぶ時より、下を見ながら、飛行機が高度を上げていく時が一番怖かったかもしれない。

なんかおっさんが片言の日本語で、元気付けてくれていたような気がするが、正直覚えていない。

 

そして、これは意外だったが、どんどん高度を上げていくと、ある高度以上ではもう地面が非常に遠くなり、現実感がないので、あまり怖さを感じなくなってくる。

確かセスナ機で15分とか20分飛ぶと、規定の位置に到着し、ついに飛ぶことになる。

 

インストラクターのおっさんと私はなんかの道具でがっちり結びつけられており、私の背後にインストラクターがいる状態だ。

まず、入り口まで移動し、入り口から足だけ外に出す。

そして、うわ、こわ、と思った瞬間、

インストラクターのタイミングで私たちは宙を舞った。

 

最初ジェットコースターに乗った時のように、浮く感じがあるかと思ったが、

そのような感じはなく、あまり怖さを感じない。

飛んでしまうと、もうあまり強くなく、非常に高い高度なので、地面に近づいている感じもせず、宙で停止しているような感じだった。

かなり爽快で、病みつきになる人がいるのもわかる。

 

ある程度まで高度が下がると、パラシュートを開き、ゆっくり降りることになる。

地面に近い位置でゆっくり降りるので、パラシュートを開いてからの方が怖かったかもしれない。

少しパラシュートを操縦させてくれたりもした。

 

着地は、プロだけあって、かなりスムーズ。ふんわりと着地した。

あとは、迎えに来たバンで飛行場まで戻って終了。

 

少し大げさかもしれないが、この体験で、自分の限界を打ち破ることを体験できた。

飛んで良かったと思う。

 

たまに、空を見ていると思い出す。

あの空から飛んだ日のことを。

なぜ野球選手はあんなカッコ良いのか

なぜ野球選手はあんなにカッコ良いのか。別に私は野球ファンでもなんでもないが、テレビ中継で観る野球選手はかっこいいと思う。考えてみれば、生きる上で、バットをボールに当てることは、全く必須スキルではない。でも、カッコ良い。

これはやはり、野球選手の、バッターボックス、マウンド上での万能感ではないかと思う。

はじめ野球選手に話を限ってしまったが、サッカー選手もカッコ良い。狙いすましてシュートして、狙い通りに入った時の万能感。この万能感が、人をカッコよく見せる。

先日、大学である教授の講義を聞き、カッコ良いと感じた。やはりこれも万能感だろう。その分野については、自分が一番詳しい、という裏付けからくる万能感。ある学問分野について「語る」ことができるのは教授だけだ。「語る」だけでカッコ良い。

職場でもカッコよく見えるおっさんはいる。職場のことについてよく知っているおっさんだ。これも万能感からくるものだろう。

一つ気をつけたいと思うことは、小さい集団内では、誰でも万能感を持つことができる。井の中の蛙大海を知らずというやつだ。小さい集団内で、万能感を持って、うぬぼれないようにしたいと思う。客観的に見ると、そのような人が一番恥ずかしい。

自分がなりたい理想像と職場にいるおっさんとのギャップ

就職してみて、感じたことの一つが、職場にいるおっさんのようには、将来あまり進んでなりたくないな、ということである。

具体的に、「職場にいるおっさんのようには」とはどのようなことなのか、考えてみた。

一言で言うと、職場にいるおっさんは、その職場に最適化されすぎている、ということである。

つまり、就職してから、あまりユニバーサルに通じるスキルを身につけていない、ということである。

 

職場に最適化されるのは、別におっさんたちが悪いわけではない。大企業というのは、そういうところなのだ。分業で成り立っている。企業的には、最適化された人材が必要である。

私は、自分の知識・経験を広く広げていきたい。複数の専門性を持ち、それを活かして社会に貢献していくのが理想である。

私は、おそらく結構珍しい経歴で、大学までは、応用物理、就職してからは、ポリマーの開発に携わっている。理想としては、応用物理系の知識と、ポリマーの知識を組み合わせて、仕事をしたいと思っている。

おそらく、何も考えないで働いていると、いつの間にか、職場でのいい加減なポリマーの知識だけが身につき、いつの間にか大学の専門は忘れ、よく職場にいる、職場内の知識はあるが、その職場でしか生きられないおっさんになってしまう。

ここまで書いて、気づいたが、今までの「最適化された人材」とは、中途半端に最適化された人材、のことである。完全にその職場のことを知り尽くし、いろいろな開発の背景、理論的な背景まで知り尽くした最適化された人材ならば、その人材は、どこに行っても活きていける。私が問題視しているのは、「中途半端に最適化された人材」である。大学時代の専門と異なる業務を職場でこなしていった結果、理論的には裏付けされていない中途半端な経験だけが増え、その場ではある程度通用するが、そこから離れた瞬間、理論的な裏付けがないため、自分では考えることができず、生きていけなくなる人材である。まさに私のことである。

このような人材が生まれる背景としては、新卒一括採用がある。また、大学での学科の人数と、産業界が必要としている各学科の人数の大きな乖離である。よくは知らないが、新卒採用がなく、専門性がある人しか採用しないようなシステムの国では、このような人材は生まれようがない。

どうすれば、「中途半端に最適化された人材」にならずに済むのか。一つは、就職してから、業務に必要な理論を、頑張って学ぶことである。あと一つが、学生時代の知識と、就職してから身につけた知識の両方を広く浅く知っていることによるメリットを活かせるよう、途中で方向転換することである。私は、前者になる根性がないため、頑張って後者のほうになれないか、異動、転職も考えつつ、道を探している。例えば、ポリマーフィルムの生産設備の開発、などである。ポリマーの構造・物性と、制御工学など広い知識が要求されそうである。

これからの時代、中途半端に最適化されて人材は生きていく道があるかどうかわからない。ITによる業務効率化、インターネットによる知識の集約化が進んできている今、深く物事を知っている人間と、広く浅く知っている人間しか生き残れない気がする。

どうすれば、そのどちらかの人材になれるのか、模索中である。

都会から田舎へ就職しての感想

何もない。これが要約した感想である。

とはいえ、田舎暮らしの良い部分もある。

今田舎に来てからい今2年と少しが経ったところだが、ここまでで感じた都会と田舎のメリット・デメリットをまとめてみる。

 

前提

私は、就職するまでずっと、都心まで電車で20分くらいの場所に住んでいた。ベッドタウンだったので、本当は都会とは言わないかもしれないが、これくらいの場所のことを都会ということにする。

また、今私は、都会までは新幹線を使わないといけない田舎に住んでいる。ただし、一応住んでいる市の人口は10万以上はあるし、コンビニやイオンはすぐ近くにある。その程度の田舎である。

 

都会のメリット

  • 選択肢が多い。昼食を食べるのにも沢山の選択肢がある
  • 文化施設がある。例えばクラシックコンサート会場など。田舎にはない
  • 電車で何処へでもいける。終電が遅い
  • 出会いのチャンスがある。街コンなど毎日開催されている

都会のデメリット

  • 家賃が高い
  • 通勤ラッシュがある
  • 誘惑があるので、何か一つのことに集中するのが難しい?

田舎のメリット

  • 家賃が安い。例えば私が住んでいる場所だと、新築2LDKが7.5万とかである。また持ち家も、3000万出せば、かなり大きい家が建つといった印象である。
  • 飲食店でもコンビニの駐車場でもとにかく広い
  • 通勤ラッシュがない
  • 自然がある
  • 釣りやサーフィン、山登りなどアウトドアが楽しめる

田舎のデメリット

  • 出会いがない。街コンなどが少ない。
  • 結婚が早い。感覚としては、女性は20代前半、男性は20代半ばには、独身の方が少数派なのではないか。独身として遊べる期間が短い
  • 物価が高い。田舎は競争原理が働かないので、意外と都会より物価が高い。特に飲食店は、少しおしゃれぶった店が、かなり割高な値段で、まずい飯を提供し、それでも客は来るような状況である。地魚とかでない限り、基本都会の方が安く美味いものを食べれる
  • 車がないとどこにも行けない
  • 都会まで遠い。結局、遊ぼうと思ったら、都会にしかない施設も多い。都会に行こうと思うと、新幹線代+宿泊代で数万はなくなる

 

以上より、私の感覚としては、独身は絶対都会。結婚してから、広い家に住みたいという強い希望がある場合は、田舎でも良いかもしれない。また、車を持ってしまうと、都会より断然生活費が高くなってしまうため、周りの車を持たないの?プレッシャーに負けない人に田舎をお勧めする。

「サピエンス全史」を読んで(1)

先週末Amazonで人気の「サピエンス全史」上巻を読んだ。ビルゲイツザッカーバーグも推薦しているらしい。

https://www.amazon.co.jp/dp/B01LW7JZLC/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

この本は、歴史学者のユヴェル・ノア・ハラリという人が書いた本で、2015年に出版されたので、まだかなり新しい。

ユヴァル・ノア・ハラリ - Wikipedia

 

この本はホモサピエンスが生まれた20万年前から、現代までのホモサピエンスの進化の過程、また、現代の文化の成り立ちを一つの非常にわかりやすいストーリーで記述している。学生時代世界史や日本史の授業をうけたが、太古の昔から現代まで連続したストーリーでこの本のようにわかりやすいストーリーで大局的に教えてくれる授業はなかった。

この本を読むと、現代の社会が成熟しきった定常状態ではなく、20万年前ホモサピエンスが生まれた時から進化させてきた人間社会が今の社会であり、常に進化し続けている過程の1地点なんだということが実感出来る。

約20万年前からホモサピエンスは存在したが、約7万年前〜3万年前に「認知革命」がおこあった。「認知革命」とは、この時期に見られた新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを指す。この認知革命により、ホモサピエンスは、東アフリカの外、中東やヨーロッパでも暮らすようになり、他のヒト、例えばネアンデルタール人などを滅ぼすことができたらしい。認知革命以降のホモサピエンスの知能は現在の人間と同等で、現在の教育を受けさせれば、現代人と同等の知能を持つことができる。ただ、なぜこの認知革命が起こったか、はっきりしたところはわかっていない。

この認知革命により、人類がおこなうようことができるようになった意思疎通に、「噂話」がある。噂話とは、ホモサピエンス自身に関する情報のやり取りである。これに対し、ホモサピエンス以外の動物は、何らかの意思疎通方法は持っているが、噂話はしない。例えば、サバンナモンキーは、様々な鳴き声を使って意思を疎通させる。動物学者は、ある鳴き声が「気をつけろ!ワシだ!」という意味だと突き止めた。研究者がこの鳴き声の録音を他の猿に聞かせたところ、猿はしていることを中断し、恐ろしげに上を向いたという。つまり、猿も何らかの言語を持っており、意思疎通することができる。しかし、「あいつはクズだ」、「あいつは信頼できるやつだ」というコミニュケーションは行わない。噂話ができることができるようになったことにより、ホモサピエンスはネアンデルタール人を滅ぼし、遠く離れた地に移住することができるようになった。噂話というと、悪い印象もあるかと思うが、この本によると、噂話をできるようになったことにより、ホモサピエンスはお互い協力できるようになった。噂話により、「こいつは信頼できる」とか、「こいつはダメだ」と言った情報が集団内で共有され、より協力しやすくなる。ネアンデルタール人や、認知革命以前のホモサピエンスは、なかなか陰口が聞けなかったらしい。

考えてみれば、我々のコミニュケーションのほとんどは、噂話である。最近は、ITが発達し、social mediaが生まれたことにより、噂話の形は大きく変化している。噂話が生まれたことにより、噂話がなかった時より集団内の個々人の情報について共有できるようになり、人が進化してきたことを考えると、ITは人の進化に大きな影響を与える可能性がある。

モスクワ旅行記(入国〜1日目)

 モスクワ旅行 入国以降のことを記そうと思う。前回、ビザ申請〜入国までのことを記した。怖い入国審査官に冷たい目で見つめられ、ようやく入国できた。

 入国すると、驚いたのが、アジア人がいない!ことであった。いや、中国人らしき人は少しいたかもしれない。ただ、空港を出て、電車でモスクワ中心部に向かうと、自分達以外でアジア人どころか、ロシア人以外の観光客とパッと見て分かるような人たちとすれ違うことは、ほぼなかったような気がする。

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 電車に乗り、モスクワに向かったが、ちょうど早朝モスクワに着いたため、通勤時間と重なった。印象的であったのが、皆俯きながら歩いていたことであった。雰囲気は日本に似ている。皆閉鎖的な環境、退屈な毎日に疲れているように感じた。

 ロシアに入国し、困ったことがある。まず、標識の文字が、キリル文字オンリーで英語併記がしていないということである。いや、キリル文字くらいはロシアに入国するまでに調べておけという話かもしれないが、これまで複数の国に旅行してきて、あまり標識まで読めず困るということはなかったので、油断していた。EU圏であればだいたい観光地には英語の標識があるし、英語の標識がなくても、そもそもその国の文字がアルファベット、もしくはアルファベットと非常に違い文字である。従って、行き先の地名くらいは識別することができる。また、中国に行った際は、英語はないが、漢字なので、地名どころか、文章として何を言っているのか、何となくわかる場合も多い。

 キリル文字で困るのは、まず形が全然アルファベットと違う形の文字があるということ、また、アルファベットと同じ形なのに、読みがアルファベットと異なる場合があるということの2つである。例えば、アルファベットのdはよく顔文字で使われるдになる(顔文字:(゚д゚)こんなやつ)。 こいつのおかげで、顔文字の表情が多彩になってますよね。また、アルファベットのvはなぜかвになる。他にもアルファベットのsがキリル文字だとcとか。おかげでmoscowのキリル文字表記(Москва́ )(発音はMoskva)がモスクワに着いた時に読めず、Москва́ がモスクワを意味していることに気づいたのは、着いてから数時間経ってからだった。それまでは、ずっと「モックバ」としか読めず、「モックバ駅がモスクワの中心部らしい!」という認識で、それをモスクワと認識することなく、モスクワ駅に向かっていた。モスクワに旅行される皆様、Москва́ はモスクワです。これだけは覚えといて損はないと思う。

 ロシアに入国してもう1つ困ったことが、モスクワが暑い!ということだった。着いた初日は30度は確実に超えていた。特に気温を調べずモスクワは寒いだろうと、長袖しか持って行かなかった結果、30度越えの気温と強い日差しで熱中症になりかけた。1日目は、睡眠不足と強い日差しにやられて早々にアパートで就寝した。

モスクワ旅行記(ビザ申請〜入国)

 今日はいつだったかモスクワに旅行した際の話を書こうと思う。

 なぜ急にモスクワに行こうという話になったかは覚えていない。研究生活に疲れていたのかもしれない。とにかく、仲の良い数人でモスクワに向かうことにした。

 しかし、まず、ロシアに入国するためにはビザが必要である。日本はビザなしで入国できる国が非常に多いらしいが、日本パスポートであってもロシアには通じない。さすが旧?共産国である。

 ロシア大使館のホームページを見ると、観光で数日間滞在するためのビザとして、まず観光ビザがあることがわかる。ただ、この観光ビザ習得するのが非常にめんどくさい。最初はこのビザを申し込もうとしていたが、旅行会社の署名などが必要である。この時点で私はEbookersでチケットを購入し、booking.comでアパートに滞在する予約をもう行っており、通常の旅行会社は全く使っていない。ビザを入手するためだけに旅行会社にお金を支払うことも考えたが、よくホームページを見ると、通過ビザというのがあった!これは3日以内の滞在であれば、ロシアから第三国へのチケットを見せれば、ロシアに入国できる。今となってはなぜか覚えていないが、何が何でもロシアに滞在したいと考えていた我々は、この通過ビザを使って入国することにした!

www.russia-emb.jp

 ビザの申請を行うためには、大使館に行く必要がある。そこで我々は六本木に向かった。大使館は思ったより小さく、大使館にいる客はほとんどがロシア人と胡散臭い感じのする日本人であった。大使館員は確か2人で、ロシア的なゴツイ男性がで来るかと思いきや、細身のインテリな感じの男性であった。手続きは普通に済んだと思う。ビザを受け取るためにはまた一週間後に大使館にくる必要がある。申請から、ビザを受け取るまで、確か一週間程度かかったので、余裕を持ってビザの申請をする必要がある。ただ、どうしても余裕がない場合は、追加のお金を払えば、受け取りまでの期間を若干短縮できたような気もする。ビザの申請の帰りに、東欧美女集団に出くわし、ロシア美女に対する期待が膨らむ。

 申請から一週間後に無事ビザを受け取り、予定通りモスクワに向かった。確かCathey pacificかどこかを使い、どこかを経由してモスクワに向かっと思う。機内の出来事は覚えていないが、衝撃的であったのは、モスクワでの入国審査である。通常の国の入国審査であれば、パスポートを出し、顔を確認し、数秒で入国できる。しかしここはロシアである。いかつい審査官が、パスポートの顔写真と私の顔を見比べること5分。いや、これは体感なので実際はもっと短いかもしれないが。何も言わず非常に冷たい目で見つめられた。さすがロシア。万が一何かトラブルに巻き込まれたら、一生ロシアから出られないのではないかという気がした。

 以上、ここまでがロシアに入国するまでのお話である。次はロシアでの出来事を書こうと思う。入国以降の記事はこちら。

 

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