【2017年100社巡り】4社目 伏見稲荷大社(伏見のお稲荷さん)
目指せ!!和魂系デザイナー
この度は、WEBデザイナーとして就職する事になりました!
今まで編集マンとコーダーを経験して来ましたが、ようやく憧れのステップに立てた感じです!
さて、私が目指す「和魂系デザイナー」とはなんぞや?
『和魂とは、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面』---荒魂・和魂 - Wikipedia
つまり、内面は優しく平和的で、恵みをもたらす有能デザイナーを目指そうというわけです。
【そのためにやること】
・いつも、清く正しく美しく(元々デスク汚い系だったので改ます><)
・恵みをもたらすために努力を怠らない
・仕事に厳しすぎない
・笑顔でニコニコ
社会人の理的なやることは一切かきませんがとにかく清らかで平和なデザイナーになります!!
【2017年100社巡り】3社目 高良神社(京都府八幡市)高良玉垂命とは誰か?
今週のお題「2017年にやりたいこと」で掲げた100社巡りも3社目!!
3社目は石清水八幡宮の高良神社です。
詳しい情報はこちらにまとめましたが、
ブログではサイトに書かれていない歴史や考察などを書いていきます!
高良神社の御祭神は『高良玉垂命』。
しかし、高良玉垂命はあまり聞き慣れない神様です。
氏神様だから土着の神様じゃないかという意見もあると思いますが違います。
なぜなら、石清水八幡宮が創建されるずっと前・・・390年には福岡県久留米市にある高良大社で高良玉垂命が祀られているからです。
高良大社は高良山に鎮座しており、高良山を神奈備山として信仰されていたことが推測されれます。高良山には高木神(高御産巣日神)が鎮座されていました。
では、高木神が高良玉垂命の正体なのでしょうか?
このようなお話が残っています。
「高良山は元々、高牟礼山と呼ばれており、高木神が鎮座されていた。ある晩、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、高良玉垂命は結界を張ってそのまま鎮座してしまわれた。」
このお話から高良玉垂命は元々、高良山にいなかったことがわかります。
次にインターネットなどでよく見る。
八幡神社などで高良社に武内宿禰が祀られる事あることが論点みたいですが、そもそも高良社と武内社を分けてる方が多いです。これは時代が遡り、同一視されたものと考えたほうが正確だと考えます。
ならば、高良玉垂命は誰なのか?
この時、高良玉垂命の名前は出てきませんが高羅の豪族だったのでは無いでしょうか?
謎の多い神様です。
この先も調査を続けていきたいと思います。
日本神話や考古学を勉強中!!いい本見つけました
今回は昨日買った気になる新刊の雑誌をご紹介!!
『関西の神社をめぐる本』と『今こそ知りたいアイヌ』の2冊を昨日購入しざっくりと読みました。良い雑誌です。ただ、まだ読み込んでないので概要的な事は書けますが、具体的なレビューは書けませんのでご了承下さい。
一冊目の『関西の神社をめぐる本』はキャッチコピーが「いちばん身近なワンダーランド!」っと怪しさ満載ですが中身を読んでみると凄いマニアックな神社まで紹介され、ついつい購入!!
序章に神社・神様・神話を見開きで紹介されており、神社に興味を持ち出した人にもとても優しい。
実際の中身を見ていくと「物語の舞台」「アートとデザインを楽しむ」「パワースポット」「ご利益いろいろ」「週末旅」と章が別れています。
一つ一つ見ていきますね!!
物語の舞台
この章では、古事記や能と行った物語や芸能の舞台になった神社を紹介しています。
(一例)淡路島 おのころ神社
アートとデザインを楽しむ
この章では、神社に奉納されているお宝や国宝級の社殿などのある神社が紹介されています。
パワースポット
この章では、パワースポット・・・例えば、巨石信仰のある神社など自然信仰が残るが紹介されています。
縁起物
この章では、変わった御札や楽しい御朱印、御神水などが紹介されています。
(一例) 大阪府 片埜神社の鬼の御朱印
週末旅
この章では、熊野と京都 丹後半島の一泊二日度の神社巡りプランの例が紹介されています。
(一例) 熊野本宮大社
2冊目の『今こそ知りたいアイヌ』はゴールデンカムイのイラストをふんだんに使ッてる感じなのでゴールデンカムイファンにはたまらない一冊でしょう。
内容はすごく濃くて、アイヌ神話や神々の事や文化についてが雑誌の過半数をしめており、残りは近代までの歴史が書かれています。
アイヌの自然や動物、生死に対する考え方や哲学、独自の文化を学べるのが魅力的な一冊です。
如何でしたでしょうか?
まだ、私も読み込んでいないのでしっかり読み次第ちゃんとしたレビューを書きたいと思います!!
【2017年100社巡り】2社目 檜原神社
100社巡り2社目は、奈良県桜井市に鎮座する『檜原神社』です。
天を遍く照らす太陽の神様であり、天皇家の祖神様です。
なぜ、天照大御神がこの地に鎮座しているのでしょうか?
出雲系の大神氏のお膝元である三輪の地になぜ・・・
この問題を答えは日本書紀に書かれています。
時は第十代崇神天皇の御代にまで遡ります。
天照大御神(八咫鏡)は崇神天皇の代まで皇居に祀られていました。
しかし、天照大御神を畏怖した崇神天皇は、皇女 豊鍬入姫命にその神霊を託してお祀りするのに相応しき場所を探させます。
その最初にお祀りした地が笠縫邑。
その笠縫邑こそが檜原神社だったのです。
その後、天照大御神は豊鍬入姫から倭姫託されてに旅を続けて伊勢後に落ち着きます。
疑問に残るのは、なぜ崇神天皇は天照大御神を恐れたかということです。
実は、天照大御神を皇居で祀らなくなる前年に疫病で多くの民が亡くなりました。これを天照大御神に関わりがあるとしたのです。
全くの濡れ衣に思えるのですが、なぜそうなるのでしょうか?
崇神天皇が太陽信仰を辞めた説や崇神天皇出雲系説など様々な説がありますが真相はわかりません。
天照大御神は封印されたという学者もいるくらいです。
しかし、伊勢神宮を尋ねてみると封印されたとは思えない暖かで神々しい空間が広がっています。
今もこの神々しい伊勢地で天照大御神は鎮座されているのです。
【2017年100社巡り】1社目 片埜神社
前回の記事に書きましたが、2017年の目標は年内に神社100社に参拝することです。
片埜神社は、日本最古の相撲をとったと言われる『野見宿禰』が相撲に勝った褒美として河内国を与えられた事に由来する神社です。
この由来から野見宿禰の子孫である菅原道真をご主神の一柱としてお祀りしております。
元々は、菅原道真と建速須佐之男大神をお祀りしていた神社ですが、
豊臣秀吉が大阪城の鬼門に当たる場所として片埜神社を再建します。
おそらく、この時に鬼門という印象が付き、災厄として建速須佐之男大神を牛頭天王と習合されてものと考えられます。
また、近くには阿弖流為と母禮の塚があり多くの人がお墓を訪れてます。
もちろん、地元の方々にも愛されていて常に美しい花が手向けられてます。