雑記

音楽のこととか 日々のこととか 大学生

『まるで幻の月をみていたような』夜

日付が変わる頃、風呂からあがって火照った身体をクーラーで冷ましながらベッドに横たわる。ここ数日小遣い稼ぎのためにした慣れない肉体労働のせいで心なしか身体はぐったりと重い。ただそれも今日で終わりだ。臨時収入が入った喜びか、あるいは労働に耐えきった達成感か僕の心はそれと対照に軽い。この幸せな疲労感に音楽と共に浸っていたくて、僕はおもむろにイヤホンに手を伸ばす。

 

mol-74の『まるで幻の月をみていたような』。この時間帯にとてもマッチする曲。ストリングスのぼんやりとした音色のフェードインから始まり、叙情的でかつ切ないピアノの伴奏がそれに重なると、Vo.武市和希の透き通るような歌声がそれに続いてAメロが始まる。

 

武市和希の歌声、冴え渡るようなファルセットは僕の心の中にある原風景を非常に鮮明に想起させる。目を閉じて彼の声に耳を傾けると、僕は遮るもの何一つない広々とした高原のような場所に居る。開放感の中にどこか寂しさや、寒々しさといったものも感じるのだけれど、それが何故か返って心地よくて、僕はそのままその世界に留まる。

 

曲は緩やかに、しかし確実に盛り上がりを迎え、大サビへと入る。「風の無い夜の水際に 羽根のない想いをうかべよう」。高らかに歌い上げられる詩的な歌詞と僕の心の中の原風景が混じり合って、一種のファンタジー的体験をしているのを感じる。疲れ切った身体から心が抜け出して、どこか遠い架空の世界を旅しているような気分になる。

 

長めのアウトロでピアノとストリングスのハーモニーをじっくり聴いたのち、最後ピアノのソロで静かに曲は締められる。目をゆっくり開けると見慣れた部屋の天井が見える。曲の始まりと共に没入していった僕の理想郷が、曲の終わりと共に消え去っていく。余韻に浸りながら僕は、この曲のタイトルの意味が少しわかったような気がして、なんだか嬉しくなる。僕は、相変わらず倦怠感を纏った身体を起こして、寝る支度を始める。(8/9 1:16)

 

 

 

 

『憂、燦々』を聴く

夜、一人部屋で寝っ転がって天井を眺める。特にやらなくてはいけないことも無いし、やりたいこともない。贅沢な時間の使い方のはずが、どこか虚しく感じる。スマホSNSを流し見ると花火大会に行ったという内容の投稿が目に付く。僕は逃げるようにイヤホンを耳に押し付ける。

 

イヤホンからクリープハイプの『憂、燦々』が流れる。どこかノスタルジックでいて物哀しいギターリフのイントロが終わると、尾崎世界観の独特な声と16分で刻まれるハイハットの音が心地良いAメロへと曲は続く。

 

そのままゆったり流れるように曲はBメロに。しかし歌詞はそれと対照的に僕の心のなにかをざわ立てるのだ。恋人に対してどう接すれば良いのか悩む気持ちを歌っているこの曲は、「優しいだけじゃ 意味ないし」という強烈なフレーズと、直後不意に鳴り響くピアノの音を経てサビへと入っていく。

 

僕は恋愛経験が決して多いわけではない。いや、確実に少ない方であるという自負さえある。それでもBメロの最後のフレーズにはハッとせざるを得なかったのだ。優しさが返って相手を引かせてしまったりとか、独りよがりの優しさだったりとか、そもそもその優しさは自分を守る、保身の優しさであったりとか。薄っぺらい自分の恋愛経験と曲を重ね合わせて、脱力感にも似た虚無の感情を覚える。

 

いつのまにか曲はアウトロへと向かう。「離さないでいてくれるなら なんでも叶えてあげるから」。曲中繰り返し歌われるフレーズでラスサビが締められると、イントロと同じメロディーでアウトロが始まり、そのまま余韻を残しつつも最後ハイハットオープンできっちり終わりが告げられる。

 

ふと窓の外に目をやる。当然花火なんかは見えない。きっと今年は花火を見に行く機会はないだろう。もし、いつか一緒に花火を見に行ける人が僕の前に現れたら、優しさを押し付けるだけじゃなくてきちんとその人と向き合えるだろうか。僕は何故かまだ尾崎世界観の声を聴いていたくなって、もう一度再生ボタンを押そうと携帯に手を伸ばす。(8/4 23:33)

 

 

ブログを始めた

タイトルの通りである。ブログを始めた。

 

まさか自分のような人間がこのようなコンテンツに手を出すとは思いもしなかったというのが正直なところである。口下手、自己表現が苦手で人と会話をする時は専ら聞き手側、取ってつけたような笑顔で相槌を打つような男が自らの考えを文章で発信する側になるとは…… 人生わからないものである。

 

きっかけはなんてことはない、「大学の先輩がやっている」からである。これまた随分受動的な理由で恥ずかしい限りではあるが、物事を新しく始めるのに大層な理由なんていらないじゃないかと勝手に自分に言い訳をしている次第である。

 

上記の通り自己表現が苦手な人間が、どうやって文章を書き連ね、そしてブログを続けていくのかは自分が一番興味深い所ではあるが、三日坊主で終わることだけはないようにと(少なくとも今は)思ってる所存である。(8/3 16:00)