「ほんとうの花を見せにきた」見どころ

ジュゴンmEXです。今日は文春文庫刊、桜庭一樹原作の小説「ほんとうの花を見せにきた」の魅力について書いていこうと思います。

 本書は3つ、話が収録されていますが、今回は特にその中の「ちいさな焦げた顔」について書きます。

「ほんとうの花を見せにきた」の魅力

①表紙がかわいい

 私が持っているのは文庫版ですが、表紙がすごく可愛いです。黄色の背景に白いレースのワンピースを着ている少年が花をいくつか持っているという絵です。この表紙を見てるだけで、買ってよかったなと思います。

②種族は違うけど家族の話

 物語はマフィアに家族を殺された男の子「梗ちゃん」が「ムスタア」と名乗る吸血種族バンブー(吸血鬼みたいな存在)に助けられるところから始まります。私はあらすじも読まずに読み始めたものなので、その後はバンブーに吸血鬼にされて旅をするような話だと最初は思いました。でも実際は、ムスタアというバンブーとその相棒の洋治さん(バンブー)が梗ちゃんを大人になるまで育てるという話でした。ムスタアも洋治さんも梗ちゃんの背が伸びるたびに大喜びしていて、ときにはふざけ合って写真を撮ったり、梗ちゃんが反抗期だと叱ったり、本当に家族だなあと思いました。結末は悲しいけど、何度でも読み返してしまいます。

 

③「バンブー」っていう名前

 バンブーは作中だと「竹のオバケ」とあります。竹というと、成長が速くてどんどん伸びていくイメージがあります。ところが、作中のバンブーは成長しないことが特徴です。だからムスタアたちは梗ちゃんが成長を続ける人間であることを喜んで、決して彼をバンブーにしようとしなかったのです。普通のバンパイアのように人間の血が主食で、夜にしか行動できない。それなのにバンパイアと呼ばずに、バンプーと名前を付けているところが面白いなと思いました。

 

④若干BL

 梗ちゃんはマフィアから身を隠すために女装します。それだけで、腐女子としては大興奮するけど、それだけでなく、ムスタアのことを何度も「ぼくのバンブー」と呼ぶところが、可愛くて愛おしかったです。洋治さんがちょっとオカンみたいだったところも最高でした。

 

 

ご精読ありがとうございました。

 

 

 

小説「私の男」の感想・考察

ジュゴンmEXです。私のお気に入り図書「私の男」について考察しようと思います。

これは愛に飢えた親子が越えた禁忌を描いた作品で、直木賞を受賞しています。

 

以下、ネタバレを含みます。

 

この作品は全6章からなります。

主人公、花の結婚を描いた「花と、ふるいカメラ」

花と新郎、美郎とのなれそめを描いた「美郎と、ふるい死体」

花の養父、淳悟が犯した罪についての話「淳悟と、あたらしい死体」

花が犯した罪についての話「花と、あたらしいカメラ」

淳悟の知人、小町から見た花と淳悟の関係についての話「小町と、凪」

花と淳悟の出会いの話「花と、嵐」

 

花が24歳で結婚してから、9歳で淳悟に出会うまで、少しずつ時間をさかのぼっていくという話の流れでした。今回は最終章「花と、嵐」から考えていこうと思います。

 

花は震災で家族を失って淳悟に引き取られるのですが、そちらの家族は本当の家族ではありませんでした。それゆえ、妹がするように親に普通に甘えることができないでいました。上で養父と書きましたが、淳悟の方が本当の父親だったのです。人に「似てないね」と言われると母親だけ元気がなくなったので、おそらく淳悟と竹中家(花の育ての家族)の母親との間に生まれた子が花だと考えられます。

”ほんとうの家族だけで、海の向こうに行ってしまった。”

竹中家は花だけを残して、そろって死んでしまいます。花はそれが羨ましかったのではないかと私は勝手に思います。だから、後に「結婚しない。骨になっても一緒にいたい」とか言うようになったのではないかと。

 

一方で、淳悟も家族に恵まれない人でした。漁師だった父親を海で亡くし、優しかった母親は淳悟に厳しくあたるようになりました。淳悟は花と、自分の母親の墓を訪れた際、「いやな、ばばぁ」と吐き捨てます。しかし、花を抱く際には彼女の前にひざまずいて、花を「お母さん」と呼びます。淳悟の憎しみは母親に対するものだと考えられます。一方で、母親が与えてくれなかった愛情を、花に対して必死に求めているような感じもします。花は淳悟の神で母親でした。花は何も知らないまま、淳悟に与えているような感じでした。

転機は「花と、あたらしいカメラ」で花が大塩のおじさんを殺害したところだと思います。この時期から、花は淳悟を「私の男」というようになりました。大塩のおじさんに指摘されたり、自分の体に変化が起きたりして、ようやく自分と淳悟がやっていることの意味を理解したのだと思います。そしてこの章から、淳悟が花にとっての神になります。淳悟が花に対してしたように、花も淳悟にひざまずいていました。しかし、それ以降、淳悟が花にひざまずく描写がありません。書いていないだけなのか、もしくは花が淳悟にとっての神ではなくなったのか。第1章の小町さんのセリフで「あれは死体だったのよ。前から思ってたわ。あんたがいるから、守ろうとしてまだ動いてるだけのゾンビみたいって。8年前から死んでたの」とあります。第1章の8年前というと「花と、あたらしいカメラ」の時期です。ひょっとすると、そのときに二人の立場は逆転したのかもしれません。花は淳悟から何かを奪って生きていて、淳悟は奪われてゾンビみたいに生きていて、花が働けるようになったら疲れ果てて動けなくなってしまったのではないか。ぷつんと糸が切れたようになってしまったのではないだろうか。それで、花が結婚すると、彼女の前から消えたのではないだろうか。

 

一方で花の方も年齢が上がるごとに少しずつ、心情に変化が現れました。第3章で「わたしは骨になってもおとうさんから離れないんだからね」と言っていたのが、第2章、美郎とのなれそめのところでは「きっかけからやってきてくれたら、きっとおとうさんから逃げるわ!」と花が言っています。一方で、淳悟を見つけるなり「おとうさん」と彼女は甘い声を出します。花は淳悟から離れたいのか離れたくないのか、どちらなのだろう、と思ったけど、私はその心情、なんとなくわかるような気がします。私自身、家族に対してそういう感情を抱いているからです。子供の時は、「ずっと家族でいたい」「お父さんとお母さんが先に死んだら私もきっと死んじゃう」とか思っていて、家族から離れて暮らすことは考えられませんでした。今は、少し大人になって、いろんな人と知り合って、自分の家族の変なところとか目に付くようになって、こんな家早く出ていきたいと思うようになりました。でも、いざ一人暮らしのこととか、嫁に行くこととか考えると不安になって、やはり家族が恋しくなって、なかなか離れられないという状況です。憎らしいのに愛おしいのです。家族は奇妙なものだと思います。この物語は血の繋がった家族が肉体関係を持つという点では異常だけど、やはり結局は家族の話だと思うのです。子供が成長して、親元を離れて行く。親はそれを見送る。淳悟はいずれ花が離れて行くものだとわかっていたから、花が「お嫁には行きません」と言っても「いや、行くだろ」と返事をしたのだと思います。

 

結局、花は淳悟から逃れることができたのかどうか。

最終章「花と、嵐」より

”カモメが急降下してきて、かぼそい声で鳴いた。青黒い北の海が背後で波の音を静かに響かせていた。……おとうさんとわたしのふたりきりの道が、どこまでもずっとのびていた。”

第1章「花と、ふるいカメラ」より

”鴉がまた急降下して、甲高い声で啼いた。澱んだ川と、くすんだ色の河川敷が続いていた。私の男がいなくなったわたしの道が、どこまでもどこまでものびていた。”

 

上は最終章の最後の文章と第1章の最後の文章を比較したものです。上がカモメになっているのに対して、下は鴉になっており、上が海になっているのに対して下は川になっています。淳悟と花にとって、海はいいものではなかったように思います。海もカモメもいない、随分遠くまで逃げてきたという印象です。また、「おとうさんとわたしのふたりきりの道」が「私の男がいなくなったわたしの道」に変わっていることから、やはり花は淳悟から解放されたのではないかと想像できます。