ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

泌尿器科はあそこ以外行くまいと思っていたが

やむを得ない場合もあります。

 

先日、あるタイミングでの排尿後から腎臓〜膀胱周辺が時折痛むようになりまして。母方父方双方が糖尿病家系であることや、数年前に実父が腎臓結石を患ったことから、「自分も結石では?」「そうでなくても膀胱や腎臓の炎症があるのでは?」と不安になり、泌尿器科への受診を考えました。少し様子を見ても良かったかもしれませんが、熱っぽさや倦怠感が出てきていたので、杞憂であっても受診した方が良いだろうと考えた次第。

しかし問題は、何処の泌尿器科に行くか。私がいつも行っている泌尿器科って、そこは泌尿器案件というよりは内分泌案件で、*1要はトランス医療に理解ある所なのでホルモン投与が主目的だったんですね。院長先生が私の身体の事情を把握されていているので、局部が「特異な状態」でもさして心配が無い。もし膀胱のエコー検査が必要でその際に局部まで下着を下げないと検査できなかったら……というのがまず最初に出てきた心配事でした。*2近所にも泌尿器科はあるにはあったのですが、『なんですかこれ、睾丸摘出!?そのナリで?いやいやおかしいでしょ、あなたみたいな人うちじゃ診られないよ余所行ってくれ』と言われるのを恐れて、なるべくいつもの泌尿器科に行くつもりでいました。

でもこういうときに限って思い通りにいかないもの。調子が悪くて受診しようと思った日に限っていつもの泌尿器科は代診医師。加えて、熱っぽさから電車移動や長い待ち時間を過ごして遅くに帰宅するのは体力的にかなりしんどい。身体が辛いときはなるべく受診も手っ取り早く済ませたいもの。心無い言葉を浴びせられる不安はありながらも背に腹は代えられない。意を決して近所の泌尿器科の門を叩きました。

 

問診票を記入して少し待つと診察室へ呼ばれました。あぁ、ここもフルネーム口頭呼びなのね……と思いつつ入室。院長の雰囲気からして、私の悪い予感が当たるかどうかは半々な感じ。良く言えばフランク、悪く言えば軽い印象。事あるごとに『男性は』『男性は』って言うの、泌尿器科という部位の都合もあって仕方無いのはまぁわかるけど。AMABはAMABなわけだし。ひとまず尿検査とエコー検査をとのことでしたが、まだ十分に溜まっていなかったので先にエコーから実施することに。

実は腹部エコー検査はここが*3初めてだった私。トップスは胸の下まで捲り上げ、下着は局部が見えない恥骨ギリギリの所まで下げるとのことで、それを聴いた瞬間にだいぶ安堵しました。腎臓、膀胱、前立腺の3部位とも異常所見無しで結石も見当たらず、且つ私の身体事情にも気付かれなかったのでそこで緊張の糸が切れた感覚がありました。

続いて尿検査では、年末の健康診断には無かった尿蛋白±の所見が。エコー検査に異常が無かったこと、倦怠感や熱っぽさがあり、受診前は睡眠不足が数日続いていたことから、身体の抵抗力が弱っての感染症による所見では……とのこと。抗菌剤その他が処方され、薬を飲みきる頃に尿の再検査をすることになりました。症状も本記事執筆時点ではだいぶ落ち着いています。

 

……と、再検査まで必要になったことから、可能ならなるべく医者は近所で済ませた方が良いと改めて感じるのでした。移動と待機で時間とお金を削られるのはなるべく避けたいし、どうしてもな不調ですぐに頼れないのが一番辛いですからね。独自性の強いものに関しては電車移動が必要ですが、今の家に引っ越してからかなりの医療機関を近所に固められてはいます、一応。デッキケース()がどんどん分厚くなっていく……。

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結局此度は身体の事情を知っている医師ではない所に行き、しかもクローゼットな状態で局部周辺の検査を受けたわけで。真剣に考えた結果として結構無謀なことやっていますね私……。ただ、エコー検査で"全て"を見せなくても良いとわかったのは大収穫。身体を見せる必要のある検査を受けるときって、どの部位まで医療者に見える状態になるのかを事前に知れると良いなと思います。それで安心できる人は私以外にもいるのではないでしょうか。

 

さて、再検査の結果が悪くなければ良いな。

*1:"同業者"も多く受診しているらしい。

*2:しかもGoogle口コミによるとだいぶ評判が良い。

*3:職場の健康診断では身体を見られたくなくて避けてきた。

いつの間にそんなに丸くなったのと訊こうにも訊けず

年末年始休暇も本日で終了。

初詣の後に実家に立ち寄るだけのつもりが、両親のスマホ設定やプラン変更の手伝いをすることとなり、まさかの1泊。日中に飲酒してしまったので素面の状態でやりたい、とのことで。実家で泊まったのは5年ぶりくらいでしょうか。ジェンダー外来の受診2回目に自分史と共に必要だった幼少期の写真を取りに行った時以来。私は元日の内に帰宅するつもりだったのに。

……というのも、宿泊となれば着替えと入浴が伴いますから。着替え中に勝手に入って来られて身体を見られてしまえば、流石に言い訳ができない箇所が上下にある。だから最後まで抵抗しましたが、飲酒による眠気もあったしスマホ周りで困っている旨は聞いていたので、仕方なく私が折れることになった次第。蓋を開けてみれば、就寝時も入浴時も前みたいに勝手にドアを開けられはしなかったので事なきを得たわけですが。

 

そんなこんなでスマホ設定の手伝いも完了し帰り支度をする中、実父は相も変わらず私の結婚を諦めていないようす。

実父『マッチングアプリは使っていないのか?使って今年はもっと積極的に』
私「行きません」

実父『今度来る時は若い女性でも紹介しなきゃ』

私「しつこいよ」

と、私の割にはピシャリとあしらっているつもり。いい加減にそのつもりが無い旨くらいは言っても良いではなかろうか。そう思っていると、実母から意外な言葉が飛び出しました。

実母『結婚するつもり無いんじゃないの、今はそういう人もいるんだし』

こんな言葉が聞けるとは思わなかった。衝撃で肝心な所の記憶が曖昧だけれど、『女性でも男性でも』みたいな言葉も発していたような。もう帰る直前だったというのに涙ぐみそうだった。単に親戚の中に私より歳上で未婚の従兄が2人いるからこういう言葉が出てきただけかもしれないけれど、彼らの存在がもしかしたらこの時の私には救いとなったようにも思えました。

 

何だろう、かつての実母が私に対して示していた態度からは想像もつかない。私が此度の帰省で実母へ抱いた思いはタイトルに示した通り。これを尋ねれば私が"真実"を伝えねばならないはず。流石に性的マイノリティを『大問題だよ!』と発言した"前科"のある人に対しては慎重にならねばならないが、どうしたものか。これでは、治療を始めた頃から思っていたように、実家を捨てるに捨てられないじゃないか。まぁそもそも住民票の閲覧制限が不受理に終わった時点で逃げ切るのは難しいような……。

今年は実家との付き合い方も考え直さねばならないですかね。「懐柔された」というよりは「関係が好転している」と思いたいけれど、果たしてどうだか。敵認定していた人達がそうでなくなるなら、それだけでだいぶ助かりはするのですが。

願望、心正しき者は叶ふべし

新年おめでとう存じます。旧年中は各位大変お世話になりました。今年も例年通り朝から初日の出と初詣(思想信条の都合から神社ではない)に行ってきました。

 
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さて今年の目標につき、「誤魔化す回数を減らす」よう過ごしたく。昨年は容姿の変化を言及される機会が一昨年より多く、見た目の点から可能性は低いとはいえ、"正体"を看破される危険性が少しは増したとも言えます。そのような発言がなされた際には結局いつものようにやり過ごしてしまうのだろうけど、そんな中でも例えば美容に気を遣うとかメイクをしているとか、ダメージの少ない範囲で正直に開示する機会が増やせればと思います。 

また、12年ぶり(当たり前)に*1「当たり年」或いは「年の者」ということで。だから何というわけではないけれど、年齢だけが増えていると思われないような振る舞いは意識したいものです。

 

籤は小吉にて。「訴訟:早く和解して力を他に転ずる方幸なり」なので実家とのわだかまりが取れればとは願いますが、なかなか難しいでしょう。ただ「疾病:本復すべし」との言葉には希望を持って健康第一で過ごしたいと引き続き思います。

本年も宜しくお願い申し上げます。

*1:男女に依拠しない名称案を頂戴した方々に、この場を借りて御礼申し上げます。

大きな、大きな1年間

あっという間に過ぎ去ってしまった2023年。特に12月に入ってからは早かった。振り返って色々と「大きな」年だったと思います。趣味では色々と大きな挑戦をさせてもらい、健康面では大きな検査を受けることが増え、家族関係にも今までより大きめの変化がありました。拙ブログで5年間続けていた毎日更新を辞めて不定期に移行したというのも大きな変化だったように思います。

 

今年の健康面を振り返ると、ついに新型コロナウイルスに感染してしまったのがショックでしたね。医療関連業界にいてマスク着用も厳しく自身も相応の対策をしていてなお突き抜けてくるウイルスの強さよ。平熱35℃台に39℃台はしんどいなんてものじゃない。二度と罹りたくないものです。他には胃と大腸の内視鏡検査やMRIも受診し、皮膚科手術も受けました。このせいで例年にも増して医療費貧乏ですが、異常が無かったので良しとしましょう。ただ、アラフォーとなったせいか体調が100%良好な日は少なくなりました。内分泌系をいじっている時点で当然は当然なのだけれど。健康には気を遣いすぎるくらいがちょうどいい。

 

実家絡みでは誕生日に両親と会食をし久々に実家の敷居を跨いだほか、先月には祖父の十七回忌法要がありました。両親から私への関わり方は、昨年まで比で明確にマイルドになった印象です。私の容姿の変化を矯正させようとしていた人と、美容談義をするなど想像もしていませんでした。

両親に何故そんな心境の変化があったのか。後期高齢者入りや還暦を経て「丸くなった」と単純に片付けたくはありません。ただ、両親は両親で少しずつ虚像ではない今の私を見ようとしてくれているのだと思いたいですね。カミングアウトに関しては生きている内はきっとできないのでしょうが。首都圏在住30代でもまだまだこんなものですよ。

 

そのカミングアウトできない理由として、された側からの拒絶と否認が確実に起こるからというのは拙ブログでも再三述べてきました。私のようなノンバイナリ含む広義のトランス当事者にとって、2023年が日本での「最も危険な年」だったと後年に振り返ることになるのでしょうか。インターネットの中にいた"活動家"の方々がリアルデビューをしてしまったことは目立った出来事だったよう思います。

私自身の主張としては他称TERFに近いので、今年起こった種々の出来事について大きく声を挙げることはできません。「生きている内に差別はきっと無くならないから、それなら世間に合わせてひっそりと生きた方が良い」「出生時の"性別"はどうやっても変えられず、向こうと全く同一の機能を身体に持つことはできない」と考えているゆえ、これら信念を是認してくれるのはどうしてもあちら側の陣営になります。私に見た目の"説得力"が無く"逆埋没"ができるからそう考えるだけで、全当事者に言えることでは勿論ありません。しかし「差別反対」の言葉は、それが決して叶わない夢物語に思える私にはどうしても唱えられないのです。職場や実家にカミングアウトをせず、言わば「高みの見物」を決め込んでいると言えるのが現在の私なので、実にずるい立ち位置にいるとは思います。今この状況で無策にカミングアウトをするのは悪手でしかありませんが、もししたら私の信念にも変化はあるのでしょうか。新年に信念が変わる……ってコト!?

 

振り返ると、公私に大きな変化がありつつも私の中心的な部分は依然として頑ななままであるように感じられます。変われない自分が言葉を紡ぐことへの意味の見出せなさ、というのもブログ不定期化に際してよぎっていたことではあり。「うまくやり過ごす」だけの生活がいつまで続くでしょうか。そんなことを考えながら終える2023年でした。2024年は「私の干支の年」ですが、年男・年女に代わる性別に依拠しない名称があったら教えてください。

仕事納め&職員健診 2023

今年も年内の勤務が無事に終了しました。新年には部署内の要職が他部署に取られ補填も無いと知らされ、元々低い勤労意欲が更に下がった状態で年を越すことに。何だか前職でも見たような光景ですが、あの時はボスの首も挿げ替わって大変なことになったので、それと比べればまぁといった具合。人が抜けた分だけ上の方に昇進があれば、まだ弊社にも救いがあるのでしょうか。ただ、女性管理職がようやく今年2人になったような状況なので、簡単に上げることはしないという想像はつきます。なるようにしかならんやろ(棒)。

 

ついでに職場の健康診断も受診。体重が昨年比で微増してBMIの10の位が変わったり左目の視力が微減してしまったりと、なかなか思わしくない結果に。視力は先日眼科で測った際に「やや乱視入りの両方1.2」と発覚したので、体感からも乱視の影響で調子が出なかった可能性大。眼科用の測定器ではないですからね。体重はちょっと来年から頑張ります。方々から細いだのなんだの言われるけれど、そんなの嫌味にしか聞こえませんので。標準体重ではあっても、骨格につき筋骨隆々にて実にイカン。自分のごつさは自分が一番よくわかっています。

後は、色々な医療機関で進んでいる「番号呼び」を実装してほしいものです。『(戸籍名)様ーーー!!』とフロア中に聞こえる大声で何度も呼ばれる屈辱たるや。それを聞いた周りの人達に、呼ばれた分だけ「男性名の私」の記憶がどんどん上塗りされていく。自分の責任だから仕方ないのはわかっているものの、*1改名が不可能だとこういう場面でボディブローのように削られていくんですよね。

 

健康診断の時に唯一嬉しかったのは、久しぶりに*2「例の保健師さん」にお会いできたこと。私が髪を隠さなくなってから初めてだったので、向こうは一瞬私だとわからなかった様子。私の容姿の変化も『セクハラだったらごめんね』と前置きした上で話してくださる気遣いがありがたい。「男性職員」に対してそこを気にして話す人ってそうそういないので。出向から戻られたら種々相談できるといいな。

 

さて、いよいよ今年も残り1日半。年が終わるのが早過ぎて実感が無いけれど、日付的には事実なのでしょう。

*1:職場にバレるのが理由。

*2:私が弊社で唯一、自身のセクシュアリティに関して相談できると思える方。

黙り通すことに耐えられるという特権、或いは自主的な透明化

今日はトランスジェンダー追悼の日。そして昨日は本来ならばトランスマーチが行われる筈だった日。元々マーチを見に行くつもりではあったので、 #1119新宿トランスライツ のデモを見に行きました。少し離れた場所でも同種のデモがあり、お世話になったあの方が駆け回るお姿も見かけた。かたや毅然とスタンディング、かたやカウンター連中と一触即発。活動の毛色こそ違えど、同じ目標のあるデモが偶然にも隣り合った珍しい光景を目にすることができました。また、プラカードやフラッグはトランスプライドカラーだけかと思いきや、ノンバイナリカラーのフラッグを掲げてくださった方もおりとても嬉しい気持ちになりました。私はトランスカラーのネクタイを身に着けていましたが、NBカラーネクタイにしても良かったかもしれない。

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そしてその夜、SNSにて見かけた某弁護士の投稿。曰く、トランスと雖も皆が同質ではなく「『個』による違い」はある……と。それはおそらく「そうでない人」と同様に「私達」にも一個人として生活者として、6色では括れないそれぞれの色、持ち札、関係性があるということなのだろうと私は感じました。何なら私自身、(広義の)当事者としては典型的な生育歴を辿ってはいないし。

一方で、個別に複雑なことを考えていったらキリが無いので一律で括るべき……とのジェンダークリティカル論客に多い主張もわからなくはない。それだと現実的な検討はできないのではなかろうか。一律で括る根拠として、選びに選び抜いた悪目立ちするn=1を「現実」としてぶつけるのは些か恣意的に思えます。しかしそうした悪目立ちな不埒者はどうしても目につくし、大声で批判できるほど私はクリーンではないので、警戒心を持ち一律に括りたがる人の気持ちも蔑ろにはできないと考えます。だからとて、「『個』による違い」を持つ当事者が各々の環境下でサバイブする試みもまた、毀損されるべきではないでしょう。

 

ただ「そうは言っても」と、我々を括るべきだと結論づけるのが「世間」なのだと私は考えています。この「そうは言っても」によって、理想とは程遠い価値観や規範が当分は主流であろうという事実(或いはそれにほど近い絶望的観測)に直面していき、「現実」主義的な思考になっていった私がいます。

ノンバイナリ、しかし体格や顔貌といった外見や声が非常に男性的なため、私は「言わなきゃ誰にもわからない気付かれない」という状態に在る。だからこそ、この世間の中で黙ってさえいれば、直接的な被害は一切受けることが無いのです。寧ろ、(実際にそうでなくても)加害をしてくるに違いない者として見られ続けてきました。私の持つこうした種々の条件故に、直接的なトランス/ノンバイナリ差別には遭わず、言ってしまえば高みの見物をやれている状況なわけです。マイクロアグレッション?あぁ、ゼロとは言いませんが、それに対する世間の回答は「甘えるな」の一択でしょう。ならば甘えず生きましょうぞ。

 

と、こうして「私は関係無い」と他人のフリをしながら日々「逆埋没」で生きているのですが、これは私が持つ特権なのかもしれませんね。「性的マイノリティであることやそれにより直面する困難を、黙り通すことに耐えられる」という。「個」としての自身が生まれ持った条件や置かれた状況から私が選択した結果なので、下手に真似をしていいものではありません。

デモを見に行くなどしてはいるものの、どうにも没入できないのはこうした点も理由の一つと言えそうです。

ジェンダー外来初診から5年

が、経ちました。30代を迎え自分の行く末を考えるに当たり「このまま純度100%の男性として老いていき死んでいくこと」への絶望的な耐え難さを改めて自覚し、クリニックの門を叩いてからもうそんなに経ちますか。

 

ちょうど明日が定期通院日なのですが、"戦友"さんをはじめとして同時期に通っていた方々が次々と"卒業"していく中、私自身はずっと同じ箇所で足踏みをしているように思えます。何せ、主要な関係先へのカミングアウトすらできず仕舞いなのですから。実家、職場、趣味コミュニティ……あいも変わらず只の身体男性として通り続けております。

そんな中でも続けてきたのは身体的な治療。しかし、受けていく過程で社会的な立ち位置が変わったかと言うと、前述の通り何一つ変わってはおりません。自分の脚の間の容積が少しだけ(完全にでは未だ決してない)減ったに過ぎないのです。これにより内より湧き上がる嫌悪感の波が凪くらいにはなったにしても、"先"へ進む見通しは経済的にも社会的にも立てられていないのが実情です。

だからって無理にでも進めるべきと思っていないのは、この状況を納得させる為なのか。或いは嫌悪感の源を取り除いたことによるしばしの余裕ゆえか。そこも大事だけれど今の生活も守りたい……という辺りが近い所なのですかね。

 
これが終着点なのかと思うと、もう少しやれることがあったような気もします。ただ、嘘だと言われたり茶化されたりする未来を考えれば、臆病者にはお似合いの末路なのかもしれません。人間関係の再構築には、労力と共に傷つきも伴う……と聞きます。私はそれができなかっただけ。元居た方には戻れず、かと言って逆側にも振り切れず。そんな状態で他者を"納得"させられるだけの説得力を、私は持ち合わせていないし持てる見込みも無いので。

暫くはこのまま、内心は「多様な男性」として、客観的には「只の(ゴツい)身体男性」として。せいぜい死なずに生きてみましょうか。

 

10/14追記:今日の通院で100回目だったようです。別に節目だからどうこうとはなりませんでしたが。職場の考課面談にて、懲戒処分の基準が少しわかったので自分の容貌に関することで処分となる可能性が低そうなことに安堵した……などの話を主治医と。頻りに訊かれるホルモン投与の効果については、プラスの変化が起こることではなく「マイナスの影響が起きない」ことこそが良いのでは……という実感をここ1年ほどで得られた気がします。身体が変化していくフェイズが終わり、健康維持の側面が強くなってきたのかなと。その意味で、内分泌系の治療に関する追加の希望って余程のことが無いと出てこないだろうなと思っています。いや、社会的な面での相談事項が一向に出てこないのがまずいという自覚は一応あるのですが。