『日本民俗学大系第1巻』(平凡社、昭和35年4月)の小川徹「民俗学と地理学、とくに人文地理学との関係」は、「三 民俗学史上における人文地理学的方法」の付記として、小寺廉吉*1、林宏、山口弥一郎、千葉徳爾らの民俗学的活動に触れなかったことに言及している。これら地理学者のうち、山口弥一郎については、最近内山大介・辻本侑生『山口弥一郎のみた東北:津波研究から危機のフィールド学へ』(文化書房博文社、令和4年2月)が刊行されたところである。そこで、今回は林宏の話題にしよう。
小川は前記論考で、「林宏氏も地理学者出身で近畿・北陸の民俗にくわしいし、南方その他海外の民族学的研究にも関心が深い人である」としている。林の経歴を調べると、『吉野の民俗誌』(文化出版局、昭和55年3月)に次のような著者略歴(西暦を元号に改めた)が載っていた。
林宏(はやし・ひろし)
大正3年 富山県砺波市生れ
昭和16年 京都帝国大学文学部史学科(地理専攻)卒業、同時に同大副手
昭和24年 奈良学芸(現教育)大学講師となり、助教授・教授を経て、昭和54年、定年退官
(略)
戦時中の動向が不明ですね。ところが、大佛次郎記念館編『南方ノート・戦後日記』(未知谷、令和5年8月)を読んでいたら、林が出てきて驚いた。
(昭和十八年)
十二月二十三日
(略)酒井君が若い地理学者の林宏君(注71)を連れ Batavia の図を持って来てくれる。(略)
十二月二十四日
(略)南方文化研究所(注73)へ行き、林氏に本を貰ったり見せて貰ったりする。(略)
(昭和十九年)
一月二十五日
(略)林宏君とバサールスメン(略)の古本やを覗く(略)夕方小野佐世男*2林君と来たる(略)
当時大佛は、同盟通信社の嘱託として南方に派遣され、この時点ではインドネシアのジャカルタに滞在していた。そこで、南方文化研究所を開設していたと思われる林と交流していたことが書かれている。林についても、いつか『山口弥一郎のみた東北』のような本が書かれるであろうか。
追記:『帝国大学年鑑:昭和十九年度版』(帝国大学新聞社、昭和18年9月)の「各大学の動向」に、昭和17年京都帝国大学文学部を中心に南方文化研究会が結成され、会長成瀬清、副会長松本文三郎、顧問羽田総長、会員は文学部有志教授より成るとある。毎月総合研究会を開くほか、南方関係文献の蒐集を行い、将来現地に調査派遣するともあり、この会と南方文化研究所は関係があるのかもしれない。