飲食業を辞めたい人必読!今すぐにでも辞めるべき理由がちゃんとある。
こんにちは。カワりもんです。
接客業が好きな方は一度は飲食店での勤務経験があるかもしれません。
そんな飲食店ですがアルバイトの時はまだ良いとしても正社員になると馬車馬のように社員を働かせる企業が多数あります。
私にも経験がありますが、全然健全じゃありません。笑
体はしんどいし、時間は無いし。でも簡単に辞めれないんです。
自分の置かれた環境やそれぞれの利害があって辞めれない人がたくさん居ると思うんです。
今回は飲食店を辞めたいと思っていても、なかなか辞められない人の背中を少しでも押すべく、今すぐにでも辞めるべき理由をお伝えします。
目次
いきなり本題。なぜ辞めるべきなのか。
いきなり本題に入っていきますが、なぜ飲食店を辞めたいと思っている人が辞めるべきなのかを率直にお伝えします。
おそらく、ここに書ききれないほどの理由があると思いますが(笑)今回は4つご紹介します。
- 飲食業界の業務形態は過去も未来も変わらない
- 勝ちにくいビジネスモデル
- 飲食業界の給与水準が低い
- 飲食業界には厄介なお局が多い(笑)
最後のは反感を買いそうですが順を追って説明していきます。
飲食業界の業務形態は過去も未来も変わらない
飲食業の勤務形態は過去も、そしてこれからも中々変われないのが現状だと私は思っています。
そしてこれから先の未来も、飲食業界は激しい競争に巻き込まれ、さらに増税後には厳しい現実が待っていることと思います。
マイナビニュースにも下記のような記事が。
子どもとお出かけ情報サイト「いこーよ」(アクトインディ運営)は8月28日、12歳以下の子どもを持つ全国の保護者を対象とした「増税に関するアンケート」の結果を発表した。調査期間は2019年7月1日~8月5日、有効回答は1,004人。
このように、増税後に節約したいもののランキング1位は外食費。
マーケットの絶対数が大きくならない限り、1店舗当たりの客数は減ります。
そうすると、どこかで経費を削るか、価格を上げるしかなくなります。
経費を削る会社か。価格を上げる会社か。
そのうちの数学に強くないダメな経営者が、いろんな経費を削り出します。
人件費を下げ、従業員のモチベーションを落とし
原材料費を下げ、商品の質を落とし、
修繕費や雑費を抑える輩まで出てきます。
SNSの普及もあり、ブラック企業とかあまりにも過酷な働かせ方みたいなことは、度々メディアでも取り上げられて問題視されていますし、多少は企業の方も動かざるを得ない状況になってきつつあります。
が、そう簡単に変われるものでもないですし、そもそも労働環境をすぐに変えれる程の社内構造や、経営構造になっている飲食の会社なら既に変わっているはずです。
変われないところは変われないんです。
休みを増やしたり、時間を少なくしたり、それじゃあ利益が取れない構造になっているから、すぐには変えられないのが現状です。
勝ちにくいビジネスモデル
本来は飲食業は誰でもできるほど甘くありません。
頭を使わないと勝てないビジネスモデルなんです。
下記引用です。
日本政策金融公庫が行なっている「新規開業パネル調査」における業種別廃業状況において、調査期間の5年間(2011年から2015年)における全業種の廃業率平均が10.2%であるのに対し、飲食店・宿泊業の廃業率は18.9%となっている。
これは、全業種を通して1番の廃業率だ(ちなみに、2番が情報通信業で15.8%、3番目が小売業の14.5%)。
『飲食店は誰でもできる』
なんていうのは本当は間違っていて
人件費をかけていないから利益が出しやすい
っていうのが正確な表現なのではないでしょうか。
原価率30%に抑えよう。
FL比率はこれくらいで。
だれが決めたんですか?って話です。
家賃も最低賃金も場所によって違うんです。
その各々の場所や状況にあった原価率やFL比率を出せなければ、絶対に勝てません。
私の前職の店舗の場合は原価率30%とかでやってたら、潰れます。
人件費なんてまともに払えません。
そういう、会計知識や数学のできない学歴や知識の無い人が、甘い考えで誰でも参入しているからこうなっているのも現状です。
ほとんどの人がなんとなく経営できちゃっているのは、
人件費にお金をかけてないから利益が出せちゃってる
だけなんです。
当たり前の話ですよね。
労働基準よりも全然人間のことをこき使って働かせてるわけですから、当然経費は抑えられます。
飲食店が労働基準法に則って人を働かせないといけないような厳しい法律ができたとしたら、何店舗も飲食店は潰れと私は思います。
上記は人件費だけの話ですが、実際はもっと複雑で利益が出しづらい業種だということは頭に入れておいて間違いないです。
飲食業界の給与水準が低い
皆さん、飲食業界が低賃金なのは知っていますか?
飲食業界は低賃金なのか?
によると、残念ながら主要6業種(製造業・金融業,保険業・宿泊業,飲食サービス業・教育,学習支援業、医療,福祉,サービス業(他に分類されないもの)の中で、「宿泊業,飲食サービス業」は男女ともに最も低い賃金水準(男性:271.1千円、女性:196.7千円)となっており、最も賃金水準の高い「金融業,保険業」に従事する男性の平均年収466.4万円と比較すると、年収にしておよそ200万円の開きがあることになります。
飲食業界は低賃金なのか?」という質問に対しては、残念ながら、他業種と比較すると相対的に「低賃金である」と言わざるを得ないようです。
そもそも飲食業界の給与水準が低いです。
これは、ある一定の経費がかかってくるので、普通にやっていれば営業利益を勝ち戦のラインに持っていくのがそう簡単ではないからです。
払える給料に限界があるんですね。
飲食店の経営というのは、ある一定幅の経費がかかって、販売価格もライバル店や近隣の店舗などから、ある一定の価格に収まります。
すると、得られる利益もある程度の金額に収まってきます。
金融業や、不動産業のように爆発的な営業利益を出すこと自体が不可能な構造になっているんです。
飲食業は300万から450万程の給与水準の中でしか動かない。(もちろん例外はありますがほとんどの場合)
60歳まで働いたとしても、あなたがもらえる年収には最初から世の中の平均年収よりも低い金額で決まっているということです。
飲食店のお局には飲食店しか知らない厄介な人が多い
これは書くか悩みましたが、、。(そうじゃない人もそうじゃない職場も大いにあるので)
誤解を招かないようにお伝えしておくと、比較的こういった人たちが多い現状があると思います。
実際に私の勤めていた会社にも居ましたし、周りからも結構な確率でこういった話を聞きます。
そして、そういった方は視野の狭い発言を次々と繰り返します。
実際に私の勤めていた会社にあった実話を元によくある発言をお伝えします。w
例1 『飲食はこういうもん』
これ、ダントツでいらっしゃいますよね。
心当たりがある方も多いんではないでしょうか。
もはや、相手にしてはいけないレベルです。
危険人物です。
飲食業しか知らない可哀想な人か、世の中の勉強不足か、こういうもんっていうのに囚われて自分で何か新しいことを考えることのできない超超凡人以下の思考の持ち主だと思われますので、あまり関わらないようにしよう!笑
例2 『飲食業にしては良い方だよ』
いやいや。視野が狭すぎて笑えるレベル。
そんなことないって。笑
そりゃそーとーなブラック企業と比較するとマシなのかもしれない。
けども、入社して一度もボーナスなんて無し!
おまけに有給なんて一回も取った事ない!(私の場合ね)
仮にですよ。
あなたの勤務している飲食店が『飲食業にしては良かった』と仮定しても、他業種と比べると、こんなに働いてこれだけ?ってなる程おかしなレベルにいることをまず理解しよう!
『飲食業にしては』ってところがポイントで、その狭い一つの業種の中で人生を考えること自体がおかしいですからね。そもそも飲食業という限られたくくりの中で物事を考えていること自体が意味がわかりませんね!
『でも他業種と比較すると最悪ですよね』
と言ってあげよう!笑
例3 『俺の時代はもっとキツかった』
いや。しらんよ。
自分の時代は、、、
その俺はキツイのにも耐えてきたんだぜ感満載の遠回しなパワハラ発言を含む武勇伝話。
どーでもいいし、それを今の時代のこの職場の人間に求める。
その時と同じ職場環境をここでも作り上げたいの?
お前はその環境を幸せだと思ってたん?
やから、この職場も同じようにしてやろうぜってか?
やとしたら、ただの変態やで。
自分に降りかかった不幸を、他人にも味あわせてやろうと本気で思っているのでしょうか。
えーここにきて口調がだんだん荒くなってまいりましたのでこの辺にします!笑
外の世界を知らないと損
繰り返しますが、健全な企業はいくらでも存在します。
先ほどお伝えしたように、飲食業の中にいる人たちのあんな言葉を毎日のように聞かされていると。
『うちはまだマシなほうなのか』
『自分だけが甘えたらダメだな』
とか優しい人ほど考えがちですが、それほぼ洗脳されてますからね!笑
離れてみればあなたも100%実感すると思いますが、
飲食業の普通は他業種から見れば異常です。
その中に今おかれているだけなんです。
その異常な状況の中での『少しはマシか』or『マシじゃないか』と言ってるんです。
いやいや。まずその異常な状況から外にでよーよ。笑
って話なんです。
過酷な労働から解放されるとそこには、今までの飲食店が馬鹿らしく思えるほど、恵まれた環境はあることに気付くはずです。
(何度も念をおしますが、飲食業の全てを否定してるわけではなく、ここでは過酷な労働環境下に置かれた飲食店のことを指しています。飲食業でも健全なところももちろん多数存在しますから誤解のないように)
さあ!はじめの一歩を踏み出す準備は出来ましたか?
ここまで読んであなたはまだ迷っていますか?
飲食店を辞めたいと思っていない人や、こだわりをもって飲食業をされている方、料理人として、プロとして飲食業に励んでいる方はその厳しい状況の中で、自分で選んでお仕事をされていらっしゃると思いますので、本当に尊敬しますし応援したい気持ちでいっぱいです。飲食店で誇りを持って働いている方をけなしているつもりは一切ありません。
私がここで伝えたいのは、従業員のことを一番に考えてあげられないような企業で働き、苦しんでいる方。
恵まれていないその環境に苦しんでいる方は他にも選択肢があるということをお伝えしたいのです。
飲食業を辞めたくても辞めれない人には特徴があります。
人に優しくて
責任感が強くて
我慢強い
人に優しいがために、自分が辞めたら困るとか誰かが苦労すると考えます。
責任感が強いがために、この店の売り上げをしっかり作ってからとか、店長としての責任を全うしてからでないと。。などと考えます。
我慢強いがために、もう少し辛抱すれば改善するかもとか、周りが頑張ってるから自分も頑張らないと。と考える。
しかし、その考えこそが自分自身を追い込んでいることに気付いて下さい。
飲食店の離職率は。
自分が辞めると誰かが困る。と思っていると周りはどんどん辞めていき、残された自分はますます辞めることが困難になります。
『辞めたい』
そう思った時に辞めれなければ、あなたのような優しい人はいつまで経ってもその負のループから抜け出せません。
それでも
『なにか変わるかもしれない!』
とそんな、周りの環境に自分の人生のハンドルを握らせて、このまま数年間賭けに出ますか?
それよりも、自分自身の環境を自分の足で変える方向に進んだ方が、どう考えても手っ取り早いし正確ですよね。
自分の一度きりの人生です。
周りの環境が変わるのを待っていては、時間が勿体無い。
自分で環境を変えるんです!
我慢が美徳。
日本人には良くも悪くもそういう風潮があります。
わかります。
『どんな仕事も、気持ちいいのは1割。あとの9割は我慢』
なんて先日もテレビ影響力のある人が言ってました。
そういうのが必要な時ももちろんあると思います。
でもそうじゃない選択も出来るんです。
『どんな仕事も、9割、または10割楽しむことだって可能』
そんな人も世の中には沢山居るってことです。
これを読んでくださったあなたの未来が、今よりももっと良くなってくれれば本当に幸せです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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【過去の自分に物申す!その2】常識的な考え方をやめろ!枠にハマるな!
こんばんは。カワりもんです。
ちょっと訳あって名前を変えました。www
Twitterに合わせることにしました。ご承知を。
過去の自分に物申すシリーズ第2弾は
過去に『常識的な考え方をすることが、癖になっていた自分』への物もーーす!!
1.協調性のある自分
昔の私は、協調性というかみんなで当たり障りのないように、揉めないように争わなくていいように自然と行動していました。
それがベストだと思っていたし、衝突のない平和が一番だと本気で思っていたのです。
なので昔は、みんなと意見がよく一致していました。
普通はこうだよなとか、これが当たり前だよなとか。
相手の話はよく聞いていましたし、人に対して興味があったので(←過去形w今もありますよ!)その人を本気で理解しようとしていたのもあります。
普通に過ごしていれば誰ともぶつかることもなく、熱く意見を交わし合うでもなく。
相手を理解することに努めていたという、その点では昔の自分を褒めてあげたいです。
2. 少しずつ「変わり者」になっていく
でもそれは少しずつ変わり始めます。
大衆の意見とは違うことを思うようになってきたのです。
発言すると反感を買う。
なんかちょっと悪者のような雰囲気になる。
付き合いが悪いとか、色んな言葉を浴びせられるようになります。
妻ともそれで喧嘩になることが多々ありましたw
色んなことを想う中で、だんだん俺だけが変わっているみたいな感じになってきたのです。
自分では常に物事に色々な疑問が湧いてきて、本質を理解しようとした、ただそれだけのことだったように思うのです。
通説を疑わず、本質を見る前に目の前の現象だけで物事を判断する。
周りがそんなふうに見えてきました。
「なんでだ?なんでもっと疑わないんだ?」
そんな風に感じ、不思議でたまりませんでした。
3.常識の枠の狭さに気付く
最初は違和感を覚えました。
「変わってるよねー」
と言われたことがあるのです。
なんかすごく嫌な言葉だなぁ。と単純にそう思ったのです。
みんなと違うのかぁーと。
でもだんだんと、その想いも変わってきました。
今の常識的な日常から、別の場所へ行きたいから頑張っている。
だったら非常識な方が有利なのではないかと。
そして世の中に、この間違った常識や通説がたくさん溢れていることに気付きました。
小さなカゴの中にバッタを入れ、一切外に出さずに育てると、バッタは「自分が生きている世界は、このカゴの中の高さしかない」と錯覚し、カゴの天井の高さまでしか飛べなくなる。
これは有名な話ですが、私たち人間にも同じことが言えると思います。
そして、あまりにも自然とそのカゴの中にいる人が多い。
いや、カゴの中だとは思っていない。
むしろ、「誰がカゴの中におんねん」ぐらいにバカにするなよと言わんばかりに自分は正しいと主張する。
常識の枠に囚われているということは、常識の枠の中でしか生きていけない。
この世の中は常識の枠の中に収まる方が、利口だということを前提に成り立っているように思います。。
枠から外れた発言をしたり、ありえない斬新な発想をしたってネットで叩かれる時代ですから。
4. 小学生の夢
ぼくは大人になったら、世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには、世界一練習しないとダメだ。だから、今、ぼくはガンバっている。今はヘタだけれどガンバって、必ず世界一になる。
そして、世界一になったら、大金持ちになって、親孝行する。
Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれて、ヨーロッパのセリエAに入団します。
そして、レギュラーになって10番で活躍します。一年間の給料は40億円はほしいです。
プーマとけいやくしてスパイクやジャンパーを作り、世界中の人がこのぼくが作ったスパイクやジャンパーを買って行ってくれることを夢みている。
一方、世界中のみんなが注目し世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは日本に戻りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。
ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。
この得点も兄と力を合わせ、世界の強ごうをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることがぼくの夢です。
この、本田圭佑選手の将来の夢みてください。小学生の常識を超えている。
実際に叶えちゃってるからすごいなーって今ではそうなります。
けど当時はどうでしょう。
多分ほとんどの人が「かわいいなー」とか「ませてるなー」と思って終了だと思います。
常識的に考えると、こんな具体的なレベルの高い夢、大人が叶うと想うこと自体が不可能ですもんね?
本人以外、本気で叶うと思った人間が、その当時周りに何人いたでしょうか?
常識では考えられない「非常識な夢」は本人以外、誰も本気で叶うなんて思わないんです。
周りは自分のカゴ(経験値からの常識の中)にいるから。
目の前のあなたが発言することが、夢のまた夢にしか聞こえずに、どこか遠くの誰かしか、成し遂げることが出来ないことのように聞こえるんです。
だから、その常識的な考え方に汚染されてはいけない。
言い換えれば、常識を超えている思考は、他の誰にも理解されなくていい。ということ。
思い出してみてください。
小学生の頃の卒業アルバムの「将来の夢」のページには現実には叶えることが難しいであろう夢で埋め尽くされていたこと。
それが素直な気持ち。それこそが素直な自分なのではないでしょうか。
それが、いつしか高校を卒業したら進学して、就職活動をして可能な限りいい会社に就職する。
そして、親元を離れ一人前になることを目指して毎日同じような服を着て出社し、同じような毎日を過ごし、車を買ってマイホームを買って、周りに負けないようにと必死になって70歳近くまで働く。できれば、役職がどんどん上がりながら。
そんな『常識の枠』に自然と収まっていく。
そして、それが大衆と同じであり、役職なんかもついてきちゃってるもんだから、カゴの中だとは気づかない!
そこまでいってしまうと、取り返しつきません。
死ぬ前に気づいても遅い!
5. 日常の常識を疑え!
ちょっと話逸れますけど、僕がいつも不思議に思うこと。
都内の駅などでエスカレーターに並ぶ行列を見ていると、「本当に!?」と思います。
ご存知の方も多いでしょうが東京(関東?)では基本的にはエスカレーターの左側に列を作って立ち、右側は空けられています。
急いでいる人の為なんでしょう。。
もうそれはそれはみんながあたかも法律でもあるかのように、綺麗に並んで左側だけに乗ることを何の迷いもなく行なっています。
そして、その空けられた右側を歩きながらエスカレーターで上がる人たちが登っていきます。
みんな、急いでないしそれでいいならいいんですけど。
なぜ、左側一列に並んでるのかと。
一列に並ぶことによってエスカレーターの運搬能力がめちゃくちゃ減ります。
ほんで一部の急ぎたい人のために、ご丁寧に右側を開けている。
右側に歩きながら登る人がいたって、運搬能力は2列乗りのほうが遥かに高いでしょう。
この全体の動きが効率を悪くして行列を作っている事実。
さらに駅のホームではエスカレーターの左側に階段があるにも関わらず、同じようにホームに溢れるほどの列を作ってまでかたくなに「左側一列乗り」を実行します。
「エスカレーターは2列で乗って、急ぎたい人は階段登れば一番効率がいいのに。。」
シンプルにそう思います。
そのほうがみんなで早いんです。
どーでもいい例を出しましたが(笑)私にとってはこれも不思議現象の一つなのです。
このように、
常識とは、過去の凡人が作り上げた間違った美徳(または平均値)
であることは、もう間違いありません。
常識を疑って、常識的な考えをする癖をなくし、世の中の枠にハマることを避けていきたいものです。
6. 日本人の「協調性」が仇となる
このような、常識の中に当たり前に生きるのは日本人特有なのかもしれません。
日本人は周りとの協調性を大事にし、「和」を重んじます。
それは、学校教育の頃から、自然と身体に染み込まれているような気がします。
集団生活において、協調性を大事にすること。
それももちろん必要なシーンも多々あります。
日本の教育にとって、ごく当然のことです。
それは日本にとっての良いところでもあります。
子供の頃から、
「こうしなさい」
と学校や家庭で言われていたとします。
それが大人になったらどうでしょうか?
「個性が大事」
なんて言われるんです(笑)
おいおい!みたいな。
空気を読めとか個性をだせとか、なんやねん!と。
または
「あなたはどうしたいか」
を求められます。
「こうしなさい」
が必要な場合もあるかもしれない。
けれど、そうでない場合は
「どうしたい?」
と自分自身で考えて答えを導き出す。そんな個性が生きるような教育ができればと思い、私自身は子どもと向き合う際に意識しています。
日本人特有の教育を受けてきた私たちは、
周りとの協調性を大事にし
人に気を使ってろくに仕事も休めずに(有給消化率の悪さ。あと、なんか知らんけど周りが有給使わないしそもそも休んだりとかしないw)
群れから離れて、個性的な事にチャレンジする事自体が異次元な感じがする。
その結果、お金儲け=悪のような変な風潮もある。
要するに、常識の範囲の中でみんなと共に助け合いながら、身を粉にして一生懸命働き、自己肯定感か自己満足感か分からないそのあたりの感情をを満たして生きていく事に何の疑いも持たないまま。。
の人が多くいるのではないでしょうか。
日本の協調性の文化や「助け合い精神」も日本人として誇るべき民族性ではあります。
社会に出てからも、協調性が大事な部分も多々あるでしょう。
しかし、多くはその「常識」でありその「通説」を疑う必要があると感じています。
会社を辞める時にこんな言葉をかけられたことがあります。
「今、みんなで頑張っている時にお前はそれでいいのか?」
会社の成長のために、会社を守るために、こんなに試行錯誤色んなことをみんなでやってきた。
その途中で、お前は逃げ出すのかと。
情に訴えるその言葉に多くの人は思い悩んだり立ち止まったりすることもあるかと思います。
しかし、私はこう答えました。
「この会社に残り、この会社の為に時間と労力を割き、社長の愚痴を言いながらこの会社の為にこれからも頑張る。みんながやっているんだから。その選択をしているあなたは正気か?」と。
その当然のように「他人の軸」で仕事をしている人達が不思議にみえていました。
ここまで読んでくれた人は、恐らく私と同じように不思議に見えてきませんか?
そして、その無意味な協調性のせいで無意味な残業していたり、協調性のために我慢してその場所にとどまり、みんながやってるからと本来の本質とはかけ離れた無駄な努力をしている人に対して、
みんなより努力している とか
だれよりも頑張っている とか
辛いのにすごい とか
もてはやしたり、祭り上げる風潮があるから、まさに愚の骨頂。
常識の枠の中に閉じこもり他人の時間を生き、他人の軸で自分の居場所を決めていることに他ならない。
それよりも、
常識から一歩外に出て、自分のプライベートを大切に自分の時間を生き、自分の軸で自分の居場所を決めることができる
ことの方がよっぽど賢いと、どう考えても思うのです。
少なくても私は、大人になってからその考え方にシフトするまでの期間は、本当の意味での幸せを感じなくなってしまっていたのだと今では感じています。
だからこそ、昔の自分にいいたい。
早いうちにその『協調性を重視した、常識的な考え方を捨てろ!』と。
7. 自分の軸で生きていく為に
自分の軸で、自分の時間を主体的に生きる事を私自身は強く推奨しますが、それほど簡単なことではありませんでした。
簡単です。
と言い切りたいところなのですが、私にとっては少し努力が必要でした。
自分の軸を生きていく為にはまず、自分がどこで(Where)、誰と(Who)、何を(What)していて、どのような(How)人生を送っているのかを定義する必要があります。
そうです。自分を知る必要があるのです。
追いかけていた夢が一度終了した私には、そこから「自分を知る」というところからのスタートだったのです。
私にとってはと言いましたが、私のように自分のことを根底では知らないという人も多いような気がします。
そんな人はまずは自己分析です。
自己分析といってもそんなに肩肘張らずに、自分と向き合う時間を確保して、自分の好きなことだけをノートに羅列すること。
それだけでも見えてくることがあると思います。
周りとの協調性や周囲の目。金銭的な壁や社会人や大人としての体裁などもすべて捨てて。
本当に自分の好きなことだけを書き出していく。
そうして私は自分と向き合いました。
私はそれに加えて、下記の本の巻末にある自己分析の質問に答えていきました。
メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)
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そして、その自己分析の質問で、小学生の頃に得意だった作文のことを思い出したのです。
それが、書くことを始めたようと思ったきっかけなのです。
そしてそれはのちに、twitterやブログを始めることとなります。
これは、自分と向き合ってこの自己分析の質問に答えていなければ決して、形にならなかったことでしょう。
最後に
今回は、『常識的な考え方をすることが、癖になっていた自分』
要するに周りとの協調性を重視するあまり、自己主張も程々に八方美人だった、過去の自分へのメッセージでした。
この世の中、人の顔色を伺いながら、仕事をする方が楽だし、人付き合いの面では当たり障りのないことかもしれません。
しかし、「常識の枠」から出るということは、明らかに「常識の枠」の中では感じられないものがあると確信しています。
コツとしては、色んなことを疑うことからです。
こう言うとすごいネガティブな言葉に聞こえますが、まずは疑うことから。
本質を見極めるために。なぜ?なぜ?を繰り返す。
私は、ニュースすらいつも疑っています(笑)
まとまりのない長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
知らないうちにあなたのキッチンは添加物で溢れている!かも
こんばんは。カワりもんです。
体調を崩したこともあり、ブログの更新がかなり空いてしまいました。
本当に健康でいられる事って、それだけで幸せだなと感じますね。笑
そんな所で今日は、知らないうちに大量に摂取している可能性のある食品添加物について深掘りしていきます。
- 1章 気にしすぎるのではなくまずは知ること
- 2章 私の友人の朝食
- 3章 本物と加工品を知る
- 4章 食を提供する一人の人間として
- 5章 子どもたちへどう伝えていくか
- 6章 知ることの大切さ
- 7章 日本の大切な食文化を守るために
第1章 気にしすぎるのではなくまずは知ること
私は職業柄、食品を扱う仕事についているので食品添加物についてはかなり敏感な方だと思います。
これまでも家庭で使う調味料や、子供に食べさせるものなどは特に食品添加物に気を遣って購入するようにしています。
気を遣いすぎて、周りからも
「気にし過ぎだよ」
とか
「そんな事気にしてたら生きていけない」
などと言う意見もチラホラ。
それもごもっとも。
現代の日本では、スーパーに行けば食品添加物が入ってるものしか売っていない。
ハムやウインナー。醤油などの調味料から惣菜まで。
食品添加物が入っていないものを探すのがまず大変。
添加物を悪だ!とだけを言いたいのではありません。
私たちは、添加物の恩恵も受けています。
いつでもどこでも手軽に安く食べ物が買える。
すぐに腐るはずのものが長く美味しく食べられる。
煮込んで出汁を取らなくても5分で調理が出来る。
そんな恩恵を受けてるけれど、どれほどの添加物について知っているでしょうか?
そんな事気にしていたら、、、なんて言う人は本当に気にならないのでしょうか。
気にしないのならまだ良いですが、気にしないのではなく、知らないのではないでしょうか?
私がここで伝えたいのは、添加物を取るなということではありません。
添加物のことを知って、その上で選択して欲しいのです。
何も知らずに、『そんな事気にしてたらさー』なんて適当な事を言って、年間数キロにもなる添加物を知らないうちに摂取し、不健康に太り、知らないうちによく病気をし、知らないうちにアレルギーになり、、、。
なんて事になる前に。
知った上で、選ぶのは自由ですから!
第2章 とある友人の朝食
私の友人の朝食を紹介します。
友人のS君は一人暮らし。
9時出社の18時退社。どこにでもいる普通のサラリーマンです。
彼は朝起きてすぐは食欲がないと言い、準備だけ済ませて少し早めに出勤してから、デスクで朝食を済ませます。
職場の近くのコンビニでハムのサンドイッチとレジ前のチキン。目覚めの缶コーヒーが日課です。サンドイッチに関しては健康を意識して、「保存料・合成着色料は使用しておりません」と表示しているものを買いました。
【サンドイッチの原材料表示】
小麦粉、ハム、マヨネーズ、砂糖混合異性化液糖、マーガリン、パン酵母、食塩、脱脂粉乳、調味料(有機酸等)、酢酸Na、リン酸塩(Na)、乳化剤、pH調整剤、増粘多糖類、イーストフード、酸化防止剤(V. C)、コチニール色素、発色剤(亜硝酸Na)、V. C、香辛料抽出物
見慣れない化学物質ばかりが並んでます。。。保存料・合成着色料無添加を謳っているサンドイッチです。確かに国が指定している保存料と合成着色料は使われていませんが、その代わりに着色しなくても綺麗なピンク色のハムに見せかけるための、発色剤(亜硝酸Na)が使われ、天然の着色料であるコチニール色素(サボテンなどに寄生する虫を加工してすり潰して抽出する色素)が使われています。
しかも、長くなるので割愛しますが、上記のpH調整剤やイーストフード、調味料、香料、リン酸塩(Na)などは一括表示といって数種類入っていてもまとめて表記して良いこととなっている成分。(おそろしい)
ここで特筆すべき点は、S君は健康を意識しているからこそ
「保存料・合成着色料は使用しておりません」と表示しているものを買った
ということ。
保存料と合成着色料を数種類削ったけれど、その代わり日持ちするようにpH調整剤を入れ、発がん性のある亜硝酸Naで変色を防ぎ、虫をすり潰した天然着色料を入れ、あたかも有害物質がないかのように大きく自信ありげに
「保存料・合成着色料は使用しておりません」
と表示している。
S君は
「こっちのほうが健康にはいいや」
と思って買っています。
この拡張表示は許されるのでしょうか?
私は本気で怒りが込み上げてきます。
消費者が少しはマシと思って買っているのです。
それがマシどころか、その表示をするために、他の添加物を増やしているのです。
これが、食は安全と言われている日本の国と企業のやり方です。
みなさん。
知ってください。(切実)
サンドイッチだけではありません。
・カロリーオフ系の表示がされたものも全般。(大量の甘味料が入ります)
・ご丁寧に金色のシール代の原価も加算させてまで謳う、無着色の明太子。(ハムなどと同様に変色を防ぐ亜硝酸Naなどがてんこ盛り)
・ごはんに合うよね。漬物系全般。特に減塩表記要注意。(塩の代わりに大量の化学調味料を投入←じゃないと腐る)
もっともっとたくさんありますがキリがない。
カロリーオフ!減塩!!!無着色!!!!
ぜーんぶ「体のためですよー」と言わんばかりに大きく表記しています。
それ全て、添加物でまかなわれ、なにが体のためやねんw
と毎回ツッコミを入れたくなりながら呆れて言葉も出てきません。。
なんども言いますが、添加物が悪いと言っているのではありません。
このケースの場合売り方に明らかに問題があるでしょう!
えー。缶コーヒーも説明しようと思ったけど長くなりすぎるので、短めに。
【缶コーヒーの原材料表示】
牛乳、コーヒー、全粉乳、砂糖、デキストリン、乳化剤、カゼインNa、香料、
・・・・・・・・。うん。
もはやコーヒーではない。笑
3章 本物と加工品を知る
上記で紹介したものはほんの一部に過ぎません。
添加物の種類は省くとして、本来のものとは少しかけ離れたもの(かなりオブラートに包みました。笑)をリストアップしてみたいと思います。
・コーヒーフレッシュ(乳成分は1ミリも入っておらず油を白く変化させミルクに見立てただけのもの)
・かにかま(正式名称:カニ風味 魚のすり身 〜大量の添加物をそえて〜)
・カット野菜(殺菌剤のプールで濃度を変えて何度も消毒→歯ごたえを再現するためpH調整剤投入)
・醤油(脱脂加工大豆←大豆の搾りカス+アミノ酸、カラメル色素で着色、添加物で醤油の味を再現)
・みりん(本来の焼酎ともち米などだけで作られるみりんは探す方が大変なレベル。スーパーに並ぶみりんが全部みりん風調味料であることも珍しくない。)
・酒(本来は「米」「米こうじ」のみ。現在は醸造用アルコールで薄められているものがほとんど)
・塩(これも本来の「塩」はスーパーでは見かけなくなりました。ほとんど加工塩。天日塩・岩塩の表記があってもミネラルが残っていないものが大半で、あたかも国産であるかのような過大表記も多数見られます。成分表示をよくご覧ください)
漬物、明太、こんにゃく、アイスも油の塊ですからね!(ラクトアイスはコーヒーフレッシュに甘さを加えて色をつけて固めただけ)
キリがないです。
基本的な調味料の「醤油」、「塩」、「みりん」、「酒」などが本来のものとかけ離れているわけですからもう救いようも避けようもないことはお分りいただけたかと思います。
なんども言いますが、私は上記のものを批判するつもりはないです。
どれも安く、美味しく、限りなく本物に近づけた日本人の最高傑作とも思います。(確実に皮肉ってるやん)
時にはそれを選ぶこともあると思います。
だって近所のスーパーに売ってないんですもんw
しかし、それでも本物は存在します。
知って、その上で自身が選ぶんです。
4章 食を提供する一人の人間として
私が少し特殊なのでしょうか。
そんな意見もあるかと思います。
しかし、食の大切さ、本来の素材の美味しさ、それを食を専門とする仕事柄、皆さんより少しだけ知っているだけだとしたらどうでしょうか。
知っていればこう感じるのはごく自然なことだと本気で思っているのです。
食を専門とし提供していることから、みんなに食べてもらいたいものは、少しでも健康であってほしいと願います。
我が子に食べさせるものは、変なものは食べさせたくないし、本当の素材の味を知ってほしいと切に願うからです。
そして、世の中の広告やメディアから情報が嫌でも入ってくる現在において、あまりにもその情報を鵜呑みにする消費者が多いことに、本当に危機感を覚えているんです。
現代でもこれほどまでに、変わってしまっっている基本調味料の数々。
このままでは、子供達が大人になった時には、1、2年かけて作られた本醸造の国産大豆の醤油などは存在しなくなるかもしれません。
そして、子供達にとっての醤油は、既に醸造用アルコールで希釈されたものが、「本物の醤油」として認識されていきます。
5章 子どもたちへどう伝えていくか
「パパ(ママ)の作ったご飯美味しい!」
娘はそう言って、いつも喜んでご飯を食べてくれます。
「おいしい」
本当にそれだけでしょうか。
その日は、手作りの唐揚げ。
鶏もも肉は、抗菌剤入りの輸入穀物飼料(胃腸の調子が良くなり食べた餌を全て栄養として吸収できる)を与えられ、効率よく早い日齢で出荷体重に達するようぶくぶくとふとらせた「国産若鳥○○産」ではなく、値段も3倍ほどするブランド鶏で奮発。
味付けのためのにんにくやしょうがも国産の農家のものをすりおろして使用しました。
醤油も、国産大豆と小麦と塩だけの純粋な醤油。
そこから、2時間寝かせる。
豚汁につかう里芋も、真空パックにして売ってあるものは使わない。
土を落としてから皮をむき、少量の酢を入れたお湯で茹でてからアク抜きをします。
サラダに使う葉っぱ類も水にさらして、手でちぎり色々な野菜をミックスします。
そして、サラダにつけるマヨネーズも卵黄とマスタード塩とサラダ油に純米酢を加えて手作りします。
ほかにも、全て手作りにこだわったその日は、16時ごろから仕込みに入るほどの手数の多さ。笑
そして、子供にも手伝ってもらいます。
「卵をいれて。そしたら塩を2g測って。マスタードは5g。油は最後に混ぜながらゆっくりね。こうやって少しずつ入れて乳化っていう作業をしないといけないんだよ」
レシピを教えます。
「え?マヨネーズって自分で作るのぉ?」
「そうだよ。こんなに簡単につくれるんだよ。でも日にちが持たないから食べるときに作ろうね」
もともとはこうやって作れるということ、こういう食材で作られているということを教えます。
「このお肉は何のどこのお肉でしょう?」(クイズをだす)
「そして、このトリは広ーい草原で餌を食べてゆっくり育って・・・・」
「この、食べた食べ物の成分は体が栄養だと思ってぜーんぶ吸収しようとする。お前もご飯を食べてるから、それが筋肉になり脂肪になり血液になってこんなに大きくなったんだよ。食べるものは全部体が栄養として取り込むんだ。食べ物が自分の体を作るんだよ。鶏や牛や豚の命と引き換えにね。」
こんな具合に。本当はもっと細かく色々な会話をしながら作りますが、こうして子供に教えていると、子供の方からどんどん興味が湧いて色々なことを聞いてきてくれます。先日の買い物では娘に裏の成分表示を見るように怒られたこともあります。笑
ちなみに、市販のマヨネーズは、添加物の水溶液で卵を消毒し、酢と油を混ぜます。
卵本来の成分“レシチン”では乳化が足りないので乳化剤を投入。日持ちをさせるためにグリシン。油も酸化しないように加工された植物油。トランス脂肪酸の塊です。そしてあたかも健康かのように表記しているカロリーオフのマヨネーズにはさらにたん白加水分解物・増粘剤・調味料(アミノ酸等)。
マヨネーズに限った話ではないですが、これも先ほど出てきた、拡張表記のカロリーオフ、糖質オフ、と謳っている商品の方が添加物がてんこ盛りになっているから笑えます。
話を戻します。
そして、その手作り唐揚げをばくばくと食べる娘。
すると妻がそれを見て言いました。
「え。〇〇ちゃん唐揚げ好きじゃないじゃん。。」
そうなんです。娘は唐揚げが好きではありませんでした。
「パパのご飯は美味しい」
そう言って食べる娘。本当にそれだけなんでしょうか。
私には違って見えたのです。
その食べ物に命がある大切さを感じたこと。
その食べ物が自分自身の体を作ること。
そして、何よりも親が2時間かけて作った料理。(時間かけ過ぎw)
子供達はそんな姿を私たちが思っている以上に見ているのです。
スーパーでお金をだして手っ取り早く買ってきた唐揚げは温めても、どこか冷たくて簡単にテーブルに並んで、、。添加物の味を覚えるだけでなく、唐揚げとはこんなにも簡単なものだと誤解してしまう。
しかし、一緒に手作りしただけで、こんなにも手間のかかるものだということを知る。
「食べ物を残すな!」
そんな言葉を浴びせるよりも、親の姿を見せるだけで、一緒になって食材のルーツを会話するだけで、どんな言葉よりも重く大切なことを子供に伝えることができるのではないかと感じました。
その日以来、娘が唐揚げが好きになったのは言うまでもありません。
6章 知ることの大切さ
ここで、誤解のないように伝えておきたいのですが、私はなにもそんな風に全て手作りで、子供と対話しろと言いたいのではないのです。
食以外の環境が変わってしまっているのも事実。
昔のように、妻が家を守って、家事をこなせる時代ではありません。(まぁ、それも選択できますが。)
女性にも働いて輝いている人、夢を持って仕事に向き合っている人。キャリアウーマンという言葉も聞きなれた程の昨今。
毎日、添加物の無い手作りのご飯を3食用意する難しさは計り知れません。
そんな時は、便利なものだっていいと思うんです。
添加物を取って今すぐ身体が壊れるわけではありません。ストレスで身体を壊す時代ですから。
ただ、知って選択するのと、知らずに選択しているのとでは訳が違います。
私の家庭も共働きです。
私も妻もフルタイムで残業や休日出勤だってあります。
夕飯を出前で済ませることや、買ってきたもので簡単に済ませることもあるのです。
しかし、知っているからこそ、そんな時は子供達に
「今日はこんなご飯でごめんな。」
といった気持ちが必ず芽生えるものです。
その気持ちから、
「今日は頑張って手作りにするぞ!」
とか
「昨日の夜は簡単に済ませてしまったから、朝は無添加で攻めるぞ!」笑
みたいな気持ちが反動で湧き出てきます。
添加物について知識がなければ、
「子供達の健康のために!」と知らずに添加物満載のスーパーのカット野菜を与えてしまうことになるのです。笑
健康のためにと子供達のことをおもっても、知らないがためにもっと害がある食品を与えてしまっては本末転倒ですからね。
7章 日本の大切な食文化を守るために
モノは『良いものを作る』から『売れるものを作る』方へシフトしてきました。
職人のエゴやこだわりだけでは商品が消費者に届かない世の中。
わけの分からない化学物質が入った商品が売れるから作られる。
これがもし逆転し、”消費者に売れるもの” が “良いもの” になれば、必然的に
『売れるもの=良いもの』となっていきます。
本当の消費者ニーズは
「わけの分からない化学物質のもの」ではないはずなんです。
安くて便利から仕方なく消費しているに過ぎない。
本当の消費者インサイトは
「安くて美味しくて安全で、栄養分も十分にあるもの」
であると確信しています。
そりゃそうですよね。
だれもお金をだして化学物質を体に取り込むことを望んでる人などいないはずですから。
それを実現させることは本物の価格を下げることくらいでしょうか。
そのためには需要の数を増やす必要があります。
タバコがこんなにも規制され、受動喫煙も減っているのに、癌の患者数が増え続けている事実。医療も発達してきているのにアトピーやアレルギーになる子供が増加していることに少しの疑問も抱かない方が不自然です。
日本の食は安全。
そんなバカな。。
疑って下さい。
知って下さい。
“食品の裏側 / 著者:安部 司さん”の本には
財団法人福岡都市化学研究所という団体が行った調査で、4人に3人が食品添加物を実質的に支持していることになる調査結果があるとのことが記載されています。
- 【積極型消費者】・・・・「食と農」は命の源なので、安全なものなら高くても買うし、虫がついていても平気。・・・・5.5%
- 【健康志向型消費者】・・・・家族の健康を守るために食生活に注意しているし、生協の購入活動や青空市場などもよく利用する。・・・・16.6%
- 【無関心型消費者】日々忙しくて食のことは大事だと思うが、安く美味しいものが食べられればそれで満足・・・・23.0%
- 【分裂型消費者】食の安全性や家族の健康には注意しているが、特別なことはやっていない。・・・・52.4%
頭では分かっていても意識と行動が一致していない人が半分。
無関心の人たちを合わせると実に75% もの人が実質的に今の食品市場を支持していることになります。
添加物を人々が好んで消費する以上、市場から添加物は減りません。
消費があるから作るんです。
消費が無ければ、添加物の入ったものが売れなければ、市場から添加物は今よりは減るでしょう。
無添加で美味しいものを追求して、それで企業が競争することもあるかもしれません。
そうはいっても、毎日口にする食品の現状を教えてくれる場所が全くないことが問題だと思います。
国にとって都合のいい、働くサラリーマン製造小中学校では教えてくれません。
『右向け!右っ!』
で、意味のない90度ターンを教えるよりも、身体を作る『食』の大切さについて教えて欲しいものです。
まずは食について知ること。
添加物について知ること。
その上で自分で選択すること。
日々の生活の中で少しでも、食についての大切さを考える人が増えたなら。
命の大切さを感じながら、ご飯が食べれる子供達が増えたら。
それが、食に携わる私の希望です。
今日口にする、食から変えていきませんか?
そんなに難しいことではありません。
ほんの少しの努力と気持ちがあれば可能だと思います。
みなさんが、笑顔で健康にいられますように。
そして大切な日本の伝統的な食文化の良い部分が、もう一度輝きますように。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
時は金なり。いや、時は命なり!タイムイズライフ!
こんばんは。カワりもんです。
1章 時は命なり『タイムイズライフ』
まずはじめに「時は金なり」ということわざ。
皆さんも聞いたことはあると思いますが、これはアメリカ合衆国で有名な政治家の一人である「ベンジャミン・フランクリン」が作った言葉。
「Time is money」の日本語版ですな。
よく「時間=金」みたいな解釈をされますが、正しくはイコールで決定づけているわけではなく、
「時間はお金と同じように大切に使おう」とあくまでも比喩表現というか大まかな広義の例えだそうです。
そして私自身。時間を大切にする努力をしてきたわけですが、だんだんとお金と同じように、、なんて悠長な言葉では自分を追い詰めることが出来なくなりました。笑
「お金は大切につかうわ。やけどお金は使ったら増やせるやろ。やったら時間の方がむしろ大切や!時間増やせんし。時間はできて質を上げるくらいか?有限でかつ質を上げることしかできん。人間の人生と一緒やな。タイムイズライフやんけ!!」
みたいな感じになりました。w
そう。まさに時間とは誰もが自由に使うことが出来ますが、誰にとっても有限。
限られています。
そして増やすこともできなければ、ある日突然なくなってしまう可能性だってあるのです。
2章 時間管理のマトリックス
上記は書籍「7つの習慣」や色々なビジネス書でもおなじみの時間管理のマトリックスの表です。
私自身はこの、最も重要である「第2領域」をどのようにして確保するかをずっと前から考えてきました。
出てくる出てくる第4領域が。。
今現在では第4領域は『ゼロ』といっても過言ではないほどに達しました。
しかし、周りはやはり違います。
当然といえば当然なのです。それを良しとしているので、私が変人側に回っただけの話なのです。
通勤の電車ではまずみんなスマホをいじっている。落ち着いて眺めてみてください。
異様な光景です。笑
それも中身がゲームか、LINEか、TikTokかインスタか、無意味なネットサーフィンか。
8割くらいが、その人にとって必要じゃない時間を過ごしているように思います。
なかにはケータイでも仕事のメールをしたり、情報収集していたり、投資をしたり、有意義に自分の時間として活用している人もいるでしょうけど。
本を読んだり、仕事をしたり、勉強をして自分を高めている人も含めて2割くらいでしょうか。
そして、みなさんの周りの環境も自分に準じて時間を大切にしているわけではありません。
第3領域が容赦なくやってきます。
3章 容赦なく襲いかかるLINE その1分を大事にできるか
勉強や仕事をしている最中に、関係のないLINEやメールに返信する必要があるでしょうか?
友達からの何気ない電話によって、集中していたその貴重な時間を遮られてもいいでしょうか?
昔、化粧品の会社勤めをしていた頃に、上司に言われた事があります。
「そのLINEを見て返信する時間は1分じゃん 」
たしかに、私は文字入力は早い方なので(自称)24時間のうちの1分であれば私も使ってもいいと思います。
しかし、果たして本当に1分なのでしょうか。
例えばこのブログを書いているとします。
頭がフル回転しながら効率よく記事を書いている最中に、メールが来ます。→開きます。→1分で返信します。
この作業が実質1分のロスでしょうか?
全然違います。思考回路が一度とまってしまい、スラスラと書けていた記事が止まってしまいます。そうすると実際のロスタイムは30分にも1時間にも及ぶのです。
そして、一件返信すればまたLINEがどんどん入ってくるのでその影響は膨大なものになります。
他にも、勉強をしていても、読書をしていても、仕事をしていたって同じことが言えます。1分で確認できるはずのメールだと思ってその都度取り組んでいると、膨大な時間を失うことになります。
それさえ、開かなければ、その1分を大切にすれば、上記の勉強や読書、仕事を終える時間は格段に早くなるんです。
ケータイをチェックしてメールやLINEなどを返す時間を自分のタイミングで決めるだけで作業効率が数倍上がります。(緊急の場合は電話するように伝えます)
たかが、1件のLINE。
たかが、1本の電話。
この重要さを重要だと思っていない人があなたの近くにいる限り、第3領域は常にやってきます。
そして、容赦なく他人の時間をメールや電話で奪う人に限って自己管理が出来ていないのも特徴です。
スマートフォンが普及し、誰もがどんな時でも繋がれるようになった反面、社内のメールがLINEで済むようになったり、教えたくない人にまで繋がってしまったりと、時間管理に対して都合の悪い条件が揃っています。
そしてSNSも普及し誰もが自分の近況をアップしたり、それを見たり聞いたり、それに反応したり。
ビジネスとしてやっている方もいるし、全てを否定するわけではありませんが、多くが時間を無駄にしていると感じます。
「それが好き」「それが生きがい」
という方はその人にとって有意義なものなのでしょう。
それを否定するつもりはありません。
しかし、目的や理由がなく、なんとなく友達と繋がり、なんとなくコメントやメッセージを読み、なんとなく返信をし、なんとなく投稿しているようであれば、やめるべきだと思っています。
目的のないSNSは一切必要ない。
繰り返しますが、目的があれば別です。
目的がなく、自分の惨めな感情や情けを世の中に晒け出して、小さな理解を求めて、、。その小さな理解は本当にあなたを救いますか?そのいいねはあなたを想ってますか?時間の無駄だと思うのです。
もっと身近にもっと大切なものがあるでしょうに!(また話それてるw)
4章 ゲームのように時間短縮
無駄な時間を削ると次に意識が変わっていったのは、その物事自体が非効率じゃないか?ということです。
やらないことを決めたり、だらだらしてる無駄な時間を無くすだけではとどまりません。
更に時間を効率よく出来ないかと考え始めるのです。
私の場合は自然とこの思考が芽生えてきました。
例えば、以前までは、家に帰って上着を脱ぎ捨て、カバンを下ろしたらそのままリビングに行き、一旦ソファーに座るのがルーティンでした。その後に、ご飯食べよーかなとか、お風呂に入らなきゃなーとか、考えていたのですが、その時間もまだ節約出来るはずだと。
そこで、帰宅してからまずはじめに上着をかけてカバンをしまうまでの場所を確保し、その後は風呂場へ直行。すぐにお風呂を済ませます。
その時間は夜中の1時頃。当然その時間は私がお風呂から上がるのが最後なのでバスタオルを最後にこの日の洗濯物は全て揃います。
そして風呂上がりと同時に真っ裸で、横にある洗濯機を回し始めます。
洗濯→乾燥コース。そして朝には乾燥が終わっています。
「朝の洗濯の時間も節約できたやんけ!!」
そしてもう一つ。
私は車の運転が好きで出かける時にはよく車を利用していました。
しかし、時間の大切さを知ってからは運転中のなにも生まれない時間が嫌になったのです。
その移動に電車やバスを使えば、本が読める、情報を得られる、勉強が出来たのです。
一度、車を売りかけましたが、子供がいるため出掛けるときに不便になると妻に止められました。笑
5章 そして出てきた副作用!時間せっかち男になりかける
気をつけないといけないのは私に出てきた副作用です。(わたしだけかも)
自分がやりたい事、やらなければならない事があるのに思うように進まなかったり、家庭のタスクに追われたり、1週間経ってるのにあまり進んでない事態に自分を責めたり。。
休日なのに、やらなければいけない事が頭から離れなくなったり。
これでは、毎日が楽しくない。
子供の面倒を見ていても『やりたいことあんのになぁ』と思ってしまうし、自分の時間が取れないことにイライラしてしまったことも。
休日に家族でショッピングモールで買い物をしにいったときには、時間効率のために妻と私の用事をそれぞれ手分けして済ませようと提案してしまった程。笑
「一緒に買い物に来てるのに。。そーゆーことじゃないじゃん。」
と言われて、ハッと我に返りました。www
このような状態に陥ると異常。笑
まるでタイムイズライフの本質が分かっていないと反省しました。
そもそも私が時間管理の思考になったのは家族との時間が取りたかったからなのです。
これでは本末転倒もいいところ。
すぐに自分の中に休日とそうでない日のオンオフをきっちり分けるといった課題を設けました。
6章 現状維持が一番楽。それは思考停止とほぼ同じ
「時間は有限で、時間の中を生きているのであって時間が経つということは、死に向かって進んでいるということに他ならない。だから時間は大切なんだ。」
そんな事は小学生でも理解できる。
時間を無駄にしようと思ってわざと時間を無駄にしている人なんてまずいないはずです。
人は、命が有限なのも知っている。
時間が有限なのも知っている。
では、なぜそんなにも無駄な時間を過ごすのでしょうか。
僕はおもうんです。
時間が、命が有限だからと分かっていてもなお、考える事を辞めてしまっているだけなんじゃないでしょうか。
流れに身を任せて、とまでは言わないがなんとかなるだろうと思考停止状態に陥っている。
こんなことを言うと
「必死に明日の事もこれからのことも考えているに決まっている」
そんな言葉が聞こえてきそうですが、どこまでが本気でどこからが考えていると言えるのでしょう。
それは人それぞれの考え方があるとは思いますが、
楽な方に動くのはほぼ思考停止と同じこと。
そんな気さえするのです。
朝起きて眠たい顔で通勤電車に揺られ、何も考えずにSNSをチェックしてみんなで招待しあったゲームをやりながら出勤し、いつものように上司や先輩と衝突しないように気を遣いながら仕事をこなし、商談で探りを入れながら時間をかけてどうでもいい営業トークから始まる奴の話を聞き、今日の愚痴を友人との飲み会で憂さ晴らしするかツイッターやフェイスブック、インスタでぼやく。
そんな毎日をなんとなくやり過ごしている方が楽だと。(例えが狭っww)
それで満足いく人がいるのなら良いのですが、きっと偏見でもなんでもなく人はそんな事で満足して生きているわけがないと思うんです。
今ここから抜け出したいと思っている人は
何か変わりたい。変えたい。
心はそう思っているはずだと。
なのに思考停止状態。
これでは明らかに矛盾しています。
どんなに成功している人でも、まだ見てない景色があるはずだと、挑戦したいと思うんです。
全ては時間の使い方次第。
限りがある時間の使い方で、何とでもなる。
よく考えてみてほしい。
スマホゲームしてる時間などあるはずがない。
他人の時間を過ごしてる時間などあるはずがない。
電車の移動時間を使えば毎日、本が読める。英単語だって覚えられる。
何の意味もなさないただの飲みには行かずにまっすぐに帰れば、勉強する時間だってある。
睡眠も満足のいく時間取れるはず。
そのためにまず何をしたら良いのか。
自分のための時間を作って。
自分の時間を生きる事に重点を置いて。
考える事をやめずに、考える事から目を背けるのは終わりだ!
7章 孤独に打ち勝て!そして人より秀でるのだ!
自分で成し遂げる目標がある。
結果を出したい。
変わりたい。
今とは違うステージに行くんだ。
そう決心しているのであれば、無駄な時を過ごす時間などないことに気づきました。
周りと同じ事をしていては、周りと同じレベルでしか成長していかない。むしろ、周りと同じレベルにまで下がってしまう可能性だってある。
私は今までの人生の中で数々の失敗を繰り返してきました。そして学びました。
楽しい方や人に流されるようでは人との差はつけられないと確信しています。
皆が遊んでるときに、自分は自分のための努力をすること。
これに気づいたのは30歳を迎えるころからでした。
「付き合いが悪いなぁ」
そういう人ほど、典型的な反面教師である確率が高い。
自分の固定観念にしがみつき、変われずに大人になったパターンの人。
そうならないためにも、
群れを抜け出し孤独に目標に向かって走り続ける必要がある
と私は思っています。
最後に私が大切にしている言葉。
成功している知り合いの社長さんから言われた言葉をお伝えしておきます。
成長すればするほど、自分に共感する人が少なくなっていくのも事実や。
付き合いが悪いなどと去っていく人はそれ相応の人間関係やから去っていってラッキーや。
昔からの友達との友情を保ったまま、全員と同じ歩幅で浮くこともなく、同じように過ごしていてはお前に成功はないぞ。
会社の仲間、友達、毎日会うのがそのメンバーならお前に成長はない。
その群れの外にいる人と会いなさい。
そしてお前が周りと違ったスピードで成長していくにつれ、周りからバカにされるし、批判されるし、妬まれるし。
それをサインにすることやな。成長のサインに。
成功すればするほど孤独感は増していくぞ。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。
世の中の悲しい出来事。それをどう防ぐのか。本質はどこにあるのか。
こんにちは!カワりもんです。
先日、知り合いのわかぞーが自分の時間の大切さを分かっていなかったので、
「自分の時間を生きなさい!」と喝を入れたカワリモンですが、そんな私。
とても人にそんな偉そうなことを言えるようなやつではないのです。w
私自身ももっともっとストイックに自分の時間を生きたいと日々努力をし、まだまだ成長段階にいるわかぞーなのです。
自分の時間を生きるというのは何も自己中に自分のためだけに時間を使いなさいということではありません。
自分のためにならない、人に与えられた時間を無駄に過ごすのをやめるべきだと私は思っています。
このことについては、語るとかなり長くなってしまうので、後日ブログにアップするとします。
本題に入ります。
その時間管理の話しから繋がるのですが、
人の時間を生きているような事例に「ボランティア」があります。
あと、例えば「大好きな人にサプライズのプレゼントを探したり仕込んだり」している時間とか。
表面的に見れば、「他人の時間を過ごしている」ような気がします。
しかし、これは自分が主体的に誰かのためにやっていることであって、やらされることではありません。
「誰かを喜ばせたい」
その気持ちが他者貢献をしたいと思える動機です。
そして、その動機にはまだ本質があります。
自分が主体的に選択した“他者貢献”のもう一つの本質は自分のためなのです。
誰かに必要とされたい自分のその“欲求”を満たすためでもあると思うのです。
この承認欲求、自己受容が人生を大きく左右します。
ビジネスで成功するのはもちろんお金のためでもありますが、人間の最大の幸せとは
『人に必要とされること』。
逆に言えば
人生で最悪のシナリオは、
誰からも必要とされなくなり
自分自身で自分の存在価値が分からなくなった時。
これは誰もが想像を超える孤独と恐怖の世界だと思うんです。
それを避けるために、私たち人間には自己受容の本能が備わっていると思います。
先日、朝のニュースの速報をみて私は凍りつきました。
凄惨な事件に小学生が多数巻き込まれそれを守ろうとした大人も被害に。
私は、いてもたってもいられなくなりました。
自宅からもそう遠くない登戸の駅付近。
心肺停止の小学生と大人の方と、その他の重症の小学生たち。
どうか、一人も死なないでください。
がんばれ。戻ってきてくれ。死んじゃダメだ。
私は祈りました。
私の思考が届くとするなら、少しはいい方向に変わるかもしれない。
涙が流れて止まりませんがしばらく祈っていました。
これ以上の情報をいれたくなかったのか、私はTVを消し、その日は何もする気がおきませんでした。
そして、小学生1人と大人1人。そして犯人自身が帰らぬ人に。
最悪の結末です。
私はこのブログに書くことはしないつもりでした。
思い出すのも辛いのです。
しかし、世の中のメディアがこぞって着眼点が違うような発言もしているので、読者も居ないのも承知で私の気持ちはここに残しておきます。
この事件の原因はなんでしょうか。。
怖い世の中になってきたとか
アメリカのように子供を学校まで送る必要がでてくるとか
どうやってふせげばいいのかとか
どうやって身をまもるのかとか
犯人ひきこもりだったんだってとか
そもそも両親がいないってよとか
まるでそんな犯罪者が増えてきたかのような。
ひきこもりも両親がいないのも本質的には直結した原因ではありません。
だったら世の中のひきこもりや両親がいない人は全員犯罪を犯すのかって話です。
そんなわけありませんし、それが直接的な原因でもなんでもないことぐらいは自明です。
あれだけの人を刺した後に、自分の首を刺しているんです。
精神がとてつもなく通常な状態ではありません。
逆に考えてみても、
世の中のほとんどの人は正常な思考をもっています。
精神がすこしやられたくらいでも、他人の命に手を出すほど、異常ではありません。
どこにいたって急に意図的に殺されたりすることは無いに等しいです。
『どうやってこういう犯罪から身を守るか』
よりも
『どうやったらこういう犯罪をなくせるのか』
を考えていけないものかと思ってしまいました。
ほとんど起こらないであろう尋常じゃなく精神が通常では無い犯罪者に巡り合った時の対策などを考えていることはあまり意味をなさないというか本質ではない。
万が一の時に備えるというのも場合によっては、必要ですが、それは地震や災害、事故などの根本的な原因に人類が手をつけられない場合のみ。
この事件の本質は「悪質な犯人によって多数の人が刺された」ことではありません。
犯人が引きこもりだったからなんていう表面上の理由でもありません。
なぜ犯人はそんな凄惨な事件を起こしたのでしょうか。
両親はなぜ見捨ててしまったのでしょうか。
義理の父親の方はどのように育てていったのか。
まったく愛されなかったのでしょうか。
だとしたらなぜ愛されなかったのでしょうか。。
なぜ、愛してあげなかったのでしょうか。。
なぜ、どうしてなんでしょうか。
私たちにはそれは理解することはできませんが、、推測はできます。
犯人はとてもまともな人間には到底理解のできないほどの苦しみを、
両親からも誰からも必要とされないことの苦しみと戦っていたんだと推測します。
自分を軽視した社会への、他人への憎悪から犯行に及んだのでしょうか。
その結果、全くの迷いがなく自分自身を殺すことが出来た。
犯人をかばうつもりじゃないです。
殺された遺族の方を想うとそんな気持ちにもなりません。
でも、犯人をそこまで追い詰めた「原因」があるのです。
どこにでもいる男の子を『殺人鬼』へと変えてしまった原因が。
もしその本質を潰すことが出来たなら。
この犯人のような境遇にいる人は世の中に沢山いるはず。
当たり前ですが、もちろん全員がこんな事件を起こす人では無いし、辛くても今も戦っている人もいるでしょう。それに打ち勝つ人もいれば、自分を認めてあげることも出来ないまま、殻に閉じこもったままの人も。。
もしも誰もが愛され、誰かに必要とされて、承認欲求も満たされ、自分のことを認めることが出来る世の中になるなら。
人が人を意図的に傷つける事件は今よりも少しは減ってくれる気がします。
でもそんな夢のような世界になることがすぐに可能だとは正直思いません。
しかし、皆んなで現代社会のそういった状況を変えることが出来ないのかを考えることはできるような気がします。
読んでいただき、ありがとうございました。
空いた時間で稼ぎましょう♪に騙されるな!成功したいなら自分の時間を生きろ!
こんばんは。カワりもんです。
私には、東京に来てから知り合ったかわいい後輩がおります。
25歳の時に出会い、職種はちがうけれども、色んなことに熱心で、まるで昔の自分を見ているようでかわいく思えてきます。
今日は、その知り合いのわかぞーの発言により、私カワリモンが全力で止めに入った話をします。
最近(いや実は結構前からある)はやりのアプリ「Uber Eats]
皆さんご存知だろうか。
通常宅配や出前をやっていないお店に、UberEatsが営業をかけ登録してもらい、かつ会社に属さない配達員に登録してもらい、注文が入ったら近くの(時間が空いている)メンバーにその店舗まで商品を取りに行ってもらい配達するというもの。
実際に使ってみると、アプリの使用者は数百円の配達手数料のみで、近くの色々なお店のメニューを家にいながら頼めるのだ。実に便利だなとは思う。
しかし、そこには残酷な世界が広がっているのだ!笑
まず、店舗側。店内に来てくれるお客さん以外にも宅配で利益がとれますよー。と謳われて契約をとらされるが、その手数料が半端じゃない。
飲食店はただでさえ、コストがかかっているのだ。原価率も今は40%を超えて質のいい料理を提供しているところもある。店舗にいる従業員の人件費もかかる。光熱費も家賃も。食べログやインターネットの予約システムなどの経費や内装の設備管理費、修繕費、税理士や社労士、、、、。本当に利益を出すためにかなりの努力と戦略を練らないと今の時代はなかなか厳しい!笑
そこにUberEatsがやってきて、「手数料を頂きますが配達しますよ」というのだ。
ちょいちょい。わかるよ。でも簡単に言わないでw
それだけの手数料を上乗せしてでも宅配していい店舗は本当に限られるだろう。
(原価率の低い、カレー屋さんと牛丼チェーン店やファーストフード店とかか?)
でも、契約しちゃってる個人店なんかは、表面上は宅配で売れているような錯覚になっても、利益がでるかどうかは本当に難しい。いや、バンバン売れるようになればそりゃ利益はでるだろうが、それによって増える人件費や原材料費などとのバランス。
「あれ、あれだけいそがしかったのに、仕入額が増えてて利益があまり出てない。おまけに従業員はいつもより忙しくて不満がでている」
みたいなことにもなりなねない。
薄利多売側にシフトするといいますか。。
あ、やべ話がそれてきた!笑
飲食店側の話になると熱くなってしましますが、ちなみにUberEatsを批判してるわけじゃありません!店舗側からも配達員側からもそれくらいの手数料を取らないと、成り立たないのも十分わかりますし!笑(500円の弁当だったら手数料は約150円で、UberEats側は配達員に400円あたりの報酬を払うことになるのでおそらく完全に赤字になる)
むしろ、実際に私。UberEats使っちゃってるしね!
話を戻して僕の知り合いのわかぞーの話!笑
そして、その配達する側。その広告をケータイでそいつが見つけたわけですな。
「空いた時間に副収入♪」
みたいなことをかいている広告を見たわけですな。
そしたらそいつ、こう言いだしたわけです。
「あー。おれも暇な時間使ってUberEatsで配達してみようかなー」
ちょいちょい。
本気で言ってんの?
UberEatsは配達した件数などによって給与が決まる歩合制。
細かく説明するとややこしいので簡潔に説明すると
◆レストランへの受け取り 300円
◆配達 170円
◆距離料金 150円/km
◆ブースト エリアごとに1.1倍〜2.0倍の料金加算
◆Uberに払う35%の手数料!(配達員からも手数料とる!)やばっ
時給にして1100円ちょい。
ピーク帯のブースト時間にやっても1700円とか?
さらにですよ。注文ない時自宅で待機してて、アプリがなったら配達に行く。みたいな感じで。
、、、、、、、、、、、、。
いや、UberEatsに完全に時間支配されとるやんけ!!!!!!!!!
かんっっっっっぜんに他人の時間を生きとるで!!!!!
いや、何回も言いますけどUberEatsを否定してるつもりはありませんし、その人にとっての空き時間(生産性の全くない時間)に配達員をやってお金を稼ぐことを否定はしません!
いま、自ら主体的に「時間を使って、時給を稼ぐ」ということを選択する必要がある人も、もちろんいるでしょう。
しかし、自分のやりたいことや目標がある『そいつ』には、貴重な空き時間まで外部の何かに支配される時間を生きている暇などないと言いたいのです。
自身のリフレッシュのために、主体的に空き時間を自ら設定して、ボーっとするなら理想的の「暇な時間」ですが、そいつが言っているのは普段唐突にやってくる「暇な時間」という突然発生した時間のこと。
よく考えてくださいな。
目標に向かっている間は、俗にいう「暇な時間」は生まれるはずないですよね?
「チャンスターーーーーイム!」
ですやん?
ぜったいにやめとけと。私は全力で止めに入りました。
「いや!まじで人生やることなくてガチンコ暇で暇死にするわーー!」
ってゆーなら別に止めんよ!?
やけども、よく考えて!そんなことある!?何回も言うよ?
やりたいことや目標や夢がある人間にね。
暇なんて時間はマジでねぇから!
「暇な時間使ってぇー」って、その暇と発言しておられるその時間。
それめちゃくちゃ貴重な時間っすな!!
暇やなーって、そんなことゆーてみたいわ!おっさん!
その暇な時間(めちゃくちゃ貴重な時間)を自分の時間に当てなさいと。
本を読んで自分を成長させる時間。
勉強をして自分のスキルを上げる時間。
筋トレをして自分を磨く時間。
セミナーに行って知識を増やす時間。
etc......
そもそも、「暇な時間」っていう概念がよくわからん。
自分であえて作る「空き時間」なら理解できるけど。
「暇な時間」が発生する時点で自分を管理できてないような。。
まあ突発的に予定が無くなって時間が空いてしまうとかそんな状況くらい?
空いた時間が万が一出来たのなら、その時間に読める本を持ち歩いてるとか、自分の時間に投資したいと今なら当たり前に思います。。
「成功したい。お金欲しいっす。」
そいつはそんなことを言っているのにも関わらず、時間が空いたことを『暇な時間』と表現している。
ほんっと。
だからかわいいんだよお前は!笑
『その時間はお前が成長するために、お前自身がお前のために使う時間や!!』
と、気合をいれてやりましたが、思い返せば自分の20代も。。。。
「あー。暇やなー。なんかおもろいことないかなー」
俺も言ってたわ!!!!笑
【過去の自分に物申す!その1】自分の夢を叶える(食べていく)ということ。その夢はビジネスに出来るのかを真っ先に考えろ!
こんにちは。カワりもんです。
過去の自分に物申すシリーズ第一弾。
さっそく始めたいと思います。
※注意事項
- このシリーズは過去の自分に向けてかなりの熱量をもって書いています。そのため、所々に言葉遣いが悪いところもありますが、あくまでも自分に向けて言っている表現ですので、ご了承ください。
- あ、でも、自分も当てはまるなぁと思った方は、多少自分に言われてるような気持ちになって読んでみて。
「俺、東京に行くから」
私は19歳のあたりから、自分の夢を持つようになった。
大好きな音楽で食べていきたいという夢だ。
ギターを抱えていつも唄っていた。
ノートに詩を書いて、それにメロディをつけていく。
自分で作詞作曲した楽曲を唄うのは気持ちが良かった。
まっすぐに自分の気持ちを伝えられるし、吐き出せるからだ。
テレビに映るアーティストは皆、自分の大好きな音楽を、自分の思うように表現しているのだと思っていた。
とても自由にみえたのだ。
当然、オヤジは反対だった。
学校の先生も半ばフォローするように私に言った。
「二足のわらじでもいいじゃないか。就職しながらでも本当にそれが続けられるかを判断するのも悪くないんじゃないか?」
しかし私の意思は固かった。
卒業したら東京に行く。
就活もせずに、親の話にも耳を傾けずに。
オヤジに細かいことを話すと反対されるのを懸念して、あの頃の自分は少し避けていたようにも思える。
それとは反対に、友達や職場の同僚はそんな俺をみて、背中をおしてくれた。
「お前ならほんとにやれる。」
「お前ほど歌唱力があればいけるだろ」
「夢があって素敵だな!」
そんな言葉をかけてくれた。反対する人は一人もいない。
私の意思は皆の言葉に勇気付けられ、ますます大きくなっていった。
反面失うものもあった。
色んなものを犠牲にした。
辛かった。でも決めたんだと自分に言い聞かせた。
大好きだったランクルの70を手放したのもこの時だ。
とりあえず上京してから収入が少しなくても大丈夫なように貯金をするために必死で働いてた。
「おれ、東京にいくから」
久しぶりに口をきいたオヤジに俺はそう告げていた。
自分一人で全部決めてしまってから、事後報告のような言い方だった。
反対するオヤジにをどうすれば説得できるのかそれだけを必死に考えていた。
「自分で思う存分やったら帰ってくる」
「自分なりに期限決めていくから」
自分の息子のこの先の事を本気で心配する両親をよそに、私の言動はあまりにも自分勝手だった。
東京生活
そして上京することになる。
東京に来てからの日々は、何もかもが新鮮で楽しかった。
新宿、渋谷、池袋、六本木、銀座、秋葉原、高円寺、上野、浅草。。。
どこに行っても違う顔をもった街。
街を歩いているだけで楽しかった。
ライブ活動を始め、ボイストレーニングに通い、小さな事務所に入ったりした。
アルバイトをしながら、音楽活動をしながら、あたかも充実しているような、夢に近づいているかのような、そんな毎日を過ごした。
反対していた親からもよく仕送りの食べ物が届いていた。
オカンは心配してくれて、たまに電話で様子を伺ってくれていた。
最後までハッキリと話し合いもせずに黙って俺を見送ったオヤジはというと、ケータイの着信音を私の歌にしているというのだ。
そのことをオカンから聞いた時はすごく嬉しかった。オヤジも応援してくれている。
それ以来、実家に帰るたびに、東京での出来事を話すようになった。
音楽活動の途中こんな話も飛び込んできた。
「アイドルのような立ち位置なら売り出してみるか?」
「AKBのメンズバージョンみたいなグループの一人として売り出す」
「まずは世の中の注目を集めるようなことをしてみないか?」
私は、一切耳を貸さなかった。
(俺は、自分が作った歌を歌いたいんや。やりたくないことやるならサラリーマンでもやるやろ。)
そんなふうに思っていた。
朝まで、曲作りもした。
DTMや、レコーディングも数年かけて習得しながら、自主制作のCDもつくった。
PVも撮影して、ライブの衣装も作って。やれることはやったような気がしていた。
自分が音楽に勇気付けられたように。
自分も自分の楽曲で誰かを勇気づけることができたら。
思い返せばそれがきっかけだった。
そんな気持ちをもって音楽活動をしているつもりだった。
約束の時
そして、時は過ぎる。
オヤジに約束(といってもこちらから強引に決めた期限)した期限を決めてという話。
私の中では30歳が期限だった。
その期限を目の前に私には大切な人が出来た。
一生を共にしたいと思えるとても大切な人だ。
すぐに結婚を見据えてちゃんとした定職に就くことにした。
あれだけ定職につくことを拒んでいた自分はもう居なかった。
結婚という目標のために、方向転換していた。
音楽のことを考えるのは、少し疲れていた。色んなことがあった。
楽しかったはずの音楽が、期限に追われてやらなきゃいけないようなものになっていたような気がする。
あんなに沢山の人達が応援してくれて背中を押してくれた。地元のみんなの顔が浮かんだ。みんなはなんて思うかな。オヤジはなんて言うだろうか。そんなことを考えた。
夢が変わっていたと思っていた。
音楽で食べていくという目標から、大切な人を守りたいと言う別の目標に変わっていったかのように思っていた。
しかし、あの頃より大人になった自分は本当の自分の姿にやっと気がつきはじめるのだ。
どれをとって努力したと言えるのか
たしかに、結婚を意識してからは自分の一つの目標が結婚に向いたのは間違いではないだろう。
しかし、夢がかわったのではない。
そもそも、音楽で食べていくという夢に向かう熱量が足りなかったのだ。
どこをとって音楽という夢に向かって努力したと言えるのだろうか。
色んなものを犠牲にしてきてまで、東京に来たやつがどれほど努力したのだろうか。
上京した歳が24歳。上京するやいなや、死ぬ物狂いで自分のスキルや知識を身につける行動を起こすわけでもなく、東京の散策を楽しんだり、友達との飲み会に参加したり、十分に遊んでいる時間を確保しているのである。
24歳で上京したにも関わらずだ。
自分のやりたいことがみつからない。
学校を卒業して就職してサラリーマンなんて人生はつまらない。
でも、なにをやったらいいのかわからない。
自分がなにをすべきなのかもわからない。
そんな気持ちから逃れるかのように、「大好きな音楽をやるんだ」と自分に言い聞かせていたのかもしれない。
その、「大好きな音楽」というジャンルをビジネスに出来るのかということは一切考えずに、それで食べていくなんてことを宣言していたのだ。
過去の自分に物申す!
その甘ったれた、怠け者に言いたい。
人生が永遠に続くとでも思っているのだろうか?
その時点で、戦略的にどんなアーティストとして自分を売り出していくのかを考え、基礎的な強みを磨き始めてないお前は一生かかってもプロにはなれん。
プロになることをなめすぎている。
周りの反応にいちいち調子乗っているのだ。
「お前ならいける」
「それだけ歌えればプロになれるよ!」
そう言われてきてるから、満足している。
成長する本気度がまるで足りていない。
そして、更には大きなチャンスも何度も逃している。
音楽で食べていきたいんだよね?唄う事を仕事にしたいんだよね?
ならば、世の中の需要に応えないでどーする?
需要に応えないとビジネスとして成立しない。
要求されることが必ずしも自分のやりたいこととは限らない。
「消費者のニーズに応える」
こんなことは猿でもわかる商売の基本だ。
リスナーのニーズに応えてこそビジネスとして成立する。
こんなことを言うと反感をかうだろうか?
「音楽は自分を表現するもので、ニーズに応えて作るようなものではない」
とか
「そんなものは音楽でもアートでもない」
と。
その考えこそが癌なのである。
リスナーが欲しいのは
そのこだわり抜いた思考だろうか?
好きなことをやっているお前の姿だろうか?
独りよがりの作品だろうか?
お前が作る楽曲だろうか?
ちがう。リスナーが欲しいのはその音楽そのものではなく、その楽曲を聴くことによって得られる「何か」だ。
それは生きる希望かもしれないし、
人の優しさかもしれない。
毎日のありがたみに気づくことや
愛の意味をしることかもしれない。
それを提供するのが音楽としてのビジネスだといっているのだ。
それを個性を持って表現すること。
ニーズに応えることのなにが間違っているのか。
なにも自分を無くして相手のいいなりになれということではない。
相手を知った上で、何を歌えばいいかを考える。どうすればいいかを考える。
人に寄り添って、誰に対して伝えるのか、何に悩んでるのか、どんな痛みがあるのか。
ニーズに応えるとはそういうことである。
そもそも、お前も音楽に勇気付けられたのがきっかけだった。
それがニーズだ。
アーティストによっては、プライドをもって“好きなことだけ”、“自分の思うようにだけ”とうまく渡り歩くケースだってあるだろう。
ただ、それは殆どの場合、その人の“好きなこと”や“世界観”が既に世の中のニーズにハマったからなのだ。
“好きなこと”が世の中の人が欲しがってたものだったから。
ただ、お前の場合は違う。
お前の好きなことはその後からでもいくらでも出来る。
ビジネスとしてみるならそこを履き違えてはいけない。
「やりたくないことをやるならサラリーマンでもやる」だと?
少なくともお前よりも、サラリーマンはやりたくないことも必要だと理解した上で自身の成長のためにサラリーマンをやっている。
“やりたくないことはやらない”では殆どの場合ビジネスは成立しない。
自分の夢をビジネスとして成功させられるかどうか。
これをしっかりと考えて考えて考え抜いてからスタートするべきだ。
音楽に対する考え方があまりにもせますぎる。
自分の殻に閉じこもって、自分の音楽をやろうとしていた愚か者だ。
自分のやり方を貫き、音楽から離れることになった。
唄う事を辞めることになった。
その言い訳は
「結婚を機に。自分の中で定めていた期限の30歳になったから」
というもの。
なぜ、そうなったのか。
それはビジネスとしてしっかりと考え、成功させる事が出来なかったということ。
自分の趣味や思考よりも、聴く人の心に寄り添う方が大切だっていうことに気づいてなかったこと。
それだけではない。
夢をおいかける熱量が足りなかったこと。
結局、人間はなりたい自分にしかなれない。
本当になりたかったものだったとしたら、もうすこし早くその大切さに気づきたのかもしれない。もう少し努力できたのではないだろうか。
もう少し自分に向き合って自己分析が出来ていれば、やるべきことがもっと早くにみつかったかもしれない。
逆に、ニーズに応えるマーケティングが出来ていれば、音楽を楽しくて追いかけていたのかもしれない。
いずれにせよ、足りないものが多すぎたのだ。
過去の失敗を生かして今日も前へ進め!
【過去の自分に物申す!】プロローグ
こんにちは。
カワりもんです。
いきなりですが『過去の自分に物申すシリーズ』始めます!笑
これをシリーズ化しようと思ったのは、とあるブロガーさんの記事で『過去の自分に今だから言いたい事はきっと誰かの役に立つ』という言葉を目にして、これだー!!!と思ったのがキッカケに。
きっと当時の自分のように同じ事で悩んでる人がいるはずだと!
同じような過ちをおかそうとしている若者がいるはずだと!
自分の若かった時代には今の様にスマートフォンは普及しておらず、何か調べ物をしようもんなら友達に聞いたり、誰かを頼ったりするか、まだ情報の差ほど多くないあの時代にパカパカスタイルのガラケーを駆使して速度の遅いインターネットで情報を得る事くらいだった。
今はこんなにも情報で溢れているがそのせいで本当の答えに行き着かない事も多いのではないだろうか。
そして私の隠れた性格は【おせっかい】なのだ。
過去の自分(同じ事にぶつかっている誰か)に言いたい事は山ほどある。
とは言ってもなかなか伝わらないのは百も承知だ。
私自身も数々の上司や先輩方、目上の人、更には自分の両親に、数々の事を教わった。
先輩
『いいか。お前は今若くてなんでも出来る。歳をとったら出来ないことが増えてくるぞー。オールで朝までなんてしんどくて出来ないしな!笑
身体も悲鳴をあげてくる。だから、今のうちに〇〇をやっとけよ!』
私
『そーなんっすか!?そんなのは気合で乗り切っていきます!笑』(たいして重要な話だと思ってはいない)
先輩
『まぁ、お前ならほんとにやりそうやなぁ!はっはっは!』(おそらく私のおちゃらけた返しにこれ以上真面目に言うまいと優しく包み込んでくれている)
といった具合だ。
人は結局のところ自分で気付かない限り、簡単に人の言葉がスッと入ってくる事はない。
私たちは、自身の経験や知識の外の世界のことを正確には認識出来ないのだ。
あくまでも憶測でしか物事を捉えることが出来ない。
先輩が伝えたい事の10分の1すら捉えきれてないのだ!
頭ではわかっているつもりでも、本質的に理解し、行動に移せるまでにはかなりの思考力とタイムラグが発生する。
私自身に後輩ができ、かわいい年下の子たちや夢を見て追いかけている若者を見ると頭のなかで色々なことを伝えたくなる。
(今みんなと同じように過ごしてどうする!他と違う事をして今こそ他人に差をつけるんだ!)
(その考えは甘すぎる!それじゃ夢は絶対に叶わない!)
とか、かなりの余計なお世話だろうが、手に取るように分かるケースには、今すぐにでも軌道修正の言葉を浴びせてしまいたくなる。
しかし、いきなりそんな事を言われても
『えっ、、、、どうしたんっすかいきなり、、』
と思われて終了だろう。笑
先日も、都内に住んでいる賃貸のグレードを上げたいと『家賃が高くても綺麗な家に住みたいんですよぉ〜。』
と話す後輩がいた。
私はやんわりと
『いやー、俺も同じように思った時があって綺麗なマンションで一人暮らしした事あったけど、今考えるとその時のお金があったら、と思うよ。』
と、伝えるのが限界だ。
しかし、その程度の熱量では到底伝わらない。
しかし、その後輩にお金を節約する目的が無く、綺麗な高級マンションに住む理由がない限り、本当のところはかなりの熱量で、全力で止めてあげないといけないのだ!笑
また、自身の失敗をだけでなく、後悔したことも記していこうと思う。
例えば買って損したものとか。
そんな失敗も他人にはして欲しくないものだ。
自分の身に起こったマイナーな出来事でも、少しは誰かの役に立ちたい。
そんな想いでこのシリーズを始めることにした。
ブログを始めたばかりでまだ文章も拙いが、自分の文章能力を鍛えるためにも、日々過去の自分にものを申していこうと思う。
このシリーズでは昔の自分に対して発言しているような口調で書いていくので、多少言い方がきつくなってしまう表現もあると思うが、今の私が過去の私に伝えたい熱量をそのまま持って書いていくので、その辺りはリアリティがあるようにそのままの言葉を使わせてもらう事を許して頂きたい。
読者も少なく、まだ誰かの目には留まることがないであろうこのブログも、いつかは誰かの役に立つように。
今日から少しずつ更新していこうと思う。
2019年 5月20日
【まとめ・要約】苦しかったときの話をしようか/盛岡 毅
「苦しかったときの話をしようか/森岡 毅」
私の大好きな戦略家・マーケターである森岡毅さん。
この本は娘たちのために、自分の中の知識と経験を盛り込んでプライベートで書いたものが結構生々しく描かれている。
それでいて、娘を思う気持ちが伝わってくる感動のビジネス書になっています。
子供の成功を願う父親の執念の一冊。
その要約を書き留めておきます。
第1章 やりたい事がわからなくて悩む君へ
成功は必ず人の強みによって生み出されるのであって、決して弱みからは生まれない。
問題の本質は外ではなく、君の内側にあるのだ。
就職のサイコロを振るこのタイミングまでに、自分自身を知るための努力を十分に行ってこなかったことに起因している。
自分の中に基準となる「軸」がなければ、やりたいことが生まれるはずも、選べるはずもない。
人はそれぞれ強みを持っている。その宝物を探しなさいと。
不正解を掴まずに正解だけを掴めば良いと。
では、不正解とは何か?これを森岡さんは“自分にとって決定的に向いていない仕事に就いてしまう事”と言っています。
その中で正解は沢山ある。むしろ数少ない不正解があるだけで、それ以外は全てが正解だと。
肩の力を抜いて、自己分析をしっかりして軸が明確なら、ほとんどの不幸は回避する事が出来ると。
そして、章の終わりにはこう締めくくっています。
つまり沢山ある小吉や吉を1つ引っ張ってくるだけで十分なのだよ。
どんな会社に入っても自分の弱みは多少は露見するし、失敗もするし、ライバルもいれば嫌な人間も必ずいるものだ。
そんな中で、君は負けても転んでも起き上がってへこたれずにひたすら自分の宝物を磨き続けられるか?
その覚悟こそが問われている。
大吉かどうかを決めるのは会社ではない、入社後の君自身なのだ。
第2章 学校では教えてくれない世界の秘密
資本主義の本質
分かりやすくいうと、資本主義社会とは、サラリーマンを働かせて、資本家が儲かる構造のことだ。
他人の24時間を使って稼ぐ人と、自分の24時間を使って稼ぐ人。その2種類の人間しかいない。
しかし、全員が疑いもなくサラリーマンを喜んでやっているのはなぜか?
これこそがパースペクティブの差であり、その限界だ。人間は自分が知っている世界の外を認識する事ができない。
覚えておいたほうが良い。資本主義とは、無知であることと、愚かであることに罰金を科す社会のことである。
日本の教育システムも、大量の優秀なサラリーマン(労働者)を生産するように作られている。
良い成績をとって、良い大学を出て。大きな会社に入って、安定した生活を送る、それが幸せな成功者の目指す道だと。昭和の高度経済成長期の“呪い”はまだ色濃く残っている。
遅刻はしない、出された宿題は期日までにする、周囲と仲良くするなど、小さい頃から学校で叩き込まれるそれらの“美徳”を育む習慣は、「規律ある優秀な歯車」をつくるのに実に都合がいい。部活動でさえ、先輩を過度に敬って、理不尽に対する免疫力を上げて、将来の上司に従うための忍耐力のトレーニングをしているようなものだ。
少し、意味合いは異なりますが、 先日ホリエモンも似たようなことを(いや、もっと遠慮のない過激な発言)言っていましたね。
「小学校は刑務所通わされてるようなもん」だと。
自分も小学生の子供がいるが、よく似たようなことを思う。本当に意味のない宿題が出されたり(字の汚い先生が作った漢字練習のプリントはその汚い字の上をなぞるwww)することも。
もう昔とは時代が違う。ホリエモンも警笛を鳴らしてますね。現代の学校教育は時代にあっていない部分も少なからずはあるんではないかと身をもって感じる時も少なからずあります。(しかし、教育現場に携わっている人達は沢山の子供達の為に日々奮闘しています。私達には到底理解が出来ないであろう課題や問題を現場で120%解決しようと努力しているはずです。この問題は単に、“小学校は刑務所のようなもん”などという発言を影響力のある方がする事は決して正しいとは思いません。)
この世界は平等ではなく、資本家のために都合よく構造が作られているということを私たちは理解しないと日本は本当に危ないでしょう。
理解した上での選択と、知らないままでの選択とでは訳が違う。
名刺の肩書きを自慢して生きている人がこれほど多い現実を見ると、資本家の作った階層ピラミッドがいかに人間の本質を巧妙に衝いているかを思い知らされる。
ここにはなんども頷きました。
階層ピラミッドの上位に立つために、資本家の元で必死に頑張っているのが私たちなんですよね。世の中は本当によく作られていますwww
しかし、森岡さんはサラリーマンの人生を否定しているわけではありません。表面的なことを言ってるのではなく、日本を変えていこうというとてつもない大きなビジョンがある上でそれを伝えています。
サラリーマンの外に資本家の世界があることを知った上で、自分を活かす機会にアンテナを張れる人であってほしい。
肝心なのは資本家の世界を射程圏に見据える、パースペクティブを君が持っているかどうかだ。
第3章 自分の強みをどう知るか
“強み”は必ず好きなことの中にある
ここでは自分の好きなことを書き出して、そこから自分の“特徴”や“強み”を探す方法を紹介しています。
自分が“好きなこと”こそ自分の特徴が強みとしてすでに発揮されている可能性が極めて高いからだそう。
注意すべき点は、必ず動詞であること。
「バッグが好き」とか「車が好き」とかそういった名詞はここでは必要ありません。
今まで自分が好きだった「~すること」という文脈を実際に書き出す方法。
ちなみに集まるものはだんだん似通って重複していくが気にしなくていいとのこと。
「運動会の騎馬戦で勝つ作戦を考える」と「部活で試合に勝ち抜く作戦を考える」は両方とも似通っているがそのまま別のポストイットに書き出していきます。
<手順>
1.大量のポストイットを用意し、1枚に対して1つの動詞を一つ書き出す。
2.A4程度の紙などの右上にそれぞれ「T」、「L」、「C」、「その他」と明記しておく。
3.最低50個、できれば100個くらいの行動を動詞で書き出してみる。
4.それを先ほど用意した4枚の紙に集約と仕分けをしていく。
※森岡さんはここで、もし動詞が50個も書けないのであれば自分のことをよく知っている家族や友人に「自分が生き生きとやっていることは何?」と聞いてみることを勧めています。
あと、これは私の独自の方法ですが、『メモの魔力/前田裕二(幻冬舎)』の最後の巻末の自己分析の質問に答えるのもオススメです。
幼少期からの自分を振り返ることで、自分の好きだったことをいくつも見つける事が出来ました。
ちなみに、今回このブログを始めたのも、幼少期から原稿用紙が毎回はみ出てしまうほど作文を書いていたことを思い出したから。幼少期からの自分を振り返らなかったら、この先も「文字を書く事が好き」という事を思い出すこともなかったし、気付くこともなかったことと思います。
さて、動詞を50個以上書き出す事ができたら、基礎能力の3分類「T、L、C」に仕分けをしていきます。
T:Thinking
<好きなこと>
考えること、問題を解くこと、人と議論をすること、勝つための作戦を考えること、計算すること、勉強すること、研究すること、分析すること、知ること、予想をあてること
<特徴的な趣味>
戦略系ゲーム、将棋、チェス、囲碁、読書、プログラミング など
<向いている職種>
ファイナンス、コンサルタント、研究職、各種の士業、アナリスト、マーケティング、企画系
C:Communication
<好きなこと>
友達が増えること、人と会うこと、話すこと、話を聞くこと、SNSで多くの人と繋がること、人が集まるところに参加すること、人に人を紹介すること、オシャレを楽しむこと
<特徴的な趣味>
SNS、パーティーやゴルフ、旅行などのイベント、ファッション、グルメ情報
<向いている職種>
プロデューサー業、営業職全般、PR/広報、交渉人、広告代理店、ジャーナリスト、政治家
L:Leadership
<好きなこと>
何かを達成すること、目的を定めて挑戦すること、仕切ること、変化を起こすこと、自分で決めること、人を引っ張っていくこと、責任ある役割を担うこと、人の世話を焼くこと
<特徴的な趣味>
ランニング、ジム通い、トライアスロン、ストイックなもの
<向いている職種>
管理職、経営者、プロジェクトマネージャー、プロデューサー、研究開発リーダー
そして職能を積める戦場へ進め!
ナスビがナスビだとわかっていることは非常に大切だが、実はそれが一番難しいのだ。
人のことは比較的よくわかる。
でも自分がナスビなのか、トマトなのか、きゅうりなのか、玉ねぎなのか、そもそも何を目指すのか、何がしたいのか、そういうことが全くボンヤリしたまま二十数年を過ごしてしまうのが典型的な日本人で、私が君の年齢の時もそうだった。
昭和の時代ならばレールが“はっきり”していて“しっかり”していたからそれで良い。
皆で勉強して、皆で偏差値の高い大学を目指して、皆で一流の大きな会社に入って、皆で一生懸命働いて、そうすれば皆を会社が一生面倒見てくれる。
かつての日本では“個”の覚醒など要らなかったのだ。
しかし今はそんな時代ではない。
一旦レールが見えなくなると、古い意識と社会システムから抜け出せず、世界との競争で日本は成長なき「空白の30年間」を停滞してきた。
この30年間で日本がどれだけ貧しくなったか想像してほしい。
ゆとり教育を否定した大人は、今の大人の方がよほどの“ゆとり”に浸かろうとしている自堕落な風潮を反省すべきだ。
戦略なきキャリアが問題である。
まずは己を知り、自分の特徴を生かせるたくさんの正解から1つの職能を選べ。
自分がナスビなら立派なナスビへ、キュウリなら立派なキュウリになるように、ひたすら努力を積み重ねれば良いのだ。
第4章 自分をマーケティングせよ!
この章では森岡さんがあのUSJを劇的に変化させたマーケティング手法でも良く用いている一部のマーケティング手法を使って自分をマーケティングし、分析し、ブランディングする方法を説明しています。
どうしてもこのブログの文章だけではとても伝え切れる内容ではないのが事実ですが、大まかにだけ説明していきます。
攻略する市場:全ての選択肢の中から“戦場”を規定する
これは企業で考えるとブランドが参入する市場を規定することです。
例えば、
銀行は「金融市場』
映画館やテーマパークは「エンターテイメント市場」
といった具合に。
ブランドの戦う場所を規定する意味は、規定しない場合と比べると分かりやすい。
どこで戦うかを定めないまま、広くいろんな場所に経営資源をばら撒き、どの戦場でも戦力が勝てるラインに満たないため、勝つことが出来なくなる。
また、市場がそもそも狭すぎて、生き残るための売り上げがそもそも市場に存在しないといったことも。
したがって、戦場の設定は目的と自身の経営資源に照らして、広すぎず、狭すぎずが基本となります。
この考え方をキャリアに置き換えて考えると、自身が自分をブランディングする上で、どこで誰を相手にするのかを決める必要があります。
第3章で自分の強みをあぶりだしたところで、この戦う場所を規定してみましょう。
ここで必要になるのは「軸」です。
1.WHO:誰に
戦略ターゲット(ST):自分自身が選ばれる確率を高めるために経営資源を投下する広いくくりのこと。
コアターゲット(CT):戦略ターゲットの中で更にターゲットを絞り、集中して予算を投下するより狭いくくりのことを意味する。
キャリア戦略においてはSTは採用時の場合などは、自分との接点を持つ可能性のある人たち全てが当てはまる。
CTはその中でも直接的に採用を左右する面接官である。
2.WHAT:何を
WHATはブランドの“価値”を規定する。購買者がそのブランドを買う本質的な理由だ。
ビジネスでいうところの「便益」ベネフィットだ。
私個人的にはこの部分を考えるのがとても楽しい!!
仕事が飲食市場なので、消費者が欲しがっているものの本質を考えるために私自身も必死に消費者理解に努めてきました。
有名な言葉に“消費者が求めているのはドリルではなく、ドリルであける穴だ”という言葉も存在しますが、簡単そうで実は奥が深い(笑)
映画館に行く人は、単に映画だけが好きな人もなかにはいるでしょうが、本当は大切な人と過ごす時間だったり、一緒に観た人との共感だったり。
ディズニーランドに行く人は“アトラクションに乗りにきた”訳ではなく、パーク内の出来事やアトラクションを通して素晴らしい体験ができることへの“期待”と“感動”を得るためにお金を払っている。
そういった消費者のインサイトを探っていくことの楽しさは半端ないものがあります!(笑)
話がそれましたが、ここでいうWHATは自身のブランドの本質的な価値のことを言っています。
相手の企業が、自分自身を買ってもらえる理由。
自身の強みや資格など、客観的に“便益”を信じさせる根拠。
自分の実績や経験。
3.HOW:どうやって
HOWは便益を提供するための手段のこと。
ビジネスで言うところの“ドリル”の部分。
ブロダクト(製品)や、映画館の作品、ディズニーのアトラクションも全てHOWに該当します。
このキャリア戦略に置き換えた時には、面接官に自分の“便益”(自分自身を買ってもらう理由)を届けるための具体的な手段や仕組みのことになるでしょうか。
この章に関しては文脈で説明するのがすごく難しい。。
是非本を読んでみることをお勧めします!!!
第5章 苦しかったときの話をしようか
人はどういうときに最も苦しいのか
働いて働いて、死ぬほど忙しい時では決してない。
会社や上司や周囲の評価が厳しい時は、辛いのは間違いないけれども、それも最も苦しい時ではない。人が最も苦しいのは、
「自己評価が極端に低くなっているとき。自分自身で自分の存在価値を疑う状況に追い込まれたときだ。」
ここからは、森岡さん自身がそんな自己評価が極限にまで下がった時期があったことを明かし、その苦悩の先に現在があること。
また、自分の娘たちが船出していく前に、順風満帆から程遠いであろう現実に向き合ったときに、その話が準備運動になればいいとの思いからこの章が始まる。
君からは好きなことばかりやってなんでも実現してきたように見える私にも、キャリアの途上で情けないことや惨めなことはたくさんあった。しかし、
『きっと、なんとかなる」ことを覚えておいて欲しい。
私だけではない、一人一人が似たり寄ったりの苦しさと向き合って、それでもなんとか生きてきたことを、そしてたいていの人がハッピーになれたことを忘れてはいけない。
苦しい時ほどそのことを忘れてしまうから、そういうときにこそ想い出して欲しい。
そして、自身の数々の苦悩と、米国P&G時代での理不尽な出来事を踏まえて、それでも困難に立ち向かおうとする。もうこの時点で物語にかなり入り込んで目が大きくなったり、眉間にシワが寄ったり、首を横に振ったり(オーマイガー的な)、大きなため息をついたりしながら、読み進めている私がいる。
ここで逃げたら、今まで自分の中で大切にしてきた何かが壊れる気がした。
二度と立ち上がれない気がした。
迷った時は厳しい方を取れ!
人間の脳は楽な方がよく見えるように常にバイアスをかけている。
だから「迷ったらハードな道が正解だ。」
そして、米国での成功を掴み取ると、全ての状況がうまく回り出す。
強い人間は、環境に合わせて自分を変えるか、自分に合わせて環境を変えるか、そのどちらかができる。
自分にとって安全でストレスの少ない道を選び続ける人は、運が良ければ幸せにはなれるだろうが、それでは決して強くはなれない。
100の自分に対して常に120や130の負荷をかける挑戦を、君にも意識していて欲しいと願う。
第6章 自分の弱さとどう向き合うのか?
不安と向き合うには?
最後の章に、不安について深く掘り下げます。
不安なのは挑戦している証拠であり、また不安とは自己保存の機能で、自己保存の本能に逆らうことにより起こるものだと。
挑戦する「勇敢さ」と「知性」が強ければ強いほどよりはっきりと現れるのが不安の正体なのだそう。
真剣に考えて欲しい。「何も失敗しなかった人生…」。
死ぬ寸前に自分がそう呟いて天寿を全うする場面を想像して欲しい。
何も失敗しなかったことは、何も挑戦しなかったに等しい。
失敗しない人生そのものが、最悪の大失敗ではないのか?
心の中の「不安」に住民権を与えて、「不安」の居場所を認めてあげよう。
「挑戦している証拠だ!」と喜ぼう。不安でいいのだから。
そうやって適度な不安と常に共存する人生こそが成長し続ける人生であり、君が他の誰でもない立派な君になるための人生だ。
君が君を磨き続ける限りにおいて、“不安”が一生消えることはない。
結局すべての人は、己が主人公の人生をそれぞれ生きている
君にはいつか必ず仲間ができるのだから、広く薄く錯覚でつながる友達なんかいらない。
友達がいないとかできないとか、うまくいかないとか、そんなことにこだわらなくてもいいのだ。
一生懸命お互いに気を遣って“友達ごっこ”をしても、そもそも目的が違うのに利害を調整するなんて最初から“無理ゲー”なのだ。
そんなことに気を煩わせる暇があるならば、むしろ早く君は自分のやりたいことを探してそれに夢中になれ!
友達はいなくてもいい。目的を追求するなら、君にもいつかきっと、手を取り合って同じ目的に向かう本当の「仲間」ができるだろう。
まとめ
森岡さんの今までの人生の集大成とでもいうんでしょうか。森岡さんの本にはところどころに激しい戦を生き抜いてきたエピソードが盛り込まれてますが、だんだん詳しくなってきているようで楽しい!
「苦しかったときの話をしようか」は、そんな戦場をくぐり抜けてきた父親が、娘たちに向けて書き綴ったプライベートな『虎の巻』が元になった本だそうです。
子供達がキャリア判断に困った時に役に立つようにと。
私は初めてビジネス書で涙をながしました。(笑)
森岡さんの情熱、そして娘さんに対する愛情がものすごく伝わってきました。
あんなにすごい人でも、やっぱり一人の父親であり人間であると。(笑)
すごく身近に感じることが出来ました。
完璧なキャリアを気づいてきた1人者のようですが、自己否定したり、ありえないような理不尽な状況におかれたり、苦しかった自身の体験談も。
その苦境を乗り越えて、今があるんですね。
本当にみなさんに是非、読んで頂きたい1冊です。
最後まで、読んでいただきありがとうございました!!
人生の軸を探してたら、いきなり食らった往復ビンタ
このはてなブログを始めるきっかけとなった出来事を一番はじめに記しておくことにする。
それは1日で往復ビンタを食らった日のこと。
自分のこれまでの経緯については、それだけで膨大な量になるため後日このブログでゆっくりとお話しようと思っているので割愛するが、夢を追って上京し、期限だった30歳を迎えて結婚し、子供2人を持った父親となった私にはあの夢を真っ直ぐに追いかけていたあの頃とは対照的に『人生の軸』がないと感じていた。
人生の軸とは私にとっては目指すべき目標だったり、夢だったり幸せになるためのゴールとでもいうのだろうか。
そういったものが無く、なんとなく収入を増やすことや目の前の目的に対して立ち向かっていく。そんな日々を過ごしていた。
『人生の軸』がないとやばいな。
そんなふうに思っていたのだ。読書が好きな私は本の中でもそんな言葉をよく目にする。
「自分のやりたい事をしっかりと見極めろ!」
「自己分析で人生の軸を探す」など。
そんな言葉や世の中の風潮があってか私の気持ちはますます焦っていたのだ。
夢をもって活躍している人たちの本に触れたりもそうだが、このネットが普及した現在には良くも悪くもそんな色々な“成功者”たちの情報が自分の中に入ってくる。
そんな時、仕事終わりに部下の1人とゆっくりと話す時間があった。
彼は、最近あった家族との事や自分の悩みを私に話してくれたのだ。
話の中で彼のお兄ちゃんがこの先の人生について何がしたいかが分からないと悩んでいるという話になった。
タイムリーなことに私自身がなにがしたいのかがハッキリと分からずに人生の軸を求めていただけあってお兄ちゃんの気持ちがすごく理解できるような気がした。
私も自分の気持ちや今の状況を恥ずかしながらも素直にその彼に話したのだった。そんな話の中で彼はふとこうもらした。
「やりたいことってそんなに常に探さなきゃいけないんですかねぇ。」
私はその言葉に少しはっとした。
彼は続けた。
「〇〇さんは結婚してお子さんにも恵まれて。僕なんかにはすごく幸せそうに見えますし、、」
「僕も夢を追いかけて上京して、諦めがつくまでやって、次にやりたかった〇〇もやって。その次の目標は結婚して子供も欲しいです。で、そのあとは定年を迎えたら自分で自給自足の生活をしてみたいんです。でも定年までの空白のことは家族を養える手段であれば特になんだっていいかなぁ。なんて考えてるんです。」
家族を養えるなら特に手段は選ばない。
必ずやりたいことだけを探し続ける方がいいんですかねぇ?と。
これに関しては賛否両論あるだろうが、その時の私には斬新な発想に聞こえたのだ。
「少し難しく考えすぎていたのではないか」
そんな気持ちになった。
好きなことを仕事にする人や、好きなことだけをやりながら自由に、幸せそうに生きている人もたくさんいる。
だが、それは好きなことが明確でそれに向かってかつ情熱を注げる状態であるまでに行き着いた人。
そんな人たちをはたからみて幸せそうだと自分も真似をしようとする。
そんな自分がいる気がした。
情熱が注げるものが見つかる時までは、そんなに焦らなくてもいーんじゃないか?
そう思えてきたのだ。
今の自分は幸せだ。十分に幸せだ。
そんなあたり前のことを気付かされた出来事だった。
その帰り道、私は『人生の軸』を再定義するためか、iPhoneのSafariを立ち上げこう入力した。
“人生の軸”
スクロールしていくと目に止まった記事が。
「自分の軸がない」と悩んでいた私が、TwitterのCEOから学んだこと - ライティング・ハイ
おお。なんか説得力がありそうやな。
その記事を読み進めていくと後半部分に出てきたTwitter創業者のディック・コストロの言葉。
台本のない人生を生きてください。人生は即興の連続です。
そして、自分が何をするべきかをあまり考えないでください。そこには台本などないのです。20年後、皆さんはどんな舞台にいるのでしょうか。どんな人生になろうともその瞬間を全力で楽しむのです。
なんと素晴らしい言葉なんや!笑
思い返せば今までの自分の人生もそうじゃないか。
全てが完璧なシナリオ通りになった事象があっただろうか。
少なからず突発的な何かによってその都度試練を与えられ続けてきたように思える。
自分の部下が言った言葉も同じような事を洞察している。
ここで念を押しておきたいが、軸を持つことが必要ないと思ったのではない。
軸を持つことは必要だと思う。
しかし、あまりにもその軸を探すことに囚われすぎたせいで何かを見つけないとと焦ってしまうせいで、今この瞬間を幸せだと思えない、あるいはこの瞬間を楽しめていない自分がいる事に気付いたのだ。
私は、ようやくこの先の入り口の扉が開いたような気がした。
軸は必ず必要だと思う。
海に泳ぐクラゲのように流されるだけの人生はきっとつまらないものになるだろう。
自分の中に基準となる「軸」がなければ、やりたいことが生まれるはずも、選べるはずもない。
しかし、私が探していたのは、一生を決めるような揺るがない「軸」を探そうとしすぎているのではないか。
今、明確な目的がないことに焦って、短期的な目的を探すために焦っていたにすぎない。
もっと大きく、広い定義でも良いような気がしてきた。
もっとおおまかで人間の本質ともいえるところにあるのではないかと。
そして軸は変わっていくもので、その時の自分の環境や新たな出会いや発見によってアップデートされていって良いものなんではないかと。
そして、その大きな定義の軸の下に、その時々に応じて、やりたいことや好きなこと、興味が湧いたことやチャレンジしてみたいことなどを基準にもうすこし階層の細かな「軸」を設定してみるのはどうだろうか。
その時に好きなことを選び、選択し、その今にワクワク、ドキドキしながら達成感や興奮に包まれながら。
難しく考えるのはやめにしよう!
私には幸せな家族という存在が既にある。
その幸せの中で、与えられる選択肢のサイコロを振って自分をどんどん成長させていく。
その答えに行き着いた瞬間気持ちがふわっと軽くなったことに気付いた。
今日、現時点で思う自分の人生の軸に辿り着いた。
“家族にとって最高の父親であること”
これや!笑
その、大きな定義を胸に今日からスタートを切ることにする。
そして、今までとは違う「軸」の探し方をすることにする。
その“探求”を楽しむことにする。