向こう水博士

向こう水博士は、世の中のあらゆるテーマに対し率直に素直で真摯な意見を考える、いわば人生を好転させる福の神のような存在です。宜しくお願いします。

婚約者を追いかけて鹿児島市から熊本駅まで6時間の道中。。。

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その日の朝、婚約者はめかし込んだ格好で私の家に私のお弁当を持ってやってきた。彼女は、月に何度か鹿児島から新幹線に乗って熊本まで出張で仕事に行く。

 

 

私は、最近ウチでの引きこもりのようなデザインのデスクワークが多く少し気が滅入っていた。なので、急ではあったが彼女に提案してみた。「朝は、新幹線で熊本に行って仕事して、その間に自分が鹿児島から下道を通って熊本駅まで迎えに行くというのはどうかな?」と。

 

話は即決で決まり、彼女が出た後、下道でナビが示すには6時間の道のりを出発した。鹿児島を出るまでにもかなりの工程があった。途中までは今は懐かしい雇われの身だった会社へと続く道を通った。

 

途中から、道はまるで山の峠の走り屋みたいな道を走ると藺牟田池方面や曽木の滝方面へと続く道へと出たのだ。ふと、どこかでみた風景だと思っていると、昔、チビたち家族できたことのある懐かしい風景。ニンマリ微笑みながら運転にも力が入る。

 

 

 

その後は、なんてない道筋をひたすらナビの通りにまっすぐ。天気も良く走りやすい道のりだった。熊本に近づいてくると見知らぬ風景が出てき始めたのと変わった地形のために景色が面白くなってくる。具体的に言うと開けて広いのだ。

 

一番最初に出てきた道の駅みなまたに立ち寄ってみた。せまい店内をグルグル見渡していると、私は帽子を普段かぶらないので帽子のことが残念ながら、分からないのだがUFOみたいな帽子でツバが丸くてキャンプなんかにかぶっていきそうな雰囲気の帽子なのだが、生地は着物でできていて、上部には換気の穴が開き、軽くて和装の手作り帽子が売っていた。

 

私は一目でそれが気に入り他の商品と持って店内を見回っていると、店員さんが寄ってきて「すいません!それ最後の一品で見本なんですよ」という。ゲ!帽子嫌いの私が気に入った帽子だったのに。

 

 

すると、店員さんが機転を利かせてくれて作っている人に電話で連絡を取って聞いてみてくれると言う。しばらく待っていると「申し訳ございません!!その商品がここにある最後の一点になりますがよろしいですか?見本なので一割引でよろしいですか?」と言ってくれた。私は、喜んで他にも商品を見ていたのだが店員さんの気が変わらないうちにとそそくさ店を出た。

 

 

 

早速、帽子をかぶっての運転が再開された。もう熊本に入った事もあり。少し安心した私は、途中メガドンキによりパソコン器具を買ったり、食事をとり、彼女との待ち合わせ場所熊本駅まで車を走らせる。

 

熊本には、良い風景が結構あるので、車を停まらせる度に写真を取って記録に残した。

デザイン的な風景だったり、珍しい風景だったりするので普段から珍しいものデザイン的なものをFacebookやインスタで公開してます。谷口謙吾に友達申請を宜しくお願いいたします。インスタもやっております。

 

 

かくして、男というものは目的さえあればどこにでもいける。目的がないとあまり動けないものであるような気がする。

 

夕方になり彼女から仕事が終わったという連絡が入り、熊本駅まで迎えに行く。彼女も満面の笑顔だ。

 

帰りは高速で仲良く代わり番こに運転しながら、今日あった出来事に花を咲かせてワイパーをMAXで利かせても見えない豪雨の中、高速を安全運転で家へとで帰った。

 

暑い夏前、梅雨の長距離日帰り旅行の一コマでした。たまには、たまには良いものです。笑笑

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Sensatinal Design190520のスタート。

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私は、小学生になる2人のチビ達の育メンパパ兼、営業兼デザイナーだ。とある会社で経験を積み独立を目論んでいた。ある日、その日はやって来た。私は仕事を毎日職場でやっていてもやり甲斐を感じる事が出来ずに、やっている事に意義を感じられないのだ。

 

それは、遠い通勤距離の中で整体的に身体を痛めながら少ない給料の中で身を削りながら一生懸命社の為と思い働いていても報われないという切実な思いもあったからに思えた。

 

 

であるならば、いっその事自分で仕事を始めてみようではないかと思ったのが事の発端だ。思い立ったらすぐ実行と言うのが私の強み??さっさと仕事を辞める準備を始め出した。辞める前までにいつ辞めても良いような準備を始め準備が整ったら、すぐさま辞表を出し会社を辞めて来た。

 

次の日からは、早速、自営の日々。社で培って来た技術、今までの会社での知識、知ってることを総動員しての一人での会社運営が始まった。幸運な事に私には数人の自営の友人や成功者が周りにいてサポートしてくれる良き理解者もいた。お陰で軌道に乗るとまでは行かないが、悪くない段階からのスタートがきれた。

 

 

案件のデザイン、クライアントさんとのやり取り、営業して、自営の社長さん達とのやり取り、関連する講座への出席、広告を使っての周知、仲間集め思いつことは片っ端からやった。

 

その中で、私は会社運営の駆け引きの面白さの魅力に取り憑かれた。色んな参考本を読み、色んな知識を頭に詰め込む。実行したり、公開したり、インプットアウトプットの連続だ。

 

 

 

そんな私が初めに引っかかった壁がこのままで本当に合っているのか?!大丈夫なのか??と言う疑問と不安だった。正直な話、この問題は自営を自分で始めた人にしか分からない悩みなのではないかと思う。

 

しかし、そんな私を不安と自信喪失状態から救ってくれたのが鹿児島土砂災害レベル4の豪雨の中、都城まで会いに行った東京からの古い友人の旦那さんからの本当に優しい心からのアドバイスだったと思う。

 

 

人は変われる。いつからでも変われる。そして人生の中に無駄な出来事なんて一つもない。いつかその点と点が様々なレイアウト素材として使われる日がくるのだから。私は思う、私には小学生になるチビ達2人がいて本当に良かったと。

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その豪雨から全ては始まった…

 

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鹿児島市に住んでいる私は、今日、都城まで約二時間ちょいの道のりを東京は港区から都城まで来て公演される友人の旦那さんに仕事のコンサルをして貰う為会いに行く事になっていた。

 

朝から、ソワソワして落ち着かない私は手持ち無沙汰で時間を潰しながら、2時までの時間を過ごした。午後2時になって、かなり早いような気もしたが私は車内の片付けを済ませて都城まで車を走らせた。

 

 

スタートはしたもののナビを入れるのを忘れていた私は慌ててナビを入れ、ひとまず御土産を買いに向かった。近くに来てお土産店をどこだっかな?などと考え走っていると、通り過ぎてしまったことに気づいた私はまたしても来た道を取って返した。

 

 

 

何とか、やっと御土産も買えて都城に向けスタート出来ると思い、ナビの通りに車を走らせた。ナビはさっき来た道と違う道を指したが、私はナビを信じひたすら走った。

 

しかし!何と高速道路までの道をナビされたのだ、しかも一般道優先でナビを押したことを2回確認したにも関わらず、、、。

 

 

オーマイガー!!かなりの時間ロスだ。慌ててまた来た道を引き返し、冷静になりながら車を走らせ元の道に戻った私は、なるべく冷静にと努め走る。それから、また走ること40分。何とか射程範囲に戻して落ち着き始めると後は、田舎へと戻る道路へと出た。落ち着いた私は鹿児島はこの日、土砂災害警戒レベル4で豪雨の降る中であったが久々の長距離ドライブを楽しみながら、友人の旦那さんの到着する都城駅まで車を走らせた。

 

 

その後、何とか駅前まで着き、なれない街の駅前に戸惑いながらも友人の旦那さんとの待ち合わせを午後の6時に無事終え、近くの場所に場を取り夕食を交えてのコンサルというお話をして頂きながら、私は自分が今現在する事、どうして集客をするか、何が1番重要な事なのかを2時間に渡って御教授して頂き大変貴重なご意見を頂きました。

 

 

旦那さんも私が片道約4時間かけて来た疲れなど忘れさせるような方で、逆にお忙しいい中で色々とご指導いただき最初から最後まで優しく丁寧に御教授していただいて素晴らしい方でした。

 

 

話も終わりまた、私は鹿児島市まで何時間かかけて帰らなければいけないのですが旦那さんと別れ、さあという時にすっかり御土産を渡すのを忘れていたのに気づいたのです。慌て連絡を取ると、「ああ、あれですか。そっか」と相手も何か気づいた様子。すぐに再会してお互いに笑い合いながらお土産交換をして今度こそとお別れをして帰途についたのです。

 

 

一日の中でかなりの収穫と共になかなかない経験も経て三割増し大きくなったような気がした土砂災害警戒レベル4の豪雨の梅雨でした。

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令和元年、春の門。

令和元年の春、私は長い間勤務し晴れてプロのデザイナーとなった事務所を辞めた。

 

理由は、色々、様々あったが主には独立へと向けての一歩を踏み出したかったからだ。

 

しかし、実は情けない話しではあるが独立したいと言った私に社長から辞める前より厳しいお言葉を貰っていた為、私は、独立での成功などは難しいのだろうななど半分以上諦めていた。

 

 

それから、もう少しで1ヶ月が経とうとしている。私は、デザイン事務所を辞める際に私が営業して取ったクライアント様全員と営業した2件の案件を持ち帰っていた。

 

 

なかなか、意思疎通に苦労するクライアント様もいらっしゃるのはいらっしゃるのだが、この広い日本の世の中で色々な考えや状況が存在して成り立つのだから仕方はない。

 

無事、今では私自身の2件の案件も仕上がりそうで、協力を貰えそうなクライアント様、私を助けてくれる笑顔の冴えるカメラマンに敏腕WEB担当も私に付いてくれた。

 

 

最初は、出来るかどうか不安に思ったことが

どんどん着実に形となって現実になっていく。

信じられないが、デザインと同じである。

 

 

社長は、厳しい!無理だと!!私に言って引き止めたが、私は私のインスピレーションと支えてくれる人を信じ前へと進んだことによって今の私の道が開かれつつある。

 

 

 

私は、私の息子から学んだ。

 

彼がまだサッカーを学んだ頃からサッカー選手になると言い続けてきた夢を、彼は少年の輝く瞳に捉えつつ、この前のサッカーチーム主催のJリーグ観戦ツアーに参加し、Jリーグ観戦をして点を決めた応援チームの選手の活躍を見て涙を流し。

 

そして、その後、私に言った「俺はJリーガーになる!」「なれるか?」と聞くと「なれる!!」と

 

 

デザインの世界では、想像した現実に出来ることはデザイン出来る。

 

 

私は、息子にまた教えられた。

クリエイトする大切さをデザインしていくセンスの大事さを。忘れていた大事な何かを…

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年配新人やら新人達。最終章

結局のところ、私の今回の話しで行き着いた所はこうだ。昨今の日本、今までの日本と異なる形式での評価の仕方がされてきている。

 

今までの日本がしてきた年功序列での評価方式にアメリカ式の実力者社会。そんな折に半端な力を持っていた年配新人には、1番目の社員として、それまで頑張ってやっていた社の先輩である私を舐めていたのだろう。

 

私は、勿論元来の性格より威張る事は無かったし、鼻にかけることもしなかった。それは、私が中学時代の部活で実力もない先輩が先輩ぶるのが嫌だったからだ。

 

それを良い事に今回のことは起きた。なるようにしてなったとしか思えない節もあるのだが。

怖い顔して、威張っておけば良かっただろうか?

 

これから先の事を考え、私が年配新人に優しく振った案件や、後輩に貸した本達が彼らに舐められる原因を作ったのだろうか?

 

https://youtu.be/sr--GVIoluU

 

彼らとは、1ヶ月くらい前だろうか仲直り的なものはした。しかし、私は2度と彼らに心は許さないだろう。

 

私にも心はある。しかし、嫌なものに合わせてやっていくほど穏健ではない、私の取った仕事はもちろん彼らにも振るが、彼らと今は上手くやっていこうとは思えない。

 

私は、社の先輩である。

 

日本人として先輩を敬う気持ちが彼らに生まれるまで、私は打て合わないことにした。

 

それが、私に出来る新人教育だから。