いまここノート

いまここの記憶

2018→2019 年越しのナラティブ 長いはなし

2018年はなんだか大変な時期もあったせいか、どんな年だったのか、いまいち統合的なイメージがもてていなくて、なんだかぽっかり穴の空いたような大晦日です。
いったい何をしていたのかなぁ。

ふりかえり仕事篇
仕事面では昨年末に実施した「働き方改革」実態調査の結果を軸にした、ご報告と意見交換の機会が多かったです。
2〜30人参加の報告会を東京で2回北海道と名古屋で各1回、ヤフーさん、サイボウズさん、オカムラさんでのイベント、個別には某省庁さん、某ホテルさん、某外資金融さん、某外資ITさん、某教育企業さんなどなどでの報告会やディスカッションなど。
あわせてオカムラさんのWork In Life Labo 研究プロジェクトでは、さらにいくつかの企業にヒアリングをさせていただきました。

また、春からは研究所の機関誌の編集チームに入り、ワーク・ライフ・エンリッチメントや、1on1など、個人的にも関心のあるテーマについてより深く知る機会になりました。年明けのテーマはオープン・イノベーションを成功させる人と組織です。
編集の仕事はスピード感も緻密さも求められテーマも広くて散らかってしまいそうにもなりますが、新しい問いと学びをチームで得ていく活動は私にとってこれまで得難かった何よりの経験で、感謝し通しです。
かたわらに自分の研究テーマがあるおかげで広い学びの還元先があることにも救われています。

調査研究それ自体の機会や得られたデータを介して、問いの重みづけや対話の糸口をつくるところまでは少し経験ができたような気がします。また、問いが広げてくれるご縁に感謝することの多い一年でした。
でも、まだまだという感覚です。
慌ただしく日々が過ぎて、一つひとつのご縁をもっと大切に味わいたかった気持ちも残っています。
来年はもう一歩の深い対話と問いを求めて、仕事をしていきたいと思います。

ふりかえり研究篇
研究面では学会発表を仕事関連の一つに抑えて、論文投稿に集中しました。でも集中したというほどには時間を割ききれなくて、書けば書くほど、投稿すればするほど自分の至らなさと向き合う日々が続きました。こんなにしんどいことはないですが、がんばります。
しんどさがリアリティを増す過程で、やっと少しずつ関心や問いが絞られてきたようにも感じています。

社内外でジョブ・クラフティングの研究会をトライアル的に実施できたことも大きな一歩でした。
また別に自社の提供する研修を、研究対象としてフィールドワークさせてもらいました。東日本大震災津波の被害にあわれた地域も訪ねました。とても勉強になりましたし、意外だったのは関係者のみなさんに思いのほか喜んでいただけたことでした。

社外で得た視点や学びを、社内で試すのはとてもこわいです。まさにナレッジブローカーというか、バウンダリースパナーというか、そういう気持ちです。勇気を出した自分をほめたいです。が、収穫にむけてもう一歩詰めたいです。

社内でブルーナーを読み、その後、社外の方とガーゲンを読むナラティブ研究会に混ぜていただけたのも大変ありがたい機会でした。
数年前に学び始めたころは、社会構成主義やナラティブ・アプローチがこんなに実務家の方に広く学ばれるようになるとは思ってもいませんでした。
でも確かに実用的です。よりよい関係性や社会づくりの役に立ちます。もっと理論的実践的に理解を深めて体に馴染ませていきたいと思います。

また年明けすぐには、ほんとうにありがたい越境研究会の機会を頂戴しています。問いを深め、研究を前に進めるよい機会にできるようにがんばりたいです。

未来篇・実践篇
青森と某外資IT企業さまでは、未来と実践に近いと感じられる仕事・研究をさせていただきました。
青森県では、一昨年度までの研究アウトプットを下敷きにして、プロボノ普及のお役に立つ機会をいただきました。
また某外資IT企業さまの社会貢献プログラムでは、足掛け3年の調査をもとに、より裏づけと思いをもってご提案ができるようになってきました。

これまでの調査研究を通じて、社会貢献というか、自分たちが生きることを直接・間接に支えているコミュニティに直に参加して関わる機会を増やすことができたら、いろんないいことが鮮やかな彩りで生まれると感じています。
社会をよくする活動のために自分を活かすことが、人をよりよく生かし、つながりや自信を生みだす物語をいくつも見聞きしてきました。

そうした意味での社会貢献への参加経験を増やすこと、それらが生みだす仕事上の豊かな彩りを増やすこと、を研究を通じて社会に生み出したい変化として置いてみて、活動してみたいと思います。

このようなターゲットの置き方は、仕事面でのウェイトを占める「働き方改革」にも通ずると考えています。
働き方改革」の先には、事業に価値を生み出すこと、そのために仕事を主体的に進める喜びとあたたかいつながりを増やすことを目指したいです。
社会貢献研究は、そのメカニズムを解明することに役立つ調査や研究になるはずです。

ふりかえり 私生活篇
Work In Life なので、仕事は人生の一部、仕事の話ばかりで一喜一憂してはいけません。

春から10年ぶりに、月一ペースでバイオリンのレッスンを再開しました。めちゃくちゃスローペースで基礎からやり直しています。
アマオケ活動は昨年の第九に続き、今年も幻想交響曲という大曲の演奏会に乗ることができました。練習も合宿も割と参加できました!

釣り竿を買いました。入門用の手頃なものですが、自分で選んだはじめての道具です。趣味に育てていけるか、たのしみです。

高校時代の友人が、大学の講義に呼んでくれました。働き続けている子持ち女性というだけで、学生さんにめずらしがられたり、希望を持たれたり。正直なところ、まだまだそんな空気を若者に感じさせてるんだなぁと落胆しました。
親世代の価値観や働き方が何かの巡り合わせでちょうど古いのか?ちょっとしたミステリーでした。

そういう一年だったのか
こうして振り返ってみる前の大晦日は、漠然とした虚しい一年と感じていたのですが、年が明けて振り返りをし終えた今は、割にいろいろと活動して地道に挫折と拡がりを経験した、とくべつに良い年だったように思えてきました。

いまここを生きる日々ですが、たまには過去を振り返り未来を展望するのもよいですね。
過去、いまここ、未来へと続く物語。自分に語りかけ、意味と価値を思い知らせ、明日を紡ぐナラティブ。
長いはなしにお付き合いくださりありがとうございました。
今年も良い年になりますように。

#親キャリ シーズン7 第1回勉強会 開催報告

ワークとライフのあいだ。
余白の時間。

親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン7第1回勉強会を2018.11.11(ポッキーとプリッツの日?)に開催しました。

(めいままさんがつくってくださったホームページはこちら!過去の経緯や記録など oyacareer.jimdo.com) 

誰かにとって大切な役割を引き受けながらも、自分のままでいたい。 
親になっても。仕事に打ち込むときも。何かの役割を手放すときも。 

3ヶ月に一度自分のことを考える時間。 
慌ただしいけどたいせつな、いまここをちゃんと感じたい。 
働くことのまわりにある意味をつかまえたい。 

両立の先はひとり旅。 
はたらく意味を紡ぐ旅。 

1年1シーズンを通してのゆるやかなテーマでおしゃべりをして、7シーズン目になりました。 

お互いをたいせつに扱う時間のなかで、ほんとうははなしたかったことをつかまえたい。 
話す、離す、放す。 

冷静と情熱のあいだ
今季のゆるやかなテーマは「冷静と情熱のあいだ」。
たいせつなことは、意味づけしきれない「あいだ」に、そこに留まることにあるような気がしています。

ブルーナーによれば、人が物語を求めるのは、否応なく翻弄される変化を受け入れ、それでも生きていくためだそうです。
渇きに従って語り、束の間の物語を味わい、そして、よく生きるためにまた手放していけばいいのかなと、私自身は考えています。

モヤモヤとワクワクとシュクシュク
今季第1回のテーマは「モヤモヤとワクワクとシュクシュク」としました。
行動の起点、あるいはそのように感じられるものについて考えたかったのかなと今は思います。

モヤモヤもワクワクも、意味の不確かさに導かれる「感情」の言葉なのかなと考えていました。

モヤモヤは、その出所がわかれば解消のために動きだせるものを、正体がわからないので動き出せないような気待ち。

ワクワクは、これも確証はないけれど、一歩踏み出すことに善き方向性を賭けてもいいような気持ち。

いずれも行動未満である点では似ているなと思っていました。

反対に、シュクシュク(粛々)は、確かな「行為」だけに焦点が当てられた言葉で、あえて「感情」を脇に置く風情があります。
徹底的に感情を漂白されている分、ある種の潔ささえ感じさせつつ、そこに諦めの色を見るか、長期戦の熾火を見るかは文脈次第と感じられて面白いです。

モヤモヤとワクワクとシュクシュクのあいだには、感情が行動を選択させる面と、行動が感情を後付ける面と、その両面、相互作用があるのではないかなぁと考えて、みなさんそれぞれの地図を聞いてみたいなと思っていました。

モヤモヤの根っこ
事前アンケートへの回答では、参加された方全員が、なんらかのモヤモヤとワクワクを抱えていらっしゃいました。
(そういうものなんですね。)

フリートークは、モヤモヤに集中しました。モヤモヤはどこから来るのか。とりとめもなくはなしながら、いくつかのメモが残りました。
f:id:kabu_rie:20181127180231j:image

モヤモヤは自分自身とつながっている
社会が、「何者か」であることを、人生のかなり早いうちから求めてくるようになったと感じる。早熟化を促す社会に反発を覚えるが、背を向けるわけにもいかず、子に働きかけをする自分がいる。そして、自分自身が、何者かになりたいとも感じている。私には「何者か」の軸がないと感じているからモヤモヤするのかもしれない。
その人にはいつも話を遮られる。軽くあしらわれて、やんわり反論されるように感じる。信頼されていないのだろうか。
経営の方針と、現場の戸惑い。板挟みになりながら、私だけがいつも、自分自身の感情と、仕事上の役割とのバランスを取っている。
ジェンダー規範に関連する偏った見方と感じると「ちょっと待ってスイッチ」が入ってしまう。そういうことがいつまでも繰り返されることへのいらだち。
それぞれの動作場面は違えど、「ちょっと待ってスイッチ」は、多くの方がもっているようでしたね(^-^)

モヤモヤに含まれるたくさんの成分が零れ出てきて、あわてて拾い集めました。
理不尽さ。羨望。後ろめたさ。腹落ちのなさ。理解されない気持ち。徒労感。などなど

行動未満
その後、モヤモヤとワクワクとシュクシュクの関係図を考えてみました。

モヤモヤするのは、見えそうで見えないから?
モヤモヤはワクワクへの願いの裏返し?
シュクシュクはモヤモヤを出てワクワクに向かう過程?
シュクシュクに時間を割くほど、これでいいのかというモヤモヤを生む?

いろんな意見が出てとても面白かったです(^-^)

綺麗な図に仕上げて、もう理解した言葉として引き出しに分類してしまわないほうがいいんだなという感覚も、私の中には浮かんできました。
それも、みなさんとの時間を通じて、意味が豊かになったからだと思います。

選択の正しさはあらかじめ決まっていない
ふたたび皆ではなしているうちに、モヤモヤも、ワクワクも、シュクシュクも、自分で「良い選択にしていく」ものなのではないかということをナッキーさんが言ってくださいました。

ほんとうにその通りだなと思いました(^-^)
ワクワクやシュクシュクに向き合うからこそうまれるモヤモヤもあるし、モヤモヤゼロのための選択を理想にするとなんとなく息苦しくも思えます。

ベクトルがあること、どこかに向かっていると思えること、踏みしめる地面の感覚が足裏に伝わること、自分には踏み出す一歩を決める力があると思えること、
冷静と情熱のあいだに、そういう気持ちになれると豊かだなと思った勉強会でした。

今回もリアル/バーチャルのご参加ありがとうございました。

次回は「脱箱(だっぱこ)」読書会で

次回は2月?ごろ、形式を読書会にかえて開催したいと思います。

読みたい本は『自分の小さな「箱」から脱出する方法

モヤモヤの掘り下げにぴったりの本だと思います。自分が可哀想に思えたら、自分以外の人が無能に見えたら、そのとき私たちも箱に入っているのかもしれません。心の「越境」を説いた名作です(^-^)

親キャリの枠を越えて、いろんな方と一緒に読めたらいいと思います。ぜひ。

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 156人 クリック: 3,495回
  • この商品を含むブログ (418件) を見る



「これでいい」のあるところ。しあわせから始める #親キャリ 勉強会シーズン6 第2回勉強会 開催報告

ワークとライフのあいだ。
余白の時間。

親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン6第2回勉強会を2018.3.18に開催しました。

(参加者のめいままさんがつくってくださったホームページはこちら!過去の経緯や記録など oyacareer.jimdo.com) 

誰かにとって大切な役割を引き受けながらも、自分のままでいたい。 
親になっても。仕事に打ち込むときも。何かの役割を手放すときも。 

3ヶ月に一度自分のことを考える時間。 
慌ただしいけどたいせつな、いまここをちゃんと感じたい。 
働くことのまわりにある意味をつかまえたい。 

両立の先はひとり旅。 
はたらく意味を紡ぐ旅。 

1年1シーズンを通してのゆるやかなテーマでおしゃべりをして、6シーズン目になりました。 
お互いをたいせつに扱う時間のなかで、ほんとうははなしたかったことをつかまえたい。 
話す、離す、放す。 


「これでいい」のあるところ
今季のゆるやかなテーマは 
『「これでいい」のあるところ』 でした。

「キャリア」のとらえ方や扱い方はそれぞれですが、いろいろと不十分でも、これでいい とその時々に思えていればいいのかなと。
そのひと言が、誰にとってもそれほど簡単ではないからくるしい時もあるのかなと。
そんなふうに湧いてきたテーマでした。


いまここを選んでいるということ
前回は、 
『分かれ道の選び方』 
「えらぶ」ということについてはなしました。 
 
いまここを選んでいるということ、選ぶことと共にある何かに意識を向けてみました。 


ただ、 いまここ があるということ
今回は 
『選んだわけじゃない場所』 

選んだと感じる道があるのと同じように、選ばなかった・選べなかった道がたくさんありますね。 
誰もが、思いもよらなかった道の途中にいるとさえ思います。

今回は、"オランダ"と"マインドフルネス"をキーワードにおしゃべりをしました。


オランダ
人気ドラマで紹介された「オランダへようこそ」という詩があるそうです。
みんなで朗読してみて、感想や、浮かんでくる徒然なる会話をはなしました。

イタリアに移住するはずだったのに、着陸したのはオランダだった。
何も準備ができてない。
泣いてる暇もない、生活しなくては。
世間はイタリアの話題でもちきり。
私も憧れのイタリアに行くはずだったのに。
ふと目を上げるとオランダは美しい場所。
心の痛みは消えない。
オランダもいいところ。

つい惹かれてしまう、いたかも知れなかったもうひとつの世界、イタリア。
思いもよらなかった、いまここ にある世界、オランダ。

みなさんが、それぞれのイタリアとオランダについてはなしてくださいました。

長時間労働から時間制約へ。遠のいた手応えと一体感。
思いもよらない異動・配属。価値基準の違う世界。
事業統合や合併。マイノリティ感を噛み締めているはずの自分が、マジョリティとして括られ線を引かれる。
体力や体調のこと。自分の身体と付き合って行く。

これでよかったんだ、ここもいいところ、と思うのかどうか。
そうとも限らないという正直さが、この詩や、みなさんの話にはあったと思います。そのことを私は好ましく感じました。

一方で、夢に描いたイタリアに行けなければ、もう幸せになれない、ということもない。

ただ、いまここ はオランダだというだけ。
オランダをよく知ることによって、オランダが自分にもたらす変化を受け入れることによって、止まった時間が流れ出すように感じられました。


マインドフルネス
後半は、マインドフルネス、と呼ばれる瞑想についてご紹介しました。

詳しくはこちらをどうぞ。

この書籍におけるマインドフルネスの定義は「意図的に、今の瞬間に、評価や判断とは無縁の形で注意を払うこと」。

いまここ がただ意味もなく在るということに慣れることなのかなぁと。

忌まわしい情動が起こることを防ぐことはできない。
しかし情動は、私自身ではなく、私が経験している生理現象に過ぎない。

I am angry. ではなく
I feel anger in my body.
"執着というのは、心が何かに必死にしがみついて放そうとしない状態を言う。"
"嫌悪は、心が何かを必死に遠ざけ、それに近づくのを拒む状態のことだ。"
イタリアの危機は執着
オランダの危機は嫌悪
とも言えそうですね。

そして嫌になる自分を嫌になる「メタ嫌悪」は、生産的ではない。
硬いブラシで何度もこすって肌が腫れ上がる。
"優しさは、ブラシでこするその有害な行為をそっとやめさせる特性だ。やめさせられれば、やがて肌は回復する。"
マインドフルネスはそういう練習だそうです。
意識の向いている先に気づく練習。
優しい意図を自分と他者、世界に向ける練習。
穏やかで明晰でしあわせな感覚を、こころの泉にたたえる練習。

鍛錬を重ねれば、情動が起こるそばから手放すことができる。水面に書かれた字のごとく。
どんな経験もありのままに味わい、執着と嫌悪をもたなければだいじょうぶ。
"何年にもわたって私を悩ませてきた思考や情動が 、じつはとても弱くはかないこと、そして、小さな問題に執着すると、それが大きな問題となることが、徐々にわかってきた。
静かに座って、自分の思考や情動がどれほどすばやく、多くの点で不合理な形で、現れたり消えたりするかを観察しているだけで、それらが見かけほど堅固でも実体のあるものでもないのがはっきりとわかってきた。
そして、それらが語るように思える物語を信じなくなるにつれて、その向こうにいる「著者」が見えてきた。心そのものの本質である、はてしなく巨大で、はてしなく開かれた意識だ"

こころの基本設定はしあわせ
脳のデフォルトモードはしあわせ感なのだそうです。
瞑想で、こころに浮かぶ評価や判断をそっと保留して、自分をいたわる練習を重ねると、理由もなくしあわせ、という感覚が味わえるそうです。(その状態をスッカというそうです。)

これはほんとうにすばらしいことだなと思いますし、実際そんな気がします。

なんのために生きてるのかなぁとか考えてしまうと答えはないですが、ひとつは気づいたらもう生きてしまっているからで、もうひとつはせっかく生きるならしあわせに生きるということかなぁと思ったりします。

しあわせに生きることが自分にとって一番大事なら、何かの努力と引き換えでなくても、価値を発揮した報酬としてでなくても、人生の果てにでなくて今すぐにでも、しあわせになればいい。
しあわせな気持ちを出発点に、努力や価値にコミットすればいい。
そんなふうにも思います。私にとって大事な順に、順番を並べ換えるだけ。

しあわせ感から始める。

ここに自分がいたり、そこに人がいること、なにかが起こることに、意味づけをし過ぎる必要はなくて。ただ、いまここ がある。次にまた何かが起こる。

何者かになる、達成する、ということに価値を置くのは、数ある価値観のひとつ。だから他の在り方もあっていい。
その価値規範を緩めると自分が、みんなが、がんばらなくなるのでは、これまでのがんばりが無駄に感じられるのでは、といった恐れも十分理解できることです。
でも世界が一夜にして塗り替わるとも限りませんから、しあわせ感にチャンネルを合わせてみて、次に自分が何をするのか、何が起こるのか、試してみてもいいかなと思います。

しあわせ感から出発して、感謝が十分溜まってから、そのこと自体をよろこべる活動に時間を使う。生産的と思います。試してみます。


発酵する親キャリ
今季もリアル/バーチャルにおつきあいくださったみなさま、関心を寄せてくださったみなさま、たのしい時間をありがとうございました(^-^)

自分のしあわせ感、いまここ感にチャンネルを合わせた時、親キャリという場所は何だろう?といつも考えます。
親になって10年。両立の先のひとり旅にも少し味わいが出てきました。

ワークとライフのあいだ。
余白の時間。
ワークの彩りも、ライフの彩りも、「親となっても」では語りきれないほど豊かになってきました。
そろそろ「親キャリ」の看板を降ろす頃かもしれません。

それでも、誰かにとって大切な役割を引き受けつつ、彩り豊かな在り方を自分に許そうとする優しいひとたちとの場所でありたいと思います。なにか他のいい看板がみつかったら架け替えましょう(^-^)

ランチでめいままさんが「雑談」と表現してくださいましたが、言い得て妙です。
雑談の苦手な私にとっては、ここは雑談の場であり、探索の泉であり、友だちそのものです。

なので、ぶらキャリ、ゆらキャリがスピンオフしたことはとてもうれしいです。
意味もなくぶらぶらしてゆらぐ。来季も遊びにいきたいですね。

散歩の合間に雑談の場もホールドしたいと思います。
ワークとライフのあいだ。
余白の時間。
雑談が発酵する場所で、ほんとうははなしたかったことをつかまえる。
話す、離す、放す。

来シーズンはまた春の遠足、ぶらキャリから始めましょうか〜
GW明けすぐくらいかな?

「働き方改革」は個と組織の関係性の改革

いままさに暮れていく2017年は、働き方改革に明け暮れた一年でした。

2つの調査に関わりました。
「働き方改革」って、何が、どのように、変わっていく、変えていく改革なのかしら?ということを考え続けた一年でした。


働き方改革は個と組織の関係性の改革
調査を通じてわかってきたことは、働き方改革とは、個人と組織の関係性を結び直す改革ではないかということ。
長時間労働の抑制はひとつの重要なステップ、手段ではあるけれども、時間へのフォーカスの「次」が問われていること。

次のフェーズでは、
はたらく時間や、場所や、所属・経験の幅・自由度を拡げつつ、「いまここ」の仕事や所属への喜びを取り戻す。
多様な人生にフィットする、温かい職場とカラフルな働き方を工夫し創造する。

ワークシフト、ライフシフトの時代に、どの組織が、お互いのありのままの存在と「いまここ」の仕事に心を傾けあう関係性を築ける組織になれるのか。

いずれの調査もいったんの報告を終えたところなので、これから一歩、二歩と理解を深めていきたいと思います。
越境経験、ボランティアや育休復職の研究も、関連テーマとして深めていきたいです。
来年はたくさんの方の話をお聴きしたいです。


「働き方」が透明になるころ
そんなタイミングで、この一週間、少し早めに冬休みをいただいて、沖縄を旅してきました。
「休める人はどうぞー」と言ってもらって気兼ねなく休みに入って、携帯からメールにアクセスして年明けのわくわくする打ち合わせもいくつか決まりました。

「働き方」に懸念のないこの休暇のあいだ、正直なところ、「働き方」のことはチラリとも考えませんでした。一年間あんなに「働き方」浸けだったのに(^-^)ゞ
でも仕事のアイデアはいくつも浮かびました。

「働き方」への気持ちが透明な時、仕事が捗る、アイデアが発酵する、働く喜びがある。
実感、確信があります。

波に自由に足を洗わせて、半日釣り竿を垂らして魚の気持ちだけを考えて、マングローブの森を自分の手でカヤックを漕いで散策して、積ん読から一冊だけ選んだ本を空いた時間に読んだりして。
仕事上の課題が不思議と出口を探り当てるような感覚、「やらなきゃ」の焦りとは違う「これをやったらすごくいいかも」のアイデアが湧きあがる感覚。

はやく働き方改革の「その先」に行きたい。
こんな感じもひとつの「その先」としてどうでしょうか。

いま、日本中の優秀中の優秀なビジネスパーソンの方々がこぞって「働き方」の議論をされています。
そのことに希望を感じる気持ちと、働き「方」を議論する時期が早く過ぎて、誰もが「働く」喜びに安心して浸れるようになりたいと思う気持ちがないまぜになります。

一方で、働き方の選択は、一人ひとりの生き方の一部である。"Work in Life".
また、閉塞感に包まれている企業組織の、創造性を開放しうるボトルネックでもあると考えています。
ストレスフリーでクリエイティブでパーソナルな働き方の工夫、関係性の絶え間ない結び直しは、ブームを超えて日々の組織の営みに組み込まれていってほしいとも願っています。


まとまりませんが、2017年の振り返りにかえて、働き方改革について思ういまここの記録として。
本年もありがとうございました。
(ほんとは2017振り返り読書編も書きたかったけど、年が明けそうです(^-^)ゞ)

未完成の喜びを歌う

今週末、所属しているオーケストラの演奏会がありまして、第九をやります(^-^)
ベートーベンの交響曲第九番 合唱付き。
カップリングは未完成交響曲シューベルト交響曲第八番(または第七番)です。

演奏会前の練習に向かう電車で、最後の予習を聴きながらのエントリーです。

第九は一時間を超える大作です。練りに練られた名曲中の名曲。(明日はたぶん70分軽く超えるんじゃないでしょうか。聴きに来てくださる方はお覚悟を。。)
長いしな〜と実はまともに聴いたことがありませんでした。が、半年間じっくりつきあったいまとなっては、弾いて涙、聴いて涙。

オーケストラの曲って、楽器も演奏パートも演奏者の数も多くて、しかも長い。楽章ごとに曲の雰囲気もがらっと変わりながら、全体で一曲ということになっています。
いろんな複雑な構造や相互作用をみることができるので、私などは繰り返しオケの内側で弾いてみてはじめてわかるようになる良さも多いです(^-^)ゞ
素敵な音楽ジャンルはほかにもたくさんありますが、数十分持続できるほどの没入感がクラッシックの醍醐味に思われます。

明日の曲の聴きどころについて。

私はただ弾くだけなのでうんちくも全然もっていないのですが、4楽章の冒頭についてなるほど感のあるうんちくを先輩から教えてもらいました。

4楽章の冒頭には、1,2,3楽章のフレーズが少し出てきては、チェロバスの旋律に被せられて消える掛け合いがあります。
そのことについて、ちょっと正確な表現は忘れてしまいましたが、1楽章では生きる苦悩、2楽章では享楽、3楽章では愛が奏でられるけれど、そのどれでもない、喜びなんだよ!!という音楽らしいです(^-^)

1,2,3楽章は色々と工夫が凝らされていて、驚きも美しさもあるどれも素敵な音楽なんですが、最後に、ただシンプルに喜びをうたう4楽章がある、というのも素敵な結論だなぁと思いました。
4楽章はそんな音楽かもしれないと思いながらお聴きください。

1楽章は冒頭の微かな6連符、からのダイナミックでまじめな音楽。
2楽章は踊るティンパニ木管ソロ。
3楽章は夢のような1stバイオリンの旋律を夢の中で聴く客席。
あたりが見どころ聴きどころかなと個人的には思います。
(私は演奏会では迷わず寝る派です。第九は長いので起きてからもまだきっと楽しめます)

担当する2ndバイオリン的には、2楽章スケルツォの冒頭、ティンパニのあとに単身弾き始めるとこが最大の難所です。
人生の軽味、楽しみがクスクス笑いとともに溢れ出すような音楽になるといいなと思います。

一方の未完成交響曲は、人生の不完全さを謳った...わけではなく、ただ途中で書きやめてしまった曲らしいです(^-^)ゞ
歌曲をたくさんかいたシューベルトらしい?のかはわかりませんが、一楽章冒頭のオーボエ、二楽章のバイオリンの旋律などとても美しいです。
実力が素通しで見えてしまうオケ泣かせの曲でもあります。

では楽しんでまいります。
演奏会にいらっしゃれない方はこちらでお楽しみください(^-^)
サバリッシュ&ロイヤルコンセルトヘボウの第九

「これでいい」のあるところ。一人ひとりの選び方 #親キャリ 勉強会シーズン6第1回 開催報告

親になった私たちのためのキャリア勉強会、略して 親キャリ勉強会。
定期と不定期のあいだくらいの頻度で開催して、6年目になりました。

ワークとライフのあいだ。
親になっても、自分のままでいたい。
何かの役割を引き受けたり手放したりするときも、自分自身でいることをだいじにしたい。
3ヶ月に一度、自分のことをはなす時間。

お互いをたいせつに扱う時間のなかで、ほんとうははなしたかったことをつかまえたい。
話す、離す、放す。

両立の先はひとり旅。
途中で立ち寄る週末の山小屋。


ここ数年はご参加のみなさんによる自由なスピンオフ企画がゆるく行われています(^-^)
izmyさん企画、毎回大好評のお散歩企画 「ブラキャリ」に加え、先週末は焚き火を囲む「ゆらキャリ」が初開催されました(企画されたさえきちさん、ryoさん、ありがとうございました!)

ゆらキャリ、とっても楽しかったです。
その感想など書き留めたいと思ったのですが、実はゆらキャリのルーツは9月の通常勉強会にありました。そちらのことを先に...書きます!


「これでいい」と思えるには
親キャリ勉強会では1シーズン通じてのゆるやかなテーマのもと、各回のテーマを、こちらもゆるやかに置いています。

今季のテーマは
『「これでいい」のあるところ』
としてみました。
「これでいい」っていつでも思えたら、とってもしあわせなのになぁと。

そして第1回のテーマは、『分かれ道の選び方』。
「えらぶ」ということについてはなしたいと思いました。
いまここを選んでいるということ。

今回はかなこちゃん、ひよこちゃんに一緒に企画をしてもらいました!ありがとう〜
かなこちゃんはご自分で会社を始めましたよ。キャリアカウンセリングのご相談はキャリアライブへ!https://www.careerlive.co.jp/
自分の「選ぶ」に意識を向けるために、前半は、いまこの瞬間みんなが選んでいることの共通項としての「親キャリ」を題材にしたワーク、後半はそれぞれの「選ぶ」についての対話的おしゃべりをしました。


いまあなたが選んでいるこの場は「何のよう」?
あなたにとって「親キャリとは」または「親キャリに来るとは」何のよう?
前半はこんな問いによるグループワーク。
親キャリの場やここに参加することは「○○のよう」というそれぞれの答えに対して、クリーンな質問をしあって、心の中のイメージを深く豊かにしていきました。

  • それはどんな種類の○○?
  • ○○についてほかにはなにかある?
  • ○○に色や形はある?
  • ○○はどこにある?
  • ○○のつぎに何が起きる?

いろいろ!なメタファーがでてきてとても驚きましたし、たのしかったです。
「焚き火」...手を温めたり、集まって話したり、炎に思わぬ自分が照らされたり、マシュマロ焼いたり
「帰省」...親である自分が親じゃなかったころの居場所に戻る、縁側に座ってしゃべる隣になにも言わずに座っていてくれる人がいる
「近所のおばちゃんち」...学校帰りに、ガラガラって勝手に戸を開けてあがりこんでオッケー
「山道の道標」...ときどき矢印が出てるけど、従ったからといって山頂にたどり着けるとは限らない
「浮き輪」...気づいたら海で溺れてて苦しくて、神さまが投げてくれた浮き輪でなんとか息ができるけど、ほんの小さな浮き輪だから小舟がほしい、自分でつくるしかないのかなと思う
「触媒」...誰かの何気ない言葉が、自分の中にすでにあったけどもやもやしていたものの化学反応を一気に加速させる、それがお互いに起こる、不可逆的な変化、望んでいなかったものではない

みなさんの「選ぶ」はほんとに多彩。
そしてみなさんの喩えてみる力はなんて豊かなんだろうと思いました。

今回、それぞれの「選ぶ」に意識を向けるためのワークでしたが、そこでいただいた副産物はこの場の置き係としてとてもありがたいものでした。
こんなゆるい場を選んでくださってありがとうございます。

小さな浮き輪のように、近所のおばちゃんのように、マシュマロのように、とてもゆるくて力弱い場所なんだなぁと改めて。場の力弱さのおかげでみなさんの力強さが際立つ、一人ひとりの陰影が照らされている、そんなこともあるのかなぁと思いました。

※そしてこのメタファーが、焚き火合宿ゆらきゃりへと急展開していきます。


「選ぶ」ことのまわりにある自分らしさとは
後半は、全体でのおしゃべり、お互いの言葉を聴きながら、それぞれの「選ぶ」に意識を向ける時間となりました。

  • 今あなたが選んでいるものは何?
  • 選ぼうと思っているものは何?
  • 選び取り方や選ぶものそのものに、どんなあなたらしさがあると思う?

意志をもって選んだような選択
選んでいないような選択
計画する選び方、しない選び方
時間が経って意味が見えてきた選択
「その時」に選べるための野性の磨き方
選ばれることによる選択

いろんなお話がでたと思います。
ほんとうに、「聴く」こと、他者に意識を向けるという贈り物に長けたみなさんだなぁと思います。
お互いの贈り物が、それぞれのご自身の選び方に意識を向ける助けになっていたらよかったなぁと思いました。

かなこちゃん、場のファシリテーションありがとうございました!
参加できなかったひよこちゃんも助けてくれてありがとう〜。


選ぶということ
今回の勉強会の企画から、参加されたみなさんからの予測し得なかった一言ひとことに至るまで、全体を通じて、わたし自身も自分の「選ぶ」に意識を向ける時間となりました。

私自身が「選ぶ」ことに苦手意識があるために、場の可能性を狭めたらいけないなぁという思いもあって、かなこちゃんにファシリテーションをお願いしました。大正解でした、ありがとう(^-^)

選んでこなかった、というような感慨をもっているのは自分だけじゃないんだなぁということがわかって安心しました。
また、意志のチカラをもっていて素敵にみえる方々も、それぞれのやり方で迷いをすくい上げたり、穴を埋めたりされているんだと知りました。

いま目の前にいるひとの佇まいが素敵だと、きっと素晴らしい選択の結果なんだろうと思ってしまいますし、誰かの選択の瞬間をみると、なんて軽やかで賢明なんだろう思ってしまうものですが、もしかしたらそうじゃないのかも。
何を選んでいても、どんな選び方をしていても、その人自身であることが滲み出していることが素敵にみえるだけなのかもしれませんね。

今回もありがとうございました。
11月はゆらきゃり、その次は年明け年度内に勉強会を開催できたらと思います。

積ん読解消シリーズ『社会はなぜ左と右に分かれるのか』

職場の同僚が企画してくれた半年ワンクールの朝読書会。
(同僚と呼ぶにはあまりに先輩で、この道のベテランで、上司的な存在でもあるのですが、上司でもなく、敬意を込めて同僚と呼ばせていただけることを光栄に思いつつ)

最終回はこの、ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右に分かれるのか』でした。

有り体に言えば、いま読むべき一冊ではないでしょうか。

実際に日本社会が左と右に分かれているのかは、わたしには勉強不足で判然としませんが、誰にもそのひとの「正義」があるということが、その字面よりも深く理解できる可能性のある一冊です。

ハイトは道徳心理学者だそうです。人の道徳心の発達やあり様を解き明かそうとしています。興味深い着眼点だと思います。

人の思考においては、まず直観と感情が水路づけをし、そのあと論理的思考が可能な限りの正当化を試みることがおこなわれていて、感情に関する脳の機能が損傷されると小さな意思決定も難しくなるそうです。

なので、ハイトは、人の感情が刺激されるような、道徳心・正義心の拠り所を探求します。
私たちは、徳の高い行いに接した時に気分が高揚するのと同じように、不道徳な態度に接すると貶められたように感じるのだ。
「不道徳」なひとは「モンスター」のように見え、人間の基本的な感情を欠いていると考える。
不快感を覚えさせ、ゴミ箱からネズミが飛び出してきたときと同じような生理的嫌悪を引き起こす。
このような嫌悪感、不快感が生じる道徳心・正義心の拠り所が、複数あって、その重んじ方が人によって違うということがハイトの主張です。

ハイトによると、道徳心・正義心の拠り所は6つあります。
ケア、公正、忠誠、権威、神聖、自由。

アメリカでリベラルと自認する人たちは、ケア、公正、自由の3つの道徳基盤のみを重視する傾向があるそうです。
つまり、人に危害を加えず・加えられないこと、社会的な弱者に負担を押し付けないという規範を守れば、あとは権威に抑圧されず集団規範に縛られない自由を求める。

しかしアメリカで保守主義者を自認する人は、6つすべての道徳基準をもちます。彼らも公正を軽んじているわけではなく、「努力に応じた配分」という公正を求めます。また、福祉国家化し、働かない者、集団規範を守らず排除された(と彼らがみなす)者に税金が配分されることを警戒し、自身の努力である経済活動が抑圧されない「自由」を求めます。

現実の選択としては相容れない部分が大いにありながら、いずれもそれぞれの信じる「公正」「自由」などを主張している。しかし、保守主義者の方が6つの道徳基盤にもとづく感情の動きの原理を理解している分、人々の、感情が先行する論理的道徳的な判断を動かしやすいのだというのが本書におけるハイトの主張です。

自分にとって道徳的な観点でモンスターのように感じられる人がいたとして、その相手からみると、もしかしたら自分がモンスターかもしれない。
誰かのモンスターにならず、やや左よりの中道を行く勇気をもつということも、リベラルの勝ち筋としては有効と言えるかもしれません。保守が飲むことができ、かつ現実の課題を見据えた策を訴えられるか。

また、人間には雑食動物のジレンマというのがあるそうです(食べられるかどうかを誰かがトライしないと生き延びられないけれど、見慣れない物を食べるとお腹を壊すかもしれない)。
  • 雑食動物は、ネオフィリア(新奇好み)とネオフォビア(新奇恐怖)という二つの対立する衝動を抱えて生きている
  • どちらの衝動が強いかは人によって異なる
  • リベラルはネオフィリアの度合いが高く(「経験に対して開かれている」とも言える)、対して保守主義者はネオフォビアの度合いが高く、確実にわかっていることにこだわる傾向があり、境界や伝統の遵守に大きな関心を持つ
と、ハイトは分析します。

ここもリベラルが一枚岩化しにくい理由かなと思います。すでにある伝統や「確実にわかっていること」は実体感をもって共有しやすいけれど、まだここにないものや可能性はまだ確定していないので共に手に取ることがしにくいのでしょう。

このように考えてくると、「みんなで考える」手法(ホールシステムアプローチ)、「未来を手に取る」手法の開発と普及はとても大事なことだと思えてきます。
フューチャーサーチ/フューチャーセッションもそうですし、U理論のオットー・シャーマーなどもこのあたりに精力的に取り組んでいるようです。
誰にでもあるネオフィリア的な部分を丁寧に乗り越えて、まだここにない未来を手に取ろうとする都合上、活動は草の根的にならざるを得ず、それもリベラルが大勝しにくい理由かもしれません。

理由に思いを巡らせたうえで、なにを反省し、なにを取り入れ、それらをどう反転するか。知恵の絞りどころと思いました。
批評がしたかったわけでもなくて、私自身が考えるためのメモとして書いたものをみなさんにシェアさせていただきました。

感情が先行する思考プロセスについてはこちらもご参照ください。

しあわせ仮説

しあわせ仮説


あといつものU理論

U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術

U理論――過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術

もしかしたら続編の方が今回のテーマには近いかも

出現する未来から導く――U理論で自己と組織、社会のシステムを変革する

出現する未来から導く――U理論で自己と組織、社会のシステムを変革する