kaccha_nの日記

19歳の女子大生が勝手に書いています、怒んないで、、

フェミニズム

学校でフェミニズムにつてグループでプレゼンをすることになった。

アメリカと日本のフェミニズムを比べて、それが社会にどう反映しているかをプレゼンする。

グループプレゼンは苦手だ。緊張が緩和されるとかそういうのは一切感じないし、決められた人と時間を合わせて話し合って練習して、というのがめちゃくちゃ苦手である。

とりあえず備忘録として、今時点で感じたことを書いておこうと思う。

 

そもそも、フェミニズムとはなんなのか?私は『男女のために、社会のために、男女平等を求めること』であると思う。決して女性を敬えとか女性のほうが能力があるとかそういうのではなくて、あくまでも『平等』を求めたものなのではないかと思う。なんでかっていうとそのほうが社会に有益だから。女性にしかわからないこと、当事者にならないと分からないことって、たぶんいっぱいある。例えば、私はLGBTQに関心があって、その記事を読んだり動画を見たりしょっちゅうしてるけど、どんなに記事を読んでも動画を見ても、彼らの気持ちを100%理解することは難しい。(これもいずれまとめたいな)ていうか他人なんだから、100%理解するなんて無理だ。だけど、同じ当事者同士なら、100%は無理でも70%くらいなら分かり合えるかもしれない。間違いなく、男性が女性を理解しようとするよりも女性が女性を理解しようとしたほう、理解度は上がると思うんだよね。

そんで、調べていくうちに思ったのは日本の方が比較的フェミニズムを嫌悪しやすいなってこと。アメリカは割とセレブたちが声をあげていて、とっつきやすいというか、普通に『フェミニズム』という考えが社会の中にある。ゴールデングローブ賞の授賞式とかもそう。日本ではあんまり有名人とか芸能人が声を上げることってない。多分だけど、一定数の人に叩かれるから。きのこの山派、たけのこの山派論争があるように、賛成意見があれば反対意見があるのは当たり前なんだけど、それってやっぱり怖い。なにかの意見に対して反対する人の中には、反対じゃなくて『叩いて』くる『過激派』もいる。それにこれは完全に主観なんだけど、フェミニズムは結構デリケートな問題だと思う。一歩間違えたら芸能人人生が危うくなるような。

わたしはフェミニズムに対して肯定派だし、もちろん否定派がいるのも分かってる。それはそれでいいし、むしろそうじゃなきゃおかしいと思う。でも、「私は肯定派」「私は否定派」って自分の意見を胸を張って言えるようになるのがまずは第一なんじゃないのかな。その意見がぶつかり合うということが当たり前であるべきだと思う。

アメリカと日本のフェミニズムを比べて、それが社会にどう反映しているかをプレゼンするのが目的なのですが、難しすぎてそこまでたどり着けていません。おわり。

ライブに行け

私が初めて行ったライブは石崎ひゅーいのライブだ。それも超最近、4月の代々木公園でのフリーライブ。2回目のライブも彼のツアーファイナルだった。

ぶっちゃけた話、ライブにお金を払うことの意味が分からなかった。

チケットは学生の私にとってはそこそこのお値段だし、ドリンク代とか言ってさらにお金とられるし、は?という感情しかなかった。

 

しかし、

 

生は違うぞ。

 

生は違うぞ!!

 

石崎ひゅーいは、フリーライブで最高のものをくれた。フリーで。フリーって無料って意味。一体お金を払ったらどんな世界が見れるのだろうかと思った。帰りの電車の中でツアーファイナルのチケットを購入していた。彼は私に人生で一番大事なことを教えてくれたのかもしれない。

 

代々木の時は野外だった。彼の音楽は高校1年生のころから聴いていて、大好きだった。何度も助けられた。当日は学校から急いで直行したのでパソコンの入った重たいリュックを背負って本当に後ろのほうから見ているしかできなかった。遠すぎて、目の前のお団子頭の女子大生らしき人の影に見えたり隠れたりして、なんかもうやっぱり幻だったのかな?とすら思った。

でも、ツアーファイナルは、確かにそこに『石崎ひゅーい』がいたのだ。幻なんかじゃなく、そこにいた。観客からキーワードを募って、クーラーがつかねえと歌っていた。母親の葬式の話をしていた。君は君のままでいなよ、と歌っていた。もう、なんだかよく覚えていないけれど、自分が同じ空間にいて、生の歌声を聞いているというのが信じられなかった。

 

CDじゃ得られないものがあるぞ、ライブに行くんだ、ライブに行け!

 

 

未読

15歳からずっと好きな人がいる。そして私はもうすぐ20歳になる。

友達以上恋人未満、みたいな関係をだらだら続けていたらこんなことになってしまった。この5年で、あいつは2人の女の子と付き合って、別れた。私はゼロだ。

こんなこと言ったら負けになるような気がして(何に?)友達には絶対に言えないけれど、あいつと過ごした時間があまりにもキラキラしすぎていて、他の人が好きになれないの。全然、何も感じない。

サーティーワンのダブルのアイスクリームをそれぞれ買って分け合いながら、4種類も食べれる!って騒いだ15歳の夏も、寝ないようにって3時間も電話をつなぎながら勉強した17歳の冬も、明るい夜の新宿を、昼間みたいだねって笑いながら歩いた19歳の夏も、全部全部、私は覚えている。全部全部、キラキラした宝物。

なのに

なのになんだ、この有様は。なんなんだ。

私はあいつの彼女に、一番仲のいい”友達”として紹介された。あいつの彼女によろしくね、なんて言われた。私のほうがずっと前から好きだったのに、私のほうがずっと前から仲良しなのに。

10:0で私が悪いのに、そんなこと誰が見ても分かっているのに、怒りがふつふつと沸いてくる。別れた、と電話が来たとき、ほっとしている自分がいた。ああ、やっとか、とすら思ってしまった。

友達との関係がうまくいかないことよりも、バイトの時給が低いことよりも、こっちのほうが私にとって、ずっと大きな問題なのだ。

 

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