うつと筋トレと時々レザークラフト

マイノリティ入門

僕とうつ病のあれこれ

こちらのブログをご覧の方々へ、移行のお知らせ

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

この度、新たに自身のブログを開設しました。

 

punikuni.com

 

病気関連のこともこちらでアウトプットしていきたいと思っているので、引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

【メタ認知の方法論?】うつ病に名前をつけて人格化する

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この方法が寛解に向けた正しいアプローチなのかどうかは全く分からないんだけど、うつ病の症状が出ているときの自分に名前をつけて別人格化しちゃうみたいなことを試している。

 

うつ病だけじゃなくて、自分の性格の癖みたいなものが出てきた時にも名前をつけて人格化してしまう。ちなみに多重人格とかそういうものではなく、自分が意識的に行なっている認知の矯正方法のお話。

 

今のところ登場しているのは、 

  • うつ病くん(無気力、無意欲)
  • 月曜日の出勤怖いマン(特に日曜日夜に出現してうつ病くんにバトンタッチする)
  • ラインの返信ないとめっちゃ気になるくん(誇大妄想からうつ病くんに移行するパターンが多い)
  • 調子がいいとすぐ調子のる男(頑張りすぎて疲れてうつ病くんにバトンタッチ)
  • 周囲の目線めっちゃ気になるマン(度がすぎると外出不可に)
  • べっきー(すべき思考。柔軟な思考と行動を制限)

こんなところ。そして、こいつらの上にまとめ役の「正常で冷静な自分」がいます。

 

日常生活の中で、さまざまな縁に触れて噴出してくるこれらのあまり良くないと思われる心の癖を人格化することで、正常で安定した自分から一旦、その感情を切り離すことができるんです。切り離した上で、正常で冷静な自分が「いやいやそうじゃないよね」とたしなめたり、時には褒めたりする。

 

こうすることで、心の波を極力少なくできるような気がするんですね。少なくとも、心の揺れに左右されてうつ症状に移行するまでに、ワンクッション置くことができる。

 

いわゆるメタ認知の一つの方法論にはなるかと思います。正常で冷静な自分はメタ認知を具現化した人格と言えるかも。

 

メタ認知は「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力である。 メタ認知的知識とは、自分自身の状態を判断するための知識を指す。Wikipedia

 

僕の頭のなかでは、折あるごとに彼らの対話が常に行われている状況。こうやって書くとなんかヤバい奴なんだけど、幽遊白書の仙水みたいな感じだと思えば悪くない!!まぁ彼は人間界をぶっ壊して魔界に旅行したい〜っていうかなりイカれた奴ですけどね。

 

うつ病になってから、症状が出るのが怖くて、彼の機嫌をとるようにして生きてきたんだけど、そういう生き方って全然楽しくなくて。うつ病だからあれできないとか、これするべきじゃないとか、全く楽しくない!

 

でもって、そうやって機嫌とって色々制限してきたわりに症状は出まくるし、もう僕の人生は彼を中心に、うつ病の症状を中心に人格すらつくられているような感じがして、もううんざり!って感じで。

 

うつ病な自分ももちろん自分の一部であって、病気したから得たものもあるし、これからずっと背負って生きていくものなんでしょうけど、彼に自分の人生の舵取りを任せるわけにはいかない。あくまでも俺が航路を決めていく。超低速運行で。

 

しばらくこの方法で頑張ってみて、ダメだったらまた別の方法考える!というわけで、メタ認知の方法論のお話でした。

やさしい君へ。

 

東京のはずれ、暗くて狭いおんぼろアパートで自分の異変に気が付いた時から今まで、君は僕の意識のすべてでした。

 

あの時、僕の精神は毒に侵されていました。そして君は、その毒を必死に追い出そうとしてくれました。黙ったり、泣いたり、叫んだり、壊したり。その方法が正しいのかはわからないけど、それはとにかく必死に、僕を守ろうとしてくれました。

 

おかげで、僕の中の毒は1年ぐらいで消えてなくなったように感じました。生きる意欲もだんだんと回復してきて、社会復帰に挑戦することもできました。

 

でも、僕が前に進もうとするたび、君は僕の前に立ちはだかるように、いや、僕の足を引っ張るようにして…。僕には、君が僕の順調なこれからを邪魔しているように感じました。

 

そしてそんな君を、僕は鬱陶しく感じるようになりました。足や身体にまとわりついて離れない君を、お荷物だと思いました。

 

何度も何度も、君を振り払おうとしたけど、君は僕に覆いかぶさるようにして…僕の歩みを止めました。そのうち僕は、前に進まないのなら、ここで一生、止まってもいいと、そんな風に考えるようになりました。そして、僕が立ち止まった原因はすべて君にあると、そう思いました。

 

鬱屈とした思いを抱えたまま、僕はまた、その場を動けなくなりました。毒はもう抜けているはずなのに。…お前のせいだ。お前がすべて悪いんだ。

 

その時でした。君の悲しげな顔が僕の視界に入ってきたのは。とても悲しい顔でした。僕のことを心配して、泣いているのでした。

 

「君がまた無茶をして、あの時に戻ってしまうのが怖い。僕はどうしてもあの時には戻りたくない。君にも戻ってほしくない。暗くて辛くて何の希望もない、あの時に」。君は言いました。

 

君のか細い声を聞いたのは、これが初めてでした。

 

あの時、一番近くで僕の病と闘っていた君は、その恐ろしさを誰よりも知っていました。僕の歩みを邪魔をしていたんじゃない。少し強引に歩みを進めようとする僕を止めていたのは、君のやさしさでした。

 

やさしい君。僕がまた病んでしまわないように、ずっと守っていてくれたんだね。

 

今まで気が付かなくてごめん。ありがとう。でも、もう大丈夫だよ。

 

あの時みたいに無茶はしないし、運動だってずっと続いているし、食事だって管理して作ってるんだ。睡眠時間もばっちり7時間。それに、心強い言葉で支えてくれる家族や仲間だっている。僕は僕を前よりもずっと大切にするよ。

 

これからは、僕が君を背負って生きていく。僕が行き過ぎたときは、君が耳元で注意してくれ。

 

一緒にいこう。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

我ながら気持ち悪いタッチで仕上がりました。

 

「君」はうつ病を発症している時の自分、もしくは僕の中のうつ病そのもの、あるいは僕がうつ病だと思っていたものです(ややこしくてすみません)。なんとなく擬人化してみたくて、君に手紙を書いてみました。名前を付けてみてもいいかも。

 

僕は今まで、うつ状態の自分のことが嫌いでしょうがなかった。うつ病の三文字を自分の人生から排除したかった。けど、これが自分の身体を守る働きだと気が付いた時、「君」を受け入れたい気持ちになり、「君」に対する感謝の念すらわいてきました。

 

社会復帰もまだ道半ばですが、僕はこれからこの病とともに歩んでいきます。支えてくれる家族と仲間に感謝。

 

この病と闘うすべての人が、どうか自分を嫌いにならず、否定せず、自分の人生を生きてゆけますように。

【うつ病】医師が病気を治してくれるわけではない

久しぶりにうつ病のことについて、思うことを書いてみようと思います。

まずは一つ、YouTubeに上がっていた動画を紹介します。

www.youtube.com

精神科医YouTuberの方らしいですが、うつ病が治らない人の共通点として、

  • お酒を飲む
  • 昼まで寝ている(「セロトニンさえ高めればうつ病は治る」)
  • 運動不足(一念発起して運動すれば一気に治る)

ということをおっしゃっていました。

 

私も上記の改善には心を砕いてきましたし、確かに正しい部分はあるんでしょうけど…

うつ病経験者(現在も闘っている最中ですが)としては、なんかとても嫌な感じのする動画でした。

そして、以前から考えていた、「医師がうつ病を治してくれるわけではない」ということを改めて確信しました。

どうしても抜けない「うつ病=怠け、弱い」の意識 

まず、この方の動画から感じたのは、うつ病患者をまるで見下しているかのような態度ですね。

これって当事者からしてみればとても辛いことです。私は以前、担当医の傲慢な態度によって症状が悪化した経験があるのですが、この方、その担当医とそっくりです。

うつ病は怠け」「うつ病は弱い」という意識を持ってらっしゃるんだろうなぁということが、とてもよく伝わってきます。

実はこれは大きな間違いで、後天的にうつ病にかかる人のほとんどが、真面目で勤勉であり、仕事もできるタイプと言われています。

生真面目ともいえるほど、人間関係にも仕事にも必死だからこそ、人より抱えてしまうストレスが多いのであって、決して怠けや弱さではないということを、治療の最前線にいる医師にこそ、理解してほしいものです。

ただ、これを理解するには、うつ病患者の性格の癖や、その背景にある生育環境など、知らなければならないことが多すぎるのも事実。医療現場では、一人の人にそんなに多くの時間をかけていられない現実もあるのかもしれません。実際、優秀とされる精神科は数カ月の予約待ちってこともありますしね。

まずは十分な休息を

うつ病になってしまった人を捕まえて、周囲の人はよく「ああしたらいい」「こうしたらいい」ということを言いたがります。

確かに、うつ病寛解させるのに、生活習慣の改善や適度な運動は欠かせない面はありますが、私はうつ病の初期において「何かしようとする」ということには断固反対です。

うつ病はよく「心の風邪」と表現されることがありますが、私はこれは風邪ではく、骨折レベルだと思っています。

骨折している人に対して、「毎日30分走れ!」と言う人を、まともな神経を持っている人として歓迎することはできません。

見えないだけで、心が折れているんです。まずは「何もしない」でゆっくり休息することが重要だと考えます。

そのうち、何もしないことに慣れ、休んでいる自分を責めなくなってきます。そうしてしっかり休めるようになって、エネルギーが回復し始めてから、何か始めればいいんです。

周囲の人は是非、「今までよく頑張ったな。ゆっくり休んでいいからね」と声をかけてあげてください。

医師と上手に付き合う

医師も人間であって、万能ではありません。しかし、うつ病を安定した環境下で治していくためには、様々な面で医師の協力が必要不可欠なのもまた事実。したがって、うつ病に限って言えば、病気は「先生に治してもらう」というよりも、「専門的な知見や公的な書類を獲得するために医師を利用する」ぐらいの気持ちでいたほうがベターかと思います。

また、客観的な意見を得るという意味では、カウンセラーに当たってみるのも手です。患者の話をしっかりと聞き、あるいは心理検査を行うなどして、病気の背景にどういった要素があるのかということを一緒に考えてくれます。

 

いずれにしましても、最初の動画に出てくるような医師を見かけると、本当に悲しい気持ちになります。うつ病と闘っていらっしゃる方は、決して自分を責めることなく、また卑下することもなく、「うつ病になれるのは一種の才能」ぐらいの気持ちで、自分を大きく包んであげていっていただきたいと願います。

技能研修の実態は奴隷制度

あまりにもおそまつだし、腹が立つのでつぶやく。

「技能研修とは名前だけで、実態は奴隷制度」。こんな言葉を外国人の友人からいつも聞かされている。

今日、とある新聞の紙面上に、国会議員が外国人労働者の確保に関して質問したという記事を確認した。

「人手不足の解消につながる一方で地域や社会保障への影響など、国民に不安や懸念があることも事実」。

カギ括弧でくくられたこの国会議員の発言を見て、少し残念な気持ちになった。事実とまでいうのであれば、確かに、「国民に不安や懸念」はあるのだろう。だが、外国人労働者の不安や懸念にまで思いをめぐらせた政治家は果たして何人いるのだろうか。人材不足解消の一方的な大義のために、ボロ雑巾のように使い捨てられる外国人労働者の気持ちを誰が考えているのか。「日本にはもう二度と来ない」と寂しい背中を見せた外国人を知っているのか。

よくあることだが、旬なテーマだからとりあえず質問しとけ感が見え隠れして吐き気がする。

国籍を問わず、優秀な人材を受け入れるのは国の盛衰に関わる重大問題だ。「外国人材」とは名ばかりで、外国人を人材ではなく、単なる労働力としてしか捉えられない頭のかたさ、その根にある差別意識が、この国の癌だ。

社会復帰の難しさ

東京に来てから、間もなく2カ月が経とうとしています。

 

とりあえず、会社はできた。プロダクトも、様々な問題を抱えながらだけど、何となく様にはなってきた。まだ自立できる体力はなく、投資家の顔色をうかがいながらの操業だけども、なんとか生きてはいる。

 

ただ正直、社会復帰できている実感はない。

 

月に数回、激しく落ち込むときがある。今までのように、周りの全てが虚ろになって、ひどく孤独感と絶望感にさいなまれる時がある。

 

今まで散々、身体のことを調べ、体力作りも習慣化し、病気についても勉強してきたはずなのに、結局「なんも変わってないじゃん」って落ち込む度に思う。

 

いや、前よりは確実に良くなってるんですけどね。

 

ただ、この落ち込みはあと何回繰り返せばいいんだ?上がり下がりを繰り返すとはよく言うけど、落ち込む度にまた自分を嫌いになって、周りにも迷惑かけて、ほんとに治るんかこの病気?

 

難しい。

 

病的なところからある程度まで回復して、それからは同じところをぐるぐる回っているだけのような気がする。

 

睡眠。食事。運動。

 

これだけじゃダメなのか…もっと必要なのか。

 

いや、ていうか睡眠、食事、運動のうち、睡眠と食事は理想的な状態ではない気がする。寝るのは1時ごろだし、食事はクリーンとは言えない。

 

ここらへんから今一度、見直すか…

 

あと、ストレスということで言えば、一人で頑張りすぎている気もする。早く人を雇って、自分の仕事を分散できるようにしなければいけない。自分が一人で一生懸命「モノ」をつくっていても、限界がある。理想の質量にはならない。モノづくりのシステムをつくって、システムの中でヒトを動かさなければいけない。

お知らせ

しばらく記事を更新できておりませんでした。

 

実は最近、新しい仕事がスタートし、ブログを書いている余裕が全くなくなってしまいました。

 

そちらの仕事も記事を書く仕事なのですが、なんとまぁ忙しいこと…

 

心身のバランスを崩さないように、今度こそ万全の体制でのぞまなければいけません!

 

と、こうやって気張りすぎるところも、よくないとは思いますが…

 

勤務地は東京です。

 

うつ病を発症した東京です。

 

かの地にまた戻るのか…と怖気づいたりもしますが、仲間がいるので大丈夫だろうと思っています。

 

今一度、再起をかけて頑張ってみようと思います。ダメだったらまた秋田に戻ってきます(笑)

 

というわけで、ブログの更新頻度はかなり低くなってしまうかもしれませんが、気が向いたときにまた書いていければと思います。

 

以上、一応のお知らせでした。