kaeguriの日記

2歳になる娘と猫1匹との暮らしです。プロフィール画像は奥さんがお風呂に描いた娘の似顔絵。

ゆうこのキャベツぼうし

山脇百合子さんの「ゆうこのキャベツぼうし」。大好きな絵本です。

 

キャベツぼうしをかぶる娘。

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おかあさんは ばんごはんに おいしい きゃべつすーぷを つくってくれましたよ。

 

夜の静寂に歌うツグミ

週末に代官山の蔦屋書店で見つけた、ビートルズのコンピレーションアルバムがなかなか良くて朝出かける前に聞いています。1曲目のポール・マッカートニーの作曲したブラックバードは、ビートルズの曲の中でも特に大好きな曲の1つです。この曲についてポールは「黒人の公民権運動家の女性を励ますために書いた」とコメントしたそうですが、どこか子守唄のようでもあります。

Couler Cafe“BEATLES”

Couler Cafe“BEATLES”

Blackbird singing in the dead of night / 夜の静寂に歌うツグミ
Take these broken wings and learn to fly / 傷ついた翼を広げ飛ぶことを学びなさい
All your life / いつでも
You were only waiting for this moment to arise. / 君はただ飛び立つ時を待っていた

マイケル・クライトンのER緊急救命室で、どのシーズンのどの回だったか思い出せないのですが、女医のスーザン・ルイスが失踪した姉クロエの残していった赤ちゃんを抱きながら、夜の帳の下りたアパートメントの窓辺でブラックバードをささやくように歌うシーンがあります。それはスーザンにとって大変厳しい状況の中でありながら、どこまでも穏やかで限りなく暖かい場面でした。まるで暗闇のなかにまたたく小さな光を見つめているように。

 

にぐるまひいて

まだ社会人になって間もない頃、百貨店でほるぷ出版の海外秀作絵本セットの販売を行っているのを、たまたま通りがかりに見つけました。近くにいってみると、子供のころ母に読んでもらった絵本が何冊も入っていていました。当時住んでいたすきま風の入るぼろの懐かしい我が家のことなどがパッと頭に浮かび上がり、決して安くはない金額でしたが思い切ってセットで全70冊を購入しました。

いずれ子供ができたら一緒に読めるし、、と思ってから結構な時間が経ち、ようやく子供が読める年齢になりました。本当にこれ秀作なのかな、、、と首を傾げたくなるものもある一方で、確かにこれは素敵だというものが含まれています。ただ、大人が見て素晴しいと思う物を子供が読みたがるかというと、そういうわけでもなく、また年齢によって読みたい本の傾向が変わってくるのが面白いです。

本棚から娘が自分で読みたい本を持ってくるのですが、だいたい「もういっかい」といって、1冊の絵本を2〜5回くらい繰り返して読むことになります。大人が読んでもいいな、という絵本は何度繰り返して読んでも疲れません。「にぐるまひいて」は最近娘が「もういっかい」を繰り返す、とても素敵な方の一冊です。

にぐるまひいて

にぐるまひいて

自然と共に生きる穏やかな生活。3月にはカエデからとった樹液で砂糖を作り、4月には父さんが刈り取った羊の毛を母さんが紡いで、紡いだ糸で娘は手袋を編むのです。語り継がれてきた循環する物語に、バーバラ・クーニーのやさしい絵が良く合っています。私は糸を紡ぐところを実際に見たことがあります。(母も綿を栽培し、糸車で糸を紡いで、紡いだ糸を草木で染色し布を織ります。)昔日本にもあった風景に重なるところもあり、どこか懐かしく思えるのかもしれません。

かつて見た景色

週末に自転車で野川を下り、三鷹のICU(国際基督教大学)まで行きました。

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途中、野川沿いにある小金井のオーブンミトンカフェで一休み。林の中にある古い建物を利用した素敵なカフェです。

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手前の白い円筒形のものはヌガーグラッセ。アイスクリームのような冷たいもの(生クリームとメレンゲでヌガー(砂糖と水飴を低温で煮詰めたもの)を冷やし固めたもの)の中にナッツとドライフルーツが入った不思議な食感のデザートです。

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そしてキャンパスは桜が満開。樹齢60年になる桜のトンネルが続きます。

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桜のトンネルを抜けると教会が見えてきます。私たち夫婦はかつてここで結婚式を挙げたのでした。2人とも地方出身で、アクセスの不便な場所で式を挙げてしまい、今思うと周りの人に申し訳なかった。しかしウェディングドレスを作ってくださった三鷹の「Siesta」さんが本当に素敵な(興味深い)方達で、今思い出してもニコニコしてしまうくらい結婚式の準備は楽しかったのです。茂桐さんはお元気でしょうか。

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校舎の前は芝生が広がっています。写真右上に見える盛り上がったところは、たしかバカ山と呼ばれていて、寝転がって服に芝生がついているとバカ毛がついているとか言われるのです。娘はそのバカ山を上ったり下ったり駆け回っていました。自転車のヘルメットをかぶったままですね。。

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4年間通ったキャンパスですが、美しいケヤキの木があることに今日初めて気がつきました。何度も見ている景色のはずなのに、当時は木のことなんて全く気にかけていなかったのでしょう。かつて見えなかったことが見えるようになったのだと思うと同時に、あれからずいぶん時間が経ったんだと実感しました。

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もし時間が戻ってもう一回大学を選ぶことになっても、私はICUを選びます。SectionAのみんなと過ごした時間は今も大切で少し切ない思い出です。

美しいということ

娘の語彙が増えていく過程では、意味のない発声から始まり、最初に身の回りの名詞を覚えていきました。次に意思を表明する"〜する"といった動詞。そして最近は特に"やだ"。そして少しずつですが、"かわいい"といった簡単な形容詞を使うようになってきています。

形容詞は、ある程度経験を重ねないと使うことができないものです。特に美しいというのは入り組んだ概念で、大人であっても美しい器と聞いて思い浮かべる物は人それぞれ異なるはずです。美しいという言葉からなにを思い浮かべるのかということは、きっとその人がどのような人生を歩んできたかということを反映します。

私は美しいということばの中には、半分くらい悲しいという概念が含まれているような気がしています。美しい物は変わっていくもの、長く続く物ではないから、いつかは消えてなくなってしまう物だから。

一方で普遍的な美しさというものもあるはずです。仏教の「有無好醜」(うむこうしゅう)という言葉。好い醜いといった次元を超えたところにあるもの。ものごとが分化する前の大本にあたるもの。計らいのない無作為の世界。

私にとって美しいもの。それは、変わりながら変わらないもの。巡り、繰り返すもの。例えばそれは、5月の風にそよぐ楓の葉の新緑、6月の雨に濡れたケヤキの幹、7月の日差しの中の姫沙羅の木。季節が巡り出会う度に、変わらず美しいと思えるのです。

娘は大きくなったときに、美しいと聞いてどのようなことを思い浮かべるのでしょうか。娘にどのような美しさを与えることができるのか、親としての立場から興味を持っています。

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かわいいだけじゃない

大人気の陶芸家、鹿児島睦(かごしままこと)さんの、動植物のモチーフを抽象化しパターン化したその作品は、「かわいい」というよりむしろ「美しい」といった方が適切と思うことがあります。私は青単色の作品が特に好きです。

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柔らかな印象を生み出すモチーフの抽象化の部分はリサラーソンやスティグリンドベリといった北欧の陶芸を、リズムを生み出すパターン化の部分はマリメッコやスヴェンスクテンといった北欧のテキスタイルを彷彿とさせます。

鹿児島さんの器は、既存の陶芸の制約からとても自由な印象を受けます。そして、他の表現者が突き詰めている自己表現とは、別の部分に重心をおいている様に見えます。

「サラリーマン時代に学んだ大きなことのひとつが、お客様に「迷う楽しさと驚き」を提供することの大切さ。だから、ひとつとして同じ柄のものはつくらないし、見てくださった人が、どれかひとつだけでも”あれ?”と心を動かされるようなものをつくりたいと常に思っています。自己主張というよりは、そういう気持ちから出てくる絵柄なんですよね」「うつわ作家101人の仕事」(枻出版社)

表現者として自身の文脈の中で自己を提示するのではなく、ユーザーの出会うであろう"あれ?"を想像しそこに重点を置いている部分。例えば携帯やPCの分野において独自技術やスペックの向上にこだわった日本のメーカーと異なり、ユーザーエクスペリエンス("あれ?")のために技術を活用したAppleに重なるところがあるかもしれません。結果的にAppleの製品は多くのユーザーの支持を集めています。

表現者としての生き方の背景が見えずスマートな都市生活者のようなところも、一見とても軽やかに見えます。しかし、ひとつとして同じ柄のものはつくらないということは、手で1つ1つ異なる絵を作成しているということです。展示会の度に数百枚の器を成形し、絵付けを行い、釉薬を掛け、焼き上げるというのは地道で手間のかかる大変な作業のはずです。

一見軽やかに見える表面の下には、その大きな才能だけでなく、表現者としてのたいへんに強い芯があると想像します。そして、数多くの繰り返しの作業の中から美しい作品が生まれているのでしょう。そうして生まれた作品には、思想としての民藝につながるところもあるように思います。

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鹿児島さんの企画展での婦女子の熱狂を見ると呆然としますが、この人気は表面的なものではないと思います。なによりも鹿児島さんの器は、食卓を明るく楽しくします。作りも丈夫ですし、油っこいものを入れても色移りしません。食事を盛る器として使用してみるとその本当の良さが分かります。これから先、どのような作品を出してくださるのかとても楽しみです。

 

星空の器

先日「うつわノート」さんで購入した小野哲平さんの飯碗について、実際に使ってみると本当に使い勝手がよいです。大きさと重心が絶妙で、手触りはしっとりとしていて、持つと手に吸い付くような感じがします。この器に触れることが、ご飯を食べる楽しみの一つになっています。

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他の作品も見てみたいと思い、鎌倉の「うつわ祥見」さんに行ってきました。お店を主催する祥見知生さんは、そもそも器を購入するきっかけとなった「日々の器」を書かれた方です。商店街の中にある落ち着いた空間の中、静かに器を手に取りました。

奥さん用にすこし小さなサイズのものがあるとよいなと思っていたところ、小野哲平さんの呉須の飯碗がありました。私は手が大きいので、先日購入したものほど絶妙な感覚はないものの、佇まいの美しい器です。

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スタッフの方が丁寧に熱意をもって器の背景を話してくださいました。薪窯とガス窯の違い、釉薬の違い、小野さんの器について。器に対する想いが伝わってきて、お話をしていてとても楽しかったです。

器の中は深みのある藍の世界、星空の景色が広がっています。天の川の彼方にはオリオン座の三つ星。

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寒色の器に料理を盛ったときにどういう感じになるのか(及び出費がかさむ中で奥さんにおこられないか)、すこし(大きな)不安もある中、小野さんの飯碗と平皿を購入しました。(後者の不安は的中。。)これらの器からどのような影響を受けるのか、楽しみに毎日使用していきます。

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なお、6月22日(土)- 6月30日(日)まで、「うつわ祥見」さんで「小野哲平展」が行われるということでした。少し先になりますが、今度は奥さんと一緒に行きます。